« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の18件の記事

2011年2月27日 (日)

【歩】春一番のあとで

一昨日(2/25)、春一番が吹いて、次の日は冬に逆戻り。
今日はまた、暖かな一日だった。
明日は冷えるそうだ。

こうして少しずつ春になっていく。
うれしい。

寒緋桜の蕾がふくらんでいた。


2011/2/17(日) 東京都小平市

1102270005

11022700011102270002

11022700041102270009

1102270007

1102270010

11022700121102270013   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月25日 (金)

【読】流れる星は生きている

これも、いまや古典と言っていい一冊。
故 新田次郎氏の細君、藤原ていさんの引き揚げ記録だ。

Fujiwara_tei藤原てい 『流れる星は生きている』 改版
 中公文庫 1976年2月初版発行
 1994年8月改版初版/1999年7月改版3版
 322ページ 648円(税別)

初版は、昭和24年(1949年)5月、日比谷出版社刊。
昭和46年(1971年)5月に青春出版社から刊行されていて、文庫化は1976年。
このロングセラーを、ようやく読むことができた。

旧満州の首都新京(現在の長春)を脱出し、奉天を経て鴨緑江を渡り、朝鮮半島を縦断。
徒歩で命からがら十八度線を越え、開城に到着。
昭和21年9月、釜山からの引揚船で博多にたどり着いた著者は、長らく病床に臥せってしまったが、その頃、三人の子供にあてた遺書を書いた。
それがこの本になったということだ(あとがき)。

六歳の長男(正弘)、三歳の次男(正彦)、それに生後一か月の乳飲み子(長女 咲子)を連れての逃避行は、想像を絶する苦難の連続だった。
よくここまで細かいことを憶えていたものだと感心するほど、生々しい体験記だ。

私の悪いクセで、Wikipediaを見てみると、どうやらフィクション(著者の創作)もまじっているという。
それはそれで、ちっともかまわないと思うが。

― Wikipedia 藤原てい より ―
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - )は作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。長野県茅野市出身。
旧姓両角。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き上げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』は戦後空前のベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。


よく知られていることだが、新田次郎は、戦前、中央気象台(現気象庁)に入庁し、旧満州に渡って「満州国観象台」の高層気象課長として勤務していて敗戦をむかえた。
昭和20年8月9日、ソ連の参戦情報をいちはやくキャッチした「観象台」の職員と家族は、文字通り着の身着のまま新京を脱出する。
新田次郎は、役職からか責任感からか、現地に残ったため、ソ連軍の捕虜となり中国共産党軍に抑留される。
(帰国は昭和21年、家族に遅れること三ヵ月後だった)

『流れる星は生きている』 というタイトルは、引き揚げの途中で教えてもらったひとつの歌からとられている。

 わたしの胸に生きている
 あなたの行った北の空
 ご覧なさいね 今晩も
 泣いて送ったあの空に
 流れる星は生きている  (本書 P.70-71)

この本には、何度も流れ星のシーンがある。
流れ星は、生死もわからなくなった夫の象徴として描かれている。
こういうところが、一篇の小説と呼んでもいいほどの、この書物のみごとさだろう。

悲惨な引き揚げの旅のなかで、新婚の頃をおもいだす、こんなシーン。
新田次郎氏の人がらも目にうかぶような、感動的な一節だった。

<私は夜がくるのが怖ろしい。
 私は夜中におきて氷を割らねばならない。…(中略)…バケツに半分ほども氷の塊を掘り取ると、ほっとして腰を延ばす。東の空にオリオン星座の三つ星が輝いて天頂から長く流れ星が今夜も尾を引いて消えていった。
 私が結婚した頃は利根川の近くの出張所の官舎に暮していた。夏の夜、利根川にうつる星を美しいといいながらよく散歩した。流れ星が遠くに消えてゆくのを見たことがあった。
 「ね、流星は燃えてなくなるんでしょうね」
 「そうだよ」
 「宇宙の星が皆流星になったら」
 「あなたは何か哲学的なことを考えているんだね。流星は空気との摩擦で、一応、姿はなくなるけれども、流星のもっていたエネルギーは何かに変換されて生きている、そうでしょう」
 夫はその頃はやさしかった。私も甘えていた。…(中略)…
 今眼で見て消えて行く流星が、どこかで違った形で生きていると信じ、それを夫の生存と結びつけて考えていた。気休めであった。ほんとに泡のようにはかないものにとりすがって生きている自分であった。私はバケツの氷を部屋の隅にそっと置いて、凍えきった身体で子供たちの眠りを覚まさないようにしばらくじっと坐っていた。
 朝になるとこの氷の半分ぐらいが溶けていた。お湯の残りが少しでもあるとそれを入れて溶かしておむつの洗濯をした。……>

 (第一部 涙の丘 「氷を割る音」 P.78-80)


