【読】読了 『貧民の帝都』(塩見鮮一郎)
これも日数がかかったが、今日、帰りの電車のなかでようやく読みおえた。『貧民の帝都』 塩見鮮一郎
文春新書 2008/9/20刊
251ページ 770円(税別)
東京養育院という、明治5年(1872)に創設され、平成9年(1997)まであった施設の歴史を詳細に綴った本だ。
この施設は、「首都の窮民や、病者、障害者や老人の救済」を目的としたものだった。
著者は、まえがきでこう言う。
<養育院の創設を福祉関係の人がかたるとき、しばしば非人の組織との関連が無視される。ふれてもお座なりで、お茶をにごしている。その悪弊を廃し、江戸とのつながりをここでは明確にしたい。養育院は文明開化のもとでの「鬼っこ」、富国強兵の「足手まとい」として存在したが、やがて市民社会になくてはならない一時期がくる。その変遷と変質の意味を問い、大都市がいやおうなく抱えこむ無収入・無住居の人びと、こじきとかルンペンとか浮浪者、いまではホームレスなどと呼ばれる難民について考えた。> (本書 P.3)
とても真面目な内容なので、読み通すのはちょっとしんどかった。
終章 「小雨にふるえる路上生活者」 という文章が、私の胸を打った。
すこし長くなるが、転載して紹介したい。
<春なのに強烈な低気圧が接近して荒れ模様だ。マフラーをしてくればよかったと、老人のわたしは思った。駅を出てすぐに高速道路の下の横断歩道をわたった。霧雨がふりはじめて空気がつめたい。むこうからくる人が傘をさしている。わたしは折りたたみの傘をバッグから出すかどうかまよったが、待ち合わせの場所はすぐそこなので足をはやめた。中央分離帯のスペースに黒っぽい姿があった。歳は五十か六十か、男はかじかんだ手で足にビニールの透明なふくろをまきつけ、高架のわきからふきこんでくる雨つぶてをよけようとしている。>
<「さむいね」 目があったので小声でいった。 男に反応はない。言葉が通じるだろうかという躊躇がこちらにあるのとおなじで、むこうもなにも期待していないし、つよい警戒心をいだいている。路上生活者にとって、わたしは別世界にいる別種の人間で、いつ高圧的になるかしれない。おたがバリアで体と精神を守りながら相手をみているのだから、コミュニケーションの成立はむつかしい。男の髪はもじゃもじゃに乱れてべとつき、顔も黒くよごれていたが、目にはまっとうな光があった。なぜもっとあたたかいところをさがさないのか。こんなふきっさらしのコンクリートの地面では段ボールすらなくては、真冬でなくても凍死する。そんな腹立ちが生まれたが、わたしは赤信号になるまえに横断歩道をわたろうといそいだ。>
<目的の店に入り、あたたかい空気につつまれてから、不意に悔恨の情にとらわれた。ああ、なんで千円札の一枚をわたして、「酒でも買って体をあたためてくれ」といわなかったのだろう。あのときなにかしてあげたいと心のどこかが叫んでいたのに、それをしなかったのは、そうする習慣がいまの社会にないという、ただそれだけのことだ。母が花売りからだまって野の草を買ったように、仏教のほどこしの文化がまだのこっていたならカネをすなおにわたせた。>
<「同情」とか「あわれみ」の気持を封じるものが近代の思想にはかくされていた。個人主義の社会を確立するためには、べたっとした温情主義をつよく批判する必要があったのかもしれない。……>
<……小雨がぱらつくなかでふるえている男になにがしかの援助をするのはけっしてまちがいではない。ワンカップの酒が一夜の延命にしか役にたたない対症療法にすぎなくても、そうしないよりはしたほうがいい。拒絶するかどうかはむこうの考えにまかされるから、人格の尊厳はまもられる。わたしが路上にうずくまる側ならば、涙がでるほどうれしいだろう。「ありがとうございます」と、頭をふかくさげていただく。> (本書 P.239~242より)
私が、塩見さんと同じ場面に遭遇したら、どのように感じ、行動しただろうか。
千円札一枚を、ごく自然に、この路上生活者に「恵む」ことができるだろうか。
私もまた、そういう行為を「偽善的」だと考えて、自分のこころに自然に生じた「同情」「あわれみ」の感情に蓋をし、見なかったことにして通り過ぎてしまうだろうか。
暖かい店にはいって、こころの片隅にひっかかった、垢だらけの男のことを気にかけるだろうか。
それとも、何も感じないのだろうか。
この本を読みおえて、しばらく考えさせられたのである。
いつから、この国では、困っている人を見捨てるようになってしまったのだろう。
「助けあい」 という言葉は、死語になってしまったのか――なんて、おおげさなことも考えてしまった。
さて、次は、軽めの本にしよう。疲れた。
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