カテゴリー「アイヌ民族・アイヌ語」の76件の記事

2009年8月27日 (木)

【読】読了 「おれの二風谷」

読みやすい本だったので、私にはめずらしく三日で読み終えた。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975年刊

アイヌ語を母語として育った萱野さんだけあって、アイヌ語の言いまわしや会話がふんだんにでてきて、生きたアイヌ語の勉強になる。
一話一話が、1ページからせいぜい4ページほど。
たくさんの逸話が掲載されていて、読みやすく、いい本だ。
単行本は入手困難なので、文庫ででるといいのだが。

<六月のシーズンになると、北海道のすずらんが環境客に喜ばれ、東京あたりでも北海道空輸のすずらんがもてはやされているようです。しかし、これも桜の花やまりもと同じく、アイヌはひとつも珍重せずに、「セタ プクサ」つまり「犬のプクサ」とかたづけてしまっていたのです。「プクサ」とは「行者にんにく」のことで、行者にんにくの葉がすずらんそっくりだったからでした。すずらんは人間が食えないものだから、「犬の行者にんにく」と名づけたのです。/また、行者にんにくのことを北海道に住んでいるシャモはアイヌねぎと呼んでいます。アイヌばかりが食ったわけではなく、昔は多くの開拓者がこれを食べて命をつないでいたにもかかわらず、かれら和人の開拓者やその末裔たちが侮蔑的にしか聞こえない呼び方をするわけです。(以下略)> (「観光用伝説 セタ プクサ」 P.264より)

こんな調子で、おだやかな口調ながら、言うべきことははっきり言う、萱野さんらしい語り口だ。


続いて、萱野さんのこの本を読んでみようと思う。

Kayano_ainu_minwa『炎の馬 アイヌ民話集』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1977/5/20初版
 1998/2/25新装版第一刷
 299ページ 2000円(税別)

<アイヌの民話ウウェペケレは、一話一話のおしまいに教訓めいた言葉が入っているのが特徴です。それによって大人も子供も自然に善悪を知ることができるのです。/ウ=お互い、ウェ=それ、ペケレ=清らか――つまり、話を聞くことでお互いが清らかになるとアイヌは考えていたのです。> (あとがき より)

萱野さん自身が身近な古老(フチ)たちから収録し、日本語に翻訳した昔話=民話(ウウェペケレ)やカムイユカラと、フチたちが書き残したはなしをまとめた本。
登別、静内、沙流川地方の古老(お婆さん=フチ)たちの貴重な遺産だ。
萱野さんは、昭和35年から古老たちの話の録音を始めて、この本が出版された時点では、四百数十時間もの音源になったという。

巻末に、語り手のお婆さんたちが一人ずつ紹介されている。
黒川てしめさん、平賀さだもさん、金成まつさん(金田一京助の協力者であり、知里幸恵さんの叔母さん)、川上うっぷさん、西島てるさん、貝沢とぅるしのさん、福島そまてっさん、木村きみさん、貝沢こきんさん、木村まっとぅたんさん、木幡うもんてさん、鍋沢ねぶきさん、鹿戸よしさん、葛野きくさん。
アイヌの文化を大切にした、萱野さんらしい気配りだと思う。

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2009年8月25日 (火)

【読】おれの二風谷(萱野茂)

ずいぶん前にはじめて読んだ本。
そのときは図書館から借りて読んだのだが、最近、ネット販売で古本を手に入れた。
今日から再読している。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975/4/30発行
 278ページ 980円(税別)

故 萱野茂さんは1926年生まれだから、この本は四十台おわりの頃の著作。
読んでいて、なんとなく若々しい感じがする。
二風谷ダムが完成して間もない頃だ。

<昭和20年前後までは、沙流川にも川面に白く光って産卵を終えた鮭の体がたくさん浮いていたものです。現在はダムができて鮭も遡れなくなりました。ダムをつくるときは必ず魚道をつくるなどの配慮があってもいいと思うのです。> (「熊と鮭」 P.88)

「アイヌの内側からの目で見た昔の風習の一端を知ってもらえれば望外の幸せです」と、あとがきにあるように、萱野さんらしいおだやかな語り口で、往時のアイヌの人々の暮らしぶりが描かれている良書。
各章の扉に添えられている貝沢美和子さんのイラストが、いい。

― 目次より ―
水の神/木彫りと私/イナウ/よもぎの力/疱瘡/葬式/熊と鮭/自然とアイヌ/火事/宝物/神の囁き/まじない/不思議な話/姦通の罰/アイヌ/アイヌ的表現/悪口/子供の遊び/想い出話/蛇の話/観光用伝説/地名と伝説/アイヌの苗字

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2009年8月21日 (金)

【読】暑い夏の読書

毎日暑くて、本もなかなか読めない。
お盆休みのあいだ電車もすいていて、国分寺駅からいきなり座れたりして良かったのだけれど、本を読みはじめてもすぐに眠くなってしまう。
困ったものだ。
こうなると、早く涼しくなってほしいと思う。
勝手なものだ。


ボリュームがあって読むのに一週間かかったが、いい本だった。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』
 チカップ美恵子 編著  北海道新聞社
 2005/3/3 初版発行  333ページ
 1800円(税別)

第一部 森に宿る言霊(ことだま)
チカップさんの伯父(母の長兄)にあたる、山本多助さんの『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
第二部 故郷の記憶
チカップさんの母親、伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記。

気負わず、淡々と語られる昭和の頃のアイヌの人たちの暮らしぶり。
文章も嫌味がなく、読みやすかった。
以下、目次から章題。

はじめに(チカップ美恵子) 伯父・山本多助の思い出
第一部 釧路アイヌの系図と伝説/釧路川とカムイ・ト(神の湖)/釧路地方のアイヌ遺跡/アイヌ民族の流儀/樺太を旅して
第二部 祖母の思い出/母と歩いた道のり/兄たちとともに/兄・多三郎の葬儀
あとがきにかえて(チカップ美恵子) 心に残る旅探し

巻末に、「山本家先祖の名称と20代目からの系図」が掲載されている。
文字をもたなかったアイヌの人々は、口承で先祖の系図を伝えてきたという。
山本多助・ふで兄妹の代から四代までさかのぼって詳しく書かれた系図に驚く。


アイヌ民族の口承文芸のすばらしさを、もう一冊の本で味わっている。
これは、今日から読みはじめた。
長いあいだ、私の本棚にあったもの。

Yamamoto_tasuke_yukar_3『カムイ・ユーカラ アイヌ・ラックル伝』
 山本多助 著  平凡社ライブラリー
 1993/11/15 初版第1刷 2004/4/26 初版第7刷

山本多助さんが子どもの頃から慣れ親しんだユーカラ 十六篇(日本語訳)がまとめられている。
多助さんも、アイヌの文化遺産を後世に伝えようと努めた人である。

<アイヌ民族は自然の子です。/むかしのアイヌ民族は、狩猟民族として、自然の恵みに感謝しながら、そのおきてに従って、自由に生きていました。>

あとがき(おわりに)の冒頭に記されたこの言葉は、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』序文を思いおこさせる。

巻末、藤村久和さんの「解説――アイヌの語り」がためになる。

<アイヌの人々が伝承してきたものは、その内容も然ることながら、節つきの語り口調か、節なしの口調で演ずるかで物語全体の形式の位置づけが明確になることとなる。節をつけて英雄の一代記を語ったとすれば、それはユーカ、地域によってはハウキ・サコペなどと位置づけるのに、節をつけずに話し口調となれば、ウウェペケレ、イルパイェ、トゥイタ、イソイタッキなどということになるだけでなく、……>

ほんらい、アイヌの口承文芸は耳で聴くものなのだな。
文字にすると抜け落ちてしまうものが、たしかにある。
それは、人の息吹と呼べばいいのか。
魂、言霊(ことだま)と言ってもいい。

(左) 『アイヌ神謡集』 知里幸恵 岩波文庫
(右) CD 『「アイヌ神謡集」をうたう』 片山龍峯(復元)/中本ムツ子(謡) 草風館
 このCDはすばらしい。
 知里幸恵さんが文字で残したユカラを、ほんらいの謡(うたい)に復元しようとした試み。

Ainu_shinyou_2Ainu_shinyou_utau_3

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2009年8月14日 (金)

【読】サハリン、アイヌ民族

この本がとてもよかった。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社 1999/11/25発行
 262ページ  1800円(税別)

著者は「終戦のわずか三年後に生まれ」たというから、私よりも少し年上の「団塊の世代」のひとり。
一週間の予定でぶらっと訪れたサハリンに、その後六年にわたって何度も行っている。
現代のサハリンに住む人々との交流が、なんとも温かみがあって、いい。
コウイウヒトニワタシワナリタイ、と思うほどだ。

<ルーブル切り下げの一か月ほど前、私はユジノサハリンスク市のレーニン通りにある美術館、かつての「北海道拓殖銀行豊原支店」の石造りの建物の前に立っていた、かつて、樺太の経済を支えたこの銀行は、前年、つまり1977年11月、経営破綻から解体していた。日本中でバブルがはじけていた。/旧銀行の前で私は思った。この私もバブルだったと。私は終戦のわずか三年後に生まれ、日本の急速な経済的発展に乗っかり、共に年を重ねてきた。ぬくぬくと、ふわふわ生きてきた。戦争も、父が戦争に行ったことも、私には遠い遠い昔話だった。>

<サハリンに渡るたび、私は無意識に感じていた自分というバブルの空洞が少しずつ埋まっていくのを感じた。>

<サハリンから帰るたび、私は奇妙な時間(とき)が流れているのは、海峡のこちら側、日本の国だと感じる。この国に流れている時間は、決して消えない過去を忘れ、おかしな方向に流されているのではないか。>  (以上、あとがきより)

田中水絵さんには、興味ぶかい訳書がある。
読んでみたいが、値がはるので考え中。
この町の図書館にも置いていない。残念。

『沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史』
 アナトーリー・T・クージン (著)/ 岡 奈津子・ 田中 水絵 (訳)
 凱風社 1998/7月発行  317ページ 3500円(税別) 
Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477362213X

出版社/著者からの内容紹介
ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。 
I:ロシア極東の朝鮮人●1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
II:サハリンの朝鮮人●1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

e-honサイト
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030426254&Action_id=121&Sza_id=E1

凱風社
 http://www.gaifu.co.jp/
 http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN4-7736-2213-X.html


田中水絵さんの本に続いて、いま読んでいるのがこれ。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』  チカップ美恵子 編著
 北海道新聞社 2005/3/3発行
 333ページ  1800円(税別)

チカップ美恵子さんは、アイヌ文様刺繍家。
山本多助さんの姪であり、母は伊賀ふでさん(山本多助さんの妹)。
この本は、「第一部 森に宿る言霊」 が山本多助さんの著作 『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
「第二部 故郷の記憶」 は伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記をまとめたものだという。

ずいぶんまえに手に入れ、ずっと本棚でねむっていた本だが、山本多助さんが昭和11年に樺太を訪れたときのはなしが載っていたのこともあって、このところの私の中の 「樺太熱」 の延長で読みはじめた。
山本多助さんの文章がいい。
アイヌ民族の歴史がよくわかる好著。


このほか、最近になって古本屋でみつけた本がある。

Ooe_shokuminchi『日本植民地探訪』  大江志乃夫 著
 新潮選書  1998/7/30発行
 492ページ  1600円(税別)

サハリン、南洋諸島、関東州、台湾、韓国、北朝鮮と、かつて日本の植民地だった土地を探訪した記録である。
中身が濃くボリュームもあるため、読むのはたいへんそうだが、いつか読んでみよう。
大江志乃夫さんの本は、ずいぶん前に一冊だけ読んだことがある(日露戦争に出征した兵士たちの手紙のはなし)。
信頼できる人だと私は思う。

田中水絵さんの本に何度もでてきた逸話だが、この大江さんの本も、岡田嘉子と杉本良吉の北緯五十度線越境(ソ連への亡命)の話からはじまっているのが興味ぶかい。


Yamashita_ezo_daimyou『北海道の商人大名』  山下昌也 著
 グラフ社  2009/4/5発行
 278ページ  1400円(税別)

今日の昼休み、職場の近くにある BOOK OFF で目にとまった。
題名にひかれて手にとってみると、なかなかおもしろそうなのだ。
江戸時代の松前藩の話だ。
とうぜんのことだが、アイヌ民族との確執についても詳しく書かれている。

松前藩は、他の藩とちがって米を基盤にしない大名だった。
当時の蝦夷地は米がとれなかったため、「○○万石」という石高がなく、米の代わりに商売で得た利益で藩を経営していたのである。
グラフ社という出版社ははじめて目にしたが、なかなかしっかりした内容だと思う。

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2009年7月 4日 (土)

【読】キムン・カムイとウェン・カムイ

花園神社のライブまで時間があったので、新宿西口のジュンク堂書店に立ち寄った。
さすがに本の数が多い。
理学書コーナーでこんな本をみつけて、購入。

Kayano_kamui『よいクマ わるいクマ』
 ― キムン・カムイ ウェン・カムイ
    見分け方から付き合い方まで ―
 萱野茂 前田菜穂子
 写真 稗田一俊
 北海道新聞社 2006/1/15発行
 259ページ 2400円(税別)

最近読んだ 『ベア・アタックス』 巻末の解説にも、アイヌ語のこの言葉が引用されていた。

キムン・カムイ kimu-un-kamuy (山に住む神) → 熊・ヒグマ
ウェン・カムイ wen-kamuy → 悪い神
 → 畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、人を襲う悪いクマ
(アイヌ語表記は、萱野茂 『アイヌ語辞典』 三省堂を参考にした)

アイヌの人たちがヒグマとの長いつきあいの中で育んだ、クマと人間が共存するための知恵である。


― この本の内容(目次より) ―

第一章 実践編
 出発前の準備/出会わない方法/もしも出会ってしまったら
第二章 応用編
 安全なキャンプ/安全な登山、山菜採り/安全な釣りと狩猟
第三章 アイヌ民族の知恵編
 対談 萱野茂(二風谷アイヌ資料館館長)・前田菜穂子(ヒグマ博物館学芸員)
第四章 基礎知識編
 ヒグマってどんな動物?/ヒグマを知って共に生きよう
第五章 海外編
 対策と成功例/スウェーデンの実践
第六章 資料編
 生物学データ/ヒグマ対策/もっと学びたい人へ


第三章が、ことに興味ぶかい。

北海道に住む人たちにとって、ヒグマとのつきあい方には悩ましいものがある。
これまでは見つけしだい「駆除」するというやり方を続けてきたが、ここにきてようやくクマとの共存・共生を模索しだしたようだ。


― まえがき(はじめに) より ―

<ついに、というか起こるべくしてと言うべきか、ヒグマによる死亡事故がとうとう起きてしまいました。 1999年5月、渡島管内木古内町で、…(中略)…オスのヒグマが、釣り人の男性一人を襲い死亡させ、山菜採りの女性2人に重傷を負わせました。…(略)…>

<このままでは、またこのような悲惨な事態が起きかねません。 クマにとっても人間にとっても悲劇です。>

<悲しいことに、クマを有害獣として駆逐する 「日本の常識的方法」 は 「世界では非常識」 なのですが、現状はそのままです。 でもちょっと待ってください。 人間とヒグマは共存できないのでしょうか。 いいえ、それは可能です。 北海道にはクマと上手に付き合っていた先駆的な人たちがいます。 アイヌ民族の人々です。>

<狩猟民族のアイヌは、ヒグマを 「キムンカムイ(山の神様)として尊敬し、問題を起こすクマを 「ウェンカムイ」(悪い神)と呼んで全く別に扱い、共生してきました。>

萱野茂さんがまだご存命の頃に出版された本。

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2008年10月18日 (土)

【読】知里幸恵をめぐる四冊

テレビ番組の影響は、すごいものだと思った。
一昨日の夜(2008/10/15)、NHK総合テレビ 「その時歴史が動いた」 という番組で、知里幸恵が紹介された。
私も、番組のことを教えていただいて、ビデオにも録り、放送もみた。

Asahi_shinbun_20081016ためしに、ネット検索で 「知里幸恵」 を探してみると、この番組に関する記事がたくさんヒットした。
私のこのブログでも、たちまち検索フレーズランキングの第一位(ここ一週間の集計、10/17現在)になっている。

このブログの別の記事のコメントに書いたことだが、私は、この番組をそれほどいいとは思わなかった。

理由はいろいろあるが、ドラマ仕立ての番組のつくり(それがこの番組のコンセプトのようだが)に、違和感をおぼえたのが一番の理由。

番組に登場した知里幸恵役、金田一京助役の俳優の演技が、私の中のイメージと大きくちがうし、いかにも芝居がかっていたのが、とてもひっかかった。

ただし、貴重な映像(知里幸恵の肉筆ノート)もあったし、幸恵さんの縁続きになる横山むつみさん(旧姓:知里むつみさん)も登場して、それはそれで収穫だったのだが。


知里幸恵さんのことを私が知ったのは、それほど古いことではない。
有名な 『アイヌ神謡集』 (現在でも岩波文庫で販売されている) のことは知っていたのだが、読んでみようという気にはならなかった。
私には遠い世界で、縁がなかったのだ。

Ainu_shinyouそれが、ある時期、何かのきっかけでアイヌの人たちのこと(歴史、風俗、文化、生き方)に関心が向いてから、さまざまな本を夢中になって読んだり、調べたりした。

