カテゴリー「石川英輔」の14件の記事

2009年9月 2日 (水)

【読】江戸時代のエコロジー

執筆陣に萱野茂さんの名前があったので、図書館から借りて読みはじめた本。
いい本なので、ネット販売で新本を入手してしまった。

Edojidai_kankyo_hozen『江戸時代にみる 日本型環境保全の源流』
 農文協【編】  農山漁村文化協会
 2002/9/30発行  282ページ 1619円(税別)

序章に、石川英輔さんの「環境問題で悩まない100万都市江戸の社会システム」という一文がある。
内容は、石川さんの別の著書に書いてあったのと同じなので、このブログで紹介したことがあるかもしれない。
「ミクロコスモス」のことや、同時期のヨーロッパの都市との比較、それに、石川さんの悲観的な(しかし納得できる)未来観など、興味ぶかい。

<人間の肉体は、旧石器時代あたりの自然環境に適応しているので、厳しい環境に対しては極めて抵抗力が強く、飢餓状態の時にはいろいろなホルモンが分泌されて栄養不良に耐えられるようになている。ところが、栄養の取りすぎに対しては、ほとんで抵抗力がなく、……(中略)……/おかげで、三十年前には老人病といわれた症状が四十代から現れるようになって成人病と呼ばれ、ついには十歳前後の小児成人病患者まで増えて来た。(後略)>

<それでは、いったいどうすればいいのだろうか。/このまま進むほかないというのが私個人の結論である。出発点から間違っていた現代文明がにっちもさっちも行かなくなる時は、それほど遠くない将来に迫っているはずだ。/よほどひどい目にあってこりない限り人類が愚行を止めないことは、これまでの歴史が証明している。にっちもさっちも行かなくなるその日まで、正しいと信じている現在の方向へ日本人やアメリカ人が先頭に立ってまっしぐらに進み、いよいよこのままではどうにもならないことが本当にわかるまでけっして止まらないし、方向転換を真剣に考えるはずもない、と予想するのがもっとも自然ではなかろうか。>

いまさら江戸時代の生活に戻ることは不可能だが、これだけゴミを出し続ける(消費するだけで再利用・再生産を考えない)生活のスタイルが続くかぎり、人類の未来は暗い、と私も思う。
ペットボトルの「リサイクル」なんかじゃどうにもならないのだ。
それどころか、今いわれている「リサイクル」は、化石燃料(石油)をたくさん消費するらしい。

それでも、「江戸に学ぶ」ことは、今からでもできると思う。
江戸時代は、ほとんど「ゴミ」を出すことなく、徹底的に資源を再利用していたのだ。
それこそ、屎尿から紙くずから木を燃やした灰にいたるまで、利用しつくして、最後には自然に帰す仕組みがうまく働いていた。
ほんとうの意味での「リサイクル」(自然循環)。
現代とくらべてどちらが「環境に優しい」のか(イヤな言葉だ)、誰にでもわかるのだけれど、私も含めて、みーんな目をふさいで便利さを追い求めている。

現代の先進国と言われている世界の生活は、そもそも出発点から間違っている。
そう考えると、石川さんじゃなくても悲観的になってしまうだろう。

なんとかしたいなあ……。
こんなところで、ああだこうだとつぶやいてもどうにもならない、「人類」の大きなテーマなんだが。

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2008年5月 4日 (日)

【読】終末論ではなく・・・

石川英輔 著 『大江戸リサイクル事情』 を読んで、考えさせられた。

Ishikawa_ooedo_recycle石川英輔 『大江戸リサイクル事情』 講談社文庫

巻末に、五代利矢子さん(評論家)と石川英輔さんの対談が掲載されている。
石川さんの考え方は徹底している。

「江戸時代に戻れる、戻れないという議論をよくされるんですが、私は、戻らなくてすむうちは戻る必要なないと思います。 今の生活の方がはるかに楽ですからね。 ただし、こういう工業社会をいつまでも維持するのはとうてい無理で、早晩行き詰まるだろうと思いますが」

「私は、環境をもっと広い意味に考えて、水や空気のような外部の環境がだめになる前に、たぶん人間の内部環境がだめになることでこの工業社会が維持できなくなる時が来るのではないかと思っています」 (本書 360ページ)


