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2022年12月26日 (月)

【雑】再録――歌はだれのものか

15年前、2007年3月17日に、このブログに書いた記事を再録。
ただし、記事中の新聞記事へのリンクは、いまは無効になっている。

【楽】歌はだれのものか: やまおじさんの流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_102d.html

いまでも、このときに書いた考えは、さほど変わっていない。

朝日新聞3月15日朝刊の記事。
「歌はだれのものか」――「おふくろさん」騒動と著作権。
asahi.comでも読める。
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703150106.html

勤めに出ている日は、居酒屋のランチタイムを利用することが多く、その店のテレビのチャンネルがいつもワイドショーなので、あらかた事情がわかってしまった。 報道されない部分はあるにしても。
森進一は好きでも嫌いでもないから、ことの行方がどうなってもかまわないのだが、なかなか微妙な問題をはらんでいると思う。
朝日新聞のこの記事は、著作権法にスポットをあてたものだが、「歌はだれのものか」というのなら、それは「みんなのもの」だろうな。
歌は、作者と歌い手だけでなく、聴き手がいてはじめて成立するものだから。
50年後、100年後まで歌いつがれる歌なら、そのときは著作権もなにもないだろう。

今回の騒動。 しょせんは、権利という次元の話(著作者の権利はたいせつだけどね)。
それに加えて、多分に感情的なものが話をこじらせているようだ。
歌の価値というのは、もっと別のところにあるんじゃないか。

この一件、森進一に分がないと、ぼくは思う。
ワイドショーでインタビューを受けていた八代亜紀のコメントに、好感がもてた。
歌い手と作者のどちら側にもたたず(森進一も川内氏も両方知っているから、という理由で)、はやく和解してもらえるといいですね、といったあたりさわりのない内容だった。 それでいいのだ。
演歌歌手のなかでは、ぼくは八代亜紀が好きだな。

読み返してみて、なんだか微笑ましい気もする。
あの頃は、気ままに書いていたのだなあ、と。

【追記】
もしやと思い、Wikipediaの森進一の項を見てみたら、つぎのような記述があった。
当時の”著作権騒動”がこれだった。芸能ゴシップなのだが、朝日新聞記事は、歌謡曲はいったい誰のものかという問題提起だったような記憶がある。
「俺がつくった歌詞を勝手に変えるんじゃない」という川内康範と、森進一のどちらが正しいかということじゃなく、当時、私が思ったのは「歌はだれのものでもない、みんなのものじゃないか」ということだった。
あらためて、森進一も可哀そうだったなとは思う。

森進一 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%80%B2%E4%B8%80

おふくろさん騒動
2007年(平成19年)2月、おふくろさん騒動が勃発、川内康範との確執が表面化した。両者はついに和解に至ることのないまま、2008年4月6日に川内は逝去した。2008年(平成20年)11月に、森と川内の遺族が和解したことが明らかになり、1年9か月に及んだ騒動に一応の終止符が打たれた。話し合いの席には関係者らと森やレコード会社が同席したという。同年の『第59回NHK紅白歌合戦』に出演した際に「おふくろさん」を歌唱した。この時、冒頭で川内に謝罪を行った。

おふくろさん騒動 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%95%E3%82%93%E9%A8%92%E5%8B%95

おふくろさん騒動(おふくろさんそうどう)は、作詞家・川内康範が作詞し、森進一が歌唱した楽曲「おふくろさん」に、森が川内に無断で前奏パートを付けて歌唱したとして、2007年に発生した騒動である。

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