このあたりの事情は、手前味噌になるが、私のウェッブサイトに三年ほど前に書いた。
「晴れときどき曇りのち温泉」 ― 資料蔵(アイヌ資料編)
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

ウェッブサイトで、私が感銘をうけた本を何冊か紹介しているが、それをここに載せておこうと思う。
検索でこのブログに来られた方々へ、情報提供したい気持ちからだ。


以下、いずれも、藤本英夫さんという人の著書。

藤本英夫 (ふじもと・ひでお)
1927年 北海道天塩町生。 北海道大学卒。
静内高校、札幌星園高校、北海道教育委員会、北海道埋蔵文化財センターを経て、現在、北海道文化財研究所に勤務。
日本民族学会会員、日本口承文芸学会会員、主著に 「アイヌの墓」(日経新書)、「銀のしずく降る降る」「知里真志保の生涯」(新潮選書)、「北の墓」(学生社)、「アイヌの国から」(草風館)、「じゅうたんの上の馬」(北海道新聞社)ほか。
― 新潮選書 『金田一京助』 藤本英夫 (1991年) の著者略歴より ―

※藤本氏は、2005年暮れに故人になられたようだ。


Fujimoto_ginnoshizuku_2『銀のしずく降る降るまわりに』
 ― 知里幸恵の生涯 ―
藤本英夫 著  草風館 1991年 2000円(税別)
※ 基版は新潮選書 1973年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/75.html

知里幸恵さんのことを深く知りたい方に、おすすすめ。



Fujimoto_uepeker_2『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』
藤本英夫 著  草風館 2002年 2500円(税別)

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/128.html

上の本の続編といえる。
知里幸恵については、必要以上に美化したり、まちがった像(イメージ)が伝えられているように思う。

著者の藤本氏も、あとがきでこう書いている。
<(前略) 私が、もう一度、彼女の生涯に挑戦したくなったのは、そのような彼女に対する誤伝、誤った理解を正しておきたかったことと、私自身にもあった、知里幸恵理解の不足を整理したからだった。>


Fujimoto_chiri_mashiho『知里真志保の生涯』
 ― アイヌ学復権の闘い ―
藤本英夫 著  草風館 1994年 2200円(税別)
※ 基版は新潮選書 1982年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/68.html

知里幸恵の末弟で、アイヌ語学者の知里真志保の伝記。
この人も、差別のなかで、強烈な人生をおくった。
金田一京助の援助で一高(旧制第一高等学校)から東京大学にすすんだが、金田一博士との確執もあったようだ。


Fujimoto_kindaichi『金田一京助』
藤本英夫 著  新潮選書 1991年 971円(税別)

※ 絶版

e-honのサイトより
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018478003&Action_id=121&Sza_id=F4   

金田一京助の伝記だが、知里幸恵・真志保姉弟との関わりについても、もちろん触れている。
著者は、金田一京助を評して、「これほど天衣無縫で無防備な人はいないのでは」 という。



知里幸恵 『アイヌ神謡集』 に文字として記録されたカムイユカラは、彼女が伯母(金成マツ)や祖母(モナシノウク)など、身のまわりの人たちから伝承したものであったはず。
そのカムイユカラ(神謡)を、いわばオリジナルの姿(謡い)に復元したCDがある。

「アイヌ神謡集」 をうたう
 うた:中本ムツ子  復元:片山龍峯
 草風館 3枚組CD 2003年 3000円(税別)

上にあげたNHKのテレビ番組 「その時歴史が動いた」 で使われていた音源がこれ。

Kamuy_yukar_utau01_2Kamuy_yukar_utau02










【おすすめサイト記事】
美瑛町360日 http://www.biei.info/blog/
「知里幸恵」
http://www.biei.info/blog/?p=390
   

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2008年7月 2日 (水)

【読】星野道夫さんの本棚

これも先日読んだ 『星野道夫 永遠のまなざし』 (小坂洋右・大山卓悠、山と渓谷社) に書かれていて、気になっていた本だ。
ネット販売で入手できた。

Kosaka_yousuke_toubou『流亡 日露に追われた北千島アイヌ』
 小坂洋右 北海道新聞社(道新選書) 1992.7

著者の小坂洋右(こさか・ようすけ)さんは、星野道夫さんと親しくしていた人。
『星野道夫 永遠のまなざし』 に書かれていたことだが、小坂さんはこの本を星野さんに渡していた。

「Coyote」 №2(2004年、スイッチ・パブリッシング) 「特集 星野道夫の冒険」 に、アラスカ フェアバンクスの星野さんのログ・ハウスに残された、彼の本棚が紹介されている。
その本棚のリストには、たしかにこの本もあった。

小坂さんは、星野さんがカムチャッカ半島で事故で亡くなった後、『逃亡 日露に追われた北千島アイヌ』 を星野さんに渡したことを、後悔したという。

カムチャッカ南部はこの本の舞台の一つになっていて、「本を読んだ星野道夫は、カムチャッカ南部がヒグマの一大生息地であると同時に、悲劇を生んだ人類史の一舞台であったことも知っていたはず」 だと思ったのだ。

アイヌ民族と星野道夫――このつながりは、それほど突拍子もないことではなさそうだ。
星野さんの著作に、クリンギットインディアンのエスター・ジェイという女性の言葉が記されている。

エスターは、星野道夫に一冊の本を示し、あるページの写真を見せて 「この人々は一体誰なのか」 と尋ねたという。

<それは日本のアイヌの人々の写真だった。 エスターは自分たちの祖先とその写真を結びつけていたわけではないだろう。 ハイイログマのクラン(家系)に属するエスターは、なぜ同じような信仰を持つ人々が遥かなアジアの世界に存在しているのかという不思議さを感じたのかもしれない。>
 ― 星野道夫 『森と氷河と鯨』 ―

すぐには読めないが、この小坂さんの本は、私にはとても興味ぶかい。


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2008年6月20日 (金)

【読】星野道夫さんとクマ

めずらしく四日間で読みきった本。
それほど、引き込まれる内容だった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 聞き書き 片山龍峯 / 語り手 姉崎等
 木楽舎 2002年

最終章(第八章 クマの生きている意味) 、とつぜん星野道夫さん(写真家、故人)の文章が引用されていて、はっとした。

以下、引用と孫引きばかりでちょっと気がひけるが。
(原文の漢数字はアラビア数字に置き換えた)

<本書 315ページより>
 姉崎さんは、2001年6月に、長い間持っていた銃を手放した。 (中略)
 12歳から77歳まで65年間にわたって狩人として生きてきた姉崎さんは、鉄砲を手放した今、ヒグマをどのように思っているのだろうか。 そして、ヒグマが生きている意味をどう考えるのだろうか。 アラスカでクマをはじめ野生動物と自然を撮ってきた写真家の故星野道夫氏は、クマの生きている意味について次のように述べている。
「もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう」
「人間は常に自然を飼いならし、支配しようと考えてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野性の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それはなんと貴重な感覚だろう。 これらの場所、これらのクマはなんと貴重なものたちだろう」
(『ベア・アタックス』) と。 この文章を読んだとき、姉崎さんならば、クマが生きている意味をどのように考えるのだろうか、無性に聞いてみたくなった。


星野道夫さんが書いたか、語ったものの中で、私の記憶に強く残っているエピソードがある。
正確ではないかもしれないが、星野さんが高校生の頃、電車のつり革につかまって、ぼんやりと北海道のヒグマのことを思っていたという、そのような話だ。
都会の電車の中で、じぶんは今こうしているけれど、同じときに、北海道の広大な山中をヒグマがゆっくりと自由に歩きまわっている……。

このイメージが、私には鮮烈だった。
星野さんはそういう少年だったから、アラスカの広大な自然を、じぶんのフィールドに決めたのだと思う。

姉崎等さんという、和人を父に、アイヌ女性を母にもった根っからの猟師は、生き方こそちがっているが、星野道夫さんの考え方に通じるものをもっている。


もう一箇所、この本のあとがきで、星野道夫さんの文章が引用されている。


<本書 338ページより>
 私たちヒトは望むと望まざるにかかわらず、これからも野生の生きものたちの性格を変えてしまうほどの重大な影響を及ぼしながら進化の道を歩むことになる。 そのことを考えると、私たちヒトは、他の生きものたちから生き方を問われているのだと思い知るのである。
 一方、私たちヒトもクマがこの世界に存在することで大きな影響を受けている。 写真家の星野道夫は、
「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。 (中略) クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる」 (『星野道夫の仕事 第3巻』) と延べている。


思わぬところで、星野道夫さんの世界とつながった本だった。
ひさしぶりに、星野さんが残した美しい文章に触れたくなった。

Hosihino_books1_3Hosihino_books2
 

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2008年6月17日 (火)

【読】クマにあったらどうするか(続)

昨日、この本のタイトルをまちがえて書いてしまった。
クエスチョンマークは、いらなかった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
 ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 木楽舎 2002年

今日から読みはじめたのだが、とても面白い本だ。
「クマに会ったら……」 というのは、この本の章題のひとつだが、内容はもっと幅広い。
根っからの狩人が、インタビューに答えるかたちで、山歩きのこと、クマや山の動物たちのことを語る。

こういう生き方もあるのだな、と感心する。
猟のための山歩きを長年続けた人だが、学ぶところが多い。

姉崎さんは、山を歩くときに余分なものを持たない。
米、塩、飯盒、ナイフ、ナタ、ノコギリ、細引き、かんじき、マッチ、小さなリュック、それに 「エキムネクワ」 という木の杖、それぐらいだ。
衣類も、いたって素朴なものだ。
着更えも持たないというし、手袋は軍手一足だけ。

とうぜん、山の中では簡単な小屋がけをするか、野宿。
マッチだけで火をおこし、山の中でとったものを食べる。
焚き火のやり方だけでも、そのあたりのヤワな 「サバイバル書」 より、よほど役に立つノウハウが満載。
山は、本来、こういうふうに歩くものなのだな。

毎日、都会の喧騒の中で生活していると、この人のような素朴な山歩きが懐かしくおもわれる。
読んでいて、元気がでてくる本だ。


第一章 こうしてクマ撃ちになった
第二章 狩人の知恵、クマの知恵
第三章 本当のクマの姿
第四章 アイヌ民族とクマ
第五章 クマに会ったらどうするか
第六章 クマは人を見てタマげてる
第七章 クマと共存するために
第八章 クマの生きている意味


ちなみに、インタビュアーの片山龍峯さんは、3枚組CD 『アイヌ神謡集をうたう』 の監修者。

【参考】
 2007年9月11日の記事
 【読】アイヌ神謡集
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_3d54.html

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2008年6月16日 (月)

【読】クマにあったらどうするか

タイトルは、これから読んでみようとしている本の題名。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎 等 ―
   語り手 姉崎 等
   聞き書き 片山龍峯
 木楽舎(きらくしゃ)
 2002年4月5日 初版第一刷
 2002年5月8日 第二刷

 ジュンク堂書店のサイトより
  http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0102301307

だいぶんまえに BOOK OFF でみつけて、面白そうだと思い、買ってあった本だ。

砂沢クラさんの 『ク スクッ オルシペ』 (徳間文庫)を、長い日数をかけてようやく読みおえた。
クラさんの伴侶、砂沢友太郎さんは、生涯に百数十頭のクマを獲ったという。
友太郎さんは昭和42年(1967年)に亡くなっているから、私が子どもだった頃、まだ熊猟がおこなわれていたのだ。
ちょっと驚きである。
山中で、きちんとクマ送りをしていたことにも驚いた。

これから読もうとしている本の、姉崎等さんは、こういう人らしい。
(本書巻末より)

語り手 姉崎 等 (あねざき・ひとし)
1923年(大正12年)北海道生まれ。
アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。 3歳のときに鵡川から千歳に移り、母方のアイヌ民族の集落で暮らしながら猟を覚える。 12歳から村田銃で狩猟を始める。 22歳からクマ撃ちを単独で始め、25年間で40頭、集団猟を入れると60頭を獲る。 1990年、春グマの狩猟禁止とともにクマ猟をやめ、以後、ヒグマ防除隊の相談役、ついで副隊長を務める。 その間、北海道によるヒグマのテレメトリー調査に協力。 2001年6月、銃を手放し、65年間に及ぶ狩猟人生に区切りをつける。

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2008年6月11日 (水)

【読】胸にしみる本

数日前にこのブログで紹介した本を読み続けている。

Sunazawa_kura砂沢クラ 『ク スクッ オルシペ』
  ― 私の一代の話  ―
 福武文庫 1990.2

明治30年(1897)、北海道旭川市近文のコタンに生まれた砂沢クラさんが、みずからの生い立ちを綴ったもの。
明治末から大正にかけて、北の大地で生活していたアイヌの人々の暮らしぶりがよくわかる。
写真・図版(クラさん自身の手になるスケッチ)が多数収録されていて、とてもいい本だ。

クラさんの文章が自然体で、ひとつひとつのエピソード(苦労話が多い)が胸にしみる。

目次から抜粋。

第1部 神々と共に
 初めて山のクマを見た/山で生まれ、山で育つ/……アイヌ語で賛美歌を歌う……
 和人の小学校に入学/日露戦争、ウタリの苦しみ/和人に土地を追われる
第2部 旧土人と呼ばれて
 マサ小屋で次々死ぬ/父、士別の山で死ぬ/……アイヌ学校へ通う……
 精華女学校で裁縫を習う/金成マツさんとユーカラ/知里幸恵さんのこと……
第3部 伏古コタンの日々
 ウェンモシリの伝説/オクスツウンクルの血統/……草小屋で長男生まれる……
 コタン消滅する
第4部 安らぎのトチを求めて
 奈井江の山に入る/夫呪われ、クマ送りする/チャランケの血統と言われる……
 真志保さんにアイヌ語を教える……添牛内から安住の地、芦別へ
第5部 文化伝承の日々
 家を建て、孫を呼ぶ/川岸・四季の暮らし/……白金温泉でユーカラ演ずる……
 幸せな暮らしに涙

本文 348ページ。
巻末に、年譜(クラさんの暮らしと同時代史)、系図(記録に登場する親族の系図)、クラさんの歩いた道(北海道の絵地図)、あとがき(北海道新聞社社会部 深尾勝子)、文庫のためのあとがき(同左)、がある。

親本(単行本)は、昭和58年(1983) 北海道新聞社から刊行されている。

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2008年6月 5日 (木)

【読】ク スクップ オルシペ

アイヌ語の発音にできるだけ近いカナ表記では、ク スク オルペ。
本の表題もこれに近い。

萱野茂 『アイヌ語辞典』 によると、ku(私) sukup(成長する、育つ、若い) or-us-pe(噂話) というほどの意味らしい。

「私の一代の話」 という日本語の副題がついている。

Sunazawa_kura砂沢クラ 『ク スクッ オルシペ 私の一代の話』
 福武文庫 1990.2.20  365ページ
 (親本 1983.10 北海道新聞社)

砂沢クラさん(明治30年/1897~平成3年/1990)が、87歳のときに、それまで二冊のノートに書きためてあった文章が北海道新聞に連載され、その後、本になったもの。

今日から読みはじめた。
一話一話がほどよい長さで、読みやすい。
クラさんの描いたたくさんの挿絵も、親しみやすくて、いい。
明治末の北海道のアイヌの人々の生活ぶりがよくわかって、私には、ひとつひとつのエピソードがとても興味深い。

この本の中に 「知里幸恵さんのこと」 という文章がある。
知里幸恵さんは、クラさんより五つ、六つ年少で、「小柄でしたが、お父さんの高吉さんに似て、とてもかわいい顔をしていました。 頭がよく勉強家で、本をたくさん持っていて、小説を読むのが上手」 だったという。

当時、知里幸恵さんは、伯母の金成マツさんの養女として、旭川(近文)で暮らしていた。
のちに、幸恵さんの弟の真志保さんも、同居することになる。

「真志保さんにアイヌ語を教える」 という文章もある。
そういった興味ぶかいはなしが、この本にはぎっしりつまっていて、先が楽しみだ。

ちなみに、絶版。
私はネット販売で古本を購入した。

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2008年6月 4日 (水)

【読】読了

このごろ、本を読む速度がでないので、一週間以上かかってようやく読了。

Kitamichi_ainugo_chimei北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』
 朝日新書 103  2008.3.20

いつか、北海道をゆっくり旅すること日が来たなら、その時は、この本と地図を片手にまわろうと思う。
新書サイズながら、驚くほど中身は濃い。
アイヌ語地名研究者は数多いが、知里真志保や山田秀三らの業績を引き継いで、綿密な考察を続ける、この本の著者はすごいと思う。
この人が編集した知里幸恵さんの遺稿が手もとにあるので、いつか読んでみたい。
(ずいぶん前に書店でみつけて、衝動的に買ったものだ)

さて、明日からどんな本を読もうかな。

(左から)
『注解 アイヌ神謡集』
 知里幸惠 著訳 / 北道邦彦 編注
『知里幸惠の神謡 ケソラの神・丹頂鶴の神』
 北道邦彦 編訳
『知里幸惠の ウウェペケ(昔話)』
 知里幸惠 著訳 / 北道邦彦 編注・補訳
いずれも、北海道出版企画センター

Kitamichi_ainu_shinyou_2Kitamichi_kesorappuKitamichi_uwepekere

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2008年5月28日 (水)

