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2009年1月の36件の記事

2009年1月31日 (土)

【読】再読 『満州国演義 2 ―事変の夜―』

ようやく二冊目を読みおえた。

Funado_manshu2船戸与一
 『満州国演義 2 ―事変の夜―』
 新潮社 2007/4/20発行 1800円(税別)

1930年(昭和5年)、「満州事変」(1931.9.18)の前年から、1932年1月の「上海事変」まで。
敷島四兄弟は、それぞれの立場から、この二つの「事変」に深くかかわっていく。
主人公たちはもちろん架空の人物だが、史実が小説のベースになっている。
その史実の説明が、ときに鬱陶しく感じられたりもするが、とにかく面白い。

ここまでの二巻は、週刊新潮に連載されていた基本稿に五百枚程度の加筆修正を施して上梓されたものだという。
二冊、同時発売である。


この二巻目の巻末に、著者による 「後記」 が掲載されていて、参考文献もあげられている。
じつに興味ぶかい。

以下、「あとがき」 から。

<筆者は昭和十九年の生まれで飢餓体験はあても戦争の記憶はもちろん中国で九・一八(チュウ・イーパー)と呼ばれる満州事変前後の事情となるともはや遥かなる記憶でしかない。 したがって執筆にあたってはすべて資料に頼った。>

<小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。 これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けて来たつもりである。>


参考文献としてあげられている書籍の中で私の興味をひいたのは、上坂冬子 『男装の麗人川島芳子伝』(文藝春秋)、角田房子 『甘粕大尉』(中央公論社)、平岡正明 『石原莞爾試論』 (白川書院) の三冊。

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2009年1月30日 (金)

【楽】無印良品の BGM CD

こんなアルバムがあったんだな。

いまや全国どこにでも店舗がある「無印良品」 のBGM CD。
一枚1050円(税込)という安価ながら、内容がすばらしい。

無印良品ネットストア [BGM11]
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4945247194388

国分寺駅ビルにはいっている 「無印良品」 のカタログを、パラパラとめくっていて発見したもの。
今日、4枚買ってきた。
ボックスセットもあるが一万円近くするので、バラで買った。


画像は、BGM11 (ハワイアンミュージック)
 透明感漂う伝統的なハワイアンミュージックを中心に構成

トラディショナルなハワイアンミュージック。
素朴な演奏が、たまらない。

ギターの音色がとてもいい。
Slack Key Guitar というギター奏法らしい。


【ハワイアン音楽 - Yahoo!百科事典】 より

ハワイアンで用いられるギターは、スラック・キー・ギターslack key guitarとよばれるハワイ独自のスタイルで演奏される。これはギターの弦を緩めてメジャー・コード(長調の和音)で調弦するものであり、その結果、一般のスパニッシュ・チューニング(スタンダード・チューニング)とは異なる甘美な音響が生み出される。また、旋律と和音、ベース・ラインを同時に弾く奏法にも特色がある。


Mujirushi_bgm_11_1_3Mujirushi_bgm_11_2_2










他に購入したのは、次の三枚。
カタログに書かれている短い説明だけで、あたりをつけて買ってみたが、きっと期待を裏切らない素敵な音楽だろう。

BGM12
 明るく元気で、ほんのりと哀愁漂うパリを代表する音楽「ミュゼット」
BGM13
 ブラジルを代表する伝統音楽「サンバ」「ショーロ」を、現地リオ・デ・ジャネイロで収録
BGM14
 イギリスの南西部、コンウォールに根付くケルト音楽 

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2009年1月29日 (木)

【読】こんな本をみつけた(JAL機内誌をきっかけに)


この記事は、昨夜書いて一度アップしたものの、すぐに非公開にした。
石川直樹さんという人について、私はまったく未知だったので、少しネットで調べてみたのだった。
その結果、意外な情報を目にして、ちょっと怯んでしまった。
しかし、一夜明けて、考えなおした。
情報というものはいわば無限であり、ことにネット情報の真偽はにわかに判断できないものが多いのだから、今現在、じぶんが知っている情報をベースに書くことは、けっして悪いことではない、と。



年末、帰省の折、JALの機内誌 「スカイワード SKYWARD」 に目を引く写真があった。
カナダのクイーン・シャーロット島の写真だ。

Skyward200812_1Skyward200812_2『SKYWARD 2008/12月号』
http://www.jal.co.jp/inflight/skyward/0812.html


「カナダ 神話の時間」
  撮影・文 石川直樹

石川直樹という人を私は知らなかったが、1977年生まれのまだ若い人らしい。
写真は、星野道夫さんを思いおこさせる、ハイダ族の人々やトーテムポール、自然風景などを撮ったものだ。
写真のタッチが星野さんに似ているなと思いながら文章を読んでいると、こんなフレーズがあって、思わずニヤリとした。


<トーテムポールを見て引き返す旅行者が多いのだろう、奥へ向かう道は苔むしていて、緑の密度が圧倒的に濃い。 (中略)倒れた倒木が苗床になってさらに若木が生長していくさまは、この世界の生命が長い旅の途上にあることを端的に表している。木々は常に朽ち、一方で森は常に誕生し続けているのだ。>


星野道夫さんの本のタイトルにもなっている、「長い旅の途上」 という言葉を、この人は意図的に使っているのだと思う。
年齢からみて、星野さんの写真や著作から強い影響を受けた世代とも思える。


写真がみごとだったので、この機内誌を持ち帰り、家に帰ってから調べてみたら、魅力的な本があった。

Ishikawa_naoki_bouken_2石川直樹 『いま生きているという冒険』
 2006年 理論社 1400円(税別) 279ページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4652078161

図書館にリクエストして、今日、手にすることができた。
(近隣の別の市の図書館からまわってきた。親切である)

石川直樹(いしかわ・なおき)
1977年東京都生まれ。高校時代にインドを一人で旅して以来、世界中を旅するようになる。2000年に地球縦断プロジェクト「POLE TO POLE」に参加し、北極から南極まで人力で踏破。2001年にはチョモランマに登頂し、世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を塗りかえた。2002年に早稲田大学を卒業。2004年、熱気球による太平洋横断に挑戦。現在、東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程に在学しながら、写真・映像作品を制作。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに、文章・写真作品を発表している。(以下、略)
 =本書巻末の著者略歴より=


略歴をみると驚くほど行動的な人で、写真もダイナミックだ。
今日から読みはじめるこの本も、カラー写真満載で、楽しみである。


この本の内容
1章 世界を経験する方法としてのインド  インド一人旅
2章 冒険に出かけよう  アラスカの山と川
3章 自分の目で見て、身体で感じること  北極から南極へ
4章 いま生きているという冒険  七大陸最高峰とチョモランマ
5章 心のなかに島が見えるか  ミクロネシアに伝わる星の航海術(スターナビゲーション)
6章 惑星の神話へ  熱気球太平洋横断
7章 もう一つの世界へ  想像力の旅


【2009/3/3 再掲載】
わけあって、この記事へのコメントは受け付けません。あしからず。

【2009/3/3 追記 参考サイト】
車横転、邦人女性が死亡/アルゼンチン、冒険家けが―四国新聞社
 http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/article.aspx?id=20051004000008
冒険家・探検家・研究者 石川直樹(いしかわ・なおき)
 http://bouken.blog28.fc2.com/blog-entry-2.html

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【楽】JIROKICHI 35th ANNIVERSARY

ひさしぶりに高円寺の駅前に降り立った。
北口を出てすぐのところに、ライブハウス 「JIROKICHI」 がある。
今年、35周年をむかえるという。

http://www.jirokichi.net/

1974年開店、ということか。
その頃は東京に出てきていたけれど、この店のことはあまり知らなかった。

もっぱら、南口にあったジャズ喫茶 「サンジェルマン」 に通っていたっけ。
当時、阿佐ヶ谷に住んでいた友人が連れて行ってくれた店で、独特の雰囲気があった。
なつかしい思い出だ。

ところで、今日、JIROKICHIに立ち寄ったのは、ほかでもない。
35周年記念ライブのひとつ、2/14の上々颱風ライブの予約チケットを受けとりに行ったのだ。

2/13(金)、2/14(土)の二日間なのだが、さすがに金曜の夜は行けない。
お店では、2/13の方がすいているので、いかがですかと言っていたけれど。

2/14の入場整理番号は○○番。
ナイショにしておこう。

Jirokichi_35thJirokichi_35th_poster 

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【読】ついに出た 『満州国演義5』

発売日は明日になっていたが、今日、本屋に寄ったら出ていた。

Funado_manshu5船戸与一
 『満州国演義5 ―灰塵の暦―
 2009/1/30 新潮社 2000円(税別)
 469ページ

だんだん厚みをましてくる。
電車の中で、片手に持って読むにはちと重い。

南京事件かぁ……いよいよ面白くなりそうだ。

<「兵士たちは復讐心に燃えてるんだ。 強姦や理不尽な殺戮。 人間の残虐性がかならず爆発する」
 満州事変から六年。 理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、憲兵隊で活躍する三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。 そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の命運を大きく揺るがす事件が起こる。
 読者を「南京事件」へと誘う第五巻。>  (本書帯より)

