【山】危険なツアー登山
7月16日に北海道のトムラウシ山系で起きた遭難事故。
今日(7/18)の東京新聞朝刊、「こちら特報部」につっこんだ記事が載っていたのを読んで、詳しいことがわかった。
東京新聞は北海道新聞とのつながりもあるし、「岳人」という山岳雑誌も出版しているから、この記事の内容もしっかりしていると思う。
今後、山岳雑誌などで詳しい検証がされると思うが、今の時点でわかったことをもとに書いておこう。東京新聞 2009年7月18日(土曜日)
朝刊 24・25面
「こちら特報部」 大雪山系ツアー なぜ強行
安さで安全置き去り?
初対面 力量不明、意志疎通難しく
悪天 予備日設定されず
業者間競合 「無理」と言えぬ
今回のトムラウシ山ツアーのパンフレットが写真で掲載されている。
その内容。
大雪山 旭岳からトムラウシ山縦走
北海道最高峰の旭岳から歩き始め、大スケールの景観が広がる縦走路を
「遥かなる山」 トムラウシ山へ、無人小屋に泊まりながら縦走します。
縦走ならではの魅力が凝縮された例年満席の大人気コースです。
お申し込みはお早目に!
期日:7/13(月)~17(金)
代金:152,000円
食(食事) 朝2、昼1、夜2食付
催(最少催行人数) 10名 /限定15名/対象 70歳以下
行(行程) ②12.5k・8時間・累積1780m
③16.5k・10時間・累積1570m
④12.5k・10時間半・累積1880m
補(補足) ②③泊目は寝袋と食料が必要になります。
準備及び運搬は各自にてお願い致します。
お湯は弊社スタッフがご用意致します。
なお、各無人小屋の混雑状況によってはテント泊になる場合もございます。
テントは弊社にて準備致しますが、一部運搬のご協力をお願いする場合も
ございます。 あらかじめご了承下さい。
注 参加資格:帰着日時点で70歳以下の方。
「累積」の意味がよくわからないが、累積標高差だろうか。
行程は次のとおりである。
1日目 中部(空港)(10:00頃発) (飛行機) 千歳=旭岳温泉・旅(泊)
2日目 ロープウェイ―姿見(1600m)・・・大雪山/旭岳(2290m)
・・・北海岳・・・白雲岳・・・白雲岳避難小屋(1990m・泊)
3日目 高根ヶ原・・・忠別岳・・・五色岳・・・ヒサゴ沼避難小屋(1600m・泊)
4日目 トムラウシ山(2141m)・・・前トム平・・・カムイ天上・・・
短縮登山口(965m)=トムラウシ温泉・国(泊)
5日目 =千歳 (飛行機) 中部(17:00頃着)
山中二泊三日(いずれも避難小屋泊)、予備日なしのハードな日程である。
この山域はよく知っているが、営業小屋がなくテント場も限られているため、どうしても一日の行程が長くなる。
私が個人で行くとしたら、こういう行程はとりたくない。
技術的に難しいコースではないが、体力的にはかなりきびしい。
営業小屋泊まりではないから、寝袋や食料など個人装備も多かったと思われる。
ツアー登山「客」15人に、ガイドが4人ついていたが、いわゆる雇われガイドである。
ガイド資格に国家資格はなく、社団法人・日本山岳ガイド協会と、社団法人・日本アルパイン・ガイド協会の発行する認定資格がある。
今回、ガイド一人も死亡しているが、前者の資格を持っていたという。
<ガイドたちが登山計画を強行した理由はまだ分からないが、山田さんは「独立したガイドで、生計を営んでいるのは全国でも十数人。他のガイドは企業の雇われで、引き返せば、客の不満から仕事が来なくなるという不安を耳にする。今回もそんな背景があったかもしれない」と考える。> (記事より)
※ 山田さんとは、東京都武蔵野市で山岳ガイド「風の谷」を主宰する登山家、ガイドの山田哲哉さん。
このツアーに同行したガイドは四人。
そのうち一人だけが、この行程を十数回経験していたが、他二人は同社のガイドとして初行程。
もう一人、ネパール人のガイドは、「次のツアー客の到着を待つ」ために、最終日の小屋(ヒサゴ沼避難小屋)に残った。
※東京新聞7/18朝刊 27面記事の情報とあわせてわかったこと。
さて、私の考えをかんたんに書くと、こうだ――。
登山は観光とちがって、一般公募のツアーという形態をとるべきではない。
プロのガイドがついていても、荷物をもってくれるわけでも、背負ってくれるわけでもない。
あくまでも道案内と考えるべき。
じぶんの足で、じぶんの力量にあわせた山歩きをしないと、危険だ。
けっして、亡くなった方々に鞭打つわけではないが、このツアー登山そのものが招いた事故だったと思う。
過去に何度も催行されたツアー・コースかもしれないが、天候に恵まれ、参加者の体力、体調がよければ事故は起きないだろうが、危険度の高い行程だったのではないか。