【読】アイヌ語地名で旅する北海道

三週間ほど前に入手した本を、ようやく読みはじめた。

Kitamichi_ainugo_chimei北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』
 朝日新書 2008.3.30

こういう本を読むと、北海道に帰りたくなる。
毎日、アスファルトの上をはいずりまわる生活をしていると、土の大地がなつかしい。
北海道も高速道路が増えて、さまがわりしてきたのかもしれないが、古くからのアイヌ語地名には長い歴史が刻まれているのだ。

いつの日か、北海道をゆっくりまわってみることができるのだろうか。


北海道の山名がたくさんとりあげられているのがうれしい本だ。

この本についての過去記事

【読】きょうの収穫(アイヌ語地名の本)  2008.5.4(日)
 http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9bb4.html

【読】この本はすごい  2008.5.5(月)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_6ef7.html

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2008年5月21日 (水)

【読】「アイヌ歳時記」再読

瀬川拓郎さんの 『アイヌの歴史 海と宝のノマド』 (講談社選書メチエ) をようやく読みおえた。

Segawa_ainu_rekishiこれは、ほんとうにいい本だと思った。
新聞書評で、本の題名 「アイヌの歴史」 というのがよろしくない、というものがあったが、副題 「海と宝のノマド」 がいい。
エキゾチックな響きがある。

著者は、あとがきの中で、知里真志保のつぎのことばを引用している。

<従来アイヌ及びアイヌ文化は、時代による変遷と地方による差異とを無視して、あまりにも単純に考えられすぎていた嫌いがあります。……アイヌ及びアイヌ文化の内容が今まで考えられていたよりも遥かに複雑であり、抱負であり……そこから北海道の先史時代の人と生活を明らかにする鍵をいくらでも掴み出してくることができるのだという印象を皆さんに持っていただくことができましたなら、私の目的は達せられたのであります。>
(知里真志保 「ユーカラの人々とその生活」)

そして、こういうことばでこの本をしめくくっている。

<単一民族・単一文化という同一化の「虚構」が圧倒的な力で支配するなか、勇気をもって差異という「本質」を誇り高く生きてゆこうとする人びと。 だが、それは叶えられているか。 私たちが考えなければならないのは、このことだろう。>
(『アイヌの歴史 海と宝のノマド』 あとがきより)

ところで、私の友人で北海道旭川市に住む「玄柊」さんが、ごじぶんのサイトに、旭川アイヌの墓標の写真を掲載していた。
ひさしぶりに、萱野茂さんの本を開き、イラストで男女の墓標のちがいを確認。
そして、この本を、通勤の友としてそのまま鞄にいれて持ち歩き、読みはじめた。
何年か前に読んだきりだが、けっこう内容をおぼえている。

ここ数年のあいだに私のアイヌ理解もそれなりに深まっているので、今回の再読では、これまで気づかなかったこともわかって、興味ぶかいものがある。

Ainu_saijiki萱野茂 (かやの しげる)
 『アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心』
 平凡社新書 2000.8.21 700円(税別)

― 目次 ―
序章 二風谷に生まれて/第一章 四季のくらし/第二章 神々とともに生きて/第三章 動物たちとアイヌ/第四章 生きることと死ぬこと/第五章 アイヌの心をつづる/あとがき

イラスト、写真も多く、萱野さんの文章もごく自然体で、とてもいい本だ。
アイヌ文化・生活・歴史の入門書としても、おすすめ。
萱野さんご自身の体験に根ざす、さまざまなエピソードが語られている。

【参考サイト】
平凡社 http://www.heibonsha.co.jp/
 → 全点検索 →「アイヌ歳時記」で検索

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2008年5月19日 (月)

【読】砂沢クラさんの自伝

ネット販売で注文しておいた中古本が届いた。
こんないい本が絶版になっているのは惜しい。

Sunazawa_kura砂沢クラ
 『ク スクッ オルシペ 私の一代の話』
 福武文庫 1990.2.30

[要旨]
自然のなかに神を見、神を敬い、共存してきた日本の先住民族アイヌ。荒地に追われ、言葉を奪われ、貧窮の暮らしを余儀なくされながらも民族の精神と文化を守り通したアイヌのシ カッケマッ(淑女)の半生が、豊富なイラスト、資料写真を交え綴られる。現代の人間のあり方も問う、心優しい告発の書。
[目次]
第1部 神々と共に;第2部 旧土人と呼ばれて;第3部 伏古コタンの日々;第4部 安らぎの地を求めて;第5部 文化伝承の日々
(以上、e-honサイト http://www.e-hon.ne.jp/bec/EB/Top より転載)

[著者紹介]
明治30年(1897年)、北海道旭川市近文のコタンコロクル(村おさ)の家系―川村家に生まれる。 旧土人学校―豊栄尋常小学校、精華女学校を卒業後、雨竜コタンの砂沢友太郎と結婚。 夫と共に、アイヌ民族伝統の狩猟生活を基本に北海道の山々を踏破。 明治、大正、昭和の三代を生き抜く。 この間、アイヌ民族口承文学―ユーカラ、トゥイタッを継承、記録。 詳細な生活記録も書き続けた。 また民族の伝統手工芸も引き継ぎ、数多くの作品を製作。 言語学者、民俗学者の研究に貢献した。 87年3月、「砂沢クラ媼卒寿記念作品展」を札幌市で開催。 北海道文化財保護功労者。 苫小牧市在住。
(本書カバーの著者紹介)


巻末、「記録に登場する親族の系図」 によると、クラさんの夫 砂沢友太郎さんは、砂沢ビッキの伯父にあたる。
この文庫本のカバー木版画は、砂沢ビッキの作品。
クラさんの手になる、本文の挿絵もいい。

こういう本を読みたかったのだ。



【参考サイト】

福武文庫
http://homepage1.nifty.com/ta/fuku/bunko.htm

日本の古本屋 - 日本最大の古本検索サイト
https://www.kosho.or.jp/servlet/top
※amazonよりも私はここを利用することが多い

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2008年5月14日 (水)

【読】二冊の本

ネットで注文した二冊の本が届いた。
どちらも、いい本だ。
うれしい。

中古本ながら状態はいい。
たぶん、持ち主は読まずに手放したのだろう。

便利な時代になったのはいいが、たまには古本屋街をゆっくり歩いてみたいものだ。
時間がとれない・・・。

Kosaka_ainu_ikiru_2小坂 洋右 著  写真/林 直光
『アイヌを生きる 文化を継ぐ 母キナフチと娘京子の物語』

 大村書店   1994.4.20

萱野茂さんによる序文で、こう紹介されている。
<……読みすすんでおどろきました。/杉村京子さんの一代記などという生易しいものではなく、旭川アイヌの苦難の歴史、アイヌ民族の苦難の足跡がぎっしりと詰め込まれ、一気に読み終えてしまいました。……>



Keira_ainu_sekai計良 光範 著
『アイヌの世界 ―ヤイユーカラの森から』

 明石書店  1995.8.31

計良智子さんの 『アイヌの四季 フチの伝えるこころ』 (明石書店) を、ずいぶん前に図書館から借りて読んだことがある。
装幀がよく似ていて、たぶん内容も計良智子さんの本と同様に、親しみやすいものだと思う。

「ヤイユーカラの森」 とは (本書巻末から転載)
「和人の研究者・学者に奪われたアイヌ文化の研究を、我々自身の手に取り戻そう」 と、1973年に創設された 「ヤイユーカラ民族学会」 の活動を、より日常的・継続的に発展させるために1992年1月に創設された。/アイヌ文化を、博物館から私たちの日常の場に取り返し、現代の自然や暮らしの中、人びとの心の中に息づかせようという趣旨に賛同するアイヌや和人の会員によって構成されている。/「ヤイユーカラ」 とは 「自ら・行動する」 の意味で使われ、参加者が身体を使って行動する中から、アイヌの精神を自らのものにする活動をおこなっている。 (代表 秋辺得平)


いま読みすすめている、この本も、とてもいい。

Segawa_ainu_rekishiくわしくは、数日前の記事をごらんいただきたい。

瀬川 拓郎 著 『アイヌの歴史 海と宝のノマド』
講談社選書メチエ

<宝を求め、サハリン・アムール川流域に進出する戦うアイヌ。
激しい格差、サケ漁をめぐる内部対立。
「日本」との交渉――社会の矛盾に悩むアイヌ。
北の縄文から近世まで、常識を覆すダイナミックな「進化と変容」>
(カバーより)

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2008年5月12日 (月)

【読】海と宝のノマド(続)

瀬川拓郎 著 『アイヌの歴史 海と宝のノマド』 (講談社選書メチエ) を読みはじめた。

これがとても面白い。
視野がぐんとひろがる本だ。

「第二章 格差社会の誕生――宝と不平等」 に、有名な知里幸恵の 『アイヌ神謡集』 の序文が引用されている。

<その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。 天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。 ……>

とても美しい文章だが、現実のアイヌ社会は早い時期から社会内部に 「格差」 があり、富める者と貧しい者が厳然と存在していた。

『アイヌ神謡集』 の第一話 「銀の滴降る降るまわりに」 は、<かつては有数の宝もちで、人間的な徳もありながら、いまは落ちぶれ、貧乏ゆえに村中から差別と迫害を受けている人物が、村の守護神であるフクロウの神から宝を与えられ、その宝をもとに首長になる話> である。

著者の瀬川氏は、こう言う。

<この話では、アイヌ社会の二つの現実が示されている。/ひとつは、神からのほどこしがなければ、貧乏人はついに貧乏人で終わるしかないという現実であり、もうひとつは、宝さえあれば首長になることもできるという現実だ。/前者は、強く固定化した階層化社会の現実、そして後者は、「成功」のチャンスは誰にでも開かれているという、競合の自由が平等の理念となっている、まるで現代のどこかの国のような現実といえるだろう。>

<アイヌ語では貧乏人のことを 「ウェン・クル」 という。 「ウェン」 は悪い、「クル」 は人という意味だ。 悪人と貧乏人は同義なのだ。>

<フクロウの神は、なぜ村人全員から宝を奪いとることで皆を平等にしなかったのか。 あるいはなぜ皆が同じだけ所有するように宝を再配分しなかったのか。 そうしなかったのは、格差社会が当然のものとして皆に受け入れられていたからだろう。>


興味深い論考であり、考古学の成果をベースにしているだけあって説得力がある。

しかし、だからといって、知里幸恵が残した 『アイヌ神謡集』 の価値は、いささかも損なわれない。

著者は、こうも言う。
<大自然に抱擁された稚児、歌い暮らす天真爛漫な日々――私たちは、自然と一体になったアイヌの姿に、みずからの幸福な幼年期を重ねあわせるのだろう。 多感な少女であった幸恵にとってもまた、あるべきアイヌの姿は、「文明」 という汚れた大人になることを拒否した 「自然」 の側にある幼年期としてのアイヌだったにちがいない。>

(引用部分はすべて、本書第二章 P.54~56)


Segawa_ainu_rekishiAinu_shinyou 

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2008年5月11日 (日)

【読】海と宝のノマド

きのう、駅ビルの本屋をのぞいてみたら、店頭にこんな本があった。

Segawa_ainu_rekishi瀬川拓郎 著 『アイヌの歴史 海と宝のノマド』
 講談社選書メチエ 401  1600円(税別)
 2007.11.10 第一刷/2008.3.5 第四刷

出版されてから間もない本だが、気づかずにいると手に入れるのが難しくなるのがこういう本だが、すでに四刷まで版を重ねているのは好評ということか。
出合ったときが買い時。 迷わず購入。

「はじめに」と「あとがき」を読んでみた。
私にはとても興味ぶかい内容。
偶然みつけて手に入れることができて、よかった。

著者は、1958年生まれ、岡山大学史学科考古学専攻卒業。
現在、旭川市博物館の学芸員(本書の著者略歴)。

「はじめに」 に、著者の考え方が示されている。
アイヌの歴史・文化に関心を持ちつづけてきた私が、ずっとひっかかりを感じていたことが、これを読んで少しすっきりした。

ややもすれば硬直化しがちな 「アイヌ民族観」 が私にもあったようだ。
狩猟採集民、縄文人の末裔、自然との共生、……等々。
だが、アイヌの人々は、縄文文化であゆみを止めてしまったわけではない。
さまざまな 「宝」 (日本の刀や漆器、中国製の錦、ワシ・タカ羽、クロテンの毛皮、など) を得るために、幅広く交易をしていくなかで、その社会の内部に大きな格差が生まれていた。
「宝」を持つ者は名誉と威信を持ち、それが「首長」の条件ともなっていた。
また、アイヌ社会内部でサケ漁業権をめぐる対立・抗争があったこともよく知られている。

著者が言う 「リアルなアイヌの歴史」 をもっと知りたいと私は思う。

「はじめに――海と宝のノマド」
  考古学からみたリアルなアイヌの歴史 (P.4) より

<アイヌという人びとについて、私たちはどんなイメージをもっているだろうか。/なんとなく縄文人のイメージを重ねている読者が多いかもしれない。 (中略)/私の手もとに、北海道が作成した 『アイヌ民族を理解するために』 というアイヌの歴史や文化、現状を紹介した小冊子がある。 そのなかに繰り返し登場する言葉があることに気がつく。/いわく、「自然」の恵み・自由な「大自然」・「自然」の材料だけで・「平和」な暮らし・「平和」な生活・「秩序」ある暮らし・「秩序」正しい社会――。>

<かつての伝統的なアイヌ社会のイメージは、自然と共生するエコロジカルな社会、対立も格差もない穏やかで秩序正しい社会、といったもののようだ。 ジャン=ジャック・ルソーが説く自然人のような、この「公的」なアイヌのイメージは、さまざまなアイヌ文化の解説書の底流をなしているといえるかもしれない。/だが、アイヌ社会はほんとうに「自然との共生」「平等」「平和」の社会だったのだろうか。/かならずしもそうではなかった、と私にはおもわれる。>

巻末 「おわりに――進化する社会」 のなかで、二冊の本が紹介されている。

砂沢クラ 『ク スクップ オルシペ――私の一代の話』
<砂沢クラさんは、私が暮らしている旭川で生まれ育ち、明治から平成を生きたアイヌ女性だ。 上川に和人が集団入植して数年後に首長の娘として生まれ、伝統的な文化を継承しながら、貧窮と迫害のなかを生きてきた。 その彼女の自伝である……>

杉村京子 『半生を語る――近文メノコ物語』
<同じ上川アイヌの女性・杉村京子さんの自伝……も、強く心に残る>

読んでみたくなった。
砂沢クラさんの本(福武文庫)と杉村京子さんの別の本が、ネット販売の中古書でみつかったので、注文した。

「ノマド nomad」 とは、遊牧民、放浪者という意味のことばである。
(そういえば、元ちとせに、『ノマド・ソウル』 という、いいアルバムがあった)



【参考サイト】

(著者インタビュー) ※とても参考になる
北海道新聞旭川支社  ヒューマン いんたびゅー
http://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/human/20080406.html

(書評)
中日新聞・東京新聞 書評『 アイヌの歴史』 瀬川 拓郎 リアルな社会像大胆に提起
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2007121604.html

(書評)
今週の本棚・新刊:『アイヌの歴史--海と宝のノマド』=瀬川拓郎・著
  - 毎日jp(毎日新聞)http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/11/20071118ddm015070011000c.html

(著者のセミナー録)
アイヌ文化振興・研究推進機構
http://www.frpac.or.jp/
 平成17年度普及啓発セミナー報告集
  http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem17.html
  (11) 瀬川拓郎氏 アイヌ・エコシステムと縄文エコシステム
   ―自然利用からみたアイヌ社会のなりたち― (PDF)

旭川市博物館
http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/museum/index.html

(Wikipedia) アイヌ文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A8%E7%94%9F%E6%B4%BB

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2008年5月 5日 (月)

【読】この本はすごい

きのう、このブログで紹介したばかりだが、この本はすごい。

Kitamichi_ainugo_chimei北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』
 朝日新書 103  2008.3.30発行 740円(税別)

ネットで検索してみたが、この本や著者について、記事がすくない。
そこで、本書の前書き(はじめに)から、すこし引用したい。
著者の人となりがわかると思う。

<埼玉県の高校の教員を退職後、私は北海道で生まれたのにアイヌ語を知らない自分を省み、一念発起してアイヌ語の勉強をはじめた。 せっかく学ぶならと、第一人者の田村すゞ子先生のいらっしゃった早稲田大学語学教育研究所で受講することにした。>

著者略歴によると、この人が退職したのは1994年。
北海道に戻ってアイヌ語の研究を始め、その後、97年から4年間、早稲田大学で上記のアイヌ語講座を受講し、勉強したという。
1935年生まれだから、62歳頃から 「勉強」 をはじめたことになる。
これだけでも、すごいと思う。
まったく、頭がさがる。

この本をざっとながめてみると、内容の深さに驚く。
とても新書とは思えない。

目次を紹介しておこう。

はじめに
序章 アイヌ語地名の特色
第1章 山のいろいろ
第 2章 輝く白雪の山なみ
 Ⅰ 日高山脈
 Ⅱ 石狩山地
 Ⅲ 知床半島
第3章 岬めぐり
第4章 札幌
終章 アイヌ語の特色
おわりに
主な参考文献
索引

