カテゴリー「静かな大地」の26件の記事

2013年9月30日 (月)

【読】林蔵から武四郎へ

間宮林蔵に関する本を何冊か読んだ。
林蔵から数十年後の江戸末期、当時の蝦夷地に渡って探査し、アイヌの人々の窮状を書き残した人物が、松浦武四郎だ。

Wikipediaには、簡単にこう書かれている。

<松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) -明治21年(1888年)2月10日は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。
 文化15年(1818年)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介の四男として生まれる。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。
 山本亡羊に本草学を学び、早くから諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発し、その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。
 また、明治3年(1870年)には北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。
明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で死去。遺骨は、武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に1889年に建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる。
 なお、生地の三重県松阪市小野江町には「松浦武四郎記念館」が建っている。>

<作品
「蝦夷大概之図」 嘉永3年 松浦武四郎記念館所蔵
「蝦夷変革図」 嘉永4年
「千島一覧」 大判 錦絵3枚続 明治3年 和泉屋市兵衛版 松浦武四郎記念館所蔵
 著作
北海道出版企画センター 『松浦武四郎選集』を刊行中 同社では、多数の著作と関連書籍が出版されている。
吉田武三校註 『三航蝦夷日誌』 上下巻 吉川弘文館、2007年(オンデマンド版)
更科源蔵・吉田豊訳『アイヌ人物誌』 平凡社ライブラリー
 伝記文献
横山健堂『松浦武四郎』北海出版社、1944年
吉田武三 『白い大地 北海道の名づけ親・松浦武四郎』 さ・え・ら書房、1972年
新谷行『松浦武四郎とアイヌ』麦秋社、1978年
花崎皋平 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』 岩波書店、1988年/岩波現代文庫、2008年
佐江衆一 『北海道人 松浦武四郎』 新人物往来社、1999年
中村博男 『松浦武四郎と江戸の百名山』 平凡社新書、2006年
早川禎治 『アイヌモシリ紀行 松浦武四郎の『東西蝦夷日誌』をいく』 中西出版、2007年
高木崇世芝・安村敏信・坪内祐三 『幕末の探検家松浦武四郎と一畳敷』 INAX出版〈Inax booklet〉、2010年>

武四郎が書き残した書物の現代語訳は、なかなか手に入らず、公立図書館にもあまり置いていない。
(国会図書館に行けば別。また、Amazonでも入手可能だが高価だ)
しかし、彼の業績を知ることができる何冊かの本が、さいわい私の手もとにもある。

二冊の文庫本を読み直してみようかと思う。
いずれも、池澤夏樹さんが解説を書いている。
ずいぶん前から手もとにあったのだが、まだ、きちんと読んでいなかったか。
花崎さんの本は5年前に読み通したはずだが、細部を憶えていないのが悲しい。
良い本は繰り返して読め、か。

『アイヌ人物誌』 (蝦夷近世人物誌) 松浦武四郎
 更科源蔵・吉田豊 訳
 解説 池澤夏樹
 平凡社ライブラリー 423 2002/1/9発行
 367ページ 1,300円(税別)

その雅号、北海道人から北海道と名付けたといわれる松浦武四郎。
数十巻にのぼる旅日記とともにまとめられた 原書『近世蝦夷人物誌』には ヒューマニストとしての松浦の本質が 刻み込まれている。
日本人による収奪と不徳に厳しい批判を向け、アイヌ人への敬愛の眼差しをもって綴られた名著。

(本書カバーより)

『静かな大地』 花崎皋平
 解説 池澤夏樹
 岩波現代文庫 2008/2/15発行
 390ページ 1,200円(税別)

幕末の蝦夷地を十数年間も探検・調査し、アイヌ民族の風俗・文化を記録する中で和人による虐待を告発した松浦武四郎。大地に根を張り、固有の習俗を育んできたアイヌ民衆の輝きとは何か。なぜ彼らは抑圧の下で呻吟することを強いられているのか。記録者としてアイヌ民族の受難に向き合うなかで、自己変革を遂げていく松浦を描き出す入魂の評伝。
(本書カバーより)

 

そういえば、北海道企画センターから出版されている目録を2冊、持っている。
役立てなくては。

 

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2008年3月18日 (火)

【読】トンコリ

Shizukana_daichi_bunko_2まだ読んでいる。
花崎皋平 『静かな大地』 (岩波現代文庫)