※ 「人間の内部環境がだめになる」 とは、膨大なエネルギーを使う生活に人間の肉体が耐えられなくなるだろう、という石川さんの持論。

「人類は、ホモ・サピエンスになってからでも何万年という時間が経っているんでしょう。 その中で、いつも体を激しく使って、食べ物がたっぷりあることはめったにない環境に適応して生き残っているのがわれわれなんです。 それが急に三十年ぐらいの間に、歩くのはやめた、重いものは持たない、汚れ仕事はしないとなると、膨大なエネルギーを使って成り立っている今の生活に適応しきれないんですね」 (352ページ)


この石川さんの発言に対して、五代さんが 「一種の終末論ですか」 と問うと、石川さんはこう答える。

「いいえ。 終末論ではなくて、何も怖がることはありません。 今のわれわれは、これが唯一の生活だと思って暮らしていますが、別にもっとのどかに暮らす方法はいくらでもあると思います。/GNPが今の半分だったのは1972年頃ですが、私たちはけっしてみじめな暮らしをしていませんでした。 (中略) もっとつつましい生活に戻っても、別に終末でもなんでもない。 こんなストレスだらけのわずらわしい工業社会を維持しなくてもよくなった時、きっとみんなほっとするんじゃないかと思いますよ」 (361ページ)



明日、月曜日は、この地域の 「もえるごみの日」 である。
私の住む地方自治体では、「フィルム状(うすい)プラスチック」、つまり、菓子袋、包装袋、レジ袋、ラップなどは燃やしてしまう。
私が出すごみの中にも、こういうプラスチック製品がたくさんある。

「もえるごみ」 のゆくえは?
高温焼却炉で燃やすのだろう。
燃やすためには、たくさんのエネルギー(元をただせば石油燃料)が必要だ。

では、「もえないごみ」 のゆくえは?
ほとんどが埋め立て処理、一部は、いわゆる 「リサイクル」 (これにも膨大なエネルギーが必要) によって別の形になるとしても、つまるところ、「一方通行」 (使い捨て) の地球資源の消費である。


今日、近くの図書館から何冊かの児童図書を借りてきた。
その中の一冊、『もしも石油がなくなったら ―教科書にでてくる産業と経済 ⑨―』 (ポプラ社/1990年) に、おそろしいことが書いてあって、愕然とした。

<毎日、わたしたちが使っている電気やガスのもとであるエネルギー資源は、無限にあるわけではありません。 石油や石炭にはかぎりがあるのです。 いつかは、これらの資源を、使いつくしてしまう日がくるのです。/現在わかっている埋蔵量(たとえば石油の場合、あとどれくらいの量が、地下にあるのかということ)から、それぞれの資源があと何年くらいもつかを計算すると、石油が35年、天然ガスが60年、石炭が190年だという人もいます。>

この35年という数字は、現代の私たちに突きつけられた、大きな宿題であろう。
ふだんは、消費生活にすっかり麻痺してしまって考えることもないのだが(少なくとも私はそうだった)、ちょっと正気に戻って考えてみれば、小学生にも想像がつくことだ。

さあ、どうする?



※ 2008.5.5追記
上に掲げた本(児童図書)にある、「石油が35年」 というのは、1990年時点での数字。
出版年から18年も経過しているので、残り17年ということになる。
この 「35年説」 の裏づけは何も書いていないから、ほんとうはどうなのか、調べてみたいとも思う。
地球の石油資源の残りの量など、誰にもわからないことのなかもしれないが……少なくとも、「有限」 ではあるはずだから。

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2008年4月25日 (金)

【読】リサイクルってなんだ?

もうずっと、「リサイクル」がブームである。
私は、このリサイクル・ブームがきらいだ。
きらい、とは言いすぎかもしれないが、苦々しい思いをいだき続けてきた。
「地球にやさしい」 などという言い回しも、好きではない。

だって、そうでしょう。
これだけペットボトルやら、食品トレイやら、ラップやら、ポリ袋を使い放題使って、それも、一瞬のうちにゴミにしておいて、さて、これをどう「リサイクル」するというのか。

こんなことをあらためて書くのも、いま読んでいる本に触発されて、いろいろ考えたからだ。

Ishikawa_ooedo_recycle石川英輔 『大江戸リサイクル事情』
 講談社文庫 1997.10.15
 (親本 講談社刊 1994.8)

江戸時代こそ、ほんものの「リサイクル」でやっていた時代だということが、よくわかる。
著者が言うところの、「大きなリサイクル」とは、こういうことだ――自然から得たものを利用して、それをまた自然に帰す。

