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2009年4月29日 (水)

【遊】武蔵国分寺公園 (3)

国分寺の境内は、いつもひっそりとしている。
万葉植物園や薬師堂があるのだが、今回は寄らなかった。

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武蔵国分寺跡を見てまわる。
ここには何もない。
人もほとんどいない。
その昔、奈良時代に立派な「国分寺」が建てられていた場所だ。
いまも、発掘調査がおこなわれているようだ。

ここも立派な樹木が多い。

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【参考】
学研 『大江戸・武蔵 歴史探訪特選17コース 東京の1万年を歩く』
(2008/3/17発行) より

 741(天平13)年、聖武天皇は国分寺造営の詔(みことのり)を発布した。 当時、国内には天災、飢饉があいつぎ、天然痘が猖獗(しょうけつ)をきわめた。 しかも740(天平12)年には藤原広嗣が北九州で反乱を起こした。 藤原広嗣は光明皇后の甥である。 この事件から天皇・皇后は遷都を繰り返すことになり、朝廷は混乱した。 聖武天皇は、こうしたなかで諸国に国分僧寺と国分尼寺の建立を命じたのである。
 国分寺の正式名所は、国分僧寺が金光明四天王護国之寺、国分尼寺が法華滅罪之寺。 (中略)
 武蔵国分僧寺の寺域(境内)は東西に356m、南北に最大428mを測る。 その広さは平均的な国分僧寺の三倍。 道路を挟んで西に位置する尼寺をも含むと、国分寺の寺地(境界)は東西880m、南北最大550mにおよぶ。 諸国国分寺のなかでも最大規模を誇った。 建物は、南の中門から金堂・講堂・北方建物(北院)が南北一直線に連なり、中門の東に離れて七重の塔があった。 僧坊や鐘楼の遺構も発見されている。

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