【読】「内部被曝の真実」を読んで (ごまめの歯ぎしり的感想)
ずっと気になっていた、児玉龍彦さん(東大アイソトープ総合センター長)の本を読んだ。
児玉教授は、2011年7月27日衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」に参考人として呼ばれ、
「7万人が自宅を離れてさまよっているときに、国会は一体、何をやっているのですか!」
と、「火を吐くような気迫」(2011/8/1東京新聞社説の表現)で意見を申し立てた人だ。
【参考記事】 東京新聞社説 2011/8/1
東京新聞:「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何を…:社説・コラム(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011080102000018.html
気骨があり、良心的で、しかも、自ら現地にでかけて除染活動を支援する行動的な学者だ。
このような人を、私は全面的に信頼する。
児玉龍彦 著 『内部被曝の真実』
幻冬舎新書 228 2011/9/10発行
165ページ 720円(税別)
以下、本書カバーより。
<福島原発事故では、広島原爆20個分以上の放射性物質が放出された。放射線による健康被害が科学的に証明されるまでには時間がかかる。安全課危険か議論するより前に、国が「測定と除染」に今すぐ全力を挙げなければ、子どもたちと妊婦を守れない。「民間のノウハウを集め、最先端機器を使って全国の産地で食品検査を」「低線量の膨大な放射性物質を処理するための法律の整備を」――内部被曝研究の第一人者が、政府の対応を厳しく批判しつつ具体的な対策を提言して大きな反響を呼んだ、国会のスピーチを全文採録。>
児玉教授が危惧しているのは、原発事故によって放出された、原爆数十個分に相当する膨大な量の放射性物質が、長期にわたって生みだす問題だ。
<福島原発事故からの放射能汚染の本質は、広島原発20個分以上の膨大な放射性物質が飛散したことにある。そうすると、平均的には低い濃度でも、さまざまなところで濃縮されて被害が起こる。農産物も人体も、牛も同じである。> (本書 P.128)
ひと頃、神奈川県産の茶葉、汚染された稲わらを飼料にしていた牛、さらには女性の母乳からも放射性セシウムが検出され、大騒ぎになったものだが、それも今は忘れ去られようとしているのではないだろうか。
<次の週になり、マスコミが一斉に伝え始めた。稲わらが原因であり農水省の通達に正確にこたえなかった農民に原因があったというのである。
(中略)
恐れていたことが、現実になってきた。
これは想定外ではない。稲わらは、セシウムを含む雨水を吸っては乾燥し、セシウムの濃縮を繰り返していたのだ。どこに放射性セシウムがあるかは、測ってみなければ分からない。> (本書 P.124-125)
<稲わらの問題が広がるにつれ、今まで、福島の一部の問題と思っていた政府やマスコミの認識も急速に変わり始めた。
だが、そこで行なわれている議論をみると、やはり局所での濃度の問題だけを述べており、福島原発事故の全体像を科学としてとらえることは何もされていない。
その結果、被害者である農民が、「うそつき」と呼ばれ、「責任感を持て」と書かれている。ある新聞の社説には「残念なのは、この農家が県の指導などを通じて、屋外のわらをえさにしてはいけないと認識していたことだ。原発事故後の混乱でえさが足りなくなり、やむなく与えたようだが、生産者としての責任感を欠いたと言わざるをえない」とあった。こんなひどい話はない。> (本書 P.127)
どの新聞か知らないが(*1)、まったくひどい話だ。
こんな状況に絶望して自殺した農家や酪農家もいたこと(*2)を思いだすと、胸が痛む。
【参考記事】 東京新聞 2011/7/20
東京新聞:肉牛出荷停止 不安募る福島の農家:福島原発事故(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011072002100009.html
原発事故でばら撒かれたセシウム137は、この先何十年も私たちのまわりに残る。
残るだけでなく、時間がたつにつれて、土壌や食品、人体の中で濃縮されていく。
そういう危険性が、よくわかる本だった。
覚悟を決めて、あきらめずに、やっていくしかないのだ。
やりたがらない奴らの、尻を叩きながら。
――そんなことを考えた。
本書の最後の一節が胸を打つ。
<人が汚したものを人がきれいにできないわけがない
福島原発の除染については、すべてはこれからである。われわれは、祖国の土壌という、先祖から預かり子どもに伝えるかけがえのない財産を汚染してしまった。
しかし、人が汚したものなら、人がきれいにできないわけがない。
そのために全力を尽くすのがわれわれ科学者の責任である。
こう思って話し出したら胸がつまってしまった。もっと理性的にならねばならないと思いつつ、自分の中で、怒りと理性がぶつかって、押さえきれなくなった。
あまりに感情的になり、申し訳なく思っている。>
(本書 P.136 「おわりに 私はなぜ国会に行ったか」 より)
(*1) このひどい社説を載せたのは、天下の朝日新聞らしい(2011/7/14朝刊の社説)。
社説記事の原文はみつからなかった(朝日新聞のサイトでは古い社説が見られない)。
ネット検索で事情がわかった。
これだから朝日はダメなのだ(以前購読していたが東京新聞に代えた)。
児玉教授を怒らせた「ある新聞」とは? - 話の栞 http://blog.goo.ne.jp/moominwalk/e/57f906ff46c4f3e07929ec02638d5d32
朝日新聞の納得できない社説|mktyk2のブログ
http://ameblo.jp/mktyk2/entry-10957524994.html
(*2) 時期的には少し前(2011年6月11日)のこと。
福島県相馬市で50代の男性酪農家が自ら命を絶った、という事実を知った。
東京新聞 「こちら特報部」 特集 「あの被災地を忘れない」 (2011/9/26)の記事が、それだ。
<東日本大震災の発生から3カ月後の6月11日、福島県相馬市で50代の男性酪農家が自ら命を絶っているのが発見された。≪原発さえなければと思ます≫(原文ママ)。借金して建てて間もない堆肥舎のベニヤ板の壁には、悲痛な叫びがチョークで書き付けられていた。……>
2011/9/26(月) 東京新聞 朝刊 24・25面
| 固定リンク
「【読】読書日誌」カテゴリの記事
- 【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源(2019.08.23)
- 【読】ノーマ・フィールド(2019.08.18)
- 【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)(2018.12.27)
- 【読】飾りじゃないのよ書棚は――ひさしぶりに本の整理(2018.01.11)
- 【雑】紅梅、ほころぶ(2018.01.10)
「こんな本を読んだ」カテゴリの記事
- 【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源(2019.08.23)
- 【読】ノーマ・フィールド(2019.08.18)
- 【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)(2018.12.27)
- 【読】イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む(2018.01.08)
- 【読】2017年に読んだ本(2017.12.30)
「【震】震災日誌」カテゴリの記事
- 【震】6年後の3.11(2017.03.11)
- 【読】村上春樹、ひとやすみ(2016.05.14)
- 【読】大地動乱の時代(2016.05.08)
- 【震】地震への備え(2016.04.19)
- 【震】あの日も肌寒かった(2016.03.11)
コメント