« 【遊】カンヒザクラ ひらく | トップページ | 【読】石原莞爾 »

2009年2月22日 (日)

【読】読了 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』

Funado_manshu5船戸与一 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』
 新潮社 2009/1/30発行 2000円(税別)
 469ページ

― 帯より ―
「兵士たちは復讐心に燃えてるんだ。強姦や理不尽な殺戮。人間の残虐性がかならず爆発する」
満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、憲兵隊で活躍する三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の命運を大きく揺るがす事件が起こる。
読者を「南京大虐殺」へと誘う第五巻。



1937年(昭和12年)12月13日、日本軍の南京入城前後の場面でこの巻はおわる。

「南京大虐殺」はなかった、などというとんでもないことを言う輩が後を絶たない。
近頃なぜか書店にはそのての本が並んでいて、私は苦々しく思う。

「それほどの数ではなかった」だとか、「あの状況ではしかたがなかった」、などという輩もいるらしい。
「大虐殺」か「虐殺」か、といった規模の問題ではない。

船戸与一の、資料に裏づけられた記述をみよ。
私は、小説の形で語られたこの歴史的事実を疑わない。

(参考文献一覧はまだ掲載されていない。最終巻に掲載されるという。楽しみだ。)



南京大虐殺 関連リンク集 (Wikipedeiaより)
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/Link.htm



― 『満州国演義 5』 P.448- ―

<敷島三郎は寝床台で半身を起こした。眠れそうにない。南京の城内にはいったのは三日まえだ。あまりにも多くの死体を見過ぎた。それが澱となって脳裏のどこかに溜まっている。>

<南京攻略が下命されてから中支那方面軍のうちの上海派遣軍に帯同して来たが、憲兵としての責務を果たせたとはとても思えない。派遣軍の動きは怒涛のようだった。糧秣の現地徴発。それが派遣軍参謀の通達だったのだ。兵士たちが巣を離れた蜂の群れのように農家に押し入っていく。そこでは輪姦や強姦殺人がつき纏ったが、補助憲兵たちはそれを止めようともしなかった。 (中略) 通州で支那の保安隊が日本人に行なった蛮行の仕返しのつもりだったのだろう。>


― 『満州国演義 5』 P.459- ―

<便衣の支那人たちが連行された先は城壁のそばだった。 (中略) そこにはすでに百名近い支那人が集められていた。だれもが麻縄で縛られている。連行されて来た支那人たちも城壁のそばに押しやられた。
 それを監視する中支那方面軍の兵士たちは三百名近くいた。二個中隊以上がそこに集まっているのだ。だれもが着剣した三八式歩兵銃を手にしている。軽機関銃も二十機ばかり大地に据えつけられていた。>

<将校服を着たひとりが低い声を発した。
 「処理に取り掛かる。手順どおりに進める」
 三人の兵士が進み出た。城壁のそばに踞っている縛られた三人の支那人を引きずりだし、城壁から四米ばかり離れたところに跪かせた。三人のその眼を黒い布で蔽って、そのそばを離れた。
新たな三名が兵士たちのあいだから抜けだして来た。三八式歩兵銃は持っていなかった。その替わりに下士官用軍刀を手にしている。>

<軍刀の刃がゆっくりと引き抜かれた。それが雲間から差し込む陽光に輝いた。軍刀が振り上げられた。何が行なわれようとしているのかはもちろんわかっている。しかし、四郎は動けなかった。竦みきっているのだ。カメラを持ちあげる気力もなかった。濁った気合いとともに三降の軍刀が同時に振り下ろされた。>

<軽機関銃の掃射音がその直後に響いた。
 城壁のそばの百名近い便衣がぎこちなく動いた。麻縄に縛られて踞ったままなのだ、大地に腰を落としたままその体が左右に揺れた。掃射音がつづいている、硝煙の臭いが鼻腔を濡らす。城壁のそばの便衣がすべて崩れ落ちた。掃射音が熄んだ。>

<「残り四十名弱は刺突処理」将校の低い声が響いた。「刺突担当は初年兵」 (中略)
 四十名ほどの兵士たちが進み出ていた。着剣した三八式歩兵銃をかまえている。白兵戦のための刺突訓練は初年兵がかならず受けるものと聞いていた。どれも若い。十八か十九だろう。初年兵なのだ、銃剣をかまえたその姿勢はいかにも腰の座りが悪かった。>

