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2009年7月の32件の記事

2009年7月31日 (金)

【読】間宮林蔵(続)

吉村昭 『間宮林蔵』 という小説を、夢中になって読んでいる。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』  吉村 昭
 講談社文庫 1987年  461ページ 695円(税別)

吉村昭の小説を読むのは、『戦艦武蔵』『零式戦闘機』に続いて三冊目だが、淡々とした物語の運びが好ましい。

それにしても、間宮林蔵という人、これほど魅力的な人物だったとは思わなかった。
長大な小説の半分ほど、ちょうど、樺太探検を終えて伊能忠敬に出会うあたりまで読みすすんだ。
現在のサハリンはロシアの領土で、すっかりロシア風になっているらしいが、今から200年ほど前は住む人のほとんどない土地だった。
間宮林蔵、よくもまあ、ちいさな船と徒歩だけで樺太の西岸から海を渡り、清国が支配していた大陸(黒竜江=アムール河沿岸)までたどりついたものだ。
アイヌやギリヤーク(ニブヒ)の人々との交流も、なにやら胸あたたまるものがある。


Taiyo_nihon_tamkenka別冊太陽 「日本の探検家たち」
 平凡社 2003年  2600円(税別)

間宮林蔵、松田伝十郎、近藤重蔵、最上徳内、伊能忠敬など、18世紀末から19世紀初頭にかけて同じように苦労しながら探検した人たちが紹介されている。

― 間宮林蔵の項 より ―
筑波の農民の子に生まれる。後に江戸幕府に奉職し、1808年、松田伝十郎の従者として樺太を探検。翌年、一人で再び樺太へ渡り、松田が到達したラッカ岬からさらに北上、北端の未踏査海峡水域を突破。大陸に渡って黒竜江を遡った。南極、北極とならんで当時、世界地図の空白部だった樺太北部に踏み入った間宮が著した『北蝦夷図説』を見たロシアの探検家クルーゼンシュテルン提督は、「われ日本人に破れたり」と叫んだという。


【参考サイト】

間宮林蔵の世界へようこそ
 http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/index.htm
  林蔵の末裔である間宮正孝さんの、樺太紀行が掲載されている。
  写真満載の興味深い記事。

間宮林蔵記念館
 http://cobalt.nakasha.co.jp/hakubutu/mamiya/mamiya.html
(ナカシャクリエイテブ株式会社 http://www.nakasha.co.jp/

[記念館] 間宮林蔵記念館 - 茨城 - goo 地域
 http://local.goo.ne.jp/leisure/spotID_TO-8000292/

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2009年7月28日 (火)

【読】間宮林蔵

北海道に住む友人が、つい先日、サハリン(旧 樺太)を訪れたという。
友人のブログでサハリン探訪記が連載されており、毎日楽しみにしている。

 北海道通信
  http://northlancafe.kitaguni.tv/

ところで、樺太といえば間宮海峡(タタール海峡)。
この間宮海峡を「確認」し、海峡名に名を残したのが間宮林蔵だ。

― Wikipedia 間宮林蔵 より ―
<安永9年(1780年) - 天保15年(1844年)
文化5年(1808年)、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索。間宮はアイヌ語もかなり解したが、樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見、その生活の様子を記録に残した。文化6年(1809年)、樺太が島であることを確認した松田が帰ったあと、鎖国を破ることは死罪に相当することを知りながらも、樺太人から聞いた、何らかの役所が存在するという町「デレン」の存在、およびロシア帝国の動向を確認すべく、樺太人らと共に海峡を渡って黒竜江下流を調査した。その記録は『東韃地方紀行』として残されており、ロシア帝国が極東地域を必ずしも十分に支配しておらず、清国人が多くいる状況が報告されている。間宮は樺太が島であることを確認した人物として認められ、シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マニワノセト」と命名した。海峡自体は「タタール海峡」と記載している。>
 
樺太(サハリン)とユーラシア大陸(現在はロシア、間宮林蔵の当時は東韃靼)とのあいだに海峡のあることは、ここを往来していた人たちには古くから知られていた。とうぜんのことだ。
アメリカ大陸をヨーロッパ人が「発見」したと称するのに似た、一方的な史観ではある。

― Wikipedia 間宮海峡 より ―
<樺太や対岸の沿海州には古来からアイヌ、ニヴフ、ウィルタ、女真(満洲民族)などの民族が居住・往来していた。このため、古くからここに居住していた人達にとって、樺太が島であることは、良く知られたことだった。1644年に作成された正保御国絵図においても、樺太は島として描かれている。>


今日から読みはじめた、この小説がおもしろい。
さすがに吉村昭だ。
うまい、と思う。

Yoshimura_mamiya『間宮林蔵』 吉村 昭
 講談社文庫 1987年刊  461ページ 695円(税別)
 親本 講談社刊 1982年

まだ70ページほどしか読んでいないが、冒頭、エトロフ島でのいわゆる「シャナ事件」(文化4年/1807年)の様子が描かれていて興味深い。
 ※シャナ(紗那)はエトロフ島北岸の地名
「クナシリ・メナシの叛乱」と呼ばれるアイヌ民族の蜂起(寛政元年/1789年)からそれほど年月を経ていない頃のことだ。

― Wikipedia 択捉島 より ―
<1807年4月、紗那と内保(留別村)の集落が、ロシア海軍大尉のフヴォストフ率いる武装集団らよって襲撃されるという「シャナ事件」が発生。/この時、日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた(この時、間宮林蔵も同島にいて応戦行動に参加していた)。その後、南部藩など東北諸藩が警備にあたり、あるときはロシアと交戦し、あるときは友好的に交流した。>

ひさしぶりに、日本語で書かれた小説の醍醐味を感じながら読みすすめている。

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2009年7月26日 (日)

【山】トムラウシ山周辺

1960年代末、高校2年から3年にかけて、北海道旭川の某高校山岳部にいた。
私が山岳部にはいったきっかけは、1年生のときの集団登山(大雪山系)で山の魅力にとりつかれたからだった。
2年生で新入部員となり、初めての本格的な登山は、春(5月連休だったか)の十勝岳連峰(北部)残雪期登山だった。

白金温泉(望岳台)から美瑛岳のふもとをまわって、美瑛富士避難小屋に泊まり、翌日、美瑛富士、オプタテシケに登って白金温泉に下山する、というものだったと記憶している。
部の共同装備だった大きなピッケルを持ち(持たされ)、足元はキャラバンシューズだった。
行程のほとんどが残雪の上を歩くものだったから、キャラバンシューズではきつかったが、その当時は革靴など買えなかったのだ。

美瑛富士避難小屋に到着したのは、日も暮れたあとで、満員の避難小屋の中でなんとか寝場所を確保、テントをかぶって寝たことを憶えている。
いま思いかえすとずいぶん危ないことをしていたものだが、山岳部の先輩を全面的に信頼していたから不安はなかった。
いざとなればビバークできるだけの装備(テント、火器、食料)も持っていた。

翌朝はよく晴れて、残雪の上を歩いて美瑛富士山頂へ、その後、オプタテシケのピークまで歩いた記憶は、いまもしっかり残っている。

ところで、今回の遭難現場、トムラウシ山へは、高校在学中もその後も、とうとう行くことができなかった。
奥深い山でアプローチが長いため、あきらめてしまった。
私にとっては、いまも憧憬の山である。
そういうこともあって、今回の遭難には尋常ではない関心をもっている。


■トムラウシ山周辺

Hokkaidou_natsuyama_guide2『北海道 夏山ガイド 2』 中央高地の山やま<上>
  (旭岳、黒岳、北鎮岳、白雲岳、トムラウシ山など)
 北海道新聞社 1990年刊

古いガイドブックなので、掲載情報はやや古いかもしれないが、トムラウシ周辺はそれほど変わっていないと思う。
ヒサゴ沼避難小屋の写真もある。
北海道の避難小屋に多い石室(いしむろ)だったが、1982年夏に新設されたもの。
その後27年経過し、ネット記事などでみると現在は老朽化がすすんでいるようだ。

「トムラウシ」は、もちろんアイヌ語だが、語源には定説がないようだ。
北道邦彦さんは、次のように解釈している。

<トムラウシ山 石狩山地にあるトムラウシ山は、十勝川の上流部にあるトムラウシ川に基づく山である。トムラウシという名称は難解地名とされ、いまだに定説がない。…(中略)…松浦武四郎その他の古い記録は 「トンラウシ」 と記しているが、明治中期以後 「トムラウシ」 と表記されるようになったようだ。 「トンラ」 はtonraであろうから、それから推すと 「トムラ」 はtomraが考えられる。(後略)>
<以上から、トムラウシは 「Tomra トラ(緑色の藻類) usウ(群生する) iイ(所) と解釈したい。>
 (北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』 朝日選書)


■今回の遭難現場 (トムラウシ温泉への下山途中の死亡者を除く)

画像 『北海道 夏山ガイド 2』 北海道新聞社 (P.188-189, 194-195) より転載

Tomuraushi_map4人が亡くなり3人が救助された「北沼分岐」付近の場所が、イラストからよくわかる(イラスト上部、トムラウシ山頂の手前)。
ヒサゴ沼避難小屋から「北沼分岐」(トムラウシ山頂への道と巻き道の分岐)あたりまで、険しい岩稜帯が続くようだ。
吹きっさらしの岩場の連続で、ルートも不明瞭だ。
ガイドブックのイラストからも想像できる。
途中には 「ロックガーデン」という本格的な岩場もある。
天気がよければ、見晴らしのいいすばらしいコースだろうが、悪天時(とくに強風時)にはひどいことになりそうだ。

<ヒサゴのコルからヒサゴ沼は岩の多い沢地形越しによく見える。(中略)/ここで合流した道は、さっそくトムラウシ山名物の巨岩帯の歩行となる。ヒサゴのコルからの登りは短いが、この先は複雑な凹凸を繰り返す溶岩台地だ。時には美しいお花畑を展開し、天沼などの沼が出現し、岩だけのロックガーデンを展開するなど、美しい景観を見せてくれる。/しかし繰り返し現れる岩場では道の確認が難しく、視界が良くても間違いやすい。(中略)/日本庭園を過ぎると一段と高くなった2000メートル台地への登りがある。この登り斜面は岩石地帯でロックガーデンと呼ばれる。……>
 ― 『北海道 夏山ガイド 2』 北海道新聞社 P.190-195 「ヒサゴのコルからトムラウシ山へ」 より抜粋 ―


Tomuraushi_map2悪天候のなかを、ここ(北沼付近)からヒサゴ沼避難小屋まで引き返すのは、そうとう厳しく、決断に迷うところだろう。
(コースタイムでは避難小屋まで戻るのに2時間ほどだが、このパーティーはここに来るまで5~6時間もかかっている)

しかし、その先(トムラウシ温泉下山口まで)の困難、パーティーの体力、疲労度、当時の気象状況などを吟味すれば、動ける人だけでも避難小屋まで戻るという選択は有効だったように思える。
(避難小屋には、ガイド、あるいは添乗員の一人が次のツアー客を待つために残っていたから、若干の装備・食料はあったはずだし、なによりも風雨を避けられる安全な場所だ)

行動パーティーを分断することは、相互扶助(全員の衣類や食料の分配による助け合い)の可能性を低める。
このパーティはテントやツェルトといった、ビバークのための装備が十分だったとは思えないが、ストーブ類の火器は持っていたはずだから、設営したテント等で本格的なビバークを覚悟すべきではなかったか。

人数が多すぎるために、全員がビバークすることは不可能との判断だったのか。
それとも、「下山できる人だけでも下山して、救助要請する」という決断を、ガイドたちはくだしたのか。

いずれにしても、悪天をついて避難小屋を出発してしまったのだから、この時点(さらに言えば、これよりも前、最初の一人が歩けなくなった時点)が、大きな判断分岐点だったと思う。
結果論ではあるが、その後、無理をして行動を続けることにより、どんどん体力を消耗していき、死者を増やしてしまったように見える。
救助要請のための下山、あるいは携帯電話が通じる場所までの下降、ということであれば、ガイドのうちの一人だけがすみやかに行動すべきだったのではないのか。

