« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月の14件の記事

2012年12月29日 (土)

【雑】この一年

毎年、年末にはその年に読んだ本、聴いた音楽の総集編のようなものを書いていたのだが……。
今年は、なんとなくそんな気にならない。

振り返ると、長い一年だったような気がする。

三月の引っ越し前後はバタバタしていた。
六月には郷里の母親が骨折して入院、手術。
その母は、悪性腫瘍であっという間に旅立ってしまった……。

その後、法事(四十九日まで七日毎にきっかり営まれた)のため、七月から九月まで頻繁に帰省。
今年、北海道への帰省は十数回。
九月になって、ようやく身辺が落ち着いた。

そんな一年だったから、本もあまり読めなかったし、行きたかったライブもずいぶん我慢した。
それでも、十一月に沖縄(那覇・石垣島・竹富島)に行くことができたのは、MOTEL(須藤もん&対馬照)のお二人のおかげだ。
もんさんには、母の葬儀のときにもずいぶんとお世話になった。
持つべきものは、良き友人である。


2012年11月 石垣島 「たかしの店」 で

201211160190_2201211160191


今年読んだ本、聴いた音楽(CD、ライブ)で、これといったものはないが、ひとつ嬉しかったのが、これ。
山崎ハコさんの久しぶりのアルバム 「縁 ―えにし―」 が、日本レコード大賞の優秀アルバム賞を受賞したのだ。

山崎ハコの世界
 お知らせ
http://www31.ocn.ne.jp/~hako/Information.html

第54回 輝く!日本レコード大賞 | TBSテレビ
http://www.tbs.co.jp/recordaward/

2012年5月19日 (土)
【楽】ひさしぶり、山崎ハコさんのライブ

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-b9f1.html

さて、今年も残すところあと二日。
仏壇に花を供えて、静かに新年を迎えることにしよう。

「いいことも、わるいことも、それほどありはしない」(須藤もん作詞・作曲「キャラバン」)――ならば、大きな病気もせずに生きていられるだけで、良しとしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月27日 (木)

【読】ものいえばくちびるさむし

衆院選挙からあと、気の滅入ることばかり。
新聞、ラジオ、テレビなどからはいってくる情報には気を配りつつ、本を読む日々。

気がかりなことは多いが、いまは、うかつに物を言わず、しっかり理解を深めていこうと思う。
原発、安全保障、軍備・基地、靖国、等々。

丸めこまれないために。
けっして好きな言葉ではないが、「理論武装」のために。

こんな状況でなければ読むことのなかっただろう本も、図書館から借りて読んでみた。

小川和久/坂本衛 著
『日本の「戦争力」』
 アスコム 2011年2月 205ページ
『もしも日本が戦争に巻き込まれたら! 日本の「戦争力」vs.北朝鮮、中国』
 アスコム 2005年12月 295ページ

 

小川和久氏は、テレビでよくみかける軍事アナリスト。
この人の見解には必ずしも同意できないが、事実とデータに基づく(と言っている)さまざまな知見は、参考になった。

株式会社アスコム(出版社)のサイトより
http://www.ascom-inc.jp/book/9784776206545.html
<小川 和久 (おがわ・かずひさ)
1945年12月、熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。日本海新聞、週刊現代記者を経て、84年、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員などを歴任。現在、特定非営利活動法人・国際変動研究所理事長。
主な著書に、『日本の「戦争力」』『日本の「戦争力」VS.北朝鮮、中国』(以上、アスコム)、『この1冊ですべてがわかる 普天間問題』(ビジネス社)など多数。>



私は軍事オタクではないので、もっと広い視野で捉えてみたいと思う。
この本は、膨大な公文書(米英日)などのしっかりした情報をベースに書かれていて、信用がおける。

林博史 著
『米軍基地の歴史――世界ネットワークの形成と展開』

 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー336) 2012年1月 202ページ

<米軍基地ネットワークはいかに形成されたか。第二次世界大戦を経て核兵器の時代を迎える中、米国本土への直接攻撃を回避するため巨大な基地群が築かれる。普天間の形成過程も明らかにした、基地を考えるための一冊。> ― Amazon ―

