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2010年5月21日 (金)

【読】自分に酔う人、酔わない人

これも、勢古浩爾さんの本のタイトル。
おもしろかったな。

Seko_youhito勢古浩爾 『自分に酔う人、酔わない人』
 PHP新書 2007/7/2発行
 211ページ 700円(税別)

<オレは修羅場を踏んできたと大物ぶる者、過ちを認めずに開きなおる者、弱音を吐いて同情を誘う者、仲間が集まると急に気が大きくなる者。――自分に酔って恥じることなき懲りない人々。
「自分」という酒にうっとりするためなら、他人の感情なんて気にせず平気で蹴落とす。なぜなら自分は特別なのだから、と妄想的なのぼせ酔い。なにを根拠にそこまで下品になれるのか。先に酔った者勝ちだといわんばかりに、ますますオダをあげる彼らとどうつきあうか。他人の"酔態"見て、わが"酔態"直せ! 現代「自己陶酔」白書。> (カバーより)

多少八つ当たりのきらいもあるが、いつもの勢古節が痛快。

この本の主題は、「酒に酔う」ことではなく、「飲まずして自分に酔う」ことなのだが、いつのまにか酒飲みの話にズレていくところが、おかしい。

勢古さんは酒を飲まない。
いわゆる「下戸」で、この私もそうだ。
だから、しょうもない酒飲みの酔態をこきおろす勢古さんの文章が、私にはきもちいい。

<「オレの酒が飲めないのか」とすごむ前世紀の遺物のようなバカが絶滅したわけではないけれども、さすがに数としては減っているようである。考えるまでもなく、いいことである。酒は好きな者が飲めばいい。酒とはそれだけのものだ。交流を親和化し、互いが楽しい時間を共有するための酒に、「オレの酒が飲めないのか」などという強制は、もともと存在してはならないものなのだ。> (6 強制酒の章 P.130)

<楽しく飲むための酒が、酒の強制によって、他人にとっては苦痛になる。「ノリ」が悪い、空気を読め、とのアホ発言。いやだ、といえない社会。これらの主役が個人ならまだいい。「てめえの酒なんか飲めるか」と個人レベルで対抗すればいいからである。対抗すればいいとはいっても、その相手が先輩、上司、得意先、怖い相手なら、そう簡単ではないことはわかっている。> (同 P.136)

<2006年7月、専修大学の軟式野球サークルの合宿で、一気飲みした19歳の学生が死ぬという事件が起きた。……> (同 P.137)

なんだかなあ。
いまだに、若いモンはこんなことをやっているのか。


<酒飲みにとって、酒を飲まない人間がそばにいると、なんとなく不愉快なようである。座をしらけさす元凶のような目で見る。一緒になってその場を共有しない人間がうとましいのだろう。けれども、酒を飲む飲まないは、涙とおなじように、その人間の何物をも証明しない。もともと体質の問題であり、たかが好悪の問題でしかない。酒を飲もうが飲むまいが、立派な者は立派で、バカはバカである。……> (8 下戸の章 P.180)


ところで、「下戸」というのも、妙な言葉だ。

<さてここに、酔おうにも酔えない人間がいる。なにしろ、酔う前にそもそも酒が飲めない。生レバーや温泉タマゴや豚足が嫌いなように、酒が嫌いなのだ。このような人間は、下戸、と呼ばれる。げこ、である。なんなのだろう、この座りの悪いみじめったらしい呼び名は。それにくらべて、酒飲みは上戸。じょうご、である。これまたしっくりしない言葉である。けれどもしかたがないのである。勝手に死語にするわけにはいかない。> (8 下戸の章 P.179-180)

「座りの悪いみじめったらしい呼び名」 には、おもわず笑ってしまった。


勢古さんの著書のなかでは、星三つ(★★★)といったところか。

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