たくさんの「?(ハテナ)」を感じる、このパーティーの今回の行動。
私なりに、これからも詳しい情報を収集し、考えてみたい。


■参考サイト■

のんびり歩く大雪山
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/index.html

 ※ このサイトは、2007/7/26を最終更新日として更新を停止しているようだ。
  掲載情報を参考にされる場合はご注意願いたい。
  内容がしっかりしていて信頼できる個人サイトだと思う。

  過去の完全版(ミラーサイト) の入口はこちら
   http://taisetsuzan.web.fc2.com/
    ※ 下記ページは、このサイト内

・美瑛富士避難小屋写真
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/13camp/10bieifujikoya.html
 1969年、私たちが泊まったときの小屋(旧避難小屋)の様子がわかった。
 その後建て替えられたことも。

・ヒサゴ沼避難小屋キャンプ指定地
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/13camp/06hisagokoya.html

・安全登山のために/遭難事故一覧
 大雪山登山データ
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/frame.html
  → 安全登山のために 遭難事故一覧   http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/04sonanjiko/anzentozan.html


■追記■

(2009/7/26夜)
トムラウシ山南の「南沼」(巻き道とトムラウシ山からの登山道の合流点)から先、トムラウシ温泉までの下山路も簡単な道ではなかったようだ、ということがわかった。
今回のパーティのリーダーだったガイドたちが、どの程度、下山路の難しさを考慮していたのだろうか。
実際に、南沼から下の登山道で、このパーティーのうち、ガイド1人を含めた6人が動けなくなっており、4人が亡くなっている。

http://subeight.wordpress.com/ より
 → http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/kikaku.gif

 南沼  登山客1名死亡 (他に、単独登山者1名死亡)
 前トム平  登山客3名死亡、1名救助
 コマドリ沢分岐  ガイド1名(松本仁さん)救助

前トム平の状況が、下山組のなかでも悲惨だ(4名中、1名だけがかろうじて救助された様子)。
命からがら、といった感じで自力下山に成功して一命をとりとめた方が、5人。

整理すると、山中死亡者8人(うちガイド1人)、救助されたのが5人(うちガイド2人)、自力下山に成功したのが5人。 計18人である。
このうち、北沼付近に残ったのが7人(うち4人死亡=ガイド1人と登山客3人)。

北沼から先は、ガイドによる統制は完全に破綻してしまい(下山できる人はそれぞれ自力で下山した)、ばらばらの行動になってしまっている。
はじめ、ガイドの一人(松本仁さん)が引率する形で下山を開始したものの、すぐに隊形はばらけてしまっている。
最終的に、ガイドの松本さん自身も動けなくなっている。
自力下山できた人たちも、途中でビバークしたりしている。
北沼から先の下山途中で亡くなった方が4人、ということの持つ意味は大きい。

結果論と言われるかもしれないが、私が、もっと早い時点でまとまった行動(ビバーク、あるいは避難小屋への退却)がとれなかったのかと残念に思うのは、この下山路の厳しさを知ったためである。
ガイドたちは、下山ルートについてどれほど事前調査をし、困難を予測していたのだろうか。
大きな疑問である。

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【山】トムラウシ山遭難 週刊誌記事

週刊文春、週刊新潮に、トムラウシ山遭難の記事が載ったということを知り気になっていた。
内容にはほとんど期待していなかったが、図書館とコンビニで斜め読みしてみた。

週刊文春の方は目新しいことが書いていなかったようなので、コンビニで週刊新潮を購入。

Weekly_shicho_20090730週刊新潮 2009/7/30号
 2009/7/20(木) 発行
 第54刊 第29号  320円(税込)

「大雪山」 死の行軍 「私はこうして死神から逃れた」
 P.135-137

わずか3ページの記事だが、私の知らなかったこともいくつ書かれていた。
(ツアー参加者の何人かの証言をベースに書かれている)
ただし、週刊誌の記事を私は100%鵜呑みにしないので、ここには詳しく書かない。
責任をもって転載できる内容だとも思わない。
図書館などでご覧いただきたい。

週刊新潮|新潮社 のサイト
 http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/index.html


やはり今回のような事故は、当事者の証言を集め、整理してから分析できるまで、時間がかかると思う。
そういう意味では、山と渓谷、岳人などの山岳雑誌の特集記事を待つのがいいのだろう。

週刊誌は、速報性を重んじるから、事実誤認や誤報がまじる可能性が大きい。
週刊新潮の記事内容は、かなり信頼できそうだが、それでもそう思う。

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【歩】夏、なのだ

気象庁の梅雨明け宣言は、どうやらフライングだったらしく、今日あたりほんとうに梅雨が去ったように思う。

図書館へ本を返しに外にでたら、ジリジリと真夏の日ざしがきつかった。

ムクゲの花が目につく季節になった。
フヨウも開いた。
ソメイヨシノの樹の下、日陰が涼しい。

夏、なのだ。


写真 2009/7/26 小平市
 ムクゲ 木槿 (ムグンファ 無窮花)
 フヨウ 芙蓉

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【観】定点観察(銀杏並木) 第12回(2009/7/26)

6月に掲載してからひと月が過ぎた。
いよいよ、ほんとうに梅雨があけたようで、暑い。

2009/7/26(日) 11:12  晴れ

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2009年7月25日 (土)

【楽】MOTELライブ 代々木「マイバックページズ」

ひさしぶりに、須藤もんさんと対馬照さん(MOTEL)のライブへ。
代々木 「My Back Pages」 へ行くのもひさしぶりだった。
めずらしく、かみさん同行。

 出演  まつだなお/赤目/MOTEL(須藤もん+対馬照)
 19:00 開演 1,500円+ドリンク

まつだなおさん、赤目さんは、私は初めてだったが、いいライブだった。
もんさんと照さんも、息がぴったり合って絶好調。
ライブで聴く 「めし」 は格別だった。
あらためて名曲だなあと感心した。

来週は、いよいよ関西方面でのライブ・ツアー。

 7/31(金) 豊橋 「HOUSE OF CRAZY」
 8/1 (土) 京都 「まほろば」
 8/2 (土) 大阪 「Heaven Hill」

詳細は、こちら。
 須藤もん公式サイト http://homepage2.nifty.com/sudomon/


写真
 2009/7/25 (土) 代々木 マイバックページズ

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【山】トムラウシ山遭難 その後わかったこと

このたびのトムラウシ山での遭難(ツアー登山の一行、ガイド3人・登山客15人のうち8人が死亡)に強い関心をもち、ネット記事や新聞報道に注意をはらってきた。
 ※ガイド(あるいはツアー添乗員)は4人いたが、遭難当日の朝、ヒサゴ沼避難小屋を出発した時には3人が同行した。

事故から一週間がたち、当時の詳細かつ、より正確と思われる情報が、ようやく明るみに出はじめている。


■MSN産経ニュースのサイト記事 (7/23)

「悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント  (1/3ページ) - MSN産経ニュース」
(3ページのネット記事)
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm

以下、このサイト記事から。
7/14 旭岳から入山、白雲岳避難小屋に宿泊。
翌15日には約9時間・約18キロの縦走後、午後2時頃、ヒサゴ沼避難小屋に到着、とある。
別パーティーの登山者の証言によると、「そのときは特別に疲れた様子もなく、わいわいと楽しそうにしていた」という。

※ この時点では、一行はそれほど危険を感じていなかった様子だ。
ただ、気になるのは、「しかし小屋では干したレインウェアから滴が落ち、寝袋がぬれて、寝られない人もいた。疲れが取れる場所ではなかった」という記述。

翌朝、3時半に起床。
風雨が強く、出発予定が30分遅くなったが、ガイドの判断は「午後から晴れるから大丈夫」というもの。
午前5時半に小屋を出発。
稜線に出ると、吹きすさぶ風に体温を奪われ、遅れる人が出始めた……。


読んで感じるのは、ここがその後の苦難との分かれ目だったのではないか、ということだ。
「午後から晴れる」と判断した根拠は何だったのだろうか。
希望的観測でなく、気象通報から天気図を書いて予測するなどの具体的な行動をとったのかどうか、わからない。

ヒサゴ沼避難小屋を出発した後の状況は、上に紹介したサイトに詳しく書かれている。
この記事を読んだ限りでは、「ガイドはそれなりに一生懸命やった」 という印象も受けるが、やはり判断ミスは否めない。
残念なことである。

また、救助要請の第一報がガイドからではなく、登山客のひとりからだったということもわかった。
ガイドが携帯電話で救助要請した、というような初期報道は、そうとう混乱・錯綜していたようだ。
以下、引用する。

<午前10時半ごろ、約4キロ進んだ北沼分岐付近で歩けなくなる人が出た。座り込んだ人を囲んで風よけをつくった。ガイドは待機を指示したが、約1時間半後には「寒い、寒い」と奇声を発する人も。戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は「これは遭難だ。救援を要請しろ」と怒鳴った。>

<ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。>

<正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。
その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。>

 ― 以上、上記サイトより ―



ネットの世界では、無責任な野次馬的発言も多く目にし、私は苦々しい思いをしている。
これまで新聞社系のサイト記事しか紹介してこなかったのも、掲載されている情報の正確さに首をかしげるものが多いためだ。
事実誤認以前の勝手な思い込みから、ああだこうだと意見を述べるのは差し控えたいものだ。

しかし、その一方では、真面目に情報を収集して、客観的な分析を続けているサイトもある。
信頼できるサイトだと私は判断しているので、紹介しておきたい。

■Sub Eight
 http://subeight.wordpress.com/

 北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。
   http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/

サイトを運営されているのがどんな方か存じあげないが、綿密・精細な情報収集と分析には頭がさがる。

遭難に遭われた方々、亡くなった方々のために、私たちができることは、正確な状況の把握と、再発させないための検証、分析だと思う。


■参考サイト■

(2009/7/25 追記)
東京新聞:7年前 トムラウシ山で遭難 母の死 なぜ学ばぬ:社会(TOKYO Web)

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009072302000256.html

<……今回もまた、強風と雨が命を奪った。「小屋を出なければ、何も起きなかった」。悪天候で抜けられるようなルートではないという七年前の教訓は、生かされなかった。……>

ヒサゴ沼避難小屋に停滞するという選択肢はなかったのか。
日程的に「今日中に下山しなければ」という思いがあったのではないのか。
余裕のない行程というツアー登山のあり方が、この遭難の最大の原因だったように思う。


(2009/7/26 追記)
2002年7月、同じ山域で起きていた遭難事故の情報。
上記の新聞記事でとりあげられている、愛知県の女性(当時59歳)が亡くなった事故だ。

トムラウシ遭難事故の背景にあるもの
 (大雪ジャーナル 2003年10月22日)
 http://homepage.mac.com/hirosis/watching/watch031022.html

<去年(2002年)7月にトムラウシで起きた遭難事故で、「登山ガイドとしての注意義務を怠ったため」ツアー参加者の女性を凍死させたとして、ツアーを主催した福岡市の元登山ガイドの男性が旭川東署に書類送検された。
 台風が接近しているのに登山を強行したのはガイドの判断ミスだと筆者は考えるが、『北海道新聞』によるとこのガイドは、「せっかく来たので山頂まで登らせてやりたかった」と語ったという。ほかにも今年の夏、日高のポロシリ岳で、台風による沢の増水で山小屋に閉じ込められ、自衛隊のヘリコプターに救助された登山ツアーもあった。>

この記事中のリンク先(個人サイト*)に当時の経緯が掲載されているが、今回の事故と同じ行程でよく似た状況だったことがわかる。

 * のんびり歩く大雪山
   http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/index.html
   → 大雪山データ(大雪山登山データ) → 2002年

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【読】獏さんの本

最近読んだ、夢枕獏さんの本。
なかなかおもしろかった。

Yumemakura_baku_kisouka『夢枕獏の奇想家列伝』 夢枕 獏
 文春新書 689  2009/3/20発行
 213ページ  780円(税別)

七人の「奇想家」――知的好奇心から、危険を顧みず時代に抗して行動した歴史上の人物――がとりあげられている。
NHKが2005年8月・9月に放映した、「知るを楽しむ この人この世界 夢枕獏の奇想家列伝」をベースに書かれたものだ。

