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2011年7月31日 (日)

【読】【震】池澤夏樹さんが説く「希望」

コモンズ社から刊行された 『脱原発社会を創る30人の提言』 の巻頭。
池澤夏樹さんによる19ページほどの文章を読んだ。

 「昔、原発というものがあった」  池澤夏樹 作家・詩人

今回の福島第一原発事故の後、原発に対する池澤さんの考えを、あらためて知りたかった。――私の知る限り、三月の大震災の後、マスメディアで池澤さんの発言はほとんどなかったので。
それが、ここに明確に示されている。
物理学の徒でもある池澤さんの言葉には、説得力があり、心強い。


人間の手には負えない原子力

<地震と津波は天災だったが、原発は人災である。> (本書 P.10、以下同様)

福島第一原発が設計と運転において杜撰でいい加減で無責任だったからではなく、そもそも、原子力は人間の手に負えないものだ、と、池澤さんは冒頭ではっきり言う。

再生可能エネルギーの将来性

それでは、原子力が担ってきた分のエネルギーをどこに求めるか?

<これは未来図を描く試みであり、どの距離の未来を構想するかで話は変わってくる。はるかに遠い時代の夢物語ならば、どんなことでも言える。かと言って、本当に近いこのなつの電力事情となると現実的な制約が多すぎる。その間のどこかに、この時点で見て(というのは、福島第一がまだ安定にほど遠く、広い範囲に放射性降下物(フォールアウト)が散って人々の不安が募る今ということだが)、ある程度まで具体性のある図が描けないかということだ。> (P.11)

再生エネルギーについて、現実的に実現可能な方策を、池澤さんは提示している。
そういえば、小説 『すばらしい新世界』 は、風力発電を題材にしていた。

再生可能エネルギーに異論を唱える人たちが指摘する「供給の不安定」に対して、池澤さんが示す二つの方策。

(その一) 電力網をずっと広範囲なものにする
アメリカで具体化されている「スマートグリッド」というコンセプト。
電力の生産と消費の地域的な偏りを是正し、互いに融通しあう大きなシステム。
日本全体を一つのネットワークで結んで供給と需要の平均化を図る。
そのためには、今の日本の電力事業の問題点である、「地域独占」を解体する必要がある。

(その二) 蓄電技術
<…最近の蓄電池の性能向上は別種の蓄電施設を可能にした。この方面への自動車業界の貢献は大きい。石油の枯渇を近い将来に見た彼らは、早い段階から別のエネルギー源へのシフトを模索していた。…>
<…高性能の蓄電池のコストが格段に下がった。これからは風力発電機は蓄電施設とセットで造られるだろうし、送電網の中継点にも大規模な設備が用意されているだろう。…> (P.15)

手の届く範囲にある技術

具体的な事例を並べたのは、それらが「基本的にはわれわれの手の届く範囲にある技術」だから、と言う。

<風力発電について言えば、あれはただの風車だ。風が強いところに風車を立てて発電機につなぐ。根本的な困難は何もない。…> (P.16)

「海洋温度差発電」についても
<SFの中の話と聞こえるかもしれない。その先の判断は個々人の工学的なセンスの問題になるが、ごくは楽観的に案外実現可能と思っている。…> (P.17)

原子力への警戒

「安全神話」を鋭く批判している。
作家になって間もなく、東海村の原子力発電所を見学に行った時に書かれた文章が引用されている。
それは 『楽しい終末』 (ノンフィクション)に収録されているものだった。

池澤さんは、すでにその頃から、奴ら(発電所側)が言う「安全」に胡散臭いものを感じ、指摘していたのだった。
下は本書P.20、池澤さん自身による引用。

<制御と遮蔽が原子力産業全体の基本姿勢である。遮蔽について実に正直に語っている文書をぼくは発電所でもらった。…「安全への配慮」という項目には「放射線の封じ込め」と題して五つの壁が放射性物質の周囲にあることを強調している。そして箇条書きにして五項目からなるその、句読点まで含めて百六十字ほどの短い文章の中で、危険性は「固い」、「丈夫な」、「密封」、「がんじょうな」、「気密性の高い」、「厚い」、「しゃへい」、という言葉の羅列によって文字通り封じ込められていたのである。/これは思考の文体ではなく、説明の文でもなく、要するに広告コピーの、売り込みの文体である。…> (『楽しい週末』 文春文庫)

この本も、もういちど読みなおしてみようと思う。

<どこかに欺瞞がある。/世の事業の大半はこんな風に安全性を強調はしない。新幹線も飛行機も今さら「安全です」とは言わない。何かを隠そうとすればするほど、それが露わになる。…> (本書 P.21)

原理的に安全ではない

「より根源的な問題」として、「原子力は原理的に安全でないのだ」。

<原子炉の中でエネルギーを発生させ、そのエネルギーは取り出すが同時に生じる放射性物質は外へ出さない。あるいは、使用済み核燃料の崩壊熱は水で冷却して取り去るが、放射線は外に漏れないようにする。あるいは、どうしても生じる放射性廃棄物を数千年にわたって安全に保管する。> (P.22)