この本の冒頭で、水車を例にとって次のように述べている。

水車はなぜ廻る? ――水の流れがあるから。
水は誰が流している? ――高い所に降った雨が重力にしたがって流れ下る。
なぜ雨が降る? ――太陽の熱で蒸発した水が雲になり、冷えてまた水となって地上へ落ちるから。
こう追っていくと、つまるところ、水車は太陽によって廻されていると言えるだろう。

<江戸時代の日本の社会は、あらゆる部分が水車と同じように、太陽エネルギーだけで廻っていた……というと、現代の社会を動かしている石油、石炭などの化石燃料も、もともとは太陽エネルギーを凝縮したものだと反論されそうだ。 しかし、化石燃料を燃やすと、また何年かのうちに太陽エネルギーによってその炭素が石炭や石油に戻るなどということはありえない。> (序章 「まわる」 より)

そうなのだ。
私が苦々しく思うのも、限られた化石燃料を惜しげもなく使ってできる製品を、使い終わったからリサイクルしましょう、と言ったって、せいぜい形を変えて再利用(それも、おそらく一回限り)するだけのことなのだ。
リサイクルではなく、リユースと控えめに呼ぶのが正しいと思う。

リサイクルとは、循環させて、再び元の状態に戻してこそ、そう呼べるのではないか?

この本には、いろんな例が出ているが、どれも自然界の動植物資源であり、それらを消費しても、いずれ自然に戻り、再生産される。
自然界の大きなリサイクル(循環)の枠を超えないように、つましく暮らしていたのが江戸時代だったんだなあ、と、つくづく思う。


――と、まあ、えらそうに書いたが、私自信も、石油(化石燃料)を、間接的に日々消費し続けているのがつらいところだ。

それにしても、私たちが子どもの頃は、まだこれほどではなかったと思う。
豆腐一丁買うにも、ちゃんと入れ物を持参したものだし、牛乳だって、空き瓶につめてもらっていた(近所の牧場まで毎朝受け取りに通っていた)。
今ほど、容器を使い捨てにしてはいなかった。
これは、ほんの数十年前のことだ。

どこかで、現代のこの消費の勢いにストップをかけないと、いずれ、我々は自分で自分の首をしめることになるだろうな。

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2008年4月22日 (火)

【読】大江戸テクノロジー事情

今週、読みはじめたのが、この本。

Ishikawa_ooedo_technology石川英輔 『大江戸テクノロジー事情』
 講談社文庫 1995.5.15

ひと頃、夢中になって読んだ 「大江戸○○事情」 シリーズの一冊。
電車の中で読むにはうってつけの、軽い読み物だ。
江戸時代って、ほんとうに不思議な時代だった。

<暦、和時計、からくり、錦絵、天文学、花火など江戸時代の様々な創意と工夫を紹介。 江戸の人びとが、科学知識や技術を軍事よりも遊びや楽しみの手段にそそいだ様子を生き生きと伝える。 目先の利益と効率ばかりを追うテクノロジー大国日本に警鐘を鳴らす好個の一冊。 大好評の「大江戸えねるぎー事情」姉妹編。>
(本書カバーのコピーより)


便利なモノや技術に囲まれて生活しながらも、本当にこれでいいんだろうか、と常々疑問を感じている私には、興味ぶかい内容。
「先進国」などと自らえらそうに言っている欧米諸国や日本など、このまま行くと必ず行き詰まるだろう。


著者は、まえがきにあたる 「部分的には正しいが・・・」 の章で、次のように言っている。

<アメリカのある学者は、地球の環境に影響を与えずに現在の平均的なアメリカ人の生活を維持しようとすれば、地球の人口は二億人が限度だという試算を発表した。 この説によれば、アメリカ人だけで、すでに地球は定員過剰だということになる。 進んだ科学技術は便利さ、快適さと引換えに、環境破壊によってわれわれの首をじりじりと締めつけているのだ。>

<なぜこんなことになるかというと、ある時点では文句のつけようもないほど便利で無害だと思われた技術が、便利であればあるほど、ある時間を経てからとんでもない結果をもたらす危険性があるからだ。 (後略) >


最近、問題になっているフレオン(フロン)も、1965年の『岩波理化学辞典』には、
「無色無臭のガス……不燃性不爆発性で無毒、化学的には非常に安定で、普通の金属を腐食しないから、理想的な冷凍剤として近時殊に小型の冷蔵庫に使われ始めた」
―― と書かれていたという。