とりあげられている七人。
玄奘三蔵、空海、安部晴明、阿部仲麻呂、河口慧海、シナン、平賀源内。
シナンは、15世紀トルコの建築家で、イスラム教のモスクをたくさん残した人だ。
安部晴明は10世紀末に生きた有名な陰陽師(おんみょうじ)で、獏さんも連作小説に書いているし、近ごろはコミックなどでもブームになっているらしい。

小説といえば、私は読んでいないのだが、空海や阿部仲麻呂、川口慧海、平賀源内についても獏さんは書いているようだ。

 『陰陽師』シリーズ(文藝春秋)
 『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(徳間書店)
 『平成講釈・安部清明伝』(中央公論社)
 『シナン』(中央公論社)
などだ。

川口慧海については『ダライ・ラマの密使』(別冊文芸春秋)、平賀源内については『大江戸恐竜伝』(小学館『本の海』)を執筆中という。
驚くほどの多作ぶりで、私などはとてもついていけないが、『神々の山嶺(かみがみのいただき)』 だけは私の愛読書である。

Baku_kamigami1Baku_kamigami2『神々の山嶺』 (かみがみのいただき)
 夢枕 獏  集英社文庫(上・下)
 2000/8/25発行
 上巻 504ページ 724円(税別)
 下巻 564ページ 800円(税別)

ヒマラヤが舞台のダイナミックな山岳小説である。
獏さんにしては珍しく「直球勝負」で、ひとりの魅力的なクライマーを描いている。
私の別サイトで紹介しているので、ご覧いただけるとさいわいです。

晴れときどき曇りのち温泉 > この一冊 > 神々の山嶺
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html 

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2009年7月24日 (金)

【読】星と嵐(レビュファ)

この本もまた、星野道夫さんの愛読書だったという。
ずっと前に文庫版を買い、途中まで読んで放ってあった本だ。

Rebuffat_hoshi_to_arashi『星と嵐 6つの北壁登行』
 ガストン・レビュファ 著/近藤 等 訳
 集英社文庫 1992/4/25
 249ページ 440円(税込)

山岳書の古典的な名著。
ガストン・レビュファは、フランス生まれのガイド・登山家である。
私がこの人を知ったのは、いまから十数年前、八ヶ岳の山小屋に通っていた頃、そこの小屋主さんであり山岳ガイドをされている方から教わったものだ。

レビュファの文章はロマンチックで、当時の私には読み続けることができなかったのだろう。今なら、読める。

<岩と氷の王国アルプス。その壮麗な美しさは、人々を挑戦へと駆りたてる。/山に生命を賭け、垂直の岩壁に身をさらしながら青春を生きぬいた名クライマーが、グランド・ジョラス、マッターホルン、アイガーなど、アルプスの6つの北壁登行の苦闘と歓喜を詩情溢れる筆致で描く山岳文学の名著。> (本書カバー)

Hoshino_coyote_no2何度もこのブログに登場してもらった 「Coyote」 第2号の画像。
「特集 星野道夫の冒険」 には、星野さんが愛読した魅力的な本が紹介されている。
『星と嵐』(白水社 1955年刊)もそのなかの一冊だ。

<山は人を孤高な場所へといざなう。/登攀とは、けっして高度な思想や哲学ではなく、ただ考え、そして実際に登ることである。/ガストン・レビュファは、しばしば「山の詩人」と称される。「星と嵐」では、その「まえがき」ですらすでに一篇の詩である。> (「Coyote」 赤坂友啓:文)

<レビュファは登攀用具を多く用いることをせず、必要最低限のものだけを使って垂直の壁を登ったという。それは自分と自然との距離をなるべく近づけておきたいという思いからだろうか。そういえば星野も銃を持つことなくアラスカの原野を旅した。> (同上)

『星と嵐』で読むレビュファの文章(日本語訳)は、もちろん詩的で美しいが、彼のクライミングもまた美しい。
「1940年代から70年代にかけて、ガストン・レビュファは最も美しいフォームで登るクライマーとして憧れの的であった」 というキャプションのついた写真が、この文庫版に掲載されている。

私は岩登りの初歩を教わっただけで、まったくの素人ではあるが、そんな私にも岩登りの魅力(魔力と言ってもいい)が伝わってくる本だ。
半分ほど読んだところ。

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2009年7月20日 (月)

【遊】サーカスを観にいく

何年ぶりかで、サーカスというものを観た。
こどもの頃に一度か二度、成人してからは国内のサーカスを一度だけ観にいった記憶がある。

Bolshoi_circus_2国立ボリショイサーカス
 2009/7/21 13:30開演
 東京体育館
http://www.bolshoicircus.com/

奮発してアリーナ席(前から三列目)のチケットをとっていた。
至近距離だったのでよく見えたが、全体に小ぢんまりした印象をうけた。
こどもの頃観たサーカスは、もっと大きかった気がする(自分が小さかったからか)。
テントで観た国内のサーカス(木下サーカスだったか)も、もっと迫力があったように思う。

動物の芸が売り物なのか、犬や猫、馬をつかった出し物が面白かったが、クマの芸は見ていてかわいそうな気持になった。
悲しそうな目で、バイクや自転車の運転をしていた。
よく調教されていて、すごいなとは思うものの、クマに芸をさせるのにはどうも抵抗がある。

それでも、ひさしぶりに楽しいイベントだった。

09072000010907200002

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【山】トムラウシ山遭難 当時の状況がわかってきた

北海道 大雪山系トムラウシ山の遭難事故(2009/7/16)。
インターネットで新聞社の報道を拾っていると、当時の状況がわかってきた。

最終日、四人いたガイドのうち一人がヒサゴ沼避難小屋に残ったことは、すでに書いた。
(次のツアー客のために残ったという理由もおかしなものだが)
遭難当日の朝、三人のガイドが十五人の登山客を率いて出発した。
すでに風雨が激しく、前日までの疲労も蓄積されていた。


ガイドの行動

登山客、ガイドに業煮やし「救援要請を」 大雪山系遭難
  asahi.com (朝日新聞社) 2009年7月20日4時46分
 http://www.asahi.com/national/update/0719/NGY200907190029.html

このツアーに参加して生還した、愛知県清須市の戸田新介さん(65)の談話。

山頂付近で動けなくなった人が出始めて約1時間半たってからのこと――

<16日午前10時半ごろ、山頂に近い北沼付近で女性が動けなくなり、ガイドが1人付きそった。戸田さんら他のメンバーは「何をしているのか」と、少し先で待っていたが、ガイドは一向に戻ってこない。風雨が強まり、「寒い。わーわー」と奇声を発し始める女性も出た。>

<1時間半が過ぎた。戸田さんはその場にいた別のガイドに「どうするんだ。様子を見てきてくれ」と頼んだ。しかし、さらに10分が過ぎても何の反応もない。我慢出来なくなった戸田さんは大声で叫んだ。「この事態をどうするんだ。遭難だと認めて救援を要請しろ」 /すると、北沼付近にいたガイドが戻って来た。「歩ける人は、先に下りてもらえますか」。救援要請は聞き入れられず、違うガイドが先導して先を進むことになった。>

<1時間半も風雨の中で立ち止まっていたため、体が思うように動かないメンバーが多い。ペースが速いガイドにはついていけなかった。>

ガイド自身がパニック状態におちいっていて、冷静な対応ができていなかったことがわかる。
集団登山では、全体の行動についていけなくなる人が出てきても不思議ではない。
その時にどうするか、ツアー登山に限らず、リーダーに求められる役割は大きく、責任重大。

「危険なツアー登山」 と、私が言い続けているのは、ここだ。

やはり、早めに救助要請すべきだったのだ。


衣服の問題

私が気になっていた衣服の問題も、この記事の談話でわかった。

<戸田さん自身も体力の限界が近づいた。何とか助かったのは、山頂に近づいた時に雨がっぱの下にフリースをもう1枚、着たからだという。着替えるために雨がっぱを脱ぐと雨にぬれるが、「このままでは寒さでやられる」と思い切った。/戸田さんは指摘する。「重ね着をさせるなど、ガイドが指示を出すべきだったのではないか」。戸田さんのほかに防寒対策をする人はほとんど見られなかったという。/今回のコースは岩場も途中にあり、風雨が加われば難コースになる。雨でぬれた岩場で足を滑らせたり、風で波立つ小川の前で立ちすくんだりする人もいた。 >

「たら・れば」 の議論ではなく、このような状況でガイド(あるいはリーダー)がとるべき行動は何か。
戸田さんがおっしゃっているように、全員の体調を確認し、その場で可能な限りの防寒対策を施すことだった。

報道写真に写っているのを見ると、ガイドたちは大きめのテントを持参していたようだから(注)、もっと早い段階で、テントを張って弱りきっている人だけでも収容し、無理な下山を見あわせることは可能だったのではないか。
また、避難小屋に残ったというガイドとの連絡はとれなかったのだろうか。


【2009/12/21追記】
いまだに私のブログ記事が検索サイトから検索され、読まれているようなので、誤解のないように補足しておく。
(注)報道された映像に映っていたドーム型テントは、このパーティーが持参したものではなかったことがわかっている。
9/16の私のブログ記事
 「【山】岳人10月号 (トムラウシ遭難検証記事) を読んで」
  
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/10-a10a.html
でも少しだけ触れたが、『岳人10月号』に書かれていた内容によると、このテントは現地で「拾った」ものである。
以下、『岳人2009年10月号』 150ページより。

<7月16日(木) 17時00分前  Mガイドが、ツェルト(男性客うAの私物)まで様子を見に行くと、そこに入っていた女性客HとTガイドは絶望的な状況であった。Mガイドは南沼キャンプ地方面に歩き、携帯の電波が入る場所を探し、アミューズトラベル社に、「すみません。7人下山できません。救助要請します」、「4人くらいだめかもしれないです」といった内容のメールを16時49分に送信する。その先少し歩くと男性客Dがうずくまっていた(意識は未確認か?)。さらに先に青いビニールシートの塊があり、中にテント、毛布、ガスコンロを見つけた(のちに登山道整備業者が非常用に残していた装備品と判明)。Mガイドは倒れていた男性客に毛布をかけてビバーク地点へ戻り、拾ったテントを付き添いで残った男性客Aと立て、お湯を沸かす(それまでは、男性客の持参したコンロ類などが使われていた)。その後、介抱されていた女性客1人がいびきをかきはじめるとともに体温が下がってゆき、意識が遠のいたため、男性客らがほおをさすり、名前を呼び、「頑張って」と声をかけたが脈がなくなる。Mガイドが心臓マッサージをしたが、意識は戻らなかった。>

(12/21追記 ここまで)



当日出発時の状況

遭難当日、なぜ無理な出発を強行したのか。
同サイトの別の記事で詳しいことがわかってきた。

複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難
 asahi.com (朝日新聞社) 2009年7月20日4時49分
  http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html

<北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が死亡した遭難事故で、パーティーが前泊した避難小屋を出発する前に、悪天候や沢の増水、疲労の蓄積などを不安に思った複数のツアー客が「中止した方がいい」とガイドに申し出ていたことが北海道警への取材でわかった。出発後も「引き返した方がいい」「救助要請を」と訴えたツアー客がいたという。>


悪天の中で無理な行動を続けたことが、この遭難の大きな原因だったことが明確になった。
30分後にヒサゴ沼避難小屋を出発した他のパーティーが、無事下山したという報道もある。
パーティ・メンバーの体調と、気象状況とのかねあいで、紙一重の差で明暗がわかれたように思える。


このツアーに同行したガイド(あるいはツアー添乗員)は、出発時、四人。
リーダー(ガイド)については詳しいことがわからないが、私が読んだ新聞記事では、32歳という記述もあった。

このコースを過去十数回ガイドした経験があると報道されているリーダー(他のガイドはこのコースは初めてだったと報道されている)、というのは、いったいどういう人なんだろう。
残り三人のガイドのうち、一人(吉川寛さん 61歳)は亡くなってしまったが、他の二人がどういう人だったのか。
このあたりの報道は規制されているのか(警察の事情聴取を受けていると思われる)、詳しいことがよくわからない。