それにしても、敗戦後、朝鮮半島を通って引き揚げてきた人たちは、どんなに苦しい体験をしてきたことだろう。
この本に描かれている極限状況に置かれた人間のあさましさには、絶望的な気分にさせられる。
その一方で、ほんのわずかな人たちが見せる優しさに、救われる思いもする。

五木寛之氏が自身の引き揚げ体験を語りたがらない理由が、わかった気がする。
著者のあとがきによれば、夫君の新田次郎氏も、引き揚げのことには触れたがらなかったという。

<彼は引揚げてから、約三ヵ月おくれて、北満の延吉という場所から引揚げて来ていた。丸一年の捕虜生活がどれほどみじめであったか、およその想像はつくけれども、彼はめったにその話をしない。ただ再び、この平和な時代になっても、その国を訪れようとしないところを見ても、その傷はどれほど深かったことか。彼は今、小説を書いているが、自分の引揚げの記録らしいものはたった一度書いただけ。彼のおびただしい作品の中には、その片鱗すらも書き込まれてはいない。> (本書 あとがき P.317-318)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月20日 (日)

【雑】東京どんぶらこ(錦糸町)

東京新聞の土曜朝刊に連載されている 「東京どんぶらこ」 を、毎週たのしみにしている。
きのう(2/19)は、錦糸町がとりあげられていた。

JR総武線の錦糸町駅南口は、私の通勤路だ。
北口にはほとんど行ったことがないけれど、面白そうなところがたくさんあるんだなあ。
南口バス・ターミナル近くにある、伊藤左千夫の歌碑は毎日見ている。

 よき日には 庭にゆさぶり
 雨の日は 家とよもして 児等が遊ぶも

伊藤左千夫が生きていた明治の頃、このあたりは閑静なところで、彼は牛乳搾乳業を営んでいたという。
歌碑は「伊藤左千夫牧舎兼住居跡」にある。
今のにぎわいぶりからは想像できない。

【東京新聞 2011年2月19日(土曜日) 朝刊 28面】
  「東京どんぶらこ」 468回 より

<明治22(1889)年4月、左千夫がこの地で牛乳搾乳業を始めたのは数えで26歳の時だった。当時は本所区茅場町三丁目。今は京葉道路に面する駅前の一等地である。> (田中哲男=東京新聞編集委員)

京葉道路に架かる大きな歩道橋を渡ってすぐ、四ツ目通り右側(西側)のアーケード街に、人形焼の老舗 「山田家」 がある。
宮部みゆきさん御用達の店だという。
私は、職場からの帰り道、ときどきここで人形焼を買って帰る。
(下の記事左側の地図に載っている)

Tokyo_shinbun_20110219_2Tokyo_shinbun_20110219_1 

【参考サイト】

錦糸町の歴史 kinshicho history
http://www11.ocn.ne.jp/~tulipfls/kinshicho.htm

すみだ川雑誌: 錦糸町駅・伊藤左千夫旧居跡
http://sumidagawa.daizyoubu.net/article/4622664.html

Wikipedia 伊藤左千夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%B7%A6%E5%8D%83%E5%A4%AB

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【楽】秋吉敏子の初期アルバム

きのうの続き。
秋吉敏子(穐吉敏子)のLPが、私のてもとに4枚あった。

Akiyoshi_toshiko_lp(左上)
 アメイジング・トシコ・アキヨシ
 Amazing Toshiko Akiyoshi
(右下)
 ザ・トシコ・トリオ
 The Toshiko Trio
(右上)
 トシコ・マリアーノ・クワルテット
 Toshiko Mariano Quartet
(左下)
 トシコの子守歌
 Lullabies for You

「Lullabies for You (トシコの子守歌)」が好きで、繰りかえし聴いたものだ。
チャーリー・マリアーノと結婚していた頃の、「Toshiko Mariano Quartet」のジャケット写真がほほえましい。これは、ナット・ヘントフがプロデュースしたCANDID盤だ。
ひさしぶりに聴きかえしてみようかなあ。

秋吉敏子公式サイト
http://toshikoakiyoshi.net/


■Amazing Toshiko Akiyoshi
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000XAMD2A
 ヴァーブレコード(発売元/ポリドール) MV2579
 A面 秋吉敏子(p)/ハーブ・エリス(g)/レイ・ブラウン(b)/J.C.ハード(ds)
  1954年春、ラジオ東京のスタジオでの録音
  プロデュース:ノーマン・グランツ
  ※彼女の初吹込み
  8曲収録
 B面 秋吉敏子(p)/ジーン・チェリコ(b)/ジェイク・ハナ(ds)
  1957年7月5日、ニューポート・ジャズ祭での録音
  ※バークリー音楽院留学中の演奏
   二度目のニューポート・ジャズ・フェスティバル出演
   (最初の出演は1956年)
  4曲収録

