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2009年3月15日 (日)

【読】『松本清張への召集令状』

ずいぶん前のことだが、一度だけ、松本清張さんを見かけたことがある。
場所は、京王井の頭線の渋谷駅ホーム。

私たち夫婦は、何かの用で渋谷へ出るため、吉祥寺から井の頭線の電車に乗った。
終点の渋谷駅でホームに降りたところ、同じ電車から降りて憮然とした表情で改札口へ向かう清張さんを見たのだった。
まさか、と思ったが、大きな下唇が特徴のあの顔は、(失礼ながら)どう見ても清張さんそのものだった。

思ったよりも小柄な人だった。
井の頭線沿線(浜田山)にお住まいだったというから、きっと、渋谷に用があって電車ででかけたのかとも思う。

ただそれだけのことだが、私には松本清張という大作家が身近に感じられ、いつまでも記憶に残るできごとだった。


松本清張の作品を読んだことは、ほとんどない。
有名な 『点と線』 すら読んだかどうか記憶にない。

「あの戦争」 について書かれたたくさんの本を読んだり買ったりしているうちに、こんな本にであった。

Seichou_shoushuu『松本清張への召集令状』
 森 史朗 著  文春新書 624
 2008年3月20日発行  890円(税別)
 317ページ

<一家七人を支える中年版下職人に、意外な赤紙が届いた。その裏事情とは? 後の作品に託した叫びとは? 担当編集者時代の私的メモをまじえ、戦争が残した深い傷に迫る究極の作家論。>


松本清張が召集令状を受け取ったのは、昭和18年(1943年)10月、三十三歳のときだった。
昭和5年、二十歳で徴兵検査を受け、第二乙種補充兵だったから、すぐに召集されることはなかった。
それが、結婚して両親と妻、子供三人の職人暮らし(印刷職人)をしていた中年男に、教育召集がかかったのである。
期間は三ヵ月。
乙種補充兵を教育するための召集といっても、現役の兵役生活とさして変わらない。
初年兵がいじめられるのが、当時の日本陸軍だった。

その後、昭和19年6月に二度目の召集令状がくる。
本格的な 「赤紙」 である。
戦局が絶望的な状況になっていた時期だ。

―― とまあ、ここまでしか読んでいないが、ずいぶんと苦労をした人だったのだな、と知った。


もう一冊、同じ文春新書のこんな本も買ってみた。

Seichou_taidan_showashi『対談 昭和史発掘』
 松本清張  文春新書 677
 2009年1月20日発行  840円(税別)
 284ページ

1975年1月号の『文藝春秋』に掲載された、城山三郎、五味川純平、鶴見俊輔との対談(第一部)と、「昭和史発掘 番外編」(第二部)から構成される。
すこぶる興味ぶかい内容だ。

松本清張の 『昭和史発掘』 をいつか読んでみようと思う。



【参考】 Wikipedia 松本清張 より

苦渋の前半生
1924年、板櫃尋常高等小学校を卒業し、川北電気株式会社小倉出張所の給仕となり、文芸書を読むようになった。しばらくして家業が安定したため、祖母とともに間借住まいをする。このころから春陽堂文庫や新潮社の文芸書を読み、特に芥川龍之介を好んだ。だが1927年、出張所が閉鎖され失職。小倉市の高崎印刷所に石版印刷の見習いとして採用され、さらに別の印刷所に見習いとして入る。1929年、仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、「アカの容疑」で小倉刑務所に留置され、父によって本を燃やされ読書を禁じられた。1931年に印刷所がつぶれ、高崎印刷所に戻ったが、嶋井オフセット印刷所で見習いとなり、その後みたび高崎印刷所に戻り、内田ナヲと結婚。だが、印刷所の主人が死去したために将来に不安を感じ、1937年から自営。朝日新聞西部支社(現・西部本社)の広告部意匠係臨時嘱託となる。

1943年に正式に社員となるが、教育召集のため久留米第56師団歩兵第148連隊に入る。翌年6月に転属となり、衛生兵として勤務。朝鮮に渡り竜山に駐屯、一等兵となった。1945年に転属、全羅北道井邑に移り、6月に衛生上等兵に進級。終戦は同所で迎えた。帰国後は朝日新聞社に復帰。図案家としても活躍し、観光ポスターコンクールに応募していた。

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コメント

松本清張は俳句もうまい人でした。西東三鬼や杉田久女をモデルにした小説を高校生のころ読んで、人間の存在の暗い面を突くなあと思っていました。父親との葛藤があったようですね。昭和という時代のディープさに迫ることのできる作家ですよね。

投稿: みやこ | 2009年3月16日 (月) 09時09分

>みやこさん
私は俳句に詳しくないのですが、西東三鬼は知っていました。
「清張さん」は、幅の広い人でしたね。
頑固そうなところもありますが。

この本の著者(担当編集者だった)によれば、「清張さん」と、担当編集者たちから呼ばれていたそうです。
「先生」でもなく「松本さん」でもなく、タクシーの運転手さんも「清張さんの家ですね」と言っていたとか。
だんだん好きになってきました。

『昭和史発掘』を近くの図書館から借りて読もうと思います。
(すぐ近くに市の図書館があるのです)

投稿: やまおじさん | 2009年3月16日 (月) 20時51分

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