悲観的すぎると言われるかもしれないが、すでに 「手遅れ」 の感が強い。
「洞爺湖サミット」 などというイベントにも、私はまったく期待していない。
はっきり言って、ああいう茶番劇はやめたほうがいい。


著者が言うように、江戸時代の知恵を今から学びなおしてもいいと思う。
次から次へと企業が出してくる 「新製品」 に飛びつくのも、もうやめにしたい。
高度消費社会の濁流から、抜け出さなくちゃ・・・と、つくづく思う。

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2008年3月 9日 (日)

【読】日本庶民生活史料集成

図書館から、二冊借りてみた。
さすがに分厚い。
とても読めないが、興味のある内容なので、パラパラ見てみようと思う。

Shomin_shiryou_shusei三一書房
『日本庶民生活史料集成 第二巻』
 探検・紀行・地誌 西国編
 編集委員 宮本常一、原口虎雄、谷川健一
 序文 宮本常一
「日本九峰修行日記」 野田成亮/「江漢西遊日記」 司馬江漢/「西遊雜記」 古川古松軒/他

『日本庶民生活史料集成 第四巻』
 探検・紀行・地誌 北辺編
 編集・序文 高倉新一郎
「エトロフ島漂着記」/「蝦夷日記」 武藤勘蔵/「東韃地方紀行」 間宮林蔵/「蝦夷国風俗人情之沙汰」 最上徳内/「北海随筆」 坂倉源次郎/「寛政蝦夷乱取調日記」 新井田孫三郎/「近世蝦夷人物誌」 松浦武四郎/他


Funado_ezochi_bekken1_3Funado_ezochi_bekken2_2新井田孫三郎の取調日記は、いわゆる 「クナシリ・メナシの反乱」 を鎮圧した松前藩側の記録。
船戸与一 『蝦夷地別件』 に描かれた事件である。
ちなみに、船戸与一のこの小説の巻末にも、花崎皋平 『静かな大地』 が参考資料としてあげられている。


図書館の書棚にずらりと並んでいたこの史料集成 全20巻は圧巻だった。
私の関心分野のオリジナル・テキストがたくさん収録されている資料集だ。
こういう本を、時間を気にせずゆっくり読めるようになるといいな。


【参考】
三一書房

http://www.san-ichi.co.jp/index.shtml


『アイヌ人物誌』 松浦武四郎 (更科源蔵・吉田豊 訳) 平凡社
『静かな大地』 花崎皋平 岩波書店
『菅江真澄遊覧記』 菅江真澄 (内田武志・宮本常一 編訳) 平凡社
『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔 講談社

Matsuura_aynuShizukana_daichi_bunkoSugae_masumi_yuuran1_2Ishikawa_senkouin_2











『日本庶民生活史料集成 第二巻』 の宮本常一の序文で、泉光院野田成亮の旅の記録 『日本九峰修行日記』 が、次のように紹介されている。
少し長いが、引用しておこう。

<(前略) この書によってわれわれは幕末期の修験道の実情を知ることができるばかりでなく、泉光院のあるいた道をたどって、ある異様の感にうたれる。 泉光院はほとんど街道筋をあるいていない。 いまは草に埋もれて失われてしまったようなところをさえあるいている。 街道筋以外の風物を数多く伝えようとしているものとして東北をあるいた菅江真澄に匹敵するものであろう。>

<中国筋では紀行文のあまりのこっていない山陰の村々をあるき、飛騨から信濃へは野麦峠をこえている。 この人には山野をあるくことは少しも苦ではなかったようであり、人煙まれな山野をあるいても道にまよったらしい記事すらほとんどないのはどうしたことであろうか。 細道ばかりをあるきつづけて簡潔な文章の中に地方風土のさまをよく伝えている。 その中で私をおどろかせたのは美作山中の百姓たちが、しきりに孝経・大学・孟子などの講釈をもとめていることである。 足を出したりタバコをすったり、浄瑠璃聞きの如くであったという。 そしてそれは前後もわかたぬ野人なのである。 この一事からも察せられるように問題意識をもって読めば実に興味ふかいものがあり、同一時代の僻地と都会地の生活文化対比すら可能になって来る。>