半分ほど読んだところ。
章建て(章・節タイトル)は次のとおり。


米軍基地の現在―プロローグ
米軍基地の世界的ネットワークの形成
 世界的展開の開始/第二次世界大戦後の再編と見直し
基地ネットワークの本格的展開と再編 1950年代
 朝鮮戦争を契機とする基地ネットワークの拡大
 米軍基地への反発の広がりと基地の再編
日本本土と沖縄
 日米安保体制下の日本本土/沖縄での基地拡張と海兵隊移転
米軍基地に関わる諸問題
 戦争責任問題と基地/基地と性売買・性暴力
 駐留軍の刑事裁判権問題/基地撤去・縮小への動きと密約
基地に依存しない安全保障へ―エピローグ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月23日 (日)

【雑】ブログのタイトル変更

このブログのタイトルは、開設当初から 「晴れときどき曇り」 だったのですが、
「やまおじさんの流されゆく日々」 に変更しました。

これまでサブ・タイトルだったものを、ブログ名称に「昇格」させたことになります。

このフレーズは、もちろん、五木寛之さんの連載エッセイ(日刊ゲンダイ連載)「流されゆく日々」を借用したものです。
私はこのフレーズが気に入っていて、何度かこのブログでとりあげたことがあります。


2006年12月24日 (日) 【読】流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_446c.html

2007年3月10日 (土) 【読】流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b61f.html


ところで、なぜ変更したのか?

ひとつには、「晴れときどき曇り」で検索すると、たくさんのブログがヒットするようになったこと。
さらに、似たようなタイトルのヒット曲まであらわれたので、嫌気がさしたのです。
(「晴ときどき曇」という曲があるようです。私はよく知りませんが)

もともと、私の 「晴れときどき曇り」 に、特別な意味付けや思い入れはありません。
ブログを開設する前にやっていたウェブ・サイトの名前が、「晴れときどき曇りのち温泉」 というものだったので、その一部を使っただけでした。
(そのウェブ・サイトも閉鎖されてしまいました)


心機一転というほどでもありませんが、ちょいと気分が変わりました。
これからもブログを続けていきますので、ひとつよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月20日 (木)

【読】沖縄・先島への道(司馬遼太郎)

先月、沖縄本島の那覇と石垣島、竹富島へ三泊四日で行った。
帰ってから、古本屋で司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ文庫の一冊を買ってきて、読んでいる。

ずっと前に持っていたのだけれど、読まないまま古本市に出してしまった本だ。
実際に現地を訪れた今、読んでみると面白くてたまらない。

司馬遼太郎 『街道をゆく6 沖縄・先島への道』
 朝日文芸文庫 1978年刊 222ページ 440円(税別)

須田剋太画伯との珍道中が、可笑しい。
私は司馬ファンではないけれど、さすがに紀行文の名手だと感心しながら読んだ。

司馬さんが週刊朝日に連載したのは1974年(6月21日号~11月5日号)、今から38年も前だ。
那覇も石垣島も、現在とはずいぶんちがっている。
そこがまた、興味深い。

那覇の首里城はまだ復元されていないし、石垣島もずいぶん様子がちがう。
司馬さん一行は、那覇、糸満を訪れた後、飛行機で石垣に渡り、竹富まで足をのばしている。
私が先月たどったコースだ。

ただ、竹富島だけは、今もそれほど変わっていないようだ。
あまり時間がとれなくて私が行けなかった場所もあるが、読んでいると竹富島の光景が目に浮かぶ。

うらやましいことに、司馬さんは、さらにその先の与那国島まで行っている。
魅力的な島である。

西表、与那国、波照間には、いつか私も行ってみたい。
宮古島や奄美諸島にも。

石垣島も竹富島も、いいところだったなあ。
どうやら私は、先島のとりこなってしまったようだ。


大きな地図で見る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月19日 (水)

【読】アイウエ音楽館(中村とうよう)

中村とうようさんが自ら命を絶ったのは、昨年の夏だった。

→ ブログ 過去記事
2011年7月22日 (金) 【楽】中村とうようさん死去
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-c072.html


私はそれほどのファンではなかったが、とうようさんから、音楽についてたいせつなことを教えてもらったと思っている。

『大衆音楽の真実』 (ミュージック・マガジン、1986年) という本は、いまでも大事にしているし、この本とセットになっている2枚組×2セットのレコード(*)は、私の宝物だ。

