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2011年6月の42件の記事

2011年6月30日 (木)

【遊】雷雨と病院

用があって、午後、電車で立川まででかけた。
立川駅北口にある大型書店に立ち寄った。
書店をでると激しい雷雨だった。
天気予報どおり。

駅のコンコースを抜け、南口の病院まで、歩くと20分ほどの距離だ。
南口のタクシー乗り場は行列ができていたので、あきらめて歩いた。
傘をさしていても、病院に着くまでにズボンの裾はびしょ濡れ。
履いていたスニーカーも水びたしで、靴下もびしょびしょになった。
きもちが悪いので、病院にたどり着くとすぐに靴下を脱いで素足になった。

それはともかく。

今日、病院に行ったのは、簡単な手術を受けるためだった。
半年ほど前からだったか(はっきり憶えていないが)、左頬にちいさなふくらみ(瘤状のできもの)ができて、だんだん大きくなってきた。

いつも行く病院の形成外科で診てもらうと、一種の腫瘍だという。
べつに悪いものでもなく、皮膚の下に垢のようなものがたまって袋状になっているのだそうだ。
切っても切らなくてもいいと言われたが、あまり大きくならないうちに切ってもらうことにしたのだ。

今日の手術は30分ほどで終わった。
それでも、いちおう、手術着に着替え、手術室の手術台に寝かせられて、血圧と心電図をとりながらの手術。
局部麻酔の注射が痛かったぐらいで、いつ切って縫ったのかわからないほど。

術後、摘出したモノを見せてもらった。
小粒の真珠ほどの大きさで、ぷっくりした白っぽいかたまりだった。
こんなに大きなものがはいっていたのか。

ちなみに、ドクターは若い女性で、診察のときからてきぱきしていて気もちのいい人だった。
このような手術は日常茶飯事なのだろう、じつに手際がよかった。
眼科や皮膚科、形成外科などに女医さんが多いように思うが、私の偏見だろうか。

誰かが言っていたのだが、医者がじぶんより若いと感じるようになると、老齢になった証拠らしい。
うーん、そういえば、私がかかっているお医者さんは、ほとんど私よりも若い人ばかりだなあ。
じぶんのことを、まだ老齢とは思わないが。

帰りは、南武線の西国立から立川まで、一駅だが電車に乗った。
国分寺に着き、バスで自宅に向かう頃には、空も晴れて蒸し暑さが戻っていた。

雨あがりの花々がきれいだった。


撮影 2011/6/30(木) 東京都小平市(小平団地)

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カンゾウの仲間だろうか
夏を感じる

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八重のクチナシが咲きはじめた
ノウゼンカズラはそろそろ散りはじめ

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アジサイもそろそろおしまい

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2011年6月29日 (水)

【雑】私のデジカメ年代記 (2)

やってみると、須藤もんさんのライブ写真集のようになってしまった。
これまでにデジタルカメラで撮りためた写真から。

プリントアウトしてクリアーファイル十数冊に収めていた写真の整理は、今日一日やって、やめにした。
結局、ファイル数冊分しか減らなかったが。

■2002/5/26 高円寺 「稲生座」

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■2002/6/16 高円寺 「稲生座」

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■2002/9/29 上野水上音楽堂 「アコースティックボイス」
 須藤もんさんのステージ

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■2002/11/16 吉祥寺 「からまつ亭」
 共演 対馬照さん(左写真)
     ジミー矢島さん(からまつ亭店主:右写真)

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■2003/1/12 高円寺 「稲生座」

200301120015

■2003/4/6 吉祥寺 「のろ」 (移転前店舗)
 共演  おおはた雄一さん

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■2003/4/26 埼玉県小川町 「吉田家住宅」 (国重要文化財建造物)
 企画展「クラワンカ」(陶芸家 望月明日太さん主催) でのライブステージ
 共演 告井延隆さん(左写真) 対馬照さん(右写真)

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■2003/10/25 茅野 「パブロ」

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■2003/11/30 飯能 「ギャラリー よしたけ」
 アルバム 「うたになれ」 発売記念ライブ
 共演 石井明夫さん、上田親寿さん、ヤマザキヤマトさん

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 ライブ風景(須藤もん公式サイト内)
  http://homepage2.nifty.com/sudomon/yoshitakelive.htm
 アルバム情報(須藤もん公式サイト内)
  http://homepage2.nifty.com/sudomon/album.htm

■2003/12/7 矢保 「かけこみ亭」
 共演 チープチーパーズ

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■2004/3/21 吉祥寺 「のろ」

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■2004/7/4 高円寺 「古本酒場 コクテイル」

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■2004/9/23 上野水上音楽堂 「アコースティックボイス」
 須藤もんさんのステージ

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■2004/9/26 国立 「奏」

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■2004/10/10 馬籠(長野県木曽郡山口村馬籠)
 「Mt. ENA ROCK FESTIVAL in 馬籠宿」
 共演 告井延隆さん

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きりがないので、これぐらいにしておこう。
ちなみに、初代のデジタルカメラが壊れて、二代目(今も使っている)に替えたのは、2006年3月のことだった。

2006年3月25日 (土) 【雑】二代目デジカメ
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7b96.html

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2011年6月28日 (火)

【雑】私のデジカメ年代記 (1)

デジタルカメラで撮った写真の整理をしていた。
整理といっても、データはもちろん消さない。
なぜか無駄にプリントアウトしていたものが、膨大な量になっているので、どんどんシュレッダーにかけて捨てる作業。

私がはじめてデジタルカメラを買ったのは、2001年。
いまからちょうど10年前で、この時のカメラは、小金井公園で落として壊してしまった。
いま使っているのは二代目のカメラ。
デジタル一眼レフではなく、コンパクトカメラだ。

それまでは、長いあいだミノルタのフィルム一眼レフを使っていた。
デジタルに替えたのは、友人(須藤もんさん)のサイトを作り始めたのがきっかけだった。
フィルムカメラだと、ウェブサイトに掲載するのはたいへんだったから。

私がはじめて作ったウェブサイト(一般にホームページと呼ばれているが、私はこの呼び方が好きではない)が
 須藤もん公式サイト http://homepage2.nifty.com/sudomon/
だった。
その後、個人サイト
 晴れときどき曇りのち温泉 http://yamaoji-hp.web.infoseek.co.jp/
を、2004年の暮れに開設した。
ブログは、さらにその翌年(2005年9月)から始めた。
デジタルカメラは、ずいぶん役にたった。

デジカメで撮りためた写真データは、すべてPCに保存し、バックアップもとってあるので、いつでも見られる。
写真(プリントしたもの)の整理をそっちのけで、懐かしい写真をながめていた。

須藤もんさの他は、ご本人にはっきりと撮影許可をいただかずに撮った写真もあるが、かんべんしてもらおう。
ここに掲載するミュージシャンの写真のコピー、流用は、ご遠慮願いたい。


■初代デジタルカメラを買った日(2001/3/21)
 どうということのない蜜柑の写真だが、私の記念

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■2001/4/13 高円寺 「稲生座」
 須藤もんさんのライブ

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■2001/4/21 代々木 「マイバックページ」
 須藤もんさんのライブ
 二胡の共演は告井延隆さん(センチメンタル・シティー・ロマンス)

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■2001/5/4 京都 「国立民族学博物館(みんぱく)」
 ここは写真撮影可
 おもしろい博物館だった また行ってみたいなあ
 http://www.minpaku.ac.jp/

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■2001/5/4 京都のライブハウス 「PARKER HOUSE ROLL」
 須藤もんさんのライブ
 共演 KOTEZ & YANCY 他
  http://ongakujin.com/k_y/info.htm

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■2001/5/12 吉祥寺 「MANDALA2」
 山崎ハコさんのライブ
 共演 安田裕美さん
 ※お店の方には写真撮影の可否を聞いてOKとのことだったが
  ネット掲載許諾はいただいていない ハコさん ごめんなさい(^_^;)

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■2001/7/8 第11回北沢音楽祭(下北沢)
 須藤もんさんの野外ステージ

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■2001/7/8 銀座 「Rocky Top」
 須藤もんさんのライブ

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■2001/8/19 真鶴野外ステージ
 高田渡さんのライブ
 上々颱風のライブ
 ※上々颱風は撮影を遠慮してほしいとのアナウンスが流れたが
  最後のドタバタでその縛りも崩れたので……
  高田渡さんは撮影禁止などとヤボは言わない人だった

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■2001/10/14 代々木 「マイバックページ」
 須藤もんさんのライブ
 共演 ながしまりいちさん

200110140011

■2001/11/11 銀座 「Rocky Top」
 須藤もんさんのライブ

200111110005

■2002/2/10 阿佐ヶ谷 「あるぽらん」
 須藤もんさんのライブ

200202100006

■2002/4/29 横浜アリーナ
 曼荼羅イベント
 巨大なパッチワークの曼荼羅絵図をバックに幻想的なライブだった
 上々颱風と鬼太鼓座の共演
 (撮影禁止ではなかった)

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2008年5月23日 (金) 【楽】和太鼓で想い出す
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_73ce.html

(続きは後日……) 

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2011年6月27日 (月)

【震】巨大地震にどう備えるか(続)