予備日もなく、おそらく全員がビバークできるだけの準備もなかっただろうと思う。
そういう危険度を、参加した人たちがどれほど認識していたのか。
ガイドに「連れていってもらう」という登山は、やはり危ない。
自分で計画し、自分で責任を持つことが、「登山客」ではなく「登山者」としてたいせつなことだと思う。
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コメント
ご無沙汰しています。
最近、こういう遭難、よく見かけますね。
今年は残雪が多いみたいですね。
先日行った五竜も遠見尾根にかなりの雪渓もどきが残っていました。
北海道の大雪山系だと相当ありそうですよね。
コース時間で10時間以上というのはかなり健脚向けだと思いますが、
百名山ブーム、そして日程に余裕のない計画が招いた事故でしょう。
万一の時、停滞出来る余裕が欲しいですが、
ツアーだと全員の承認を取るのが難しそうです。
私がツアー登山には参加したくない理由の一つです。
投稿: 黒豹の保安官 | 2009年7月18日 (土) 09時56分
昨年も、富良野岳で雪崩で多くの人が亡くなりました。
昨日、私はこのニュースを旅先のサハリンで知り、フェリーで帰国した稚内から車で旭川へもどった時、夕暮れに映えるトムラウシを見ました。
山は美しいですが、こうした遭難はいつでも起きうることです。亡くなった方を追悼するとともに、こうした事故が出来るだけ起きないように努めて行きたいですね。
投稿: 玄柊 | 2009年7月18日 (土) 11時42分
日帰り温泉で全国紙2紙の報道を読んでいます。
前日までの無理な行程で疲労がたまっていたところに悪天候が重なり、さらにパーティーがばらばらになったことが決定的だったようです。
最初の一人が動けなくなった時点でビバークして救助要請すべきでした。
亡くなった方々がお気の毒です。
考えるべきことが多い事故です。
投稿: やまおじさん携帯 | 2009年7月18日 (土) 15時29分
>黒豹の保安官さん
写真で見るかぎり残雪の量はそれほどでもなさそうですが、寒さがひどかったようですね。
北海道の2000メートル級山岳は、本州の3000メートル級に匹敵しますので、かなり厳しい条件下での登山だったのではないでしょうか。
いくつかの選択の間違いが引き起こした事故のように思います。
そもそもの日程計画の是非をひとまず措くと・・・
1.開始時点での判断(中止できたのでは?)
2.白雲岳避難小屋での判断(ここから下山も可能だった)
3.ヒサゴ沼避難小屋出発時点での判断(停滞できた)
4.最初に動けなくなった人が出た時点での判断(テントを持っていたのだから、全員ここでビバークして様子を見ることもできたはず)
これらの判断チャンスをことごとくつぶして、強引とも言える下山を急いだ行為(しかも、パーティーをバラバラにするという最悪の事態をまねいた)の責任は、ガイドにあると思います。
それ以前に、ツアーを主催した旅行会社の杜撰さにはあきれてしまいますが。
投稿: やまおじさん | 2009年7月18日 (土) 23時57分
>玄柊さん
サハリンでニュースをお知りになった時は、驚かれたことでしょう。
今回の事故は、富良野岳の雪崩事故とちがい、かなり人為的な原因が大きいと思います。
無理な行程に悪天候が重なるという最悪な事態を招いたのは、主催側とガイドの判断の甘さですね。
こういうツアーは、早くやめてもらいたいと思います。
トムラウシは、美しい山ですが、やはり厳しい山ですね。
私は北海道にいた時に登りたいと思いながら、アプローチの長さからあきらめました。
忠別岳とオプタテシケの間は、そんなわけで歩いていません。
こういう遭難をなくすには、登山の在り方から考え直さないといけないと私は思います。
このところの中高年の登山ブーム、百名山ブームは常軌を逸していますから。
投稿: やまおじさん | 2009年7月19日 (日) 00時05分
7/19に書いたコメント内容の一部訂正です。
>忠別岳とオプタテシケの間は、そんなわけで歩いていません。
→化雲岳から小化雲(ポンカウン)を通って天人峽温泉へのコースを下山しました。
高校三年の時の秋だったと記憶しています。
下山途中でヒグマの糞を見ました。
忠別岳避難小屋(ほとんど崩壊してビニールハウスだった)に泊まりました。
化雲岳からもうちょっと南へ行けば、ヒサゴ沼です。
当時もトムラウシは奥深い山でした。
オプタテシケの山頂までは、高校二年の春に山岳部の山行で美瑛富士避難小屋から往復しました。
いつか、オプタテシケと化雲岳のあいだ(トムラウシを含む)を歩いてみたいと思いながら、いまだに果たせません。
投稿: やまおじさん | 2009年7月21日 (火) 14時54分