(*)
THE PEOPLE'S MUSIC
 A Global Re-view Of Pop (SOUP RECORDS TW1)
THE PEOPLE'S MUSIC
 A Global Re-view Of Pop - Ⅱ (SOUP RECORDS TW3)

【参考】 中村とうよう / 大衆音楽の真実 | EL SUR RECORDS
http://elsurrecords.com/2012/08/02/%e4%b8%ad%e6%9d%91%e3%81%a8%e3%81%86%e3%82%88%e3%81%86-%e5%a4%a7%e8%a1%86%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e7%9c%9f%e5%ae%9f/

The_peoples_music

 

ちくまプリマーブックスに、とうようさんの書いた楽しい本があった。
図書館から借りていたものを、今日、窓際の陽だまりで、ゴロゴロしながら読んだ。

外は北風がつめたいけれど、よく晴れている。


『アイウエ音楽館』 中村とうよう
 筑摩書房(ちくまプリマーブックス18)
 1988年 190ページ 980円(税込)

Aiue_ongakukan

ポピュラー音楽のよもやま話が、アイウエオ順に51項目並んでいる。
項目のあいだに関連はない。
あえてそうしなかったところに、とうようさん流のコダワリがある。

<なぜアイウエオにしたかというと、話の筋道をキッチリ順序だてた書き方をしたくなかったからです。身のまわりにころがっている音楽を、手あたりしだいに話のタネにしちゃうような調子で書こうと思って、アイウエオ順にしてみました。> (P.9 まえがき)

メリカの音楽
ギリスの音楽
クレレという楽器
スニックな音楽
リエントは楽器のふるさと

ムランのなぞ
ターという楽器
ロンチョンの古い歴史
ットー生まれの音楽
ンガとボンゴ

 ・
 ・
 ・

ちくまプリマーブックスは、中学生程度から上の青少年向けシリーズだが、この本はおとなが読んでもじゅうぶん面白い。
もちろん、いまのこどもたちにも読んでもらいたいな。
すこし古い(四半世紀前の)本だけれど、あたらしい発見があるはず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月16日 (日)

【読】日本国憲法

衆院選の開票速報をテレビで見ていたら、気分が悪くなってきた。

「日本国憲法」――もう一度、よく読んでみませんか?
そして、おおいに論じればいいと思う。

『日本国憲法』 講談社学術文庫

 

池澤夏樹 『憲法なんて知らないよ』 集英社文庫

池澤夏樹さんの「新訳憲法」がオススメ。
また、池澤さんが現行憲法をどう考えているかがわかり、啓発されるところが多い。

<憲法は国の性格を決める。
やさしい国、強い国、卑屈な国やケンカ好きな国。
この憲法のもとで、半世紀の間、日本はケンカをしない穏やかな国だった。そのせいでぼくたちは損をしたか得をしたか。
今、憲法を論じよう。
その土台として、自分たちのふだんの言葉に書き直したのが、この新訳憲法。>

 (池澤夏樹 『憲法なんて知らないよ』 集英社文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】ボーダーインクという出版社

やはり図書館はありがたい。

近くの図書館(東村山市立富士見図書館)で、旅行・ガイドの書棚を眺めてみつけた本。

『<琉球の歴史>ビジュアル読本 誰も見たことのない琉球』
 上里隆(うえざと・たかし) 著
 ボーダーインク 158ページ 1,600円(税別)

Visual_ryukyu


著者は1976年生まれ、琉球大学法文学部(琉球史専攻)卒業、法政大学沖縄文化研究所国内研究員。(出版時)
文章とイラストを担当しているのだが、このイラストがいい。

こういう本を出版している地方出版社はエライし、収蔵している図書館もエライと思う。


有限会社 ボーダーインク | 電柱通りにある沖縄の出版社
http://www.borderink.com/

著者のブログ
目からウロコの琉球・沖縄史
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】江戸は鎖国だったのか

ちょいと読むのに苦労したが、なんとか読了。
私が知らなかった江戸時代の一面を教えてくれた。

近くの図書館で目にして借りてきたもの。

片桐一男 著
『それでも江戸は鎖国だったのか――オランダ宿 日本橋長崎屋』

 吉川弘文館 2008年11月 196ページ 1,700円(税別)

<鎖国と呼ばれた時代、江戸にオランダ人の定宿、長崎屋があった。
将軍謁見に出府したカピタンの宿を、杉田玄白、平賀源内らが訪れ、そこは異文化交流のサロンであった。
江戸は本当に鎖国だったのか。> (本書カヴァー裏)


私などが学校で習った「鎖国」のイメージを覆す知見が得られて、興味深かった。
江戸時代の実際の姿を知れば知るほど、これまでのイメージが崩れ、魅力的な江戸の姿があらわれてくる。

「浅草弾左衛門」と同じように、この「長崎屋」の主「長崎屋源右衛門」も、十一代を数える世襲だったという。

例によって、この本から得た知見を上手に要約できないため、Wikipediaに頼る。


― 以下、Wikipedia 長崎屋源右衛門 より ―

<長崎屋源右衛門(ながさきやげんえもん)とは江戸時代、江戸日本橋に存在した薬種問屋長崎屋の店主が代々襲名した名前である。
 この商家は、日本橋本石町三丁目(のちの東京都中央区日本橋室町四丁目2番地に相当)の角地に店を構えていた。>

<薬種商として
 江戸幕府御用達の薬種問屋であった。幕府はこの商家を唐人参座に指定し、江戸での唐人参(長崎経由で日本に入ってくる薬用人参)販売を独占させた。>

<旅宿として
 この商家は、オランダ商館長(カピタン)が定期的に江戸へ参府する際の定宿となっていた。カピタンは館医や通詞などと共にこの商家へ滞在し、多くの人々が彼らとの面会を求めて来訪した。この商家は「江戸の出島」と呼ばれ、鎖国政策下の日本において、西洋文明との数少ない交流の場の一つとなっていた。
 カピタン一行の滞在中にこの商家を訪れた人物には、平賀源内、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、最上徳内、高橋景保などがいる。学者や文化人が知識と交流を求めて訪れるだけにとどまらず、多くの庶民が野次馬となってオランダ人を一目見ようとこの商家に群がることもあり、その様子を脚色して描いた葛飾北斎の絵が残されている。
 幕府は滞在中のオランダ商館員たちに対し、外部の人間との面会を原則として禁じていたが、これはあくまでも建前であり、時期によっては大勢の訪問客と会うことができた。商館員たちはあまりの来訪者の多さに悩まされもしたが、行動が大きく制限されていた彼らにとって、この商家は外部の人間と接触できる貴重な場の一つであった。商館の一員としてこの商家に滞在し、積極的に日本の知識を吸収していった人物には、エンゲルベルト・ケンペル、カール・ツンベルク、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトらがいる。
 カピタンの江戸参府は年1回行われるのが通例であったが、寛政2年(1790年)以降は4-5年に1回となり、参府の無い年にはカピタンの代わりに通詞が出府した。この商家はカピタン参府と通詞出府の際の定宿として使われていたが、それ以外には全く宿泊客を受け入れていなかった。……>

<長崎出身の江原源右衛門が、徳川家康の時代に江戸へ移り、初代長崎屋源右衛門となった。初代の頃から幕府御用達の薬種問屋であったが、享保20年(1735年)には幕府がこの商家に唐人参座を置き、幕末まで江戸での唐人参専売を行った。
 カピタン一行の定宿となったのは17世紀前半、初代が逝去した後のことである。以後、嘉永3年(1850年)まで定宿として使われていた(安政5年、1858年に駐日オランダ領事官が江戸へ来た際には、この商家を宿としていない)。
 江戸時代、日本橋一帯は幾度も大火に見舞われた。この商家もたびたび焼失し、カピタン一行が被災することも一度ならずあったが、焼失の都度オランダ商館からの援助を受け再建している。……>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【楽】吉祥寺「のろ」 MOTELライブ

昨夜(12/15)は、吉祥寺までバス・電車を乗り継いで、「のろ」へ。
MOTEL(須藤もん&対馬照)のライブ。

私は、11月の石垣島いらい。
なごやかな、いいライブだった。

中央線電車が、工事のために夜間運休(大幅間引き、折り返し運転)だったので、帰宅は国分寺から西武線で最寄駅へ。そこから迷いながら歩いて帰宅。

201212150455201212150487

201212150458

201212150511

201212150493

201212150497201212150510

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月14日 (金)

【山】西に見える山々(奥多摩の山)

ここ数日、快晴が続いている。
今年の三月から住んでいるこの高層住宅(といっても九階建てだが)から、毎日、西の山々がはっきり見える。

山座同定という言葉がある。
山の連なりを眺め、どれがどの山なのかを特定する作業だ。

実景あるいはパノラマ写真と地図を見比べて、山の名前を探る作業は楽しい。
自分が登ったことのある山が多いほど、地形のイメージがわくので、山座同定がやり易い。

今は閉鎖してしまった私のウェブ・サイトに掲載していた写真を思いだしたので、ここに掲載しておこう。
11年前、立川市の多摩都市モノレールから撮影した写真に、山名を書き込んだもの。

現在、私の住まいから見えるのとほぼ同じ山並み(やまなみ)だ。


※画像は、クリックすると別窓で拡大されます。


Okutama011127


この写真の範囲を示す図が、下。

Tachikawa011127_map


同じ場所から見えた丹沢の山々の写真(山名付)も、せっかくだから掲載しておこう。
三枚の写真は一部重なるが、南南西から西南西の山々。

残念なことに、現在の住まいからは、近隣の建物に隠れて、丹沢の一部と富士山の頭しか見えない。

Tanzawa011127_1

Tanzawa011127_2

Tanzawa011127_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月12日 (水)

【読】ちくまプリマーブックス

少年少女向けのシリーズ 「ちくまプリマーブックス」 がいい。
B6版サイズで200ページほどの分量。
スイスイ読めるので、面白そうなものを選び、図書館から借りてきて読んでいる。

横田順彌 『百年前の二十世紀――明治・対象の未来予測』
 ちくまプリマーブックス86 (筑摩書房) 1994年11月発行
 204ページ 1,100円(税別)

今から百年前、二十世紀が始まったばかりの頃、未来予測や未来小説が流行したことがあるそうだ。
明治・大正を生きた人々が、百年先の未来をどう想像していたか。
『二十世紀の予言』(明治34年、報知新聞)や、『百年後の日本』(大正9年、「日本及日本人」春季増刊号)といった刊行物に見られる具体例がふんだんに紹介されている。

これが、すこぶる面白い。
なかでも、『百年後の日本』は、当時のあらゆる分野の著名人250名に出した未来予測アンケートへの回答で、島崎藤村、正宗白鳥、菊池寛、賀川豊彦、堺枯川(堺利彦)らの名前が見られる。

荒唐無稽な予測あり、ズバリ的中している予測あり、で、なかなか興味ぶかいのだが、未来予測というものは、しょせん人間の「欲望」に根ざしているような気がする。

22世紀の日本、世界は、いったいどうなっているのだろうか。
横田順彌さんが書いているように、地球・人類がまだ存続していてのハナシだが。

<次の百年間は、どんな世界、どんな社会になるのか?……読者も興味があったら、考えてみてくれないだろうか。……/ただ、ちょっと、偉そうなことをいえば、せっかく考えるのだから、まるっきりの思いつきではなく、どこか心の隅っこのほうにでもいいから、次の百年間は、こうあって欲しいという願望を込めて考えてもらえないだろうか。そして、人類にとっても、その他、地球上に存在する、すべての動物や植物の幸せを前提にして予測してくれないだろうか。>

<お説教じみたことを、いう気はない。でも地球は、人類だけのものではなく、すべての生きものの故郷だ。人類だけの都合で汚して欲しくない。予測した未来が、なるべく平和で自然に優しいものであり、予測のしっぱなしではなく、現実に、そうなるように努力してもらいたいと思う。>

 (終章 「7 ぼくの『二十一世紀の予言』十項目」 P.203-204)


1945年生まれのSF作家である横田さんと同じように、私も考える。
こどもたちに希望ある未来を託そう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月11日 (火)

【読】北山修センセイ

北山修 『最後の授業――心をみる人たちへ』
 みすず書房 2010年7月
 193ページ 1,800円(税別)

図書館にあったので、借りてきて読んでいる。

私が密かに敬愛する、精神科医 北山修さんの講義録。
北山さんは、1991年10月から2010年3月まで、九州大学教育学部で教鞭をとっていた。
退官にあたっての、最後の講義録だ。

Ⅰ 最後の授業 テレビのための精神分析入門
 
 2010.年1月18日・25日
 九州大学教育学部2年生以上の学生たちを中心に約200人に向けての
 精神分析学授業の最後の2回
 (NHK教育テレビ放映のための録画)

Ⅱ 最終講義 <私>の精神分析――罪悪感をめぐって
 2010年2月28日
 九州大学箱崎文系キャンパス大講義室
 (退職記念事業会の協力を得て約500人の参加者に向けて)

Ⅲ 精神分析か芸術か――フロイトは私のことが嫌いだと思うことから
 2009年9月6日 京都国際会議
 (臨床描画テスト・描画療法学会第19回大会での特別講演) および
 12.月21日 九州大学での授業内容

Ⅱでは、『古事記』が引き合いにだされている。
そういえば、すこし前にこんな本もでていた。
面白そうだったので私も買ってみたが、まだ読んでいない。
先に『古事記』そのものを読まなくちゃ、と思って。


『日本人の<原罪>』 北山 修・ 橋本 雅之
 講談社現代新書 2009年1月

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 4日 (火)

【読】世界を見てしまった男たち

南伸坊が装幀を担当した、ちくまプリマーブックスの一冊。
図書館にあったので借りて読んだ。

『鎖国をはみ出た漂流者 その足跡を追う』
 松島駿二郎 著
 筑摩書房 (ちくまプリマーブックス127) 1999年2月発行
 199ページ 1,100円(税別)

<日本の外に出ることを禁じられた鎖国時代に、正史にあらわれないたくさんの日本人が海外にいた。そのほとんどが沿岸で操業中、嵐にまき込まれたり、方向を見失って漂流せざるを得なくなった人びとである。顔かたち、体格などまったく違ううえ、ことばも通じない見知らぬ地で、彼らはどうやって日本に帰ろうとしたのか。世界各地に足跡を残した漂流者を追った、著者の長い旅。> ― Amazon ―

江戸時代、漂流して異国に漂着、世界を見てしまった男たちの足跡を実際にたどったノンフィクション。
私はこういう話が好きなので、とても面白かった。

ジョン万次郎、アメリカ彦蔵、音吉、久吉、岩吉、大日本平四郎、初太郎、力松、といった漂流者たちの波瀾に満ちた生涯を、興味ぶかく読んだ。


ジョン万次郎(中濱萬次郎)
文政10年1月1日(1827年1月27日) - 明治31年(1898年)11月12日)
天保12年(1841年)、漁師仲間4人と共に遭難、5日半の漂流後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島鳥島に漂着し143日間生活した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救助される。漂流者のうち年配の者達は寄港先のハワイで降ろされるが、船長のホイットフィールドに頭の良さを気に入られた万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。……
 幕末の日本で日米和親条約の締結に尽力した。その後、通訳・教師などとして活躍。ジョン・マン(John Mung)とも呼ばれた。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―

浜田彦蔵(アメリカ彦蔵)
天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年)12月12日)
幕末に活躍した通訳、貿易商。「新聞の父」と言われる。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)。幼名は彦太郎(ひこたろう)。帰国後は「アメ彦」の通称で知られた。……
 幼い頃に父を、嘉永4年(1851年)の13歳の時に母を亡くす。その直後に義父の船に乗って海に出て途中で知人の船・栄力丸に乗り換えて江戸に向かう航海中、その船が10月29日(11月22日)に紀伊半島の大王岬沖で難破。2ヶ月太平洋を漂流した後、12月21日(1852年1月12日)に南鳥島付近でアメリカの商船・オークランド号に発見され救助される。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―

音吉
文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)
江戸時代の水主・漂流民。後にはジョン・マシュー・オトソン(John Matthew Ottoson)と名乗った。名は乙吉とも。……
 天保3年(1832年)10月、宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州沖で暴風に遭い難破・漂流。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉、久吉の3名のみであった。……
 アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―


そういえば、こんな本を持っていて、まだ読んでいなかった。

『世界を見てしまった男たち 江戸の異郷体験』
 春名 徹 著
 ちくま文庫 1988年3月発行
 399ページ 560縁(税別)