長くなりそうなので、別投稿(続編)とした。

地震の規模をあらわす「マグニチュード」と、揺れの強さ(程度)をあらわす「震度」のちがい。

東北地方太平洋沖地震のマグニチュード(以下、M)は、チリ地震(1960年)のM9.5に次ぐM9.0だった。これは、兵庫県南部地震(M7.3)の約360倍のエネルギー。
にもかかわらず、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、震度7を記録した。
地震の規模(M)と揺れの強さ(震度)は、必ずしも比例しない。

震度7は、気象庁の「震度階級」の最大のもので、かつては「激震」と呼ばれていた。
震度6(6弱・6強)が「烈震」、震度5(5弱・5強)は「強震」。
「烈震」も強烈な印象だが、それ以上ということなのだろう。 ※

ちなみに、私が3月11日に東京都江東区で体験した本震の震度は5強とされている。
自宅のある小平市は5弱。
(Wikipedia 「東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録」 による)

 【参考サイト】
  気象庁 | 震度について
  http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/shindokai.html

  震度の歴史と求め方
   岐阜大学地震工学研究室
    http://www.cive.gifu-u.ac.jp/lab/ed2/ 内
  http://www.cive.gifu-u.ac.jp/lab/ed2/kensaku/motomekata.html
  (Wikipedia 「震度」 からのリンク先)

※微震、軽震、弱震、中震、強震、烈震、激震という分類は、私たちが学校で習ったものだが(昭和24(1949)年~平成8(1996)年「地震津波業務規則 別表第4付表」)、今は使われていないようだ。


それはさておき、近づく巨大地震にどう備えるか。
東京新聞の記事に、なるほどと思えることが書いてあった。

2011/6/26(日) 東京新聞 朝刊
 世界と日本 大図解シリーズ №998
  「巨大地震 震災と日本」 より

 巨大災害にどう備えるか
 
 池田 浩敬 (いけだ・ひろたか)
  (富士常葉大学教授・社会災害研究センター長)

  【参考サイト】
   池田浩敬教授の紹介サイト(富士常葉大学のサイト内)
   http://www.fuji-tokoha-u.ac.jp/contents/NOD101/335.html


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ここで、池田さんが提起しているのは、
 「リスクの頻度に応じた適切、かつ現実的な目標レベルの設定」
という考え方。
これだけではわかりにくいので、少し詳しく紹介したい。

揺れの大きさ(震度)が上がるほど地震の発生確立は低くなる。
震度7の巨大地震を恐れるあまり、いっさいの地震対策を諦めてしまうより、まずは、頻繁に起こる可能性のある震度5弱~5強の揺れに対して現実的に備える方がよい。

以下、記事から引用すると――

<自宅を震度7の揺れが襲っても、すべての人が無被害であるような耐震性の高い家にすることは、コストの面からも不可能である。かといって、震度7がきたら諦めるというわけにもいかない。>

<ここで重要なのが、リスクの頻度に応じた適切かつ現実的な目標レベルを設定する考え方である。>

以下、池田さんが言う「目標レベル」を要約すると――

■震度5弱~5強の揺れ(頻繁に経験する可能性あり)に対しては……無被害
■震度6弱の揺れ(上記より頻度が低い)
  ……被害はあっても居住機能を維持(避難しなくても済む)
■震度6強の揺れ(さらに頻度が低い)
  ……一時的に居住困難となっても修復可能な被害
■震度7の揺れ(めったに経験することはないが可能性あり)
  ……修復不能な程度に壊れても居住者の命が守られる

というもの。
なるほど、このように考えて対策を打てば、無暗に怖れることもないのだな、と思う。

池田さんは、津波に対しても同様だという。

<……全ての地域で、千年に一度といわれる高い波に対して、市街地が全く浸水しないように防波堤などを整備することは困難である。かといって千年に一度の津波がきたら諦めるといった対応は許されない。ある程度、頻度の高い津波に対しては、市街地を浸水させないことを目標レベルに設定するとともに、千年に一度の津波に対しては、防波堤による浸水の軽減と避難対策を組み合わせ、多少の物的被害は出ても市街地の住民の命を守ることを目標レベルにする……>


このように、現実的に実行可能なプランを、ほんとうなら国をあげて、あるいは地域レベルで計画・実施(国はそれをバックアップ)していくことが、今、求められているように思うのだが……。

日本の国政はあまりにも情けないので、まずは、個人レベルで私は対策を打っていこうと思う(とりあえず、自宅でできることを)。
さらに、地域レベルということであれば、機会があればできるだけ参加していきたいとも。

国政レベルとなると、さて、どうすればいいのか。
新聞やテレビの報道を見ると、腹がたつことばかり。


【2011/7/4補足】
マグニチュードについては、「モーメントマグニチュード」と「気象庁マグニチュード」では数値が異なる。
その点を明記せずに書いてしまったので、補足しておく。
同じ基準(マグニチュードの種類)で数値比較しないと、今回の地震規模を過大評価してしまう。
私は、どうやら混同して比較してしまったようだ。

 ※マグニチュードの種類については、Wikipediaなどを参照願いたい

東北地方太平洋沖地震 (2011/3/11)
 モーメントマグニチュード(Mw) 9.0
 気象庁マグニチュード(Mj) 8.4

兵庫県南部地震 (1995/1/17)
 モーメントマグニチュード(Mw) 6.9
 気象庁マグニチュード(Mj) 7.3

(出典:Wikipedia)

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【震】巨大地震にどう備えるか

いつになるのか誰にもわからないが、そう遠くないうちに巨大地震が再び起こりそうな気がする。
起こってほしくはないが、「大地動乱の時代」に生まれあわせてしまったのだから、しょうがない。

いつ起こるかわからない地震にただ怯えているだけでは、精神衛生上よくない。
「備えあれば憂いなし」だ。

きのうの東京新聞朝刊 「サンデー版+テレビ」 に、こんな記事があった。

2011/6/26(日) 東京新聞 朝刊
 世界と日本 大図解シリーズ №998
  「巨大地震 震災と日本」

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3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした地震)は、「プレート境界型」とか「海溝型」と呼ばれる種類の地震。
いっぽう、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災を引き起こした地震)は、これとは発生のメカニズムが違う「活断層型」の地震だった。

ちなみに、「震災」と「地震」がこの記事でも混同されて使われているが、「震災」とは「地震」が引き起こした災害である(今回は津波災害がひどかった)。
「放射能」、「放射性物質」、「放射線」という用語が混同されて使われているのと、似ている。

 放射線を出す物質が放射性物質
 放射能は放射線を放出する「能力」。
 (もっと厳密に言うと、原子核が放射線を出してより安定した原子核に変わる性質)
 人間に害を及ぼすのは放射線であって放射能ではない。

私は、区別して使いたい。

この特集では、発生確率の高い「プレート境界型地震」について、30年以内に起こる確率が、予想される地震の規模(マグニチュード:M)とともに地図に示されている。
国の地震調査研究推進本部が公表している、主要な活断層や海溝型地震の長期評価結果によるもの。

下記サイトに情報源あり。
 長期評価 - 地震調査研究推進本部
  http://www.jishin.go.jp/main/p_hyoka02.htm
   主要活断層帯の位置および海溝型地震の発生領域と主な長期評価結果
   (上記サイト内に画像で掲載されている)

確率が異常に高く、気になるのは、次のような地域だ。
(東京新聞記事から抜粋)

■三陸沖北部地震
 M8.0前後 0.5~10%
 M7.1~7.6 90%程度

■宮城県沖地震
 M7.5前後 99%
■三陸沖南部海溝寄り地震
 M7.7程度 80~90%
(上記二つが同時発生の場合はM8.0前後)

■茨城県沖地震
 M6.7~7.2 90%以上
■南関東のM7程度の地震
 M6.7~7.2程度 70%程度
■東海地震
 M8.0程度 87%程度

■東南海地震
 M8.1程度 70%程度
■南海地震
 M8.4程度 60%程度
(上記二つが同時発生の場合、M8.5程度)

(続く)

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2011年6月26日 (日)

【遊】府中郷土の森(あじさいめぐり)

ひさしぶりに、家人とふたり、車で府中郷土の森へ。
あじさいを見に行った。

府中市郷土の森博物館[府中文化Net]
 http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/

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暑くなく、小雨がちの曇り空。
あじさいを見るには、ちょうどいい天候だったかも。

郷土の森博物館で、興味ぶかい展示があったので、別料金だったがのぞいてみた。
展示内容をうまくまとめたブックレットも販売していたので、ありがたかった。

特別展 「アウトローたちの江戸時代」
 府中郷土の森博物館 2011/4/29~6/26

この特別展のことを知らずに行ったのだが、今日がちょうど最終日だった。
運がよかった。

(左) パンフレット
(右) 解説のブックレット

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さすがに、あじさいの群落はみごとだった。
株によっては、散り始めているものもあったが、まだまだ見ごろだろう。

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古民家などの復元建物があるのも、うれしい。
入園料200円は安いと思う。

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いつも入る蕎麦屋で昼食。
ここも、古い建物「旧田中家住宅」を店舗として使っている。
蔵のある立派な商家(大店=おおだな)だ。

昼時でこんでいたが、20分ほど待って、せいろそばと天ぷらせいろをいただく。
おいしかったな。

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郷土の森博物館は、なかなかいい。
ミュージアム・ショップも充実していて、府中関係の書籍がたくさんある。
宮本常一さん関連の本や、民俗資料など。