■The Toshiko Trio
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00175HCSA
 TRIO RECORDS PA-6133(M)
 秋吉敏子(p)/ポール・チェンバース(b)/エエド・シグペン(ds)
 録音年月日の記載なし
 原盤制作:ジョーシ・ウェイン/ストリーヴィル・レコード(原盤STLP912)
 復刻盤制作:アラン・ベイツ/ブラック・ライオン・レコード
 日本盤制作:トリオ・レコード
 9曲収録

■Toshiko Mariano Quartet
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000006KNK
 CANDID 9012 (イタリア盤/BASE RECORD)
 TOSHIKO AKIYOSHI MARIANO(P)/CHARLIE MARIANO(as)/GENE CHERICO(b)/EDDIE MARSHALL(ds)
 5曲収録

■Lullabies for You トシコの子守歌 ~世界の童謡をピアノ・ジャズで~
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000NOIS20
 日本コロムビア SW-7056
 秋吉敏子ピアノ・トリオ
  秋吉敏子(p)/荒川康男(b)/原田寛治(ds)
 1965年2月4日/5日 日本コロムビア・スタジオで録音
 収録曲 まりと殿様/かんちょろりん節/THREE BLIND MICE/天使の子守歌/ロンドン橋/他、全12曲

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月19日 (土)

【読】穐吉敏子

すこし前に、大型古書店で新書コーナーを見ていたら、気になるタイトルがあった。
「ジャズと生きる 穐吉敏子」
ひょっとして、あの秋吉敏子かなと思ったら、やはりそうだった。
「穐吉」――ほんとうは、こんな難しい漢字だったんだ。

秋吉敏子の若い頃のレコードを数枚持っているが、私はこの人の演奏が好きだ。


Akiyoshi_toshiko_jazz穐吉敏子 『ジャズと生きる』
 岩波新書(新赤版)467 1996年発行
 230ページ 650円(税込)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004304679

この人も、「満洲」生まれだ。

― 著者略歴 より ―
穐吉(秋吉)敏子
1929年、中国東北部(旧満州)の遼陽に生まれる。46年、家族とともに大分県別府市に引き揚げた後、ジャズ・ピアニストに。48年に単身上京し、ブルー・コーツ、シックス・レモンズ等を経てコージー・カルテットを結成。56年、米国のバークリー音楽院に留学。59年、卒業。同年、チャーリー・マリアーノと結婚、一女をもうける。のち離婚。69年、現夫君ルー・タバキンと再婚。72年、ニューヨークからロスアンゼルス近郊に移住。翌73年、アキヨシ-タバキン・ビッグバンド発足。82年、ニューヨークに戻り、翌83年、トシコ・アキヨシ・ジャズ・オーケストラを結成、今日に至る。……

この本は、彼女の自伝である。

父親は、遼陽にあった満洲紡績に勤務していて、彼女は四人姉妹の末っ子として、昭和4年(1929年)に生まれている。
不自由のない生活を送り、小学一年生の時、学芸会で三年生の女生徒がモーツァルトの「トルコ行進曲」を弾くのを聞き、ピアノに魅せられて習いはじめたという。
ピアノが好きで、レッスンが楽しかったというが、戦況悪化にともないピアノどころではなくなる。
大連の高等女学校に進学。
四年生になったとき陸軍看護婦の募集が学校に来て、「お国のためになろうと思って、親の反対を押切って」応募、陸軍看護婦の訓練生活にはいったが、五ヶ月後に敗戦をむかえる。

敗戦後、着の身着のまま一家で別府に引き揚げてきたが、姉が肺浸潤を病んでいたため、別府のサナトリウムに家族ぐるみで住むようになった。
彼女は、別府の町で、「進駐軍」と呼ばれた米軍相手のダンスホールの「ピアニスト求む」の貼り紙を見て応募。
ダンスホールのピアニストになり、そこで働くうちに本格的なジャズに出会い、やがて福岡のダンス・ホールに属するバンドのピアニストとなった。十七歳のときのことだ。
――これが、ジャズ・ピアニストの道への第一歩となった。

まさに波乱万丈の生涯である。
才能と幸運に恵まれ、努力を重ねて世界的なジャズ・ミュージシャンになったこの人の自伝は、なかなか面白い。
「満州に生まれて」「戦争、そして引揚げ」「ジャズ・ピアノの世界へ――福岡で」、の三章まで読んだところだ。
このあと、単身上京して本格的なジャズ演奏の世界にはいる……。

―Wikipedia ―
秋吉敏子・穐吉敏子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%90%89%E6%95%8F%E5%AD%90

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月18日 (金)

【読】「満洲」の証言、体験記

このところ、「満洲」がらみの本読みが続いている。
興味ぶかい本を二冊読んだ。

Shouwashi_mokugekisha_3『目撃者が語る昭和史 3 満州事変』
 新人物往来社 1989年発行
 299ページ 2600円(税込)