  ― 『日本庶民生活史料集成 第二巻』 序 (宮本常一) ―

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【読】読了 江戸の旅日記

ようやく読了。
十日ぐらい、この本にかかりっきりだったな。
地名が多く、最後の方は流し読みのようになってしまったが、たいへんな本だった。

Ishikawa_senkouin石川英輔 『大江戸 泉光院旅日記』
 講談社文庫 1997.5.15 1刷

もう何度も掲載した写真だが、このカバーの絵も味わいがある。
(カバーデザイン 菊地信義)
近くの図書館には単行本(1994.5 講談社)もあったが、文庫版の方が加筆訂正されているそうなので、借りてこなかった。

この日記の原文が収録されている、三一書房  『日本庶民生活史料集成 2』 が、市の中央図書館にあるというので、一度見てみたいと思う。

今から二百年近くも前、徒歩で旅するしかなかった時代に、これだけの範囲を六年かけて 「回国」 (長い時間をかけて国から国を回る旅人を、こう呼んだ) した、私と同じくらいの年齢の山伏のタフさかげんに驚いた。

泉光院に同行した、斉藤平四郎という 「強力」 (荷物持ちだったが、泉光院に負けず劣らず托鉢して歩いた) は、旅の終り頃にはさすがに病気がちになったが、泉光院は最後まで元気だった。
修験道の修行で鍛えた、強健な体の持ち主だったようだ。

正直なところ、このようなしんどい本からようやく解放されて、ほっとしている。
いろいろ、タメになったけどね。

泉光院の旅の足跡は、下の図版にあるように、日向国 佐土原を起点として九州を一周、山陰を通って本庄まで。
恐山に行きたかったようだが、「今年は凶年だからよしなさい」 と言われて、あきらめている。
その年は異常な暑さだったようだ。

大山、白山、立山、富士山にも登っている。
というか、行く先々の信仰の山には、まめに足を運んでいる。
もちろん、彼が 「九峰」 と呼んだ、修験道の霊峰 (英彦山、羽黒山、湯殿山、金剛山、熊野山、大峰山など) は、この旅の主要目的だったので、石鎚山を除き、きちんと登山している。

何度も言うが、すべて徒歩である。
じぶんの足以外、使ったのはせいぜいが舟。
馬にも駕籠にも乗らずに、歩き通したのだ。
すごい。

Ishikawa_ooedo_senkouin2 <現代の登山家は、日本の山などおもちゃのようなものだ、などといっていばる。 だが、近代登山というのは、行程の九十パーセント以上をジェット旅客機で飛び、さらにヘリコプターや四輪駆動車などを使って山のすぐ下まで行き、七千メートルあたりから上では呼吸も自力ではできないから、酸素ボンベを使って登り、あとには膨大なごみの山を残して帰って来る。 (中略) 昔の登山者のように、自宅から山頂まで、正確な地図もなしにわらじがけで全コースを歩き、まったくの自力だけで登山をすれば、白山でもヒマラヤ並みの高山なのである。>
(本書 203-204ページ)

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2008年3月 4日 (火)

【読】修験道・山伏

ようやく半分ほど読んだところ。
面白いのだが、地名がいっぱいでてきて、ちょっとつらい。
小型の日本地図帳を携帯し、ときどき引っぱりだしては、地名を確認しながら読んでいる。

Ishikawa_senkouin石川英輔 著 『大江戸 泉光院旅日記』
 講談社文庫 1997.5.15 第1刷

江戸時代、一人の老修験者(山伏)の、旅日記である。
(泉光院が遺した 『日本九峰修行日記』 の旅を再現したものだ)

修験道、山伏、といえば、独特のスタイルが思いうかぶ。
この本の主人公、泉光院(野田成亮)の場合は、剃髪していたらしい。

当時の修験道(修験宗)には、真言系の当山派、天台系の本山派、密教系の出羽の羽黒派、の三大宗派があったそうで、泉光院は当山派に属していた。
本山派の山伏は総髪、当山派は剃髪が原則だったとか。
いろいろ違っていたのだ。

江戸時代(文化文政期だが)、仏教の宗派のなかでも、日蓮宗と浄土真宗はひどく差別されていたという。
泉光院は修験道だから、加持祈祷が本業だが、さまざまな経典を読むし、各地の神社仏閣に詣でたりもしている。
宗派の垣根は、それほど厳しいものではなかったように感じられる。

基本的には、托鉢の旅である。
宗派に関係なく、たくさんの人々から喜捨を受けながら、旅を続けている。
宿泊は、ほとんど行く先々の民家。
こういう旅人を泊めてくれる家が、農村部にたくさんあったのだ。

