【読】原発推進者の無念 (続々)
北村俊郎さんが書いた
『原発推進者の無念――避難所生活で考え直したこと』 (平凡社新書)
を読んで感じたことの続き。
郡山市の避難所で配布された食事のひどさには、驚いた。
避難所の周辺は地震の被害も甚大ではなく、また、店舗も多く、物資も比較的豊富だった。
にもかかわらず、避難所にいる人たちには、毎日毎日、菓子パンとおにぎりばかり、というのはどういうことだったのか。
奪われた自由
<寒さも遠のき、ビッグパレットの駐車場にもコブシの花が満開となった。避難も一か月を過ぎると、いつまでこんな状態が続くのかとうんざりすると同時に、避難とはいったいどのようなことかと考えるようになった。福島第一原発の事故の後、生活はどのように変わったのか。何が違うのだろう。>
<毎日、食べて寝てという日が繰り返されていくが、ここは自宅ではない。家財もないので好きなこともできないし、食事も好きなものを食べられるわけではない。まるで合宿をしているような感覚である。だがこの合宿は自分からはじめたものではない。……>
<よくよく考えてみると、今のところ明らかに失ったのは自由だ。自由といえば日本においては憲法で定められた権利で、これを奪われるのは刑務所に入った場合だけだ。政府から健康を守るための避難指示が出たとはいえ、避難している人々は大げさにいえば基本的人権を侵されている。> (P.89-90 第一部第一章 4月19日)
著者の北村さんは、配布される食事があまりにもひどいので、まず町の職員に、次に県の対策本部にかけあう。
県とのやりとり
<ビッグパレットでの処遇について町の窓口に要望をいっても、ほとんど実現しない。一つが食事の問題だ。すでにここに来て一か月たつというのにまだ食事はパンと飲み物、おにぎりと飲み物が基本だ。おかずがない。これでは栄養が偏ってしまう。成人はもちろん子供もすでに一か月もこれが続いているのでもう放置できない問題だ。町の担当者にいっても 「それはわかります。県には要望しています」 というだけ。それ以上のことは決していわない。……>
<「君たちはなぜ、町民の健康を守るために動いてくれないのだ。どっちを向いて仕事をしているのか」と怒鳴りたくなるのを、じっと我慢して県に電話した。>
<県の対策本部の電話はほとんどつながらない。このこと自体が問題だ。やっと教えてもらった代表番号以外の電話にかけるとすぐにつながった。>
<「先日から食事の栄養のことで改善を要望している者ですが、避難して一か月たつのに、いつまでパンやおにぎりの食事なのか。学校給食のように温かい食事か、せめてコンビニやスーパーの弁当のようなご飯とおかずに漬物がついたようなものを出せないのか」
「野菜ジュースなどつけるようにしていますが、給食などは今のところちょっと難しい」
「予算がないのか」
「それも理由だが、なかなかそういうかたちにするのは……」
「旅館やホテルに入っている人には一人一日二食つきで5000円の補助が出ている。これに対して、ビッグパレットは差がありすぎる。せめて400円程度の弁当を夕食だけでよいから出せないか。郡山は都会だから、スーパーなどに発注すれば2000食くらいすぐに調達できるはずだが」
「格差は確かにわかる。しかし、今すぐにはできない」……> (P.90-92 第一部第一章 4月19日)
こういうやりとりの末、北村さんは「検討する」という回答を県の対策本部から引きだし、途中経過を電話連絡してもらうことを約束させた。
その結果、4月21日になって、はじめてコンビニ弁当が配られたのだった。
はじめてのコンビニ弁当
<今日の夕食から初めてコンビニ弁当が配られた。今のところ夕食だけだが、これまでさんざん、おかずのある栄養バランスのよい食事を出すように要求してきたのが、一か月たってようやく改善された。もちろん電子レンジがあるわけではないので、冷たいご飯であることには変わりない。ビッグパレットのように大人数で長期的に避難者が暮らしている場所では、本来は学校給食のように、あるいは旅客船のように厨房設備があり、食堂があり、食事をつくるスタッフがいて、栄養バランスのとれた温かい食事を提供すべきである。……> (P.97 第一部第一章 4月21日)
