【遊】両国界隈散歩(続)
一昨日(6/23)、職場の人たちが、錦糸町で私の送別会をひらいてくれた。
5月25日いらい、ひさしぶりに電車(JR総武線)で隅田川を渡った。
毎日、電車で通っていた路線だ。
錦糸町のひとつ手前の両国で下車。
ほんとうは、南側にある回向院へも行きたかったし、あちこちにある博物館も見たかった。
残念ながら、この日はあまり時間がなかった。
一時間半ほど、両国駅の北側一帯を歩いてみた。
紹介したい写真がまだあるので、追加掲載。
両国駅前
駅前はごちゃごちゃしているが、妙に落ち着く駅だ
隣りの錦糸町駅の混雑に比べると、ここはひっそりしている
両国国技館
国技館にはいちども入ったことがない
大相撲開催中は、力士の幟が並ぶ
ここには相撲博物館もあるはず
幽冥鐘 (横網町公園内)
大正12年の関東大震災後、中国の仏教とから寄贈されたもの
先日(3/11)の地震で、ここも一部損壊していた
参考サイト
kasen.net 東京都慰霊堂
http://www.kasen.net/disaster/19230901/ireidou/index.htm
復興記念館の展示物のなかに、各国からの支援物資(医療器具、調理器具、毛布、他)がたくさんあった。
義捐金も、あっというまに集まったという。
アメリカ在住の日系人が発行した、「募金シール」のようなものの実物も展示されていて、リアリティーを感じた。
復興記念館の展示物は、なかなか興味ぶかいものが多かった。
機会があれば、あらためて見学に行きたい。
よく言われることだが、大正の関東大震災後の東京の復興・復旧には、目をみはるものがあった。
今回の「東日本大震災」後、政府の対応がもたもたしていると感じるだけに、当時のリーダーたち(後藤新平が有名)は立派だったなと思う。
テレビや雑誌の写真で見る東北地方の震災後の状態には、胸がふさがる思いがするが、大正の大震災直後の写真もすさまじい。
東京スカイツリー
立派な電波塔ができている一方で、隅田川河畔には、水色のテントが並んでいる。
以前、両国橋付近の河畔にたくさんあって、電車の窓から見えていたのが、ある日、姿を消していた。
あの人たちはどこへ行ったんだろう、と不思議に思っていたのだが……。
横網町公園のベンチに、家財道具の大きな荷物を足元に置いて、タバコをくゆらせている人がいた。
不定住の、ホームレスと呼ばれる人だろう。
スカイツリーとテント。
この国は、ちょっとおかしいな。
古い家 (旧安田庭園付近)
ビル群のなかに取り残されたようにこんな家が
ひと昔前の両国界隈を見るようで、なにやらほっとする
隅田川河畔(隅田川テラス)の案内図
たしかに、「テラス」と呼んでいいような、コンクリートで固められた遊歩道
眺めはいいが、土の匂いのないのがさびしい
このガイドブックがおもしろい。
両国駅界隈には、いろんな博物館・資料館があるようだ。
ゆっくり時間をかけて歩いてみたいエリアだ。
『ぶらり東京の博物館めぐり』
Burari倶楽部(編)/池田書店 発行
「両国/曳舟エリア・両国」 より
■江戸東京博物館 (墨田区横網1-4-1)
■木彫資料館 (墨田区横網2-5-5)
■べっ甲資料館 (墨田区横網2-5-5)
■相撲博物館 (墨田区横網1-3-28 両国国技館内)
■東京復興記念館 (墨田区横網2-3-25)
■相撲写真資料館 (墨田区両国3-13-2)
■両国花火資料館 (墨田区両国2-10-8)
■足袋資料館 (墨田区緑1-9-3)
■桐の博物館 (墨田区両国4-1-8) 等々
私が持っているのは2002年発行の初版。
渋谷(渋谷区神南1-12-10)にあった東京電力のPR館「電力館」が載っている。
先日(6月にはいってから)、渋谷へ映画を観に行く時に寄ってみようと思ったのだが、事前に調べてみると、5月末に閉館したという。
原子炉の巨大模型をいちど見たかったのだ。
残念。
もうすこし早く行ってみればよかった。
それにしても、東京電力、いろいろやってくれるな。まったく。
電力館ホームページ (閉鎖)
http://www.denryokukan.com/
― Wikipedia 「電力館」 より ―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E9%A4%A8
