【雑】「まつろわぬ民」と「イサの氾濫」
図書館から借りている本なので、忘れないうちに書いておこう。
今日二度目のブログ投稿だけど。
木村友祐という若い作家(1970年、青森県生まれ)が書いた 「イサの氾濫」 という短篇小説。
先週(9/11)、調布のせんがわ劇場で観た芝居「まつろわぬ民」の主演 白崎映美さんが、影響を受けた小説だと聞く。
この小説の中の一節。
庄内出身の白崎さんが感銘を受けたのは、こういう個所なのだろうと思う。
主人公 将司がクラス会に出席するため帰省した実家近くに住む、年上の友人 角次郎の台詞だ。
すこし長いが、ストレートな思いが伝わってくる部分だったので、書き写す。
<…(前略)…これは、おらの思い入れで喋るんだども。東北人は、無言の民せ。蝦夷征伐で負けで、ヤマトの植民地さなって、もどもど米づぐりさ適さねぇ土地なのさ。稲作ば主体どずる西の社会ど同じように、米、ムリクリつぐるごどになって、そのせいで人は大勢飢え死にするし、いづまでたっても貧しさに苦しめられでな。はじめで東北全域が手を結んで、薩長の維新政府軍ど戦った戊辰戦争でも負げで。つまり、西さ負げつづげで。勝った薩長のやづらがら「白河以北、一山百文」なんて小馬鹿にされで、暗くて寒くて貧しいど思われながら、自分だぢもそう思いながら、黙々と暮らしてきたべ。……したんども、ハァ、その重い口を開いでもいいんでねぇが。叫んでもいいんでねぇが。>
(出典:講談社刊『文学2012』日本文藝家協会編/2012年発行/P.287)
演劇 「まつろわぬ民」 (風煉ダンス公演/台本:林周一)が伝えたかった思いも、こういうことだったのではないか。
出演者の役名にアイヌ語が多用されていたのも、そう考えると納得できる。
サンペ(準主役) ……アイヌ語の「心臓」
以下、脇役。
括弧内は、公演で配られたプログラムに書かれているもの。
アジム (斧) ※ これだけは、私の手もとにあるアイヌ語辞典などでも確認できず
トノト (酒)
ヌイ (火)
イタク (言葉)
クー (弓)
ワッカ (水)
レラ (風)
彼らは、芝居の冒頭、「ゴミ屋敷」の中の「ゴミ」だったのだが、実はその中に潜んでいた「鬼」たちという設定。
舞台の小道具だとばかり思って観ていたら、とつぜん動きだしたので驚いたものだ。
段ボールを主体につくられた舞台美術(小道具・大道具)が、効果的に使われていた。
(段ボール彫刻担当:本濃研太さん)
以下、プログラムより、林周一さんの言葉を転載させてもらう。
<昨年、白崎映美という稀代の歌手の、まるで古代からの呼び声のような、その魂を震わす歌声に触れた瞬間、・・・「鬼」「蝦夷」「東北」・・・いくつかのキーワードと共にこの作品のイメージが湧きあがりました。…(中略)…「311」から3年以上が過ぎ、帰れない故郷、避難民が今だ24万人。まるで事が無かったかのように過ぎる日々。「戦争」状況がひたひたと近づいてくる中、死者に対する畏怖の念は益々希薄になる一方。繋がりが切れた時、記憶の断絶こそ新たな悲劇の始まり。/無かったことにしない為させない為、おぼつかなく拙い言葉ではありますが、未来への私的「宣言」としてもこの芝居をお届けしたいと思います。
風煉ダンス (台本) 林 周一>
その思いは、しっかりと伝わってきた。
一生忘れられないほど、強烈な印象を残した芝居だった。
| 固定リンク
「【雑】きまぐれ日誌」カテゴリの記事
- 【雑】2021年のアクセス・ランキング(2021.12.29)
- 【雑】ブログのアクセスログを見る(2021.11.04)
- 【雑】2021年、晴天続く(2021.01.21)
- 【雑】2020年を振り返る -12月-(2020.12.30)
- 【雑】2020年を振り返る -11月-(2020.12.30)
「白崎映美」カテゴリの記事
- 【楽】上々颱風、一日復活?(2022.06.05)
- 【楽】今年も総集編(2019年・ライブ編 -その4-)(2019.12.28)
- 【雑】2017年の思い出 (2)(2017.12.29)
- 【雑】2017年の思い出 (1)(2017.12.28)
- 【読】2016年総集編 今年読んだ本(2016.12.31)
コメント