近くの図書館にあったシリーズ本。
執筆陣がすごい。
小日向白朗(元華北普安協会会長)、平野零兒(河本大作大佐義弟)、田中隆吉(元陸軍少将)、片倉衷(元関東軍参謀・少将)、橋本登美三郎(元朝日新聞記者・代議士)、楠山義太郎(元朝日新聞特派員)、松本益雄(元満州国国務総理秘書)、石原六郎(石原莞爾実弟)、等々。
あの戦争中に「満洲国」の大物だった人物たちによる証言、というか体験記というか。
生々しさはあるが、どうも、偉い人たちが書くものはどこか嘘っぽい――これが私の感想。


こちらのほうが、好感がもてる。

Bokuno_manshu_1『ボクの満州 漫画家たちの満州体験』
 中国引揚げ漫画家の会 編
 (赤塚不二夫・上田トシコ・北見けんいち・高井研一郎・ちばてつや・古谷三敏・森田拳次・山内ジョージ・横山孝雄・石子順)
 亜紀書房 1995年発行
 243ページ 1550円(税込)

これも市内の図書館にあったので、借りて読んだ。
上田トシコさんだけが成人で満州体験をしているが、他の人たちは、大陸で生まれたり、生後すぐ大陸に渡って幼年時代を過ごしている。

<ここに、森田拳次発案によるマンガ家たちによる、マンガ家たちの〝満州〟、中国引揚げ体験記を世に送り出します。(中略)九人のマンガ家たちは戦後五十年という大きな節目を迎えるなかで、はじめて五十年前の体験を語り、文章を書き、漫画を描きました。文章にも漫画にも五十年目の思いがこもっています。生きぬいてきた切なさが脈打っています。> (石子 順・あとがきにかえて)

<子ども時代、ぼくらは満州や中国で暮らしたわけなんだけど、そういうことをまったく絵で描いた本がない。こういう本を出したいなと思ったのは、残留孤児という離ればなれになった人がこの本で一人でも親子の対面ができたらいいなと思ったからです。(中略)戦後も五十年になって、いまのうちにぼくらが描いておかないと、全然知られないままに体験がどこかに消えていってしまうと思った。> (この本の発案者 森田拳次・座談会より)


それぞれ、命からがら引き揚げてきたり、敗戦後に父親が抑留されて亡くなったりしているのに、深刻ぶらず、ユーモラスな語り口は、漫画家という資質からくるものだろうか。

赤塚不二夫が、いかにも彼らしく、あっけらかんとしていて、いい。

<それよりもさ、マンガ家だけじゃない、芸能界とかにも満州育ちって多いじゃない。山田洋次、小澤征爾……いろんな連中がいるじゃない。向こうで育った連中はどこかおおらかでしょ。こういう職業を選んだというのも不思議だし、なぜかってそこを追求したいね。> (赤塚・座談会より)

彼らが共通して語っていることで、なるほどと思ったことがある。
それは、敗戦後にやってきたソ連兵の暴虐ぶりと、中国人が親身になって助けてくれた、ということだ。

<中国人というのは大きいと思うの。戦争で日本人にさんざんいじめられたのに、いじめたほうを助ける民族がどこにいます? 中国人はちゃんとそれをやったよ。それを日本人とかドイツ人とかはみんな、敵のやつらを虐殺するじゃない。中国の連中は、残留孤児も含めてちゃんと面倒をみて育ててくれた。これはすごいと思わないか。> (赤塚・座談会より)


執筆者たちの経歴 (巻末「執筆者紹介」より)

上田トシコ (本名・上田俊子)
 大正6年(1917年)東京生まれ。
 生後40日目からハルピンで育つ。ハルピン小学校、東京の頌栄高女(現頌栄女学院)卒。
 満州日日新聞社ハルピン支局に勤務しているときに28歳で終戦。
 21年に引き揚げる。

赤塚不二夫 (本名・赤塚藤雄)
 昭和10年(1935年)中国古北口生まれ。
 憲兵の父親に連れられて僻地を転々とし、父親が奉天鉄西区の消防署長をしていたときに終戦。
 21年6月に引き揚げる。

古谷三敏 (本名同じ)
 昭和11年(1936年)中国う奉天(現瀋陽市)生まれ。
 父親は奉天・千日仲見世通りで「新橋寿司」または「一点張り」という店を経営。
 その後、北京、北載河で暮らす。
 北載河で終戦をむかえ、20年12月、天津から引き揚げる。

ちばてつや (本名・千葉徹弥)
 昭和14年(1939年)東京生まれ。
 生後間もなく朝鮮に渡り、その後奉天に移る。
 父親は鉄西区の新大陸印刷に勤務。
 敗戦後の生活を 『屋根うらの絵本かき』 として漫画化している。
 21年6月博多に引き揚げる。

