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2013年8月29日 (木)

【読】読了、「シャクルトンに消された男たち」

図書館から借り、一週間近くかけて、ようやく読了。
翻訳ものによくあることで、人名がややこしくて難儀したが、巻頭の登場人物紹介(写真付)が役立った。

ケリー・テイラー=ルイス 著 奥田祐士 訳
『シャクルトンに消された男たち ―南極横断隊の悲劇』

 文藝春秋 2007/8/30発行 357ページ

イギリスの探検家 アーネスト・シャクルトンが企てて失敗した 「大英帝国南極横断探検隊」 の、本隊とは別の「支援隊」の実話。
ほぼ一世紀前、20世紀初頭のことだ。

第一次世界大戦が勃発した1914年、この探検隊は故国イギリスを出発。
シャクルトン率いる本隊は、南米側から南極大陸に上陸する予定だったが、船(エンデュアランス号)が氷海に閉じ込められて難破、漂流する。
28名の本隊全員が生還できたのは、じつに1916年5月のことだった。

その間、南極大陸の反対側(オーストラリア側のロス海)から上陸し、極点近くまで本隊支援物資の補給地を設営する使命を帯びた10名。
彼らも遭難に近い状況をかいくぐり、与えられた使命を全うしたものの、指揮官以下3名が命を落とした。
救助されたのは1917年1月のことだった。

シャクルトンは、彼ら支援隊を「消した」わけではない。
しかし、シャクルトンたち28人の「奇跡的な全員生還」の陰にかくれて、この支援隊の労苦は、ほとんど知られていなかった。

その意味で、邦題 『シャクルトンに消された男たち』 がつけられたのだろう。
(原題は、"THE LOST MEN")

上陸隊10人の男たちが、極寒の南極大陸で、装備不足、食糧不足に耐えながら、ほぼ人力(徒歩と若干の犬たち)でソリをひき、極点近くの南緯83度まで往復、その走破距離は延べ1330マイル(2460キロメートル)、という凄まじい話。
リーダーの誤った方針、指導力不足と判断ミス、隊員どうしの反目など、探検隊や登山隊にありがちな人間ドラマが生々しく、気が重くなった。

― 以下、Wikipedia アーネスト・シャクルトン より ―
 1902年、ロバート・スコットの第一回南極探検隊に参加した。この探検行で、スコットらと共に南極点到達を目指すが、残り733kmの地点で断念を余儀なくされた。病気によって犬ゾリの引き犬を全て失う、シャクルトン自身も壊血病に倒れるなど、惨憺たる結果に終わった。
 1909年、自ら南極探検隊を組織。ポニーが引くソリで南極点到達を目指すが、食料の欠乏のため、南極点まであと180kmまで迫った地点(南緯88度23分)で引き返している。最後は飢餓で全滅寸前の危機に陥りながらも無事に帰還。この探検行で前人未踏の地点まで到達したことが評価され、帰国後ナイトを叙勲している。
 ロアール・アムンセンが1911年に南極点到達を果したことから、シャクルトンは目標を南極大陸横断に切り替え、1914年エンデュアランス号(英語版)にて南極に向け出航した(帝国南極横断探検隊)。南極大陸まで320kmの点で氷塊に阻まれ、身動きが取れなくなる。10ヶ月ほど氷塊に囲まれたまま漂流を続けたが、氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊を始めたため、船を放棄し、徒歩にて(そして、氷山が溶けてからはボートにて)氷洋上を踏破し、約500km先のエレファント島に上陸した。そこから分遣隊を率いて救命ボートで航海を行い、約1300km先のサウスジョージア島に到達。登山道具も満足に無い状態でさらに山脈を越えて漁業基地に到達し救助を求めた。その後貸与された救助船の損傷や接岸失敗などの困難に見舞われたものの、ついに全隊員の救出に成功した。約1年8ヶ月にわたる漂流にも関わらず、27名の隊員と共に、1人も欠けることなく生還を果している。 当初の探検目的は果たせなかったものの絶望的な状況下において隊員の希望を失わせず、かつ、冷静な判断と決断力で奇跡ともいえる全員帰還を成功させたことで、優れたリーダーとして今でも称えられている(ただし、南極大陸の反対側に派遣したロス海支隊は3名の死者を出している)
 1922年1月5日、新たな南極探検に向かう途上、サウスジョージア島で心臓発作にて急逝した。墓はサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島のサウスジョージア島最大の停泊地・グリトビケンにある。

あまり知られていないと思われるので、「ロス海支援隊」の上陸メンバー10名を紹介しておきたい。
(本書巻頭紹介による)

生存者7名――
アーネスト・ジョイス 1875-1940 ソリ備品、犬係
 指揮官のマッキントッシュと計画をめぐってはげしく対立
アーネスト・ワイルド 1879-1918 備蓄係
 兄のフランク・ワイルドはシャクルトン率いる本隊にいた
 持ち前の陽気さで隊を和ませていた
ジョン・ラクラン・コープ 1893-1947 医師・生物学者
 学業を中断し、25歳とさばを読んで探検隊に参加
アレクザンダー・スティーヴンス 1886-1965 主任科学者
 ロス海支隊の科学者たちのチーフ
 研究目的で誘われたはずが、肉体労働ばかりで不満を持つ
リチャード・ウォルター・リチャーズ 1893-1985 科学者
 オーストラリア出身、メルボルンの新聞に載った募集広告に応募
 マッキントッシュとジョイスの双方に信頼され、次第に隊への影響力を持つように
アンドルー・キース・ジャック 1885-1966 科学者
 メルボルン大学卒、大学で教えていた
 上位下達で表立った反抗を避けるイギリス式のやり方になじまなかった
アーヴィン・ゲイズ 1889-1978 助手
 スペンサー=スミスの従兄弟、イギリス本土からオーストラリアに移住していた
 オーストラリア人同士ということもあってジャックとの結束は固かった

以下、3名は遭難・死亡――
イーニアス・マッキントッシュ 1879-1916 ロス海支援隊指揮官・オーロラ号船長
 シャクルトンの以前の南極探検に参加、事故で右目を失った
 シャクルトンには忠実だったが、融通が利かず、隊をいたずらに疲弊させた
 ヘイワードと二人、悪天のなかを出発し行方不明に
アーノルド・スペンサー=スミス 1883-1916 従隊牧師
 エジンバラの男子校教師、英国国教会助祭
 未知の土地での教化活動に憧れて、シャクルトン隊に志願
 最初の犠牲者になった
ヴィクター・ヘイワード 1887-1916 助手
 ロンドンの金融会社で事務員をしていた
 2年間の南極暮らしに故郷に残した家族を思う気持ちでマッキントッシュに同調
 最期を共にした

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