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2015年4月10日 (金)

【読】赤坂憲雄さんが考えたこと

赤坂憲雄さんの 『震災考 2011.3-2014.2』 (藤原書店/2014年2月発行) を少しずつ読んでいる。

巻頭「はじめに」に、こんなことが書いてあり、ハッとしたのだった。
「はじめに」の真ん中あたり、3ページ目から4ページ目にかけての一部。
原文の漢数字をアラビア数字に書き直して、引用する。

<……いま・ここが、厳粛な分岐点となるのかもしれないと思う。関東大震災(1923年)のあとの日本社会の大きな変容や瓦解のプロセスとの比較が、奇妙にリアリティを増している気がする。

 1925年 治安維持法
 1929年 世界恐慌
 1931年 満州事変
 1932年 五・一五事件
 1933年 国際連盟脱退
 1936年 二・二六事件
 1937年 日中戦争始まる
 1940年 幻の東京オリンピック
 1945年 太平洋戦争敗戦

 ヘイト・スピーチ、特定秘密保護法、NSC、武器輸出、憲法改正、2020年東京オリンピック開催……、まるで戦前の歴史を辿り直そうとしているかに見える。白昼夢を見せられているようにも感じられる。すでに、そこかしこで異端排除の動きが始まっている、そんな気配が感じられてならない。批判を許さない、大政翼賛会的な傾向が始まっていく。国家の責任が問われず、国民の責任ばかりが問われる時代が始まろうとしているのではないか。……>

佐藤優氏が言っているように、歴史をアナロジカルに見ると、そうなる。
「国威発揚」がオリンピックの(政治的な面での)目的であることは、今も昔も変わらないはず。

なにもかも単純なアナロジー(analogy:類推)で捉えるのはどうかと思うが、妙に符合するものはある。

教科書検定、国旗・国歌の押しつけ――強制ではないと言うが、義務づけは押しつけと同義だろう――など、このところ、与党政府の「右寄り」の言動を目にすることが多く、イヤなきもちになる。

流されないようにしよう、そう自戒している。
「流されゆく日々」なのではあるが……。

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