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2011年6月25日 (土)

【楽】この一曲で聴くアルバム(我如古より子)

ムシムシすると思っていたら、ざーっと雨が降った。
毎日、暑い。
それでも、きょうはすこし涼しいか。

初夏の夕暮れに聴く音楽。
琉球音楽のCDコレクション秘蔵ボックス(?)から。

Ucnina_cd

この一枚、この一曲。

『唄遊び』 (うたあしび)
 我如古より子 with 吉川忠英
 リスペクトレコード RES-67 2002年
 http://www.respect-record.co.jp/artists/ganeko.html

5曲目にはいっている
 「ハード・タイムズ・カム・アゲイン・ノー・モア」
が好きだ。
(作詞:ムロケン、作曲:スティーブン・フォスター、編曲:吉川忠英)

今月のはじめ、西川郷子さん(さとちゃん)のソロ・ライブでも聴いた歌。
しみじみと、いい歌なのだ。

 2011年6月 5日 (日)
 【楽】Oh! Hard Times, come again no more
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/oh-hard-times-c.html

 

沖縄民謡歌手・我如古より子オフィシャルサイト
 http://www.ganekoyoriko.com/

【参考サイト】
100 STORIES <不幸中の幸い> > 歌が好き
> Hard Times Come Again No Moreハードタイムスとフォスター
  http://www.h2.dion.ne.jp/~hana-t/hardtimes.htm

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【遊】両国界隈散歩(続)

一昨日(6/23)、職場の人たちが、錦糸町で私の送別会をひらいてくれた。

5月25日いらい、ひさしぶりに電車(JR総武線)で隅田川を渡った。
毎日、電車で通っていた路線だ。
錦糸町のひとつ手前の両国で下車。

ほんとうは、南側にある回向院へも行きたかったし、あちこちにある博物館も見たかった。
残念ながら、この日はあまり時間がなかった。
一時間半ほど、両国駅の北側一帯を歩いてみた。

紹介したい写真がまだあるので、追加掲載。


両国駅前

 駅前はごちゃごちゃしているが、妙に落ち着く駅だ
 隣りの錦糸町駅の混雑に比べると、ここはひっそりしている

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両国国技館

 国技館にはいちども入ったことがない
 大相撲開催中は、力士の幟が並ぶ
 ここには相撲博物館もあるはず

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幽冥鐘
(横網町公園内)
 大正12年の関東大震災後、中国の仏教とから寄贈されたもの
 先日(3/11)の地震で、ここも一部損壊していた

 参考サイト
  kasen.net 東京都慰霊堂
  http://www.kasen.net/disaster/19230901/ireidou/index.htm  

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復興記念館
の展示物のなかに、各国からの支援物資(医療器具、調理器具、毛布、他)がたくさんあった。
義捐金も、あっというまに集まったという。
アメリカ在住の日系人が発行した、「募金シール」のようなものの実物も展示されていて、リアリティーを感じた。

復興記念館の展示物は、なかなか興味ぶかいものが多かった。
機会があれば、あらためて見学に行きたい。

よく言われることだが、大正の関東大震災後の東京の復興・復旧には、目をみはるものがあった。
今回の「東日本大震災」後、政府の対応がもたもたしていると感じるだけに、当時のリーダーたち(後藤新平が有名)は立派だったなと思う。

テレビや雑誌の写真で見る東北地方の震災後の状態には、胸がふさがる思いがするが、大正の大震災直後の写真もすさまじい。


東京スカイツリー

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立派な電波塔ができている一方で、隅田川河畔には、水色のテントが並んでいる。
以前、両国橋付近の河畔にたくさんあって、電車の窓から見えていたのが、ある日、姿を消していた。
あの人たちはどこへ行ったんだろう、と不思議に思っていたのだが……。

横網町公園のベンチに、家財道具の大きな荷物を足元に置いて、タバコをくゆらせている人がいた。
不定住の、ホームレスと呼ばれる人だろう。
スカイツリーとテント。
この国は、ちょっとおかしいな。


古い家
(旧安田庭園付近)
 ビル群のなかに取り残されたようにこんな家が
 ひと昔前の両国界隈を見るようで、なにやらほっとする

201106230049_2


隅田川河畔(隅田川テラス)の案内図
 たしかに、「テラス」と呼んでいいような、コンクリートで固められた遊歩道
 眺めはいいが、土の匂いのないのがさびしい

201106230068 

このガイドブックがおもしろい。
両国駅界隈には、いろんな博物館・資料館があるようだ。
ゆっくり時間をかけて歩いてみたいエリアだ。

『ぶらり東京の博物館めぐり』
 Burari倶楽部(編)/池田書店 発行

「両国/曳舟エリア・両国」 より
■江戸東京博物館 (墨田区横網1-4-1)
■木彫資料館 (墨田区横網2-5-5)
■べっ甲資料館 (墨田区横網2-5-5)
■相撲博物館 (墨田区横網1-3-28 両国国技館内)
■東京復興記念館 (墨田区横網2-3-25)
■相撲写真資料館 (墨田区両国3-13-2)
■両国花火資料館 (墨田区両国2-10-8)
■足袋資料館 (墨田区緑1-9-3)
■桐の博物館 (墨田区両国4-1-8) 等々

私が持っているのは2002年発行の初版。
渋谷(渋谷区神南1-12-10)にあった東京電力のPR館「電力館」が載っている。
先日(6月にはいってから)、渋谷へ映画を観に行く時に寄ってみようと思ったのだが、事前に調べてみると、5月末に閉館したという。
原子炉の巨大模型をいちど見たかったのだ。
残念。
もうすこし早く行ってみればよかった。
それにしても、東京電力、いろいろやってくれるな。まったく。

電力館ホームページ (閉鎖)
 http://www.denryokukan.com/

― Wikipedia 「電力館」 より ―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E9%A4%A8

<電力館(でんりょくかん)は、東京電力の子会社が運営していた電気に関する科学館・広報施設である。東京・渋谷に所在していたが2011年(平成23年)5月をもって閉館した。
 開館は1984年(昭和59年)11月で、渋谷・ファイヤー通り沿いに特徴的なデザインの建物を構えていた。東京電力の企業博物館として、省エネ家電の紹介コーナーを設置したり、原子力発電の仕組みを解説する模型を展示するなどしていた。
 2010年(平成22年)には大規模な改装工事が行われ、同年4月1日より各階が順次閉鎖されていた。表記も『Denryoku Kan(電力館)』と改め、翌2011年の3月20日に新装開館する予定となっていたものの、直前に発生した東日本大震災に伴って再開を延期、翌4月時点で全館休館となった。東京電力では震災に伴う福島第一原子力発電所事故なども発生したことから事業の見直しが行われ、同年5月31日をもってそのまま閉館、東京電力の広報子会社であり運営者であった東電ピーアール株式会社も清算されることとなった。
 閉館後は土地の売却などが検討されているが、売却後の電力館自体の再開を含めた跡地の利用は未定となっている。>

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2011年6月24日 (金)

【遊】両国界隈散歩(4)

きのう(2011/6/23)、両国界隈を歩いた日記の最終回。
隅田川のほとりを歩いてみた。

旧安田庭園
 残念ながら閉園した後だった
 ここも、関東大震災で壊滅的な被害を受けた
 このたびの震災(2011/3/11)によっても、一部破損したという
 (一部閉鎖中の掲示があった)

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高速道路の下をくぐって、蔵前橋を渡り、隅田川右岸まで歩いた。
端の上から、隅田川を前景に東京スカイツリーが。

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蔵前橋
右岸の橋詰にあった「浅草御蔵跡

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蔵前橋から北に見える「厩橋

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南に見える「両国橋
 JR総武線が走る

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隅田川を走る水上バス「東京水辺ライン」と、発着場

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散歩の終点、両国駅

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【遊】両国界隈散歩(3)

横網町公園をあとにして、両国駅方向へ戻り、江戸東京博物館をのぞいてみる。
開館が17時30分までと、あまり時間がなかったが、企画展だけでもと思い、駆け足でまわってみた。

この博物館は何度か足をはこんでいるが、内容がとても充実している。
おすすめの博物館だ。
ここは、原則として写真撮影可(一部はストロボ使用不可)。

江戸東京博物館
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

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「発掘された日本列島 2011 重要な遺跡・遺物の最新発掘速報展」
 江戸東京博物館では、6/11~7/31開催 (5階常設展示室 第2企画展示室)
 この後、新潟、静岡、九州(福岡)、高知の博物館、資料館で開催予定

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博物館を出ると、広場から東京スカイツリーが見えた。
まだ時間があったので、隅田川のほとりを歩いてみることにした。

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【遊】両国界隈散歩(2)

都立横網町公園は、旧日本陸軍の被服廠があった場所。
当時の東京市が買収し、公園として整備中に関東大震災がおきた。

―Wikipedkia 「横網町公園」 より―

<横網町公園(よこあみちょうこうえん)は、東京都墨田区横網にある東京都立の公園である。東京都慰霊堂や復興記念館があるところとして知られている。
当公園は元々陸軍被服廠があったところであったが1922年に赤羽(現在の東京都北区)に移転し、東京市(当時)が買収し公園として整備したものである。工事は1923年7月から始まったが、その最中の9月1日に関東大震災がおきた。>

