【震】「計画停電」が日常化してきた
今日は、用ができたので会社を休んだ。
朝、7時半頃のバスで国分寺へ向かったが、駅の近くで大渋滞にぶつかり、バスはまったく進まなくなった。
早稲田実業前のバス停(国分寺駅南口のひとつ手前)近くで降ろしてもらい、駅まで歩く。
JRは混雑していなかった。
立川に向かう電車の窓から、丹沢の山並みと雪をかぶった富士山が見えた。
富士山を見るのはひさしぶりだった。
立川の公共施設(病院等)は、暖房を止めていて肌寒かった。
午後2時過ぎ、用を済ませて帰宅の途についた。
立川駅ビルのデパートは、停電に備えてシャッターを下ろしていたが、駅の人出はふだんと変わらない。
国分寺に着くと、間もなく停電ということで、駅ビル地下の食糧品売り場は閑散としていて、弁当などは売り切れの店もあった。
明日の土曜日、ここは停電のため営業停止するということだ。
「計画停電」が計画通り実施されることが多くなり、すっかりあたりまえのことになってしまった。
こう停電が多いと、小売業は商売にならないだろうし、事業所もたいへんなことだろう。
駅近くにあるガソリンスタンドで、今日は何台か給油している(らしい)のを見た。
たしか、きのうあたりまで閉店していたはず。
国分寺界隈で停電が始まったらしく、団地までの道路の信号機は、いくつかを残して消えていた。
15時過ぎ、自宅に着いたら、まだ電気が止まっていた。
今日の停電予定(第3ブロック)は、12時20分から16時まで。
水道が出ないので、ポリタンクにためていた水で手と顔を洗う。
おそまきながらブレーカーを落とした。
15時半頃、そろそろ復旧しただろうと思って、ためしに水道の蛇口をひねると水が出た。
ブレーカーを切ってしまうと、停電から復旧したことがわからない。
水道も同時に止まるので、水が出るかどうかで判断している。
だんだん要領がわかってきた。
暖かくなってきたので、もう必要ないだろうと、灯油を買っておかなかったのが響いている。
わが家の灯油のストックは、ほとんどなくなった。
灯油ストーブをできるだけ使わないで、悪いとは思いながら、エアコンの暖房を使っている。
週末、ガソリンスタンドで灯油が手にはいるだろうか。
団地自治会ニュースに、この先一週間の停電予定が載っていた。
一日に二回(予備を含めて)停電予定のある日も。
この先が思いやられる。
これを書いている今、また地震で揺れている。
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コメント
やまおじさん、我々の世代は、小さい頃よく停電がありましたね。すっかり、電化生活に慣れると、停電が怖い・・。しかし、要領が分かってくるのですね。
書きながら地震があり揺れる生活、不安が続きますね。食料、燃料の流通がうまく行き、健康が保たれることを祈っています。
投稿: 玄柊 | 2011年3月18日 (金) 23時20分
>玄柊さん
コメント、ありがとうございます。
昨日の夕方、近くのガソリンスタンドへ行ってみました。
灯油がほとんどなくなったので。
ロープが張られ、閉店していました。
今日(3/19)の午後、また売り始めるようですが、まず手に入らないだろうなと思いました、
スタンドには、車がたくさん並べられていました(人は乗っておらず、中古車売り場のようにずらりと)。
ガソリンが入荷したら入れる車(予約?)なのでしょうか?
投稿: やまおじさん | 2011年3月19日 (土) 07時51分