【演】喜平橋落語の会(第一回)
いや、まあ、落語の会といってもDVDの鑑賞会だったのだけれど。
水曜日、三鷹から友人夫妻が訪ねてきてくれた。
MOTELというユニットで活躍している、あのお二人。
正月に、三鷹の「野崎庵」と称するご自宅を訪ねてお会いしていらい、約一ヵ月ぶりだ。
わが家で四人一緒に食事をして、楽しいひとときを過ごした。
こんなDVDを買ったんだよと、桂枝雀のDVDをお見せしたところ、ぜひみてみたいというので急遽DVD鑑賞会となった。
名づけて「喜平橋落語の会」、その第一回。
(次回開催日は未定)
もんさんのリクエストで、「夏の医者」と、もうひとつ、大ネタ 「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)の二つをみた。『枝雀落語大全 第七集』
三十石 夢の通い路/夏の医者
EMIミュージック・ジャパン GSB-1207
夏の医者
平成5年(1993年)8月24日放送
関西テレビ 『やる気タイム10』
(大阪サンケイホール)より収録
単純なストーリーの短い噺だが、枝雀の得意ネタ。
夕食前、四人で大笑いする。
夕食後、じっくり腰をおちつけて。『枝雀落語大全 第十集』
地獄八景亡者戯 (前編)(後編)
EMIミュージック・ジャパン GSB-1210
昭和58年(1983年)9月25日放送
ABC 『枝雀寄席』 (ABCホール)より収録
この噺は、1982年の初演(レコードになっている)いらい、枝雀がなんども演じている大ネタ。
長いので、途中休憩をはさんで演じられる。
要所要所のクスグリ(ギャグ)は、当初からほとんで変わっていないようだ。
たとえば、閻魔大王の前で一芸を演じる亡者の、「曲芸」ならぬ「曲屁(きょくべい)」に出てくる「松田聖子をひりだしてみせます」「ぶり~」。
松田聖子=ぶりっこ、なんて今の人たちは知らないだろうなあ。
トチリも多いのだけれど、さすがは枝雀である。
トチリやど忘れも芸に変えて、とっさに切り抜けてしまう。
みている方は、はらはらするのだけれど、しらけることがない。
「勉強をしなおしてまいります」 と、高座をおりてそのまま引退してしまった文楽(八代目、黒門町)とは対照的だ。
この「地獄八景」の終盤、閻魔大王の裁きで地獄行きとなる四人の亡者の名前が、どうしても三人しか出てこない。
そこをうまく切り抜けるところは、さすがだ。
四人の亡者とは、山伏、軽業師、医者、歯抜師。
地獄の釜、針の山、人呑鬼(じんどんき)といったお決まりの地獄の責苦を、四人の得意技でもって切り抜けていくのである。
「地獄」というと、とても落語で笑える世界と思われないかもしれないが、この噺の地獄はあくまでもジョーク。
ブラック・ジョークなどではない。
暗さがみじんもない。
はじめからしまいまで、笑いっぱなしの世界だ。
あらためて感じたことがある。
枝雀の落語は、どこか痛々しいところがある。
枝雀本人も語っていたことだが、枝雀じしんはきわめて真面目な人で、「笑いの仮面」をつけているうちに、いつかそれがじぶんの素顔になるというのだ。
あの笑顔、オーバーなアクションは仮面で、その陰に、うつ病の素顔があったのだろうか。
それでも笑わせてくれるのは、「緊張と緩和」の笑いの理論にもみられる研究熱心さと(理屈っぽさともいえるが)、並はずれた修練(稽古好きだった)のたまものだろう。
生きていてほしかった、と、しみじみ思う。
私の 「地獄八景」 二席。
(左)
昭和59年(1984年)3月28日
東京 「歌舞伎座」 桂枝雀独演会
「地獄八景亡者戯」「かぜうどん」
上のDVDでも、この独演会の盛況ぶりが紹介されていた。
歴史的と言ってもよい高座を生でみることができたしあわせ。
(右)
昭和57年(1982年)年10月4日~7日
サンケイホール (大阪)
サンケイホール開館30周年記念
桂枝雀独演会 (収録は10月6日か)
東芝EMI TY-60038・39
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