<直後、周辺の下町一体から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まったが、午後4時ごろ、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園に避難した人だけで3万8千人が犠牲になったという。>

<震災後、その3万8千人の遺体はその場で火葬され、3メートルの高さになるほどの大量の遺骨はその場に急遽作られた仮設の慰霊堂に収容された。やがて東京の復興が進む中、建築家・伊東忠太の設計の元、当公園に関東大震災による遭難死者約58000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や慰霊堂が建てられ、1930年に完成。数十個の大瓶に移された遺骨は堂内に安置された。また横網町公園自体も1930年の9月1日に開園した。>

<翌1931年には当公園内に関東大震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成した。しかし、1945年東京は第二次世界大戦により再び焦土と化し、多くの犠牲者が出た。特に1945年3月10日の東京大空襲では多くの犠牲者が出た。当横網町公園をはじめ、多くの公園に犠牲者が仮埋葬されていた。>

<その後、第二次世界大戦における1944年・1945年(昭和19年・20年)の一連の空襲により、再び東京は焦土と化し、関東大震災を超える7万7000人あまりが死亡した。1948年より、各地に仮埋葬された身元不明の遺骨を納骨堂に改葬し、戦災者整葬事業が完了した1951年に「東京都慰霊堂」と改称した。>

横網町公園|公園へ行こう!
 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index087.html

公園の中や周辺には、当時をしのばせる建造物がたくさんあった。

震災記念 慈光院 (公園外南側)
 築地本願寺別院
 関東大震災で犠牲になった人たちを追悼するために建立された

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震災遭難児弔魂像 (公園内)

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三重塔 (慰霊堂裏)

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関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑

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東京空襲犠牲者追悼碑

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復興記念館 (内部公開)
 墨田区横網2-3-25 東京都横網町公園内
 起工 昭和5年9月26日
 竣工 昭和6年4月17日

内部の展示物は、あまり整理されていない印象を受けた。
震災を描いた絵画が、あんがい多い。
1階 震災被害資料
2階 絵画室(中央)、被害地域等の復興大模型、東京大空襲戦災資料、など

開園時間 公園は常時開園。復興記念館は月曜と年末年始が休みで、9時から16時30分まで。慰霊堂は早朝・夜間は閉鎖されている。

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2011年6月23日 (木)

【遊】両国界隈散歩(1)

職場のなかまたちが送別会をひらいてくれた。
ありがたいことです。

会場が錦糸町だったので、はやめに家をでて両国で途中下車。
以前から行ってみたい場所があったのだ。

隅田川を渡るのは、ひと月ぶり。

両国駅構内にあった案内図
 目的地は、地図中央やや上の緑色の地帯
 両国国技館(左下)、江戸東京博物館(中央下)の北にある、横網公園

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震災復興記念館
 都立横網町公園内
 関東大震災後に建てられた
 同じ敷地に建てられた東京都慰霊堂の付属施設
 このあたり(旧陸軍被服廠跡地)で何万人もの人が亡くなった

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東京都慰霊堂

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時間がおそかったので、復興記念館には長くいられなかったが、ざっとひと回りしてみた。
入園無料。
館内撮影禁止(念のため受付で確認したが、やはり「ご遠慮願いたい」とのこと)。
貴重な震災資料の写真は、残念ながら撮れなかった。

地震計の記録が展示されていた。
(吉村昭の『関東大震災』に描かれていたものだ)
地震計の針が振り切れた様子を、まのあたりにした。

火災で変型した自転車が強烈な印象だった。
(この自転車は、火災時の烈風で空中にまいあがり、樹木の枝にひかっかっていたという)

写真、遺物、図表など、震災当時の資料がたくさん展示されていた。

閉館時間(16:30)前に記念館を出ると、近くの幼稚園児や中学生が遊ぶ、のどかな光景。
館内の展示物とのギャップ。
つくづく、いまは平和なんだなあと思う。

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(続きは、明日)

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2011年6月22日 (水)

【震】Into Eternity 「永遠に」

暑い一日だった。
汗をかきかき、渋谷の上映スペースへ。

20110622_uplink

大きな映画館を想像していたが、ちいさなビルの二階にある、40~50人も入ればいっぱいになりそうなスペースだった。
http://www.uplink.co.jp/top.php

『100,000年後の安全』
 マイケル・マドセン監督 2009年 79分

 上映情報
  http://www.uplink.co.jp/x/log/003949.php

 映画『100,000年後の安全』公式サイト
  http://www.uplink.co.jp/100000/

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原題は「Into Eternity」(永遠に)
こちらの方が、この映画に描かれた世界の不気味さがよく伝わってくる。
邦題の「100,000年後」は、「十万年後」と書くよりも時間の長さが感じられ、これはこれで秀逸かも。

原子力発電所で使われた燃料は、使用後も放射性物質を出し続ける。
それも、気の遠くなるような長期にわたって。
それが、つまり、十万年ということ。

放射性廃棄物の処分について、これまで誰も本気で考えてこなかった。
いや、いろいろ考えてはきたのだろうが、最終的にどうすればいいのかわからないまま、貯まり続けているのが現状だ。
いったいどうする?(どうしてくれる?)

<毎日、世界中のいたるところで原子力発電所から出される大量の高レベル放射性廃棄物が暫定的な集積所に蓄えられている。その集積所は自然災害、人災、および社会的変化の影響を受けやすいため、地層処分という方法が発案された。フィンランドのオルキルオトでは世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、固い岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは、10万年間保持されるよう設計されるという。廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保証できるだろうか。……> (会場で配布されていたチラシより)

使用済核燃料の中間貯蔵施設の実映像が不気味だった。
これとおなじものが、日本にもたくさんあると思うと、ぞっとする。

日本では、最終処分場が決まらないまま、原発の稼働が続いている。

会場で販売していた公式パンフレット(発行:アップリンク)に、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)の文章がある。
「どうしても放射性廃棄物を捨てるなら、東京に」という言葉は、アイロニー(皮肉・反語)ではない。

「100,000年後の安全」 公式パンフレット (発行:アップリンク)

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たくさんの人に観てもらいたい映画だ。


【参考】 小出裕章さんの著書

 

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【歩】朝の散歩

朝からよく晴れていたので、暑くなる前にすこし散歩してきた。
喜平橋から、文化学園大学(旧・文化女子大)並びにある公園(つつじ公園)へ。
茜屋橋から玉川上水遊歩道(五日市街道沿い)に、貫井橋、小金井橋まで。
そこから帰ってきた。
ざっと4kmぐらい、6時前に自宅を出て7時半頃帰宅。
木陰は涼しく、きもちがよかった。

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今日みかけた小金井市のマンホールの蓋(左)は、カラーではなかった。
やはり、さくらの樹がデザインされている。
これまで、きづかなかったな。

小平市のもの(右)は、なかなか凝っている。

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つつじ公園 (小平市上水南町三丁目)
 はじめて行ってみた
 期待していたほどではなかったが、樹木が多く涼しい憩いの場だった
 体操をしているグループがいた

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玉川上水にかかる
 茜屋橋 (左) 貫井橋 (右)
 コンクリート造で風情はないが、由緒ある橋だ

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小金井橋
 最近、改築されて交差点が広くなった
 北上市から里帰りしたヤマザクラが植えられていた
 「名勝 小金井桜の会」の方々が、小金井堤の桜を守っている
 (頭がさがる)

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五日市街道沿いにある
 秋葉神社 (左) 小平市御幸町
 海岸寺 (右) 小平市御幸

海岸寺の境内にはスイレンの池があるが、今は咲いていなかった。
すぐ前の五日市街道は新宿方向へ車の列が続いているのに、古い寺社がひっそりと並んでいるのが不思議な感じだ。

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小金井桜樹碑
海岸寺の前にある
 文化七年(1810年)建立というから、200年まえのもの
 名勝小金井桜の由来が、ぎっしりと彫られていた

<この碑文は、いわゆる、金石文の基本ともいえるもので、小金井桜の由来と、当時の武蔵野新田開発世話役川崎平衛門の功績を後世に伝えるために建碑したことの文章が約700字に及んでいます。/この碑は、当時、金橋桜花と称せられた小金井堤の桜花を称賛した唯一の歴史的資料として貴重なものです。>
(小平市教育委員会発行「こだいらの史跡めぐり」より)

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2011年6月21日 (火)

【遊】あきる野の醤油、キッコーゴ

きのう、ひさしぶりにあきる野へ墓参に行った。
帰り道、五日市街道沿いにある醤油の醸造元に立ち寄った。

キッコーゴという屋号の、近藤醸造(株)だ。
亀甲のマークは、醤油の醸造元でよく使われているんだなあ。

近藤醸造株式会社 キッコーゴ醤油
 http://www.kondojozo.com/

創業から100年近くになる老舗のようだ。
ここは、墓参の帰りによく立ち寄る店。
きのうは、めんつゆと、ゆずぽん酢を買った。

創業者が近藤五郎兵衛さんなので、キッコーゴ。
私は、こういう建物が好きなので、見ただけで喜んでしまう。
単純な性格である。

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キッコーゴ 近藤醸造のパンフレット

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2011年6月20日 (月)

