【読】水木しげる「ラバウル戦記」(続々)
今日は一日、どこにも出かけず、本を読んだり音楽を聴いたり本棚を片づけたりして過ごしていた。
もう少し書きたいことがあるので、書いておこう。『水木しげるのラバウル戦記』 水木しげる
ちくま文庫 1997年
1943(昭和18)年10月、水木しげるは、ニューブリテン島ラバウルへ、岐阜連隊・歩兵第229連隊の補充要員として出征する。21歳だった。
現地では、ほとんど戦闘を経験することもなく陣地作りばかりしていたが、マラリアにかかり、その療養中に敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負い、軍医によって麻酔なしで左腕切断手術を受ける。 (Wikipediaによる)
この戦記を読むと、水木二等兵は現地の「土人」とすぐに親しくなるような兵隊だった。
「土人」という言葉を彼は一貫して使っているが、そのわけをこう書いている。
<〝土人〟という言葉は侮蔑的な意味で使われることが多いということだが、ぼくは、彼らを、文字通り、土とともに生きている素晴らしい〝土の人〟という尊敬の意味で〝土人〟と呼んでいる> (本書 P.34)
ポツダム宣言受諾の天皇の詔勅を伝えられた後、捕虜としてトーマという土地へ移動させられるのだが、そこでも、現地人(水木しげるの言う「土人」)と仲よくなって、食べ物をもらったり、彼らの姿をスケッチしたりして過ごしている。
そのスケッチに添えられた文章のひとつに、こう書いている。
<彼らは、文明人と違って時間をたくさん持っている。時間を持っているというのは、その頃の彼らの生活は、二、三時間畑にゆくだけで、そのほかはいつも話をしたり踊りをしていたからだ。>
<まァ優雅な生活というやつだろうか、自然のままの生活というのだろうか。ぼくはそういう土人の生活が人間本来の生活だといつも思っている。> (本書 P.196 「トーマの日々」)
こういう柔軟な考え方のできる兵隊は、当時、きっと少なかったと思う。
ますます、水木しげるという人が好きになる、そんな話である。
水木さんは、後ろ髪をひかれる思いで、この地を去る。
仲よくなった現地の人々から、この地に残れと言ってもらい、現地除隊してここで暮らそうとまで思う。
<「十年したら来る」「オー!それではみんな死んでしまう。三年だ!」というようなやりとりのうちに、七年後に必ず来るということで決着した。>
<トラックは土ぼこりをたてて出発した。白いほこりの向こうに、手を振るトペトロやエプペが見えた。みんな泣いているようだった。>
水木さんがこの地を再訪できたのは、それから二十三年後だった。
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コメント
NHK教育テレビの「水木しげる」さんの番組
偶然見ました。(もう随分前ですが)
ラバウルでの天国のような生活のことも
話しておられて、
人間が生きること、
しあわせとは、なんだろう・・と考えさせられました。
100歳まで生きると元気におっしゃっていました。
投稿: モネ | 2009年1月17日 (土) 21時05分
>モネさん
その番組、今になって思えば、見てみたかったです。
再放送があれば、見てみましょう。
投稿: やまおじさん | 2009年1月17日 (土) 22時14分