« 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論 | トップページ | 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論(続々) »

2010年5月28日 (金)

【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論(続)

Seko_miyuki_3しつこく続くのだ。
勢古さんの中島みゆき「論」を、さらに論じるつもりはさらさらない。
というか、私の手にあまる。

私が読んで、なるほどと思った個所を引用(というより転載に近いか)しておこう。
ただし、全6章のうち四章まで。

引用の羅列は、読んでくださっている方には退屈なのを承知で。
この本のエッセンス――かどうか自信はないが、私が同意でき、納得できた部分――をいくつか抜き出しておきたい思うのだ。

また、世間で誤解されることの多い(と私は思っている)、中島みゆきという類い稀な才能を弁護したいきもちも多少ある。
当のみゆきさんからは、よけいなお世話と言われそうだが……。

どうしても引用が長くなるのは、この本が入手しにくいということも理由のひとつだが(Amazonで入手可能)、内容を要約する能力が私には決定的に欠けているせいもある。
さすがに、ここまで書き写してしまうと「著作権」に抵触するかもしれないが……どうか、あしからず。


勢古浩爾 『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』 (宝島社・1994年) より

<中島みゆきは愚直なまでにひとつのテーマを変奏する。振りむかれない愛。あるいは置き去りにされた愛。それをここでも失恋とはいわずにあえて喪愛といってみる。くどいようだが、それがたんに相愛からの失墜を意味しているだけではなく、本質的にはあらかじめ喪われた愛、不可能な愛を想起させるからである。>
(第一章 女心 P.34)

<中島みゆきの歌は女心の揺れ動きの負の側面だけを強調した歌のように思われてきた。恨み、嘆き、嫉妬し、自責する暗い情念だけの歌のように思われてきた。口を開けばふられたと歌い、忘れないでと歌い、うらみますと歌うのがとてもやりきれぬとばかりに、男のみならず女までもがそのように中島みゆきを聞いて分かったつもりになった。ようするにふられ女の暗い繰り言ではないかときめつけて、自分はそのような「暗さ」とは無縁の「明るい」人間だと思いたがった。/中島みゆきのそのような一面は肯定されてかまわない。だがわたしは彼女の歌を「暗い」と思ったことはただの一度もない。……しかしまあ「暗い」だの「明るい」だのとわたしたちはつまらぬことを言いあっているが、それもいうなら日本人全体がどうしようもなく「暗い」民族ではないか。中島が歌っているように「みんなモンゴリアン区別がつきません」(「ショウ・タイム」)ではないだろうか。>
(第二章 背後 P.72-)

<不可能であることを薄々承知しながら、それでも愛に確証を求める。それはわたしたちが本質的に、自分自身という存在と、自分の人生にたいする確証と承認と保証を求めているからである。それも唯一性として。>
(第三章 恋愛 P.86)

<いうまでもなく歌の秩序のなかの優秀な作曲家や作詩家や歌い手は数多く存在した。いまでも存在するだろう。……中島みゆきはその詞と曲と歌声のすべてを統合することのできた数少ないアーティストの一人であり、歌の秩序の内部での傑出性においても群を抜いているといってよい。しかし中島をそこからさらに浮上させているものは、しつこいようだが彼女だけがなおかつ歌の秩序を超越しうるほとんど唯一にして無二の存在だからである。>
(第四章 変貌 P.120-)

<それならば歌の秩序(あるいは音楽の秩序)を超越するとはどういうことか。……アーティストの名前によるのでもなく、また音楽の分野によるものでもなく、曲それ自体の力によって感銘をうけるとき、わたしたちは曲のすぐ身近にいる。その匿名化した曲によって感銘をうける地点が、いわば歌の秩序(音楽の秩序)の臨界点である。/けれどもたとえ歌の秩序のなかにあろうと、あるいはその臨界点すれすれにまで膚接していようと、いずれにしても好きになる曲は一方的にわたしが<出あって>しまう曲である。わたしはその曲のなかでたしかに感情の快感と高揚を感じとるが、その<出あい>によってわたしは今いる位置を動くことはほとんどない。それはまだわたしが音楽の秩序なかで音楽に<出あっている>にすぎないからである。>
(同上 P.121)

<ところが時としてその怠惰な位置からいきなり未知の場所へ引きずりだされるような経験をすることがある。それが歌によって<出あわれる>ときだ。これをぜひおおげさな言い草だととらないでほしいのだが、そのときわたしは未知の自分に直面させられ、今まで高を括っていた関係性が新しい光りに照らし出されるような感情を経験する。決して歌い手本人に一体化するわけではなく、あたかも歌と現実が交叉する時空にわたし自身が拉致されていくようなこの経験を、歌の秩序(音楽の秩序)の超越とよんでいいのではないだろうか。>
(同上 P.121-)


ところで、直前の記事で紹介した中島みゆきのアルバム 『10WINGS』 にも収録されている 「二隻の舟」 という歌を、勢古さんは高く評価している。
(勢古さんは「中島みゆきのこれまでの最高の到達点」とまで言っている)
私も大好きで、何度聴いても感動する歌だ。

オリジナル・バージョンをさっきまで聴いていた。

Miyuki_east_asia中島みゆき EAST ASIA
 1992年発売 PONY CANYON PCCA-00397
EAST ASIA/やばい恋/浅い眠り/萩野原/誕生/此処じゃない何処かへ/妹じゃあるまいし/二隻の舟(にそうのふね)/糸

全9曲。すべて名曲。

|

« 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論 | トップページ | 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論(続々) »

【楽】音楽日誌」カテゴリの記事

【読】読書日誌」カテゴリの記事

こんな本を読んだ」カテゴリの記事

中島みゆき」カテゴリの記事

勢古浩爾」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139344/48482812

この記事へのトラックバック一覧です: 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論(続):

« 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論 | トップページ | 【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論(続々) »