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2009年1月28日 (水)

【読】同時代の伴走者

「同時代」という言葉がすきだ。
いま、この時代をいっしょに生き、同じ時代の空気を呼吸している人たちがいる。

もちろん、身のまわりにいる生活の場の人々がそうだが、本や音楽を通じて 「同時代人」 と感じる人たちもいる。
私は、かってに 「同時代の伴走者」 と呼んでいる。

伴走者という呼び方は、もちろん、私を中心に置いてのことだ。
彼らは彼らで、それぞれの人生を走っているわけだが、私から見れば伴走者である、という意味合いで。

マラソンに例えてもいいし、一万メートルのトラック競技でもいい。
どうしようもなく苦しくなったとき、ふと横を見ると、同じように走っている人ががいるだけで、きっと元気もでてくるというものだ。

五木寛之、吉本隆明、といった大先輩たちは、私よりもはるか先を走っている人たちだが、その後ろ姿ははっきり見える。
あるいは、同じトラックですぐ横にいるのだが、私より何周も先を行っている。
失礼な言い方だが、ゴールに近い人たちだ。


こんなことを書いたのも、きょう、星野道夫にまつわる本と雑誌を手に入れたからだ。
星野さんも、私にとって 「同時代の伴走者」 だった。
ただ、私がきづいたときには、もう彼の姿はどこにも見えなくなっていたのだが。


Hoshino_coyote_no16_2Coyote No.16
 「特集 トーテムポールを立てる」
 2007年4月  スイッチ・パブリッシング
 857円(税別)

星野さんが生前、親しくしていたボブ・サムの語り 「森と氷河と鯨よ、ミチオと≪ひとつ≫になれ」、池澤夏樹さんの講演 「もう一つの時間 星野道夫の生涯」 などが収録されている。
なによりも、この雑誌は写真がきれいだ。




Hoshino_yukawa_interview2_2『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 ― 原野に生命の川が流れる ―
 湯川 豊  スイッチ・パブリッシング
 2006年 1500円(税別)

この本は、だいぶん前に図書館から借りて読んでいるが、あらためて手許に置いておきたくなって購入した。


【読】星野道夫さんとクマ(続々) 2008年6月22日 (日)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_9893.html


<僕は生物学者でも人類学者でもなくて、ごくふつうの人間が誰でももつような思いがあって、それはいってみれば、どうして人間はここにいるのか、そしてどういう方向に行こうとしているか、ということだと思うんです。 人間という種の不思議さ。 自分が生きてることの不思議さっていうのかな。 そんな意識がいつもどこかにあるような気がします。 そういう意識でアラスカを撮っていると何かが見えてくる。>  (本書帯 ―「終わりのない旅 星野道夫インタヴュー」より)


生きていると、つらいことも多い。
楽しいこともあるが、悲しくなること、さびしくてたまらないこともある。
それでも、まだまだ走りつづけなければいけない。

星野道夫さんが残した文章や写真が、そっと励ましてくれることは、うれしい。
もうこの世にいない人だけれど、まだ生きている。
そういう人だ。 

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2009年1月25日 (日)

【読】Coyote最新号

「Coyote」(コヨーテ)という洒落た雑誌がある。

Hoshino_coyote_no34今日、たまたま出かけた先の書店で最新号を見て、即座に購入した。
星野道夫の特集が載っていたから。

Coyote No.34
 特集 たったひとりのアラスカ
 2008年12月10日発売 価格1470円(税込)
 株式会社 スイッチ・パブリッシング

http://www.coyoteclub.net/index.html


星野道夫さんと、この会社の縁は深い。


(写真) 左から
『魔法のことば』 星野道夫
『旅をした人 星野道夫の生と死』 池澤夏樹
『表現者』 星野道夫
『Coyote No.2』 特集 星野道夫の冒険 (2004年10月)

Hoshino_mahou_2Hoshino_tabiHoshino_hyougensha1Hoshino_coyote_no2

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【読】船戸与一の流儀

Funado_manshuu_booklet_2船戸与一 『満州国演義』 に見る中国大陸
 愛知大学東亜同文書院ブックレット 5
 あるむ 2008/3/31

船戸与一の講演録が収められているこのブックレットに、興味ぶかいことが書かれていた。
彼が、講演の最後に聴衆からの質問に答える形で、自作 『満州国演義』 にふれて、次のように語っている。


質問者
「霊南坂の人びと」 (註:週刊新潮連載、『満州国演義』 に発展する) を毎週楽しみに読ませていただきました。 先ほど 『満州国演義』 は、全八巻の構想があるというお話でしたが、続きは 『週刊新潮』 に連載されるのでしょうか。 もう一点は、非常に魅力のある四兄弟ですが、実在のモデルみたいな方がおられたのでしょうか。

船戸与一の回答
まず、「霊南坂の人びと」 は、『満州国演義』 第一部に収め、その続きを単行本の書き下ろしで執筆するという。
(これで、私の疑問のひとつは解消した。どうりで、週刊新潮の広告に見当たらないわけだ)

もうひとつの、「モデルがいるか」 という質問に対して、あっさりと 「いません」 と答えた後、こんなことを喋っている。

原文を少し引用してみよう(本書 P.41)。

<なぜああいうふうに作ったかと言うと、小説の書き方には天の目という使い方があるんですが、上から俯瞰して見る書き方です。 例えば 「満洲の大地に十万の軍勢が動いていた」 という書き方は天の目を使っています。>

<これにたいして、ある登場人物の視点からしか見えない書き方というのもあります。 登場人物の視点から見るので天の目は使えないんですね。 一人の登場人物だと状況が複層的にならないので四、五人は要る。 あまり多くなると読者に混乱を与えますので四人に絞りました。>


なるほど。
船戸小説の流儀ともいうべき秘密が、よくわかった。

この小説の主人公として「敷島四兄弟」を登場させたワケとして、船戸が語っていることを引き続き要約すると――

長男(敷島太郎)=外交官
 官僚にしか入ってこない情報があるから、どうしても必要な登場人物
三男(敷島三郎)=軍人
 一般人にはわからない軍の情報を得るために軍人が必要
次男(敷島次郎)=馬賊
 官僚にも軍にも分からない、草の根しか取れない情報を彼の目から取るため
四男(敷島四郎)=「ただの流され者」(第二部までの段階)
 満州にはロマンがある(満洲ロマン説)、満州は侵略でしかない(満洲侵略説)
 といった一元的な見かたではとらえられない
 そんな単純なものではない、という船戸の考え方から
 両方の説に当てはまらない存在=「貧乏くじを引いた人間」として登場させた


船戸小説の魅力は、現代の紛争にしても、過去の歴史(アイヌの蜂起=『蝦夷地別件』、日中戦争=『満州国演義』)にしても、このような「複層的」な視点から描いていることからきているのだろう。

そんなことを思った。



【2009/1/27追記】
まえにも紹介したが、新潮社のサイトに船戸与一が自作を語るインタビュー記事が掲載されている。
これがなかなか面白い。

船戸与一『風の払暁―満州国演義1―』『事変の夜―満州国演義2―』
 波 2007年5月号より
 [船戸与一『満州国演義』刊行記念] だれも書いたことのない満州を

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/462302.html

<従来の満州を語る姿勢を分類すると、ひとつは、ロマン説。新しい国家というのをまっさらに作り上げることの魅力だね。もうひとつは、侵略説。この二つの溝はとても埋められるようなものじゃない。どういうふうに満州国が出来上がっていったのかを語ること以外に解答はないんだ。ロマン説であろうが侵略説であろうが、意義を語るだけでは何の解決にもならないので、具体的な内実を語ることが必要だと思った。だから、断片的な事例や論を語るのではなく、これで満州の全てが丸ごと分かるような作品を書きたかった。> (船戸与一)