トンコリがでてきた。
松浦武四郎 、四十一歳のとき、最後の蝦夷地の旅(安政五年)。
箱館から日本海まわりで銭函までの海岸を除き、蝦夷地の全海岸と、十勝、阿寒など道北、道東の内陸部を縦横に踏みわたり、さらに、日高沿岸の川筋をひとつひとつ遡行する、という徹底した探索行である。
1月2日(陽暦3月7日)から、8月21日(陽暦9月27日)まで、203日間の旅。

彼は、旧暦五月の中頃、トコロ(常呂)川上流のプトイチャンナイという土地で、宿泊先でトンコリの演奏を聴く。

Tonkori<その夜、老人は五弦琴(トンコリまたはトンクル)でチカフノホウエ(鳥の鳴声の曲)を弾いてくれる。 これは、春の日に沢山の鳥がさえずるさまをうつしたものでいかにもおもしろく、五弦でよくさまざまな鳥の鳴声を弾きわけられるものだとふしぎな気がした。>
 ― 『静かな大地』 第7章 シャリ・アバシリの惨状 ―

このエカシ(老爺)は、武四郎一行が帰路に立ち寄って、残った米やタバコを贈ると、そのお礼にトンコリをくれると言いだした。
武四郎は、一度は断ったものの、あまりに強く言われたため受け取っている。

この他、『近世蝦夷人物誌』(アイヌ人物誌)にも、樺太東海岸でトンコリを演奏する八十余歳の翁に出会ったことが書かれている。

江戸末期、松前と江戸幕府の支配下で、悪徳商人らの非道な扱いに苦しんでいたアイヌの人々は、トンコリのような伝統楽器を楽しむ余裕も奪われていたのだ。

滅びかけていたこの楽器を、OKI が現代に甦らせたことの意義は、とても大きい。

(トンコリの写真画像はWikipediaのサイトから拝借した)


【参考】 トンコリ奏者 OKI のサイト
CHIKAR STUDIO
http://www.tonkori.com/

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2008年3月12日 (水)

【読】読中感想 静かな大地

「読中」なんてことばはないのかな。

Shizukana_daichi_bunko『静かな大地』 花崎皋平 (岩波現代文庫)

この本は、とてもいい。
松浦武四郎という、江戸末期から明治にかけて生きた人物は、なんと魅力的な人だろう。
こいう行動的な人を 「探検家」 というのだろう、と思う。
彼は、樺太へ二度足を運んでいる。
宗谷(現在の稚内)までは、むろん徒歩だ。
(一部、川を舟で遡ったりもしているようだが)

樺太の、当時の地図が載っている。
地名は、どれもアイヌ語地名である。
樺太アイヌは、蝦夷地(北海道)に住んでいたアイヌの人たちとは、微妙に生活ぶりがちがっていたようだ。
オロッコや、タライカ(これは初めて聞いた)といった北方民族、山丹と呼ばれたニブヒ、オロチ族とも交易が盛んだった。
(このあたりの民族名称をよく理解していないので、違っているかもしれない)

とにかく、当時の樺太やエトロフ、クナシリといったあたり、国境なんてものはなく、自由に動きまわっていたのだ。

【参考】
市立函館博物館のサイト内
 トップ > 収蔵情報 > 民族の窓
山丹服
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/collection/minzoku/14.html

そういえば、トンコリという伝統楽器も樺太アイヌの楽器だったはずだ。
樺太・・・いちど訪ねてみたい島だ。

TonkoriOKI 「TONKORI」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009OAW2I/

アイヌ音楽とレゲエ~ダブ、エレクトロニカを融合させたミクスチャー・スタイルでおなじみのOKIが原点とも言えるトンコリ(カラフト・アイヌに伝わるアイヌ民族の弦楽器)のみで作ったアルバム。


【2008/3/13追記】
ちょっとした間違いに気づいたので、訂正しておきたい。
1. 宗谷と稚内は、厳密にいえばちがう場所だ。
 樺太に渡るには、当時は宗谷岬から舟を出した。
2. 松浦武四郎が樺太へ行ったときは、陸路を宗谷までたどったようだ。
 その後、別の機会に石狩川を舟で遡行する探索をしている。
 歩いていくにしろ、舟を使うにしろ、今とはちがってたいへんな探検だった。
 その陰には、いつもアイヌの人たちの援助があったのはいうまでもない。

