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2013年1月 2日 (水)

【震】新春対談(元日の東京新聞記事)

今日も朝からよく晴れて暖かい。

気温は現在(午後2時前)、15度まであがった。
(温度計がないので、PC画面の「ガジェット」で表示されている当地の気温を見ている)
南風が強くなってきた。

今日は新聞休刊日。
きのうの元日の新聞(東京新聞)に、「新春対談」見開き2ページ記事があり、興味深く読んだ。


― 東京新聞 2013/1/1 12・13面 ―

「新春対談―明日をひらく―」
 東京大学教授 玄田有史 × 脚本家 倉本聰

20130101_tokyoshinbun


この対談で倉本さんが言っていることに、ひとつひとつ同意しながら読んだ。
忘れてしまわないように、倉本さんの発言で印象に残った部分を抜き書きしておこう。

太字部分は、私が特にハッとした部分。
私が日頃ぼんやり考えていたことを、倉本さんが上手に表現してくれている。


「3・11」を経て より ―

倉本 ……アメリカに追いつけ追い越せとやってきて、いつの間にかGDP(国内総生産)二位みたいな、日本というスーパーカーができちゃった。僕は日本というスーパーカーには付け忘れた部品が二つあったような気がするんですよ。ブレーキとバックギアです。

倉本 僕はすごく不安でしたね、ずっとこの六十年ぐらい。こんなぜいたくがいつまでも続くわけがないってね。僕が北海道に行ったのは、実はその不安感がもとなんですけどね。何かこれはいつまでも続かないぞって思ってた時に、3・11(東日本大震災)が起きた。

倉本 今回の震災は、レコードで言うとA面とB面がある気がする。A面は地震・津波ですね。B面は原発です。これはもう完全な人災ですから。分けて考えないといけない。


人間の原点とは より ―

(「尊厳の芸術」という、戦時中に米国で強制収容された日系人の美術工芸品の展覧会を見たことに触れて)

倉本 僕は当時と今の日本人の精神力は、全く違うと感じました。幸せとは、現在に満ち足りている心じゃないかという気がします。収容所の人たちは、きょう一日家族と生きられたから幸せっていうことをゴールにしていた。日本人は本来、そうだった気がするが、戦後はまず三種の神器の冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ。さらに「新・三種の神器」と、ゴールのないマラソンを走っている。そんな走りをしていたら人間、どこかで心臓まひ起こしちゃう。


未来開く想像力 より ―

倉本 けれど、経済がどうしてこんなに偉くなったんだと思いますね。何でも経済。原発より経済が先にきちゃうでしょう。昔は、自動車が欲しかったらお金をためてから買った。今は、まず欲しい。そのために金を借りて手に入れる。経済人、商売人の間だけでやっていたころはまだよかったけれど、素人がやるようになった。

倉本 ……富良野塾を二十六年間続けられたのは一回も借金しなかったから。それは宮沢賢治の教えからなんです。彼が農学校の先生をしていたとき、「二引く一は?」と聞いたら生徒は「一です」。では「二引く二は?」、「ゼロ」。そして「二引く三は?」。「マイナス一です」と答えたら、「それは、違う」と言う。「二つのリンゴからは二つしかとれない。三つとろうとしても、二つなくなって、もう一つはとれない。答えはゼロだ」。一つの哲学だと思う。そっちのほうが正しい。リアルだという気がする。なくなったらとれないということが残る。


被災地 忘れない より ―

倉本 太陽に合わせた暮らしをするべきだと思うんですよ。今は、再生エネルギーとか供給側の論ばかりやってるけど需要側の論をやっていない。「需要仕分け」をまずやるべきだと思う。例えばテレビは二十四時間やる必要があるのか、ネオンはこんなについていなくちゃいけないのか、とか。それをやればだいぶエネルギーの消費量は抑えられますよ。

倉本 被災地を忘れないようにしたいし、日本人にはそう求めたいですよね。けど、強制できるものじゃないから…。ただ、広島、長崎、沖縄、福島っていうのは日本人が忘れちゃいけない問題だし、ましてや沖縄・福島は現在進行形。自分がどこまで親身に打ち込めるのか考えたい。



対談相手の玄田有史(げんだ・ゆうじ)氏の発言は、ここにあげなかった。

倉本 聰 (くらもと・そう)  脚本家。1935年、東京都生まれ。東京大文学部卒。ニッポン放送を経て63年、脚本家として独立。テレビドラマや演劇を手掛ける。77年、北海道富良野市に移住。84年から2010年まで役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。06年から環境教育や植樹に取り組むNPO法人富良野自然塾長も務める。02年、「北の国から」で菊池寛賞。最新作の富良野GROUP公演「明日、悲別で」は1~3月、富良野、東京、名古屋、北九州など全国ツアー予定。富良野市在住。

玄田 有史 (げんだ・ゆうじ)  東京大社会科学研究所教授。1964年、島根県生まれ。東京大大学院経済学研究科博士課程退学。学習院大教授などを経て2002年に東京大へ。専門は労働経済学。若者と仕事をめぐる研究に加え、05年から希望と社会の関係を探る社会科学「希望学」に取り組む。東日本大震災復興構想会議検討部会の専門委員も務めた。02年、「仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在」(中央公論新社)でサントリー学芸賞など受賞。近著に「希望のつくり方」(岩波新書)など。横浜市在住。

(以上、東京新聞2013/1/1朝刊より転載)



【参考サイト】
尊厳の芸術展 | 東京藝術大学大学美術館  | 展覧会・イベントの検索 | 美術館・博物館・イベント・展覧会 [インターネットミュージアム]
http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=79448

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