また何かわかれば書きたい。


【参考サイト】
  少し古いネット記事だが参考までに。
  田部井さんのコメントは、別の新聞記事でも読んだが、その記事でも
  ツアー登山のもつ危険性、安全なツアーの選択の重要性を指摘していた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090717/dst0907171152011-n1.htm
 【北海道遭難】「ガイドの判断に疑問」登山家の田部井淳子さん - MSN産経ニュース
  2009.7.17 11:47
登山家 田部井淳子さんの談話
「3泊4日の長い登山の最後で体力が落ちていたところに、雨に降られ風に吹かれたのだろう。ぬれた状態で風が吹くと体温が急激に下がり低体温症になるケースがある。突然歩けなくなり意識がなくなることもある。ガイドはすべての客の様子をきちんと見ていたのだろうか。ツアーには体力がある人もない人もいる。1パーティーで19人という人数も多すぎる。パーティーは基本的に分かれてはいけない。天気が悪ければ引き返したりとどまることもできたはずだ。ツアーだと飛行機などの予定が決まっているために行動計画に無理をしていなかったのか。ガイドがなぜ今回の判断をしたのか疑問だ」

http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.html
 登山一行ちりぢり ガイド、8人を見失う 大雪山系遭難
 asahi.com (朝日新聞社) 2009年7月18日3時0分
<北海道大雪山系で起きた遭難事故をめぐり、トムラウシ山(2141メートル)で遭難したパーティーは、途中で歩行困難者が出る中で少なくとも八つに分裂していたことが北海道警への取材でわかった。道警は、同行ガイドや主催したアミューズトラベル社(東京)が安全確保を怠った結果、一行がバラバラとなり、8人の死者を出す事態に至った可能性があるとみて、業務上過失致死の疑いで社長らから事情を聴いている。近く同社を家宅捜索する方針だ。>


【参考サイト 追記】 2009/7/20夜
ネットではこの話題でもちきりだが、やはり一次情報に近いものしか信頼できない。
下記サイトは、十勝毎日新聞という地元(帯広)のサイトで、かなり詳しく、かつ信頼できそうだ。
 http://www.tokachi.co.jp/

トムラウシ山遭難ドキュメント|WEB TOKACHI-十勝毎日新聞
  2009年07月17日 14時12分
 http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

【緊急企画 夏山遭難】トムラウシ山の惨事(上)|WEB TOKACHI-十勝毎日新聞
  2009年07月18日 15時11分
 http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php

【緊急企画 夏山遭難】トムラウシ山の惨事(下)|WEB TOKACHI-十勝毎日新聞
  2009年07月19日 15時11分
 http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090719-0002116.php


【参考サイト 追記】 2009/7/21
報道写真に写されているドーム型のわりと大きなテントをどのように使ったのかがわかる。
当時の生々しい状況も。
読んでいて胸が痛くなる。

中日新聞:生還男性が状況語る 大雪山系遭難:社会(CHUNICHI Web)
  2009年7月19日 09時26分
 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009071990092218.html

【参考サイト 追記】 2009/7/21
中日新聞は、その後も詳細な情報を掲載しているようだ。
私が疑問に思っていた、携帯電話での救助要請がどこまで可能だったかがわかる。

中日新聞:ガイド、救助要請せず山頂付近に1時間半 大雪山系遭難:社会(CHUNICHI Web)
  2009年7月21日 12時20分
 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009072190121958.html

【参考サイト 追記】 2009/7/23
asahi.com(朝日新聞社):凍死の7人は軽装、生存者は防寒上着 大雪山系遭難
  2009年7月23日3時4分
 http://www.asahi.com/national/update/0723/TKY200907220485.html

【参考サイト 追記】 2009/7/25
遭難当時のかなり詳しい状況がわかってきた。
このように詳細で正確な報道がもっとほしいと思う。

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント  (1/3ページ) - MSN産経ニュース
  2009.7.23 13:46
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm

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2009年7月19日 (日)

【遊】丹波山温泉 のめこい湯

昨日、車でちょっと遠出。
奥多摩を通って国道411号線を山梨方面へ。
丹波山村 「のめこい湯」 にひさしぶりに行ってきた。

行きがけ、「東京都奥多摩体験の森」(奥多摩 栃寄)にある蕎麦屋さん、「とちより亭」 に寄る。

奥多摩都民の森(奥多摩体験の森)
 http://www.tomin-no-mori.jp/

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0907180007奥多摩そば打ち体験(とちより亭)
http://www.misago.com/root/soba.htm

国道411号(青梅街道)の「橋詰トンネル」わきの道を御前山方向へ登っていく。
入り口がわかりにくいが、体験の森入口の標識と、とちより亭の案内板がある。
急勾配の狭い坂道(舗装されている)をつづら折りに登っていくと、体験の森の大きな建物があり(上の写真)、その向かい側に駐車スペース、その上に「とちより亭」がある。


0907180001ここの蕎麦はおいしい。
天もりそば 1200円。
(もりそば 800円、山菜天ぷら 400円)
揚げたての野菜天ぷらと、そば餅(餡入り)がついている。

御前山登山口なので、あんがいと人が多い。
体験の森の施設もおもしろい。

山道には、ヤマユリの花がたくさん咲いていた。
残念ながら写真は撮れなかった。


国道411号をさらに奥へ。
丹波山村(山梨県北都留郡)の入口に、「のめこい湯」がある。
入浴料 600円。
「のめっこい」 とは、丹波山村の方言で 「つるつる」 「すべすべ」 の意。
白濁したアルカリ性温泉で、いい湯だ。

ひさしぶりに行ってみたのだが、駐車場にあった農林産物直売所が「道の駅」になっていた。
はねだし桃(16個入り 2500円)を買う。

 山梨県丹波山村
  http://www.vill.tabayama.yamanashi.jp/

 丹波山村観光協会 > 丹波山温泉 のめこい湯
  http://www.ta-kankoukyoukai.com/midokoro/onsen.html

道中、あちこちで見られたネムノキ(合歓木)の花を写真に撮った。
今が盛りのようで、車で走っていて目にする淡い桃色の花が美しい。

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【山】危険なツアー登山(続)

7月16日(木)におきた北海道(大雪山系トムラウシ山)の遭難事故について、もう少し書いておきたい。
いずれ山岳雑誌などで詳しく検証されるだろうが、私なりに考えてみたいのだ。


まず、報道では10人死亡となっているが、これは美瑛岳という別の場所、別のパーティーで亡くなった一人と、同じトムラウシ山でも別行動の単独登山者一人の死者をあわせた数字である。

美瑛岳の事故は、ガイド三名、ツアー客三名(女性ばかり)という少人数のツアー登山と報道されている。
登山客一人にガイド一人という構成なのに、死者がでたという信じがたいもので、これはこれで別に検証されなければいけないだろう。

私が気にしてきたのは、ツアー客十五名とガイド四名の縦走パーティーのうち、八名(うちガイド一名)が死亡した事故の顛末だ。
(ガイドの人数についても、報道では三人となっていたりするが、当初から四人のガイドがついていて、一人は最終宿泊地のヒサゴ沼避難小屋に残ったため、遭難時には三人になっていたというのが真相)


遭難の状況

【朝日新聞 7/18朝刊1面より】
<道警などによると、パーティーは50~60代の客15人(男性5、女性10)と男性ガイド4人の計19人だったが、ガイド1人が事故前夜に泊まったヒサゴ沼避難小屋に残ったため、遭難時は客15人に対し、ガイド3人になっていた。/18人は16日午前5時半ごろ避難小屋を出発。昼前にはトムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、ガイド1人が付き添うことになった。/残る16人でしばらく進んだが、さらに男女4人が体調を崩すなどして進めなくなり、ここにもガイド1人が残ることになった。5人はテントを張って野営した。/この段階で、本隊はツアー客10人に対し、ガイド1人の11人。一行は下山を試みたが、ガイドが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報した内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもので、ツアー客8人の行方を把握できなくなっていたという。>

Asahi_shinbun_20090718_2 (同朝刊一面に掲載された図より)
ツアー客とガイドが発見された位置
北沼  7人発見 4人死亡
トムラウシ山南  1人死亡
南沼キャンプ指定地  1人死亡
前トム平  3人発見 2人死亡
コマドリ沢分岐  1人発見
トムラウシ短縮コース登山口  自力下山2人
同付近  自力下山1人
トムラウシ温泉(到着予定地)  自力下山2人



私が思うこと

パーティーがちりぢりになり、具合の悪くなった人が次々と脱落してその場に残り、下山できる人が下山していった様子がうかがわれる。
ガイドのリーダーシップがまったく発揮されていないこともわかる。

別の記事によると、助かった人の談話として、「ガイドがどんどん下りていってしまって、追いつけなかった」というものもあった。
このあたりの詳細な状況は、正確な情報がないためなんとも言えないが、最初の一人が動けなくなった時点でのリーダー(ガイド)の判断、行動はどうだったのか?というところが引っかかる。
この時点で、もっと適切な判断ができたのではないのだろうか。
よくわからないのは、「北沼 7人発見4人死亡」と書かれているこの地点で、パーティーの半分近くが歩行困難になっていたと思われるのに、なぜ、パーティーを分断して下山を急いだのか、だ。

救助を求めるためだったとしたら、持っていた携帯電話を使う方がどう考えても得策だ。
(携帯電話は通話可能だったという報道もある)
http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907180336.html
 asahi.com
 ガイド、山頂付近で救助求めず 遭難事故、携帯は通話可
 2009年7月19日3時0分

結果的に5人が自力で下山できたが、もっと死亡者が増えていた可能性もある。
すでに登山パーティとして体をなしていないし、見知らぬ者が集まった公募ツアー・パーティーならなおさらのこと、リーダーの判断で集団行動をとって助け合うことが必要だったのではないか。

ヒサゴ沼避難小屋まで戻るのが難しかったとしても、体力に余裕のある人だけでも避難小屋に戻し、動けない人はテントを張ってビバークさせ、その場から携帯電話で救助を求めることもできたと思う。
しっかりしたガイドなら、そうしていたのではないか。
(当時の現地の状況がわからないが、不可能な選択ではないと思う)


遭難の直接原因(死因など)

【東京新聞 7/19朝刊27面より】
<中高年の登山客ら十人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故で、道警は十八日、八人の死者を出したトムラウシ山でのツアーを主催した「アミューズメントトラベル」(東京都千代田区)の安全管理に問題があったとみて、業務上過失致死の疑いで本社と札幌営業所を家宅捜索した。/八人は旭川医大で司法解剖した結果、全員が低体温症による凍死だったと判明した。救助にかかわった自衛隊員は「彼らは夏用のシャツで特別な防寒具は持っていなかったようだ」と証言。事故当時、現場では雨と強風が吹いていたことから、防寒対策の不備が死につながった可能性も指摘される。>

【参考サイト】
どうしんウェブ 北海道新聞
 トムラウシ遭難 全員凍死 防寒具不備か ツアー会社本社も道警捜索
  (07/18 21:21、07/19 08:28 更新)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178011.html


今回もまた、衣類装備の問題がでてきた。
7月のこの時期といえば、梅雨明けで暑いという感覚がどうしてもある。
山慣れた人でも、3000メートル級山岳(北海道の2000メートル級山岳はこれに相当するのは常識だ)の、悪天候時(雨と強風)の気温に対する想像力が弱い。
下界なら綿のTシャツ一枚でも暑いくらいだが、悪天候の山岳では、オーロン系の水を吸わない素材の下着やシャツ、フリースのジャケット、ゴアテックス系の雨具が必携だと思うのだが、今回はどうだったのか。
少なくとも、主催者からそこまでの事前注意があったようには思えない。

もちろん、こういう個人装備は「登山者」ひとりひとりが判断して、自己責任で準備すべきものだ。
観光ツアーのようなやり方の悪い面が、はっきり結果に出てしまったように思えてならない。

つまり――
 1.リーダー(ガイド)による参加メンバー(登山客)の装備の事前(出発前)チェック
 2.参加メンバーの体力、経験度の把握
が、どれほどなされていたか。

2については、寄せ集めパーティーの場合は難しい(ほとんど不可能)かもしれないが、登山口に到着した後、旭岳温泉で一泊しているのだから、ガイドと客のあいだでコミュニケーションをはかることで、ベテラン・ガイドならある程度把握できるのではないのか。
また、登山行動中の観察によって、登山客の技量やクセなども把握できると思うのだが……。