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2008年3月11日 (火)

【読】日本の探検家たち

前に書いたかもしれないが、別冊太陽(平凡社)に面白いものがでている。

Taiyo_nihon_tamkenka別冊太陽 『日本の探検家たち』
  ― 未知を目指した人々の探検史 ―
 2003.10.19 2600円(税別)

カラー図版が豊富で、なかなかいい。

<とりあげられている人々>
間宮林蔵/松田伝十郎/近藤重蔵/松浦武四郎/最上徳内/高田屋嘉兵衛/郡司成忠/伊能忠敬/土方久功/早田文蔵/笹森儀助/鳥居龍蔵/大黒屋光太夫/福島安正/榎本武揚/河口慧海/能海寛/大谷探検隊/青木文敦/西川一三/木村肥佐生/日野強/今西錦司/槙有恒/今西寿雄/堀田弥一/梅沢忠夫/中尾佐助/川喜多二郎/白瀬矗/西堀栄三郎/植村直巳/ジョン万次郎/嶋谷市左衛門/岩本千綱/天野芳太郎

知らない名前も多いが、興味ぶかい顔ぶれだ。

もう一冊、これは以前このブログで紹介したことがある。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/4_e7ba.html

Edo_no_tabinikki_2ヘルベルト・プルチョワ 『江戸の旅日記』
  ― 「徳川啓蒙期」の博物学者たち ―
 集英社新書 2005.8.22 700円(税別)

<とりあげられている人々>
貝原益軒/本居宣長/高山彦九郎/菅江真澄/古川古松軒/橘南谿/司馬江漢/松浦静山/富本繁太夫/渡辺崋山/松浦武四郎

今読んでいる、『静かな大地』 (花崎皋平) の中に、古川古松軒の名前がでてきた。
松浦武四郎が、この古松軒をそうとう手厳しく批判(非難といった方がいい)している、というくだりを読み、そんなにひどい人物だったのか、と、あらてめて引っぱりだしてみたのがこの本。

ヘルベルト・プルチョワ(スイス生まれ、この本は日本語で書かれている!)は、古松軒をあんがい高く評価している。
こういうところが面白い。
花崎さんは、松浦武四郎サイドに立って書いているので、古川古松軒という、江戸幕府が奥羽と蝦夷に派遣した「巡見使」(いってみれば、役人の視察団)に随行した人物を、評価していない。

ものの見方には、いろいろあるものだ。
(と、今は控えめに書いておこう)

ともあれ、『静かな大地』 は読み応えのある本だ。

Shizukana_daichi_bunko

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2008年3月 9日 (日)

【読】静かな大地(花崎皋平)

ようやく読みはじめることができる。

Shizukana_daichi_bunko_2『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』
 花崎皋平 岩波書店(岩波現代文庫 2008.2.15)

花崎皋平 (はなざき・こうへい)
1931年東京生まれ。 東京大学文学部哲学科卒業。
哲学者。
64-71年、北海道大学文学部助教授。
北海道で市民運動にとりくみ、アイヌの人々との接触をとおして先住少数民族問題への思索を深める。
著書 『<共生>への接触』 『ピープルの思想を紡ぐ』 『マルクスにおける科学と哲学』 『生きる場の哲学』 『地域をひらく』 『解放の哲学をめざして』 『アイデンティティと共生の哲学』

どういう人なのか、よく知らないが、名前だけは知っていた。
友人が、この 『静かな大地』 (単行本1988年、その後、岩波同時代ライブラリー1993年) を教えてくれたことがあった。。
また、その後、別の友人が 『晴読雨読日記』 (岸本完司) という本の折り込み冊子として書いた 「素描――思い出となってしまった岸本完司のこと」 という追悼文の中で、花崎皋平に触れている。

Seidoku_udoku_nikki『書評エッセイ集 晴読雨読日記』 岸本完司
 2006.8.6 発行人 岸本暾
 発行所 (株)北のまち新聞社 「あさひかわ新聞」

  1996.3.12~2004.11.30 「あさひかわ新聞」に連載された
  書評エッセイを集成したもの

あさひかわ新聞ONLINE
 http://www.asahikawa-np.com/

1968年か69年、私たちが高校2年生のとき、「北大でマルクス主義哲学を研究する花崎皋平の旭川での講演」 というのがあり、岸本らはこれに参加したという。
私は当時、高校の 「社研」 (社会科学研究会) にも参加していなかったし、このあたりの事情をまったく知らなかった。

