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2010年5月28日 (金)

【楽】【読】勢古浩爾さんの中島みゆき論

ずっと長いあいだ読みたいとおもいつづけていた本。
勢古浩爾さんの処女作(1994年刊)。それも中島みゆき論である。
すでに入手困難な本だったので、Amazonで昨年七月、ようやく手に入れることができた。
一年ちかく読まずに(読めずに)積んであったことになる。

 【読】勢古さんの中島みゆき論  2009年7月 1日 (水)
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-aec1.html

Seko_miyuki勢古浩爾 『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』
 1994/2/15初版発行 宝島社
 219ページ  1650円(税別)

<中島みゆきといえば、まるで条件反射のように「暗い」という単純な俗評しかなされない風潮に一本の楔(くさび)を打ちこんでみたいという気がなかったわけではない。しかしそんなことよりもむしろ「ひとりの女」の愛とはなにかという軸の周辺で中島みゆきの歌についてまともに書いてみようと考えたのである。/先行する評論が数冊存在していることは知っていた。だが臆面もなく言ってしまえば、現在の時点における最高の中島みゆき論を書いてみたいと思った。> (まえがき)

このように、気合いのはいった一冊。
「喪愛」という、耳慣れない言葉・概念が難しいが、読みすすめるにしたがい、勢古さんの言いたいことがわかってきた(ような気がする)

まえがきの冒頭で、この本のテーマが示される。

<この本でわたしはふたつのことを書きたかった。ひとつには中島みゆきというたぐいまれな歌手の、歌の「超越」ということについて。ふたつには、愛とはなにかを問うのではなく、むしろ愛を「喪う」ということの意味について。けれど結局このふたつのことで、わたしはたったひとつのことだけを言いたかったのかもしれない。そのひとつのこととは、なによりも、関係のなかで「ひとりの女(男)」が生きるということについて、である。> (まえがき)

この冒頭の数行を読んだでけで、なんだか面倒くさそうだなと感じ、一年ちかく放置していたのだが――いやいや、なかなか。
中島みゆきファン(私だが)にはありがたい一冊だったのだ。
全6章のうち、第四章まで読んだところ。
その後の勢古さんの著書に一貫する「承認論」の萌芽も感じられるし、なによりも、中島みゆきへの「のめり込み」ぶりが私にはうれしい。


ところで、中島みゆきのCDのうち、買ってからほとんど聴いていなかった一枚がある。
買ってはみたものの、どうも好きになれなかったのだ、正直なところ。

今夜、ひさしぶりにひっぱりだして聴いてみたら、これまた魅力あふれるアルバムだった。
そう感じられるようになったのは、15年の時を経て私のなかで何かが変わったからだろうか。

Miyuki_10wings_1_2Miyuki_10wings_2_3中島みゆき 10WINGS
 1995年発売
 PONY CANYON
 PCCA-00817






「二隻の舟」 "夜会テーマ曲"
「思い出させてあげる」 夜会'94"シャングリラ"より
「泣かないでアマテラス」 夜会'92"金環蝕"より
「Maybe」 "夜会1990"より
「ふたりは」 "夜会1990"より
「DIAMOND GAME」 夜会92"金環蝕"より
「I love him」 夜会'91"KAN(邯鄲)TAN"より
「子守歌」 夜会'94"シャングリラ"より
「生きてゆくおまえ」 夜会'94"シャングリラ"より
「人待ち歌」 夜会'93"花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に"より

これが収録曲で、「夜会」のライヴ・バージョンからである。
勢古さん流にいえば、このアルバムを買った当時、私はまだ中島みゆきにほんとうに「出あわれ」ていなかったのだろう。

ふたたび本書から。

<中島みゆきは不意に出現した。それまでは何が「なかじまみゆき」だと、どうせあの類いの歌をいかにもそれらしく歌うあの類いの歌い手だろと、わたしは高を括っていた。もちろん「時代」や「ひとり上手」や「わかれうた」といったヒット曲は耳にしていたはずだが、せいぜい声の明晰さやリズム感が印象に残ったくらいで(それさえもほんとうは曖昧な記憶だ)ようするに無関心であった。/しかし中島みゆきは不意にその姿形を現した。というよりもくっきりとした輪郭をともなって姿を現したのは、むしろひとりの古典的な「女」であった。「中島みゆき」という名は、そのひとりの「女」に後からつけられたかりそめの名前であるように思われた。そのとき「なかじまみゆき」はわたしの内部であきらかに「中島みゆき」に変貌した。わたしが中島みゆきに<出あった>というよりもむしろ、わたしが中島みゆきの歌によって<出あわれた>というべきであった。……> (第四章 変貌 P.115-)

「出あわれた」という奇妙な言いまわしも、この本を読んでいない人には理解されにくいと思うが、それはまた機会があればあらためて書いてみたい。――書けないかもしれないけど。


【参考サイト】
中島みゆき ファンサイト
 中島みゆき研究所 - The Unauthorized Fan Site
 http://miyuki-lab.jp/
驚くほど膨大なデータベース。
勢古さんの本も紹介されている(文献目録>評論・研究書)。
紹介されているといっても、<中島みゆきの歌は、あらかじめ喪われた愛であるという「喪愛論」>と、たったこれだけだが。
内容を簡単にまとめるのが難しい本ではある。
このサイトに本書の目次が紹介されているので、興味をもたれた方はご覧いただきたい。

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