以上、私は山岳ガイドでもなんでもなく、ガイドされたことがある自分の経験・知識から勝手なことを書いたかもしれないが、こういう事故を再発させないためには、具体的に考え、行動していかないとどうしようもないと思うので、あえてぐだぐだと書いた。

最後に、これを言ってしまうとオシマイという気もするが、そもそも今回のツアーは登山口を出発する時点で中止すべきものだったと思う。
さらに言えば、計画そのものがダメだった。
日程に余裕がないばかりか、一日の行動時間が長すぎる。
いつも山行を共にしている山慣れた人たちだけの少人数のパーティーならいざ知らず、一般公募で集まった15人ものお客(それぞれ登山経験があるにしろ)を連れて歩く行程ではないと思う。
まして、悪天候にあうことを想定しておかなければ、このようなツアーは成り立たない。


「自然が牙をむいた」 というような新聞見出しをみるたびに、腹立たしくなる。
たしかに、この時期としては考えられないほどの低気温という最悪の気象状況だったようだが、この遭難は人為的ないくつものミスがひきおこした山岳事故と考えるべきであろう。
想定外の状況でもなんでもなく、防ぐ(発生させない)ことがじゅうぶん可能な事故だったと私は考えている。

61歳のガイドさん一人を含め、亡くなった方々を哀悼し、この方々の犠牲を無駄にしたくないという強い思いから書いた。
論旨にまとまりがないのは、お許しいただきたい。


【その他参考情報】
ネット記事は多数あるが、下記サイトの情報がよくまとまっていて有用と思う。
ヒサゴ沼避難小屋の混雑状況など、私が考え及ばなかった問題もあるようだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090717/dst0907172225021-n1.htm
 【北海道遭難】雄大な自然にひそむ危険、悪条件重なれば… - MSN産経ニュース
 2009.7.17 22:22

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090717/dst0907171310014-n1.htm
 【北海道遭難】雨と強風…北の高山 日本アルプス並みの低温  - MSN産経ニュース
 2009.7.17 13:08

http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009071902000140.html
 中日新聞:防寒具持たず、死因は凍死 大雪山系遭難:社会(CHUNICHI Web)
 2009年7月19日 朝刊

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2009年7月18日 (土)

【山】危険なツアー登山

7月16日に北海道のトムラウシ山系で起きた遭難事故。
今日(7/18)の東京新聞朝刊、「こちら特報部」につっこんだ記事が載っていたのを読んで、詳しいことがわかった。
東京新聞は北海道新聞とのつながりもあるし、「岳人」という山岳雑誌も出版しているから、この記事の内容もしっかりしていると思う。

今後、山岳雑誌などで詳しい検証がされると思うが、今の時点でわかったことをもとに書いておこう。

Tokyo_shinbun_20090718東京新聞 2009年7月18日(土曜日)
 朝刊 24・25面
 「こちら特報部」 大雪山系ツアー なぜ強行
   安さで安全置き去り?
    初対面 力量不明、意志疎通難しく
   悪天 予備日設定されず
    業者間競合 「無理」と言えぬ

今回のトムラウシ山ツアーのパンフレットが写真で掲載されている。
その内容。

大雪山 旭岳からトムラウシ山縦走
 北海道最高峰の旭岳から歩き始め、大スケールの景観が広がる縦走路を
 「遥かなる山」 トムラウシ山へ、無人小屋に泊まりながら縦走します。
 縦走ならではの魅力が凝縮された例年満席の大人気コースです。
 お申し込みはお早目に!
  期日:7/13(月)~17(金)
  代金:152,000円
  食(食事) 朝2、昼1、夜2食付
  催(最少催行人数) 10名 /限定15名/対象 70歳以下
  行(行程) ②12.5k・8時間・累積1780m
   ③16.5k・10時間・累積1570m
   ④12.5k・10時間半・累積1880m
  補(補足) ②③泊目は寝袋と食料が必要になります。
   準備及び運搬は各自にてお願い致します。
   お湯は弊社スタッフがご用意致します。
   なお、各無人小屋の混雑状況によってはテント泊になる場合もございます。
   テントは弊社にて準備致しますが、一部運搬のご協力をお願いする場合も
   ございます。 あらかじめご了承下さい。
  注 参加資格:帰着日時点で70歳以下の方。


「累積」の意味がよくわからないが、累積標高差だろうか。
行程は次のとおりである。

1日目 中部(空港)(10:00頃発) (飛行機) 千歳=旭岳温泉・旅(泊)
2日目 ロープウェイ―姿見(1600m)・・・大雪山/旭岳(2290m)
 ・・・北海岳・・・白雲岳・・・白雲岳避難小屋(1990m・泊)
3日目 高根ヶ原・・・忠別岳・・・五色岳・・・ヒサゴ沼避難小屋(1600m・泊)
4日目 トムラウシ山(2141m)・・・前トム平・・・カムイ天上・・・
 短縮登山口(965m)=トムラウシ温泉・国(泊)
5日目 =千歳 (飛行機) 中部(17:00頃着)

山中二泊三日(いずれも避難小屋泊)、予備日なしのハードな日程である。
この山域はよく知っているが、営業小屋がなくテント場も限られているため、どうしても一日の行程が長くなる。
私が個人で行くとしたら、こういう行程はとりたくない。
技術的に難しいコースではないが、体力的にはかなりきびしい。
営業小屋泊まりではないから、寝袋や食料など個人装備も多かったと思われる。

ツアー登山「客」15人に、ガイドが4人ついていたが、いわゆる雇われガイドである。
ガイド資格に国家資格はなく、社団法人・日本山岳ガイド協会と、社団法人・日本アルパイン・ガイド協会の発行する認定資格がある。
今回、ガイド一人も死亡しているが、前者の資格を持っていたという。

<ガイドたちが登山計画を強行した理由はまだ分からないが、山田さんは「独立したガイドで、生計を営んでいるのは全国でも十数人。他のガイドは企業の雇われで、引き返せば、客の不満から仕事が来なくなるという不安を耳にする。今回もそんな背景があったかもしれない」と考える。> (記事より)
 ※ 山田さんとは、東京都武蔵野市で山岳ガイド「風の谷」を主宰する登山家、ガイドの山田哲哉さん。


このツアーに同行したガイドは四人。
そのうち一人だけが、この行程を十数回経験していたが、他二人は同社のガイドとして初行程。
もう一人、ネパール人のガイドは、「次のツアー客の到着を待つ」ために、最終日の小屋(ヒサゴ沼避難小屋)に残った。
 ※東京新聞7/18朝刊 27面記事の情報とあわせてわかったこと。


さて、私の考えをかんたんに書くと、こうだ――。

登山は観光とちがって、一般公募のツアーという形態をとるべきではない。
プロのガイドがついていても、荷物をもってくれるわけでも、背負ってくれるわけでもない。
あくまでも道案内と考えるべき。
じぶんの足で、じぶんの力量にあわせた山歩きをしないと、危険だ。

けっして、亡くなった方々に鞭打つわけではないが、このツアー登山そのものが招いた事故だったと思う。
過去に何度も催行されたツアー・コースかもしれないが、天候に恵まれ、参加者の体力、体調がよければ事故は起きないだろうが、危険度の高い行程だったのではないか。
予備日もなく、おそらく全員がビバークできるだけの準備もなかっただろうと思う。

そういう危険度を、参加した人たちがどれほど認識していたのか。
ガイドに「連れていってもらう」という登山は、やはり危ない。
自分で計画し、自分で責任を持つことが、「登山客」ではなく「登山者」としてたいせつなことだと思う。

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2009年7月17日 (金)

【読】サバイバル登山家(続)

Hattori_survival_climber_2『サバイバル登山家』 服部文祥 著 みすず書房

e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031728757&Action_id=121&Sza_id=B0

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622072203

前回、序章からの引用でおわってしまった。
まだまだ書いておきたいことがある。
といっても、引用ばかりで恐縮だが、服部さんの感じ方、考え方がよくあらわれている箇所を抜きだしてみたい。

I サバイバル登山まで
 満ち足りた世代
 肉屋

II サバイバル登山
 サバイバル始動
  南アルプス大井川源流~三峰川源流 1999.9.5-11

<登山道などがなかったころ、藪を避けられ、アップダウンのない水流の近くが山越の登降路だった。山の民が歩きやすい沢を経験で探し出して伝えてきた。猟師や木こり、もしくはなんらかの理由で関所を越えられない人などがそんな道を使っていた。山小屋も登山道もまともな地図も装備も交通機関もなかった時代に、今よりずっと山深い南アルプスを平気で歩きまわっている人たちがいた。>  (P.56)


 サバイバル生活術

<周辺を確認する。チェックリストがあるわけではない。眺めまわしてなにか心に引っかかってくるものがなければOK。なんとなくやばい気がするからやめておこうとか、なんとなくこっちのほうがよい気がするなんてときの 「なんとなく」 という感覚は大事にしたほうがいい。……僕は言葉に還元できない総合判断だと思っている。もしくは体全体で考えているといってもい。人間は言葉を使って頭でものを考えていると思いがちだが、言葉をもたない野生動物たちもかなりの物事を判断している。>  (P.70-71)

<「サバイバル」といっても、僕らの命を奪おうとする意志をもった何者かが、山のなかにいるわけではない。一方、岩魚は僕らに命をつけねらわれるうえに、反撃の手段はなく、逃げるか食われるかの二通りしかない。人間は生粋のプレデター(捕食者)である。森に住む岩魚を食料とするなら、せめて山のなかで自分に課す負担を多くして、心のかなで岩魚を殺生することを正当化するしかない。負担とは、食料や装備を持っていかないサバイバルであり、ソロであり、長期であり、毛バリであると僕は考えている。>  (P.80-81)

<単独行中に足の骨を折ったらどうするのか、と聞かれることもある。まるで単独行が社会の迷惑であるかのような言いぐさだ。野生動物に 「もし足の骨を折ったら……」 と聞いたら 「死ぬしかないから、そうならないように気をつけています」 と答えるだろう。>


 日高全山ソロサバイバル
  日勝峠~襟裳岬 2003.8.2-26

<何事もフェアにやりたいだけだった。自分の力でやりたかった。自分でできないときにはじめて、その行為や結果に値する代価を払って解決する。……僕は自分がきらいなシステムのなかで生きている人間なのだ。それをごまかすために山に向かう。大自然のなかに入りこみ、そこで自分の力を試して帰ってくる。>


III 冬黒部

 黒部とは
 二一世紀豪雪
  北アルプス上ノ廊下横断~北薬師岳東稜 2000.12.28-2001.1.7
 三つの初登攀
  北アルプス黒部川横断 黒部別山中尾根主稜~八ツ峰北面滝ノ谷下部氷瀑~八ツ峰北面袖ノ稜
  2002.3.16-26

<黒部に入るといつも場違いな気分に包まれる。それは自分の生命があまりに無防備であるということをリアルに思い知らされるためだ。自分が、血と肉となまぐさい内臓を皮膚という柔らかい袋に詰め込んだ装置にすぎないということが、黒部ではばれてしまうのである。ちょっとしたミスや大自然の些細な衝撃で袋はバシャンと割れ、僕は簡単に死ぬ。>  (P.214)

<富山のビジネスホテルで浅い眠りから目覚めた。……/外は予報どおり大粒の雨だった。剱岳は吹雪だろう。部屋には、二週間命を預けてきた装備と、昨夜くだらないテレビを見ながら食べたお菓子の袋が散乱していた。……/「自我」という現代社会では何よりも強いものが、死の恐怖をまえに縮みあがり、ときには消えてしまう。下山後は些細な欲をあえて満たすことで、僕らは自我と街の生活をとりもどしていく。>

<自然には意志も過ちもなく、純粋な危険があるだけだ。その危険に身を晒す行為に、情緒と感傷をくすぐる甘い香りが漂っている。>  (P.242)


 日高のあとの話、もしくはちょっと長いあとがき

<やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食料の調達をあきらめてスーパーに買いにいき、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院にいく。/僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。>  (P.250)



読んでいて、私はふと、星野道夫さんを思いだした。
体の奥まで響いてくるような書物だった。

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【読】サバイバル登山家

北海道でおおきな遭難死亡事故があった。

どうしんウェブ 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177700.html
 大雪山系で10人死亡 トムラウシ9人 夏山で過去最悪
 (07/17 08:15、07/17 14:28 更新)