259ページの本だが、内容が濃い。
過去の先達の業績、研究をベースに、よく調べ、深く考察しているのだ。

アイヌ語地名研究の先達として、本書の序章にあげられているのは、次のとおり。
(各人の生没年は、北道氏の記述による)

秦檍麻呂 『東蝦夷地名考』 1808年
上原熊次郎 『藻汐草』 1792年、『蝦夷地名考并里程記』 1824年
松浦武四郎(1818~1889) 『初航・再航・三航蝦夷日誌』
  『廻浦日記』、『丁巳日誌』、『戊午日誌』など
B・H・チェンバレン 『アイヌ語地名の命名法』 1887年
永田方正 『北海道蝦夷語地名解』 1891年
金田一京助(1882~1971) 『北奥地名考』 1932年
知里真志保(1909~1961) 『アイヌ語入門――とくに地名研究者のために』
  『地名アイヌ語小辞典』 ともに1956年
高倉新一郎、更科源蔵、知里真志保 『北海道駅名の起源』
山田秀三(1899~1992) 『アイヌ語地名の研究 1~4』 1995年

この他、菅江真澄(1754~1829) 『えみしのさえき』 他
……など、著者は、これらの文献に目を通していると思われる。
すごいことだ。


この本の魅力は、綿密なアイヌ語地名解はもちろんのことだが、随所に掲載されているコラム(あるいは、コラム的に記載された補足)の内容の幅広さだ。

こんなコラムがある。

・知里幸恵 『アイヌ神謡集』 にふれたもの (第1章、第2章)
・知里幸恵の生涯にふれたもの (第1章、第2章)
・金成マツ・金田一京助の 『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』 にふれたもの (第2章)
・日高山脈の氷河地形 (第2章)
・松浦武四郎のこと (第2章)
・多義語 sir シ (第2章)
・ハマナス (第2章)
・知床横断道路 (第2章)
・アイヌの蜂起と悲劇の歴史 (第2章) ……これは8ページにわたる
・松浦武四郎の生涯 (第3章) ……これも4ページにわたる

……等々。

北海道に生れた人、住む人、北海道を訪ねる人で、多少なりともアイヌ語、アイヌ文化に関心をもつ人にとって、これほど有益な本はすくないと思う。

持ち歩きできる新書、というのもうれしい。
地名索引も充実している。
いい本に出会ったと思う。

うーん。
ひさしぶりに、力のはいった紹介になった。

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2008年5月 4日 (日)

【読】きょうの収穫(アイヌ語地名の本)

こういうこともあるんだな。

自転車でこのあたりをぐるっとまわって、その帰り道、いわゆる郊外型書店 「文教堂書店」 に立ち寄った。
新書コーナーでめぼしい本はないかと見ていたら、こんな本をみつけた。
題名だけで迷わず購入。

Kitamichi_ainugo_chimei『アイヌ語地名で旅する北海道』
 北道邦彦 著 朝日新書
 2008.3.30 740円(税別)

帰ってきて、著者略歴を読んでみた。

北道邦彦(きたみち・くにひこ)
1936年北海道生まれ。 62年茨城大学文理学部卒。
94年埼玉県の県立高等学校教諭を退職後、北海道に戻り、アイヌ文学の研究を始める。
97年より4年間、早稲田大学語学教育研究所でアイヌ語講座を受講。
編著書に 『注解 アイヌ神謡集』 『知里幸惠のウウェペケ(昔話)』 『知里幸惠の神謡 ケソラの神・丹頂鶴の神』 など。

あれ?
この三冊、ずっと前に買っているぞ。
北海道出版企画センターという出版社が出している本。
東京ではあまりみかけないものなので、新宿の大きな書店でみつけたとき、思いきって買ったのだった。
もうずいぶん前のことだ。

そうか。 この人の仕事だったんだ。
そう思って、本棚の奥にたいせつにしまってあったのを、ひっぱりだしてみた。
手に入れたことで安心して、まったく読んでいなかった。

また、この著者と直接関係ないが、知里真志保の 『地名アイヌ語小辞典』 という、おなじ北海道出版企画センターから出ている新書サイズの本も持っている。
いつ、どこで買ったのかさえ憶えていないが、今ほどアイヌ語に強い関心を持っていなかった頃、買った本だ。
これは、アイヌ語地名を調べるために、ときどき開いている。
名著である。

気になる本は、みつけたときに思いきって買っておくものだな。

Kitamichi_ainu_shinyouKitamichi_uwepekere_2Kitamichi_kesorappu_2Chiri_mashiho_chimei_ainugo      

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2008年4月19日 (土)

【読】この本がほしい

ネットで調べると、古書でたくさんでまわっている。
けれど、高くて手がでない。
手元に置きたい本だ。

図書館から借りてきて、拾い読みしてみる。
いつか手に入れたいな。

Chiri_mashio_ainugo『知里真志保著作集』 平凡社 1975-76
 別巻 Ⅰ 分類アイヌ語辞典  植物編・動物編
 別巻 Ⅱ 分類アイヌ語辞典  人間編

知里真志保の未完の遺作だ。
1953-54年に刊行されたものの復刻。



― 出典:Wikipedia―

知里 真志保(ちり ましほ、1909年2月24日 - 1961年6月9日)は、北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身の、アイヌの言語学者。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。大学での指導教授は、金田一京助。

アイヌ民族の視点からアイヌ語を理論的に研究し、『分類アイヌ語辞典』で朝日文化賞を受賞。その他にも、アイヌ語地名研究者の山田秀三とも共同しながら、アイヌ語学的に厳密な解釈を徹底させたアイヌ語地名の研究を進め、数々の論文や『地名アイヌ語小辞典』などを刊行し、北海道の地名研究を深化させた。また、言語学者・服部四郎との共同で北海道・樺太各地のアイヌ語諸方言の研究を行いアイヌ語の方言学の基礎を築いた。その業績はもはや「アイヌ学」という一つの学問を築き上げている。

真志保は京助を敬愛していたが、アイヌとしての自意識もあり、感情的な部分も含めて、学問的な批判は京助に対しても容赦しなかった。 また、先駆者であったジョン・バチェラーはもとより、研究仲間だった河野広道や更科源蔵、高倉新一郎らの著述における問題についても辛辣な批判を繰り広げた。

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2008年4月18日 (金)

【読】今年読んだ本のベストワンかも

日数がかかったけれど、昨日、ようやく読み終えた。
いい本だった。
さわやかな読後感を味わったのはひさしぶりだ。

今年にはいってから、手帳に、読んだ本のタイトルをメモしてきた。
この本が20冊目。
読書量として、けっして多いほうではないだろう。

Watanae_ichie_sakura_2渡辺一枝 『桜を恋う人 ―二つの祖国に生きて―』
 集英社文庫 1995.9.25
 (単行本 情報センター出版局 1990.10)

著者の渡辺一枝(いちえ)さんは、椎名誠夫人として知られているが、エッセイストとしてすばらしい仕事をなさっている。
若い頃から「チベット」というあだ名で呼ばれ、モンゴルやチベットを何度も旅し、写真集も出版している。
椎名誠氏の著作に彼女の性格が描かれていたことを思いだすのだが、激情家であり、心やさしい女性というイメージを、私はもっている。
こういう女性が好きだ。

今から20年近く前に出版された本。
いつか読んでみようと思いつづけていた。
読んでよかった、と思う。

一枝さんは、1945年、ハルビン生まれ。
彼女の父親は、彼の地で行方不明のままだという。
そんな背景を知ると、主人公の岩間典夫さん(中国名 莫宝清)に寄せる、彼女の思いがよくわかる。

本の内容については、不親切かもしれないが、ここに詳しく書かない。
興味を持たれた方は、図書館などでご覧いただきたいと思う。

わずか20冊の中からだが、私にとって、今年読んだ本の現時点での 「ベストワン」 と言える。

ところで、今日から読みはじめたのが、この本。
図書館にあったので借りてみた。

Umi_no_wajinden大友幸男 『海の倭人伝 ―海路史で解く邪馬台国―』
 三一書房 1998.6.15

特別、邪馬台国に関心があるわけではない。
この著者の本(*)をすこし前に読んで、どういう人か知りたくなったのだ。

(*)大友幸男 『日本のアイヌ語地名 ―東北から沖縄まで―』
関連記事
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2b8e.html
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_7f23.html


<従来の倭人伝論の空白が、主として「海路史」の部分にみられるという発想から、とくに「短里法」という問題を切り口として、新しい視点に立った謎解きに挑戦してみました> (はじめに)
というのが、この本のテーマらしい。

『魏志倭人伝』 に出てくる、「水行・陸行」 何里、というあのモンダイである。
著者は、古代の航海者が用いていたはずの、独特の「海里」をキーにして、倭人伝の謎に挑戦しているようだ。

読みはじめたばかりだが、最後まで読み通せるかな?
あまり興味のない分野なので。
まあ、ゆっくり楽しんでみようか、と思っている。

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2008年4月 8日 (火)

【読】アイヌ語地名をめぐって(続)

Nihon_ainugo_chimeiようやく読了。

大友幸男 著
 『日本のアイヌ語地名 ―東北から沖縄まで―』
 三一新書 1174 1997.10.31 900円(税別)

おおいに刺激をうけた。
これまで、なんとなく違和感のあった地名も、漢字表記に惑わされずに音(おん)に着目してみる。
すると、アイヌ語地名と驚くほど通じるものがある。
古代語――アイヌ語のつながりを、いろいろと想像してみる。

<目次より>
入門編(上)――「川」と「沢」/「泉」と「谷」/「山」と「野」/「海」と「岬角(こうかく)地名」 他
入門編(下)――アイヌ語と「五十音」/アイヌ語音節表/地名の分類法/「双子地名」の話 他
理論編――「白河境界説」の疑問/「縄文人=古モンゴロイド」説 他
歴史・民族編――「三内丸山」とアイヌ語/「巨木遺構」と「鳥居」/発見された「土屋根の家」/「梟神」と「遮光器土偶」 他
東日本編
西日本編

地名に関心のある方、アイヌ語やアイヌの伝統文化に興味のある方に、ぜひおすすめしたい。


<カバーより>
全国各地にアイヌ語を訪ねる旅――
地名はいつ、どういう意味でつけられたのか。
「大和語」では意味が通じにくい各地の方言の由来は。
関東以西にもアイヌ語地名は存在する――。
弥生時代の人々が使った古代語の名残りであるアイヌ語地名をたどる。

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2008年4月 3日 (木)

【読】アイヌ語地名をめぐって

図書館から借りてきて、ちょっとだけ読み始めたら、これが、とてもいい本だった。
さっそくネット販売で入手。

渡辺一枝さんの本(『桜を恋う人』)は、いっとき脇において、読み進めているところ。

Nihon_ainugo_chimei大友幸男 著
 『日本のアイヌ語地名 ―東北から沖縄まで―』
 三一新書 1997.10.31 900円(税別)

新書ながら、内容は濃い。
このての本にありがちな、こじつけがない。

北海道の地名は、そのほとんどがアイヌ語地名にむりやり漢字をあてたものだ。
「内地」(今でも北海道の住民は、道外を指してこう呼ぶ)の人には読めない地名ばかり。
これは、無理に漢字をあてたからだ。

東北地方にアイヌ語地名が多く残っていることも、よく知られているが、もっと南の地方にもアイヌ語地名と思われるものの多いことが、この本でわかった。

アイヌ語が、日本の古語――弥生時代の後に形成された「大和ことば」よりも前にあった言葉――とつながりがありそうだ、ということもわかってきた。

漢字の地名の字面に、いかに私たちが惑わされているか。
地名を音(おん)で感じ、名前をつけた人たちの気持ちになってみる。
太古、この列島に住んでいた人たちのイメージがひろがる。

アイヌ語地名に関心のある人に、この本はオススメだ。

著者について、私は何も知らない。

大友 幸男 (おおとも ゆきお)
著者経歴には、岩手県陸前高田市出身、岩手日報学芸部長を経て文筆業(筆名大正十三造)、としか書かれていない。
著書は、『南部盛岡藩史略』、『北斗太平記』、『岩手の古地名物語』、『不来方の賦』、『盛岡商人伝』、『もりおかの地名』(編著)、『江釣子古墳群の謎』、『史料解読 奥羽南北朝史』、『日本縦断アイヌ語地名散歩』、『アイヌ語 古朝鮮語 日本の地名散歩』、ほか。

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2008年3月21日 (金)

【読】これはいい本だ

Yokoyama_takao_shosuminzoku_2今日から読みはじめた、この本が、とてもいい。

横山孝雄 『少数民族の旅へ』 新潮社 1984.8.25

文字通り、世界の少数民族を訪ねる旅。
といっても、まなじり決して少数民族を擁護するような態度ではなく、自然体であるところがいい。
文章が自然で、じつに上手い。
文は人なり、と言うが、こういう文章を書く人は信用できる、と、私は思う。

知里むつみさんと結婚したいきさつも、書かれている。
(「ヌプルペツ アイヌ女性との結婚私記」 本書 P.124)

知里むつみさんは、知里幸恵・真志保姉弟にはさまれた、知里高央(ちり・たかなか)さんの娘さん。
つまり、知里幸恵さんの姪御さんにあたる。

こういういい本が、すでに絶版で、新刊では手に入らなくなっている。
(ネット検索したら中古ではたくさん出ていたので、注文したが)

日本の出版界は、ちょっとおかしい。



― 『少数民族の旅へ』 「アンデス」 P.25- から ―

 峠を越えた列車が、ゆっくりとアンデス高原へ降り始めると、乗客も生気を取り戻してくる。 その頃になると相席の幼女も私の髭面に馴れたようなので、小さなプレゼントを渡した。 五円玉と五十円玉に紅白の紐を通して小鈴を付けたものだ。 女の子は目を丸くしてしばし鈴の鳴る手もとをじっと見つめたが、気おくれしてか手を出せないでいる。 かわりにお爺さんが受け取ってくれた。 お爺さんとお婆さんが得意そうにその事を周囲に告げると、どっとみんなが集まってきた。 長旅に退屈しきっていた人たちだったが、それまでは私にはまるで関心のないような素振りだった。 本当は、好奇心をインディオ独特の無表情さの下に隠していたようである。
 (中略)
 人の善いインディオたちに会って、すっかり嬉しくなった。 それまで私が接していたのは外人に対して悪ズレのしたタクシー運転手とか土産売りばかりだったから、土地の人を見るとつい身構えていたことを、この人たちが反省させてくれた。 (後略)

 

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2008年3月18日 (火)

【読】【楽】トンコリ

Shizukana_daichi_bunko_2まだ読んでいる。
花崎皋平 『静かな大地』 (岩波現代文庫)

トンコリがでてきた。
松浦武四郎 、四十一歳のとき、最後の蝦夷地の旅(安政五年)。
箱館から日本海まわりで銭函までの海岸を除き、蝦夷地の全海岸と、十勝、阿寒など道北、道東の内陸部を縦横に踏みわたり、さらに、日高沿岸の川筋をひとつひとつ遡行する、という徹底した探索行である。
1月2日(陽暦3月7日)から、8月21日(陽暦9月27日)まで、203日間の旅。

彼は、旧暦五月の中頃、トコロ(常呂)川上流のプトイチャンナイという土地で、宿泊先でトンコリの演奏を聴く。

Tonkori<その夜、老人は五弦琴(トンコリまたはトンクル)でチカフノホウエ(鳥の鳴声の曲)を弾いてくれる。 これは、春の日に沢山の鳥がさえずるさまをうつしたものでいかにもおもしろく、五弦でよくさまざまな鳥の鳴声を弾きわけられるものだとふしぎな気がした。>
 ― 『静かな大地』 第7章 シャリ・アバシリの惨状 ―

このエカシ(老爺)は、武四郎一行が帰路に立ち寄って、残った米やタバコを贈ると、そのお礼にトンコリをくれると言いだした。
武四郎は、一度は断ったものの、あまりに強く言われたため受け取っている。

この他、『近世蝦夷人物誌』(アイヌ人物誌)にも、樺太東海岸でトンコリを演奏する八十余歳の翁に出会ったことが書かれている。

江戸末期、松前と江戸幕府の支配下で、悪徳商人らの非道な扱いに苦しんでいたアイヌの人々は、トンコリのような伝統楽器を楽しむ余裕も奪われていたのだ。

滅びかけていたこの楽器を、OKI が現代に甦らせたことの意義は、とても大きい。

(トンコリの写真画像はWikipediaのサイトから拝借した)


【参考】 トンコリ奏者 OKI のサイト
CHIKAR STUDIO
http://www.tonkori.com/

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2008年3月17日 (月)

【読】松浦武四郎をめぐって

ネット販売で、こんな本を手に入れた。
このブログにコメントを寄せてくださった、北海道の方に教わって知った本だ。

古本ではあるが、読まれた形跡がなく、新品同様だった。
おまけに、セロハン紙をかけてある。
セロハン紙をはずすのも手間なので、そのままスキャナーで読み取ったら、霞んだ画像になった。

Yokoyama_takeshiro_2横山孝雄 著
 『北の国の誇り高き人びと』
  ― 松浦武四郎とアイヌを読む ―
 かのう書房 1992.5.25
 (人の世界シリーズ 11)

