【読】しつこく「面白半分」について
いったん「おしまい」と書いたものの、もう一冊を読みはじめてみたら面白かったので、書き継ぐことにした。
佐藤嘉尚 『「面白半分」快人列伝』
平凡社新書 2005/5/10発行
208ページ 740円(税別)
例の「四畳半襖の下張」裁判の経緯が詳しく書かれている。
著者の佐藤嘉尚さんは、野坂昭如(編集長)と共に被告席でこの裁判を経験した人なので、裁判の一部始終がよくわかる。
以下、引用ばかりが多くて恐縮だが……。
<雑誌『面白半分』が人々の記憶に残っているとすれば、その大部分は「四畳半襖の下張」裁判によってだろう。編集長が初代の吉行淳之介から二代目の野坂昭如に移った最初の1972年7月号に掲載した伝永井荷風作「四畳半襖の下張」が刑法175条の猥褻文書に当たるとして野坂と私が起訴され、結局最高裁まで行き、1980年野坂が罰金十万円私が十五万円の有罪判決で終わった裁判である。> (本書 P.32)
<話は創刊して数ヵ月後、野坂との間で7月号からの相談をするところから始まった。私が野坂の自宅に伺って雑誌の編集内容を相談したわけだが、後に裁判の中でこのことが「被告佐藤と被告野坂が共謀して」と検察側から言われたのには驚いた。> (同 P.32)
著者の佐藤さんは、これを「言葉のズレ」と言う。
<「法廷方言」(別の言い方をすれば法律の専門用語)と、私たちの「普通の言葉」が噛み合わず、結局は私たちだけが百万言を費やして思うところを縷々喋ったのに対し、検察側はその百分の一ぐらいをおざなりに喋った程度だった。マンザイで言えば、私たちが多弁なツッコミだったのに対し、検察は寡黙なボケだった。そして、私たち被告側がひとり相撲のようにきりきり舞いをした挙句、負けたのである。/この裁判が終始滑稽だったのは、こうした「言葉のズレ」のせいだと思われる。> (同 P.32-33)
野坂さんが「四畳半襖の下張」を掲載しようとした意図は、すこぶる真面目なものだったと佐藤さんは言う。
<野坂は元々日本語の変化が激しすぎることについて危惧を抱いていた。時代の変化とともに言葉も変化するのは当然だとしても、例えばたかだか明治の漱石や鷗外の文章を現代の大学生が註や辞書なしでは読めないというのは、欧米の若い人たちがシェークスピアをスラスラ読むという事実に照らしてみても、いくら何でもまずいのではないか。>
<前の時代を最もよく継承するのが言葉であるとすれば、言葉が急激に変化し過ぎるのは良くない。せめて明治、願わくば江戸後期ぐらいまでの文章は読めるのが望ましい。>
<…前略… そういう意味で、性的な文章で伝統的な美しい日本語で書かれたものがないかと考え、「四畳半襖の下張」に思い至ったわけである。>
検察側のやり方は、めちゃくちゃだった。
「証拠品」として、全国の書店に残っていた同誌3500部ほどが押収された。
これは、約3万部配本したうちの9割近くがすでに売れていた、その残りだった。
佐藤さんが言うように、「全部押収するというのは、証拠品に名を借りた事実上の『処罰』」 と思わざるを得ない。
また、第一回公判で、被告側が起訴状に対する釈明を求めた際のやりとり。
Qが被告側質問、Aが検察側回答。
<Q 本件起訴は「四畳半襖の下張」なる文書の全文を猥褻としているのか、そのうちに猥褻な部分を含むとしてなされているのか、後者であるとするならばその部分を特定せられたい。
A 文書の全文を猥褻としている。> (本書 P.36)
<木で鼻をくくったような釈明である。とくに全文が猥褻である、と言う乱暴さには驚いた。裁判で、本文の中に「女房は三度の飯なり」という文章があるが、これも猥褻なのかと質問したら、そうだという検察の答えだった。「三度の飯」も猥褻だと言われてしまうと、話のしようがない。> (同 P.36)
被告側証人として立った、五木寛之さんの証言(一部)が、いかにも五木さんらしい。
(これが、私の一番書きたかったことかも)
<次から次へと登場した証人の多くは当代を代表する文学者だったから、被告席にいる私はまるで文芸講演をかぶりつきで聴いているようなものだった。迫力満点だったし、いまになってみれば貴重な経験だった。ほとんどの人がその内容を知らないと思うので、ここではその「サワリ」だけをお伝えしたい。> (本書 P.37-)
<五木寛之 1974年3月15日/東京地方裁判所
一つだけ、どうしてもここで申し上げておかなければならないのは、私の立場なんですけれども、私自身は、つまりすぐれた文学とか芸術的に価値のあるものは大事にされるべきであるという立場じゃないんです。非常に愚劣な、あるいは形式上、技術上、未熟な作品であったり、とるに足りない無名の作家の発表したものであっても、同じように自由を保障されなければならないのではないか。ですから、国民の基本的人権というのは、その人間の力とか権力とかそういうものによって差別されないように、人間の生み出した表現というものはみな、ひとしなみに大事にされなければならないという立場で、今度の裁判についても、全面的に弁護の側に立っているわけです。> (本書 P.38)
この本(『「面白半分」快人列伝』)は、書店でもAmazonでも手に入るが、「面白半分」(増刊号を含む)の方は、下記サイトからその一部が入手可能なだけ。
神保町あたりをマメに探せば、この古い雑誌も見つかるかもしれない。
日本の古本屋 https://www.kosho.or.jp/top.do
余談だが、私もその昔、ある民事裁判(過労死裁判)の原告側証人として、東京地方裁判所の法廷に立った経験がある。
三人の裁判官のうち、陪席裁判官の一人が終始居眠りをしていたことが、印象に残っている(笑)。
なかなかできない経験ではあった。
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