この原理には無理がある。その無理はたぶん、われわれの生活や生物たちの営み、大気の大循環や地殻変動まで含めて、この地球の上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに由来するのに対して、原子力はその一つ下の原子核と素粒子に関わるものだというところからくるのだろう。> (P.23)

<この二つの世界の違いはあまりに根源的で、説明しがたい。「何かうまい比喩がないか?」とぼくの中の詩人は問うが、「ないね」とぼくの中の物理の徒はすげなく答える。「原子炉の燃料」というのはただのアナロジーであって、実際に「炉」や「燃」など火偏の字を使うのさえ見当違いなのだ。> (P.23)

<唯一わかりやすいのは数字かもしれない。ヒロシマの原爆で実際にエネルギーに変わったのは約1kgのウランだったが、そのエネルギーはTNT火薬に換算すると1万6000t分だった、というこの数字が含む非現実性を示すこと。両者の間には8桁の差がある。…> (P.23)


この言葉は、ものすごく説得力がある。
以上、引用ばかりが長くなってしまった。
池澤さんの文章をうまく要約することは、私の手に余る。
本屋さん(あるいは図書館)で、この本を実際に手にとっていただきたいと思う。

池澤さんの文章は次のように結ばれている。

<テクノロジーの面においては、その気になれば社会はがらりと変わる。原発から再生可能エネルギーへの転換も実はさほどむずかしいことではないのではないか。原子力におけるような原理的な困難はない。…> (本書 P.28)

<それならば、進む方向を変えよう。「昔、原発というものがあった」と笑って言える時代のほうへ舵を向けよう。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく、屋根にソーラー・パネルを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデラート・カンタービレの日々。
 それはさほど遠いところにはないはずだ、とこの何十年か日本の社会の変化を見てきたぼくは思う。> (同)

あきらめず、絶望せず、希望を持ちたいものだ。


【補足】 スマートグリッド ― Wikipediaより ―
スマートグリッド (smart grid) とは、デジタル機器による通信能力や演算能力を活用して電力需給を自律的に調整する機能を持たせることにより、省エネとコスト削減及び信頼性と透明性の向上を目指した新しい電力網である。

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コメント

 さすが、いい本読んでいますね。池澤さんに、全く同感です。そういう声が3・11前になぜもっと大きくならなかったのかもどかしい。孤立を恐れてしまうのかなあ。
 忌野清四郎じゃないけど、「暑い夏がやってきた」のだから「あぶねえ」くらいみんなで歌わなくっちゃ。
 祝島の漁民が原発反対を貫いているのには感動。ふつうの生活にはセシウムはいらないよ。
  

投稿: ろくろくび | 2011年7月31日 (日) 21時07分

>ろくろくび さん
池澤夏樹さんはどうか知りませんが、私について言えば「無関心」だったからですね。
あの3月の大津波と原発事故を予想できていた人は、ごくわずかだと思います。
あの事故で目ざめた人は多いと思います。
新聞・テレビの報道は、全くダメですね。どうしようもない。
(私が購読している東京新聞は、ちょっとだけ鋭い特報記事を出し続けていますが)

それにしても、原発立地地域の人たちには、申し訳ない気持でいっぱいです。都市生活者や企業の電力のために、巨大なリスクを背負っているわけですから。

投稿: やまおじさん | 2011年7月31日 (日) 22時02分

 そうか。でも、ほんとは無関心ではなかったかもね。
 「大きな賭けに負けた僕たち」という漫画家のしりあがり寿のエッセーがあります。あぶなそうだけど、でもまさかこんなことになろうなんて思わないといういう方に賭けていたというような内容なんですが。
 浜岡原発差し止め訴訟などに関心があったし、ことあるごとに反原発をいってきたわたしが自戒しなければいけないのは「それみたことか」と今はいうべきではないということ。
 南極越冬隊だって蓄電装置で生きているのだからやってやれないことはなにのに。だれかの短歌にありました。「いふじゃないか。欲得 談合だってよ」みたいな。

投稿: ろくろくび | 2011年8月 1日 (月) 06時13分

池澤夏樹は、3月の震災以来朝日新聞の連載および特集でやまおじさんが紹介した内容をか来、また札幌の講演で同じ内容を主張しています。彼は父が文士・・・。反発して理科系へ進んだので論理的な思考で原子力発電に意見を述べ、震災の現場へも足を運びましたね。私は科学的な部分は分からないところもありますが、彼の主張には励まされます。幾つもの本の紹介、ありがとうございました。

投稿: 玄柊 | 2011年8月 1日 (月) 06時32分

>玄柊さん
そうでしたか。朝日新聞と講演で。
知りませんでした。ありがとう。

投稿: やまおじさん | 2011年8月 1日 (月) 07時52分

>ろくろくび さん
危ないものだとは思っていました、原発。
今年の3月から、私にもいろんなことがわかってきました。
書店に行くと、地震・津波・原発に関する本がたくさん出ています。いいことだと思います。
(情報の取捨選択は必要ですが)

投稿: やまおじさん | 2011年8月 1日 (月) 08時45分

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