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2013年6月26日 (水)

【読】勢古浩爾さんの新刊、もう一冊

勢古浩爾さん、という人がいる。
肩書は、評論家・エッセイストということになっている。

<勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家、エッセイスト。
大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒、明治大学大学院政治学修士課程修了。橋川文三に師事。大学院修了後、洋書輸入会社に勤務。「石原吉郎論」で開高健賞候補。その後文筆活動に入り、『まれに見るバカ』がベストセラーとなる。2006年退社し文筆に専念。新書による人生論が多かったが、2009年本格評論『大和よ武蔵よ』を刊行。>
 ― Wikipedia ―

この人の著作の大半を読んできたが、また一冊、あたらしい本が出たので手に入れた。

『不孝者の父母考――親が死んではじめてきづいたこと』 (ふこうもののちちははこう)
 勢古浩爾 著
 2013/4/23発行 三五館 229ページ 1,400円(税別)

タイトルに惹かれた。
私も、若い頃に父を亡くし、昨年、母を亡くした。
来月、一周忌をむかえる。
私もまた「不孝者」だ。
ひとごとではないのである。

この本の表紙の写真は、勢古さんが乳児の頃、お姉さんと撮ったものだという。
五木さんの『旅の幻燈』の表紙写真を思いおこさせる。
(これまた衝撃的な本だった)

五木寛之 『旅の幻燈』 (講談社文庫)
<「私は初めておずおずと自分の過去や肉親の記憶をたどりながら、エッセイ風の自伝小説に筆をそめることになった…」 禁じられた性の目覚めに震える少年の日の記憶。亡き母への清冽な思慕。学生時代に出逢った女たちの淡い回想。白いアカシアの花影に、五木文学の原点をなす“詩と真実”が揺れる長編。>
 
 ― Amazonより ―

Tabinogentou

男子にとって母親や姉妹は、やはり特別な存在なのだろうか。

<12年前に母親(享年76歳)を、7年前に父親(享年89歳)を失った著者による、両親を失って初めて気づいた「父母考」。 誰にとっても一度きりの強烈な体験である「親の死」をテーマに、“親とは誰か?” “親の死とは何だったか?” を真剣に考え直す。
 (1)親の死はただ悲しいだけの出来事ではない。
 (2)親が死んで、子どもが後悔するのは当たり前である。
 (3)一般的な死などなく、だれにとっても死は、一人一人の個別的な出来事である。
 (4)子どもはいつまでも父と母の子である。
“すべての子どもは不孝者である” と考える著者による、親が健在な方にも、すでにどちらか一方(あるいは両方)がお亡くなりになった方にもお読みいただきたい「親の死」論。>
<親を失ってはじめて、親はほんとうの親として蘇る。すべての子どもへ贈る、切なく、温かい、「親の死」「自分の死」論。>

 ― Amazonより ―

読みたい本が、またこうして溜まっていく……。

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