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2009年3月10日 (火)

【読】「生きてたら、…オモ…シロイ」

このタイトルは、赤塚不二夫の自叙伝に載っていたセリフである。


Akatsuka_koredeiinoda『これでいいのだ ―赤塚不二夫自叙伝―』
 赤塚不二夫  文春文庫 2008/10/10発行
 223ページ 571円(税別)

 親本
  1993年8月 日本放送出版協会刊
  2002年12月 日本図書刊行センター刊


きのうの昼休み、勤務先近くのBOOK OFFで入手。
ちょうど澤地久枝さんの本がおわるところだったので、帰りの電車・バスの中、そして今日の通勤途上で、この一冊を読みおえてしまった。

赤塚不二夫が好きだった。
惜しいことに、昨年亡くなってしまったけれど。
告別式で、タモリが感動的な弔辞をささげていた。
この本にも、タモリとの出会いが書かれていて、タモリ(森田一義)という才能を発掘したのが赤塚不二夫だったことを改めて思いだした。


赤塚不二夫は、旧満州国で昭和10年(1935年)に生まれている。

父親は、満州国で抗日ゲリラと対峙する「古北口国境警察隊」の特務警察官だったが、その前は、新潟県新発田の16連隊で憲兵をしていた。
満州に渡ってから、昭和8年、「上官の理不尽ないい分が我慢できず」憲兵隊をやめて特務警察官になった。
この父親の結婚までのいきさつなども描かれている。

この自叙伝によると、赤塚不二夫の父親は、「反満、反日の中国人ゲリラと、目に見えない最前線で命を張って渡り合う」職務をこなしながらも、理不尽なことはせず、中国人から慕われていたという。


こんなエピソードがある。

<ある朝、おやじは突然何かを思い出して部下に命じた。
「おう、忘れとったぞ、やつを出してやれ!」
3か月前、最後まで口を割らない一人のパールー(註 八路軍=中国共産党軍の兵士)を地下牢に放り込んだまま、おやじは仕事に追われ彼のことをすっかり忘れていたのだった。>

<連れてこられた中国人は、憔悴しきってはいたが眼光だけは鋭かった。彼は処刑かと思っただろう。だが、やがてそうではなさそうだということに気づく。>

<おやじは彼を家に招待し、「悪かったなお前を忘れていた」と詫びたうえ、あったかいご飯を食べさせた。食べ終わると新しい中国服を着せ、何十円かを持たせて町へ帰してやった。>

<「シェ、シェ(謝々)」 彼は何度も振り返っては頭を下げ、町のほうへ消えて行った。>

 ― 以上 「戦中編(満洲1) P.15 ―  (一部、原文の改行を変えて引用した)



また、こんなことも書かれている。

赤塚不二夫の父親は、家族に対して、「中国人から絶対ものをもらってはいけない!」と厳命していた。

<当時、日本人の大人も子供も中国人に対して多かれ少なかれ優越感を持ち、こちらが欲しいものは相手の気持と関係なくもらって当然、という風潮があった。>

<一方、おやじの部下である〝満系〟の人たちや利害関係を意識する中国人は、なにかといっては留守宅につけ届けをしようとした。生来、潔癖なおやじはこれを極端にきらったのである。>

<おやじの首には当時の金で2千円の賞金がかかっていた。当時としては途方もない大金である。べつに護衛に守られていたわけではないおやじが、裏切りや密告によってつかまる可能性はそれほど低くなかったはずだ。 (中略) だが村人は誰もおやじを敵に売り渡さなかった。こういうわけで、おやじだけでなく赤塚家も襲撃されることがなかった。>

 ― 以上 「戦中編(満洲1) P.16-18 ―


こういう父親だったから、赤塚不二夫一家(父は抑留され、母と不二夫と弟、妹二人の母子五人)は、敗戦後の引き揚げ時にも、ずいぶんと中国人からよくしてもらったという。

具体的なエピソードもたくさん書かれていて、とても興味ぶかかった。


ところで、今回の記事の題名だが――。

敗戦後、シベリアでの四年間の抑留生活を終えて、昭和24年に帰国した父親は、郷里で苦労し(生活のための借金苦)、結核で長い闘病生活をしていたが、奇跡的に治癒。
しかし、妻(赤塚不二夫の母)を事故で亡くす(昭和45年)。

昭和53年、その父親が癌で亡くなるときの話。

父親の首筋にできたリンパ腺ガンのはれものが日増しに大きくなり、手術もできない状態になって、あと数日しか生きられないと医者から言われた赤塚不二夫。

「おやじ、長生きしたいか?」
と彼が聞くと、病床の父親は、いよいよ息苦しくなってきた喉から、声をしぼり出すようにして答えた。
「ああ、したいなァ」

<その言葉に思いがけないほどの執着が感じられて、ぼくは思わず問い返した。
 「長生きして、どうするんだ?」
 「生きてたら、……オモ……シロイ」
 晩年になって、もう一度人生を取りもどしたおやじは、毎日、生きているために新しく味わえる人生の喜びを噛みしめていたのだ。そしてもっと生きたいと思い続けていたのだ。>

 ― 以上 「戦後編2 (東京) P.207 ―



母親が亡くなるときの場面も、胸にしみるものだった。

また、五人いた弟妹のうち、末の妹二人を幼いころに亡くし、弟の一人とは、やはり幼い頃に生き別れた(養子にいった)、そんな数々のエピソードからも、彼のあたたかい気持ちが感じられる。

満州での幼年時代。
中国からの引き揚げ。
わんぱくだった少年時代のおもいで。
(彼のギャグ漫画の主人公たちは、父親や、わんぱく仲間がモデルになっている)
帰国後の貧乏な生活。
父の帰国。
東京に出てからの売れない漫画家修行時代(トキワ荘時代)。
そして、突然のヒットで売れっ子漫画家に。
唐十郎、大島渚、佐藤慶、李麗仙(李礼仙)、山下洋輔、篠山紀信、野坂昭如らとの交流。
自身の結婚、離婚。
そして、父母や弟妹のこと。


<9年前、かあちゃんが臨終の時、ぼくの「かあちゃーん!」の一声でかちゃんを幽冥の世界から呼びもどした。今度は「もういいよな!」でおやじを冥土へ押しやったことになる。>

<ぼくは死に際に、誰かに呼びもどされるのかな、それとももういいだろうと念を押されていくのかな……。>

 ― P.209 ―


赤塚不二夫(本名 赤塚藤雄)。
平成20年(2008年)8月2日、肺炎により永眠。享年72歳。
その六年前、脳内出血で緊急手術。
一命を取り留めるも、以後、病院で眠り続け、意識の戻らないまま亡くなった。
眞知子夫人(二度目の妻)が平成18年7月12日に亡くなったことも、江守登茂子・前夫人が三日前に亡くなったことも知らずに、彼は逝った。
夫人と前夫人は、とても仲が良かったという。

 ― 巻末 「解説にかえて」 武居俊樹 より抜粋、加筆 ―


赤塚不二夫のマゴコロが伝わってくる、いい本だった。

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