森田拳次 (本名・森田繁)
 昭和14年(1939年)東京生まれ。
 3歳から奉天で育つ。
 父親は協和街で鞄工場を経営。
 敗戦後、21年舞鶴に引き揚げる。

北見けんいち (本名・北見健一)
 昭和15年(1940年)中国新京(現長春市)生まれ。
 父親は印刷会社に勤務。
 母親は児玉公園近くで「伊勢丹」という食堂を経営。
 21年葫蘆島から引き揚げる。

山内ジョージ (本名・山内紀之)
 昭和15年(1940年)中国大連生まれ。
 父親は警察官だった。
 敗戦後、収容所を転々としたのち、22年佐世保に引き揚げ。
 父親の郷里・宮城県で青少年期を過ごす。

横山孝雄 (本名同じ)
 昭和12年(1937年)中国北京生まれ。
 領事館警察官だった父の転勤で、おもに長江下流域の中小都市で幼年期を過ごす。
 21年佐世保で母国に上陸。
 両親の故郷・相馬で高校卒業まで生活。

高井研一郎 (本名同じ)
 昭和12年(1937年)佐世保生まれ。
 1歳から上海で育つ。
 父親は魯迅に憧れて海寧路で、「上海書店」を経営。
 19年10月に帰国。佐世保で空襲を体験する。

石子 順 (本名・石河 糺)
 昭和10年(1935年)京都生まれ。
 新聞記者の父親について、承徳、奉天、新京などを転々としたのち、新京で敗戦を迎える。
 父親が日本語新聞制作に留用となり、昭和28年帰国。
 日本社会事業大学講師のかたわら漫画評論家、映画評論家として活躍中。


石子順さんの「あとがきにかえて」が、読ませる内容だ。
この人の父親は、小説なども書いていたらしいが、敗戦後も中国に抑留されて、病死。
お姉さんは中国人と結婚して残留。
母親と弟たちとで帰国している。

いい本だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【雑】満月とオリオン座

今日は、望月(満月)。
南の空を見あげながら帰ってきた。
ひさしぶりに、オリオン座が見えた。
視力の弱い私にも、はっきりと。

写真を撮りたいけれど、無理だなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月15日 (火)

【雑】雪がつもっていた朝

昨夜のどか雪で、今朝は白い世界を見ることができた。
たった一日でとけてしまったけれど。

長年使っていた携帯電話がこわれて、昨年、あたらしい機種(老年向けだが)に替えた。
ケータイのカメラもずいぶんよくなったな。


2011/2/15(火) 朝 6:32  東京都小平市(小平団地)

20110215063207

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

【雑】大雪だ

昼間も、ちらちらと降っていたが……。
夜になって、湿気の多い牡丹雪(綿雪)が、しきりと降っている。

明日の朝、東京では、この冬いちばんの積雪になりそうだ。

近所のこどもたちは大喜びだ。
私も、こういうことでは、こどもとおなじなので、大喜び。

1102140002

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月13日 (日)

【遊】ひさしぶりに 「豆らく」 へ

きのうまでの雪模様の天気とうってかわって、朝から晴天。
車で青梅まででけかた。
吉野街道には梅の花もちらほら見えて、春が近い。

ひさしぶりに、澤乃井 「まヽごと屋」 の姉妹店 「豆らく」 で昼ごはんを食べてきた。

とうふ遊び 「豆らく」
 青梅市沢井2-748
 TEL. 0428-78-8223
http://www.sawanoi-sake.com/mameraku/index.html

ちょうどお昼どきで、30分ほど待った。
12時前後はいちばん込み合う時間帯だ。
11時半前か、午後1時半頃なら待たずに済むのだが。

懐石ふうの豆腐料理がおいしい。
値段も手ごろだ。


11021300061102130002

1102130003_2

二色のざる豆富(1300円)と、吟醸の揚出し膳(1500円)をいただいた。
店内はゆったりしていて(全席椅子席)、南向きの窓から、隣りの「まヽごと屋」とそのむこうの多摩川の景色が楽しめる。

1102130005

帰りがけに、澤乃井園の売店で炒り豆腐、卯の花、畑の肉を買った。
「畑の肉」(上の写真の右下隅に写っている)は、大豆でつくられた肉風のもので、おいしい。
炒り豆腐と卯の花は、わたしたちのお気に入りで、ここに来るとたいて買って帰る。

多摩川では、この寒さのなか、カヌーあそびを楽しむ人が。
多摩川に架かる吊り橋の上では、バードウォッチングの人たちもいた。
どんな鳥がいるのだろうか。

1102130010_21102130014_2

1102130012


澤乃井 Web :: 東京の奥座敷 奥多摩(青梅)で日本酒や豆腐をつくっております :: 小澤酒造 株式会社
http://www.sawanoi-sake.com/ 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月12日 (土)

