【震】赤坂憲雄×津島佑子 対談 (2)
東京新聞夕刊に掲載されている、赤坂憲雄さんと津島佑子さんの対談。
第2回より。
2011/8/10(水) 東京新聞 夕刊 5面
「選択の夏 ポスト3.11を生きる」 <中>
対談 赤坂憲雄(民俗学者)×津島佑子(作家)
津島 大震災の後、言葉の力を信じるみたいな言い方が出てきたけれど、それは逆だろうって思うんですね。こういう時は信じない方がいいよって。「日本は負けない」とか、「日本人はすばらしい」とか。言葉ってある種、暴力になりうる。言葉で語り得ないものを表し、伝えるにはどうしたらいいか。その意味で、文学を担ってきた人間たちが今、問われているし、責任も重い。
赤坂 原発被災地の人たちの思いも、若者、女性、老人…と、村に戻りたいという気持ちではばらばらです。その思いをわかることが簡単にできるはずがない。でも、近づく、近づこうとする努力は大切だと思います。若い人には行って見てほしいと言っている。見てどうなるものでもないけれど、少なくとも映像を通したものとは違う現実があることを知った方がいい。……
赤坂 地域からみると、原発の周りって地場産業がない。巨大な原発のプラントは東京の大企業しか作れない。地元の人たちは孫請けの下請けみたいなところで働いている。一万人の雇用が生まれていると言っても、原発の敷地の中です。電気を含めほとんど東京に還流する構造になっており、中央集権的なシステム、まさに都市と地方の関係の凝縮された形だった。東京に全部電気が送られていることを知らなかった。うかつでした。
津島 意識していなかったという自責の念はありますね。ほとんどの人がそう言っているので、わからないようにされていたのかなと、思うようにもなったけれど。
赤坂 思考停止になっていたんだと思いますよ。
赤坂さんが言うように、福島第一原発の事故によって、私もまた目がさめたのだった。
東京電力の福島第一、第二原発で作られた電気は、福島県では使われないものだった……。
若者たちに現地を見る方がいい、という赤坂さんの言葉は、もっともだと思う。
実際に、そのように動いている若者が多いことも知っている。
「がんばろう」とか、「負けない」という言葉がメディアから流れるたびに、うんざりする。
けれど、声高に叫ぶことなく、黙々と動いている人たちがいることを、知ろうと思う。
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コメント
赤坂はとんまね。わたしの近所の「肩書のないオバサン」でも、フクシマはトウキョウのための原発って知っているよ。あの石原都知事だって「いいですよ、どうぞ東京に原発を」といったのだから。
赤坂並みが「知識人」としてえばっているんだろうな。「ちびっとリベラル風」者たちとその太鼓持ちたちが、日本をミスリードしてきたんじゃないかな。水戸黄門の「越後谷お前も悪じゃのう」の方が分かり易い。
投稿: ろくろくび | 2011年8月11日 (木) 21時12分
>ろくろくび さん
私も、赤坂さん並みに「とんま」だったかも。
今度の福島第一原発事故が起きるまでは、知らなかったから。
投稿: やまおじさん | 2011年8月11日 (木) 21時57分