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【読】再読 『満州国演義 1 ―風の払暁―』

船戸与一が今も執筆中の長編、『満州国演義』 (新潮社刊)。

今のところ第4卷まで出版されているが、3巻までしか読んでいなかった。
間もなく5巻目がでるということを知り、ここらで、はじめから通読してみようと思いたった。

第1卷を、四日かけて読み終えた。
四六判変形380ページという、厚手のハードカバーである。
鞄に入れて持ち歩くと、けっこう嵩張る。


Funado_manshu1_2船戸与一
 『満州国演義 1 ―風の払暁―』
 新潮社 2007/4/20発行 1800円(税別)

昭和3年6月4日 張作霖爆殺を中心に、混乱する中国大陸東北部(旧満州)を舞台にしたスケールの大きな歴史小説の開幕。
麻布の名家 敷島家の四兄弟、太郎、次郎、三郎、四郎が、それぞれの立場で、この混乱期に生きていく。

太郎は奉天日本領事館の参事官。
次郎は日本を捨て、満蒙の地で緑林の徒(いわゆる馬賊)の長となっている。
三郎は奉天独立守備隊の少尉。
四郎だけが日本にいて、早稲田大学に在学しながら無政府主義に傾倒、左翼的な劇団とかかわりを持っている。


激動の時代、大きな波にさらわれる小舟のように四兄弟が翻弄されていくさまが、じつに興味ぶかく、小説の醍醐味に満ちている。
第1卷に描かれたわずか二年ばかりの間で、四人の境遇も大きく変化する。

この先どうなるのだろう、という興味が尽きず、ぐいぐい引きこまれていく。
著者によると、全部で8卷になる構想なのだそうだ。
(下のブックレットの講演で、船戸自身が語っている)


ネット検索で、面白いブックレットをみつけて手に入れた。
船戸与一の小説は、どれも、たいへん綿密な調査の裏付けに支えられている。
『満州国演義』 も例外ではなく、よく研究しているなと感心する。


Funado_manshuu_booklet『満州国演義』に見る中国大陸
 船戸与一
 愛知大学東亜同文書院ブックレット5
 発行:株式会社 あるむ
 2008年3月31日 発行
 700円(税別) 43ページ

愛知大学東亜同文書院大学記念センター講演会での、船戸与一の講演録である。

愛知大学:東亜同文書院大学記念センター
http://www.aichi-u.ac.jp/institution/05.html

 【講演会】船戸与一氏(作家)「小説『満州国演義』にみる中国大陸」
  (2007年10月27日開催於東京)
 http://www.aichi-u.ac.jp/orc/Back09.html


―以下、Wikipediaより ―

「東亜同文書院」
1901年(明治34年)に東亜同文会(近衛篤麿会長)により中国に設立された日本人のための高等教育機関。日本人が海外に設立した学校の中でも古いもののひとつ。
1901年(明治34年)5月26日、上海に設立される。当初は政治科と商務科がおかれ、一時は農工科、中国人対象の中華学生部も設置されていた。1921年(大正10年)には専門学校令による外務省の指定学校となり、1939年(昭和14年)12月には大学令によって東亜同文書院大学に昇格し、予科、続いて学部が設置された。1943年(昭和18年)には専門部が付設された。
1945年(昭和20年)8月、日本の敗戦に伴い、閉学となった。
愛知大学との関係
東亜同文書院(大学)は、その閉鎖後に設立された愛知大学とは形式上は別の法人であるが、実際には愛知大の「生みの親」「前身校」としての性格が強調されている。
敗戦にともない東亜同文書院大学は廃校になり、経営母体の東亜同文会も解散を余儀なくされた。その後、残務整理を経て上海から引き揚げてきた本間喜一学長などの関係者は、1946年5月、旧学生・教職員を収容する新大学を国内に設立することを決定した。
しかし設立にあたって、GHQが東亜同文書院大学そのままの大学では認可できないと条件をつけたため、旧書院側は「新大学は東亜同文書院とは無関係」との声明をよぎなくされた。そして京城帝国大学・台北帝国大学を含め「外地の学校から引き揚げた学生・教職員を収容する大学」との位置づけで46年11月に愛知大学(この時点では旧制大学)が設立された。(この際に東亜同文会旧蔵の霞山文庫の受け入れがなされている)
設立時の学生・教職員の大半は東亜同文書院関係者で占められ、初代学長には東亜同文会理事の林毅陸(前慶應義塾大学塾長)が、ついで第2~4代学長にはかつての東亜同文書院大学教授が就任した。すなわち本間喜一(第2・4代)および小岩井浄(第3代)である。東亜同文書院時代に着手された『中日大辞典』編纂事業も愛知大に引き継がれた。さらに東亜同文会を継承する霞山会と愛知大は理事の相互就任など密接な関係を有している。
1991年独立大学院「中国研究科」新設、1993年には学内に「東亜同文書院大学記念センター」を設立して東亜同文書院関係資料の受け入れを進めている。

― 以上、Wikipediaから引用 2009/1/25 ―


この、東亜同文書院(上海)は、『満州国演義』 で、敷島家四男の四郎と深い関わりをもっていく。
四兄弟それぞれ魅力的に描かれているが、私は、次郎と四郎になぜか親しみを感じる。

歴史背景の記述が煩わしく感じられることもあるが、複雑怪奇なあの時代の中国大陸(支那)の輪郭が、読むほどにくっきりしてくるような気がする。

船戸与一は、もちろん歴史学者ではないから、作家の目であの時代の謎を解こうとしている。
そこが面白い。

しばらくのあいだ、この小説にかかりっきりになりそうだ。

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2009年1月24日 (土)

【遊】雪と蕎麦

今日は、朝からどんより曇り空。
ときどき雪がちらつく寒い一日だった。

車ででかける用があり、西国分寺あたりを走っていて、ちょうどお昼どきになった。
前から気になっていた蕎麦屋が、通り道にあった。

場所は、西国分寺駅近く、都道145号線と府中街道が交わる「泉町交差点」の東側。
都立武蔵国分寺公園の西側。

駐車場がなければ、あきらめようと思っていたが、車二台分の駐車場がお店の前にあった。
ラッキーだった。
11時半が開店時刻で、開店直後。

天候のせいなのか、開店から時間がたっていなかったせいか、先客は一人だけ。
私たちが入った後から一組来ただけで、全部で五人。


蕎麦 山泉(さんせん)
東京都国分寺市西元町2-17-16

http://r.tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13010061/#rstinfo

おいしい蕎麦だった。
十割の手打蕎麦だろう。

私は天せいろそば、家人は温かいきのこそば。
蕎麦もおいしかったが、揚げたての天ぷらもおいしかった。
二人で、2300円。
安くはないが、それだけの値打ちはあった。



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2009年1月23日 (金)

【楽】女性ツイン・ボーカル

週末のこの時間帯、家人がよく見るテレビ番組 「たけしの誰でもピカソ」 (テレビ東京) を一緒に見ることが多い。

http://www.tv-tokyo.co.jp/pikaso/

今夜は、岩崎宏美・良美姉妹がゲスト。
オープニングで、「白い色は恋人の色」 を歌っていたが、なかなかいいのだ。

姉の岩崎宏美は、それなりに年齢を重ねて落ち着いた女性歌手になった。
妹の良美は、実年齢を知らないが、ずいぶん子どもっぽく見える。

それにしても、女性ツイン・ボーカルはいいなぁ、と思う。


話は強引にこっち方向にいくのだが……
女性ツイン・ボーカルといえば、なんと言っても上々颱風。

 http://www.shangshang.jp/

今年の世田谷パブリック・シアターのライブ予定が決まったらしい。
これは、当日券で入ろう。

 2009年5月9日(土)   開演 19:00 / 開場 18:30
 2009年5月10日(日)  開演 16:00 / 開場 15:30


その前に、高円寺JIROKICHIで、面白そうな二日間連続ライブもあるなぁ。
行きたいけど、行けるかなぁ。

JIROKICHI「Sound of Superstars 35th Anniversary Live」
上々颱風 for JIROKICHI お祝いスペシャル2days

 http://www.jirokichi.net/

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【雑】77777

このブログのアクセスカウンターが、77767になりました。
あと10アクセスで、ゾロ目です。

特に景品は用意していませんが、77777にあたった方は、コメントなどいただけると嬉しいな。

昨年9月に、60000アクセスになって喜んでいたのですが、

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/60000-8717.html
【雑】60000アクセス 2008年9月16日 (火)