横山孝雄
1937年、中国北京で生まれる。 敗戦後帰国、福島県相馬高校卒。
赤塚不二夫のブレーンとして約25年行動を共にした後フリー。
著書に 『少数民族の旅へ』(新潮社) 『アイヌって知ってる』(汐文社) 『アイヌ語イラスト辞典』(蝸牛社) 『ボクは戦争をみた』(ポプラ社) 漫画「諸葛孔明グラフィティー」(新人物往来社) 『地球汚染・公害読本』 『怖い食品動物工場』(ナショナル出版) 『中国知識百科』(主婦と生活社・共著) 等がある。 ― 本書 著者略歴 ―

『少数民族の旅へ』 は、図書館から借りてきた。

Yokoyama_takao_shosuminzoku横山孝雄 著 『少数民族の旅へ』
 新潮社 1984.8.25

この本の49ページに 「アイヌ・コタン シャモといわれて赤塚不二夫は」 という一文があり、面白そうなエピソードと、若い頃の赤塚不二夫の写真が載っている。
まだ読んでいない。

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2008年3月12日 (水)

【読】読中感想 静かな大地

「読中」なんてことばはないのかな。

Shizukana_daichi_bunko『静かな大地』 花崎皋平 (岩波現代文庫)

この本は、とてもいい。
松浦武四郎という、江戸末期から明治にかけて生きた人物は、なんと魅力的な人だろう。
こいう行動的な人を 「探検家」 というのだろう、と思う。
彼は、樺太へ二度足を運んでいる。
宗谷(現在の稚内)までは、むろん徒歩だ。
(一部、川を舟で遡ったりもしているようだが)

樺太の、当時の地図が載っている。
地名は、どれもアイヌ語地名である。
樺太アイヌは、蝦夷地(北海道)に住んでいたアイヌの人たちとは、微妙に生活ぶりがちがっていたようだ。
オロッコや、タライカ(これは初めて聞いた)といった北方民族、山丹と呼ばれたニブヒ、オロチ族とも交易が盛んだった。
(このあたりの民族名称をよく理解していないので、違っているかもしれない)

とにかく、当時の樺太やエトロフ、クナシリといったあたり、国境なんてものはなく、自由に動きまわっていたのだ。

【参考】
市立函館博物館のサイト内
 トップ > 収蔵情報 > 民族の窓
山丹服
http://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/collection/minzoku/14.html

そういえば、トンコリという伝統楽器も樺太アイヌの楽器だったはずだ。
樺太・・・いちど訪ねてみたい島だ。

TonkoriOKI 「TONKORI」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009OAW2I/

アイヌ音楽とレゲエ~ダブ、エレクトロニカを融合させたミクスチャー・スタイルでおなじみのOKIが原点とも言えるトンコリ(カラフト・アイヌに伝わるアイヌ民族の弦楽器)のみで作ったアルバム。


【2008/3/13追記】
ちょっとした間違いに気づいたので、訂正しておきたい。
1. 宗谷と稚内は、厳密にいえばちがう場所だ。
 樺太に渡るには、当時は宗谷岬から舟を出した。
2. 松浦武四郎が樺太へ行ったときは、陸路を宗谷までたどったようだ。
 その後、別の機会に石狩川を舟で遡行する探索をしている。
 歩いていくにしろ、舟を使うにしろ、今とはちがってたいへんな探検だった。
 その陰には、いつもアイヌの人たちの援助があったのはいうまでもない。

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2008年3月 9日 (日)

【読】静かな大地(花崎皋平)

ようやく読みはじめることができる。

Shizukana_daichi_bunko_2『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』
 花崎皋平 岩波書店(岩波現代文庫 2008.2.15)

花崎皋平 (はなざき・こうへい)
1931年東京生まれ。 東京大学文学部哲学科卒業。
哲学者。
64-71年、北海道大学文学部助教授。
北海道で市民運動にとりくみ、アイヌの人々との接触をとおして先住少数民族問題への思索を深める。
著書 『<共生>への接触』 『ピープルの思想を紡ぐ』 『マルクスにおける科学と哲学』 『生きる場の哲学』 『地域をひらく』 『解放の哲学をめざして』 『アイデンティティと共生の哲学』

どういう人なのか、よく知らないが、名前だけは知っていた。
友人が、この 『静かな大地』 (単行本1988年、その後、岩波同時代ライブラリー1993年) を教えてくれたことがあった。。
また、その後、別の友人が 『晴読雨読日記』 (岸本完司) という本の折り込み冊子として書いた 「素描――思い出となってしまった岸本完司のこと」 という追悼文の中で、花崎皋平に触れている。

Seidoku_udoku_nikki『書評エッセイ集 晴読雨読日記』 岸本完司
 2006.8.6 発行人 岸本暾
 発行所 (株)北のまち新聞社 「あさひかわ新聞」

  1996.3.12~2004.11.30 「あさひかわ新聞」に連載された
  書評エッセイを集成したもの

あさひかわ新聞ONLINE
 http://www.asahikawa-np.com/

1968年か69年、私たちが高校2年生のとき、「北大でマルクス主義哲学を研究する花崎皋平の旭川での講演」 というのがあり、岸本らはこれに参加したという。
私は当時、高校の 「社研」 (社会科学研究会) にも参加していなかったし、このあたりの事情をまったく知らなかった。

それにしても、何か不思議な縁を感じる。
この、岸本完司の本については、ブログで何度もふれ、カテゴリー 「岸本完司」 としてまとめているので、興味をもたれた方はご覧いただけると、うれしい。


花崎皋平氏が松浦武四郎の名前を知ったのは、三一書房の 『日本庶民生活資料集成 第四巻』 だったという。
(『静かな大地』 序章 静かなくに)
以下、花崎氏の記述を引用する。

<(前略) 1969年に出た同書に、松浦武四郎の代表作 『近世蝦夷人物誌』 が収録されていて、内容の一部紹介があったのである。 いまでもはっきりおぼえているが、天塩川の上流に住むエカシテカニという老人と松浦武四郎との交流の話であった(本書169ページ以下)。 私は、なぜかその話につよくひきつけられた。>

<しかし、私が実際にその 『近世蝦夷人物誌』 を手にして読んだのは、1973年7月初めのことである。 そのあいだの三、四年というものは、私の生活に百八十度に近い転換が生じた時期であった。>

<1971年に、私は七年間つとめた北海道大学をやめた。 ちょうど四十歳だった。 やめるきっかけは、当時、全国各地で、学問と政治のあり方について大学側に問題を投げかけ、大学をバリケード封鎖して回答をせまった学生運動への共感から、封鎖解除に導入された機動隊に抵抗して逮捕・起訴された北大学生の裁判の特別弁護人をつとめたことだった。 (後略)>

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【読】日本庶民生活史料集成

図書館から、二冊借りてみた。
さすがに分厚い。
とても読めないが、興味のある内容なので、パラパラ見てみようと思う。

Shomin_shiryou_shusei三一書房
『日本庶民生活史料集成 第二巻』
 探検・紀行・地誌 西国編
 編集委員 宮本常一、原口虎雄、谷川健一
 序文 宮本常一
「日本九峰修行日記」 野田成亮/「江漢西遊日記」 司馬江漢/「西遊雜記」 古川古松軒/他

『日本庶民生活史料集成 第四巻』
 探検・紀行・地誌 北辺編
 編集・序文 高倉新一郎
「エトロフ島漂着記」/「蝦夷日記」 武藤勘蔵/「東韃地方紀行」 間宮林蔵/「蝦夷国風俗人情之沙汰」 最上徳内/「北海随筆」 坂倉源次郎/「寛政蝦夷乱取調日記」 新井田孫三郎/「近世蝦夷人物誌」 松浦武四郎/他


Funado_ezochi_bekken1_3Funado_ezochi_bekken2_2新井田孫三郎の取調日記は、いわゆる 「クナシリ・メナシの反乱」 を鎮圧した松前藩側の記録。
船戸与一 『蝦夷地別件』 に描かれた事件である。
ちなみに、船戸与一のこの小説の巻末にも、花崎皋平 『静かな大地』 が参考資料としてあげられている。


図書館の書棚にずらりと並んでいたこの史料集成 全20巻は圧巻だった。
私の関心分野のオリジナル・テキストがたくさん収録されている資料集だ。
こういう本を、時間を気にせずゆっくり読めるようになるといいな。


【参考】
三一書房

http://www.san-ichi.co.jp/index.shtml


『アイヌ人物誌』 松浦武四郎 (更科源蔵・吉田豊 訳) 平凡社
『静かな大地』 花崎皋平 岩波書店
『菅江真澄遊覧記』 菅江真澄 (内田武志・宮本常一 編訳) 平凡社
『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔 講談社

Matsuura_aynuShizukana_daichi_bunkoSugae_masumi_yuuran1_2Ishikawa_senkouin_2











『日本庶民生活史料集成 第二巻』 の宮本常一の序文で、泉光院野田成亮の旅の記録 『日本九峰修行日記』 が、次のように紹介されている。
少し長いが、引用しておこう。

<(前略) この書によってわれわれは幕末期の修験道の実情を知ることができるばかりでなく、泉光院のあるいた道をたどって、ある異様の感にうたれる。 泉光院はほとんど街道筋をあるいていない。 いまは草に埋もれて失われてしまったようなところをさえあるいている。 街道筋以外の風物を数多く伝えようとしているものとして東北をあるいた菅江真澄に匹敵するものであろう。>

<中国筋では紀行文のあまりのこっていない山陰の村々をあるき、飛騨から信濃へは野麦峠をこえている。 この人には山野をあるくことは少しも苦ではなかったようであり、人煙まれな山野をあるいても道にまよったらしい記事すらほとんどないのはどうしたことであろうか。 細道ばかりをあるきつづけて簡潔な文章の中に地方風土のさまをよく伝えている。 その中で私をおどろかせたのは美作山中の百姓たちが、しきりに孝経・大学・孟子などの講釈をもとめていることである。 足を出したりタバコをすったり、浄瑠璃聞きの如くであったという。 そしてそれは前後もわかたぬ野人なのである。 この一事からも察せられるように問題意識をもって読めば実に興味ふかいものがあり、同一時代の僻地と都会地の生活文化対比すら可能になって来る。>

  ― 『日本庶民生活史料集成 第二巻』 序 (宮本常一) ―

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2008年3月 1日 (土)

【読】うれしい復刊 『静かな大地』

数日前、書店でこんな本をみつけた。
長いこと、文庫サイズでは入手がむずかしかった本の復刊である。

Shizukana_daichi_bunko_2花崎皋平 (はなざき・こうへい)
 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』
 岩波現代文庫 (社会163) 2008/2/15
 1200円(税別)

岩波同時代ライブラリーという文庫サイズのシリーズで出ていたものだが、品切れとなっていて、私も図書館から借りて、すこしだけ読んだことがある。
その後、単行本で手に入れたものの、手許にあるといつでも読めると思ってしまい、そのままになっていた。

今回の文庫化で、池澤夏樹さんの解説がついた。
池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 の題名は、この花崎さんの本から借用したものである。
その事情も、池澤さんの解説に書いてある。

松浦武四郎には、ずっと関心があった。
北海道の中央山地、大雪山系に、松浦岳という山がある(緑岳の別名)。
松浦武四郎は、北海道が蝦夷地と呼ばれていた江戸時代に、蝦夷地をくまなく歩いた探険家で、アイヌ民族に深い理解を示した人物だ。

今読んでいる、泉光院(この人も江戸時代の修験道者だ)の日記を扱った本を読み終えたら、花崎さんのこの本を読んでみたいと思う。

(左) 花崎皋平 著 『静かな大地』 岩波書店 1988年
(右) 池澤夏樹 著 『静かな大地』 朝日文庫 2007年
  この小説は、とてもいい。 私は何度かくりかえし読んで、このブログにも書いた。

Shizukana_daichi_2Ikezawa_shizukana_daichi_bunko_2

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2008年2月 5日 (火)

【雑】カテゴリー追加(萱野茂)

アクセスログを見ていたら、「萱野茂」というキーワードで検索されていることを知った。
自分のブログ内で検索してみたら(このブログにはいろいろ便利な機能がある)、9件の記事に「萱野茂」ということばがみつかった。
そこで、サブ・カテゴリーに「萱野茂」を追加。

萱野茂さんは、生前お目にかかることはかなわなかったが、私がひそかに敬愛していた方だ。
一昨年の5月、惜しくもご病気で亡くなられた。
二風谷(北海道)にある、アイヌ資料館にもいつか行ってみようと思いながら、果たせないままだ。

萱野さんが残された貴重な著作を、これからも読み続けたい。


このブログにはあまり書いていないが、私の別サイトで萱野茂さんについてとりあげている。
関心のある方はご覧いただけるとさいわい。

「晴れときどき曇りのち温泉」 > 資料蔵(アイヌ資料)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html


Kayano_ainugo_3Kayano1_2Kayano2_2Kayano_hanaya_3      

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2007年12月23日 (日)

【読】庶民日本史辞典

今日、たちよった書店でみつけたもう一冊の本。
この書店は、JR立川駅北口のビルの中にある。

 オリオン書房 http://www.orionshobo.com/

駅ビルにも支店(ルミネ店、こちらの方が古い)があり、立川市に住んでいた時はよく利用していたが、駅から徒歩2、3分のところにある、この「ノルテ店」は、1フロアーながらも売場面積は広く、品揃えも充実している。
民俗関係のコーナーをよく見るのだが、欲しい本がたくさん並んでいる。
(アイヌ関係や、民俗学関係の本だが)

Yagiri_syomin_jiten_2八切止夫 『庶民日本史辞典』 作品社
 2004.12.25 第一刷発行

A5版、箱入り、魅力的な装幀。
八切止夫という人に関心があったので、手にとって、箱から出して開いてみると、目次にはこんな見出しが並んでいた。
ア行 アイヌモシリ アイヌウタリ アクリ 天ノ原 ・・・ 阿呆 哀号奈良 アテルイ蜂起 ・・・

これはもう、買わずにはいられない。
他の書店ではこれまで見かけたことがなかった(見逃していたのかもしれないが)。
この手の本は、見つけたときが買い時なのだ。
ちょっと値が張ったけれど(税別3800円)、いい本に出会った。
本日の収穫。

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2007年9月11日 (火)

【読】アイヌ神謡集

昨日、思いがけず、このブログに寄せられたコメントへの応答で、知里幸惠の 『アイヌ神謡集』 について長々と書いてしまった。

Ainu_shinyou 『アイヌ神謡集』 知里幸惠 編訳
 岩波文庫 赤80-1
 1978年8月16日 初版  ※ 以下、「幸惠」を「幸恵」と表記する
私が持っているのは、2004年2月5日の第35刷である。
岩波文庫の分類では「赤」は外国文学。
アイヌ語は外国語なのか?
たしかに、左ページに(幸恵さんによる)アイヌ語のローマ字表記、右ページに幸恵さんの日本語訳、という構成は外国文学の翻訳のようではあるが。

この本については、別のウェブサイト 「晴れときどき曇り」 に、書きたいことを書きつくした気がする。
 「資料蔵」 ― 「アイヌ資料編」
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

ひさしぶりにこの本を開いてみて思ったのは、ローマ字表記のアイヌ語を 「読む」 のが、かなりたいへんだということ。
どうにしかして耳で聞いてみたいと、誰しも思うのではないだろうか。

これもウェブサイトに書いたことだが、とてもいいCDが出ているのだ。
『アイヌ神謡集 をうたう』 中本ムツ子
 草風館 (2003/07)  3枚組、3150円(税込)
このようにアイヌの「神謡」は謡いつがれてきたのか、ということがよくわかる。
なによりもメロディー(節)にのせて謡われるカムイユカラが魅力的だ。
このCDでは、知里幸恵さんのアイヌ語表記で省力されている(と思われる)、「サケヘ」(リフレイン)を付けて謡われている。
「サケヘ」 が、ちょうど「あいのて」のようにリズミカルな効果をもたらすのだ。

たとえば、有名な 『梟の神の自ら歌った謡 「銀の滴降る降るまわりに」』 は、下のように謡われている。
改行は、知里幸恵 『アイヌ神謡集』 のテキストのまま。
丸括弧内に補ったのが、幸恵さんが表記を省略したと思われる「サケヘ」(リフレイン)。

Kamuichikap kamui yaieyukara,
 "Shirokanipe ranran pishkan"

"Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
ranran pishkan." arian repko (pishkan) chiki kane (pishkan)
petesoro (pishkan) sapash aine (pishkan), ainukotan (pishkan) enkashike (pishkan) ・・・

『アイヌ神謡集』 のローマ字テキストを注意ぶかく読むとわかるが、ほんらい「サケヘ」が入るべき部分は、やや幅広く空白がとられている。 その部分に「サケヘ」を入れると、上のようになるはずだ。
私が思うに、幸恵さんにとって 「サケヘ」 が入ることはあたりまえすぎたので、あえて書かなかったのではないだろうか。

【知里幸恵 日本語訳】
「銀の滴降る降るまわりに, 金の滴
降る降るまわりに.」 という歌を私は歌いながら
流れに沿って下り, 人間の村の上を ・・・

幸恵さんの日本語訳もみごとに詩的ではあるが、やはり、アイヌ語ほんらいの響きやリズムを体験したいという向きに、このCDをおすすめしたい。

いい画像がないので(スキャニングすればいいのだが、今夜はその時間がない)、私のウェブサイトに載せている画像をここに掲載しておこう。
このCDの内容に対応する形の解説本も出ている。
著者の片山氏は、上のCDの「謡い」を復元した人で、アイヌ語に関する著作もある。
『アイヌ神謡集 を読みとく』 片山龍峯 著 草風館 2003年 2800円(税別)