当時の、国や県の活動状況はよくわからないが、自衛隊が簡易的な「テント風呂」を提供していたぐらいだから、本気で自衛隊を動かせば、筆者が書いているような給食活動は可能だったと思う。
ところで、問題になった管直人総理(当時)の発言について、現場の避難民だった筆者はこう書いている。
菅総理発言
<「当面住めないだろう・10年住めないのか、20年住めないのか……ふたたび住めないということになってくる」 という菅直人総理の発言が、松本健一内閣官房参与から明らかにされて波紋を呼んでいる。官邸はあわてて否定した。この点こそ、避難している人、これから避難せざるを得なくなっている人たちの最大の関心事。それがわからなくて、将来のプランがまったく描けないのだから、総理のこの発言に避難している人が飛びついたのは当然だ。そういう見通しがあるのなら、むしろ正直にいってもらったほうがよい。近々帰れるような期待を持たせ続けて、引っぱられるのはごめんだと思っている。官邸側や東電は、そんなことをいえば、補償問題がとんでもないことになるので隠しているのではないかと疑いを持つ人もいる。> (P.66-67 第一部第一章 4月14日)
筆者の感想は、もっともだと思う。
菅直人・前総理は、正直だったとは思うが、一国の総理としてまったく配慮に欠けた発言だった。
ただし、原発周辺の状況は、今でも菅氏がもらした通りではないだろうか。
ならば、中途半端に「帰宅可能」をちらつかせたりせずに、現状を把握し、公表して、今後の対策に知恵を絞るべきではないか。
もちろん、東電はすべての被災者に対して全額を補償すべきである。
そんなことを考えた。
引用(コピペ)ばかりで恐縮だが、この本は、いろいろなことを教えてくれ、考えさせてくれる。
いい本だと思う(まだ半分しか読んでいないが)。
【参考】
■ 「ビッグパレットふくしま」の避難所は、2011年8月31日をもって閉所した。
ビッグパレットふくしま
http://www.big-palette.jp/15news/2011/08/post-45.html
→ 複合コンベンション施設 お知らせ|イベントカレンダー【ビッグパレットふくしま】
http://www.big-palette.jp/15news/2011/08/post-45.html
2011.08.31
「ビッグパレットふくしま」の避難所閉所について。
東日本大震災により「ビッグパレットふくしま」にて3月から開所してまいりました避難所は、8月31日をもって閉所いたしました。
避難所運営中は、県内や全国各地の団体、ボランティアの皆様には多大なるご支援を頂き、ありがとうございました。
9月からは、「ビッグパレットふくしま」の事業再開へ向けて調査・修繕を進めてまいりますので、ご利用のお客様には当館再開まで引き続きお待ちいただけますよう、お願いいたします。
なお、平成24年3月31日までは休館いたします。その後の事業再開日程は、改めてお知らせいたします。
■ Facebookに、「【避難所】郡山市 ビッグパレットふくしま(福島県)」のページがあった。
https://www.facebook.com/hinanjo.bigpallet
■ 東京新聞:原発推進者の無念 北村俊郎さんに聞く:特報(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011111802000055.html
※全文が読めるサイト
Nuclear F.C : 原発のウソ : 11/19 原発推進者の無念北村俊郎さんに聞く@こちら特報部
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/5380162.html
【2012/1/20追記】
東京新聞 「こちら特報部」 2011/11/18(金) 記事のスクラップがあったので掲載。
東京新聞 2011/11/18(金) 朝刊 28・29面
こちら特報部 「原発推進者の無念 北村俊郎さんに聞く」
記名記事(小国智宏、出田阿生)
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