どんどんカウンターがあがるのが励みになります。


毎度書いていることですが、このブログは、なかば自分の楽しみのために続けているわけでして。
いちばんの読者は、自分自身だと、今も思っています。

とは言いながら、どんな方が見てくださっているのか、気にはなります。
というか、おおいに気にしていて、アクセスログなど毎晩見たりしています。

このあたりが、潔くないと、自分でも思いますが。


なにはともあれ、これからもよろしくお願いします。
いつも見てくださっている友人、知人の皆さんと、検索サイトから誘導されて、このブログを見て(たぶん)がっかりなさった方々へ、心より御礼申しあげます。

2008/1/23 やまおじ 拝

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2009年1月20日 (火)

【読】船戸与一『満州国演義』の近刊

船戸与一 『満州国演義』 の第5巻が出るらしい。

Funado_manshu5_small新潮社
船戸与一『灰塵の暦―満州国演義5―』
http://www.shinchosha.co.jp/book/462306/

2007年4月に第1巻と、2巻、その後、2007年12月に第3巻、2008年6月に第4巻が発売されている。
私は3巻まで読み、4巻目はまだ読んでいない。





Funado_manshu1_2Funado_manshu2Funado_manshu3Funado_manshu4











小説の舞台が広く、登場人物も多彩なため、いっきに読まないとわからなくなってしまう。
こんどの5巻目が出ても、まだ連載(週刊新潮)は続いていくのだろうか。

 週刊新潮 (新潮社)
 http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/


ちょうど、水木しげるの 『コミック 昭和史』 第1卷(講談社文庫)を読み、関東大震災から満州事変までの歴史をおさらいしたところだ。

そうだ、この機会に、満州国演義の既刊4巻を読みとおしてみようという、大それたことを思いついた。
今月末に出るらしい5巻目につながるし、なんちゃって。


Mizuki_showa_shi_1水木しげる 『コミック 昭和史 第1卷』
  関東大震災~満州事変
 講談社文庫 1994年 533円(税別)
 259ページ 解説:尾崎秀樹

おもしろかったな。

<(前略)水木しげるの軌跡はそのまま昭和史に重なっている。(中略)/コミック『昭和史』は、その自分史を裏にこめた作品である。昭和の前史にあたる関東大震災から筆をおこし、戦争の足音をたどりながら、十五年戦争の経過を内外の視野におさめ戦後の復興から高度成長までを叙しているが、随所に挿入される水木しげるの自分史が、一つの生活史ともなっていて興味ぶかい。>  (尾崎秀樹による本書解説より)

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2009年1月18日 (日)

【遊】今年も、鈴木稲荷のもちつき大会

去年も、ちょうど今頃だった(2008年1月13日)。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_1400.html

今年もまた、私の住まいから歩いて10分ほどの近所にある、お稲荷さんでもちつき大会があった。


0901180015_2地域の青少年対策協議会(小平市鈴木小地区)が、毎年開催しているようだ。
お椀と箸を持参して、開始時刻の午前10時前に、鈴木稲荷神社へ。

鈴木稲荷
(小平シニアネットクラブ KSNCのサイトより)
http://www.ksnc.jp/kodairashoukai/suzukiinari/suzukiinari_front.htm



0901180032_250メートルもある参道が、300年近い歴史の古さを感じさせる。
ふだんは人気のない、ひっそりとした境内である。

巨大な黒松がそびえていたというが、四年ほど前に虫食いの被害にあって伐採されたという。
今は根元だけが残っている。

所在地:小平市鈴木町1丁目500番地


0901180016第22回もちつき大会
今年は、開始前の会長さんのご挨拶から見学。
豚汁(50円)以外は、誰でも無料でふるまってもらえるという、ありがたい催しだ。
このような、地域の人たちの活動はいいなあと思う。

あんころもち、きなこもち、からみもち、海苔もち、それにお汁粉が無料。
豚汁もおいしかった。

子どもたちが、もちつきを体験できる貴重な場でもある。
私が子どもの頃、近所の人たちが集まって、毎年暮れに、臼と杵でもちつきをしていたことを思いだす。
つきたてのもちは、柔らかく、湯気があがっていておいしいものだ。


09011800220901180025090118001309011800490901180048090118004209011800540901180040090118002809011800310901180026090118002709011800430901180050_20901180035090118003809011800460901180055_2                

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2009年1月17日 (土)

【読】水木しげる「ラバウル戦記」(続々)

今日は一日、どこにも出かけず、本を読んだり音楽を聴いたり本棚を片づけたりして過ごしていた。
もう少し書きたいことがあるので、書いておこう。

Mizuki_rabaul_3『水木しげるのラバウル戦記』 水木しげる
 ちくま文庫 1997年

1943(昭和18)年10月、水木しげるは、ニューブリテン島ラバウルへ、岐阜連隊・歩兵第229連隊の補充要員として出征する。21歳だった。

現地では、ほとんど戦闘を経験することもなく陣地作りばかりしていたが、マラリアにかかり、その療養中に敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負い、軍医によって麻酔なしで左腕切断手術を受ける。 (Wikipediaによる)

この戦記を読むと、水木二等兵は現地の「土人」とすぐに親しくなるような兵隊だった。
「土人」という言葉を彼は一貫して使っているが、そのわけをこう書いている。

<〝土人〟という言葉は侮蔑的な意味で使われることが多いということだが、ぼくは、彼らを、文字通り、土とともに生きている素晴らしい〝土の人〟という尊敬の意味で〝土人〟と呼んでいる> (本書 P.34)


ポツダム宣言受諾の天皇の詔勅を伝えられた後、捕虜としてトーマという土地へ移動させられるのだが、そこでも、現地人(水木しげるの言う「土人」)と仲よくなって、食べ物をもらったり、彼らの姿をスケッチしたりして過ごしている。

そのスケッチに添えられた文章のひとつに、こう書いている。

<彼らは、文明人と違って時間をたくさん持っている。時間を持っているというのは、その頃の彼らの生活は、二、三時間畑にゆくだけで、そのほかはいつも話をしたり踊りをしていたからだ。>

<まァ優雅な生活というやつだろうか、自然のままの生活というのだろうか。ぼくはそういう土人の生活が人間本来の生活だといつも思っている。>  (本書 P.196 「トーマの日々」)


こういう柔軟な考え方のできる兵隊は、当時、きっと少なかったと思う。
ますます、水木しげるという人が好きになる、そんな話である。


水木さんは、後ろ髪をひかれる思いで、この地を去る。
仲よくなった現地の人々から、この地に残れと言ってもらい、現地除隊してここで暮らそうとまで思う。

<「十年したら来る」「オー!それではみんな死んでしまう。三年だ!」というようなやりとりのうちに、七年後に必ず来るということで決着した。>

<トラックは土ぼこりをたてて出発した。白いほこりの向こうに、手を振るトペトロやエプペが見えた。みんな泣いているようだった。>


水木さんがこの地を再訪できたのは、それから二十三年後だった。

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【読】水木しげる「ラバウル戦記」(続)

水木しげるの 『ラバウル戦記』 (ちくま文庫)の続き。

Mizuki_rabaulこんないい話も書いてある。
敵の目を盗んで、ネープル河を、夜、小舟で渡ったときの感慨。

<月夜の乗船は不気味だったが、とてもきれいだった。ほとんどの兵隊は、生きて再びこの川を渡ることはなかった。それだけに、この渡河はバカに印象的だった。(なぜかよく覚えている。)>

<人の生き死にほど不平等なものはない。特に、戦死したものとそうでもないものの差、これほど大きいものはない。もっとも、生きることを無上の価値としてみたときの話だが。人間は本来〝平等〟が好きで、運のある人が不運になったりすると、みな安心したりする。要するに、〝幸福の一人じめ〟みたいなことをきらうわけだ。>

<平等は、決して悪いことではないし、いいことだが、どうも自然とか運命というやつは平等でないようだ。若くして、食うものも食わずに死ぬのは気の毒なことだ。どうしてそんなバカなことがあるのだろうと、五十年間考えてきたが、頭が悪いせいか、いまだに結論が出ない。>


年末だったか年始だったか、水木しげるさん夫妻が出演する番組を見た。
(ビートたけしが司会する番組 『誰でもピカソ』 だったように思う)

 たけしの誰でもピカソ:テレビ東京
 http://www.tv-tokyo.co.jp/pikaso/


86歳の水木さんは、話しぶりもしっかりしていたが、やはりとぼけた印象の人だった。
こういう人、好きだな。

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【読】水木しげる「ラバウル戦記」がおもしろい

読み始めると異常におもしろいので、夢中になって読んでいる。

Mizuki_rabaul水木しげる 『水木しげるのラバウル戦記』
 ちくま文庫 1997年 950円(税別) 235ページ
 親本 筑摩書房刊 1994年

まえがき(はじめに)によると、この戦記は三つの部分から構成されている。
1.昭和24年から26年頃に、発表するあてもなく描いた『ラバウル戦記』
2.昭和60年に出した『娘に語るお父さんの戦記・絵本版』(河出書房新社)のために書いた絵
3.終戦と同時に移動させられたトーマという所で描いたスケッチ
 (わら半紙に、鉛筆と慰問袋の中にあったクレヨンを使って描いた)