 草風館 http://www.sofukan.co.jp/index.html

Ainu_shinyou_utauAinu_shinyou_yomitoku【2007.9.12追記】
(画像をすべてきれいなものに差し替えた)
このCDには、イントロ及びエンディング曲として、浜田隆史氏(ギター)、黒川和弘氏(バス)、黒川かほる氏(フィドル)の三人の演奏による 「シーベグ・シーモア」という曲が使われている。 素朴な味の、いい演奏だ。
浜田隆史氏は、『アイヌ神謡集 をよみとく』 の編集にも深くかかわられた方である。
浜田隆史/オタルナイ・レコード
http://www.geocities.jp/otarunay/index.html

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2007年8月30日 (木)

【読】イザベラ・バードと義経神社

赤坂憲雄 『東北ルネサンス』 を、ようやく読み終えた。
最後の、山折哲雄さんとの対談のなかで、赤坂さんがイザベラ・バードの 『日本奥地紀行』 に触れ、バードが日高の義経神社を訪れたときのことが紹介されている。

Isabella_birdイザベラ・バード 『日本奥地紀行』
 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー 2000.2.15発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763294/

バードは、通訳の青年(伊藤)とともに、アイヌの人たちに案内されて義経神社に行った。
彼女はこころやさしい人ではあったが、すこし意地悪な感想を書いている。

<義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊をいつまでも絶やさず守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた。>
<彼らは、私にも、彼らの神を拝むように、と言ったが私は、天地の神、死者と生者の神である私自身の神だけしか拝むことはできない、と言って断った。 彼らは礼儀正しいから、その要求を無理に強いなかった。 伊藤はどうかといえば、彼にはすでに多くの神々がいるから、今さら一人神様を増したところで何ということもないから、彼は拝んだ。 すなわち征服民族である自分の民族の偉大な英雄の前で喜んで頭を下げたのであった。>
(『日本奥地紀行』 平凡社ライブラリーから)

イザベラ・バードも、やはり、一神教(キリスト教)を信じる西洋人の一人だった。
彼らには、山川草木あらゆるものに神を感じる、多神教的な日本人、アイヌ人のこころが、とうてい理解できないのだろう。

赤坂 <バードという人は、この時代のイギリス人としては、たぶん例外的なほどに人種的な偏見が少ない人だったと思います。 けれども、牧師の娘でもありましたし、異邦人の神に対して手を合わせるなんていうことは絶対できないと拒むわけです。>

赤坂 <そこに非常に鮮明にあらわれているのは、ヨーロッパ的な唯一絶対神に対する信仰を持った人たちの神の概念と、日本的あるいはアジア的な、たとえば夕日のなかにも神を見てしまう・・・多神教的な風土とが衝突している姿だと思うんです。>

赤坂 <バードは繰り返し言っています。 「日本人の信仰にしろ、アイヌの信仰にしろ、これは宗教ではない。 ここには教会もなければ、教義もなければ、伝道の仕組みもない」。 一神教を背景にしたバードは、これは宗教ではないと言うんですね。>

『東北ルネサンス』 は、なかなかおもしろく、刺激的だったが、うまく要約できなくて、いつものように引用だらけになってしまった・・・。
とりあえず、おしまいにしよう。 夜も更けたことだし。
Akasaka_touhoku_renaissancehttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094081968

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2007年8月27日 (月)

【読】東北ルネサンス

この本が予想以上におもしろい。
Akasaka_touhoku_renaissance『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
 小学館文庫 あ8-1 2007.8.12 600円(税別)
巻頭の五木寛之との対談もおもしろかったが、続く、中沢新一との対談も興味ぶかい内容。
東北の縄文文化(蝦夷=えみしの文化)が、アイヌ民族や、さらにはアラスカの(エスキモー、イヌイットと呼ばれる)先住民、(インディアンと呼ばれる)ネイティヴ・アメリカンともつながっている、という指摘が刺激的だ。
宮澤賢治の童話の世界に垣間見える縄文人の世界にも言及している。
これを読んでいて、ふと思いを馳せたのは、写真家の星野道夫さんが探ろうとしていたアメリカ大陸先住民のルーツである。

中沢 <アメリカ先住民たちが氷結したベーリング海を越えてアメリカ大陸に入っていったのは一万二千年から三千年前です。>
赤坂 <どのあたりが源流になるんですか。>
中沢 <バイカル湖の東方周辺あたりから少し北へ行った人々ですね。 二つに分かれていると思うんです。 一方は黒龍江省の方へ下ってきている人たちがいますね。 もう一方の人たちは、これは物凄く寒いところに適応することに成功した人たちで、(略) これがいまのシベリアのベーリング海峡の近くまで接近していきました。>

赤坂 <千年前に古代の東北の蝦夷たちはヤマトにそういう形で抵抗して敗れた。 それから、百年、二百年前に北海道のアイヌの人たちがやはり国家というものをつくらない部族社会の段階で、強大なヤマトの国家と遭遇して敗北する。 その敗北というのは、ある種の必然かもしれないけれども、思想的にはどちらが優れていたのかはわからないと僕も思いますね。>
中沢 <思想といってしまうと、思想なんか何になるという言い方がありますけれども、ただ人間のディグニティー(尊厳)ということを考えると、東北の縄文の人たち、あるいは平安時代の蝦夷の人たちが選びとった道というのは、人間の尊厳を守ろうとする立派な考え方だったと思います。>

中沢新一には、『森のバロック』 という南方熊楠をテーマにした著作がある。
気になっていた本だ。 こんど、読んでみようと思う。
Nzkazawa_mori_no_baroque_4『森のバロック』 中沢新一
 講談社学術文庫 -1791-  2006.11発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597914

『チベットのモーツァルト』 (せりか書房)を、だいぶん前に古本屋で手に入れていたが、まだ読んでいない。 おもしろいのかもしれない、と思う。 (講談社学術文庫でもでている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595911

『東北ルネサンス』の中で、中沢氏がこんなことを言っている。
<たとえばチベットなんかですごい荘厳な儀式をやったりしているでしょう。 あれが昔から何かたいへんな根拠をもって行なわれているかのように思うかもしれませんけれども、違うんですよ。 ある時代にやっぱりアイデアマンが出て、この儀式をこういうふうにしたらもっとおもしろいとか・・・>

携帯ストラップのマスコットや、武士の刀の「根付」が、縄文時代の土偶に通じる、という思いがけない指摘にも驚いたのだった。

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2007年8月14日 (火)

【読】なつやすみのにっき (4)

きょうは、かぞくのかいものにつきあって、たちかわのはんかがいへ。
ひさしぶりに、おおきなしんかんしょてんをのぞいて、なんさつかしゅうかくがありました。

さいきんこっている、すがえますみかんけいと、あいぬかんけいの、きょうみぶかいほんをみつけました。
たまには、しんかんしょてんをのぞいてみるものだ、とおもいました。
よていがいのしゅっぴでしたが、ほんにはおかねをかけてもいいとつねづねおもっているので、これでいいのです。

Ainu_minzoku_no_rekishi_2Chiri_yukie_sonomawari『アイヌ民族の歴史』 榎森進
 草風館 2007.7.1
 600ページを超える分厚い本
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224385
『異郷の死 知里幸恵、そのまわり』
 西 成彦/崎山政毅 編
 人文書院 2007.7.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
津島佑子のエッセイ 「越境の女性作家として」が載っている




Miyamoto_tsuneichi_henkyouEdo_no_tabinikkiShibaryou_kaidou29『辺境を歩いた人々』
 宮本常
 河出書房新社 2005.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907



『江戸の旅日記』

 ヘルベルト・プルチョワ
 集英社新書 2005.8.22
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
『街道をゆく 29』
 司馬遼太郎 朝日文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
「菅江真澄のこと」という10ページほどの短い文章で、菅江真澄にふれている

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2007年8月 4日 (土)

【読】小説・菅江真澄(続)

フィクションではあるが、ほとんど史実をベースにしていて、興味ぶかかった。
以下、個人的な覚え書きとして残しておこう(後になると忘れてしまうから)。

Sugae_masumi_novel中津文彦  『天明の密偵 小説・菅江真澄』 (文藝春秋)
菅江真澄(1754?~1829/宝暦4?~文政12) が、まだ白井秀雄という本名で旅をしていた前半生の話。
題名からうかがわれるように、白井秀雄が蝦夷地を目指したのは、政治的な密命を受けてのことだったのではないか、という作者の推理がベースになっている。
天明の密偵(中津文彦) ―文藝春秋のサイト―
http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/23/26/9784163232607.shtml

船戸与一 『蝦夷地別件』 と重なって(まさに同時代)、なじみのある名前がいくつも出てきた。
Funado_ezochi_bekken1Funado_ezochi_bekken2白井秀雄(のちの菅江真澄)が松前に渡ったのは、天明8年(1788)の7月半ば。 翌年の寛政元年(天明9年改元、1789)、江差の南にある上ノ国の川岸で、モロラン(室蘭)の番所から松前へ「夷人」の反乱を告げに走る松前藩の侍から、「クナシリ・メナシ」のアイヌ蜂起を聞いた ――と、この小説では描かれている。
『蝦夷地別件』に描かれた事件であり、反乱に関わりのあったアイヌ長老(乙名=オトナ)の名前も出ている。 実在の人物なのだろう。
クナシリのツキノエ、サンキチ、セツハヤフ(蜂起のリーダー)、イコトイらだ。
『蝦夷地別件』 の登場人物一覧では、次のようになっている。
ツキノエ・・・国後の脇長人(ワキオトナ)
サンキチ・・・国後の惣長人(ソウオトナ)
セツハヤフ・・・国後の長人(オトナ)、ツキノエの息子
イコトイ・・・厚岸の惣長人(ソウオトナ)、ツキノエの甥
このイコトイだけが、『小説・菅江真澄』では、ツキノエの息子、セツハヤフの兄弟となっているところがちがっているが、あとは同じ。
リーダーのセツハヤフはじめ37人はノッカマップ(根室)で処刑され、蜂起に参加せず鎮圧する側にまわったイコトイが、鎮圧後、松前で藩主の松前道弘に謁見し、褒美をもらう。 これは史実。

Yamakawa_libretto50その折、蠣崎波響(広年=松前道弘の異母弟)によって描かれた「蝦酋列像」の中の一枚が左。 描かれているのはイコトイである。
わたしはこの絵を見ると気分が悪くなる。
三白眼というのか、アイヌをこういう目つきの異形に描いた画家の悪意を感じるのだ。
それはさておき、この絵のイコトイが着ているのが、「蝦夷錦」と呼ばれた豪華な衣装。
アイヌ語では、サンタンチミップと呼ばれていたという(『蝦夷地別件』による)。
アイヌの人々が「山丹交易」で入手したものが和人の手に渡ったもので、元々は清朝の礼服だともいわれている。
『小説・菅江真澄』では、この衣装は、蠣崎広年が松前藩の宝物庫に納められていたものを貸し与えた、ということになっているが、『蝦夷地別件』では、イコトイも所有していたように描かれていた。
このあたりは、どこまでが史実かわからない。 船戸与一の創作かもしれない。

Minpaku_ezonishiki_2このサンタンチミップの実物は、大阪の国立民族学博物館で見たことがある。 左は、私が撮影したその写真。
民博の館内では、一部例外はあったが写真撮影を許されていた。(2001.5.4 撮影)
国立民族学博物館 (大阪府吹田市千里万博公園10-1)
http://www.minpaku.ac.jp/

Japan_chronik755_2白井秀雄は、蝦夷地でこの事件に遭遇した後、不自然な形で松前から逃げるように下北半島に戻る。
菅江真澄を名乗るようになったのは、48歳で津軽を離れ、出羽から秋田(久保田)に落ち着いた五十代なかばを過ぎた頃らしい。
それまでに書きためていた日記類や画帳を整理して、膨大な旅日記を残している。
頭巾をかぶった晩年の風雅な相貌からは想像できない、波瀾にみちた半生だったことが、この小説を読んでみてよくわかった。

(左:講談社『日本全史』 P.755 1785/天明5年の項から)



次に読んでみようと思っているのが、この本。
Sugae_masumi_michinoku_2 『菅江真澄 みちのく漂流』
簾内敬司(すのうち・けいじ) 著
岩波書店 2001年
こちらは小説ではなく、少し硬そうな内容だ。   

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2007年8月 2日 (木)

【読】小説・菅江真澄

Sugae_masumi_novelこれが、じつに面白い。
中津文彦 『天明の密偵 小説・菅江真澄』 (文藝春秋 2004年)
半分ほど読んだが、はたと膝を打つことが多いのだ。
実在の人物・菅江真澄をモデルにしたフィクションではあるが、当時の時代背景がていねいに描かれている。
老中 田沼意次が専横をきわめた時代、浅間山の大噴火(天明3年・1783)、天明の大飢饉(天明3~8年)、青嶋俊蔵、最上徳内らによる蝦夷地探索、・・・そうか、菅江真澄が生きたのはそういう時代だったのか。
蝦夷地の「お試し交易(試み交易)」といえば、1789年(寛政元年)には「クナシリ・メナシ」の反乱が起きている。
弾左衛門も登場する。 夷人(アイヌ)のイコトイも出てくる。
『蝦夷地別件』(船戸与一)や『浅草弾左衛門』(塩見鮮一郎)の時代と、ぴったり符号するのだ。
これまで関心をよせてきたいろいろなものが、この小説でいっきに繋がり、200年以上前の江戸時代のダイナミックなうねりが、目の前にひろがってくる。

― 作者あとがきから抜粋 ―
菅江真澄の名は、江戸後期の民俗学者としてつとに有名である。 生涯を旅にすごし、各地の風俗、民俗などを日記体で詳細に書き残した。・・・
真澄は、三十歳ぐらいのときに郷里を後にして生涯の旅に出るのだが、プライベートなことは何一つ明かさずに旅を続けており、日記にも綴っていない。・・・
この旅に出た目的を「日本中の古い神社を拝んで回りたいと思ったからだ」と真澄は述べている。 だが、どうやら蝦夷地(北海道)に渡ろうと決意していたふしが窺われる。 旅に出た当時は、折悪しく天明の大飢饉の最中だったし、信濃路を辿っていたときには浅間山の大爆発が起きたりした。 このため、ひどく困難な旅を強いられたのだが、それでも蝦夷地に渡る決意に揺るぎは見られない。・・・
当時の蝦夷地に、何かあったのだろうか。 そう思って調べてみると、意外な史実が浮かび上がってきた。 田沼意次が老中として絶大な権勢を誇っていた時代で、蝦夷地に巨大な陰謀を巡らしていたことがわかったのだ。 このことは、次の松平定信による政権下で抹殺され、歴史書にも登場しない。・・・

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2007年7月16日 (月)

【読】「静かな大地」文庫化

池澤夏樹の小説 『静かな大地』 が文庫化された。
http://book.asahi.com/paperback/TKY200707030420.html

070715_asahishinbun2007.7.15(日) 朝日新聞朝刊記事
<池澤夏樹さんの小説『静かな大地』の朝日文庫版が刊行され、5日、東京・丸の内で、著者による朗読と作家梨木香歩さんとの対談があった。 (略) 『静かな大地』は、明治初期、北海道に入植した兄弟の繁栄と没落と、アイヌの人々とのかかわりを描いた長編。 池澤さんの先祖の実話と史実を取り入れながら、壮大な歴史が語られる。>

私の別サイトでも詳しくとりあげた小説。
よろしければ、下のサイトもご覧ください。
 晴れときどき曇りのち温泉 「この一冊」
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_ikezawa_daichi.html

書店でごらんになることを、おすすめしたい。
蛇足だが、朝日文庫のカバーデザインは、単行本(朝日新聞社刊 2003年)と同じである。
Daichi_bunko『静かな大地』 池澤夏樹 著
2007年6月30日 第1刷発行
朝日文庫 い38-5 定価1000円+税
解説 高橋源一郎
650ページを超す長編
初出 朝日新聞連載
単行本 2003年9月 朝日新聞社から刊行
単行本で二度読んだが、この文庫でもう一度読んでみたいと思う。
単行本にはなかった「年譜」(物語とその時代の)が巻末に付いており、この物語のモデルになった池澤夏樹の先祖について触れているのが興味ぶかい。

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2007年7月12日 (木)

【読】別冊太陽

ネット検索していたら、こんなものをみつけた。
Taiyou_miyamotoトーハン(大手取次店)のサイトで、なにげなく「宮本常一」と打って検索してみたら出てきたのだ。
オンライン書店 e-hon 本 CD DVD
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/EB/Top

別冊太陽 日本のこころ 148
宮本常一 「忘れられた日本人」を訪ねて

平凡社 2007年7月出版

出たばかりだから、勤務先の近くの駅ビルに入っている、あまり大きくない本屋にもあるだろう、そう思って、帰りがけによってみたら、あった。
本は見つけた時に買わないと、注文だなんだと面倒なので、ほしいと思ったらすぐ買うことにしている。
もちろん、懐ぐあいと相談のうえで。
『別冊太陽』 には、時として私の趣味嗜好にぴったりのものが出るので、油断できない。
そうか。 宮本常一生誕100年ということで、ちょっとしたブームなんだな、きっと。