それにしても、何か不思議な縁を感じる。
この、岸本完司の本については、ブログで何度もふれ、カテゴリー 「岸本完司」 としてまとめているので、興味をもたれた方はご覧いただけると、うれしい。


花崎皋平氏が松浦武四郎の名前を知ったのは、三一書房の 『日本庶民生活資料集成 第四巻』 だったという。
(『静かな大地』 序章 静かなくに)
以下、花崎氏の記述を引用する。

<(前略) 1969年に出た同書に、松浦武四郎の代表作 『近世蝦夷人物誌』 が収録されていて、内容の一部紹介があったのである。 いまでもはっきりおぼえているが、天塩川の上流に住むエカシテカニという老人と松浦武四郎との交流の話であった(本書169ページ以下)。 私は、なぜかその話につよくひきつけられた。>

<しかし、私が実際にその 『近世蝦夷人物誌』 を手にして読んだのは、1973年7月初めのことである。 そのあいだの三、四年というものは、私の生活に百八十度に近い転換が生じた時期であった。>

<1971年に、私は七年間つとめた北海道大学をやめた。 ちょうど四十歳だった。 やめるきっかけは、当時、全国各地で、学問と政治のあり方について大学側に問題を投げかけ、大学をバリケード封鎖して回答をせまった学生運動への共感から、封鎖解除に導入された機動隊に抵抗して逮捕・起訴された北大学生の裁判の特別弁護人をつとめたことだった。 (後略)>

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【読】日本庶民生活史料集成

図書館から、二冊借りてみた。
さすがに分厚い。
とても読めないが、興味のある内容なので、パラパラ見てみようと思う。

Shomin_shiryou_shusei三一書房
『日本庶民生活史料集成 第二巻』
 探検・紀行・地誌 西国編
 編集委員 宮本常一、原口虎雄、谷川健一
 序文 宮本常一
「日本九峰修行日記」 野田成亮/「江漢西遊日記」 司馬江漢/「西遊雜記」 古川古松軒/他

『日本庶民生活史料集成 第四巻』
 探検・紀行・地誌 北辺編
 編集・序文 高倉新一郎
「エトロフ島漂着記」/「蝦夷日記」 武藤勘蔵/「東韃地方紀行」 間宮林蔵/「蝦夷国風俗人情之沙汰」 最上徳内/「北海随筆」 坂倉源次郎/「寛政蝦夷乱取調日記」 新井田孫三郎/「近世蝦夷人物誌」 松浦武四郎/他


Funado_ezochi_bekken1_3Funado_ezochi_bekken2_2新井田孫三郎の取調日記は、いわゆる 「クナシリ・メナシの反乱」 を鎮圧した松前藩側の記録。
船戸与一 『蝦夷地別件』 に描かれた事件である。
ちなみに、船戸与一のこの小説の巻末にも、花崎皋平 『静かな大地』 が参考資料としてあげられている。


図書館の書棚にずらりと並んでいたこの史料集成 全20巻は圧巻だった。
私の関心分野のオリジナル・テキストがたくさん収録されている資料集だ。
こういう本を、時間を気にせずゆっくり読めるようになるといいな。


【参考】
三一書房

http://www.san-ichi.co.jp/index.shtml


『アイヌ人物誌』 松浦武四郎 (更科源蔵・吉田豊 訳) 平凡社
『静かな大地』 花崎皋平 岩波書店
『菅江真澄遊覧記』 菅江真澄 (内田武志・宮本常一 編訳) 平凡社
『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔 講談社

Matsuura_aynuShizukana_daichi_bunkoSugae_masumi_yuuran1_2Ishikawa_senkouin_2











『日本庶民生活史料集成 第二巻』 の宮本常一の序文で、泉光院野田成亮の旅の記録 『日本九峰修行日記』 が、次のように紹介されている。
少し長いが、引用しておこう。

<(前略) この書によってわれわれは幕末期の修験道の実情を知ることができるばかりでなく、泉光院のあるいた道をたどって、ある異様の感にうたれる。 泉光院はほとんど街道筋をあるいていない。 いまは草に埋もれて失われてしまったようなところをさえあるいている。 街道筋以外の風物を数多く伝えようとしているものとして東北をあるいた菅江真澄に匹敵するものであろう。>