トムラウシ山も美瑛岳も私にはなじみのある山だけに、やりきれない。
(トムラウシまでは行ったことがないが、その周辺は高校山岳部にいた頃歩いていたので、どんな山かという知識は持っている。決して楽な山ではない)

疲労凍死ということだろう。
亡くなった方々やご家族はほんとうにお気の毒だが、私は、ツアー登山という山登りの方法が問題だと思う。
(今回はガイドの責任も大きいが、それ以前に、ツアーの在り方に問題があったと思うのだ)


ところで、そのツアー登山と正反対の山登りを追求し続けている登山家がいる。
服部文祥さんという1969年生まれの人で、自ら 「サバイバル登山」 と呼んでいる。

Hattori_survival_climber『サバイバル登山家』 服部文祥(はっとり・ぶんしょう)
 みすず書房
 2006/3/19 第1刷発行/2009/3/25 第9刷発行
 257ページ 2400円(税別)

カバー写真が衝撃的。
著者の服部さんが岩魚の皮を剥いているところで、このように歯をつかうときれいに剥けるという。

今年読んだ本のなかでも筆頭クラスの、印象ぶかいものだった。

序章 知床の穴
 春期知床半島全山縦走 1993.3.25-4.12

<朝起きるとテントの中が妙に広く、低気圧はまだ来ていないようだった。/入り口を開けて外を見ると、空はどんよりと曇っていて、半雪洞の周りには覚えのないゴミが不自然に散らばっていた。/それは乾燥米の袋だった。その横にはチョコの包装ビニールが落ちていた。寝ぼけたままで、手を伸ばすと、飴、カロリーメイト、もう一度チョコ。すべてなんだか見覚えのある食べ物のカスばかり。……>

<もう一度外を見て、またテントの中を見た。慌てて、靴も履かずにテントを飛び出すと雪面にはキツネの足跡が乱れていた。膝をつき、雪の上に散らばった乾燥米を手で集めてみた。雪と混ざっていてもう話にならなかった。……>

<入山して七日目、羅臼岳を越えて、ようやくゴールが見えはじめ、やる気が湧いてきた矢先のアクシデントだった。……出発前、僕の登山人生最後になるかもしれないと思っていた長期山行はキツネに食料を盗まれたために終わるのだ。しかも、自分が寝ていたテントの中から抜き取られたのである。>  (P.11-12)

服部さんが大学生の時に試みた、知床半島海別岳から知床岬までの単独縦走の七日目のできごとだった。
半雪洞のなかにテントを張って、接近していた低気圧をやり過ごそうとしていたとき、キタキツネがテントを牙で裂き、眠っているあいだに十四日ぶんの行動食を袋ごと持ち去ってしまったのである。

いったんは「これで終わりなんだ」と思い、下山も考えたが、彼はそのまま知床岬まで歩き通した。


のちに、この知床全山縦走をふりかえって、こう書いている。

<食料を奪われた直後、僕はキタキツネが憎くてしょうがなかった。見つけたら捕まえて皮を剥いで食べてやろうとまで思っていた。……/あの日僕は、接近する低気圧をやり過ごすために停滞しようとしていた。食料を奪われたために、日程に余裕がなくなったので出発したのだ。その結果、あのあとのみぞれ三日間と三八豪雪以来と言われた嵐の三日間を、知床連山でももっとも標高の低いルサ乗越付近で迎えることになった。もし食料を盗まれずに停滞していたら、羅臼岳の半雪洞で荒天の六日間を耐えなくてはならなかったかもしれない。……>

<もう十年近く前のことだ。キタキツネの彼(もしくは彼女)ももこの世にはいないだろう。いや、うまくやっていれば、子孫のなかに薄まって生きている。人が眠っているテントから食料を盗み出せるのだから、うまくやってないはずがない。>  (「サバイバル始動」 P.63-64)

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2009年7月13日 (月)

【読】Today is a very good day to die.

Nancy_wood_many_winters_2『今日は死ぬのにもってこいの日』
 原題 MANY WINTERS
 ナンシーウッド Nancy Wood 著
 フランク・ハウエル Frank Howell 画
 金関寿夫(かなせき・ひさお) 訳

 めるくまーる 1995/9/20発行

ナンシー・ウッド
 ニューメキシコ州のタオス・プエブロ・インディアンと30年以上の交流を持つ。大地との深い結びつきに根ざした、彼らの高雅な精神性を学びとり、詩・小説・ノンフィクション・写真と、多岐にわたる仕事に反映させてきた。国営芸術基金からの文学奨励金のほか、多数の賞を授与されている。1977年には、彼女の詩集のひとつが、ピューリツァー賞の音楽部門にノミネートされた。ニューメキシコ州サンタフェ近郊に在住。

内容を知らないまま、図書館にリクエストして借りてきたもの。
金関さんの日本語訳はそれほどいいと思わないが、巻末に英語の原詩が載っているのがうれしい。

邦題になっている詩(今日は死ぬのにもってこいの日)も、日本語訳より英語の原詩が美しい。
英語が得意じゃない私にもわかる、やさしい言葉で書かれている。


  Today is a very good day to die.
  Every living thing is in harmony with me.
  Every voice sings a chorus within me.
  All beauty has come to rest in my eyes.
  All bad thoughts have departed from me.
  Today is a very good day to die.
  My land is peaceful around me.
  My fields have been turned for the last time.
  My house is filled with laughter.
  My children have come home.
  Yes, today is a very good day to die.


日本で異常なほどもてはやされた「千の風になって」も、もとはきっと、こういう素敵な英語の詩だったのだろう。
日本語に翻訳するのって、むずかしいもんだな。
 

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2009年7月12日 (日)

【楽】須藤もんサイトにYouTube映像掲載

須藤もんサイトの「ニュースリリース」コーナーに、須藤もんさんのソロ映像と、MOTEL(須藤もん+対馬照)さんのライブ映像(YouTube)を掲載しました。

須藤もん 公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/

 ※トップページ下部にリンクがあります。

 ニュースリリース
  http://homepage2.nifty.com/sudomon/news.htm

■ 須藤もん/めし 西荻のみ亭バージョン  2005/4/24 西荻窪 のみ亭 Live
■ MOTEL(須藤もん+対馬照)/流れ者  2009/6/27 三鷹 バイユーゲイト Live


須藤もんさんからコメントをいただき、掲載しました。

    このたび、カメラマンの高松重美さんのご協力を得て
    動く須藤もんを見て頂けるようになりました。
    まだ音源のないMOTELの歌も聞いて頂くことができます。
    酒でも呑みながら見てやって下さい。
    またライブにもお出かけ下さい。お待ちしております。 須藤もん


また、須藤もんさんのプロフィールページを久々に更新。
最新ライブ情報も、須藤もん公式サイトでご確認ください。

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【読】『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

ずっと気になっていた本を読みはじめた。
200ページほどしかない薄い文庫本なのに、なかなか進まない。

この本は池澤夏樹さんの著作で知ったのだが、池澤さんのどの本に書かれていたのか忘れてしまった。
購入してからずいぶん日がたつ。
『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』(金関寿夫)を読んだあと、そうだ、こんな本があったっけ、と思いだしたのだ。

Las_casas_indias『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
 ラス・カサス 著  染田秀藤 訳
 岩波文庫(青427-1)
 1976/6/25 第1刷発行/2005/5/24 第36刷発行
 205ページ 560円(税別)

インディアス(las Indias)――スペイン人が発見、征服した地域をの総称して、当時インディアスと呼んでいた。おおむね現在の西インド諸島、南アメリカおよび北アメリカの一部を指す。ラス・カサスはインディアスがインドの一部であると信じ、「新大陸」であることに気付いていなかった。 (本書巻末訳注による)


この「報告」が書かれた時代背景は、本書巻末解説によれば、こうだ。

<1492年10月12日、スペイン王室の援助をうけたイタリア人 クリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に浮ぶ小島グワナハニ島に到着した。 その後、コロンは三回にわたって航海を行ない、アンティール諸島、中米、南米北部を探検し、また、その後多くのスペイン人征服者(コンキスタドール)が、自らの生命と財産を賭してインディアスへ渡り、数々の探検、征服を行なった。 その動機は未知なる土地への憧れ、金銀財宝に対する欲望、あるいは熱烈な宗教心など種々様々ではあったが、彼らは、コロンの第一次航海より僅か半世紀余りの間に不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を発揮して南北両アメリカ大陸をほとんど踏査した。 彼らは金銀財宝のみならず、トマト、玉蜀黍(トウモロコシ)、タバコ、カカオ、ジャガイモ等当時ヨーロッパでは知られていなかった数々の産物をヨーロッパにもたらした。>

ラス・カサスについては、Wikipediaから引用する。

<バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolome de Las Casas, 1484年8月24日 - 1566年7月17日)は16世紀スペイン出身のカトリック司祭、後にドミニコ会員、メキシコ・チャパス教区の司教。当時スペインが国家をあげて植民・征服事業をすすめていた「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えつづけた。主著に『インディアス史』、『インディアス文明誌』などがあり、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でも有名。生前から激しい批判を受け、死後も相反する評価を受けることが多かった。「インディオの使徒」とも呼ばれる。>


ところで、ネット検索してみたら、池澤夏樹さんのサイト 「Cafe Impara」 の中の 「異国の客」 という連続エッセイに興味深い記事をみつけた。
自著の 『静かな大地』 と、この 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 に触れ、「敗者の歴史を誰が書くか」 をテーマに池澤さんらしい考えを述べている。

Cafe Impara
 http://www.impala.jp/

 「異国の客」 063 冬の到来、エッフェル塔、敗者の歴史 その2
 (池澤夏樹 執筆:2006‐11‐25)
  http://www.impala.jp/ikoku_wp/?p=66


池澤さんが言うように、ラス・カサスの報告書は 「告発調で、ある意味では紋切り型」。
読みにくいものだが、書かれている内容は驚くべきものだ。
ヒトという生物は、よくもまあ、ここまで残忍なことができるものだ、という思いを重ねながら読んでいる。

その、ごく一部。
読んでいて胸が悪くなる、当時のスペイン人たちの悪逆非道ぶりである。
引用中の「彼ら」はインディオ。

<そこで、彼らは馬を落し入れるための罠を考えた。彼らは道に穴を掘り、そこに落ちこんだ馬の腹部に突き刺さるよう、先を尖らせ、焦がした棒をその中へいっぱいうめ込み、穴の上には小枝や草をかぶせて何もないように見せかけた。しかし、スペイン人たちはそれから身を守る術を心得ていたので、馬が罠にはまったのは僅か一、二度であった。その仕返しに、スペイン人たちは、老若男女を問わず全員インディオたちを生け捕りし、その穴の中へ放り込むことにした。こうして、彼らは身重の女や産後まもない女、それに、子供や老人、そのほか生け捕りにしたインディオたちを穴の中に放り込み、その穴の中は、しまいには串し刺しになったインディオたちで一杯になった。ことに、母親とその子供の姿は胸の痛む光景であった。スペイン人たちは残りの人びとを全員槍や短刀で突き殺し、獰猛な犬に分け与えた。犬は彼らをずたずたにして食べてしまった。>
 (「グワテマラ地方と王国について」 P.77-78)

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2009年7月10日 (金)

【雑】平岡正明さん死去

今朝、ラジオを聴いていて知った。

評論家の平岡正明さん死去 asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0709/TKY200907090217.html

 評論家の平岡正明(ひらおか・まさあき)さんが、9日午前2時50分、脳梗塞(こうそく)のため、横浜市内の病院で死去した。68歳だった。

時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009070900461


【2009/7/10夜 追記】
死亡記事の紹介だけじゃあんまりなので、追記。

私はそれほど平岡さんの著作を読んでいないが、いろんな刺激を受けた人だった。
今年になって、『石原莞爾試論』 という幻の著作を手に入れて読んだところだし、中国大陸シリーズも読み返してみようとしていたところだった。

私より少し歳上だとおもっていたが、いわば叔父さんの世代であることが死亡記事の年齢をみてわかった。
1941年(昭和16年)1月生まれだった。
年長の人たちが少しずついなくなることは、さびしいものだ。