【演】松本留五郎

さきごろ手にいれた、CDつきマガジン 「落語 昭和の名人 完結編」 第一巻、桂枝雀のCDを聴いた。

Shouwa_meijin_shijaku1_2隔週刊 落語 昭和の名人 完結編
 2/22号
 第一回配本 二代目 桂枝雀 (壱)

2011年2月8日発売
小学館 490円(創刊記念特別価格)






代書
 27分49秒
 昭和57年8月19日
 関西テレビ「とっておき米朝噺し」にて放送
親子酒 24分11秒
 昭和56年  10月7日
 大阪サンケイホール「枝雀十八番」にて収録


「代書」(「代書屋」とも)は、枝雀の十八番(おはこ)のひとつ。
代書屋(いまで言う司法書士・行政書士)を訪ねるアホな主人公、松本留五郎は、枝雀がつくりあげたキャラクターである。
この噺の原作者は、四代目桂米團治(米朝の師匠)。
米團治自身が代書屋を営んでいたことがあり、その経験にもとづいて生まれた噺、ということはよく知られている。
その後、愛弟子の桂米朝から三代目桂春團治に伝わり、春團治の十八番になっているという。

米朝が米團治の三十三回忌追善で演じた音源(カセットテープ)を聴いたが、代書屋の客のひとりを中国人とし、今なら「差別的」と指摘されそうな、かなりきわどい内容。
(このときの米朝の口演が、四代目米團治のオリジナルに近いようだ)

その点、枝雀の「代書」は安心して聴いていられる。

Shijaku_hanaikada1_2Shijaku_hanaikada2


― 解説書より (前田憲司) ―
 原作の米團治は代書屋を主人公に、訪れる4人の客とのやりとりを描いた。応対する代書屋の困惑ぶりが笑いに拍車をかけ、噺の奥行きが増した。続く米朝と春團治は、客は履歴書の男ひとりに絞ったが、全体を通しての演出は米團治のものをふまえ、代書屋の描写に力点を置いている。
 ところが枝雀は、主人公を客の松本留五郎にした。もちろん、代書屋の困り顔や、ふと漏らすボヤキにも似たせりふで、展開に緩急をもたせてはいる。だがそれ以上に、陽気で底抜けに明るい客の、天衣無縫の言動を強烈に表現し、〝松本留五郎〟をスターにしてしまったのだ。

「親子酒」の音源は、私がレコードで持っている「枝雀十八番」(昭和56年、大阪・サンケイホールでの六日間連続独演会)で演じられたときのもの。
今回、このCDであらためて聴いてみて、酔客(息子)とうどん屋のやりとりが枝雀一流の演出で、たまらなくおかしい。

Shijaku18ban_3   

― 解説書より (前田憲司) ―
 東西落語会を通じてお馴染みの噺でオチも同じだが、導入部分が東西で異なる。東京では、酒好きの親子が互いに禁酒の約束をする場面から始まり、……(略)。
 上方の演出では、枝雀も演じているように禁酒の約束はなく、冒頭、父親が酔っぱらって帰宅。その後の息子の酔態ぶりが大きな聴かせどころ、見せどころとなる。この件を独立させて『うどん屋』『三人上戸』という演題で演じることもある。


このCDに収録されている演目は、いずれも枝雀絶頂期のもので、天才落語家の笑いの世界に身をゆだねるることができる。


こういう面白い本がある。

Hiraoka平岡正明 『哲学的落語家!』
 2005/9/20発行 筑摩書房
 326ページ 2200円(税別)

平岡さんらしい、爽快な一冊。

― 帯より ―
<江戸っ子平岡正明 上方爆笑王に挑む>
<俺が落語に目覚めたのは数年前だ。/志ん生・文楽から現在の若手までを/ヨーイ、ドンで聞いた。/最も衝撃を受けたのは「彼」。/どえらい上方落語の爆笑王だ。/「彼」の思想性の大きさよ。/俺はナマの高座を聞いていない。/残された音と映像だけから/「彼」の思想の深さを言いたい。/松本留五郎の鼓腹撃壌を、/夢野久作との相似を、/天地の逆転を。/この一冊を泉下の「彼」に捧げる。>


平岡さんも死んでしまった……。


【註】 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)
満腹で腹鼓をうち、地面を踏みならすことから、人々が平和で安楽な生活を喜び楽しむさま。太平の世のたとえ。
出 典 『十八史略』
http://www.sanabo.com/words/archives/2002/08/post_2271.html より


(2011/2/15 加筆)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

【歩】雪だ

こどものように、雪が降るとうれしくなる。
もっとつもればいいのに。
雪国の人にはもうしわけないけれど、東京に降る雪はさびしい。

2011/2/12(土) 東京都小平市

1102120001

11021200021102120003

1102120004 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 8日 (火)

