【遊】東大和市グルメコンテスト
午前中、自転車で都立東大和南公園へ。
第2回東大和市グルメコンテスト 「うまかんべぇ~祭」 会場。
午後から所属する団体のちらし配りの予定だったが、昼前に配りおえたため、私の仕事はなし。
会場内を見物して帰ってきた。
たいへんなにぎわいだった。
いわゆる「B級グルメ」の店が20ほど出ていた。
一食100円から300円ほど。
いろいろ食べてみたかったのだが、どこも長い行列ができていたため、二種類しか食べられなかった。
(左) ひがしトマとカレー 200円
(右) かぼ とん 100円 (すいとん)
もうひとつの目的は、このイベント期間中だけ特別公開されていた 「戦災遺跡 旧日立航空機株式会社変電所」 の内部見学。
外壁だけでなく、建物内部にも生々しい弾痕が残っていた。
貴重な戦争遺跡だ。
― 配布されたチラシより ―
≪軍需工場の変電所≫
昭和13年(1938年)、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に戦闘機のエンジンを製造する大きな軍需工場が建設されることになりました。東京瓦斯電気工業株式会社(翌年「日立航空機株式会社立川工場」となる)です。
工場の敷地北西部に存在した変電所は、高圧電線で送られてきた66,000ボルトの電気を、減圧して工場内に送る重要な施設でした。
≪アメリカ軍による攻撃≫
昭和20年(1945年)、多摩地域一帯の他の軍需工場と同様に、この工場でも2月と4月に計3回の大きな攻撃を受けました。
(中略)工場の従業員や動員された学生、周辺の住民など、あわせて110名の方が亡くなりました。なかでも4月24日の攻撃では、1,800発あまりの爆弾が投下され、工場は8割方壊滅したといわれています。
≪生き残った変電所≫
3回の空襲によって建物のほとんどが破壊された工場のなかで、変電所は奇跡的に生き残りました。もちろん窓枠や扉などは爆風で吹き飛び、壁面には機銃掃射や爆弾の破片による無数の穴ができました。しかし鉄筋コンクリートの建物本体は、致命的な損傷を受けなかったのです。
(後略)
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