<電力館(でんりょくかん)は、東京電力の子会社が運営していた電気に関する科学館・広報施設である。東京・渋谷に所在していたが2011年(平成23年)5月をもって閉館した。
開館は1984年(昭和59年)11月で、渋谷・ファイヤー通り沿いに特徴的なデザインの建物を構えていた。東京電力の企業博物館として、省エネ家電の紹介コーナーを設置したり、原子力発電の仕組みを解説する模型を展示するなどしていた。
2010年(平成22年)には大規模な改装工事が行われ、同年4月1日より各階が順次閉鎖されていた。表記も『Denryoku Kan(電力館)』と改め、翌2011年の3月20日に新装開館する予定となっていたものの、直前に発生した東日本大震災に伴って再開を延期、翌4月時点で全館休館となった。東京電力では震災に伴う福島第一原子力発電所事故なども発生したことから事業の見直しが行われ、同年5月31日をもってそのまま閉館、東京電力の広報子会社であり運営者であった東電ピーアール株式会社も清算されることとなった。
閉館後は土地の売却などが検討されているが、売却後の電力館自体の再開を含めた跡地の利用は未定となっている。>
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コメント
20年位前に国技館の升席で相撲を見たことがあります。そのころ相撲ファンだったので。いただいて券でしたが。ついでにお相撲さんの肉にもさわらせていただきました。ぷよぷよではなく筋肉質だったので驚いた。若花時代は悪臭そのものという感じで、世間がたいしたもんだ的に評価していることにも嫌気がさして遠ざかりました。
後藤新平ですが、藤原書店が「後藤新平の会」を開催しているので気にはなっていました。孫が鶴見和子で、親戚筋が佐野学などまさに曼荼羅一族です。満州、台湾などを植民地化にすることに成功しアヘン利益をさてどうしたかは謎の評価。東京を今でいう区画整理し、平板化させた、まあ、復興させたということでしょうか。
今、後藤新平を見習おうとする動向があるのですが、後藤の視野には、手を泥で汚して労働する一人ひとりの民の存在が欠落しているように思います。さっさとブルトザーでがれきを除去し、未来都市のような効率よき住居群を作るような。
がれきの中に、もしかしたら大事な遺品やもしかしたら遺体があるかもしれないから手作業でやることを選んだ作業員たちもいます。時流にのって後藤新平を評価したくないなあ、というところでしょうか。
投稿: ろくろくび | 2011年6月26日 (日) 13時32分
>ろくろくび さん
後藤新平の評価はともかく、気になる人ではあります。
鶴見和子・俊輔姉弟の祖父ということでも。
後藤新平の進め方がよかったのかどうか、私には判断できませんが(それほどよく知らないし)、今、強烈なリーダーシップを発揮できる人がいないのは淋しい。
「復興庁」と言っても、どこまでできるのか……。
投稿: やまおじさん | 2011年6月26日 (日) 15時50分
わたしは、逆で、なぜ強烈なリーダーを求める世論が優勢なのか、マスメディアがそう煽っているのかよくはわからないけど。放射能はだれがリーダーであっても減るわけではないし、復興は事業であるから復興利権をうまく調整するという意味であれば、それに長けた人がリーダーになるでしょう。パフォーマンスで、「強烈さ」をアピールすればOKだしね。
政局が混乱すると、坂本竜馬や白洲次郎を持ち上げたりとなかなかチョイスする側もよく歴史を勉強しているな、と思います。
投稿: ろくろくび | 2011年6月26日 (日) 17時11分
>ろくろくび さん
おっしゃることは、よくわかりますよ。
私は理想を思い描いているので、調整とかパフォーマンスとか、そういうレベルではなくて、民意(あまり好きな言葉ではありませんが、本来の意味で民衆の意思)を汲みあげて、ビジョンを描ける人物(一人じゃなくても)がいないと、それこそ政治家や企業の駆け引きで進んでいってしまうように思うのです。
ちなみに、坂本龍馬や白洲次郎がもてはやされているようですが、私はほとんど興味がありません。
(強烈な個性を持った人物として関心はありますが、実像がよくわかりません)
投稿: やまおじさん | 2011年6月26日 (日) 17時54分