彼は俳句が好きだったので、宿泊先で句をよんだり、俳句好きの人たちと交歓したりということも多かった。
頼まれれば、ほとんど何でもやっている。
この当時、地方でも文化的にはそうとうなものだったことがわかる。

一ヵ所に何泊もさせてもらったり、年末には 「年宿」 といって、長期宿泊していしょに年を越し、新年を祝う風習もあった。
旅人を泊める余裕が、当時の農村部でも、あったのだ。

山伏の十二道具というのがあるらしい。
「笈(おい)」 というのが、この本によく出てくる。
足つきの木製収納箱のようなもので、今なら、トランク・鞄・リュックサック、といったところか。
あんがい、便利なものに思える。
この中に、「本尊」 を入れて運んだというが、どういう本尊なのかはわからない。

Edo_shobai_zueYamabyshi『江戸商売図絵』 三谷一馬 著
 中央公論社(中公文庫)
  1995.1.18 初版 / 1997.11.20 4版

この中に、山伏の絵があった。
背負っているのが 「笈」 である。



山伏

<一般には出家在家を問わず、山岳や社寺に詣でる修行者を山伏といいます。 山野に起臥するので山臥とも書き、俗に法印とも呼ばれています。 有髪に独特の兜巾、袈裟、鈴懸と言う服装で、錫杖、杖、笈など十二道具の他、山野の起臥に必要な縄、斧、太刀などを持っていきます。 法螺貝を吹き歩くのも特徴的です。>
  ― 三谷一馬 著 『江戸商売図絵』 より ―

上の図版の出典 <狂歌本 『倭人物』 (安政頃) 歌川広重画>

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2008年2月28日 (木)

【読】大江戸 泉光院旅日記

石川英輔さんの 「大江戸」 と題された一冊。
今日から読みはじめたが、すこぶるおもしろい。

Ishikawa_ooedo_senkouin『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔
 講談社文庫 1997.5.15

残念なことに、版元品切れで、どこの新刊書店にも置いていない。
Amazonでは、3000円近い値がついていて、驚いた。
図書館から借りてきたものを読んでいる。
400ページを超える分量で、読み応えがある。

単行本(講談社)は、1994年に発行されている。
その時のタイトルは 『泉光院江戸旅日記 ―山伏が見た江戸期庶民のくらし』 という。
文庫になったときに、加筆、訂正、図版の追加・さしかえがおこなわれている。
単行本は、古本で1000円ぐらいで入手可能。 買わないけど。

江戸時代の文化文政期、日向国(いまの宮崎県)佐土原の山伏寺、安宮寺(あんぐうじ)の住職だった、野田成亮(しげすけ)。 修験者としての院号が泉光院(せんこういん)。
満年齢で五十六歳。 いまの私と同い年だ。

この時代、この年齢は老人の部類だったが、この人は、徒歩で全国を歩き回る旅(回国という)に出た。
供を一人連れての旅だが、文化九年九月(1812年10月)に出発してから、なんと六年二ヵ月ものあいだ、おもに托鉢しながら、南は鹿児島から北は秋田の本庄まで、延べ二万キロにわたって歩きまわったのだ。

しかも、宿泊料を払って木賃宿や旅籠に泊まるのは都市や大きな町だけで、大部分は農家に頼んで泊めてもらった。
あるいは、修験者の家に泊めてもらったりして、一度も野宿をしなかったというから驚きだ。

泉光院は、この旅の詳細な記録として 『日本九峰修行日記』 を残していて、本書はそれをベースに、泉光院の足どりを追っている。
「九峰」 とは、英彦山、羽黒山、湯殿山、富士山、金剛山、熊野山、大峰山、箕面山、石鎚山だが、これは修験宗として定まっていたコースではなく、山を重要な修行の場と考える泉光院が、自分の好みで決めたようだ、と著者は言う。


<登山を表向きの目的とした旅行なのだが、実際は山の部分はごくわずかで、農山村での托鉢がほとんどだった。 その膨大な記録は、四百字詰原稿用紙にして千枚にもなるが、原文は簡潔な文語文だから、全部を現代口語文に訳せば三倍ぐらいになるだろう。>

<泉光院の日記は、一人の知識人が、もの乞い同様の立場で鹿児島から秋田に至る全国を旅しながら書いた記録なので、この時代の庶民にとっての旅がどんなものであったかがよくわかる。 しかも、江戸時代最盛期の中・下層庶民の生活が、いきいきと描写されている……>

