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2009年7月26日 (日)

【山】トムラウシ山周辺

1960年代末、高校2年から3年にかけて、北海道旭川の某高校山岳部にいた。
私が山岳部にはいったきっかけは、1年生のときの集団登山(大雪山系)で山の魅力にとりつかれたからだった。
2年生で新入部員となり、初めての本格的な登山は、春(5月連休だったか)の十勝岳連峰(北部)残雪期登山だった。

白金温泉(望岳台)から美瑛岳のふもとをまわって、美瑛富士避難小屋に泊まり、翌日、美瑛富士、オプタテシケに登って白金温泉に下山する、というものだったと記憶している。
部の共同装備だった大きなピッケルを持ち(持たされ)、足元はキャラバンシューズだった。
行程のほとんどが残雪の上を歩くものだったから、キャラバンシューズではきつかったが、その当時は革靴など買えなかったのだ。

美瑛富士避難小屋に到着したのは、日も暮れたあとで、満員の避難小屋の中でなんとか寝場所を確保、テントをかぶって寝たことを憶えている。
いま思いかえすとずいぶん危ないことをしていたものだが、山岳部の先輩を全面的に信頼していたから不安はなかった。
いざとなればビバークできるだけの装備(テント、火器、食料)も持っていた。

翌朝はよく晴れて、残雪の上を歩いて美瑛富士山頂へ、その後、オプタテシケのピークまで歩いた記憶は、いまもしっかり残っている。

ところで、今回の遭難現場、トムラウシ山へは、高校在学中もその後も、とうとう行くことができなかった。
奥深い山でアプローチが長いため、あきらめてしまった。
私にとっては、いまも憧憬の山である。
そういうこともあって、今回の遭難には尋常ではない関心をもっている。


■トムラウシ山周辺

Hokkaidou_natsuyama_guide2『北海道 夏山ガイド 2』 中央高地の山やま<上>
  (旭岳、黒岳、北鎮岳、白雲岳、トムラウシ山など)
 北海道新聞社 1990年刊

古いガイドブックなので、掲載情報はやや古いかもしれないが、トムラウシ周辺はそれほど変わっていないと思う。
ヒサゴ沼避難小屋の写真もある。
北海道の避難小屋に多い石室(いしむろ)だったが、1982年夏に新設されたもの。
その後27年経過し、ネット記事などでみると現在は老朽化がすすんでいるようだ。

「トムラウシ」は、もちろんアイヌ語だが、語源には定説がないようだ。
北道邦彦さんは、次のように解釈している。

<トムラウシ山 石狩山地にあるトムラウシ山は、十勝川の上流部にあるトムラウシ川に基づく山である。トムラウシという名称は難解地名とされ、いまだに定説がない。…(中略)…松浦武四郎その他の古い記録は 「トンラウシ」 と記しているが、明治中期以後 「トムラウシ」 と表記されるようになったようだ。 「トンラ」 はtonraであろうから、それから推すと 「トムラ」 はtomraが考えられる。(後略)>
<以上から、トムラウシは 「Tomra トラ(緑色の藻類) usウ(群生する) iイ(所) と解釈したい。>
 (北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』 朝日選書)


■今回の遭難現場 (トムラウシ温泉への下山途中の死亡者を除く)

画像 『北海道 夏山ガイド 2』 北海道新聞社 (P.188-189, 194-195) より転載

Tomuraushi_map4人が亡くなり3人が救助された「北沼分岐」付近の場所が、イラストからよくわかる(イラスト上部、トムラウシ山頂の手前)。
ヒサゴ沼避難小屋から「北沼分岐」(トムラウシ山頂への道と巻き道の分岐)あたりまで、険しい岩稜帯が続くようだ。
吹きっさらしの岩場の連続で、ルートも不明瞭だ。
ガイドブックのイラストからも想像できる。
途中には 「ロックガーデン」という本格的な岩場もある。
天気がよければ、見晴らしのいいすばらしいコースだろうが、悪天時(とくに強風時)にはひどいことになりそうだ。

<ヒサゴのコルからヒサゴ沼は岩の多い沢地形越しによく見える。(中略)/ここで合流した道は、さっそくトムラウシ山名物の巨岩帯の歩行となる。ヒサゴのコルからの登りは短いが、この先は複雑な凹凸を繰り返す溶岩台地だ。時には美しいお花畑を展開し、天沼などの沼が出現し、岩だけのロックガーデンを展開するなど、美しい景観を見せてくれる。/しかし繰り返し現れる岩場では道の確認が難しく、視界が良くても間違いやすい。(中略)/日本庭園を過ぎると一段と高くなった2000メートル台地への登りがある。この登り斜面は岩石地帯でロックガーデンと呼ばれる。……>
 ― 『北海道 夏山ガイド 2』 北海道新聞社 P.190-195 「ヒサゴのコルからトムラウシ山へ」 より抜粋 ―