【震】オンカロ―100,000年後の安全

新聞記事の切り抜きを整理していたら、一か月ほど前のこんな記事がみつかった。
今、話題のドキュメンタリー映画 「100,000年後の安全」 にまつわる内容。

東京新聞 2011/5/21(土) 朝刊 26-27面
 こちら特報部
  「核燃料廃棄物 最終処分の行方は」
  「世界初処分場を着工 フィンランドの事例に学ぶ」


<雪が降り積もった凍土を、トナカイがゆっくりと歩く。壮大な自然の光景に見とれていると、カメラは洞窟のような工事現場に移る。地下五百メートルまで強固な岩盤を掘削して建設される、フィンランドの高レベル放射性廃棄物の最終処分場だ。>

<今、話題のドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」は、世界初の最終処分場がテーマ。原発から出た大量の放射能が無害になるとされる10万年後まで、果たして廃棄物を銅と鉄の特殊な容器に入れて安全に保管し続けられるのか。マイケル・マドセン監督が政府関係者や専門家にインタビューを重ねる。……>

<処分場は、首都ヘルシンキから北西240キロ、オルキルオト原発から東に約1キロの場所にある。名前は「オンカロ」。フィンランド語で「隠し場所」と言う意味だ。現在は調査施設を造り、2020年から操業予定だ。>


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この映画、渋谷の映画館で上映中だということを知ったので、近いうちに観にいくつもりだ。

映画『100,000年後の安全』公式サイト
 http://www.uplink.co.jp/100000/

この映画の上映館 (東京・渋谷) UPLINK
 http://www.uplink.co.jp/top.php
 上映情報
  http://www.uplink.co.jp/x/log/003949.php

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【歩】小平ふるさと村

昨日のサイクリングで立ち寄った、小平ふるさと村に関連する記事が、今日の東京新聞に載っていた。

東京新聞 2011/6/20(月) 朝刊22面 多摩版
 昭和の趣 結婚の思い出に
  和装の人前式 11月再現
  カップル1組を募集 30日まで 小平ふるさと村で

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― 記事より ―
<小平市文化振興事業団は11月3日、江戸時代初期以降の建造物などを見学できる小平ふるさと村(同市天神町二)で、昭和30年代ごろまで行われていた伝統的な結婚式を再現することにし、挙式するカップル一組を募集している。「趣きのある場所で伝統的な式を挙げ、思い出にしてほしい」としている。>

 小平ふるさと村 (小平シニアネットクラブのサイト内)
  http://www.ksnc.jp/kodairashoukai/furusatomura/furusatomura.htm

 財団法人 小平文化振興財団
  http://www.koueki.jp/disclosure/ka/kodaira_bunka/index.htm

会場になる、市文化財の旧神山家住宅主屋は、わらぶき屋根で江戸時代中期の武蔵野新田農家の特徴をとどめている。
土・日・祝日には、この建物の中で、手打ちの小平糧うどんをいただくことができる。
だいぶん前に食べたことがあるが、素朴でおいしいうどんだった。
(詳しくは、上記の小平ふるさと村のサイトを参照いただきたい)

私がここをゆっくり訊ねたのは、三年前だった。
古民家が好きなので、また日をあらためてゆっくり見学してみたい。

 2008年5月18日 (日)
 【遊】小平ふるさと村 (1)
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_3425.html
 【遊】小平ふるさと村 (2)
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/2_b356.html



旧神山家住宅主屋 (市指定有形文化財第8号)
 2011/6/19 撮影

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小平ふるさと村 パンフレット

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2011年6月19日 (日)

【歩】軽くサイクリング(2) 狭山・境緑道、多摩湖自転車道

小金井公園から、小金井公園通りを北へ。
私もよく利用する日帰り温泉、「お風呂の王様 花小金井店」のあたりに出る。
そこから、きもちのいい自転車道を西へむかった。

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あちこちに紫陽花が咲いていて気分がいい。

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花小金井駅南口を過ぎ、小金井街道を渡ると、多摩湖自転車道沿いに洒落た店がいくつかあった。

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青梅街道を横切ると、小平ふるさと村の前にでる。
ここを訪れるのも、ひさしぶりだ。
入口には、旧小平小川郵便局舎が移築されている。
園内に古民家がいくつかあって面白い。

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これぞ、雨後の筍(タケノコ)。

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新小金井街道にぶつかったところで、青梅街道に戻り、団地へ。
たくさん走ったように思ったが、帰宅後、地図で測ってみたら9kmぐらいしかなかった。
それでも、うっすらと汗をかき、いい運動になった。

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【参考】
 狭山・境緑道
 http://don-quijote.or.tv/domestic11/yuhodo.html

 中年夫婦のぶらぶらある記 http://don-quijote.or.tv/burabura.html より

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【歩】軽くサイクリング(1) 江戸東京たてもの園で「えどまるカップ」観戦

昼ごはんを食べたあと、天気ももちそうだったので、自転車に乗って軽くサイクリング。
団地から東へ、回田本通り、五日市街道を通って、小金井公園へ。
ひさしぶりに、江戸東京たてもの園にはいった。

西ゾーンがにぎやかだったので、行ってみると、広場で「えどまるカップ」が始まるところだった。
「えどまる」は、たてもの園のマスコットの名前。

昨日と今日、「予選」が開かれたらしい。

 江戸東京たてもの園
   http://www.tatemonoen.jp/

  武蔵野えどまる団
   http://www.tatemonoen.jp/edomarudan/


201106190001

泥んこサッカーといったところ。
ボールも、なにやらヤシの実のような形。
各チーム10人が、せまいグラウンドで二組に分かれ、ボールを二個使って同時に試合をするものだった。

実況中継がはいり、「えどまる王国国営放送局」による衛星TV生中継もやっていた。
最初の試合だけ観戦。
ハーフタイム2分をはさみ、前半・後半10分の試合だった。
こどもたちは真剣だったが、のどかな光景だった。

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第一試合の結果は、9対0の大差で、サモア・チームが圧勝。

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いつまでも観ていたかったが、きりがないので東ゾーンへむかって歩いてみた。
梅雨空の下、紫陽花がきれいだった。

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2011年6月18日 (土)

【雑】季節の花 クチナシ

クチナシが咲いていた。
この季節の、私の好きな花だ。

あいにく、私の鼻がよくないせいか、香りはあまり感じられなかったが。
(これは一重の花。八重だと強い香りを感じる)


撮影 2011/6/18(土) 神奈川県相模原市

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【遊】国分寺 light houseへ

昼前から相模原へ車ででかける用があったので、国分寺のうどん屋さん(light house)でお昼を食べた。
うどん屋さんだと思って行くと、びっくりするかもしれない。

私は勝手に「うどんの店」と紹介しているが、新聞記事(2009年5月9日 東京新聞)によると、「軽食・喫茶」ということになっている。
「テラス」と呼びたいような、ちいさなお店だ。


東京新聞 2009年5月9日(土) 朝刊記事 「東京どんぶらこ」

 「ライトハウス」(light house)は、左の絵地図の右下に紹介されている
 武蔵国分寺の近くの「お鷹の道」付近にある

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各種のうどんがおいしいが、お茶やアルコール類もあり、この季節だとかき氷も食べられる。
今日は、私たちの後に、ちいさなお子さんを連れた通りがかりと思われるご家族が二組、来店。

私はいつもの「野菜かきあげミルキーカレーうどん」(580円)、かみさんは少し軽めの「京都九条ねぎきつねうどん」(480円)をいただいた。

ご主人の仁田さんご夫妻には、先日、西国分寺のホールの映画上映会で顔をあわせたので、「先日はどうも」という感じで軽くご挨拶。
他にお客さんがいない時だと、いろいろ雑談をしてくるのだが、今日はお忙しそうだった。


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このお店の情報は、これまで何度か書いているので、詳しいことを知りたい方は、カテゴリー「国分寺 light house」をクリックしていただきたい。
おすすめの店です。

カレーうどんが好きな方には、「野菜かきあげミルキーカレーうどん」をおすすめしたい。
文字通り「ミルキー」なカレーうどんと、揚げたての野菜かきあげうどんがマッチして、絶妙な味です。

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2011年6月17日 (金)

【読】寺田寅彦

このところ地震関係の本を読んでいて、気になる人があらわれた。
寺田寅彦。
そういえば、これまで読んだことがなかった。
図書館から何冊か借り、本屋で買ったりして、読みはじめている。
明治から昭和のはじめにかけて活躍した、この有名な学者さんの随筆が、すこぶるおもしろい。

すこし読んでみようと思う。

― Wikipedia より ―
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京市)。
……寅彦は自然科学者でありながら文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれるが、著書中にその文言はない。
今日では、寅彦は自らの随筆を通じて学問領域の融合を試みているという観点からの再評価も高まっている。
漱石の元に集う弟子たちの中でも最古参に位置し、科学や西洋音楽など寅彦が得意とする分野では漱石が教えを請うこともあって、弟子ではなく対等の友人として扱われていたと思われるフシもあり、それは門弟との面会日だった木曜日以外にも夏目邸を訪問していたことなどから推察できる。そうしたこともあって、内田百間らの随筆で敬意を持って扱われている。……

       

博物学ということばがある。
私は好きだ。
寺田寅彦という人、博物学の人ではないだろうか。
なにやら、私の好きな南方熊楠に似ているところがあるようにも思う。

まだそれほど読んでいないので、わかったようなことは言えないが。

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【読】おもいきって本の整理(続)