死亡記事(朝日)のタイトルに、『山口百恵は菩薩である』 があげられていたが、とても刺激的な内容の本だった。
思うに、平岡さんは法華経とかかわりが深かったのではないか。
だからどうなんだ、ということもないのだが。

Hiraoka_momoe1Hiraoka_momoe2 『山口百恵は菩薩である』
 平岡正明 著  講談社文庫
 1983/6/15発行 351ページ
 (親本 1979年講談社刊)

平岡節がうなる、快著(怪著?)である。

<……自分の煩悩を歌に昇華させた山口百恵は、他人の煩悩にも鋭敏に反応するだろう。他人の煩悩を自分の悲劇にくり込んで山口百恵はさらに大きくなるだろう。すなわち菩薩である。>


もう一冊、平岡さんの桂枝雀論も面白い。
(全部読んでいないが)

Hiraoka_shijaku『哲学的落語家!』
 平岡正明 著  筑摩書房
 2005/9/20発行 326ページ

<俺が落語に目覚めたのは数年前だ。/志ん生・文楽から現在の若手までをヨーイ・ドンで聞いた。/最も衝撃を受けたのは「彼」。/どえらい上方落語の爆笑王だ。/「彼」の思想の偉大さよ。/俺はナマの高座を聞いていない。/残された音と映像だけから「彼」の思想の深さを言いたい。/松本留五郎の鼓腹撃壌を、夢野久作との相似を、天地の逆転を。/この一冊を泉下の「彼」に捧げる。>

その平岡さんも、桂枝雀さんを追うように、逝ってしまったのか。



【2009/7/11追加】
 東京新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (左)
 朝日新聞 2009/7/9(木) 夕刊 (右)

20090709_tokyo_hiraoka20090709_asahi_hiraoka

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2009年7月 8日 (水)

【楽】MOTEL―YouTube

You Tube
須藤もん+対馬照/流れ者

http://www.youtube.com/watch?v=mB_P9iBRAXY

いつのまにか、こんなライブ映像が・・・。
「MOTEL」 は、お二人のユニット名です。

つい先日の、下のライブの模様のようです。
私は行けなかったのですが。

■2009/06/27(土)  三鷹 「バイユーゲイト」

 JR中央線 三鷹駅北口 徒歩2分
 武蔵野市中町1-17-2 アビエス1F2号
 TEL 0422-55-5782
 出演  鎌倉研(from大阪) MOTEL(須藤もん+対馬照)
 19:00 開場  19:30 開演
 2,000円 (別途ドリンク・オーダー)

 http://bayougate.voxx.jp/


これから先の 「MOTEL」 のライブ予定は、こちらをご覧ください。

【楽】須藤もん・対馬照(MOTEL) 最新スケジュール
 2009/6/20(土) 掲載
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/motel-7617.html


さらに、最新情報は 「須藤もん公式サイト」 でご確認ください。
いくつか、ライブ詳細情報(開演時刻など)をアップしています。

須藤もん公式サイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/

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2009年7月 7日 (火)

【読】アメリカ・インディアンの詩

日曜日に図書館から借りてきた本。
昨日と今日でいっきに読んでしまった。

Kanaseki_america_indian『アメリカ・インディアンの詩』 金関寿夫
 中公新書(中央公論社) 1977/6/25発行

よく知られているように、インドに行こうとしたコロンブスが、1492年にたまたま「発見」した大陸に、その二万年も前から住んでいた原住民(この言葉も近ごろは嫌われているようだが)――彼らを呼ぶ便宜的な名称が 「インディアン」 である。

この本では、アメリカ・インディアンの素晴らしい口承文学が紹介されている。
( 「文学」 と呼ぶのも、便宜的なカテゴリーだろう。なぜなら、彼らはこれを 「文学」 とは考えていないから)

たとえば、次のような短い詩。

<トウモロコシの種子を植えたあと、アリゾナのパパゴ・インディアンは、その順調な生育なを祈って(古来のリズムに合わせて足拍子を踏みながら)つぎの詩をとなえる。

  青い夜が下りてくる
  青い夜が下りてくる
  ほら ここに ほら あそこに
  トウモロコシのふさが震えている >


文字を持たない民族の口承が英語に翻訳され、それをさらに日本語に翻訳することには、どだいムリがある。
著者も、それを承知のうえで、魅力的なたくさんの詩を紹介し、アメリカ・インディアンの精神・文化を論じている。
1977年に、このようないい本が出ていたことに驚く。

それにしても、なんと豊饒な世界だろう。
アイヌ民族の口承文学(ユカラなど)に通じるものを感じる。


Kanaseki_oral_poetry_2引き続き読んでみようと思う本。

『魔法としての言葉 アメリカ・インディアンの口承詩』
 金関寿夫 思潮社 1988/5/1発行

星野道夫さんの書棚に残されていたのがこの本だ。
中公新書版が絶版になった後、同じ著者が書き改めたもの。

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2009年7月 5日 (日)

【楽】上々颱風名曲選 I

そのうち買おうと思いながら、そのままになっていたアルバム。
昨夜、花園神社のライブ会場で購入。

これまで発売されたアルバムからのピックアップなので、目新しくない内容なのだが、紅龍氏が曲目解説を書いているというので気にはなっていたのだ。

Shangshang_best上々颱風名曲選 I
 ポニー・キャニオン/M&Iカンパニー
 MYCD-30360 2005年
 2800円(税込)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BU6PY4

(収録曲 全12曲)
愛より青い海/Let it be/ハラホロの涙―GREAT JOURNEY 2001―/心の花/ものみな歌に始まる/けもの道/ヒマワリの海/東京の夜/愛が誰かを呼んでる/平和が戦車でやって来る/青空/いつでも誰かが

アルバム 「上々颱風8」から後の曲が多く、エピック・ソニー時代の古いアルバムの曲がほとんどない。
所属事務所もレコード会社も転籍したので、版権の問題がじゃまをしているのかもしれない。

これからアルバムを聴いてみようという人には、いい内容かもしれない。

もう一枚、過去のシングル盤を収録した名曲集も出ているので、あわせて聴いてみるのもいいと思う。

 GOLDEN☆BEST 上々颱風
  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002206V2C


紅龍氏による曲目解説が、期待していた以上に私にはおもしろかった。
ひと頃、紅龍氏と接する機会が多かったのだが、私は酒を飲まないし、あまりお話をしたことはなかった。
ただ、こういう人なんだなという感じは、私なりにもっている。
人となり、というか。

今回、この解説を読んで、なるほどと思うことが多かった。

「平和が戦車でやってくる」 は昨夜の花園ライブでも演奏されて、いつになくジーンときたものだ。
紅龍氏の一面が強くでている楽曲だと思う。
もっとも、上々颱風の曲のほとんどは、座付作者といっていい(リーダーなんだが)この人の作詞作曲によるもの。
すぐれた楽曲が多い。

楽曲のよさ、プラス、ツイン・ボーカルの歌唱、それにキーボードとリズム・セクションのサポート。
あとはアレンジのよさ(アレンジはメンバー全員のチカラか?)――これらが上々颱風の音楽の魅力を生みだしているのではないか、と私は思っている。


ところで、これが第一集なら、第二集はいつ発売されるんだろう?

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【楽】花園神社 七夕ライブ 2009(続)

昨夜の花園神社野外ライブのことを、もう少し書きたい。
「いいライブだったな」 だけじゃ、あんまりだから。

新宿花園神社の境内は、さほど広くない。

東京新宿鎮座 花園神社
  http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/top/


昨夜のライブでも、私が着いたときは整理番号1000番台の入場を案内していたが、どう見ても1000人も入れるような場所ではない。
何人ぐらいいたのか、見当がつかない。
300とか400ぐらいかな。

明治通り沿いの大鳥居(ここが会場入口)から、ステージのある拝殿まで、距離にして60~70メートルぐらいか(地図ソフトでざっと計測)。
立派な拝殿は階段を登ったところにあり、ステージはその下で、もちろん座席などないからお客は勝手に立って見る。
ステージ下が少し坂になっているので、腰をおろすと上り坂に向かって座るようなもので、とても疲れる。
(とても腰をおろす余裕などないほどステージの前は密集するが、始まるまでは腰をおろして待っていたりする)

ゆるい登り傾斜のせいもあって、ステージのすぐ近くだと、前に立っている人の陰になってあまりよく見えない。
私など背が低いのでなおさらだ。

ステージ全体をよく見るには、ずっと後ろの方、大鳥居と拝殿のなかほどの参道がいい。
このあたりだと、人もまばらだ。
シートを敷いて、座って見ている人もいる。
ベビーカーにこどもを乗せた人が通ったり、バケツが置かれた喫煙コーナーで一服したり、入口近くの売店でアルコール類やおでんなどを買う人も、このあたりにいる。

私は、はじめのうちはステージからすこし離れた、群衆がまばらになるあたりに立っていたが、疲れてくると後ろの広々とした場所に移ることにしている。

暗闇に拝殿下のステージがライトアップされ、幻想的な絵になる。
ステージ全体が見えるのでいい感じだ。

昨夜このブログに 「場の力」 と書いたのは、境内の好きな場所で勝手に見られて、会話も飲み食いも移動も好きなようにできる、祭りの場がもたらす雰囲気だろう。

私の近くに、おもしろいおじさんがいた。
密集した聴衆のなかで、携帯折りたたみ式の椅子の上に立って双眼鏡でステージを眺めていたかと思うと、とつぜん座ってコンビニ弁当を食べはじめた。
ステージの演奏そっちのけで、もくもくと食べていた。
よほどおなかがすいていたのだろう。

こういう光景も、祭りっぽくていい。
上々颱風というバンドがもっている「ちから」は、野外ライブでこそ発揮されるように思う。


入口で配っていたちらしの中の一枚。
椿組の公演がおもしろそうだ。

「新宿ジャカジャカ」 その日ギターは武器になったのか?
 椿組09年夏 花園神社野外劇

  1969年、新宿は熱く燃えていた!
  その新宿西口広場を占拠した
  フォークゲリラ達。
  手にしたのはゲバ棒ではなく、
  やわなフォークギターだった。  (ちらしより)

 椿組のサイト 「椿のこや」
  http://homepage2.nifty.com/tubakigumi/


この境内は、昔から野外演劇の場としても提供されている。
大鳥居を入ってすぐの右側に、大きな仮設芝居小屋を「建築中」だった。

Tsubakigumi_hanazono2009_2Tsubakigumi_hanazono2009_2_3

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2009年7月 4日 (土)

【楽】花園神社 七夕ライブ 2009

いいライブだったな。
きっかり一時間半、アンコールも一曲だけで、ちょっともの足りなかったけれど。

ゲスト・プレーヤー(予告なし)の、ミン・ヨンチさん(チャンゴ演奏)が光っていた。
西川郷子さんのケンガリと、ミンさんのチャンゴの掛け合いなんか、最高だった。

「鳥の歌」(サトちゃんはケンガリ演奏、ミンさんがチャンゴでサポート)や、「町工場の女の子」がよかった。

 Min(ミン) YoungChi(ヨンチ)
  http://www14.ocn.ne.jp/~santa/profile.html
 SANTA“散打” オフィシャル・サイト
  http://www14.ocn.ne.jp/~santa/index.html

 【参考サイト】 チャンゴ(チャングとも言う)、ケンガリ についてはこちら
  http://taakyonguso.hp.infoseek.co.jp/menu6-jp/gwenggwari.htm
 伝統打楽器研究所
  http://taakyonguso.hp.infoseek.co.jp/home.htm

 韓国伝統楽器専門販売店 BBD_SHOP
  http://www.bbdjp.com/index.php


なんといっても花園神社の「場の力」が大きいんだな、と今年も思う。

境内の一画には、準備中の芝居小屋があった。
「椿組」 の芝居があるらしい。
そういえば、去年の夏にはこの芝居小屋で、山崎ハコさんのライブと芝居を観たのだった。

 2008/7/19(土)
 【楽】花園神社(山崎ハコライブと芝居)
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_c064.html