Haruna_sekai_2



同じ著者の 『にっぽん音吉漂流記』 が図書館にあったので、借りて読むことにした。
1979年、晶文社刊。



Haruna_otokichi_2


音吉の生涯は、私にはとても魅力的である。
以下、Wikipediaの記載を参考にした。

シアトルに近いフラッタリー岬(当時は英領カナダ、現在は合衆国領)で、マカー族(アメリカ先住民=インディアン)に救助されたものの、彼らの奴隷となり、金品と引き換えにイギリス船に売られ、ロンドンに運ばれ、そこからすぐにマカオへ送られる。
マカオでは、ドイツ人宣教師チャールズ・ギュツラフに預けられるが、そこで音吉ら3人はチャールズ・ギュッラフと協力し世界で最初の邦訳聖書「ギュツラフ訳聖書」を完成させた。

<音吉はロンドンを経由してモリソン号で望郷の念を強く訴えたあと、マカオでオランダの通詞ギュツラフとともに、初の聖書の日本語訳にとりくむ。『約翰(ヨハネ)福音之伝』の有名な翻訳、「ハジマリニカシコイモノゴザル、コノカシコイモノ、ゴクラクトモニゴザル」(「はじめにことばあがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」の訳)はこのときになったのである。> (『鎖国をはみ出た漂流者』 P.92)

音吉らは、モリソン号に乗せられ日本に向かったが、幕府の砲撃を受けて退却(1837年=天保8年の「モリソン号事件」)。

モリソン号は通商はもとより、漂流民たちの返還もできずマカオに戻った。彼らは再びチャールズ・ギュッラフの元に預けられ、1838年(天保9年)アメリカ合衆国へ行く。

その後、音吉は上海に渡り、阿片戦争に英国兵として従軍。さらに、デント商会(清名:宝順洋行)に勤め、同じデント商会に勤める英国人女性(名称不明)と最初の結婚。……

その後も、波乱に満ちた生涯を送り、1867年(慶応3年)、シンガポールで病死している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月 1日 (土)

【読】「心理療法個人授業」(河合隼雄・南伸坊)

二日前、『装丁/南伸坊』 という本をとりあげた。

そこでも紹介した、南伸坊が生徒役になって個人授業を受ける 「個人授業」 シリーズの一冊が近くの図書館にあったので、借りてきて読んだ。

『心理療法個人授業』
 先生=河合隼雄、生徒=南伸坊
 新潮社 2002年6月発行 193ページ 1,300円(税別)
 新潮文庫 2004年 420円(税込)

 

このシリーズを読むのはひさしぶり。
生徒=南伸坊の語り口が絶妙で、楽しませてもらった。

<どうも、人に話を聞いてもらう、というのはキくらしい。なにか容易に解決できないような悩みがあるとして、それをダレかに話して聞いてもらうと、これがキくというのだ。そういう話をよく聞く。> (P.30 原文の「キ」には傍点)

こんな調子だから、気楽に読めた。
気楽ではあったが、なかなか奥の深い内容でもある。

たとえば、「精神分析」で名高いフロイトは、医者としてなんとか患者を治さなきゃいけない、という一種の使命感から「精神分析」に到達したというような話。
フロイトと同時代、シャルコーという人がフランスにいて、ヒステリー症状がなぜ起こるのかを解明したが、彼は解明したことだけで満足してしまったそうだ。

<シャルコーという人は、催眠術をかけるのがうまかったんですが、この催眠によって、なんでもない人にヒステリー症状をおこすことができる。……シャルコーは、症状はこういうふうに、心によって起こる、体の問題じゃなしに、心の問題からこういう身体機能の障害が起こるんだ、ということをものすごいデモンストレーションして有名になるんですが、治す気は全然ないんです(笑)。/これが学者というものの姿をすごくよく表しています。つまり、学問的に解明はする。見事にやって見せるわけです。>

<フロイトという人は……そういうのを見ていて……絶対に治したいと思うんです。そこがすごいところです。解明ばかりせずに治したいと。>
 (本書 P.22)


ところで、臨床心理学というのも、いまの私にはとても関心のあるところ。
ある個人的な事情から、カウンセラーとか臨床心理士でいい人がいないだろうか、と考える日々を送っている。

ヒトのココロ(精神)は、むずかしいものだ。
本書のまえがきで、河合隼雄先生が言うとおり――「人間の心は一筋縄では捕えられない」。

人は皆、なにかしら折り合いをつけながら生きていると思うのだが、何かの拍子にバランスがとれなくなってしまうらしい。
自分自身を顧みると、よくもまあ、おかしな具合にならずに、ここまで生きてこられたと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »