【読】塩見鮮一郎 「江戸から見た原発事故」
図書館にリクエストしてあった塩見鮮一郎さんの新刊が届いたので、借りてきた。
塩見鮮一郎
『江戸から見た原発事故 ――あの時こうしていたら……の近代日本史』
現代書館 2014/1/30発行 190ページ 1,800円(税別)
― Amazonより ―
原点を江戸時代に置くことではっきり分かる、明治・大正・昭和・平成そして原発事故。維新時の誤りを引きずり、繰り返す愚行。不甲斐ない祖国でどう生きたらいいのか。近代史を読み換えるための歴史私観。
著者略歴
塩見/鮮一郎 1938年、岡山市に生まれる。編集者を経て作家・評論家。
題名からわかるように、2011年3月11日の東日本大震災、福島の原発事故を見据えて書かれた本だ。
まえがき(はじめに)には、次のように書かれている。
少し長くなるが、引用する。
― 本書 「はじめに」 より ―
<2011年(平成二十三年)、あの東日本大震災がなければ、このような本を書かなかった。ちゃんと言えば、地震と津波だけなら、やはり書かなかった。1995年(平成七年)の阪神・淡路大震災のときは、かたむいた家のあいだの道路を、おおくの人にはさまれて歩いた。写真を撮るのもはばかられる空気が支配していた。ニューヨークの9・11はテレビで見たが、民間の死者に哀悼の意をあらわすものの、背景になったアラブ問題についてのアメリカ政府の言い分に同調できないでいた。いずれにしろ、災害やテロからなにかをふかく感じたにしても、本一冊を書く勇気はなかった。>
<今回は、福島の原発事故のすさまじさである。一基だけのメルトダウンでも大事件なのに、三基もこわれた。溶けた炉心がどのような状態なのか、まる三年になろうとしているのにわからない。……>
<なにがこのような限界状況を日本にもたらしたのか。未来は予測できないので、過去の経緯について微力ながら再検討してみた。あれこれ愚考し、カメラの位置をうんとうしろに引いて、スパンをひろくとった。今回の事態の深刻さを勘案した結果で、千年に一度の非常時に直面していると思っている。>
五章で構成されている。
【目次】
はじめに
第一章 幻影エドの再現 (明治の滑稽)
第二章 震災後の恐怖 (大正の明暗)
第三章 近代超克ゲーム (戦前昭和の陰鬱)
第四章 市民と政治のたわむれ (戦後昭和の変転)
第五章 ついに君は見たか (平成の地獄)
[補]
はかない話 (ブログより)
原発クライシス (ブログより)
あとがき
― 本書 「はじめに」 より ―
<江戸から現代へ。明治・大正・昭和・平成と、わざと元号を使用して「四代実録」の体裁をとった。一章は江戸の叙景で、すこしばかり牧歌的になるが、現在とのコントrストを考えている。各章はかなり独立性がたかいので、おいそぎの方は、どこから読んでいただいてもよい。後半は、わたしの生きた時間とかさなる。長寿をいいことに自分のことをすこしだけ記した。>
私の敬愛する塩見さんが、明治から原発事故までの歴史を、どのように捉え、考えているのか、興味津々だ。
【参考】 塩見鮮一郎さんのサイト
塩見鮮一郎のHP
http://www014.upp.so-net.ne.jp/siosen/
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