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2016年3月10日 (木)

【読】古山高麗雄が、いい

作家との出会いというのも、おもしろいもので。

たまたま別の本を読んでいて知った、古山高麗雄という作家。
名前だけは知っていたが、読んだことがなかった。

古山は大正9年(1920年)生まれというから、私の父(すでに故人)よりも少しだけ年長。
父は、師範学校在学中に召集された。
繰上げ卒業だったらしい。
海軍少尉の階級で、飛行機に乗ることもなく敗戦を迎えた。

わずかな年齢の差が、古山高麗雄と私の父の運命を分けた。
そう思うと感慨ひとしおだ。

父から戦争の話を聞くこともなく、36年前に54歳で早逝してしまった。
そうか、生きていれば90歳になっていたのだ。
いま思えば、父からはもっといろいろ聞いてみたかった。


何冊か古山高麗雄の本を読んだあと、こんな評伝が出版されていることを知り、図書館から借りてきた。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』
 玉居子精宏 (たまいこ・あきひろ)
 平凡社 2015/8/5発行 279ページ 1,800円(税別)

― e-honサイトより ―
[要旨]
安岡章太郎ら「悪い仲間」との出会い、戦う気もない兵隊として過ごした戦争、鬱屈した編集者時代、そして旧友との別れ―「人生、しょせん運不運」と嘯いた作家の生涯。
[目次]
第1章 「悪い仲間」たち
第2章 「兵隊蟻」の戦争
第3章 「万年一等兵」の下積み
第4章 「悪い仲間」との決別
第5章 「戦争三部作」への執念
第6章 文士の“戦死”
終章 落葉、風を恨まず

表紙は、兵隊時代の古山高麗雄だろう。

これから読みはじめるところだが、本文より先に「あとがき」をちらっと読んでみた。
古山高麗雄という作家の魅力が、うまくまとめられていて、「そうだ、そうだ」と膝を打った。

少し長いが、あとがきから引用してみる。

<開き直りと切実さを感じさせる言葉の連なり。古山高麗雄の作品を読むと、そんなことを感じる。例えばデビュー作「墓地で」の中で、上官に「役に立たない兵隊」と罵られる「私」がこう思う――。

彼らが、八紘だの玉砕だのと翼賛語を使ったら、私は嘲笑することにしていたのだった。なにがギョクだ。大君のへにこそ死なめ。なにが、へにこそ、だと思う。私には思う自由、というものがある。これだけは、誰も束縛することができない。

 「思う自由」あるいは「思うだけの自由」。それは圧倒的に自由に見える戦後を生きる私にとってたとえようもなく重いものに思える。
 私は古山の言葉に新鮮さを覚えながら、作品を読んできた。それまでに読んだ「戦争文学」に感じていた深刻さをあまり感じないのが不思議でもあった。
 古山が戦場で無数の死に接したことを思えば、開き直りと切実な思いを抱えて戦後を生き、書いたことは当然だろうと思う。(後略)>
  ― 本書 P.273 ―

著者は1976年生まれのノンフィクションライター。
若い!

楽しみな本である。

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