午後から本の仕分けにとりかかったが、結局、処分できたのは100冊ほど。
今朝とりだした本の山のうち、半分以上は残すことになった。
われながら未練がましい。

今回、手放すことにしたもの中には、遠藤周作の文庫本(あらかた読んだ)や、五木寛之の『青春の門』(講談社文庫、筑豊編~再起編、12冊揃)なども含まれる。
あとは、山のガイドブックの一部(山の花のガイド)や、読みおえて未練のない本。

段ボール箱二つぐらいにはなりそうだ。

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そのいっぽうで、別れられなかった本。

五木寛之の文庫本(いつか読みなおそうという魂胆)。
宮部みゆきの文庫本(とくべつに愛着がある)。
石川英輔さんの文庫本(12冊、コレクション的なものかも)。
山のガイドブック(多数)、山の地図(40部ほど)。
いつか読もうと思い続けて、ずっととってある各種の文庫本。
その他、愛着のある本。

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ひところ、「断捨離(だんしゃり)」という言葉がはやったが、どうやら私は、「断捨離」の精神からほど遠いらしい。
おもいきって整理できるのは、ここから引っ越すときかもしれない。
そのときは、目をつぶって、えいやっと処分するしかないだろう。

とりあえず、今日はここまで。
本棚にはいっている本にまで手をつけると、収拾がつかなくなるので。

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【読】おもいきって本の整理

そろそろ本の整理にとりかかろうと思う。
たくさん溜まった本を、小平図書館友の会「古本市」に寄贈しよう。
段ボール箱二つぐらいになりそうだな。

小平図書館友の会ホームページ より
 http://www4.plala.or.jp/Nori/

第13回
チャリティ古本市のお知らせ
7月9日(土)10日(日)
9日10時~17時 10日10時~15時
小平市中央公民館ふれあいギャラリー
集本は7月6日(水)~8日(金)
10時~16時 上記公民館ギャラリーへ
(寄付者には3冊分の無料券をさしあげます)
・寄付本が多量にある方はご相談ください。

まだまだ出てきそうだが、物入れ(クローゼット)にしまいこんでいたものだけで、こんなにたくさんあった。
嗚呼!

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山のガイドブックやら、たいせつにしていた文庫本やら。
処分の基準を低くしないと、なかなか手放せないものばかり。

なかには、やっぱり置いておこうと思う、こんな本もあったりして。
前途多難なのだ。

Itsuki_anthology『音楽小説名作選』
 日本ペンクラブ編――五木寛之・選
 集英社文庫 1979年

≪収録内容≫
ピアノ(芥川龍之介)/ファンキー・ジャンプ(石原慎太郎)/GIブルース(五木寛之)/津軽じょんから節(長部日出雄)/生きながらブルースに葬られ(河野典生)/星の下のクヮルテット/足踏みオルガン(阪田寛夫)/今も時だ(立松和平)/熊の木本線(筒井康隆)/月(三島由紀夫)/指(宮原昭夫)/ジングル・ベル(安岡章太郎)
<対談解説>巖谷大四・五木寛之

この集英社文庫 アンソロジー(日本名作シリーズ)は、私のてもとに14冊ある。
実験小説名作選(筒井康隆・選)、私小説名作選(中村光夫・選)、捕物小説名作選(池波章太郎・選)、心中小説名作選(藤本義一・選)、スポーツ小説名作選(井上ひさし・選)、幻想小説名作選(半村良・編)、純愛小説名作選(吉行淳之介・選)、等々。
捨てがたいなあ。

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2011年6月16日 (木)

【歩】アジサイ

昨年にくらべて、アジサイの色づきがおそいような気がする。
そういえば、サクラの開花もおそかった。

湿っぽい天気がつづく。
紫陽花は梅雨空によくにあう。


撮影 2011/6/15(水) 東京都小平市

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2011年6月15日 (水)

【読】あんがい読めないものだ

時間がたっぷりある生活になって、本をたくさん読めるかと思ったが、あんがい読めないものだ。
先週土曜日から読みはじめて、まだ半分しか読んでいない本。

高木仁三郎 『プルトニウムの恐怖』
 岩波新書 黄版173
 1981年発行 227ページ

専門的な内容ということもあり、なかなか進まない。
今から30年前に書かれたものだが、現在の原発の状況をみごとに予見している。
人類がとうてい制御しきれないもの、それが原子力なんだな、と痛感する。

読みたい本がどんどん増えてきて、困る。
今日も、書店で二冊受けとってきた。

塩見鮮一郎さんの新刊 『解放令の明治維新―賤称廃止をめぐって』
 
河出ブックス 2011/6/30発行
寺田寅彦のアンソロジー 『ちくま日本文学 寺田寅彦』
 
筑摩書房 2009年発行

寺田寅彦に関心を持ったので、図書館からも何冊か借りてきたのだが、いつになったら読めることやら。
あまり欲張るのもいけないね。

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【歩】小平 散歩道

このところ運動不足だったので、小平駅まで往復4kmばかり歩いてきた。
道々、初夏の花を写真に撮りながら。
梅雨空の下、うっすらと汗をかいた1時間ばかりの散歩。
もっと長い距離を歩かなくちゃ。


撮影 2011/6/15(水) 小平市

(左) キンシバイ(金糸梅) オトギリソウ科
(右) ビヨウヤナギ(美容柳、金糸桃) オトギリソウ科

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(左) シモツケ(下野) バラ科
(右) ドクダミ(十薬、蕺草) ドクダミ科

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(左) クリの樹(花ざかり)
(右) 柿の実(たぶん)

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(左) 団地の中のあちことでビワが実っていた
(右) 小平駅近くになぜかブドウがもある(ちいさな実をつけていた)

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(左) よく利用するパン屋
(右) あかしあ通りの並木
 ハリエンジュ(ニセアカシア)ではなく、エンジュのような気がするが
 なぜか「あかしあ通り」なのだ

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(左) 小平駅前のだんご屋(よく利用している)
(右) 散歩の最終目的地だった書店
 だんご屋でだんごを買う
 書店では注文してあった本を受けとった
 (e-honの受取書店を、武蔵小金井駅前の書店からここに変更したのだ)

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小平市民会館(ルネ小平)の前にある巨大な丸ポスト
 高さは人の背丈の二倍ほどもある
 下の方にあるのが本物の投函口(実際に投函できる)
 2年ほど前に「丸ポストの街、小平」の宣伝のために作られたもの

 小平市のサイトより
  http://www.city.kodaira.tokyo.jp/oshirase/012/012995.html

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2011年6月14日 (火)

【遊】ひさしぶり サイボク・まきばの湯

今日は、昼前から、埼玉県日高市にあるサイボク(埼玉種畜牧場・サイボクハム)へ買い物に行き、日帰り温泉「まきばの湯」でのんびり過ごしてきた。
昨年11月いらい、半年ぶりだ。
平日の昼間、温泉に行けるとはありがたいことだ。

さすがに平日なので、すいていた。
前回買った温泉回数券(6枚綴り・6,000円)を使った。
あと2枚残っている。


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サイボクハム
 http://www.saiboku.co.jp/
天然温泉まきばの湯
 http://www.saiboku.co.jp/makibanoyu/

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2011年6月13日 (月)

【震】地震対策

小平市では、家具転倒防止器具を無償配布するという。
市役所へ行って申し込んできた。

首都圏直下地震の心配もあるので、できることはしておこうと思う。

東京都小平市ホームページ
 http://www.city.kodaira.tokyo.jp/

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きのうの東京新聞にも、気になる記事があった。

2011/6/20(日) 東京新聞 朝刊 28面
 「備える 3・11から」
  都心超高層ビル 最上階 震度6弱に
    9分超くねり衝撃逃す

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この団地は5階建なので、3月11日のときもこの記事ほどひどい揺れではなかったようだが、震度6~7の強烈な揺れがくれば、食器棚などは悲惨なことになることが目に見えている。

このあたりでは、立川断層帯が不気味だ。
地震発生確率など、まったくあてにならない。
日本列島が「大地動乱の時代」に足を踏み入れたことはまちがいないと思う。
用心するに越したことはないのだ。

2011/6/10(金) 東京新聞 朝刊 2面
 「立川断層帯 地震確率高まる」
   政府調査委評価
  東日本大震災影響 原発30キロ 二葉断層も

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地震動予測地図ウェブサイト全国版 - 地震調査研究推進本部
 http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/
  立川断層帯
   http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/katsudanso/f034_tachikawa.htm

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2011年6月12日 (日)

【読】道新ウェブサイト記事

きのう書いた「アイヌ民族の津波伝承」の記事が掲載されているかと思って、探してみた北海道新聞(道新)のウェブサイト。

 Doshin web どうしんウェブ:北海道新聞の速報ニュース
  http://www.hokkaido-np.co.jp/

あいにく、この記事はみつからなかったが、別の興味ぶかい記事をみつけた。
サイト内検索を使い、「アイヌ」で検索した結果である。

 知里幸恵、教科書に復活 登別-北海道新聞[道央]
  http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/295318.html

<【登別】教科書出版の教育出版(東京)が、来年度から使われる中学1年の国語の教科書に、登別出身で「アイヌ神謡集」の著者知里幸恵(1903~22年)の伝記を、11年ぶりに復活させる。地元からは「幸恵の生涯を全国に発信できる」と喜びの声が上がっている。>