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【読】キムン・カムイとウェン・カムイ

花園神社のライブまで時間があったので、新宿西口のジュンク堂書店に立ち寄った。
さすがに本の数が多い。
理学書コーナーでこんな本をみつけて、購入。

Kayano_kamui『よいクマ わるいクマ』
 ― キムン・カムイ ウェン・カムイ
    見分け方から付き合い方まで ―
 萱野茂 前田菜穂子
 写真 稗田一俊
 北海道新聞社 2006/1/15発行
 259ページ 2400円(税別)

最近読んだ 『ベア・アタックス』 巻末の解説にも、アイヌ語のこの言葉が引用されていた。

キムン・カムイ kimu-un-kamuy (山に住む神) → 熊・ヒグマ
ウェン・カムイ wen-kamuy → 悪い神
 → 畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、人を襲う悪いクマ
(アイヌ語表記は、萱野茂 『アイヌ語辞典』 三省堂を参考にした)

アイヌの人たちがヒグマとの長いつきあいの中で育んだ、クマと人間が共存するための知恵である。


― この本の内容(目次より) ―

第一章 実践編
 出発前の準備/出会わない方法/もしも出会ってしまったら
第二章 応用編
 安全なキャンプ/安全な登山、山菜採り/安全な釣りと狩猟
第三章 アイヌ民族の知恵編
 対談 萱野茂(二風谷アイヌ資料館館長)・前田菜穂子(ヒグマ博物館学芸員)
第四章 基礎知識編
 ヒグマってどんな動物?/ヒグマを知って共に生きよう
第五章 海外編
 対策と成功例/スウェーデンの実践
第六章 資料編
 生物学データ/ヒグマ対策/もっと学びたい人へ


第三章が、ことに興味ぶかい。

北海道に住む人たちにとって、ヒグマとのつきあい方には悩ましいものがある。
これまでは見つけしだい「駆除」するというやり方を続けてきたが、ここにきてようやくクマとの共存・共生を模索しだしたようだ。


― まえがき(はじめに) より ―

<ついに、というか起こるべくしてと言うべきか、ヒグマによる死亡事故がとうとう起きてしまいました。 1999年5月、渡島管内木古内町で、…(中略)…オスのヒグマが、釣り人の男性一人を襲い死亡させ、山菜採りの女性2人に重傷を負わせました。…(略)…>

<このままでは、またこのような悲惨な事態が起きかねません。 クマにとっても人間にとっても悲劇です。>

<悲しいことに、クマを有害獣として駆逐する 「日本の常識的方法」 は 「世界では非常識」 なのですが、現状はそのままです。 でもちょっと待ってください。 人間とヒグマは共存できないのでしょうか。 いいえ、それは可能です。 北海道にはクマと上手に付き合っていた先駆的な人たちがいます。 アイヌ民族の人々です。>

<狩猟民族のアイヌは、ヒグマを 「キムンカムイ(山の神様)として尊敬し、問題を起こすクマを 「ウェンカムイ」(悪い神)と呼んで全く別に扱い、共生してきました。>

萱野茂さんがまだご存命の頃に出版された本。

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【読】魔法の言葉

絶版(あるいは版元品切れ)で手に入りにくいと思っていた本が、Amazonで新本が残っていて、手にはいった。

Kanaseki_oral_poetry_american_india『アメリカ・インディアンの口承詩 ― 魔法としての言葉 ―』
 金関寿夫 著  平凡社ライブラリー
 2000/6/15発行 306ページ 1200円(税別)

Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763472

思潮社刊の単行本の文庫化。
単行本のタイトル 『魔法としての言葉 ―アメリカ・インディアンの口承詩―』 を改題。 といっても順序を変えただけだが。

文庫なので解説が付いている。 詩人の吉増剛造が担当。
単行本の装幀(下の写真)も魅力的だが、この文庫版の表紙もいい。

<彼らは、ヴィジョンを求め、孤独な旅に出る。/苦行の果て、魔法の歌や祈りを持ち帰る。/動植物や人間の尊厳を知るものだけがもつ/深いやさしさにみちた歌――。/これが彼らの歌=詩である。/アメリカ現代詩が見出した<古典>、/先住民族が伝えた口承文学の世界。> (本書カバー)


Kanaseki_oral_poetry単行本
『魔法としての言葉 ―アメリカ・インディアンの口承詩―』
 金関寿夫 著  思潮社
 1988/5/1発行

1993年9月発行の思潮社刊新版はいまも入手可能
(ISBNコード 978-4-7837-1558-0)
e-honサイト
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018877056&Action_id=121&Sza_id=GG


元の本はこれ。
『アメリカ・インディアンの詩』 金関寿夫 中央公論社(中公新書)
 1977年刊 絶版
Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J8TYE6

Kanaseki_america_indian

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【楽】須藤もんさんの映像が…

YOU Tubeにアップされています。

須藤もん/めし 西荻のみ亭バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=McFUI0GbjJw&feature=related


こちらも、どうぞ。

玉井さんのバンド
le eaudemuge/ル・オードムーゲ・酒呑みに明日は無い!!
http://www.youtube.com/watch?v=4Thg5U9Xz4k&NR=1

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2009年7月 3日 (金)

【読】遭遇と襲撃

クマは人を襲う危険な動物なのか?
クマとの遭遇(encounter)が、クマからの攻撃(attack)にすぐに結びつくのか?
クマと人間の共存は、どうすれば可能なのか?

Bear_attacks_2『ベア・アタックス II』
  ― クマはなぜ人を襲うか ―
 S.ヘレロ著 嶋田みどり・大山卓悠 訳
 北海道大学図書刊行会 2000/9/10発行
 全二巻 各2400円(税別)
 521ページ(二巻計)

ページ番号が、二巻通しで振られているのがおもしろい。
下巻(II)は、250ページからはじまる。

膨大な事例をひとつひとつ検証して、クマが人を襲う原因を詳細に分析している。
なによりも、クマを愛する著者の姿勢が好ましい。


<もしクマのために、「ピープル・アタックス」というタイトルの本が書かれていたら、そこにはわれわれヒトという種は典型的な血に飢えた殺人(熊)鬼――攻撃的で、危険で、しばしばクマに致命傷をあたえるもの――として描写されることだろう。>
 (17章 クマの管理 「クマも安全に」 P.428)

<グリズリーもブラックベアも、生態系が機能していくうえで重要な役割をはたしているわけではない。 グリズリーもブラックベアも、私たち人間と同じように、生態的には何でも屋である。 彼らは草を食み、木の若芽を食べ、死肉をむさぼり、また捕食者として機能するものたちである。 …(中略)… すべてのクマを殺したとしても、生態系が崩壊するわけではない。
 しかし、多くの人たちにとって、クマがいなくなったら、世界はもっと貧相なものとなるだろう。 私たちがクマの生存を護っているのは、彼らが自然のなかの不可欠な部分だからではなく、人間の心や身体や魂にはたらきかけてくれるものがあるからだ。>
 (17章 「クマは何の役に立つ?」 P.435-436)

本書のおわりの方に書かれている著者のこの言葉は、星野道夫さんの次の文章を彷彿させる。

<もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。>
<人間はつねに自然を飼い馴らし、支配しようとしてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野生の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それは何と貴重な感覚だろう。 これらのクマは何と貴重なものたちだろう。>
 (星野道夫)


すこし値がはるけれど、とてもいい本だ。
日本語訳も、いい。

巻末に、「解説」として、JBN(Japan Bear Network:日本クマネットワーク)会員三氏による文章を併録。

「日本と北米のクマ対策」 (山中正実:JBN会員・斜里町自然保護係)
「北海道のヒグマ」 (間野 勉:JBN会員・北海道環境科学研究センター野生動物科)
「日本のツキノワグマ」 (羽澄俊裕:JBN会員・(株)野生動物保護管理事務所)


日本語版刊行にあたって著者みずから書き下ろした補章 「星野道夫の死」 も、興味ぶかい内容。
著者によると、星野さんの事故の真相はこうだった。

<……世界的な写真家星野道夫は、1998年8月8日、ヒグマに襲われて死んだ。 星野を殺した雄グマは、彼が愛してやまなかった野生の動物ではなかった。 星野を襲って死にいたらせ、その一部を食べたクマは、それまでにも人間とかかわる経験を重ねていた。 クマは、食物が不適切に保管されているキャビンやその他の場所に押し入ることを学習していた。 ロシアのローカルテレビ局経営者によって意図的に餌づけされていたようでもある。 ……>

また、著者の星野さんに対する敬愛の思いも随所に満ちあふれている。

<星野道夫が撮影したグリズリーやムース(ヘラジカ)、そして野生の地の写真は、私のなかに自然の美や生命の完璧さへの畏敬と霊感を呼び起こしてくれた。 そこには、自然のなかに堆積された悠久の時があった。>

<星野ほど自然を丸ごとらえることのできた写真家は、そうはいないだろう。 広大なツンドラと山々の風景のなかで小さな点景でしかないグリズリーの写真は、クローズアップで体の細部までとらえた写真よりも、グリズリーについてはるかに多くを語っている。>

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2009年7月 1日 (水)

【読】勢古さんの中島みゆき論

勢古浩爾さんの本はずいぶん読んだけれど、この本はなかなか手に入らず、ずっと気になっていた。
Amazonで入手。
楽しみな本が、また一冊増えた。

Seko_miyuki_2『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』
 勢古浩爾  宝島社 1994/2/15発行
 219ページ 1700円(税込) 絶版

― 帯より ―
<中島みゆきの「歌」の強さは、喪愛における哀しみが、あたかも暗闇のなかに閃光を放って世界を一瞬の白光のもとに照らしだすかのように、有頂天で無邪気な愛以上に「愛」の意味と強さを逆説的に明示していることにある。 そのとき同時に鮮やかな陰影のもとに浮き彫りにされるのは、その世界のなかに投企した「ひとりの女」の立ち姿である。>

うーん。
このような持って回った文章は好きではないが、それでも興味津津なのは、勢古さんが中島みゆきをどのように論じているかという一点。
上に引用した部分は勢古さんらしからぬ文章ではあるが、中島みゆきに対する思い入れの強さは伝わってくる。

いろんな人たちが、この偉大な歌い手を論じている。
たとえば、呉智英(くれ・ともふさ)さんは、『バカにつける薬』(双葉文庫)という強烈なタイトルの本のなかで、「中島みゆきは中山みきである」と言いきって、中島みゆきを熱く語っている。
呉さんもまた、中島みゆきの熱烈なファンのひとりである。
「中山みき」とは、あの天理教の教祖。

その冒頭部分。
<中島みゆきは中山みきである! これが私の中島みゆき論だ。 中島みゆきには、時代思潮の転換期にあって新興宗教天理教を成立させた中山みきを想起させる。 時代に屹立した精神がある。 しかし、一般には、中島みゆきという類いまれな才能は、完全な無理解や誤解の中にある。……>

たしかに、中島みゆきは熱烈なファンにとって教祖的な存在と言えるし、実際に「教祖」と(なかば冗談で)呼ぶファンもいるらしい。

私もまた、中島みゆきを敬愛し、同時代の歌い手として注目を続けてきた。
私にとっての中島みゆきの魅力をひとことで言うと、「強さ」だ。

音楽は論じるものではない、という意見もあるだろうが、私はそうは思わない。
どんな事象でも、論理的にとらえることは大切だと思うのだ。
ただし、すぐれた音楽は、ちゃちな音楽論をはるかに超えた次元にあることもたしかだ。

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【楽】東京新聞記事(上々颱風)

毎朝の連載小説と、休日に読書欄を読むぐらいで、ふだんはほとんど読まない新聞。
夕食のとき家人が、「後で夕刊を見てごらんなさい」と言うので、ひょっとしたらと思ったらそうだった。

東京新聞 2009年7月1日(水) 夕刊
 6面 エンターテインメント

 http://www.tokyo-np.co.jp/

土とともに生きる  上々颱風

Tokyo_shinbun_20090701「土とともに生きるというバンドの原点を、不安いっぱいの今、言葉にしてはっきり伝えようとした。自然とともに生きる喜びやワクワク感を呼び覚ませたら」 (白崎映美)

「アスファルトの下は土。 現代人もよろいを脱ぎ心を裸にし、希望を持ってほしい」

ひさしぶりに 「魂の解放」 ができるなあ。
期待は募るのだ。

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