<中国筋では紀行文のあまりのこっていない山陰の村々をあるき、飛騨から信濃へは野麦峠をこえている。 この人には山野をあるくことは少しも苦ではなかったようであり、人煙まれな山野をあるいても道にまよったらしい記事すらほとんどないのはどうしたことであろうか。 細道ばかりをあるきつづけて簡潔な文章の中に地方風土のさまをよく伝えている。 その中で私をおどろかせたのは美作山中の百姓たちが、しきりに孝経・大学・孟子などの講釈をもとめていることである。 足を出したりタバコをすったり、浄瑠璃聞きの如くであったという。 そしてそれは前後もわかたぬ野人なのである。 この一事からも察せられるように問題意識をもって読めば実に興味ふかいものがあり、同一時代の僻地と都会地の生活文化対比すら可能になって来る。>

  ― 『日本庶民生活史料集成 第二巻』 序 (宮本常一) ―

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2008年3月 1日 (土)

【読】うれしい復刊 『静かな大地』

数日前、書店でこんな本をみつけた。
長いこと、文庫サイズでは入手がむずかしかった本の復刊である。

Shizukana_daichi_bunko_2花崎皋平 (はなざき・こうへい)
 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』
 岩波現代文庫 (社会163) 2008/2/15
 1200円(税別)

岩波同時代ライブラリーという文庫サイズのシリーズで出ていたものだが、品切れとなっていて、私も図書館から借りて、すこしだけ読んだことがある。
その後、単行本で手に入れたものの、手許にあるといつでも読めると思ってしまい、そのままになっていた。

今回の文庫化で、池澤夏樹さんの解説がついた。
池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 の題名は、この花崎さんの本から借用したものである。
その事情も、池澤さんの解説に書いてある。

松浦武四郎には、ずっと関心があった。
北海道の中央山地、大雪山系に、松浦岳という山がある(緑岳の別名)。
松浦武四郎は、北海道が蝦夷地と呼ばれていた江戸時代に、蝦夷地をくまなく歩いた探険家で、アイヌ民族に深い理解を示した人物だ。

今読んでいる、泉光院(この人も江戸時代の修験道者だ)の日記を扱った本を読み終えたら、花崎さんのこの本を読んでみたいと思う。

(左) 花崎皋平 著 『静かな大地』 岩波書店 1988年
(右) 池澤夏樹 著 『静かな大地』 朝日文庫 2007年
  この小説は、とてもいい。 私は何度かくりかえし読んで、このブログにも書いた。

Shizukana_daichi_2Ikezawa_shizukana_daichi_bunko_2

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2007年7月16日 (月)

【読】「静かな大地」文庫化

池澤夏樹の小説 『静かな大地』 が文庫化された。
http://book.asahi.com/paperback/TKY200707030420.html

070715_asahishinbun2007.7.15(日) 朝日新聞朝刊記事
<池澤夏樹さんの小説『静かな大地』の朝日文庫版が刊行され、5日、東京・丸の内で、著者による朗読と作家梨木香歩さんとの対談があった。 (略) 『静かな大地』は、明治初期、北海道に入植した兄弟の繁栄と没落と、アイヌの人々とのかかわりを描いた長編。 池澤さんの先祖の実話と史実を取り入れながら、壮大な歴史が語られる。>

私の別サイトでも詳しくとりあげた小説。
よろしければ、下のサイトもご覧ください。
 晴れときどき曇りのち温泉 「この一冊」
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_ikezawa_daichi.html

書店でごらんになることを、おすすめしたい。
蛇足だが、朝日文庫のカバーデザインは、単行本(朝日新聞社刊 2003年)と同じである。
Daichi_bunko『静かな大地』 池澤夏樹 著
2007年6月30日 第1刷発行
朝日文庫 い38-5 定価1000円+税
解説 高橋源一郎
650ページを超す長編
初出 朝日新聞連載
単行本 2003年9月 朝日新聞社から刊行
単行本で二度読んだが、この文庫でもう一度読んでみたいと思う。
単行本にはなかった「年譜」(物語とその時代の)が巻末に付いており、この物語のモデルになった池澤夏樹の先祖について触れているのが興味ぶかい。

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2007年6月 9日 (土)

【読】地図、今昔(続)

