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2008年11月 3日 (月)

【遊】野崎八幡社

「野崎庵」 といっても、内輪にしか通じない名前だが、三鷹の野崎へ行く用があり、はじめて野崎八幡神社を写真におさめてきた。

残念ながら、境内は工事中で、風情のある写真にはならなかったが。

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公式サイト的なものは見つからなかった。

寺社巡り(野崎八幡社)
http://www.geocities.jp/mitaka_makita/jisya/nozaki.html


三鷹という地名の由来だが、江戸時代の鷹狩りの地(鷹場)からきているらしい。


『武蔵野むかしむかし』 (朝日新聞社編/新人物往来社/1971年) に、こんな話が載っている。

「三鷹の由来 タカ場指定で大騒動」

<江戸時代を象徴する豪快なスポーツに鷹(タカ)狩があった。 悪名高い例の 「生類憐れみの令」 で二十九年間禁止されていたが、享保元年(1716)吉宗が八代将軍に就任するとあっさり解除になった。
 タカ狩は武士にとっては野戦の訓練であり、大名にとっては民情視察のまたとないチャンスであった。 いずれにせよ太平の世の〝刺激剤〟であったことには間違いない。 カモや山バト、キジ、ウサギなど鳥やけだものの豊富な武蔵野の原は、だから江戸に幕府ができると将軍や大名がしばしば訪れた。
 そのタカ狩再開のニュースが広まって間もなく、代官所から村々にお達しがあった。 ツジに出された高札を見たら 「このたび野崎、上連雀、境、西窪の各村は甲府勤番柳沢古里さまのおタカ場に相成り申候につき……」 と書かれてあった。
 「えっ! 村がタカ場?」 と西窪村の名主紋右衛門はもちろん、武蔵野一帯の百姓はみんな大あわてにあわてた。 無理もない。 タカ場に指定されれば、みだりに鉄砲はうてない、鳥を捕えて飼ってはいけない、巣もとってはならぬ。 もし高札に違反したら、それはもう、考えただけで首筋がヒンヤリした。……>


Musashino_mukashi1Musashino_mukashi2jpg土地に住む人々にとっては、迷惑な話だったことがわかる。

ところで、なぜ 「三鷹」 かということだが……
<明治二十二年三月、武蔵野に 「三鷹」 と呼ぶ新しい村が誕生した。 その名の由来は統合された村の区域が、むかし府中、野方、世田谷の三つの代官所に支配されていたこと。 また、いずれもおタカ場であったことから 「三鷹村」 とつけられた。>
とのことである。

この本には、殿様の鷹狩りの様子がくわしく書かれていて、おもしろい。
国立駅前の古書店で、すこし前にみつけた本だ。

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