【読】「満洲」をめぐって
先日読んだ澁谷由里さんの本の続編を、図書館から借りて読んでいた。澁谷由里(しぶたに・ゆり)
『「漢奸」と英雄の満洲』
講談社選書メチエ 404 2008年発行
194ページ 1500円(税別)
「満洲」を舞台に、歴史の転変に翻弄された五組の父子の数奇な生を描いた、ユニークな歴史書だ。
本書でとりあげられているのは、張作霖・張学良、張景恵・張紹紀、王永江・王賢湋、袁金鎧・袁慶清、于冲漢・于静遠、の五組の父子。
張学良以外の「子」は、一般的には知られていないと思う。私も知らなかった。
著者のねらいを、まえがき(はじめに)から引用。
すこし長くなる。
<「満洲」がブームだという。現在の閉塞した世相が、「満洲国」のあった1930~40年代に似ているともいうし、「満洲国」におけるさまざまな実験……が戦後の日本に影響を与えたともいう。なるほどとは思う。またそのようにして多くの人々が「満洲」に関心をもつ現況を、研究者としてはありがたいとも思う。しかし、何か違和感がある。> (P.7)
<前著『馬賊で見る「満洲」――張作霖のあゆんだ道』では、「満洲」に対して日本人が抱く郷愁を打破してみたかった。……今回は、前著の問題意識も継承しつつ、近代史が帰着する現代史の問題に取り組みたい。しかし現代史をあつかう場合、中共公式見解の壁と文革の悲劇という二重の困難は避けて通れない。これが日中両国の歴史認識に距離を作る原因にもなっているからなおさらむずかしい。だがせめて日本人読者にだけでも筆者の考える「満洲」の近現代史像を伝え、関心を持ってもらいたい。そう考えた時、最も親近感を持ってもらえるアプローチ方法として、「父子」という枠組みを思いついた。> (P.9)
著者は真摯な歴史学者だから(まだ若いが)、緻密な文章で内容に正確を期している。
気楽な読み物、というわけにはいかないが、私にはとても興味ぶかい内容だった。
巻末に、著者の歴史観、中国観が率直に述べられていて、好感がもてた。
そうか、こういうふうに考えれば、迷うことなどないのだな。
かなり長い引用(転載)になるが、ご容赦願いたい。
<歴史認識と謝罪が足りないといわれ、内心忸怩たる日本人は多いと思うが、それは中華人民共和国という国家における、国民意識の高揚と確認作業であり、中国人民内部に向けられたメッセージとして静観すべきだと筆者は考える。すぐに日本にひきつけて即応しようとするあまり、過剰な謝罪に走る、あるいは逆にひらきなおるケースもあるが、いずれも適切な対応ではない。中国を「わかってあげている」(「わかってやるものか」)というのはじつは日本人の甘えであって、「こんなにわかってあげているのにわかってもらえない」(「わかってやらないのだからわかってもらえなくてもいい」)という、さらなる身勝手を生みやすい。こうした日本側の空回りは、戦前の対中観と同工異曲になってはいないだろうか。>
<今後も日中間のすれ違いは時に政治・外交問題になるだろう。その時、日本が中国を異文化として客観視せず、共通点を拡大解釈してむりやり同化させようとすれば、かつてと同じ悲劇に見舞われる。いかに善意や熱意、理想に基づこうとも、価値観の押しつけは相手にとって束縛であり、相手が望まないことをしてはならないというのは、人間でも国家でも同じ、大切なルールである。>
<中国は大きい。漠たる大地を思い浮かべてしまうと、どうつきあっていいのかわからない。しかしそこにも血の通った人間が住んでいて、親子の情があり、さまざまな困難を乗り越えて今日がある。この隣人と末永く友好を保つには、人間としての普遍的な情熱と、異文化を尊重する冷静な理性とをバランスよく持ち合わせなけれなならない。そのように筆者は思うのである。> (P.177-178)
至極くまっとうな考え方だ。
こういう本は、ながく手もとに置いておきたくなる。
前著もそうだったが、巻末の註や、参考文献一覧、詳細な索引がありがたい。
資料としての価値も高いのだ。
著者の澁谷さんの人がらは、あとがき(P.188-)によくあらわれていて、好感がもてる。
前著 『馬賊で見る「満洲」』 脱稿後、出版社の担当者(山崎さん)との対話。
(以下、「あとがき」より)
担当者: 「次は『カンカン』について書いてみませんか?」
著者: 「『漢簡』ですか? それは専門外だから書けませんよ」
(漢簡とは、漢代の竹簡や木簡のこと)
担当者: 「発音が違ったかな? 『カンガン』 ですか?」
著者: 「『宦官』? あの、後宮に仕えている?」
<今にして思うとそれこそ「汗顔」の至りです。>
担当者: 「漢字の『漢』に、次の「カン」は女へんに干す、という字で……」
<「漢奸」。ようやく氏の意図が理解できたところで、それがとびきりむずかしいテーマであることに思い至り、私は気が重くなりました。一度はお断りしたのですが、山崎氏の励ましに根負けしてお引き受けした次第です。……>
そして、なんと、小説家の浅田次郎氏にふれている。
驚いた。
私は知らなかったが、澁谷さんは浅田次郎氏と昵懇らしい。
<じつは私、氏(山崎氏)のような「父兄」的な方々から多大な恩恵を受けて今日ここにいたっております。私の考える「父兄」的な人とは、聞き上手・ほめ上手で、見識豊かにして包容力に満ちた年長男性のことです。/まず、浅田次郎先生。人間的な成長の機会を与えてくださった、かけがえのない方です。どのような謝辞を述べても足りませんが、今後も研究を通して、先生のご参考になる史実をお知らせしたいと思います。> (P.189)
これを読んで、思わず膝を打った。
浅田次郎氏の 『中原の虹』 のような小説の陰に、若く気鋭の歴史学者のバックアップがあったのか、と。浅田次郎 『歴史・小説・人生』
河出書房新社 2005年発行 (対談集)
269ページ 1600円(税別)
澁谷由里との対談 「張作霖の実像に迫る!」 所収
(初出 『小説現代』 2004年10月号)
この対談も、なかなか面白かった。
「父兄」であるところの浅田氏も、歴史学者の前では、まるで先生に対する生徒のようで、可笑しい。
浅田氏なりの綿密な調査と作家の想像力とで書きあげた小説(『中原の虹』)の登場人物について、「あれでよかったのでしょうか?」と、とても気にして訊ねている。
澁谷センセイからは、おおむねOKの答えを得て、浅田氏のほっとしている様子が目にうかぶ。
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