今日から読みはじめたばかりで、まだ40ページほどしか読んでいないけれど、期待していた以上におもしろい。
『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
文春新書655 2008/9/20
770円(税別)
まえがき(序章 山手線の男)から、興味ぶかいエピソードが語られる。
私にも経験があるが、混雑する電車のなかにひと所だけ人が寄らない空間ができていることがある。
そこには、煮しめたような服をまとい、シートをひとりじめして眠っている人がいる。
まわりには、ぷーんと、異臭がただよっていたりする。
いまは 「ホームレス」 などという、なんだかインチキくさい呼び方になっているが、こどもの頃、ルンペンとかホイト(私の田舎ではそう言っていた)と呼ばれる、住む家をもたない人がけっこういたものだ。
いまでも、街でみかけることがある。
著者の塩見さんは、こどもの頃からそういう人たちに、人一倍魅かれていたという。
<わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方がない。自分でも理解できないのだが、戦後すぐのころに幼少期をすごしたからだろうか。まわりにはいつも戦災孤児がぶらついていたし、白衣か軍服の傷痍軍人がいた。おさない子の手を引きながらゴミ箱を漁っている母親も見た。みだれた白髪の老婆が闇市で食べ物のかけらをさがいていた。少年のわたしも着の身着のままでハダシだったが、かれらから目が離せなくなる。じっと観察している。> (本書 「序章 山手線の男」)
<日比谷公園で、隅田川河畔で、山谷掘のあたりで、すこしむかしのことだが、わたしはなんどか路上生活者と会話をかわしている。世間話ですむこともあれば、酒かタバコをねだられるケースもあった。たまに険悪な雰囲気になったが、それはかれらが泥酔しているときだけだ。ふしぎなのは、ふつうに話すことができても理解がいっこうにふかまらない。ディスコミュニケーションを確認する結果になった。……> (同上)
― 目次より ―
序章 山手線の男
一章 混乱と衰微の首都
こじきの新都/三田救育所と浪人保育所/明治二年の大窮状/麹町と高輪の救育所/町会所と寄場と溜
二章 困窮民を救え
維新後の町会所/営繕会議所/露国皇太子来朝/浅草溜時代/工作所と日雇会社
三章 さまよう養育院
上野護国院時代/育児院や訓蒙院の誕生/神田和泉町へ/渋沢栄一のたたかい/本所長岡町時代
四章 帝都の最底辺
四大スラム――鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町/感化院と全生園/孤児救済と救世軍/大塚本院と別院/スラムの賀川豊彦
五章 近現代の暗黒行政
関東大震災と移転/『何が彼女をそうさせたか』/戦時下の養育院/一億の浮浪者/いじめと無策の果て
終章 小雨にふるえる路上生活者
この目次をながめて興味のわく人は少ないと思うが、ほー、と思われた方は、ぜひ書店や図書館で手にとっていただきたいと思う。
べつに、誰かれかまわず推奨する気はないが。
この本には浅草弾左衛門(十三代、弾直樹)の名もでてくる。
(江戸時代に関東地方の賤民を統括)
街を歩けば、きらびやかな服装をまとい、お金に困っていない顔をした人びとばかりだが、いまの東京も、この本に書かれた時代とさほど変わっていないと思う。
ひと皮むけば――のはなしだが。
ちょうど、きれいに舗装された街のアスファルトやコンクリートをはがせば、そのすぐ下には、昔から堆積された地層があるように。
ふと、いま、こんな詩をおもいだした。
高田渡さんが、すこし歌詞を変えて歌にしている。
歩き疲れては、
夜空と陸との隙間に潜り込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。
山之口貘 「生活の柄」
(思潮社 現代詩文庫 1029 「山之口貘詩集」)
山之口貘(1903-1964)という沖縄出身の詩人も、若いころ、土管のなかで寝るような生活をしていたという。
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