 ― 『大江戸 泉光院旅日記』 巻頭 「泉光院野田成亮の旅」 より ―

この泉光院日記の原文は、三一書房 『日本庶民生活資料集成』 に収録されているらしい。

→ 『日本庶民生活史料集成 2』 (三一書房のサイト)
 http://www.san-ichi.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=ISBN4-380-69500-X

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2008年2月27日 (水)

【読】ミクロコスモス

石川英輔著 『大江戸 えねるぎー事情』 (講談社文庫)を、一週間ほどかけて読了。

Ishikawa_ooedo_energy_s文庫で300ページほどだが、活字が小さくて(8ポだろう)、老眼の私にはつらかった。
先週末から、わけあって仕事関係の調べものもしていたので、少しずつしか読めなかった。
そんな言いわけはともかく、とても刺激的な本だった。

巻頭、ミクロコスモスの話がでてくる。
ミクロコスモス(エコスフェア ecosphere 生命地球儀)。
これは何かというと、水と空気、それに砂と小石などを入れたガラスの容器に、小魚と水草とバクテリアを入れて密封し、外部から完全に遮断する。
外から入るのは、ガラスごしに入る光と熱だけという状態にする。

すると、光と熱のエネルギーによって、水草は炭酸同化を始めて酸素を発生し、魚はその水草を食べて生き続け、排泄する。
排泄物はバクテリアの栄養になり、バクテリアによって分解されて水草の栄養になる。

それぞれのバランスがうまく保たれていれば、この小さなコスモス(宇宙)は生命活動を続けられる。
ミクロの生態系である。
それぞれの量的バランスが適正に保たれれば魚は繁殖するが、増えすぎてエサや酸素が不足すれば、弱い固体が死ぬ。
死骸はバクテリアが分解して、小さな世界のバランスを回復する。
じつにきわどいバランスの上に成りたっている世界なのだ。

このミクロコスモスの中では、「無から有は生じない」。
生命現象をささえているのは、外からの光と熱の形で供給され続けているエネルギーである。

地球上の世界も、原理的には同じだと著者は言う。
もちろん、上のミクロコスモスよりもずっと複雑ではあるが、机の上に置くことのできるガラス容器よりもサイズが大きくて、生きている生物の種類が多いため、そのバランスの危うさが見えにくいだけである。

「細い糸が、いくらか太いロープに代っただけであって」、地球規模でも本質的には同じことをしている、ということだ。

ちょっと考えてみれば容易に想像がつくが、地球の未来は暗い。
「もう、どうにも止まらない」 状態だから、このまま資源を食いつぶし、生態系のバランスをくずして、これまで考えてもいなかった危機的な状況にいきつくはずだ。

もちろん、私とて、そんなことを願ってはいないのだが、もう、行きつくところまで行くしかないのかもしれない。
それが、「便利さ」 を追求してきた結末である。

巻末で、著者はつぎのように言う。
悲観的な調子ではないのが、救いではある。

(石油、石炭、天然ガスなどの、化石燃料を消費し続けることについて)
<ただ蓄積を消費しているだけであり、いわば親の残した財産を派手に喰いつぶしながら贅沢な生活をしているドラ息子のような状態なのだ。 いずれは、これほど便利な生活ができなくなる日が来ることを覚悟する方が自然だろう。>

<だが、それならそれでもかまわないのではないかと、私は思う。>

<人間の幸福が、本当に便利さの程度に比例している証拠はないし、便利な生活が本当に幸福で、不便な生活が本当に不幸なのか、まだ結論は出ていないからだ。>

<人類は、便利すぎる生活にすでに適応できなくなりかけて、悲鳴をあげているのではなかろうか。>

<便利さという点ではもっとも早くから進歩したアメリカでは、麻薬の使用者が激増している。 ハイティーンの麻薬使用者とアルコール過剰摂取者の数は、1960年以後の四分の一世紀間に何と150倍に増えたという。>

<日常生活が便利であってほしいと願っている私個人の希望とは矛盾するが、人類は本来こういう便利な生活、エネルギー的な借金生活に耐えられない生物ではないかという気がしてならないのも事実なのだ。>

 ― 『大江戸 えねるぎー事情』 「生きる」 より ―



便利さという、私たちのからだに沁みこんだ 「魔物」 がモンダイなのだろう。
企業は、次から次へと 「便利」 で 「快適な」 生活を押しつける。
新商品のラッシュは、止められない勢いだ。