<内容は前回掲載時と変わらず、B5判で10ページ。尋常小学校時代、成績優秀で低学年の勉強の相談相手になっていたことや、言語学者金田一京助との出会いと交流などを分かりやすく紹介している。>

<歴史の副読本などで取り上げられることは従来もあったが、国語で幸恵の生涯を詳しく解説しているのは同社の教科書だけのため、「知里幸恵 銀のしずく記念館」(登別本町)の横山むつみ館長は「若い世代の人たちに幸恵さんのことが浸透していくきっかけになる。再掲載は大変うれしい」と話している。>


私が愛読する藤本英夫さんの著作、『銀のしずく降る降るまわりに―知里幸恵の生涯』 が、中学校の国語教科書に使われるという。
うれしいニュースだ。

いい本なので、知里幸恵に関心のある方へおすすめしたい。

もちろん、知里幸恵さんの 『アイヌ神謡集』 は、いまや古典的な名著。
藤本英夫さんの著作には、他にも、知里真志保さんの評伝 『知里真志保の生涯―アイヌ学復権の闘い』、幸恵さんのもう一冊の評伝 『知里幸恵―十七歳のウエペケレ』 といういい本がある。

   

手前味噌だが、私のウェブサイトに、これらの本を紹介したことがある。

晴れときどき曇りのち温泉 > 資料蔵 > アイヌ資料編 > 資料蔵(アイヌ資料 3)
 > 知里幸恵と知里真志保  ― 藤本英夫による四冊の評伝 ―
 http://yamaoji-hp.web.infoseek.co.jp/k_ainu3.html

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【歩】ひさしぶり 「杏's cafe」

しばらくぶりに、花小金井の「杏's cafe」(アンズカフェ)でお昼を食べてきた。
ランチメニューは550円(炒麺は500円)、杏仁豆腐を付けてもらうとプラス150円。
(杏仁豆腐単品では300円)
手頃な価格で、とてもおいしい。

北海道へ杏仁豆腐を送ってもらった。
ここの杏仁豆腐は絶品。
いろんな方にさしあげたところ、好評だ。

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東京限定スイーツ 取寄せもできる東京都小平市にあるこだわり杏仁豆腐のお店 杏's cafe[アンズカフェ]
 http://www.ans-cafe.com/

 東京都小平市花小金井南町2-17-5
 (花小金井駅南口せいぶ通り)
 営業時間 10:30~19:00
 電話 042-450-3141

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【楽】ひさしぶり MOTELライブ

昨夜、吉祥寺「のろ」へ。
MOTEL(須藤もん&対馬照)のライブを聴いてきた。
15人もはいればいっぱいになる小さなライブスペースだが、満席。
ひさしぶりに顔をあわせる知人もいた。
和気あいあい、なごやかなライブだった。

「ハモニカ」「めし」の二曲は、いつ聴いてもいい歌だ。

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MOTELライブ予定

7月9日(土) 船橋 「無国籍料理 月」

 「アコースティックボイス船橋番外編 ~アダルトな詩人達~」

 出演 井上ともやす 石井明夫 HALUKA
     MOTEL(須藤もん&対馬照)
 18:00開演 (MOTEL出演 18:45~)
 料金 2,000円 (ドリンク別)

 千葉県船橋市夏見1-10-31
 TEL 047-424-0706
 http://www.blues-tsuki.com/

7月23日(土) 三鷹 「バイユーゲイト」

  「東西めおとアワー」

 出演  MOTEL(須藤もん&対馬照)
      スワンピータケシ&杉本"Q"仁美(from大阪)
 20:00 開演
 料金 2,000円 (ドリンク別)

 武蔵野市中町1-17-2 アビエス1F2号
 (JR中央線 三鷹駅北口 徒歩2分)
 TEL 0422-55-5782
 http://bayougate.voxx.jp/


須藤もん公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/
モバイル用サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/mobile/

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2011年6月11日 (土)

【震】アイヌ民族の津波伝承

北海道にいるあいだ、北海道新聞(道新)を読んでいた。
五木寛之の連載小説「親鸞 激動篇」も、毎日欠かさず読むことができた。

昨日(5/10)の朝刊一面に、興味ぶかい記事があった。

北海道新聞 2011/6/10(金) 1面
 「アイヌ民族の津波被災裏付け
  伝承20編 地質痕跡と照合 新潟大准教授」

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<11~19世紀ごろの道内アイヌ民族の伝承40編に、津波に関する記録があることが確認され、このうち少なくとも16市町村に伝わる20編は実際の被災体験に基づくとみられることが、新潟大の高清水康博准教授(堆積地質学)の調査で分かった。過去の堆積物調査で津波の痕跡があった地域と、伝承が記録された地域を照らし合わせるなどして調べた。文字記録が少ない開拓期以前の津波の被害状況の一端を伝える貴重な資料といえそうだ。……>

伝承のいくつかが紹介されている。
アイヌ民族の豊かな文化が感じられる。

<「津波は心を持つ悪い波で、津波よけの祈りがあった。破損した古道具や穀物のヒエなどを海岸に並べる。『ホーイホーイ』と言いながら、道具などを蹴飛ばして海に入れ、先に物を渡すからコタン(集落)まで来なくていいと頼む」(胆振管内むかわ町・1943年)>

<「古老の父が若かったころ、大津波があり、大地が裂けて中からフナのような魚が飛び出した。大津波はむやみには無いが、言い伝えでは地震が先に来る。高台に逃げる時は笹地を選べ。笹は根を深く張って中々、地面が裂けない」(日高管内新ひだか町・1955年)>

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2011年6月10日 (金)

【遊】美瑛、初夏 (3)

北海道の季節は、本州よりひと月ほど遅い。
そのかわり、いっせいに花が咲く。

図鑑では「春の花」とされている、ライラック、スズラン、そしてナナカマド。
実家の花壇も花盛りだった。


写真 2011/6/5(日)~6/10(金) 美瑛

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【遊】美瑛、初夏 (2)

美瑛では、ほとんど実家にこもっていたが、毎日のように自転車で買い物に出ていた。
道路が広く、車もほとんど走っていない街中は、気もちのいいサイクリング・ロード。

美瑛川の堤防は舗装されていて、走りやすい。
大雪・十勝連峰がよく見えた。

久しぶりに、町役場の横にある「四季の塔」の展望台にあがってみた。
360度の展望が楽しめる。
残雪の山が見られて、うれしかった。

写真 2011/6/5(日)~6/10(金) 美瑛


美瑛川堤防から
 (中央) 美瑛岳
 (左) 美瑛富士
 (右) 十勝岳

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みどり橋(緑橋)
四季の橋(赤い橋)


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美瑛町役場と四季の塔

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四季の塔からの展望

(左から) 美瑛富士、美瑛岳、十勝岳

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(左) オプタテシケ山
(右端) 美瑛富士

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大雪山
 (右) 旭岳

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トムラウシ山

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【遊】美瑛、初夏 (1)

5日から今日まで、美瑛に帰っていた。
勤めていた頃、この季節に帰省するのは難しかった。
二十歳ぐらいまで北海道にいたのに、六月の北海道がこんなにいい季節だったことを忘れていた。

美瑛の街は、あいかわらず人の気配がない。
連日、25度を超す夏日で暑かったが、湿気が少ないため、からっとした夏の日ざしだった。


写真 2011/6/5(日)~6/10(金) 美瑛

美瑛駅前
 左端の建物が観光案内所 「四季の情報館」

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美瑛駅
 私が子どもの頃から駅舎は変わっていない
 駅前はだいぶん変わったが

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道の駅 「丘のくら」
 美瑛特産の「美瑛軟石」を使った倉庫を改造した建物
 いまや美瑛の名所になっているおすすめスポットだ

 美瑛町の道の駅~びえい「丘のくら」
  http://www.hokkaido-michinoeki.jp/data/97/each.htm

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街で見かけた倉庫
 これも「美瑛軟石」で造られている
 今は使われていないようだ

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本通りで発見した喫茶店
 その名も 「J. コルトレーン」
 入ってみようかと思ったがやめた(今度入ってみよう)

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2011年6月 9日 (木)

【遊】美瑛

日曜日から美瑛に来ています。明日には東京に戻ります。
まるで真夏のような暑さです。
近くの富良野あたりでは、昨日、30度になったとか。
大雪山、十勝岳連峰がよく見えます。
花盛りの初夏です。


写真 2011/6/10(金) 旭川空港

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2011年6月 5日 (日)

【雑】裏の畑にいます

「裏の畑にいます」(宮澤賢治)――というわけでもありませんが、今日から一週間ほど留守にします。
ブログに寄せていただいたコメントやメールへのお返事は、滞ることがありますが、ご容赦ください。
できるだけ携帯電話で見るようにしますが。

上々颱風の酒田ライブは、あきらめました。
酒田よりもずっと先、「北の大地」へ所用ででかけます。

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【楽】Oh! Hard Times, come again no more

昨夜、六本木(西麻布)の「新世界」で、西川郷子さんのライブを聴いてきた。
アンコールで歌った一曲がこれ。

 Hard Times, come again no more (Stephen Collins Foster)

メロディーを聴けば、誰もが知っているあの曲。
日本でもいろんな人が歌っている(例えば、我如古より子さんが吉川忠英さんと組んだアルバム)。
 【参考サイト】
  http://www.h2.dion.ne.jp/~hana-t/hardtimes.htm


