【読】流れる星は生きている
これも、いまや古典と言っていい一冊。
故 新田次郎氏の細君、藤原ていさんの引き揚げ記録だ。藤原てい 『流れる星は生きている』 改版
中公文庫 1976年2月初版発行
1994年8月改版初版/1999年7月改版3版
322ページ 648円(税別)
初版は、昭和24年(1949年)5月、日比谷出版社刊。
昭和46年(1971年)5月に青春出版社から刊行されていて、文庫化は1976年。
このロングセラーを、ようやく読むことができた。
旧満州の首都新京(現在の長春)を脱出し、奉天を経て鴨緑江を渡り、朝鮮半島を縦断。
徒歩で命からがら十八度線を越え、開城に到着。
昭和21年9月、釜山からの引揚船で博多にたどり着いた著者は、長らく病床に臥せってしまったが、その頃、三人の子供にあてた遺書を書いた。
それがこの本になったということだ(あとがき)。
六歳の長男(正弘)、三歳の次男(正彦)、それに生後一か月の乳飲み子(長女 咲子)を連れての逃避行は、想像を絶する苦難の連続だった。
よくここまで細かいことを憶えていたものだと感心するほど、生々しい体験記だ。
私の悪いクセで、Wikipediaを見てみると、どうやらフィクション(著者の創作)もまじっているという。
それはそれで、ちっともかまわないと思うが。
― Wikipedia 藤原てい より ―
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - )は作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。長野県茅野市出身。
旧姓両角。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き上げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』は戦後空前のベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
よく知られていることだが、新田次郎は、戦前、中央気象台(現気象庁)に入庁し、旧満州に渡って「満州国観象台」の高層気象課長として勤務していて敗戦をむかえた。
昭和20年8月9日、ソ連の参戦情報をいちはやくキャッチした「観象台」の職員と家族は、文字通り着の身着のまま新京を脱出する。
新田次郎は、役職からか責任感からか、現地に残ったため、ソ連軍の捕虜となり中国共産党軍に抑留される。
(帰国は昭和21年、家族に遅れること三ヵ月後だった)
『流れる星は生きている』 というタイトルは、引き揚げの途中で教えてもらったひとつの歌からとられている。
わたしの胸に生きている
あなたの行った北の空
ご覧なさいね 今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている (本書 P.70-71)
この本には、何度も流れ星のシーンがある。
流れ星は、生死もわからなくなった夫の象徴として描かれている。
こういうところが、一篇の小説と呼んでもいいほどの、この書物のみごとさだろう。
悲惨な引き揚げの旅のなかで、新婚の頃をおもいだす、こんなシーン。
新田次郎氏の人がらも目にうかぶような、感動的な一節だった。
<私は夜がくるのが怖ろしい。
私は夜中におきて氷を割らねばならない。…(中略)…バケツに半分ほども氷の塊を掘り取ると、ほっとして腰を延ばす。東の空にオリオン星座の三つ星が輝いて天頂から長く流れ星が今夜も尾を引いて消えていった。
私が結婚した頃は利根川の近くの出張所の官舎に暮していた。夏の夜、利根川にうつる星を美しいといいながらよく散歩した。流れ星が遠くに消えてゆくのを見たことがあった。
「ね、流星は燃えてなくなるんでしょうね」
「そうだよ」
「宇宙の星が皆流星になったら」
「あなたは何か哲学的なことを考えているんだね。流星は空気との摩擦で、一応、姿はなくなるけれども、流星のもっていたエネルギーは何かに変換されて生きている、そうでしょう」
夫はその頃はやさしかった。私も甘えていた。…(中略)…
今眼で見て消えて行く流星が、どこかで違った形で生きていると信じ、それを夫の生存と結びつけて考えていた。気休めであった。ほんとに泡のようにはかないものにとりすがって生きている自分であった。私はバケツの氷を部屋の隅にそっと置いて、凍えきった身体で子供たちの眠りを覚まさないようにしばらくじっと坐っていた。
朝になるとこの氷の半分ぐらいが溶けていた。お湯の残りが少しでもあるとそれを入れて溶かしておむつの洗濯をした。……>
(第一部 涙の丘 「氷を割る音」 P.78-80)
それにしても、敗戦後、朝鮮半島を通って引き揚げてきた人たちは、どんなに苦しい体験をしてきたことだろう。
この本に描かれている極限状況に置かれた人間のあさましさには、絶望的な気分にさせられる。
その一方で、ほんのわずかな人たちが見せる優しさに、救われる思いもする。
五木寛之氏が自身の引き揚げ体験を語りたがらない理由が、わかった気がする。
著者のあとがきによれば、夫君の新田次郎氏も、引き揚げのことには触れたがらなかったという。
<彼は引揚げてから、約三ヵ月おくれて、北満の延吉という場所から引揚げて来ていた。丸一年の捕虜生活がどれほどみじめであったか、およその想像はつくけれども、彼はめったにその話をしない。ただ再び、この平和な時代になっても、その国を訪れようとしないところを見ても、その傷はどれほど深かったことか。彼は今、小説を書いているが、自分の引揚げの記録らしいものはたった一度書いただけ。彼のおびただしい作品の中には、その片鱗すらも書き込まれてはいない。> (本書 あとがき P.317-318)
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