【読】世界記憶遺産 山本作兵衛
炭鉱記録画家 山本作兵衛(1892~1984)の絵画や日記が、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された。
今年の五月のことだった。
日本からは、初の登録。
記憶遺産は1992年に始まった事業で、これまでに、フランスの手書き版「人権宣言」やアンネの日記など76カ国193件が登録されているそうだ。
私には、富士山の世界遺産登録問題などよりも、よほど興味ぶかく、うれしいできごとだ。
このニュースはだいぶん前の新聞報道で知っていたが、7月末に、山本作兵衛さんがかつて出版していた本が復刊された。
今日、国分寺にでる用があったので、駅ビルの紀伊國屋書店で入手。
こういう本が図書館にはいるまでには時間がかかるし、なによりも手元に置いておきたい本だから。
復刊されたのは、1967年に刊行されていた画文集 『炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』。
東京新聞の記事で知った。
装丁が南伸坊というのも、うれしい。
東京新聞 2011/7/29(金) 夕刊 8面記事
筑豊炭鉱画文集 装い新たに復刊
記憶遺産の山本作兵衛作品
『新装版 画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる――地の底の人生記録』
講談社 2011/7/28発行
214ページ 1700円(税別)
山本作兵衛について、私はこれまで、まったく知らなかった。
じつに、味のある絵なのだ。
本書の著者紹介から、一部を転載しておく。
山本作兵衛 (やまもと さくべえ)
明治25(1892)年福岡県嘉穂郡生まれ。七歳のころから坑内に入り、以来五十余年、働くヤマが閉じられるまでひとすじに筑豊のヤマに生き抜いてきた。これだけでもすでに偉とするに足る記録だが、真価はむしろそれ以後、昭和33年に「ヤマの姿を記録して孫たちに残しておこう」と絵筆をにぎり、明治・大正・昭和三代のヤマの姿を丹念にうつしはじめてから発揮される。
とうに六十はすぎていたが、その記憶力は抜群で、独学ながら精緻丹念な仕事ぶりは一日も休むことなくつづけられ、九年間で数百枚の絵と六冊の大学ノートびっしりに貴重な記録がものされた。
昭和59(1984)年、老衰により、惜しまれつつ逝去。…
【参考サイト】
■asahi.com 2011/5/25
筑豊の炭鉱画、国内初の「記憶遺産」に 山本作兵衛作
http://www.asahi.com/culture/update/0525/SEB201105250050.html
■東京新聞:記憶遺産 炭坑の絵探る:なるほどランド:教育(TOKYO Web)
2011/7/12
http://www.tokyo-np.co.jp/article/education/naruhodo/CK2011071202000094.html
■山本作兵衛の作品集ギャラリー【世界記憶遺産】 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2130637277428160801
■YouTube
ユネスコ世界記憶遺産登録 山本作兵衛炭坑記録画・記録文書展
http://www.youtube.com/watch?v=y7DMqIafyp0
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コメント
同感です。これは買うべき本ですね。わたしも全く山本作兵衛のことを知りませんでした。朝日新聞で世界記憶遺産に登録されたことを知り、その炭鉱仕事の絵のカラー写真を大事に切り抜いていました。本になったら絶対買う、と決めていました。
わたしは「記憶の共有」という言葉が大好きなんです。「記憶遺産」という制度を知り、いたく感激したんです。実直に仕事一筋に生き、わたしたちに記憶を手渡す。まさに偉業としかいいようがないです。生きている内に会えた南伸坊がうらやましい。短い人生で本物に巡り合うのはマレではないかとこの頃悲観的になっています。わたしの怠慢が偽物を掴んでいるんですが。
暑い日が続く中、やまおじさんの感性が鈍ることなく、わたしを喚起してくださることに感謝。これが無かったら、どうしよう。
投稿: ろくろくび | 2011年8月 2日 (火) 00時02分
>ろくろくび さん
南伸坊さんが好きな私は、この新聞記事をみてうれしくなりました。
私たちが子供の頃、石炭はまだ現役で活躍していました。
冬が近づくと、物置にひと冬ぶんの石炭を運びいれていたことを思いだしました。
北海道では石炭ストーブがふつうに使われていましたし(夏は薪ストーブで煮炊きしていました)、蒸気機関車(SL)もあたりまえでした。
炭鉱もたくさんありましたし。
そういう「記憶」がいつのまにか消えてしまうのですね。
投稿: やまおじさん | 2011年8月 2日 (火) 08時33分