【読】「断作戦」覚え書き
古山高麗雄の『断作戦』(1982年/文藝春秋)を図書館から借りて読んでいる。
終盤にかかった。
単行本の残りは70ページほど。
ちょと気になった個所があったので、覚え書きとして残しておこうと思う。
先の戦争(大東亜戦争/アジア・太平洋戦争)の末期、昭和19年頃、ビルマ(現在のミャンマー)北部から中国の雲南地方に侵攻した旧日本陸軍。
騰越城でほぼ全滅した部隊の奇跡的な生き残りである二人の兵士の、戦後の回想の形をとった長篇小説だ。
主人公のひとり、落合一政の回想から(P.250-P.251)。
<咽喉もと過ぎれば熱さを忘れる、ということか。人はみんな、そうなのではないだろうか。戦争では、普通では考えられないような残虐が行なわれる。戦場でも殺し合いだけならまだしも、ナチスがユダヤ人にしたようなことを、あれほど大規模ではないが、日本もしたし、また、されもしたのである。
帝国陸軍はシンガポールで、何千人もの市民を虐殺したし、帝国海軍はマニラで、やはり何千人もの市民を虐殺した。シンガポールでは、同市に在住する華僑の十八歳から五十歳までの男子を指定の場所に集めた。約二十万人を集めて、その中から、日本側の戦後の発表では六千人、華僑側の発表では四万人の処刑者を選んで、海岸に掘らせた穴に切ったり突いたりして殺した死体を蹴り込み、あるいはそれでは手間がかかるので、船に積んで沖に出て、数珠つなぎにしたまま海に突き落とした。抗日分子を粛清するという名目で、無愛想な者や姓名をアルファベットで書く者などを殺したのだそうである。日本軍はシンガポールでは、同市を占領した直後にそれをしたが、マニラでは玉砕寸前の守備隊が、女子供まで虐殺し、強姦もした。アメリカの発表では、殺された市民の数は八千人である。これには名目などない、狂乱の所行である。>
犠牲者の数は、南京虐殺でもそうだが、被害国側の発表数字が大きすぎる気もする。
だが、それが問題ではない。
中国大陸でも、フィリピンでも、ビルマでも、旧日本軍はそういうことをしたのである。
弁解の余地はないはずだ。
昭和20年、日本の敗戦が必至になった時期の、あの沖縄戦も、これに負けず劣らず悲惨だった。
あれは、日本軍が、味方であるはずの沖縄の人たちを見殺しにした戦闘と言えるだろう。
■
慰安婦についても、知るところがあった。
作者の古山高麗雄が見聞した事実であろう。
これも落合一政の回想(P.256-257)。
<あのころは、騰越城の大半が占領されて、いたるところで死闘が展開されていた。そんな城内から食料が届いた。握り飯一個とカンパン一袋とをもらった。握り飯は、慰安婦たちが弾雨の中で作ってくれたのだと聞かされて感激した。あのころはもう炊き出しなどのできる状態ではなかったのである。あれは、彼女たちが、身を死の危険にさらして握ってくれた握り飯だったのである。>
<同夜、一政たち飲馬水陣地の守兵は、城内からの脱出を援護した。十三日も雨であった。敵は照明弾を打ち上げ、東南角陣地から激しく脱出部隊に銃撃した。その弾雨を潜って、慰安婦たちも脱出した。その被害の程度はわからないが、脱出者たちは、破壊孔から躍り出ると一政たちが待機していた林の中に飛び込んで来た。慰安婦たちも軍服を着て鉄帽をかぶっていた。暗い林の中だから、人数はよくはわからなかったが、二十人か三十人ぐらいいたのではなかったか。>
こんな激しい戦闘が繰り広げられていた戦場にも従軍慰安婦がいたことに、私は衝撃を受けた。
この少し後の記述で、主人公たちが籠っていた騰越城にいた慰安婦たちがどこから来て、その後どうなったかも書かれている。
落合一政が、もうひとりの主人公である白石芳太郎と、戦場を回想する場面(P.260-261)。
<「白石さんは、騰越で慰安婦が作ってくれた握り飯のこつば、憶えとらるるかね」
…(中略)…
一政が、握り飯のことを言うと、芳太郎は、
「憶えとるとも。一生、あの握り飯の味は忘れんたい」
と言った。
「あの慰安婦たちとは、キャンプで出会うたが、その後、どぎゃんなこつになったじゃろうかね」
「キャンプで出会うたもんたちは、朝鮮に送り返されたわけじゃろうが、キャンプに収容される前に、雲南の山ん中で死んでしもうたもんもおろうし、戦後、病気で死んだもんもおるじゃろう。あのころ、二十ぐらいだったもんも、今はもう還暦に近い年配になっとるわけじゃ。 …(略)…」
「慰安婦たちは、挺身隊じゃと言うて、強制連行されたというこつじゃが、ひどい目に遭うたな。今になってみれば、九月十三日の晩、城内から慰安婦たちが逃げ出して来て、一緒に連れて行ってくれち言うたが、そうしてやればよかったち思わるる。と言って、一等兵のわしにそんなこつはできまいし、あんときは捕虜になるとは考えておらんじゃったもんな……」>
■
古山高麗雄は、この戦闘には参加していないが、体験者への取材をたんねんに重ねて、この小説を書きあげたという。
上にあげた状況は、ほぼ事実だったと思う。
あの戦争では、いたるところで、これに似た戦闘が繰り広げられ、おびただしい数の敵味方の将兵が命を落としたのだ。
戦闘だけでなく、それ以上に、疾病や飢え、でも。
その事実から目をそらさないことだ。
そして、日本兵は勇敢だったとか、よく戦ったなどと、美化しないことだ。
(ネットを調べていると、体験者のそのような言説を目にすることがあるが……)
古山高麗雄は、軍の指導者や指揮官ばかりでなく、その頂点にいた昭和天皇にも怨嗟のまなざしを向けている。
一兵卒のまなざしである。
ほとんどの帰還兵が、戦後、沈黙を守ったのだろう。
戦場での体験を語りたくない、その気持ちもよくわかる。
だが、ほんとうのことを知りたい。
戦後生まれの私は、無数の無名兵士たちの声に耳をすますつもりで、あれこれ読んだり調べたりして、あの戦争の実態を知りたいと思い続けている。
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