日本語歌詞だったが、さとちゃんの伸びやかな歌声が胸に沁みた。
募金箱も置かず、震災についても直接触れなかったが、さとちゃんらしい気持ちがこもったライブだったと思う。

アンコールで歌った最後の曲は、「朝まだき」。
どうということのない日常の風景を歌ったものだが、さとちゃんが言うように、ここに歌われているようなあたりまえの生活が戻ってきますように……。

休憩をはさんで、二時間のライブ。
ギターの小沢あきさん、パーカッションの関根真理さんのお二人のサポートを得て、のびやかに歌うさとちゃんの歌声に酔った。
関根真理さんがじつにすばらしいパーカッションを聴かせた。
私は初めて生演奏に接する人だったが、驚いた。
(同姓同名のタレント=関根勤の娘さんとは別人。念のため)

 SEKINE MARI WEB SITE
  http://www.dareyanen.com/mari/


さとちゃんは、アルバム「響(hibiki)」収録曲のほか、彼女のオリジナル曲をたっぷり歌ってくれた。
いいライブだったなあ。

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六本木ヒルズと、会場の「新世界」(地下)入口の看板

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そして今年もまた、花園神社(七夕)ライブが近づいてきた。
たのしみだなあ。

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2011年6月 3日 (金)

【読】【震】原子力神話からの解放

また硬い話だが、しょうがない。
原発事故はまだ進行中だから、忘れることはできない。

高木仁三郎さんの本を一冊読んだ。

『原発事故はなぜくりかえすのか』 (岩波新書)
 2000年12月20日 第1刷/2011年5月16日 第8刷

高木さんは、2000年10月に癌で亡くなったが、その夏、「死期を意識しつつ最後の力をふりしぼって」(編集部によるあとがき)テープに録音したものが、この本になった。
高木さんがどうしても書き残しておきたいと考えたのは、前年、1999年9月に起こったJCOの臨界事故がきっかけだったという。


東海村JCO臨界事故 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
<東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年に茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)。死者2名と667名の被曝者を出した。
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡した。
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料を加工を担うJCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。これは制御不能の原子炉が出現したようなものである。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」と語った。JCO職員は事故当初、誰も止める作業をしなかったが、国からの代理人が「あなた達でやらなければ強制作業命令を出した後に、結果的にする事になると促された結果、「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない」と同社職員らが数回に分けて内部に突入して冷却水を抜く、ホウ酸を投入するなどの作業を行い、連鎖反応を止めることに成功して事故は終息した。中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った翌10月1日の午前6時半だった。>


高木さんは、これは「マニュアル」うんぬんの問題ではないという。

<JCOの事故は、報道されたように単純に裏マニュアルの存在とか、さらにその裏マニュアルからの逸脱とかいう現場の問題にとどまりません。亡くなられた大内さんや篠原さんたちの行為が悪かったのだというように決めつけるのは、非常な短絡化であって、亡くなった人に責任を押しつけるのはよくないことだと思います。このような事故が起こるもっと根本的な背景に、ぐさりとメスを入れなくてはいけないのです。(中略)国は逸脱行為などと言っていますが、どうもこの逸脱行為というのが私にはピンときません。バケツでウラン溶液を扱うようなことがどうして起こったかということは、産業の構造の問題とも関係して興味がわくことです。/正確を期しておきますと、バケツでウランを扱ったからすぐに臨界事故になったというわけではありません。臨界事故になった直接の原因は、濃縮度の高いウラン溶液を本来の作業とは手順の違う沈殿槽に、手作業でバケツに七杯分も一度に入れたことでした。そのために臨界を超える量になってしまったという、信じられないようなことが起こったのです。さらに、そういうことが実際に現場で自動的なロックがかからずに許されてしまっていたという構造上の欠陥や、まわりの人がそのミスを止められなかったというような欠陥が、いろいろ出てきました。そういうところに問題があります。……> (本書 P.71-72)


もう一冊、つい最近、文庫版で復刊された高木さんの本。
これから読もうとしているところ。

『原子力神話からの解放 ―日本を滅ぼす九つの呪縛』 (講談社+α文庫)
 2000年12月20日 第1刷/2011年5月16日 第8刷
 底本 2000年8月 光文社刊

今から11年前、すでに高木さんは原子力発電のウソ(神話)をはっきり指摘していた。
書名にある「九つの呪縛」「神話」とは――

 「原子力は無限のエネルギー源」 という神話
 「原子力は石油危機を克服する」 という神話
 「原子力の平和利用」 という神話
 「原子力は安全」 という神話
 「原子力は安い電力を提供する」 という神話
 「原発は地域振興に寄与する」 という神話
 「原子力はクリーンなエネルギー」 という神話
 「核燃料はリサイクルできる」 という神話
 「日本の原子力技術は優秀」 という神話

である。
(本書目次、太字は私)

今となっては、私のような原子力発電の素人でも、こんなことはみんなウソだとわかることばかりだが、十年ほど前はこんな神話を盾に原発政策が強引にすすめられていたのだった。
それはまだ尾を引いている。

この文庫版のまえがき(西尾漠、原子力資料情報室共同代表)には、次のようにしるされている。

<本書執筆のきっかけとなったのは、1999年9月30日、茨城県東海村JCOのウラン加工工場で発生した「臨界事故」だった。(中略)/しかしいま、「原子力からの解放」を現実のものとなしえなかった私たちは、さらに根底からの問いを引き受けなくてはならなくなった。2011年3月11日に発生した東日本大震災のさなかに、東京電力福島第一原発で起きた第事故は、一ヵ月余を経てなお進行中で、まったく先が見えない。(中略)/そのいま、本書を読めば、これはまさに福島第一原発事故から何を学ぶべきかを書いた本として読者に迫ってくるだろう。福島第一原発事故が、なぜ起きてしまったのか、どこにその本質的な問題があるのか、の答えがここにある。>


昨今、マスコミ報道されている「政局」騒ぎにはうんざりしている。
国会議員のセンセイ方は、こういう本を読んで勉強しないのだろうか?
原子力発電をどうするのか、真面目に議論しているようには見えない。
私にはそれが不思議でならない。


どうやら、今回の「菅降ろし」騒ぎの背後には、原発政策にまつわる思惑があったようだ。
この国の政治に、まともな「議論」はなく、あるのは、利権とか思惑だけなのだろうか。
さびしいというか、悲しいというか、情けないというか……。


東京新聞 2011/6/3(金) 朝刊 22-23面 特報記事 「こちら特報部」
 与野党に「電力人脈」 菅降ろしに原発の影

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2011年6月 2日 (木)

【遊】「地球交響曲第四番」を観る

一昨日に続き、西国分寺南口の「国分寺いずみホール」で、「地球交響曲(第四番)」を観てきた。

国分寺チャリティー上映会@国分寺いずみホール
 地球交響曲 ガイアシンホニー 全7作品一挙公開
http://www.office-kaleido.com/shienkin-cinema/

ジェーン・グドールが出演しているのを知っていたので、第三番(星野道夫)とあわせて、ぜひ観たいと思っていたのだ。

出演者のひとり、ジェームズ・ラブロック博士については、原発賛成派とみなされて批判されているらしい。
(ラブロック博士の「ガイア理論」を詳しく知らないので、私にはなんとも言えないが)
上映後、主催者の山本さんのお話で、この四番は上映会からはずそうかと思っていた、とおっしゃっていたワケは、そのあたりの事情だったのだろうか、と勘ぐってみる。

これに関しては、監督の龍村仁さんの興味ぶかいインタビューがネット検索でみつかった。
下にURLを紹介しておこう。

■Ustream.tv: ユーザー creategold: ガイアシンフォニー・龍村仁監督インタビュー・第四番・ジェームスラブロック博士との出会い■
 http://www.ustream.tv/recorded/14031247


ジェーン・グドールについては、彼女の自伝『森の旅人』を読んだり、星野道夫さんの『アフリカ旅日記』などで、人がらは想像していたが、この映画で、彼女の魅力的な声と語り口に接し、ますますファンになってしまった。

もう一人、私は知らなかった人だが、沖縄県伊是名島生まれの版画家、名嘉睦稔(なか・ぼくねん)さんが、とても魅力的だった。
この人の版画も素晴らしいが、生き方がすごい。

会場で、この人のギャラリーのちらしをいただいてきたので下に掲載した。

■名嘉睦稔オフィシャルウェブサイト/Bokunen Naka web site■
 http://www.bokunen.com/


Island_gallery_pamph1Island_gallery_pamph2

 

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2011年6月 1日 (水)

【遊】小平元気村おがわ東

詳しいことは書かないが、用があって、午前中、自転車に乗って行ってきた。
多摩湖自転車道をゆっくり走って、自宅から30分もかからない。

カテゴリは【遊】だが、遊びに行ったわけではない。
趣味三昧で暮していけるほど経済的に余裕はないので、今後のための根回しである。

多摩湖自転車道。
天気のいい日に、のんびり走ってみたいものだ。


より大きな地図で 多摩湖自転車道 を表示

小平元気村おがわ東/東京都小平市
 http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/001/001346.html


廃校になった校舎を利用した施設で、なるほど、昔の学校の雰囲気が残っている。
うまい使い方をしているなと感心した。

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