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2011年10月18日 (火)

【読】面白半分

私がまだ二十代前半だった1970年代。
「面白半分」という、A5サイズのちいさな月刊誌があった。

当時の人気作家が、半年サイクルで交替して編集長をつとめていた。
サブカルチャー・マガジンと呼ぶのだろうか、面白い雑誌だった。
(1972年1月号から1980年8月号まで、約10年間に100号以上発行され、1980年12月「臨終号」が最終号)

この「面白半分」を発行していた編集者が、佐藤嘉尚さんという人。
その佐藤さんが書いた本を、いま読んでいる。

ずっとまえ手にいれたものの、読まれないまま、わが家の書庫(ウソです)に眠っていた二冊だ。

佐藤嘉尚 『「面白半分」の作家たち―70年代元祖サブカル雑誌の日々』
 集英社新書 2003/8/26発行
 221ページ 660円(税別)

佐藤嘉尚 『「面白半分」快人列伝』
 平凡社新書 2005/5/10発行
 208ページ 740円(税別)

「面白半分」の歴代編集は、吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一、といった錚々たる作家・詩人たち。

この12人のうち、すでに7人は故人となってしまった(括弧内は没年)。
吉行淳之介(1994年)、開高健(1989年)、金子光晴(1975年)、井上ひさし(2010年)、遠藤周作(1996年)、半村良(2002年)、田村隆一(1998年)。
こうして並べてみると、感慨ぶかいものがある。

彼らとの交流、内輪話など、たくさんのエピソードがとても興味ぶかい。
「四畳半襖の下張」裁判の話も、当事者だけに、おもしろい。

思えば、あの頃は「熱い時代」だった。
――と、昔を懐かしむようになってしまったのも、ちと淋しいが……。

五木寛之編集の「面白半分」(1973年7月号~12月号)は、今もたいせつに保管している。
「四畳半襖の下張」が掲載された、野坂昭如編集 1972年7月号も持っていたはずだが、どこかに行ってしまった。

五木寛之編集 「面白半分」(1973年7月号~12月号)
 表紙は、米倉斉加年が描いた絵。
 ビジュアル的にも斬新な試みの雑誌だった。

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【参考】 Wikipediaより
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年(昭和18年)11月8日 - )は秋田県出身の作家、編集者。
 秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる。秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。最初に企画した丸山明宏(現在の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
 1971年(昭和46年)に同社から独立して株式会社面白半分を設立、同社社長に就任。同年12月より月刊雑誌『面白半分』を発行。吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一らを同誌の歴代編集長に迎え、同誌を1970年代活字文化を代表する月刊雑誌に育てる。
 1972年、永井荷風作と伝えられる好色小説「四畳半襖の下張」を同誌に掲載したことにより野坂昭如とともに猥褻文書頒布罪で起訴され、1980年、最高裁判所で罰金15万円(野坂には罰金10万円)の有罪判決を受ける。同誌は1980年(昭和55年)に終刊を迎えた。
 翌1981年、房総半島南端の千葉県館山市に移住しペンションかくれんぼを経営。1988年、かくれんぼを含む7軒のペンションを統合し、ホテルオーパ・ヴィラージュ開設に関わる。
(以下、略)

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コメント

そうだったんだ。あれは秋田のセンスだったんだ。と言っても二ツ井町に行ったことはないけど。秋田高校は男子高校で、優秀な生徒が集まっていました。明石国連大使やら、東大総長のなにやらなど、色々。男子高校といえども「男子に限る」という条文がないことに着目し、女子で入学を果たした秀才がいます。「酒は天下の太平山」の酒造元のとても美人の方。私は別学に甘んじて秋田北高校に入りました、その同級生のお姉様でした。進取の気性があるというか、そうそう「もりやピッケル」も秋田でした。うーん。鶴の湯温泉にでも行きたいなあ。故郷は心のよりどころですね。たった18歳までしか住んでいなかったけど、生まれ育ったところです。秋田ときけば、無条件に良し、みたいなナショナリズムがあります。都会にやっぱりなじめないはぐれ鳥かな。

投稿: ろくろくび | 2011年10月19日 (水) 21時21分

>ろくろくび さん
コメント、ありがとうございます。

今日はたくさん書き写して、疲れました(笑)。
この佐藤嘉尚さんという人、私は今回の読書ではじめて知りましたが、面白い(と言って悪ければ、興味ぶかい)人物です。
写真も載っていますが、なんとも憎めない風貌。
千葉の館山でペンションを始めたそうですが、そちらの著作も面白そうです。

秋田について、いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。
行ってみたい気持ちになりました。
機会があれば、ゆっくり訪ねてみたい場所です。

投稿: やまおじさん | 2011年10月19日 (水) 22時33分

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