また硬い話だが、しょうがない。
原発事故はまだ進行中だから、忘れることはできない。
高木仁三郎さんの本を一冊読んだ。
『原発事故はなぜくりかえすのか』 (岩波新書)
2000年12月20日 第1刷/2011年5月16日 第8刷
高木さんは、2000年10月に癌で亡くなったが、その夏、「死期を意識しつつ最後の力をふりしぼって」(編集部によるあとがき)テープに録音したものが、この本になった。
高木さんがどうしても書き残しておきたいと考えたのは、前年、1999年9月に起こったJCOの臨界事故がきっかけだったという。
東海村JCO臨界事故 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
<東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年に茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)。死者2名と667名の被曝者を出した。
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡した。
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料を加工を担うJCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。これは制御不能の原子炉が出現したようなものである。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」と語った。JCO職員は事故当初、誰も止める作業をしなかったが、国からの代理人が「あなた達でやらなければ強制作業命令を出した後に、結果的にする事になると促された結果、「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない」と同社職員らが数回に分けて内部に突入して冷却水を抜く、ホウ酸を投入するなどの作業を行い、連鎖反応を止めることに成功して事故は終息した。中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った翌10月1日の午前6時半だった。>
高木さんは、これは「マニュアル」うんぬんの問題ではないという。
<JCOの事故は、報道されたように単純に裏マニュアルの存在とか、さらにその裏マニュアルからの逸脱とかいう現場の問題にとどまりません。亡くなられた大内さんや篠原さんたちの行為が悪かったのだというように決めつけるのは、非常な短絡化であって、亡くなった人に責任を押しつけるのはよくないことだと思います。このような事故が起こるもっと根本的な背景に、ぐさりとメスを入れなくてはいけないのです。(中略)国は逸脱行為などと言っていますが、どうもこの逸脱行為というのが私にはピンときません。バケツでウラン溶液を扱うようなことがどうして起こったかということは、産業の構造の問題とも関係して興味がわくことです。/正確を期しておきますと、バケツでウランを扱ったからすぐに臨界事故になったというわけではありません。臨界事故になった直接の原因は、濃縮度の高いウラン溶液を本来の作業とは手順の違う沈殿槽に、手作業でバケツに七杯分も一度に入れたことでした。そのために臨界を超える量になってしまったという、信じられないようなことが起こったのです。さらに、そういうことが実際に現場で自動的なロックがかからずに許されてしまっていたという構造上の欠陥や、まわりの人がそのミスを止められなかったというような欠陥が、いろいろ出てきました。そういうところに問題があります。……> (本書 P.71-72)
もう一冊、つい最近、文庫版で復刊された高木さんの本。
これから読もうとしているところ。
『原子力神話からの解放 ―日本を滅ぼす九つの呪縛』 (講談社+α文庫)
2000年12月20日 第1刷/2011年5月16日 第8刷
底本 2000年8月 光文社刊
今から11年前、すでに高木さんは原子力発電のウソ(神話)をはっきり指摘していた。
書名にある「九つの呪縛」「神話」とは――
「原子力は無限のエネルギー源」 という神話
「原子力は石油危機を克服する」 という神話
「原子力の平和利用」 という神話
「原子力は安全」 という神話
「原子力は安い電力を提供する」 という神話
「原発は地域振興に寄与する」 という神話
「原子力はクリーンなエネルギー」 という神話
「核燃料はリサイクルできる」 という神話
「日本の原子力技術は優秀」 という神話
である。
(本書目次、太字は私)
今となっては、私のような原子力発電の素人でも、こんなことはみんなウソだとわかることばかりだが、十年ほど前はこんな神話を盾に原発政策が強引にすすめられていたのだった。
それはまだ尾を引いている。
この文庫版のまえがき(西尾漠、原子力資料情報室共同代表)には、次のようにしるされている。
<本書執筆のきっかけとなったのは、1999年9月30日、茨城県東海村JCOのウラン加工工場で発生した「臨界事故」だった。(中略)/しかしいま、「原子力からの解放」を現実のものとなしえなかった私たちは、さらに根底からの問いを引き受けなくてはならなくなった。2011年3月11日に発生した東日本大震災のさなかに、東京電力福島第一原発で起きた第事故は、一ヵ月余を経てなお進行中で、まったく先が見えない。(中略)/そのいま、本書を読めば、これはまさに福島第一原発事故から何を学ぶべきかを書いた本として読者に迫ってくるだろう。福島第一原発事故が、なぜ起きてしまったのか、どこにその本質的な問題があるのか、の答えがここにある。>
昨今、マスコミ報道されている「政局」騒ぎにはうんざりしている。
国会議員のセンセイ方は、こういう本を読んで勉強しないのだろうか?
原子力発電をどうするのか、真面目に議論しているようには見えない。
私にはそれが不思議でならない。
どうやら、今回の「菅降ろし」騒ぎの背後には、原発政策にまつわる思惑があったようだ。
この国の政治に、まともな「議論」はなく、あるのは、利権とか思惑だけなのだろうか。
さびしいというか、悲しいというか、情けないというか……。
東京新聞 2011/6/3(金) 朝刊 22-23面 特報記事 「こちら特報部」
与野党に「電力人脈」 菅降ろしに原発の影

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