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2014年3月13日 (木)

【遊】えどはくカルチャー(米山勇氏)講演二日目

終日、雨。
夕方から風雨が強くなっている。

バスと電車を乗り継いで、両国の江戸東京博物館へ。
2月13日に続いて、「えどはくカルチャー」 講演会の二日目を聴講。

江戸東京博物館
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
新春えどはくカルチャー│イベント情報│江戸東京博物館
 ■生誕100周年記念 建築家・丹下健三と20世紀
   ― 創造の出発点と終着点 ―

 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/index.html#16

 今年、2013年は、建築家・丹下健三(1913-2005)の生誕100周年にあたります。比類ない造形力とスケール感覚によって、日本のみならず世界に影響を与えた建築家・丹下健三。彼の建築・都市創造の軌跡をたどり、丹下健三が残したものの意味について考えます。

① コルビュジエから丹下健三へ
  ~20世紀とモダニズム、そして広島への道程~
 2014年2月13日(木) 14:00~15:30
 江戸東京博物館都市歴史研究室 米山 勇 氏

 → 2014年2月13日 (木) 【遊】えどはくカルチャーへ
   http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b448.html

② 丹下健三と昭和建築
  ~時代と作品、そして終着点~
 2014年3月21日(木) 14:00~15:30
 江戸東京博物館都市歴史研究室 米山 勇 氏

201403130003

両国駅ホームから江戸東京博物館

201403130009

前回より聴講者が多かった気がする。
前回もそうだったが、開場前から入口に行列ができていた。

米山勇先生のお話は、とてもわかりやすく、親しみやすいものなので、ファンも多いのだろう。

丹下健三について、私はほとんど何も知らなかったが、二回の聴講でいろいろなことを知った。

(下の写真) 丹下健三 ― Wikipediaより ―

Kenzo_tange_1981

講演の締めくくり。

 「広島にはじまり、広島に終わる」 あるいは
 「カトリックにはじまり、カトリックに終わる」

―― が、印象的だった。

「広島」 広島平和記念公園

広島に原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日には、父危篤の知らせを受け帰郷の途にあって尾道にいたが、焼け野原となって跡形も無くなっていた実家に到着した翌7日、父はすでに2日に他界しており、また広島市への原爆投下と同じ日に実施された今治への空襲によって、最愛の母をも同時に失っていたことを知らされる。壊滅的被害を受けた広島は、外国の雑誌でル・コルビュジエのソビエト・パレス計画案と出逢い、建築家を志した想い出の地でもあった。その広島の復興計画が戦災復興院で俎上にのぼっていることを知るに及んで、残留放射能の危険性が心配されたにもかかわらず、丹下は志願して担当を申し出た。浅田孝・大谷幸夫ら東大の研究室のスタッフとともに1946年の夏に広島入りし、都市計画業務に従事した。その成果は、広島市主催の広島平和記念公園のコンペに参加した際、見事1位で入選という形で結実する。> (Wikipediaより、下の写真も)

300pxhiroshima_peace_memorial_museu

「カトリック」 世界平和記念聖堂/東京カテドラル聖マリア大聖堂

<同時期、第二次世界大戦後の日本建築界の幕開けを告げる、当時日本最大級のコンペであった世界平和記念聖堂の建築競技設計でも衆目を集めるが、施主であるカトリック教会が、丹下案と類似するオスカー・ニーマイヤー設計のブラジル・パンプーリャのサン・フランシスコ礼拝堂に見られる放物線状のシェル構造が持つ、その非宗教伝統的な形体と音響の悪さを嫌って、丹下案は不採用(1等なしの2等当選)となった。後にその実施は、コンペの審査委員の一人で、コルビュジエ派である丹下案を酷評した表現派の村野藤吾が担当することになり、日本建築界の一大スキャンダルとなる。> (Wikipediaより)

<壮年期の丹下は、日本国外からもたらされるシェル構造や折板構造などの様々な新技術や建築の新思潮を精力的に消化しながら、1964年(昭和39年)の東京カテドラル聖マリア大聖堂と 東京オリンピック国立屋内総合競技場(正式名称:国立代々木屋内総合競技場)において、自身の建築歴の頂点を極めることになる。両作品ともに、当時の最先端の構造技術を咀嚼しながらも独自の発展を見せ、東京カテドラル聖マリア大聖堂ではHPシェル構造を用い、国立屋内総合競技場では吊り構造を用いて、構造と形態を高度な次元で融合させながら、なおかつ至高性をも表現することに成功したモダンデザインの傑作である。前者は現代キリスト教会建築の中でも屈指のものであり、後者はコルビュジエのソビエト・パレス案からマシュー・ノヴィッキーのノースカロライナ・アリーナ(ローリー競技場)を経て、エーロ・サーリネンのイェール大学アイスホッケーリンクに至る流れの中で、吊り構造の決定打にして完成作とも評され、世界に衝撃を与えた。> (Wikipediaより、下の写真も)

300pxst__marys_cathedral_tokyo_2012

<2005年(平成17年)3月22日、心不全のため91歳で死去した際には、自ら設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂で葬儀が行われた。葬儀では、磯崎新が時折涙で声を詰まらせながら弔辞を読んだ。生前カトリックの受洗に与っており、洗礼名は聖母マリアの夫であり大工でもあったヨセフであったことが、その時人々に知られた。>

これまで私は、なんとなく丹下健三を嫌っていた。
新都庁舎の仰々しい建物に反感を持っていたからだ。

しかしながら、このように彼の人となりや業績を知ると、やはり偉大な人だったのだなと思う。

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