【演】「落語 昭和の名人」

日曜の午後、TBSラジオ番組で 「爆笑問題の日曜サンデー」 というのがある。
おもしろいので、家にいるときは、よく聴いている。
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiyou/

先週(2/6)、「27人の証言」のコーナー(14時から)で、上方落語の桂枝雀がとりあげられていた。
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiyou/syogen/20110206.html

プロデューサー・澤田隆治さんの「証言」コーナーの最後に、小学館から発売される「CDつきマガジン」の予告があった。
全26巻、初回は桂枝雀、2月8日発売というので、発売初日の今日、さっそく買ってきた。
創刊記念特別価格 490円というのもうれしい(二巻目からは税込1190円)。


小学館 CDつきマガジン隔週刊
 落語 昭和の名人 完結編 全26巻

http://www.shogakukan.co.jp/pr/rakugo2011/
 ※試聴コーナーあり

Rakugo_showa_meijin_pamph1

Rakugo_showa_meijin_pamph2

昭和の名人、といっても、存命の噺家(立川談志や柳家小三治など)は、はいっていない。
五巻目も枝雀。たのしみだ。
私は東京(江戸)落語よりも上方落語が好きなので、上方落語の何人かの名前もうれしい。

五代目 桂文枝、二代目 桂春團治、四代目 桂文團治、初代 橘ノ圓都、三代目 林家染丸、四代目 桂文紅、三代目 林家染語楼、三代目 桂文我。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 6日 (日)

【読】まんが家たちの 「満洲」 体験記

図書館にこんな本があることを知り、借りてきた。
赤塚不二夫の体験記は読んだことがあるが、この本は興味ぶかい。
読みかけの本が終わったら、読んでみよう。

『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』
 中国引揚げ漫画家の会/編
 亜紀書房 1995年7月
 243ページ
 1,580円(税込)

祖国はなれて ……上田トシコ
「メーファーズ」―これでいいのだ!! ……赤塚不二夫
中国原体験の光と影 ……古谷三敏
ぼくの満州放浪記 ……ちばてつや
ぼくの満引き(満州引き揚げ)物語 ……森田拳次
記憶の糸をたぐり寄せて ……北見けんいち
わが故郷、大連 ……山内ジョージ
豆チョロさんの戦争体験記 ……横山孝雄
上海に生きて ……高井研一郎
座談会 ボクの満州・中国 ……執筆者一同
あとがきにかえて ……石子順

― e-honサイトより ―
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000019584273&Action_id=121&Sza_id=C0
赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次、古谷三敏、北見けんいち達旧満州育ちの漫画家9人による画文集。戦争の悲惨さと、時代に翻弄されながらも逞しくしたたかに生きた人々の姿を、少年の眼を通して描いた。

Bokuno_manshu_1Bokuno_manshu_2  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】旧軍医学校跡地の発掘調査

きょうの東京新聞、「こちら特報部」の記事に注目した。

東京新聞 2011/2/6(日) 24-25面 こちら特報部
 「歴史の闇 解明なるか ―― 新宿の旧軍医学校跡地 初の発掘調査へ」

1989年、新宿区の都立戸山公園付近で、大量の人骨が発見された。
満洲のハルビン郊外にあった 「七三一部隊」 との関連が疑われている、という。
先日読んだ満洲からの引揚記でも読んでいたので、私の記憶にあたらしい。

Sakamoto_manshuImai_manshu坂本龍彦 『孫に語り伝える「満州」』
  岩波ジュニア新書296(1998年)
今井和也 『中学生の満州敗戦日記』
 岩波ジュニア新書590(2008年)

少年時代に「満洲」からの引揚体験をした二人の体験記には、そろって、「七三一部隊」のことが触れられている。
当時、ハルビン市街に住んでいた日本人のあいだでも、「七三一部隊」のことはよく知られていなかったらしい。

― Wikipedia 731部隊 ―
http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A

図書館に返してしまったので、よく憶えていないが、坂本氏の著書では、かなりつっこんでこの部隊のこと(戦後わかったこと)が書かれていたと思う。

厚生労働省が、ようやく本気で発掘調査を開始するという。
調査の成り行きに注目したい。

「南京虐殺」にしろ、この「七三一部隊」にしろ、日本人自身の手で「事実」を究明してこなかったのではないか。
なんともなさけない、この国(ニッポン)、私たち。


― 東京新聞 2011/2/6(日) 朝刊 記事より ―
<厚生労働省は近く、東京都新宿区戸山旧陸軍軍医学校跡地で発掘調査を初めて実施する。軍医学校に勤めていた元看護婦の女性(88)が「人体標本が埋められた」と証言した場所だ。1989年にはすぐそばで大量の人骨が見つかった。近くには、中国で人体実験をしたとされる「731部隊」の研究拠点もあった。戦後66年、歴史の闇に光が差す可能性がある。 (小国智宏)>

