【読】「心理療法個人授業」(河合隼雄・南伸坊)
二日前、『装丁/南伸坊』 という本をとりあげた。
そこでも紹介した、南伸坊が生徒役になって個人授業を受ける 「個人授業」 シリーズの一冊が近くの図書館にあったので、借りてきて読んだ。
『心理療法個人授業』
先生=河合隼雄、生徒=南伸坊
新潮社 2002年6月発行 193ページ 1,300円(税別)
新潮文庫 2004年 420円(税込)
このシリーズを読むのはひさしぶり。
生徒=南伸坊の語り口が絶妙で、楽しませてもらった。
<どうも、人に話を聞いてもらう、というのはキくらしい。なにか容易に解決できないような悩みがあるとして、それをダレかに話して聞いてもらうと、これがキくというのだ。そういう話をよく聞く。> (P.30 原文の「キ」には傍点)
こんな調子だから、気楽に読めた。
気楽ではあったが、なかなか奥の深い内容でもある。
たとえば、「精神分析」で名高いフロイトは、医者としてなんとか患者を治さなきゃいけない、という一種の使命感から「精神分析」に到達したというような話。
フロイトと同時代、シャルコーという人がフランスにいて、ヒステリー症状がなぜ起こるのかを解明したが、彼は解明したことだけで満足してしまったそうだ。
<シャルコーという人は、催眠術をかけるのがうまかったんですが、この催眠によって、なんでもない人にヒステリー症状をおこすことができる。……シャルコーは、症状はこういうふうに、心によって起こる、体の問題じゃなしに、心の問題からこういう身体機能の障害が起こるんだ、ということをものすごいデモンストレーションして有名になるんですが、治す気は全然ないんです(笑)。/これが学者というものの姿をすごくよく表しています。つまり、学問的に解明はする。見事にやって見せるわけです。>
<フロイトという人は……そういうのを見ていて……絶対に治したいと思うんです。そこがすごいところです。解明ばかりせずに治したいと。> (本書 P.22)
ところで、臨床心理学というのも、いまの私にはとても関心のあるところ。
ある個人的な事情から、カウンセラーとか臨床心理士でいい人がいないだろうか、と考える日々を送っている。
ヒトのココロ(精神)は、むずかしいものだ。
本書のまえがきで、河合隼雄先生が言うとおり――「人間の心は一筋縄では捕えられない」。
人は皆、なにかしら折り合いをつけながら生きていると思うのだが、何かの拍子にバランスがとれなくなってしまうらしい。
自分自身を顧みると、よくもまあ、おかしな具合にならずに、ここまで生きてこられたと思う。
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