Chizu_imamukashi_1今尾恵介 『地図で今昔』 (けやき出版 1999年)から、もうすこし紹介。
地名のいわれは、漢字の字面だけでは判断できないものだ。
その例は、さきごろ読んだ今尾さんの 『日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』 にたくさんあげられていた。

今読んでいる 『地図で今昔』 にも面白い話が載っている。
「帝国陸海軍」のその後
   陸軍成増飛行場→グラントハイツ→光が丘 ――東京都練馬区 (P.95-99)
Narimasu_map1942年(昭和17年)に東京が空襲を受けて、それに慌てた陸軍が急遽、板橋区(現練馬区)高松町内に急造したのが、陸軍の成増飛行場。
敗戦後、米軍に接収され、グラントハイツと名前を変えた。
「グラン」(グランと濁らない)は、米国の第18代グラント大統領の名を冠したもので、米軍士官とその家族用の住宅地だった。 敷地内には、郵便局から劇場、プールやゴルフ練習場まで何でも揃っていたという。
このグラントハイツを建設する際、近くを通る東武東上線の上板橋駅から引込線が建設された。 池袋・グラントハイツ間をノンストップの進駐軍専用列車を走らせるための専用線だった。
その専用線の名前が 「啓志線」(けいしせん)。 「啓志」とは耳慣れない言葉だが、これがなんと、グラントハイツ建設の総責任者だったケーシー中尉の名を冠したものだというのだ。
今尾さんは次のように書いている。
<グラントハイツがカタカナなのにケーシー線が「啓志」となったいきさつは調べていないが、東武か政府かどこかの日本人担当者が 「中尉殿、啓志という文字を当ててみましたが、いかがでしょう。この漢字がどういう意味かといえば……」 などとスマイルを浮かべつつ若い中尉ドノに接していたのだったりして。 あくまでも想像だが。>

もうひとつ、この本から新旧地図を転載したい。
変貌する街・むら
 湿原と原始河川は碁盤目の水田へ ――北海道雨竜郡 (P.140-145)
Uryuu_map北海道生まれのわたしには馴染みのふかい、北海道の雨竜川流域の地図だ。
見開き右側ページが、昭和7年(1932)の「妹背牛」5万分の1図。
左側、平成2年(1990)の同じ範囲の地図。
「妹背牛」は「もせうし」と読む。 アイヌ語起源の地名だ。
昭和初期の段階で、碁盤目状の道路が整然とつくられていたことに驚く。
屯田兵が湿原・原野を切り開いてここまでにしたことを思うと、ため息がでる。
雨竜川が蛇行しているのが目につくが、左側の地図では、その蛇行がなくなっている。 次々と人間の手がはいっているのだ。
このあたり、開拓される前はどんな姿だったのだろうと、静かな大地だった頃の北海道に思いを馳せてみる。

今尾さんの文章を引用する。
<ここに限らず、明治のはじめまでは石狩平野全域が広大な湿原・原野または平地林だったのである。 そこに最初は屯田兵が入り、その後は一般入植者が厳しい自然条件の中で耕地を拡大させてきたというのが北海道の近代史である。 もちろん、この進行に伴って先住民の住むところがどんどん狭められ、合わせて強引な日本人化が進められたのはいうまでもない。> (P.141)

『北海道の地名 アイヌ語地名の研究 別巻』 山田秀三 (草風館) から ―
妹背牛(もせうし) 当初は望畝有志の字を使っていたという。 モセ・ウ(mose-ush)には「いらくさ・群生する」という意と、、「草刈りを・いつもする」という意があり、伝承でもないとどっちだったのか分からない。
雨竜(うりゅう) 雨竜は元来雨竜川の名から出た名であるが、その川筋を中心とする広大な地域名としても使われて来た。雨竜川は石狩川第2の支流で、北海道の中心部を北から南に160キロの長さを流れている長流であるが、アイヌ時代はその中上流部は殆ど無人の境であったという。/この種の大地名は語義が忘れられているものが多い。松浦武四郎はその郡名建議書の中で「ウリウ。是は大古神が号け玉ひしと云伝へ、訳書相分り申さず候」と書いたのは恐らくアイヌ古老の言をそのまま記したものであろう。/永田地名解は「原名ウリロペッ(urir-o-pet)鵜の川。此川口鵜多きを以て名く」と書いた。(後略)