Taiyou_ainu_1左は、私のサイトでも取りあげたもの。
別冊太陽 先住民 アイヌ民族
2004年11月
→ 晴れときどき曇りのち温泉 資料蔵(アイヌ資料編)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

Taiyou_tankenほかにも、手元にこんなのがあった。
別冊太陽 日本の探検家たち
 未来を目指した人々の探検史
2003年10月
写真や図表をながめるだけでも楽しい。

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2007年7月 8日 (日)

【雑】新聞記事

朝日新聞の今日(8/18)の朝刊に、興味ぶかい特集記事が二つ。

教育面(29面) がっこう探検隊
アイヌ文化を実体験
 自然・命の大切さ学ぶ 北海道千歳市立末広小学校

Asahi_070708_ainubunka
北海道千歳市にある私立末広小学校で実施されている、「アイヌ文化学習」が紹介されている。
全学年、一年間を通じて月一回ほどのペース。
一、二年生は生活科、三年生以上は「総合的な学習の時間」。
その内容は、一年生が遊びや歌、二年生は遊び道具作り、四年生は収穫したイナキビなどを使ったアイヌ料理作り、五年生はイナウ削り、六年生はアイヌ民族の人権や歴史の学習、ムックリの製作・・・と、徹底している。
ちょっと驚いたのは、教室の中にチセ(アイヌ民族の伝統的家屋)が、きちんと作られていることだ。 (下に紹介した末広小学校のサイトに詳細な写真が載っている)

この子たちが大きくなったら、アイヌ民族についての一般の理解も、だいぶん変わるだろうなと思う。 こういう学校が増えるといいな。
→ 千歳市立末広小学校のサイト
 http://www.city.chitose.hokkaido.jp/ed/suehiro/

もう一つの特集記事は、35面 「写真が語る戦争 軍国の子どもたち」 というもの。
大阪陸軍幼年学校44期生(1940年・昭和15年入校)を紹介したものだ。
セピア色の、当時の写真がたくさん載っている。
こういった「歴史の掘り起こし」は、たいせつなことだと思う。
Asahi_070708_gunkoku2Asahi_070708_gunkoku1 

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2007年6月 9日 (土)

【読】地図、今昔(続)

Chizu_imamukashi_1今尾恵介 『地図で今昔』 (けやき出版 1999年)から、もうすこし紹介。
地名のいわれは、漢字の字面だけでは判断できないものだ。
その例は、さきごろ読んだ今尾さんの 『日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』 にたくさんあげられていた。

今読んでいる 『地図で今昔』 にも面白い話が載っている。
「帝国陸海軍」のその後
   陸軍成増飛行場→グラントハイツ→光が丘 ――東京都練馬区 (P.95-99)
Narimasu_map1942年(昭和17年)に東京が空襲を受けて、それに慌てた陸軍が急遽、板橋区(現練馬区)高松町内に急造したのが、陸軍の成増飛行場。
敗戦後、米軍に接収され、グラントハイツと名前を変えた。
「グラン」(グランと濁らない)は、米国の第18代グラント大統領の名を冠したもので、米軍士官とその家族用の住宅地だった。 敷地内には、郵便局から劇場、プールやゴルフ練習場まで何でも揃っていたという。
このグラントハイツを建設する際、近くを通る東武東上線の上板橋駅から引込線が建設された。 池袋・グラントハイツ間をノンストップの進駐軍専用列車を走らせるための専用線だった。
その専用線の名前が 「啓志線」(けいしせん)。 「啓志」とは耳慣れない言葉だが、これがなんと、グラントハイツ建設の総責任者だったケーシー中尉の名を冠したものだというのだ。
今尾さんは次のように書いている。
<グラントハイツがカタカナなのにケーシー線が「啓志」となったいきさつは調べていないが、東武か政府かどこかの日本人担当者が 「中尉殿、啓志という文字を当ててみましたが、いかがでしょう。この漢字がどういう意味かといえば……」 などとスマイルを浮かべつつ若い中尉ドノに接していたのだったりして。 あくまでも想像だが。>

もうひとつ、この本から新旧地図を転載したい。
変貌する街・むら
 湿原と原始河川は碁盤目の水田へ ――北海道雨竜郡 (P.140-145)
Uryuu_map北海道生まれのわたしには馴染みのふかい、北海道の雨竜川流域の地図だ。
見開き右側ページが、昭和7年(1932)の「妹背牛」5万分の1図。
左側、平成2年(1990)の同じ範囲の地図。
「妹背牛」は「もせうし」と読む。 アイヌ語起源の地名だ。
昭和初期の段階で、碁盤目状の道路が整然とつくられていたことに驚く。
屯田兵が湿原・原野を切り開いてここまでにしたことを思うと、ため息がでる。
雨竜川が蛇行しているのが目につくが、左側の地図では、その蛇行がなくなっている。 次々と人間の手がはいっているのだ。
このあたり、開拓される前はどんな姿だったのだろうと、静かな大地だった頃の北海道に思いを馳せてみる。

今尾さんの文章を引用する。
<ここに限らず、明治のはじめまでは石狩平野全域が広大な湿原・原野または平地林だったのである。 そこに最初は屯田兵が入り、その後は一般入植者が厳しい自然条件の中で耕地を拡大させてきたというのが北海道の近代史である。 もちろん、この進行に伴って先住民の住むところがどんどん狭められ、合わせて強引な日本人化が進められたのはいうまでもない。> (P.141)

『北海道の地名 アイヌ語地名の研究 別巻』 山田秀三 (草風館) から ―
妹背牛(もせうし) 当初は望畝有志の字を使っていたという。 モセ・ウ(mose-ush)には「いらくさ・群生する」という意と、、「草刈りを・いつもする」という意があり、伝承でもないとどっちだったのか分からない。
雨竜(うりゅう) 雨竜は元来雨竜川の名から出た名であるが、その川筋を中心とする広大な地域名としても使われて来た。雨竜川は石狩川第2の支流で、北海道の中心部を北から南に160キロの長さを流れている長流であるが、アイヌ時代はその中上流部は殆ど無人の境であったという。/この種の大地名は語義が忘れられているものが多い。松浦武四郎はその郡名建議書の中で「ウリウ。是は大古神が号け玉ひしと云伝へ、訳書相分り申さず候」と書いたのは恐らくアイヌ古老の言をそのまま記したものであろう。/永田地名解は「原名ウリロペッ(urir-o-pet)鵜の川。此川口鵜多きを以て名く」と書いた。(後略)

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2006年12月30日 (土)

【雑】「北の零年」を観る

ビデオ録画してあったものを最後まで観たので、書いておこう。
「北の零年」 東映 2005年
 (テレビ朝日放映 2006.12.24)
http://www.kitano-zeronen.jp/index.html

それほどひどい映画とも思わなかったが、もったいないことをしたな、というのが感想。
何がもったいないか。

せっかく、吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、といった俳優を揃えながら、皆、嘘っぽい。
あんなに綺麗な着物を着て、まるでいつも化粧しているようなきれいな(汚れのない)顔の奥方が、開拓生活をしていたとは思えない。

渡辺謙の役柄が、どうにも嘘だ。
いや、ああいう男がいたかもしれないが、その苦悩が伝わってこない。
なにしろ、いっしょに移民した仲間を裏切り、妻子まで裏切った男である。
ごくふつうに考えて、とんでもない冷酷な男だ。
いわば、自分ひとりの身をたすける見返りに、大切なものをすべて捨てる決意をしたのだ。
冷酷になるにも、そうとうな苦悩があったはず。 それが伝わってこない。

豊川悦司が扮するアイヌ青年(じつは、逃亡中の会津藩士)も、いかにもそんな人物がいたかもしれないという気にさせるが、リアリティがない。
彼と行動をともにするアイヌの老人も、嘘っぽい。
豊川扮するアシリカ(アイヌ名)との会話が和人の言葉なのはいいとしても、アイヌ語をひとことも発しない。
イナゴ(アイヌ語でバッタキ)の大群に襲われるシーンで、「バッタキ」という言葉が発せられたが、とってつけたような感じ。

謎の外国人(この映画のサイトの解説によると、アメリカ人エドウィン・ダンだというが)についても、突然あらわれて主人公(吉永小百合扮する志乃)を助けたあと、顔を出さない。 説明のいらないほど有名な人物か? 観る人が、ああ、あの人だとわかるのか?(クラーク博士ならまだしも)

史実を踏まえているストーリーではあるが、結局、何が描きたかったのか。
脚本がいいかげんだ。
あれだけのロケをしたら、多額の制作費がかかっただろうな。
その金も無駄にしたと思う。 もったいない。

淡路島の旧稲田藩が静内に移民し、苦労して開拓をすすめたのは史実。
イナゴの大群が田畑を荒らしたことも史実だ。
先住民のアイヌの人たちとの敵対、友好もあったはず。
和人の視点から描くのもけっこう。
それならそれで、しっかりした視点が必要だったろう。
史実をベースにしているということに甘えていないか?
(それでいて、いざとなると「これはフィクションです」と逃げるのか?)

池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 と同じ時代、同じ場所、同じ境遇の人々を扱った映画だけに、もったいなかったと思う。
北海道人にとって、たいせつなことなんだから、ちゃんと描いてよ。
アイヌの人たちのことを避けて通らずに。

出来そこないの時代劇のような内容は、なんとも中途半端で後味が悪い。
吉永小百合がいっしょうけんめい演じていただけに(その、いっしょうけんめいさも嘘っぽかったが)、もったいない、もったいない・・・と思ったのだった。

つまるところ、「ひどい映画」だったということか。
さいごに、とどめ。
「零」を「ゼロ」というのはおかしい。
明治人が「我々はゼロから出発した」なんて言うか?
「零式艦上戦闘機(零戦)」だって、英語では「ゼロファイター」だが、日本語名は「れいせん」だったんじゃないか?

― 「北の零年」 あらすじ (Wikipediaから) ―
明治4年(1871年)、小松原志乃は稲田家の家臣一同とともに、先遣隊として静内にいる夫・英明のもとへと向かった。静内の地を開墾すれば稲田家の領地となるという政府の言葉を信じ、一同はみな希望に満ちていた。厳しい冬に苦しむ一同に救いの手をさしのべたのは、アイヌのモノクテとアシリカだった。最初の冬を越え、ようやく稲田家当主(殿)が到着するが、廃藩置県によって移住命令が反故になったことだけを告げ、そのまま帰国してしまう。置き去りにされた一同は、それでも英明の檄のもと開拓に夢を託すが、作物はなかなか根付かない。状況を打開するため札幌へと向かった英明は消息を絶ってしまい、残された一同にも過酷な運命が待ち受けていた。

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2006年12月17日 (日)

【読】きょうの収穫

大型古書店 「ブックセンターいとう」 で入手。 売価800円(定価1900円・税抜き)。
Ainu_gunzou『アイヌ群像・民族の誇りに生きる』
 1995.1.25 御茶の水書房
1992年1月から94年8月まで、毎日新聞北海道版に連載された 「エテケカンパ」(手と手を結ぶ) で紹介された、26人のアイヌ群像。
以下、目次からこの本に登場する人々。

民族自立への道を探る (秋辺徳平さん)
畏敬される真のエカシ (山本多助さん)
アイヌの心作品に (床ヌプリさん)
織りの伝承者 (杉村京子さん)
「アイヌ新法」意義を唱える (門別薫さん)
先祖を大事にする人 (川村兼一さん)
アイヌ文様刺繍家 (チカップ美恵子さん)
屈服せぬ民族の血 (小川隆吉さん)
屈辱をバネに炎のアイヌ魂 (山本一昭さん)
父の遺志を受け継いで (貝沢耕一さん)
石狩アイヌの誇り (豊川重雄さん)
民族の課題を背負って (石井由治さん)
揺るがぬ信念 (笹村二朗さん)
ユーカラと語り部 (白沢ナベさん、中本ムツ子さん)
大学の教壇に立つ (清水裕二さん)
アイヌの心を刺す (小川早苗さん)
棟梁の気概 (貝沢輝一さん)
先住権を背に (沢井アクさん)
情熱の化身となって (伊藤稔さん)
異なることの美しさを (豊岡政則(アトイ)さん)
民族衣装に心包んで (北川しま子さん)
同胞の痛み重ねて (多原良子さん)
自由な感性に生きる (砂沢チニタさん)
カムイコヤイライケ(神に感謝する) (葛野辰次郎さん)
ウコチャランケの精神宿る (萱野茂さん)
誌上対談 アイヌ民族の「復権」 (野村義一氏、武者小路公秀氏)

彫刻家・砂沢ビッキのお嬢さんが砂沢チニタさん。
<理解とか、共生と盛んにいわれるけれど、そんなのきれいごとだよ。・・・アイヌ問題にかかわる人って、アイヌは目がきれい、心がきれいなんてよくいうけど、むしずが走る。 だって、そうやって運動してる人って自分が気持ちいいだけ。 贖罪意識を表に出す人に 「それなら、ここで首つってみて」 って言ったことがあるの。 そしたら青ざめて黙りこんじゃった。 被害者・加害者の意識を超えなかったら前へ進めない。 ・・・>
なかなか強い人だ。
アイヌ史の編集を完成させたいという。 興味がわく。

この本のカバー写真(上)にあるアイヌ文様刺繍作品は、チカップ美恵子さんの作。

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2006年11月10日 (金)

【読】柳葉魚(続)

きのうの続き。シシャモについて。
「シシャモ」はアイヌ語からきている。
まあ、なんとなくそんな感じのすることばだ。
「トナカイ」「コンブ」もアイヌ語。
それぞれ、tonakkai、konpuがアイヌ語の発音らしい。

Kayano_ainugoNakagawa_ainugo手許に、なぜかアイヌ語辞典が二冊ある。
『萱野茂のアイヌ語辞典』 (草風館)
『アイヌ語千歳方言辞典』 中川裕 (草風館)
「シシャモ」のアイヌ語は、susu-ham(ススハ)。
「スス」は柳、「ハ」は葉を意味する。
萱野さんの辞典には、スス【susu】ヤナギ:神に捧げるためのイナウを作る材料とある。 「イナウ」は、木で削った御幣のようなもの、という説明もあるが、わりとよく知られているはず。
削りかけ、と言うほうがイメージがわくだろう。
祭壇を飾るための削り花(北海道大百科事典)、という説明もある。

『北海道大百科事典』 (北海道新聞社)という、上下二巻の百科事典が、なかなかのすぐれものだ。
「シシャモ」をひいてみると、三分の一ページにわたって説明がある。
これを読んで、いろいろとわかった。

シシャモは、ニシン目キュウリ魚科の魚。 同類の魚は他に2種類あり、いずれも北米沿岸に分布。 太平洋の日本側に分布し、しかも北海道の太平洋岸にだけ見られる純道産子の魚、とある。
【アイヌ知識】 として、アイヌ語のスス・ハのなまりで、上に書いたようにヤナギの葉の意味、とも書いてある。
凶漁の年に天上の神の国の柳の葉に生命を与えて川に流したという伝説があるそうな。
いかにもアイヌの人たちの自然観らしい、いい話だ。
ヤナギの葉の散る初雪の頃に産卵のため川をのぼるので、初雪のことを 「シシャモ・ウパ と言う (ウパ upasは雪)。
また、雪虫のことを 「シシャモ・キキ と言う(キキ kikirは虫)。

こんなことを性懲りもなく調べていると、アイヌの人々の伝統的な考え方、生き方、自然観、といったものがわかってきて、興味深いのだ。
よく 「豊かな自然観」 と言うが、掛け値なしにそうだと思う。

Kikigaki_ainuシシャモの料理法も 『北海道大百科事典』 に載っている。
生干しをあぶって食べるのが最もうまい、とある。 もっともだ。
生は刺身、素焼き、塩焼き、揚げ物、甘露煮、こぶ巻きにする、とも。
よだれがでそう。

もう一冊、紹介しておこう。
『聞き書 アイヌの食事』 (農文協・日本の食生活全集48)
アイヌ語学者で、知里幸恵さんの弟さんだった知里真志保さんの、そのまた晩年の奥様だった萩中美枝さんが、この本の執筆者として名を連ねている。
ざっと見た感じでは、アイヌの人たちがシシャモをどのように料理していたか、見つけられなかったが、この本もまたいい本だ。

今夜は、ぼくがかねがね関心をもって読んだり調べたりしている、アイヌの世界の一端にふれてみた。
まだまだ勉強途中だし、ほんとうは北海道のアイヌの人々の生きた姿、暮らしや文化に接したいのだが・・・。

参考として、ぼくのウェッブ・サイトのアイヌ・コーナーのようなものへのリンクも書いておきます。
「晴れときどき曇りのち温泉」 資料蔵 アイヌ資料編
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

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2006年7月23日 (日)

【読】【雑】萱野茂さん

あやうく見逃すところだったが、北海道に住む友人が電話で教えてくれた。

教育テレビ ETV特集
第146回 7月22日(土)
ある人間(アイヌ)からの問いかけ ~萱野茂のメッセージ~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2006/0722.html