Tomuraushi_map2悪天候のなかを、ここ(北沼付近)からヒサゴ沼避難小屋まで引き返すのは、そうとう厳しく、決断に迷うところだろう。
(コースタイムでは避難小屋まで戻るのに2時間ほどだが、このパーティーはここに来るまで5~6時間もかかっている)

しかし、その先(トムラウシ温泉下山口まで)の困難、パーティーの体力、疲労度、当時の気象状況などを吟味すれば、動ける人だけでも避難小屋まで戻るという選択は有効だったように思える。
(避難小屋には、ガイド、あるいは添乗員の一人が次のツアー客を待つために残っていたから、若干の装備・食料はあったはずだし、なによりも風雨を避けられる安全な場所だ)

行動パーティーを分断することは、相互扶助(全員の衣類や食料の分配による助け合い)の可能性を低める。
このパーティはテントやツェルトといった、ビバークのための装備が十分だったとは思えないが、ストーブ類の火器は持っていたはずだから、設営したテント等で本格的なビバークを覚悟すべきではなかったか。

人数が多すぎるために、全員がビバークすることは不可能との判断だったのか。
それとも、「下山できる人だけでも下山して、救助要請する」という決断を、ガイドたちはくだしたのか。

いずれにしても、悪天をついて避難小屋を出発してしまったのだから、この時点(さらに言えば、これよりも前、最初の一人が歩けなくなった時点)が、大きな判断分岐点だったと思う。
結果論ではあるが、その後、無理をして行動を続けることにより、どんどん体力を消耗していき、死者を増やしてしまったように見える。
救助要請のための下山、あるいは携帯電話が通じる場所までの下降、ということであれば、ガイドのうちの一人だけがすみやかに行動すべきだったのではないのか。

たくさんの「?(ハテナ)」を感じる、このパーティーの今回の行動。
私なりに、これからも詳しい情報を収集し、考えてみたい。


■参考サイト■

のんびり歩く大雪山
http://www.ne.jp/asahi/slowly-hike/daisetsuzan/index.html

 ※ このサイトは、2007/7/26を最終更新日として更新を停止しているようだ。
  掲載情報を参考にされる場合はご注意願いたい。
  内容がしっかりしていて信頼できる個人サイトだと思う。

  過去の完全版(ミラーサイト) の入口はこちら
   http://taisetsuzan.web.fc2.com/
    ※ 下記ページは、このサイト内

・美瑛富士避難小屋写真
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/13camp/10bieifujikoya.html
 1969年、私たちが泊まったときの小屋(旧避難小屋)の様子がわかった。
 その後建て替えられたことも。

・ヒサゴ沼避難小屋キャンプ指定地
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/13camp/06hisagokoya.html

・安全登山のために/遭難事故一覧
 大雪山登山データ
http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/frame.html
  → 安全登山のために 遭難事故一覧   http://taisetsuzan.web.fc2.com/02taisetudata/04sonanjiko/anzentozan.html


■追記■

(2009/7/26夜)
トムラウシ山南の「南沼」(巻き道とトムラウシ山からの登山道の合流点)から先、トムラウシ温泉までの下山路も簡単な道ではなかったようだ、ということがわかった。
今回のパーティのリーダーだったガイドたちが、どの程度、下山路の難しさを考慮していたのだろうか。
実際に、南沼から下の登山道で、このパーティーのうち、ガイド1人を含めた6人が動けなくなっており、4人が亡くなっている。

http://subeight.wordpress.com/ より
 → http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/kikaku.gif

 南沼  登山客1名死亡 (他に、単独登山者1名死亡)
 前トム平  登山客3名死亡、1名救助
 コマドリ沢分岐  ガイド1名(松本仁さん)救助

前トム平の状況が、下山組のなかでも悲惨だ(4名中、1名だけがかろうじて救助された様子)。
命からがら、といった感じで自力下山に成功して一命をとりとめた方が、5人。

整理すると、山中死亡者8人(うちガイド1人)、救助されたのが5人(うちガイド2人)、自力下山に成功したのが5人。 計18人である。
このうち、北沼付近に残ったのが7人(うち4人死亡=ガイド1人と登山客3人)。

北沼から先は、ガイドによる統制は完全に破綻してしまい(下山できる人はそれぞれ自力で下山した)、ばらばらの行動になってしまっている。
はじめ、ガイドの一人(松本仁さん)が引率する形で下山を開始したものの、すぐに隊形はばらけてしまっている。
最終的に、ガイドの松本さん自身も動けなくなっている。
自力下山できた人たちも、途中でビバークしたりしている。
北沼から先の下山途中で亡くなった方が4人、ということの持つ意味は大きい。

結果論と言われるかもしれないが、私が、もっと早い時点でまとまった行動(ビバーク、あるいは避難小屋への退却)がとれなかったのかと残念に思うのは、この下山路の厳しさを知ったためである。
ガイドたちは、下山ルートについてどれほど事前調査をし、困難を予測していたのだろうか。
大きな疑問である。

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