20110206_tokyo_shinbun_731_1

20110206_tokyo_shinbun_731_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりに、国分寺 ライトハウス へ

きのうのことだが、ひさしぶりに国分寺の「ライトハウス」へうどんを食べにいった。
近くのコインパーキングがめずらしく空いていたので、車をとめることができた。

何度も書いたことだが、普通の住宅(店主のご自宅)横の駐車スペースだったところを店舗に改装した、こぢんまりとしたお店。
テラス、と言ったほうがいいかもしれない。
住宅地の中なので、車で行くと駐車するところがなくて苦労する。
国分寺公園の公共駐車場にとめて、お鷹の道・武蔵国分寺方向へ歩いて行ったこともある。

まあ、国分寺駅から散歩がてら、ぶらっと歩いて立ち寄るのがいちばんいいのかもしれない。

ひさしぶりに訪ねてみたら、店舗スペースの入口にビニールのカーテンができていた。
これなら、冬でも暖かくていい。

他にお客もいなかったので、店主の仁田さんとお話をした。
北海道の冬のこと、食べ物のことなど。

いつもいただいている、かき揚げミルキーカレーうどんが、あいかわらずおいしかったなあ。

行くたびに、メニューのちらしが刷新されている。
略地図もあるので、ぜひ、おたずねください。

11020500011102050002

Light_house_menumap1_2
Light_house_menumap2_2 

東京新聞 2009/5/9 記事

Tokyo_shinbun_20090509 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 4日 (金)

【読】「満洲」をめぐって(続)

「満洲」 をめぐる本読みが続いている。

Watanabe_bazoku_2渡辺龍策 『馬賊 日中戦争史の側面』
 中公新書 40 1964年初版発行
 202ページ
 (1980年復刊 税込1050円)

この本は、いまや「古典」と呼んでもいいだろう。
私の手もとにもあったのだが、いま、友人のところに行っているため、図書館から借りて読んだ。
昭和59年(1984年)の39版である。
1964年の時点で、よくここまで書けたものだと感心する。
著者は、1903年(明治36年)生まれ。
「天津・大連・北京・保定・石家荘・彰徳・開封などで通算25年間在住」という経歴の持ち主で、当時をよく知る人らしい。
小日向白朗(尚旭東)、伊達順之助(張宗援)、川島芳子、といった面々が詳しくえがかれていて、興味深かった。

Fukumoto_outlaw福本勝清
 『中国革命を駆け抜けたアウトローたち 土匪と流氓の世界』
 中公新書 1409 1998年発行
 297ページ 800円(税別)

読みはじめたばかりだが、この本はおもしろい。
巻末の 「中国革命関係人名データ」 には、130人を超える当時の 「アウトロー」 たちが五十音順に列挙されている。
閻錫山、袁世凱……朱徳、蔣介石……張学良、張景恵、張作霖……毛沢東、といった有名人はもちろん、はじめて聞くような名前がずらりと並んでいる。

例えば――「1913年、湘潭地区(湖南)が旱害に襲われ、飢えた農民が地主の家を囲み、食糧を売るように求め、拒絶された時、十五歳の彭徳懐は屋根に登り、瓦を剥ぎ、穀物が倉いっぱいにため込まれているのを見つける。飢民たちは群をなして地主の屋敷に押し入り、倉を破り穀物を奪い、飯を炊き、豚をつぶして大いに食らった。おかげで、彭徳懐は故郷を追われる身となる」――と、本文で紹介されている彭徳懐という人物。
巻末の人名一覧を探すと、こうある。
彭徳懐 (1898-1974) 湖南湘潭人。1928年、入党、同年、平江蜂起により部隊を率いて紅軍に参加。紅軍、八路軍、人民解放軍において、つねに朱徳につぐ地位(軍ナンバー2)にあった。勇猛果敢な将軍として的に恐れられる。55年、人民解放軍元帥。58年、廬山会議で大躍進政策を批判、毛沢東の怒りを買い失脚。剛直な人柄で知られる。」

なんだか、中国近現代史の視界が、ぱーっと開けるような気がして、爽快だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【楽】ハコさんのニュー・シングル

今日、手に入れたばかりで、まだ聴いていないけれど。
うれしいね。

Hako_anatano_koe_2「あなたの声」 山崎ハコ
 c/w おらだのふるさと

テイチクエンタテインメント
TECA-12273 1200円(税込)
2011/1/19発売

NHKラジオ 「ラジオ深夜便」 深夜便のうた
(2011年1月~3月)

収録曲
あなたの声 作詞・作曲:山崎ハコ 編曲:萩田光雄
おらだのふるさと 作詞:田勢康弘 作曲:山崎ハコ 編曲:安田裕美

ジャケット写真が、いい。
最近のハコさんの成熟ぶりを感じさせる、やさしい顔だ。
明日にでも、ゆっくり聴いてみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »