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2009年7月17日 (金)

【読】サバイバル登山家(続)

Hattori_survival_climber_2『サバイバル登山家』 服部文祥 著 みすず書房

e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031728757&Action_id=121&Sza_id=B0

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前回、序章からの引用でおわってしまった。
まだまだ書いておきたいことがある。
といっても、引用ばかりで恐縮だが、服部さんの感じ方、考え方がよくあらわれている箇所を抜きだしてみたい。

I サバイバル登山まで
 満ち足りた世代
 肉屋

II サバイバル登山
 サバイバル始動
  南アルプス大井川源流~三峰川源流 1999.9.5-11

<登山道などがなかったころ、藪を避けられ、アップダウンのない水流の近くが山越の登降路だった。山の民が歩きやすい沢を経験で探し出して伝えてきた。猟師や木こり、もしくはなんらかの理由で関所を越えられない人などがそんな道を使っていた。山小屋も登山道もまともな地図も装備も交通機関もなかった時代に、今よりずっと山深い南アルプスを平気で歩きまわっている人たちがいた。>  (P.56)


 サバイバル生活術

<周辺を確認する。チェックリストがあるわけではない。眺めまわしてなにか心に引っかかってくるものがなければOK。なんとなくやばい気がするからやめておこうとか、なんとなくこっちのほうがよい気がするなんてときの 「なんとなく」 という感覚は大事にしたほうがいい。……僕は言葉に還元できない総合判断だと思っている。もしくは体全体で考えているといってもい。人間は言葉を使って頭でものを考えていると思いがちだが、言葉をもたない野生動物たちもかなりの物事を判断している。>  (P.70-71)

<「サバイバル」といっても、僕らの命を奪おうとする意志をもった何者かが、山のなかにいるわけではない。一方、岩魚は僕らに命をつけねらわれるうえに、反撃の手段はなく、逃げるか食われるかの二通りしかない。人間は生粋のプレデター(捕食者)である。森に住む岩魚を食料とするなら、せめて山のなかで自分に課す負担を多くして、心のかなで岩魚を殺生することを正当化するしかない。負担とは、食料や装備を持っていかないサバイバルであり、ソロであり、長期であり、毛バリであると僕は考えている。>  (P.80-81)

<単独行中に足の骨を折ったらどうするのか、と聞かれることもある。まるで単独行が社会の迷惑であるかのような言いぐさだ。野生動物に 「もし足の骨を折ったら……」 と聞いたら 「死ぬしかないから、そうならないように気をつけています」 と答えるだろう。>


 日高全山ソロサバイバル
  日勝峠~襟裳岬 2003.8.2-26

<何事もフェアにやりたいだけだった。自分の力でやりたかった。自分でできないときにはじめて、その行為や結果に値する代価を払って解決する。……僕は自分がきらいなシステムのなかで生きている人間なのだ。それをごまかすために山に向かう。大自然のなかに入りこみ、そこで自分の力を試して帰ってくる。>


III 冬黒部

 黒部とは
 二一世紀豪雪
  北アルプス上ノ廊下横断~北薬師岳東稜 2000.12.28-2001.1.7
 三つの初登攀
  北アルプス黒部川横断 黒部別山中尾根主稜~八ツ峰北面滝ノ谷下部氷瀑~八ツ峰北面袖ノ稜
  2002.3.16-26

<黒部に入るといつも場違いな気分に包まれる。それは自分の生命があまりに無防備であるということをリアルに思い知らされるためだ。自分が、血と肉となまぐさい内臓を皮膚という柔らかい袋に詰め込んだ装置にすぎないということが、黒部ではばれてしまうのである。ちょっとしたミスや大自然の些細な衝撃で袋はバシャンと割れ、僕は簡単に死ぬ。>  (P.214)

<富山のビジネスホテルで浅い眠りから目覚めた。……/外は予報どおり大粒の雨だった。剱岳は吹雪だろう。部屋には、二週間命を預けてきた装備と、昨夜くだらないテレビを見ながら食べたお菓子の袋が散乱していた。……/「自我」という現代社会では何よりも強いものが、死の恐怖をまえに縮みあがり、ときには消えてしまう。下山後は些細な欲をあえて満たすことで、僕らは自我と街の生活をとりもどしていく。>

<自然には意志も過ちもなく、純粋な危険があるだけだ。その危険に身を晒す行為に、情緒と感傷をくすぐる甘い香りが漂っている。>  (P.242)


 日高のあとの話、もしくはちょっと長いあとがき

<やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食料の調達をあきらめてスーパーに買いにいき、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院にいく。/僕は街にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。>  (P.250)



読んでいて、私はふと、星野道夫さんを思いだした。
体の奥まで響いてくるような書物だった。

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