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2012年12月 4日 (火)

【読】世界を見てしまった男たち

南伸坊が装幀を担当した、ちくまプリマーブックスの一冊。
図書館にあったので借りて読んだ。

『鎖国をはみ出た漂流者 その足跡を追う』
 松島駿二郎 著
 筑摩書房 (ちくまプリマーブックス127) 1999年2月発行
 199ページ 1,100円(税別)

<日本の外に出ることを禁じられた鎖国時代に、正史にあらわれないたくさんの日本人が海外にいた。そのほとんどが沿岸で操業中、嵐にまき込まれたり、方向を見失って漂流せざるを得なくなった人びとである。顔かたち、体格などまったく違ううえ、ことばも通じない見知らぬ地で、彼らはどうやって日本に帰ろうとしたのか。世界各地に足跡を残した漂流者を追った、著者の長い旅。> ― Amazon ―

江戸時代、漂流して異国に漂着、世界を見てしまった男たちの足跡を実際にたどったノンフィクション。
私はこういう話が好きなので、とても面白かった。

ジョン万次郎、アメリカ彦蔵、音吉、久吉、岩吉、大日本平四郎、初太郎、力松、といった漂流者たちの波瀾に満ちた生涯を、興味ぶかく読んだ。


ジョン万次郎(中濱萬次郎)
文政10年1月1日(1827年1月27日) - 明治31年(1898年)11月12日)
天保12年(1841年)、漁師仲間4人と共に遭難、5日半の漂流後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島鳥島に漂着し143日間生活した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救助される。漂流者のうち年配の者達は寄港先のハワイで降ろされるが、船長のホイットフィールドに頭の良さを気に入られた万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。……
 幕末の日本で日米和親条約の締結に尽力した。その後、通訳・教師などとして活躍。ジョン・マン(John Mung)とも呼ばれた。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―

浜田彦蔵(アメリカ彦蔵)
天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年)12月12日)
幕末に活躍した通訳、貿易商。「新聞の父」と言われる。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)。幼名は彦太郎(ひこたろう)。帰国後は「アメ彦」の通称で知られた。……
 幼い頃に父を、嘉永4年(1851年)の13歳の時に母を亡くす。その直後に義父の船に乗って海に出て途中で知人の船・栄力丸に乗り換えて江戸に向かう航海中、その船が10月29日(11月22日)に紀伊半島の大王岬沖で難破。2ヶ月太平洋を漂流した後、12月21日(1852年1月12日)に南鳥島付近でアメリカの商船・オークランド号に発見され救助される。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―

音吉
文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)
江戸時代の水主・漂流民。後にはジョン・マシュー・オトソン(John Matthew Ottoson)と名乗った。名は乙吉とも。……
 天保3年(1832年)10月、宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州沖で暴風に遭い難破・漂流。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉、久吉の3名のみであった。……
 アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。……
  ― Wikipediaより抜粋 ―


そういえば、こんな本を持っていて、まだ読んでいなかった。

『世界を見てしまった男たち 江戸の異郷体験』
 春名 徹 著
 ちくま文庫 1988年3月発行
 399ページ 560縁(税別)



Haruna_sekai_2



同じ著者の 『にっぽん音吉漂流記』 が図書館にあったので、借りて読むことにした。
1979年、晶文社刊。



Haruna_otokichi_2


音吉の生涯は、私にはとても魅力的である。
以下、Wikipediaの記載を参考にした。

シアトルに近いフラッタリー岬(当時は英領カナダ、現在は合衆国領)で、マカー族(アメリカ先住民=インディアン)に救助されたものの、彼らの奴隷となり、金品と引き換えにイギリス船に売られ、ロンドンに運ばれ、そこからすぐにマカオへ送られる。
マカオでは、ドイツ人宣教師チャールズ・ギュツラフに預けられるが、そこで音吉ら3人はチャールズ・ギュッラフと協力し世界で最初の邦訳聖書「ギュツラフ訳聖書」を完成させた。

<音吉はロンドンを経由してモリソン号で望郷の念を強く訴えたあと、マカオでオランダの通詞ギュツラフとともに、初の聖書の日本語訳にとりくむ。『約翰(ヨハネ)福音之伝』の有名な翻訳、「ハジマリニカシコイモノゴザル、コノカシコイモノ、ゴクラクトモニゴザル」(「はじめにことばあがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」の訳)はこのときになったのである。> (『鎖国をはみ出た漂流者』 P.92)

音吉らは、モリソン号に乗せられ日本に向かったが、幕府の砲撃を受けて退却(1837年=天保8年の「モリソン号事件」)。

モリソン号は通商はもとより、漂流民たちの返還もできずマカオに戻った。彼らは再びチャールズ・ギュッラフの元に預けられ、1838年(天保9年)アメリカ合衆国へ行く。

その後、音吉は上海に渡り、阿片戦争に英国兵として従軍。さらに、デント商会(清名:宝順洋行)に勤め、同じデント商会に勤める英国人女性(名称不明)と最初の結婚。……

その後も、波乱に満ちた生涯を送り、1867年(慶応3年)、シンガポールで病死している。

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