トーマの場所は、地図で探してみたがわからなかった。
ラバウルのあるニューブリテン島のどこかだろうか。

 ※2009/1/17追記
  トーマ(Toma)は、ラバウル(Rabaul)のすぐ南にあった。
  Wikipedeiaで「ラバウル」の項を見ると、英語版の地図が掲載されていた。
  さらに、こんなサイトもあった。
   PIC 国際機関太平洋諸島センター>
   パプア・ニューギニア―ニューブリテン島とニューアイルランド島
   http://www.pic.or.jp/tourism/png/4.htm


この本には地図が載っていないので、地理的な位置関係がよくわからない。
水木さんの関心は、もっぱら軍隊での日常生活にあったようだ。


昭和18年11月頃というから、今から思えば戦争の末期、日本の敗戦色が濃くなっていた時期。

<鳴らないラッパを毎日ふかされるのに困った水木二等兵は、人事係の曹長に「やめさせてくれ」と直訴。/「南方がいいか北方がいいか」といわれて「南方です」といって、南方行きと相成った……>  (本書P.8 「内地よりラバウルへ出発」)

彼は、初年兵だったので(当時二十歳ぐらい)、古兵から毎日いじめにあう。
「いじめ」とはちがうのかもしれないが、旧日本軍、とくに陸軍で日常的にやられていた、ビンタ攻撃である。

Mizuki_rabaul_2_3<毎日、山に登っては、穴を掘るのだ。しかもなまけられない。ぼくは要注意人物だったらしく、ちょっと腰かけただけで古兵たちにののしられるのだ。/それをよいことに、日頃からなぐりたがっている上等兵が、「メガネをはずせ」とくる。そして、なにも悪いことしたおぼえがないのに、ビンダ十発!>

<まあ、ぼくに忍耐ということを教えてくれたものがあるとすれば、この古兵たちだろう。どんな理不尽なことをされても、だまっていなければいけないのだ。>

<それが毎日なのだからたいてい敵よりもこの古兵にやられてしまう。むしろ敵の方がアッサリしていていい感じだと、初年兵同士で話し合ったものだ。初年兵はすべて〝ノイローゼ〟気味だった。>  (本書P.80 「ラバウル戦記 その二」)


水木二等兵は、ビンタをいちばんたくさんもらったにもかかわらず、もって生まれた楽天性からなのか、あっけらかんとしている。

自分でも胃が丈夫だったと書いているように、ノイローゼになったり、体をこわしたりすることもなく、南方の風景に感動したりする精神的な余裕をもっていたようだ。

<とにかく、ラバウルにはぼくらのあと誰も日本内地から上陸してこないから、〝永遠の初年兵〟になるわけだ。即ち、何年たっても階級が一番下だから常に初年兵なのだ。>

<軍隊というところは、どうしたわけか、めしだけは平等だったから、胃が人よりもいいぼくは満足だった。>

<平地と違って山は景色もよく、鳥なんかもいた(いずれも日本にいない鳥ばかり)。>  (本書P.80 「ラバウル戦記 その二」)


この戦記は、ちっとも暗い感じがしない。
いい本に出会ったと思う。

 

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2009年1月14日 (水)

【読】水木しげるの 「あの戦争」

連想ゲームのように、また、こんな本を買ってしまった。

水木しげるの戦記と、コミック。

Mizuki_rabaul『水木しげるのラバウル戦記』 水木しげる
 ちくま文庫 1997年 950円(税別) 235ページ

コミックではなく、画文集。
<太平洋戦争の激戦地ラバウル。水木二等兵は、この戦闘に一兵卒として送り込まれた。彼は上官に殴られ続ける日々を、それでも楽天的な気持ちで過ごしていた。ある日、部隊は敵の奇襲にあい全滅する。彼は、九死に一生をえるが、片腕を失ってしまう。この強烈な体験が鮮明な時期に描いた絵に、後に文章を添えて完成したのが、この戦記である。……>





Mizuki_showa_shi_1『コミック 昭和史 第1卷 関東大震災~満州事変』
 水木しげる  講談社文庫 1994年 533円(税別) 259ページ

友人宅の、なぜかトイレに置いてあったのを見て知った。
全8卷。
一冊ずつ読みながら買い揃えていこうと思う。

<昭和とはどのような時代だったのか。戦後五十年を機に、いまあらためてその時代精神が問われている。それも権力者の視点ではなく、庶民の眼で捉えたらどうなるのか。太平洋戦争下、ラバウルでの空襲により片腕を失った筆者が、万感の想いで描ききる。戦争を知らない世代に贈るコミック昭和史・全8卷。>


もう一冊。
これは少し前に、古本屋でみつけて買っておいた。

Mizuki_senki『ああ玉砕 水木しげる戦記選集』 水木しげる
 宙(おおぞら)出版 2007年 1300円(税別) 407ページ

セントジョージ岬―総員玉砕せよ―/硫黄島の白い旗/地獄と天国/駆逐艦鬼/海の男/戦争と日本/水木しげるロングインタビュー 亡き戦友が描かせた戦争まんが

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2009年1月13日 (火)

【読】南方熊楠という巨人

水木しげるのコミック 『猫楠 南方熊楠の生涯』 (角川文庫)がとても面白かった。

Mizuki_nekogusu『猫楠 neko-gusu 南方熊楠の生涯』
 水木しげる 角川文庫 1996年
 667円(税別)

コミックだから誇張も多いが、南方熊楠という類いまれな巨人の魅力がよく伝わってくる。
熊楠にまつわるさまざまなエピソードが上手にとりあげられている。
熊楠ファンだけでなく、水木しげるファンにもおすすめしたいと思うほど。

「猫楠」というタイトルは、熊楠が猫好きだったことから、猫を狂言回しの役割で登場させて、物語をすすめているところから付けられたのだろう。


ひさしぶりに、南方熊楠の波乱に満ちた生涯を追いかけてみて、熊楠にまつわる本や、熊楠自身の著作(難しいが面白い)も読んでみたくなった。

私が南方熊楠にであったきっかけは、古本市でみつけた一冊の文庫本だった。
それまで、南方熊楠の名前とウワサは聞いていたので、読んでみようかなと思って買ってみたのだった。

Hirano_kumagusu_gaiden平野威馬雄(ひらの・いまお)
 『くまぐす外伝』
 ちくま文庫 1991年 835円(税別) 472ページ

有名な熊楠の「履歴書」が巻末に掲載されている。
<「あなたの研究所設立のために、喜んで寄付をしたいが、あなたの事は、ただ、えらい学者だという事しかわかっていないので、このさい、ごくかんたんでいいから、あなたの略歴を、しらせてください」と、望んだ日本郵船重役矢吹氏は、この未曽有に長大な「リレキ書」を受け取ってどんなにおどろいたことであろう。>
(平野威馬雄 同書 P.369)
文庫サイズでも86ページにわたる、長大な履歴書だ。

今気づいたのだが、この文庫本の解説は水木しげるが書いている。
(解説 「霊的存在」 を見た熊楠 水木しげる)


神坂次郎が書いた伝記も面白かった。

Kousaka_kumagusu神坂次郎(こうさか・じろう)
 『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』
 新潮文庫 1991年 667円(税別) 502ページ

「縛られた巨人」 というネーミングが、在野の、ほとんど無名な(国内では)民間学者として生涯をおくった熊楠をうまく表現している。
この文庫本の巻末対談は、北杜夫と神坂次郎による。
北杜夫も熊楠のことはよく知っていたのだ。




学術的な専門書だが、鶴見和子さんの書いた本がとてもよかった。

Tsurumi_kumagusu鶴見和子 『南方熊楠』  ―地球志向の比較学―
 講談社学術文庫 1981年 1100円(税別) 318ページ

私は、この本で鶴見和子さんという、信頼できる学者さんに出会った。
鶴見さんは、鶴見俊輔さんの姉上。

柳田國男を長く研究していた著者は、熊楠に出会ったことで大きなショックを受けたそうだ。
熊楠とがっぷり四つに取り組んでいる好著といえる。
内容は難しかったが、鶴見和子さんが生涯かけて取り組んだテーマに引き寄せて、熊楠の業績をたんねんにたどっている。

<南方熊楠について、わたしは晩学である。……この本を書かせていただいたことは、わたしにとって、眼から鱗の落ちるような経験であった。>
(本書 初版はしがき 鶴見和子)


南方熊楠は、膨大な、珠玉のような著作の魅力とともに、おそろしく人間的な魅力を持つ巨人である。


Kumagusu_jyuunishikouKumagusu_zuihitsu南方熊楠 『十二支考』
 岩波文庫(上・下) 1994年
 800円・760円(税別)

益川勝実編 『南方熊楠随筆集』
 ちくま学芸文庫 1994年
 1300円(税別)

どちらもまだ読んでいないが、そろそろ「原典」にあたろうかな、と思う。
古典にしろなんにしろ、原点に直接触れることの大切さを、近ごろ痛感している。

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2009年1月12日 (月)

【読】水木しげる 「猫楠」

ブルータスという雑誌(654号、2008/12/15発売)に、おもしろい特集があった。

BRUTUS 654号 (2009年1月1日・15日号)  マガジンハウス

Brutus200901http://magazineworld.jp/brutus/654/

特集 「生き方」を考える本。
「男が惚れる男、女が惚れる女」 として、11人がとりあげられている。

チェ・ゲバラ、須賀敦子、北大路魯山人、伊丹十三、岸恵子、開高健、南方熊楠、向田邦子、ル・クレジオ、椎名林檎、赤塚不二夫。


南方熊楠のページに、興味深い本が紹介されていた。

Brutus_kumagusu2Brutus_kumagusu1南方熊楠
 在野に生きた硬骨の天才。

1867年和歌山県生まれ。86年より約14年間にわたる留学の間に植物学などの分野で世界的な業績を残す。帰国後は南紀に留まりつづけ、博物学、宗教学、民俗学の分野における近代日本の先駆的存在として、また同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・地衣類などの日本における初期の代表的な研究者として活躍。民俗学者の柳田國男をはじめ多くの国内の学者にも影響を与えた。太平洋戦争が始まる直前の1941年、74歳で死去。
(ブルータス 654号 P.33)





Mizuki_nekogusu水木しげる 『猫楠 南方熊楠の生涯』
 角川文庫 667円(税別)
 1996年10月 初版発行 427ページ

漫画家・水木しげるが、熊楠が可愛がった猫たちの目を通して熊楠と彼を取り巻く人々の姿を描いた電気漫画の秀作。水木らしペーソスあふれるタッチで、闊達で奔放な愛すべきヘンクツの怪人・熊楠を親しみを込めて、生き生きと描いている。主要なエピソードもほぼ史実に沿って押さえられており、熊楠の人生を知るのに最も分かりやすい楽しい一冊。
(ブルータス 654号 P.33)

取り寄せて読んでいるところだが、とても面白い。
ついでに、前から買おうかどうか迷っていた 『南方熊楠の森』 (松井竜五、岩崎仁編、方丈堂出版)も手に入れた。
付録のCD-ROMがうれしい。


Kumagusu_no_mori『南方熊楠の森』
 松居竜吾、岩崎仁編 方丈堂出版
 2858円(税別) 2005年12月20日 発行
 215ページ

熊楠の調査・研究に欠かすことのできなかった熊野の森。そこで育まれた熊楠の世界観について、熊楠研究で知られる編者が最新の研究成果をまとめた。熊楠ゆかりの地を解説したテキストもファンにはうれしい。付録としてデータベースと映像資料のCD-ROMも。
(ブルータス 654号 P.33)

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【読】本棚の整頓

今日は、めずらしく一歩も外に出なかった。
昼前から夕方までかけて、本の整理整頓をして過ごした。

本を買ってばかりいるから、本棚からあふれ、しかも分類しないままあちこちに放置していたので、たいへんなことになっていた。

大きな本棚を持っていないから、いくつかある小さな本棚に詰め込むだけ詰め込んで、入りきらないものは本棚の上やらパソコンデスクの棚やらに積んであった。
それを床の上に集めて、あらためて収納しなおすというのは、けっこうからだを使う作業だった。
本がうまく納まるように、棚板の付け替えまでやってしまった。

仕事関係の技術書(コンピュータ関係)、辞典類、植物図鑑、分厚い単行本、と、分類して収納しなおし、さらに新書と文庫は一箇所に集めた。
収納スペースが少ないので、新書と文庫は本棚の前後二列に詰め込む。
奥の列の本は、完全に隠れてしまって、うっかりすると何を置いたかわからなくなる。

こんなにたくさん本があったんだな、とあきれる。
買ったときは、もちろん読みたくて手に入れたものばかり。
でもなあ。
おそらく、一生かかっても読みきれない量だな。
とほほ。

夕方、風呂あがりに、肩と腰に湿布を貼るしまつ。

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2009年1月11日 (日)

【遊】蕎麦屋と古本屋と和菓子屋

朝から晴れて気持のいい休日。

いつもの日帰り温泉へ開店時刻(午前9時)に入ったあと、自動車保険更新のため、立川のディーラーへ。
その後、立川から国立を車でまわって帰ってきた。


立川市羽衣町にある、前から気になっていた蕎麦屋に寄ってみた。

 → 2008/10/8 【遊】四市横断サイクリング (6)
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/6-20f2.html

そば処 かめ井
 立川市羽衣町3-2-7

蕎麦屋は、だいたい店の構えで蕎麦の味がわかるような気がする。
このお店は、私が睨んでいたとおり、おいしい蕎麦を食べさせてくれた。

今日は家人とふたりで、とろろ蕎麦とごまおろし蕎麦を食べた。
手打ちの蕎麦めんがおいしいし、出汁もおいしい。
シンプルなもり蕎麦もきっとおいしいだろうと思わせる。

ご夫婦でやっている、こぢんまりとした店舗。
ご主人と奥様の感じがやわらかくて、好感がもてる。
また、行ってみようと思う。

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蕎麦を食べたあと、よく行く古本屋(ブックセンターいとう 羽衣町店)をのぞく。
このところ少しずつ買い集めている、白土三平 『カムイ伝』 の文庫本を四冊発見。

田中優子 『カムイ伝講義』 (小学館、2008年10月)を昨年入手。
どうせなら、もとの劇画を読んでみようと思っているのだ。

Kamuiden_12Tanaka_kamuiden_kougi白土三平
 『カムイ伝』 小学館文庫

田中優子
 『カムイ伝講義』 小学館
 2008/10/6
 1500円(税別)



田中優子さんのこの本は、ラジオ番組(たしか、久米宏のTBSラジオ)に田中さんがゲスト出演して話していたもの。
なかなか面白そうな力作なのだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4098401134


最後に立ち寄ったのは、このブログで何度も紹介した国立の和菓子屋さん。

三芳野  国立市東2-12-2

これまで実物を見たことがなかった 「めでたい最中」 が店頭に並んでいたので、ひとつ購入。
(いつもは注文しておかないと手に入らないようだ)
その他、どら焼き(多摩闌どーら)、五平道明寺、勘助だんごなど、私たちの好物をいくつか購入。

めでたい最中 (三芳野さんの小さなちらしより)
 おめでたい 鯛を紅白の最中で表現し、
 紅鯛には栗・白鯛には虎豆を合わせました。

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2009年1月10日 (土)

【雑】吉本さん、語る

1月4日放送のテレビ番組。
ビデオに撮ってあったものを、今日、ようやく見ることができた。

NHK ETV特集 (教育テレビ)
 
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index.html

第255回 1月4日(日)
吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~

 2009年1月4日 22:00~23:30放送
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0104.html


この番組のことを知らずにいて見逃しそうになっていたが、友人が教えてくれた。
ありがとう。

内容については、上のNHKサイトのリンク先をご覧いただきたい。
2008年夏に行われた講演の映像を中心に、吉本さんのこれまでの歩みをまとめた内容で、興味ぶかいものだった。

83歳。
車椅子に乗って演壇に登場、話しぶりに危うさを感じたが、話の内容はしっかりしていた。
まだまだお元気そうだ。

私は吉本さんのいい読者ではないと思っているが、ここ数年、とても親しみを感じるようになった。
この番組を見て、あらためて、一本、筋の通った生き方をしてきた人なんだなあ、と思ったのだった。

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2009年1月 6日 (火)

【読】宮部みゆきの優しさ

暮れから二冊いっしょに読んでいた本のうち、一冊を読了。
今年になって読み終えた本の第一号というわけだ。

Miyabe_ayashi_3宮部みゆき 『あやし』
 角川文庫 み28-4
 平成15(2003)年4月25日発行
 552円(税別) 303ページ

短編集 (収録作品)
居眠り心中/影牢/布団部屋/梅の花散る/安達家の鬼/女の首/時雨鬼/灰神楽/蜆塚

江戸の町(主として商家)を舞台にした怪奇小説といっていいだろう。
宮部みゆきの独壇場である。

主人公の口を借りた次のような科白にぐっときてしまった。
宮部みゆきの優しさである。

<人は当たり前に生きていれば、少しは人に仇をなしたり、傷つけたり、嫌な思い出をこしらえたりするものさ。だからふつうは、多少なりとも〝鬼〟を見たり感じたりするものなんだ。>
― 『あやし』 「安達家の鬼」 角川文庫 171ページ ―

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2009年1月 4日 (日)

【遊】野崎八幡

初詣の続きというわけでもないが、野崎(三鷹市)に行く用があったので、いつもの電器店に車を停めて野崎八幡に寄ってみた。

昨年からずっと工事中で、境内は人っ子ひとりおらず、ひっそりとしていた。
さすがに歴史のある古い神社の雰囲気があった。
お参りをしてから、友人宅(野崎庵)へ。
楽しいひとときを過ごしてきた。

正月休みも今日でおしまい。
あっというまの九日間だった。
明日から仕事モードに切り替えなくちゃ。

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野崎八幡社

【参考サイト】
神のやしろを想う
 ―武蔵国埼玉を中心に各地の神社を探訪紀行するサイト―
  http://jinja-kikou.net/index.html
> 神社紀行~武蔵国編 > 郷土の鎮守様~調布市深大寺方面編
  http://jinja-kikou.net/chouhu1.html

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2009年1月 3日 (土)

【演】枝雀落語大全DVD(第三集)

桂枝雀のDVDを今夜も観た。

Shijaku_dvd_03_3枝雀 落語大全 第三集
 「宿替え」 「池田の猪買い(ししかい)」
 東芝EMI GSB1203

どちらも若い頃からの得意ネタというだけあって、安心して観ていられる。
とくに 「宿替え」 は、十八番中の十八番だから、細かい演出、クスグリが随所にちりばめられていて面白い。
レコードやカセット・テープ、テレビ番組の録画などで、私もずいぶん聴いたものだ。

「池田の猪買い」 は、ストーリー性のある旅の話で、ぐいぐい引き込まれる。


昨日、あらためて気づいたのだが、このDVDシリーズには字幕だけの「演目解説」が付いており、噺の背景が細かく解説されていて、興味ぶかい。


この巻の「枝雀散歩道」は、枝雀の弟子の桂雀三郎。
枝雀がまだ小米(こよね)だった時代に、桂べかこ(現 桂南光)に続いて弟子入りした人である。
小米、べかこ、雀三郎の三人で、落語の稽古をしていた頃のエピソードが面白かった。

酔っ払いを演じるコツを、雀三郎が枝雀から教わったときの再現シーンには笑ってしまった。
枝雀の酔っ払いの演技はピカイチである。

枝雀は稽古熱心というより、稽古が好きでたまらない人だったようだ。
第二集の桂ざこば(米朝の弟子、つまり枝雀の弟弟子で、当時は桂長丸)もそうだったが、枝雀に稽古をつけてもらった人たちは多い。
もちろん、枝雀自身も稽古をずいぶんやったそうで、道を歩きながら、あるいは電車の中で「ネタ繰り」をしていて、周りからへんな目で見られていたというエピソードも有名だ。


「宿替え」
 昭和59年10月9日放送 ABC『枝雀寄席』(ABCホール)より収録
「池田の猪買い」
 昭和55年12月28日放送 ABC『枝雀寄席』(ABCホール)より収録

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【演】初代 桂枝雀

1999年(平成11年)4月19日に亡くなった桂枝雀は二代目である。
初代桂枝雀は、明治から大正にかけて活躍した噺家。
二代目枝雀によると、爆笑落語だったというが、当然のことながら音源はほとんど残されていない。

私の手もとに、一本のカセット・テープがある。
20年前に発売されたものだ。

Yumeno_meijinyose1Yumeno_meijinyose2『明治大正 夢の名人寄席』
 コロンビア CTY-9158
 1987年10月発売 3000円

歴史的録音というやつで、ノイズまみれの音源だが、快楽亭ブラック、初代三遊亭円遊、曽呂利新左衛門、初代柳家こせん、初代桂春団治、四代目古今亭志ん生、四代目笑福亭松鶴、などの名前が並んでいる。

その中に、初代桂枝雀の音源がある。
「芋の地獄」という、三分ほどの短い録音。
ノイズだらけだし、内容もよくわからないが、こういう話芸だったのかという程度のことはわかる。

― カセット・テープの解説より ―
初代 桂枝雀
本名澤木勘次郎。二代目桂文枝門人で枝雀。そして終生名を変えなかった。音曲を得意とし、昭和三年十一月二十三日、六十六才で亡くなっている。没年から逆算すれば文久三年頃の生まれ。
この一篇は明治四十二年以降の明治の録音でいわゆる滑稽説教というもの。


Wikipedeiaには、もっと詳しい紹介がある。

― Wikipedia 初代 桂枝雀 ―
初代 桂枝雀(1862年 - 1928年11月22日)は、本名: 入江清吉。享年66。
大阪の足袋商「古滿屋」の子として生まれ、家業を継ぐ傍ら、地歌や舞踊の稽古に通う。後、友人の勧めで、上町にあった素人落語の「緑連」に加わり、喜代丸を名乗る。1884年11月、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)に入門し、枝雀を名乗り、生涯変えなかった。
桂派が凋落の一途をたどる中、桂仁左衛門(2代目桂南光)、3代目桂文三らと共に同派を良く支える。仁左衛門の死後は、1912年に4代目笑福亭松鶴らと共に自身の名にちなんで寿々女会を組織するも、本人は出演せず。間もなく当時の元号にちなみ大正派を立ち上げ、平野町第一此花館を本拠とするが、1916年に解散。その後すぐ新桂派を結成するが、2年と持たなかった。その後、反対派に加入。1926年頃に引退。
痩躯にあばた面、片目が不自由といった風体だったが、笑いの多い愛嬌ある高座で、桂派でも一番の人気者だった。三友派の2代目桂米喬と共に、初代桂春團治出現以前の爆笑王として名を馳せた。十八番は『尻餅』『借家怪談』『野崎参り』『稽古屋』など。音曲も独特なもので、一席終えた後、「フェー」といった奇声を発してから、大津絵節などを聴かせたという。
引退後は東大阪市の布施に住み、平穏な余生を過ごした。同業者との連絡は一切絶っていたため、死期も分からず仕舞だったという。
弟子には2代目桂小文枝、3代目桂萬光、2代目桂談枝らがいる。
出典 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)

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【演】枝雀落語を観るヨロコビ

正月休みがまだ続いているので、夜更けではあるが、枝雀落語のDVDを観ていた。

Shijaku_dvd_02枝雀落語大全 第二集
 「くしゃみ講釈」 「鷺とり」
 東芝EMI GSB1202

「くしゃみ講釈」
 昭和54年11月25日収録 ABC「枝雀寄席」(ABCホール)
「鷺とり」
 昭和58年1月30日収録 ABC「枝雀寄席」(ABCホール)


昭和54年の映像では頭にうっすらと髪の毛が残っていて、小米時代の名残りを感じさせるところがおかしい。
昭和58年の映像では、髪の毛がなくなっている。

そんなことはともかく、どちらの演目も私がレコードやカセットテープで聴いていたのとほぼ同じ話の運びで、この頃すでに枝雀一流の演出が完成されていたと思われる。


「鷺とり」は、私にとって思い入れのあるものだ。

桂枝雀というおもろい上方の噺家がいることを教えてくれたのは、私が勤めていた会社の後輩である神戸出身の女性だった。
その人が、枝雀の「鷺とり」や「壺算」のことをじつに懐かしそうに話してくれたのだった。
(神戸や大阪で、生の枝雀落語を体験していた人だった)

演目の内容までは教えてもらえなかったが、「枝雀さん」と呼ぶその人の嬉しそうな話しぶりだけで、私も聴いてみたいと思うようになったのが、枝雀落語にはまりこむきっかけだった。

今日観た映像では、いくつかのトチリはあるものの、聴衆をしらけさせるどころか、失敗までも芸に変えてしまう上手さに、あらためて感心した。

音源を耳で聴くだけではわからなかった身ぶり手ぶりの面白さも体験できて、枝雀落語を「観る」ことのヨロコビをあらためて感じることができた。


また、このシリーズには、どの巻にも「枝雀散歩道」と題して、愛弟子や兄弟弟子が故枝雀のエピソードを語る映像が収録されている。

桂ざこば(桂朝丸=枝雀の弟弟子)が語る思い出話がとてもよかった。
小米(枝雀襲名前の芸名)時代から細かい演出に気を配っていたという兄弟子「枝雀にいちゃん」の芸風を語りながら、当時を思いだしてしばし言葉に詰まるざこばを見ていると、こちらまでじーんときてしまう。


いいDVDを手に入れたと、あらためて思う。

Dvdset枝雀落語大全 第一期(第一集~第十集)
 DVD10枚組:38,000円(税込)
 東芝EMI

http://www.emimusic.jp/st/rakugo/sijaku/dvd/part1.htm






【参考】 Wikipedia 「二代目桂枝雀」 より
2代目枝雀襲名
1973年(昭和48年)10月に大阪道頓堀の角座で「2代目桂枝雀」を襲名。(笑福亭枝鶴、桂福團治とのトリプル襲名であった。)これを機にそれまでの落語を大きく変える。高座では笑顔を絶やさず、時にはオーバーリアクションを用い、それまでの落語スタイルの概念を大きく飛躍させ、どんな客も大爆笑させる落語であった。それまでの小米ファンには戸惑うものもいたが、客の受けは非常によく、枝雀の評判はどんどん上がっていき、米朝と時期を分けて独演会を行うようになっていった。

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2009年1月 2日 (金)

【歩】初詣

昨日、北海道から帰ってきた。
東京は晴天。

近くの神社へ初詣に行ってきた。

熊野宮と、鈴木稲荷神社。
境内の人出が対照的だ。

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【遊】美瑛 冬景色 (6)

2009年1月1日、美瑛を去って帰京した。
美瑛駅の裏手から旭川行きのバス(富良野発、旭川空港経由)に乗る。

美瑛駅の裏手は、今ではすっかり住宅地になってしまった。
美瑛の駅舎は、私がこどもの頃からずっと変わらない、石造りの風情のある建物だ。

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【遊】美瑛 冬景色 (5)

美瑛の市街は、いつからか建物の外観を統一するようになって、なかなかモダンできれいな街並みである。
しかし、人通りは少ない。
民家は多いのだが、夏でも外を歩いている人を見かけることが少ないのが不思議だ。

市街が少しばかり賑わうのは、夏の観光シーズンのごく短い期間だけという、ひっそりとした街なのだ。

母の住む家は、美瑛市街の南のはずれ、美瑛川の堤防近くにある。
家の横が美瑛川の堤防になっていて、雪のない季節なら歩くと気持ちのいい遊歩道だが、この季節は歩くことができない。
私は、この美瑛川の風景が好きだ。

はるか昔、和人がこの地に入植するずっと前、アイヌの人々がこの川で魚を採り、原野で狩猟をしていたのだ。。
まさに、アイヌの人々のモシリ、静かな大地だっただと思うと、なにやら懐かしい気持ちになる。

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【遊】美瑛 冬景色 (4)

北海道の街に住む人は、じつに丁寧に雪かきをする。
(私たちは「雪はね」と言っていたが)

私がこどもの頃は金属のスコップを使っていたが、今はプラスチック製の大きなシャベルや除雪器具が普及している。
さらには、発動機付きの小型の除雪機を使っている人も多い。

美瑛でも、毎朝、除雪車が広い通りをきれいに除雪してくれるのだが、除雪機が来る前から路面をきれいに除雪している人が多い。
ひんぱんに「雪はね」しないと、あっという間に歩きにくい道になってしまうからだろうが、何もあそこまできれいにしなくても、と私などは思ってしまう。

とにかく冬場の重労働である。

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【遊】美瑛 冬景色 (3)

美瑛の実家から歩いてすぐ近くに、丸山公園がある。
これまでほとんど注意を払っていなかったが、ここは昔のアイヌの人々の「チャシ」(砦)があった場所だということを最近になって知った。

今は、忠魂碑とか戦没者の慰霊碑しかなくて、チャシ跡を示す掲示はみあたらなかった。
小高い丘があって、その頂上に慰霊碑のたぐいが並んでいる。
美瑛で生まれ育った母に聞いたところ、招魂祭が開かれた場所でよく行っていたという。

この季節、丘に登る道は深い雪に埋もれていたが、膝下までのゴム長靴を履いてズボズボと雪道を登ってみた。
こんど、雪のない季節に探索してみようと思う。


【2009/1/3追記】
私の大きな思い違いで、丸山公園は「チャシ」跡ではなく、「シャマイクルチセ」と呼ばれる「神の居場所・聖地」だったことに気づいた。
(シャマイクル=文化神、チセ=家)
追記して訂正しておきたい。
詳しくは、下記サイトの記事を参照されたい。
美瑛町在住の方のブログである。
【おすすめ参考サイト】
 美瑛町360日 
http://www.biei.info/blog/
 シャマイクルチセ [丸山公園]
 
http://www.biei.info/blog/?p=479 


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美瑛駅前にある「四季の情報館」で、こんな本をみつけた。

『一〇〇年 ふるさと びえい』 ― 人びとのくらしとともに ―
 美瑛町郷土史料保存会  平成12年3月31日 発行
 2000円(税込)

箱入りの立派な本だ。
明治27年に、小林直三郎氏が旭地区に入植していらい、美瑛町百周年の記念の年に発刊されたもの。
母も、この本のことは知らなかった。
内容を見て、知っている人がたくさん載っているので、興味を示していた。


Hurusato_biei巻末
『ふるさとびえい』略年表より

17から18世紀以降
 上川アイヌ(忠別川・美瑛川集団)の獣皮生産のための狩猟地域、十勝アイヌとの交流あり(瀬川拓郎「上川アイヌの地域集団とその性格(1)」『旭川研究』旭川市史編集機関誌12号1997年)


1854(安政4)年
 3月 幕府役人松田市太郎、「ピィエ」(美瑛川)上流調査
 5月 箱館奉行雇員松浦武四郎、忠別川をさかのぼり十勝岳中腹に登り黒煙を見る

1858(安政5)年
 3月 松浦武四郎、十勝へ行く途中美瑛を通過。「ヲキケナシ総て野原針位辰巳に向かふ一里余ビエベツ(美瑛川)小石川急流瀧の如し」(『十勝日誌』)

1887(明治20)年
 この頃、現在の市街地は「ヲキケナシメム原野」と呼ばれた

1892(明治25)年
 神居村から分立した神楽村に属す

1900(明治33)年
 6月 石狩国上川郡美瑛村、神楽村から分立、戸長役場を置く。入地戸数297戸人口1,171人。市街予定地は満杯、貸付願書受理されず

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【遊】美瑛 冬景色 (2)

12/29から31まで、毎日、美瑛の市街地まで歩いて買い物に出ていた。
この冬は、雪が少ないようだ。

道路は除雪されているが、油断できない。
うっすらと積もった雪の下は、つるつるに凍っている。
ゴム長靴を履き、買い物袋を肩にかけて歩いていたら、とうとうスリップして転倒してしまった。
雪道には慣れているので、少しぐらい滑っても態勢を立て直すことができるのだが、油断は禁物。

ナナカマドの赤い実が、不思議と目についた。
真っ白い雪とのコントラストが、すばらしくきれいだった。

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できてから数年しかたっていない、道の駅「丘のくら」に何度か立ち寄った。
古い石の倉庫を改造したこの建物が、好きだ。

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【遊】美瑛 冬景色 (1)

2008年12月28日。
羽田発14:30の飛行機で、旭川空港へ。
上空は晴れていたものの、旭川空港上空で滑走路の除雪を待つために20分ほど旋回していた。

旭川空港から富良野行きバスに乗れば、美瑛までは15分ほど。
旭川市内行きバスはひんぱんに出ているが、富良野行きバスは本数が少ないためしばらく待った。

北海道の冬の夕暮れは早い。
17:50発バスを待つあいだに、日はとっぷりと暮れた。
冷え込みはさほどではなかったが、東京と比べるとやはり寒い。


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美瑛駅前。
イルミネーションだけが華やかな、ひっそりとした駅前風景。

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2009年1月 1日 (木)

【遊】おだやかな元旦

北海道の内陸で新年を迎えた。
雪の舞うこともなく、おだやかな元旦。日の出はまだだ。
北海道新聞にも連載されている五木寛之の小説なんぞ読んでいる。

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