<「刺突開始!」
 だが、兵士たちはすぐには動こうとはしなかった。上海戦から南京攻略へと転戦して来てはいても、この連中は銃弾以外で国民革命軍を殺したことはないのだろう。表情はどれも怯えきっていた。
 「刺突開始!」
 二度目の命令にようやく右足を踏みだした。しかし、城壁に向かって突っ込みはしなかった。ひとりがその場にしゃがみ込んだ。首を左右に振りながら泣きじゃくりはじめた。>

<「刺突開始!」
 怒気を含んだ三度目の命令に銃剣を手にした兵士たちがわあっという声をあげながら城壁に向かって突進した。そこに踞っている麻縄に繋がれた便衣に銃剣を突き刺した。叫びと呻き。それは便衣と兵士の両方から発せられた。兵士たちは便衣の胸を突き刺しては引き抜き、また突いた。そのたびに血液が飛び散った。>



ものごとは単純化して、原則で考えることもたいせつだと思う。
ひとさまの国に、だんびらぶらさげて土足であがりこみ、やりたい放題をやった。
―― 日中戦争を、ひとことで言えばこうなる。

長い小説だったな。
あと三巻、続きが出版される予定のようだが、とりあえず読了。

あの時代が生き生きと描かれている、ありがたい小説だった。
歴史教科書や評論、研究書のたぐいとちがって、あの時代に生きたふつうの人々の表情が見える。


引き続き、この本を読みなおしてみようかな。

Hiraoka_nihonjin_chugoku平岡正明 『日本人は中国で何をしたか』
 潮文庫 1985/7/30発行 (親本:1972年 潮出版社)

― 本書 「序 テーマの提出」より ―
殺しつくし、焼きつくし、奪いつくすことを三光という。殺光、焼光、略光、中国語である。日本軍では燼滅作戦といった。本稿は、旧日本軍が北支で行なった燼滅作戦を、南支における対国民党正規軍戦との対比において論じ、南京大虐殺および日本列島における俘虜強制労働、虐待、虐殺、そして反乱劇としてあらわれた花岡事件を、三光との対応において論じるものとする。



【追記】
船戸与一 『満州国演義 5』 には、あの七三一部隊(石井四郎軍医中佐率いる「関東軍防疫給水部」、主人公の一人である敷島三郎が視察に訪れる)や、満蒙開拓青少年義勇軍が誕生したいきさつについても、きっちり描かれている。

|

« 【遊】カンヒザクラ ひらく | トップページ | 【読】石原莞爾 »

【読】読書日誌」カテゴリの記事

あの戦争」カテゴリの記事

こんな本を読んだ」カテゴリの記事

平岡正明」カテゴリの記事

満州」カテゴリの記事

船戸与一」カテゴリの記事

コメント

1983年、中国へ旅した私は、上海駅で一人の老婆に厳しい目で射るように見つめられました。日本人と分かってそうしているというふうに感じました。何か不幸な歴史が存在すると感じました。
帰国して、本多勝一の中国ルポを読むようになりました。やまおじさんの今回のお話、興味深いものがありました。

投稿: 玄柊 | 2009年2月25日 (水) 07時19分

>玄柊さん
強烈な体験をされましたね。
私は本の世界からしか知りませんが、いまだに中国(アジア)の人たちから恨まれるようなひどいことを私たちの先輩がやってきたのは、つらいことです。
あの戦争で「やられた」ことばかりを語らず、「やった」ことも語り継いでいかないと、この先の世代は何も知らないまま育っていきそうで、それも恐いことです。

投稿: やまおじさん | 2009年2月26日 (木) 14時18分

歴史は妄想で語るものであってはならない。

上海の駅で云々とか、加害者としての云々とか、
その考えがアジアに於ける平和構築に寄与すると考えているなら全くの検討違い。

日本に於ける左翼思想は、当に先祖の血の犠牲の上に成り立った虚構である点で、皮肉にも戦後日本で育まれた政治的産物の最たるものです。

私は20代の若者として、そのような偽善に迎合出来ないし、日本人の恥部だと考えてます。

ちなみに私は大学を卒業し社会において管理職に就いているものです。
反社会的な右翼でも何でもありません。

投稿: わらび | 2009年9月11日 (金) 07時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139344/44143394

この記事へのトラックバック一覧です: 【読】読了 『満州国演義 5 ―灰塵の暦―』:

« 【遊】カンヒザクラ ひらく | トップページ | 【読】石原莞爾 »