私とて、その恩恵にあずかっている。

ペットボトルや空き缶のリサイクルを言うまえに、消費を減らさないとどうにもならないだろうに、それはできそうもない。
燃費のいいクルマを作ったり、バイオ燃料を普及させる前に、クルマの総量を減らさなければ、どうにもならない。

考えると、絶望的な気分におちいってしまう。

わずか百数十年前までの日本は、そうではなかった。
エネルギー効率がよく、資源をうまく使っていたのだ。

これからの世代に期待するしかないのか。
それも難しそうだな。
コンビニで、いつでも何でも手に入るのがあたりまえと思っている世代が、このままじゃオシマイだということに、いつ気がつくか・・・。

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2008年2月24日 (日)

【読】大江戸事情

石川英輔さんという人の、「大江戸○○事情」 シリーズがおもしろいので、何冊か手に入れた。
中古があればBOOK OFFで、なければ新刊書店、それでもなければ近くの図書館と、探してみた。
残念なことに、版元品切れ重版未定となっているものが多い。

「読みたいときに本は無し」

図書館で借りてくるのがいちばん経済的でいいのだが、手元においておきたいものもある。
調べたいとき、すぐに見られるから。
図書館から借りると、二週間という貸出期限に、どうしても心理的に追われる。
(もちろん、次の予約がはいっていなければ延長できるのだが)

じぶんでも驚いたとこに、同一著者とは知らずに、こんな本を読んでいた。
著者名をまったく気にしないで、内容の面白さだけで購入、拾い読みしていた本だった。
こういうことも、ある。

石川英輔 『ニッポンのサイズ』 淡光社 2003.8.31

Ishikawa_nippon_size_2この本がとてもいい。
冒頭、1メートルの長さをどのように決めたか、などという話があって興味深い。

1790年、フランスで、メートル法の度量衡を決める作業が始まった。 
当時のフランスの科学者は、それまでの人間のサイズを基準にした、伝統的な寸、インチ、尺、フィートのような長さをもとにすることをやめて、なんと地球の大きさを基準にしようとしたのだ。

つまり、地球の子午線全周の四千万分の一の長さを1メートルにすると決めた。
北極から赤道までの距離を1万キロメートル、その一千万分の一を1メートルとするという、途方もない基準だ。

 ※ 子午線 : 地球上の同一経度の地点を結んだ仮想的な線。経線(けいせん)ともいう。
  南極点と北極点を結ぶ大円の半円。
  子午線という名称は子の方角(北)から午の方角(南)に伸びる線を意味する。
   ― Wikipediaより ―

子午線の長さといっても、実際に北極から赤道までを測量することはできないので、パリを通る子午線沿いに、フランス最北部のダンケルクと、ほぼ同じ経度にあるスペインのバルセロナまでの間で、精密な三角測量を繰り返し、その結果にもつづいて、1799年、長さ1メートルの白金のものさしを作ったという。

その後、測量技術が進化するにしたがって、地球の正確な大きさがわかってきて、北極から赤道までの長さは、今では1万1.9キロメートルということになっているそうだ。

ばかなことをしたものである。
おかげで、1メートルという長さが、人間の感覚とかけはなれたものになってしまった。

それに比べて、伝統的な長さの単位が、いかに理にかなったものか・・・というようなことが書かれていて、とてもおもしろい本だ。

「大江戸○○事情」 シリーズは、下のようなラインアップだ。
(ここにあげた以外にも、たくさん出版されている)

 講談社文庫 http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/

『大江戸えねるぎー事情』
『大江戸テクノロジー事情』
『大江戸リサイクル事情』
『大江戸えころじー事情』
『大江戸生活事情』
『大江戸生活体験事情』
(田中優子氏との共著)
『大江戸ボランティア事情』 (田中優子氏との共著)

『大江戸 泉光院旅日記』 は、文化文政の六年間にわたり、日本全国を歩き回った僧・泉光院の見聞記を紹介した力作。

Ishikawa_ooedo_energy_s_2Ishikawa_ooedo_technology_4Ishikawa_ooedo_recycleIshikawa_ooedo_ecology










Ishikawa_ooedo_seikatsu_2Tanaka_yuuko_ooedo_volunteer_s_2Ishikawa_ooedo_senkouin_4

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