【読】ようやく読了 「ヒロシマを壊滅させた男 オッペンハイマー」
訳者が池澤夏樹さんでなければ、途中で放り投げていたかもしれない。
カタカナの人名がたくさん出てきて、たいそう疲れたが、意地で読み終えた。
著者のピーター・グッドチャイルドは英国人。
日本語訳は、1982年に出版され、私が読んだのは1995年の新装版だ。
Peter Goodchild
J. Robert Oppennheimer=Shatterer of Worlds
ピーター・グッドチャイルド 著/池澤夏樹 訳
『ヒロシマを壊滅させた男 オッペンハイマー』 (新装版)
1995年 白水社
294ページ 2718円(税込)
この本の内容については、(無責任なようだが)Amazonサイトで見ていただきたい。
いくつか書評も載っている。
巻末に、池澤夏樹さんの「訳者あとがき」があり、こちらの方が私には興味深かった。
<ロバート・オッペンハイマーという名はいまわしく響く。この名前は我々の記憶の中では原爆と切りはなしがたく結びついており、我々日本人は原爆のまことに一方的な犠牲者であって、原爆の技術的達成を喜ぶ立場にも、その恩恵に浴する立場にもない(誰が恩恵に浴したのだろうか?)。オッペンハイマーは、本書に見るごとく、原爆開発の統率者に過ぎず、彼が一人で原爆を作ったわけではないし、ヒロシマとナガサキへの投下の責任は彼にではなくトルーマンとアメリカ国民全体に帰せられよう。それでも、彼の名前はいまわしいのだ。…(中略)…灰塵と化した二つの都市ゆえに、またホモ・サピエンスという種の消滅意外のなにものでもないはずの全面核戦争の直前の状態がこれだけ長く続いているがゆえに、その発端におかれたオッペンハイマーというまがまがしい名前を断罪したく思う。これは感情的なものいいであろうが、しかし被害者は感情から出発するほかない。加害者の弁明は論理的で結構、しかし論理は被害者の受苦を容れ得ない。> (池澤夏樹 1982年の「訳者のあとがき」より)
このような池澤さんのはっきりした物言いは心強い。
「原爆許すまじ」とか、「過ちは二度と繰り返しません」といった、主体ががはっきりしない言い方を、日本人はしたがる。
そのことに、私はずっと違和感を感じてきた。
1995年新装版の池澤さんのあとがきは次のようなものだ。
それから16年たった今年(2011年)起きた衝撃的な事態を思うと、考えさせられる内容だ。
<十三年前に訳した本がまた刊行されることになって、さてこの十三年の間に何がどう変わったかと考えてみる。冷戦は終わり、小さな紛争が増えた。核兵器が使われる事態はなかったが、チェルノブイリという大きな核の災厄をわれわれは体験した。日本について言えば、使用済核燃料の問題がいよいよ具体化してきたし、他の国すべてが手を引いた高速増殖炉をまだ未練たらしく抱えている。昨日の新聞は中国の核兵器の実験のニュースを伝えていた。要するにわれわれは核の時代に生きているのであり、この時代を開いた人としてオッペンハイマーの名を忘れるわけにはいかない。
最初の版のあとがきでぼくは、オッペンハイマーという名前はわれわれにとっていまわしいと書いた。感情的な発言であることは承知の上で、ともかくその一点を押さえないことにはわれわれにとってのオッペンハイマー像は描けないという気持ちだった。しかし、今となると、やはり彼はあらゆる意味で現代という時代の象徴、D・H・ロレンスが「悲劇の時代」と呼んだこの時代を象徴する人物であるという思いの方が強い気がする。彼がいなくても誰かがマンハッタン計画を指揮しただろうし、いずれにしても人類は核兵器を持ったはずだ。…(中略)…われわれに本当に足りないのは科学技術の力ではなく政治の力である。しかし政治家や軍人はずるいから、嫌われる役割をナイーヴな科学者に押しつけた。あれは実に品のない芝居の一幕であった。>
<ぼくの方も歳をとったのだろう。誰が悪いと一人を特定して非難してみてもまったく何の役にも立たない。問題は人類全体を乗せた筏が流れてゆく方向であり、どうもそちらには大きな滝があるらしくて轟々という水の音が聞こえてくる。今のうちに水に飛び込むか、あるいは筏に命を任せるか。そういうことをずいぶん考えたあげく、二年前に『楽しい終末』という本を書いた(文藝春秋刊)。80年代のはじめにオッペンハイマーの伝記を訳したことは、90年代になってぼくに終末論に関する考察を書かせるきっかけになったかもしれない。オッペンハイマーがひらいた道を人類は営々と広げて、延ばして、舗装して、トラックやバスを走らせている。その意味でもやはり彼は現代の象徴である。彼が過去に属する日はまだまだ来そうにない。…>
(池澤夏樹 「訳者のあとがき」<1995年の追加> より)
池澤さんの新刊が出たことを知った。
上の文章から16年たった今、池澤さんは何を考えているのか、私にはとても興味深い。
池澤夏樹 著/鷲尾和彦 写真
『春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと』
中央公論新社 2011/9/8
123ページ 1260年(税込)
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