【歩】狭山公園
安定しない天候が続いている。
午前中、晴れていたので、自転車で狭山公園まで行ってみた。
多摩湖自転車道は通らず、車道(けやき通り)を北へ。
新青梅街道を横断して、西武多摩湖線 武蔵大和駅の西から、自転車道にはいった。
いまは、ツツジやコデマリが花ざかりだ。
サツキかもしれないが、私には区別がつかない。
武蔵大和駅から先の多摩湖自転車道。
この前来たときに入った「南門」をやり過ごし、さらに先へ。
ゆるい上り坂が続く。
立ち漕ぎでも、きつい。
登りきると、都立狭山公園の入口。駐車場もある。
目の前に、多摩湖(村山貯水池)の堤防と多摩湖の風景が広がる。
きもちのいい場所だ。
特徴のある取水塔がまぢかに見られる。
絵になる風景だ。
多摩湖(村山貯水池)の歴史は古く、大正末期から昭和2年にかけて建造されたものだ。
― Wikipedia 「村山貯水池」 より ―
<村山貯水池(むらやまちょすいち、英称:Murayama Reservoir)は、多摩湖(たまこ、英称:Tama Lake)の通称で呼ばれる、東大和市の狭山丘陵の渓谷に造られた1927年完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。
東京市の人口増加に対応した水源確保のため、多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管にて村山貯水池に導いて貯水し、ここから境浄水場へ導水して浄水処理を行い、和田堀浄水池を経て市内へ給水する目的で、東京都北多摩郡大和村(現:東大和市)に1916年から1927年まで10年の歳月をかけ建設された。工事にあたり、資材運搬と導水管(羽村村山線)工事のために羽村-山口間に軽便鉄道を敷設した。この鉄道は完成後に廃止となったが、山口貯水池建設工事の際に復活し、資材運搬に利用された。廃線跡の一部は東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線などのサイクリングロードとして整備されている。>
戦時中には、米軍の爆撃を避けるためのカムフラージュが施されていたらしい。
堤防の両端には、古い遺跡もあった。
なかなか面白い。
親柱 (おやばしら)
大戦中、「堤体」は、爆撃を避けるために「耐弾層」によって埋められていたが、半分露出していた「親柱」の上部は黒く塗られていたという。
高欄 (こうらん)
やはり、「耐弾層」によって埋められていた、建設当時の欄干(高欄)。
排水路トンネル
大正12年、堰堤を盛り立てる際、宅部川(やけべがわ)の水を堤の外に抜くために設置された排水トンネルの一部。
西武遊園地の近くまで行き、公園内の遊歩道を一周した。
公園の北の端に、「氷川神社」という、ちいさな社(やしろ)があった。
園内には、なぜか子どもたちがたくさんいた。
近くの保育園や小学校の子どもたちだろう。
遠足だろうか。
公園の中にある「宅部池」(たっちゃん池)。
南門に出た。
五日前に来たときは、ここから園内にはいったのだった。
狭山公園は、近道をすれば自宅からすぐ近くだった。
桜の時期には、いい風景が見られそうだ。
雑木林がありがたい。
これからも、ときどき、自転車で来てみようと思う。
| 固定リンク
「四季 春」カテゴリの記事
- 【歩】河津桜並木(2022.03.10)
- 【遊】瑞穂の「つるしかざり展・ひなまつり展」(2022.03.05)
- 【山】ひさしぶりの山歩き(黒川鶏冠山)(2018.06.03)
- 【楽】あきる野へ、浅川マキを聴きながら(2016.05.21)
- 【遊】こどもの日、小金井公園・たてもの園(2016.05.05)
「【歩】散歩日誌」カテゴリの記事
- 【歩】河津桜並木(2022.03.10)
- 【歩】小春日和、図書館で過ごす(2017.11.29)
- 【歩】初詣(2017.01.03)
- 【歩】花を見ながら、散歩(2016.04.06)
- 【歩】空堀川の河津桜(2016.03.21)
「狭山公園」カテゴリの記事
- 【歩】狭山公園の紅葉(2013.11.17)
- 【遊】サイクリング日和(2013.10.14)
- 【歩】狭山公園(2012.05.10)
- 【歩】多摩湖自転車道、狭山公園へ(2012.05.05)
コメント