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2006年12月30日 (土)

【雑】「北の零年」を観る

ビデオ録画してあったものを最後まで観たので、書いておこう。
「北の零年」 東映 2005年
 (テレビ朝日放映 2006.12.24)
http://www.kitano-zeronen.jp/index.html

それほどひどい映画とも思わなかったが、もったいないことをしたな、というのが感想。
何がもったいないか。

せっかく、吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、といった俳優を揃えながら、皆、嘘っぽい。
あんなに綺麗な着物を着て、まるでいつも化粧しているようなきれいな(汚れのない)顔の奥方が、開拓生活をしていたとは思えない。

渡辺謙の役柄が、どうにも嘘だ。
いや、ああいう男がいたかもしれないが、その苦悩が伝わってこない。
なにしろ、いっしょに移民した仲間を裏切り、妻子まで裏切った男である。
ごくふつうに考えて、とんでもない冷酷な男だ。
いわば、自分ひとりの身をたすける見返りに、大切なものをすべて捨てる決意をしたのだ。
冷酷になるにも、そうとうな苦悩があったはず。 それが伝わってこない。

豊川悦司が扮するアイヌ青年(じつは、逃亡中の会津藩士)も、いかにもそんな人物がいたかもしれないという気にさせるが、リアリティがない。
彼と行動をともにするアイヌの老人も、嘘っぽい。
豊川扮するアシリカ(アイヌ名)との会話が和人の言葉なのはいいとしても、アイヌ語をひとことも発しない。
イナゴ(アイヌ語でバッタキ)の大群に襲われるシーンで、「バッタキ」という言葉が発せられたが、とってつけたような感じ。

謎の外国人(この映画のサイトの解説によると、アメリカ人エドウィン・ダンだというが)についても、突然あらわれて主人公(吉永小百合扮する志乃)を助けたあと、顔を出さない。 説明のいらないほど有名な人物か? 観る人が、ああ、あの人だとわかるのか?(クラーク博士ならまだしも)

史実を踏まえているストーリーではあるが、結局、何が描きたかったのか。
脚本がいいかげんだ。
あれだけのロケをしたら、多額の制作費がかかっただろうな。
その金も無駄にしたと思う。 もったいない。

淡路島の旧稲田藩が静内に移民し、苦労して開拓をすすめたのは史実。
イナゴの大群が田畑を荒らしたことも史実だ。
先住民のアイヌの人たちとの敵対、友好もあったはず。
和人の視点から描くのもけっこう。
それならそれで、しっかりした視点が必要だったろう。
史実をベースにしているということに甘えていないか?
(それでいて、いざとなると「これはフィクションです」と逃げるのか?)

池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 と同じ時代、同じ場所、同じ境遇の人々を扱った映画だけに、もったいなかったと思う。
北海道人にとって、たいせつなことなんだから、ちゃんと描いてよ。
アイヌの人たちのことを避けて通らずに。

出来そこないの時代劇のような内容は、なんとも中途半端で後味が悪い。
吉永小百合がいっしょうけんめい演じていただけに(その、いっしょうけんめいさも嘘っぽかったが)、もったいない、もったいない・・・と思ったのだった。

つまるところ、「ひどい映画」だったということか。
さいごに、とどめ。
「零」を「ゼロ」というのはおかしい。
明治人が「我々はゼロから出発した」なんて言うか?
「零式艦上戦闘機(零戦)」だって、英語では「ゼロファイター」だが、日本語名は「れいせん」だったんじゃないか?

― 「北の零年」 あらすじ (Wikipediaから) ―
明治4年(1871年)、小松原志乃は稲田家の家臣一同とともに、先遣隊として静内にいる夫・英明のもとへと向かった。静内の地を開墾すれば稲田家の領地となるという政府の言葉を信じ、一同はみな希望に満ちていた。厳しい冬に苦しむ一同に救いの手をさしのべたのは、アイヌのモノクテとアシリカだった。最初の冬を越え、ようやく稲田家当主(殿)が到着するが、廃藩置県によって移住命令が反故になったことだけを告げ、そのまま帰国してしまう。置き去りにされた一同は、それでも英明の檄のもと開拓に夢を託すが、作物はなかなか根付かない。状況を打開するため札幌へと向かった英明は消息を絶ってしまい、残された一同にも過酷な運命が待ち受けていた。

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