今年5月に亡くなった、北海道二風谷の萱野茂さんの業績を偲ぶ番組。
貴重な映像だった。
あらためて、萱野さんの偉大さを感じた。

Kayano1Kayano2『萱野茂 アイヌ文化講座
  アイヌ語が国会に響く』

   1997/5 草風館
『萱野茂 アイヌ文化講座 II
  アイヌ文化を伝承する』

   1998/7 草風館
昨年5月、二風谷を訪れる予定だったが、事情があって北海道行き(帰省)そのものが中止。 残念なことをしたものだ。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/__b32b.html

Kayano_hanaya萱野茂さんの最後の出版物となった
『イヨマンテの花矢 続・アイヌの碑』
 朝日新聞社 2005/11/30

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2006年6月 1日 (木)

【読】出会ったときが買いどき

本屋で思いがけない本に出会うことがある。
きのう、新宿にある大型書店(ジュンク堂書店)へ行った。
http://www.junkudo.co.jp/

ほしかったのは、赤坂憲雄さんの 『東西/南北考』 (岩波新書)だった。

Akasaka_touzainanboku五木寛之さんの著書で知った。
五木さん推薦の本だ。
いま、読みすすめているので、また改めて紹介しよう。

<東西から南北へ視点を転換することで多様な日本の姿が浮かび上がる。「ひとつの日本」という歴史認識のほころびを起点に、北海道・東北から奄美・沖縄へと繋がる南北を軸に、縄文以来の「いくつもの日本」の歴史・文化的な重層性をたどる。新たな列島の民族史を切り拓く、気鋭の民俗学者による意欲的な日本文化論>

この書店の「地方史」コーナーは、アイヌ関係の書籍の品揃えが充実している。
地方出版社の本がたくさんあるので、よく立ちどまって書棚を見る。 きのうは、ここで、分厚い一冊の本をみつけた。

Asahikawa_ainu『旭川・アイヌ民族の近現代史』 金倉義慧(かなくら・ぎけい)著
 高文研 2006.4.15 \3800
http://www.koubunken.co.jp/
http://www.koubunken.co.jp/0375/0362.html

値がはるので、どうしようか迷ったあげく、買った。
あたらしい本に出会ったとき、買おうかどうしようかと迷った場合、ぼくは無理をしてでも買うことにしている。
というのも、そのときを逃したために、後から入手しにくくなって歯噛みしたことが何度もあったからだ。
「出会ったときが買いどき」 ・・・これも何かの縁だろう、と考えることにしている。

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2006年5月31日 (水)

【読】アイヌ ネノアン アイヌ

先日亡くなった萱野茂さんの絵本を、近くの図書館から借りてきた。

『アイヌ ネノアン アイヌ』 萱野茂 文 / 飯島俊一 絵
 福音館書店 ―たくさんのふしぎ傑作集― 1989年

Kayano_nenoan題名の「アイヌ ネノアン アイヌ」とは、萱野さんがこどもの頃、お母さんからくりかえし言われたことばだという。
「アイヌ ネノアン アイヌ エネップネナ」
(人間らしい人間、人らしい人になるんだよ)

<私は、北海道のアイヌのコタン(村)に生まれ、そこでそだちました。> という書きだしで、こどもの頃のことを語りはじめる。

真冬でも、夏の着物に冬着をかさね、またのわれたメリヤスのももひきをはいただけで、雪の中であそんだ思い出。
遊びに夢中になり、すっかりこごえて家に走り帰ると、おかあさんがふところに彼の手を入れてあたためてくれた。
そのおかあさんは、ろくに学校にも行かなかったため、読み書きはできない人だったが、幼い萱野さんにたいせつなことを教えてくれた。
それが、この本の題名になったことばだった。

<アイヌのコタンでアイヌという言葉はとてもたいせつな言葉で、おこないのいいアイヌだけをアイヌとよび、病気でもないのに、はたらきもしないで、ぶらぶらしているような者は、アイヌとよばずに、ウェンペ(悪い者)というのです。>

おばあさんが、夕飯の後でウウェペケレ(昔話)を聞かせてくれて、それを聞きながら寝る、そんな幼年時代。
萱野さんのおとうさんは、幼い萱野さんを連れ歩いて、アイヌ民族のお祭りやお葬式などを見せてくれたという。

ある日、巡査が来てお父さんを連れていってしまった。
それは、毎晩、沙流川でサケをとってきて、家族や近所の老人に食べさせてくれたことが、和人の法律では「密漁」となるからだった。
サーベルをさげた巡査にしたがって去っていくおとうさんの流した涙を、萱野さんはいつまでも忘れられないという。

<アイヌにとって、サケはシペ=主食とよんでいたほどたいせつな食べもので、この北海道の川で自由にとっていました。それをあとからやってきた和人(アイヌ民族は日本民族をこうよんだ)がとることをきんじたのです。
/あのときに父がながしたなみだは、アイヌ民族の権利をうばわれたくやしなみだだったと思います。>

この絵本は、小学生中級むきといいながら、おとなが読んでもいいものだ。

かつてのアイヌ民族の衣食住の伝統が、絵をつかって紹介され、アイヌの民話(ウウェペケレ)もいくつか載っている。
「スズメの恩返し」 (小学館 『カムイユカラと昔話』 からの再録)
「二つ頭のクマ」 (すずさわ書店 『炎の馬―アイヌ民話集』 からの再録)
「沙流川のうた」 (カムイ・ユーカラより)

Nenoan1<山もまたたいせつな食料保存庫でした。/アイヌは狩猟民族だ、とよくいわれますが、それは明治時代ぐらいまでで、私が子どものころには、もう狩猟で生活していた人はいませんでした。(中略)山では、山菜やキノコ、木の実などがたくさんとれたからです。これらは、野菜がすくなかったころには、たいせつな食料でした。>
左から、プクサ(ギョウジャニンニク)、プクサキナ(フクベラ)、ソロマ(ゼンマイ)、コロコニ(フキ)。

Nenoan2Nenoan4<自然のめぐみをうけていたのは食生活についてだけではありません。私が生まれるよりもうすこしまえまでは、すむ家も着るものも、材料は、山でとってきたものをつかいました。>
左は、家(チセ)を作る工程と、家ができたことを神がみに感謝して酒やイナウをささげ、つかった木の霊をしずめるために、屋根うらにヨモギの矢をはなつ様子。
右側は、チセの内部を説明したもの。この絵がとてもわかりやすい。

Nenoan3アットゥシ織りの着物と、アイヌ刺繍。
アイヌ模様は、魔よけの意味があるという。
<アイヌの着物も、古いものには、そで口とえりとすそにしか模様がはいっていませんが、もし人間のからだのなかに魔物がはいってくるとすればそこからですから、その部分に魔よけのなわの模様をつけたのです。>

<・・・北海道のことを、そのむかしアイヌたちは、アイヌモシリといっていました。アイヌ=人間、モ=しずか、シリ=大地。アイヌがくらしているしずかな大地という意味です。>

<私のひおじいさんのトッカラムという人は、和人のどれいにされました。・・・12歳のとき、北海の東のはし、厚岸へむりやりつれていかれましたが、けがをすれば家にかえしてもらえるだろうと、家へかえりたい一心で、自分で自分の指をきりおとしてしまいました。こういうつらい話は、いっぱいあるのです。>

<この大きな島を、アイヌ民族は和人にうったおぼえも、かしたおぼえもないのですが、和人に侵入によってアイヌの自由がふみにじられてしまったのです。>

萱野茂さんが残してくれた宝物のような一冊である。

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2006年5月14日 (日)

【遊】春の北海道 (8)

【写真】旭川空港近くから十勝連峰パノラマ

中央 オプタテシケ山 (2012.7m)
 op-ta-teshke アイヌ語で「槍が・そこで・はねかえった」の意。
 山の神々の恋争いで、投げつけられた槍がそれてはねかえった、という伝説があるという。
 (山田秀三『北海道の地名』草風館)
左端(ビニールハウスの上) トムラウシ山 (2141m)
 山田秀三の上述書では、tonra-ush-i アイヌ語で「トンラ(水草の一種)・が生えている・もの(川)」が語源ではないか(トムラウシ川)という説。
右端(赤い車の左) 富良野岳 (1912.2m)
 こうしてみると、オプタテシケとともに立派な山容だ。

Tokachi_panorama_1





【写真】旭川空港上空から見た十勝連峰

中央 美瑛岳 (2052.3m) こうしてみると十勝岳よりも大きく、こちらの方が主峰に見える。

P5060143 

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【雑】(サイト紹介)コタン彩時記

北海道新聞のサイト
http://www.hokkaido-np.co.jp/
に、「コタン彩時記」
http://www5.hokkaido-np.co.jp/seikatsu/kotan/index.html
という連載記事をみつけた。

2004年4月から2005年3月までの一年間、月一回掲載されていたようだ。
文:中村康利/絵と題字:西山史真子
アイヌ文化に関心をお持ちの方に、おすすめしたい。
西山さんのイラストがいい。

◆にしやま・しまこ◆
画家。1964年、夕張市生まれ。
札幌大谷短大美術科で油彩を学んだ後、アイヌ文化関係の書籍のほか、児童文学の挿絵や絵本を手がけている。
主な作品は、千歳アイヌ文化伝承保存会会長の中本ムツ子さんらと著した「アイヌの知恵・ウパ
クマ」(片山言語文化研究所)、作家の松居友さんらとの絵本「ふたりだけのキャンプ」(童心社)など。千歳市在住。

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2006年5月11日 (木)

【遊】春の北海道 (4)

朝日新聞の北海道版で、5/9から5/11にかけて、
【萱野さんからのメッセージ~二風谷発】 という特集記事が掲載された。
ネットでその内容を見ることができる。

asahi.com マイタウン北海道
http://mytown.asahi.com/hokkaido/

(上)伝え続け 言葉は輝く 5/9
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000390605090001

(中)対話の努力、争い防ぐ 5/10
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000390605100001

(下)アイヌ語に誇りを 5/11
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000390605110001

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2006年5月10日 (水)

【遊】春の北海道 (3)

二風谷(にぶたに)の萱野茂さんが亡くなった。
5月6日、午後1時38分、入院中の札幌の病院で、という。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060507&j=0022&k=200605075623
http://www.asahi.com/national/update/0506/TKY200605060122.html

ぼくはあまり新聞を見ないのでうかつにも知らなかったが、7日の朝刊に死亡記事が載っていた。
5月6日の午後といえば、ぼくが北海道を発とうとしていた頃だ。

午後5時すぎ、旭川空港を飛びたった飛行機の窓から、日高の山なみが見えた。
萱野さんはまだ札幌にいらした頃だと思うが、ぼくは二風谷の上空にいたことになる。

萱野さんにはお目にかかったことがないが、ここ数年、萱野さんの著作からぼくはたくさんのことを学んだ。
直接教えを受けたわけでもないが、恩師と呼びたい方である。
昨年5月の連休、北海道に帰省する予定で、二風谷のアイヌ資料館を訪ねる計画もたてていたのだが、やむを得ぬ事情ではたせなかった。
アイヌ資料館で萱野さんにお会いできるかもしれないと、楽しみにしていただけに、残念でならない。

萱野さんについては、本編のサイト「晴れときどき曇りのち温泉」でとりあげているので、ご覧いただけるとうれしい。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html
(資料蔵―アイヌ資料編)

【写真】(旭川空港から羽田へ向かう飛行機の窓から)日高山脈上空あたり

P5060153P5060148 

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2006年3月21日 (火)

【読】古本屋と図書館

今日は、BOOK OFFではなく、もうひとつの古本チェーン店 「ブックセンター いとう」 に行ってきた。
BOOK OFFとは、ひと味違う品揃えの店で、たまに掘り出し物があったりする。

ituski_youjyouyanagita_2yanagita_20yanagita_youkaidangi五木寛之『養生の実技』
(角川書店 2004年)
「強いカラダが折れるのだ」という言葉が、五木さんらしくて、いい。

『柳田國男全集』 (ちくま文庫)
新刊では手に入らなくなったものが多いので、うれしい。 第2巻は絶版、第20巻は新本でも入手可能。
『妖怪談義』 柳田国男 (講談社学術文庫)
どれも定価の半額ぐらいだ。

その足で、図書館からおもしろい本を借りてきた。
きのうの投稿で紹介した 『写真でみる日本生活図引』シリーズ(弘文堂)。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_dac9.html

縮刷版だったので、通勤バス・電車の中でも読めそうだ。
昭和20年代から30年代の、貴重な生活写真(モノクロ)がぎっしり詰まった本だ。

seikatsu1seikatsu2seikatsu3seikatsu4seikatsu5
このシリーズの著者、須藤功さんには、アイヌの民家を建てたドキュメント 『チセ・ア・カラ』 という写真集がある。
試しにGoogleで 「須藤功 アイヌ チセ・ア・カラ」 とキーワードを入れて検索してみて驚いた。
Google http://www.google.co.jp/

ぼくのサイトの記事(下のURL)が検索にひっかかったのだ。
→ 晴れときどき曇りのち温泉 「資料蔵(アイヌ資料)」
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html
このページの「アイヌ資料 2」からリンクしているので、ご覧いただけるとうれしい。
   

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2006年3月10日 (金)

【山】十勝岳(続)

じぶんでも「物持ち」がいいと思う。
高校生のときに使っていた、国土地理院の五万分の一図を、まだ持っている。

8国土地理院 五万分の一地形図
 旭川8号 十勝岳
 (昭和37年3月30日発行)
「許可なく複製を禁ずる」 とあるけれど、載せてしまおうかな。

この地図の右上にあるのが「オプタテシケ山」、オプタテシケと美瑛岳の暗部に手書きで小屋のマークのあるのが、美瑛富士避難小屋である。
この避難小屋が今どうなっているか知らないが、当時(山岳部の春登山で利用した昭和44年当時)はかなり老朽化していた。

ところで、深田久弥の 『日本百名山』 には
<主峰に十勝岳という名が固定したのは明治二十年代であろうと思われる。明治二十五年(1982年)の記事によると、それより数年前実際に頂上へ登った人の話としてこう書いてある。「オプタテシケと称するは唯に一峰を指せる語に非ずして、トカチ川水源なるトカチ岳より、・・・(中略)・・・これで見ると今の十勝連峰のことを昔はオプタテシケと呼んだと思われる。>
とある。

オプタテシケは、アイヌ語の「オ・タ・テケ(op-ta-teshke 槍が・そこで・はねかえった)」で、屈斜路湖の近くにも「オプタテシケヌプリ」という山がある (山田秀三 『北海道の地名』 草風館)。
山の神々の恋争いで、投げつけられた槍がそれてはねかえった、という言い伝えがあるそうだ。
とても興味深い話なので、アイヌ神謡などを少し調べてみたいと思っている。

また、『日本百名山』には、美瑛(びえい)の地名の語源として「ピイエ」というアイヌ語があげられている。
松浦武四郎が初めてこの地へ来て、十勝岳に源を発する今の美瑛川の水を飲もうとしたところ、アイヌが「ピイエ、ピイエ」と叫んで止めた。
それは、ピイエ(油ぎっている)、つまり、十勝岳に噴く硫黄が混じっているから飲めない、ということだった。
知里真志保 『地名アイヌ語小辞典』 にも、piye=油こい・油ぎった、とある。

講釈が長くなったが、次回は、空から見た北海道の山について書いてみたい。

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2006年3月 6日 (月)

【山】大雪山

大雪山(だいせつざん、たいせつざん)
北海道中央部にそびえる火山群の名称。
全国的には「だいせつざん」と呼ばれることが多いが、北海道ではまず間違いなく「たいせつざん」と呼ばれる。先住民・アイヌは「ヌタップカウシュッペ」と呼び、信仰の対象としてきた。
一つの山ではないことを明確にするため、大雪山系という呼称もしばしば使われる。

狭義の大雪山は、以下の山などから成る石狩川と忠別川の上流部に挟まれた山塊をさす。
旭岳(2,290m) - 最高峰
北鎮岳(2,244m)
白雲岳(2,230m)
愛別岳(2,112m)
北海岳(2,149m)
黒岳(1,984m)
赤岳(2,078m)
緑岳(2,019m)-別名:松浦岳
 ― Wikipediaから ―

深田久弥が 『日本百名山』 に書いているのは、主峰旭岳から黒岳へのコースをたどった山旅である。
勇駒別(湧駒別)温泉から旭岳に登った後、裾合平、沼ノ平を経て、いったん愛山渓温泉まで下ったのかもしれない。
愛山渓温泉から、永山岳、比布岳、黒岳、烏帽子岳、赤岳を経て銀泉台へというコースだったようだ。

<私が旭岳の頂上に立った日は絶好の秋晴れで、大雪・十勝・石狩の連山はもちろん指呼のうちにあり、遠く、阿寒・知床や、天塩や、夕張や、増毛や、北海道の主な山をほとんど眺めることが出来た。>

<愛山渓もひなびた温泉である。そこから永山岳、比布岳を越えて、大雪の第二の高峰北鎮岳へ道が通じているが、その途中から見た愛別岳の荒々しい姿も印象的である。>

これほどの天候、眺望に恵まれるのはまれである。
大雪山は、高校山岳部当時のホームグラウンドだったから何度も登っているが、これほど眺望に恵まれた記憶はない。

map 深田久弥も書いているように、この山系の古い名前はアイヌ語である。

<大雪山という名はいつ頃からついたかはっきり知らないが、もとはヌタクカムウシュペと言った。(中略)
古い五万分の一の図幅にも、ヌタクカムウシュペを主にして、大雪山は括弧の中に入っていた。 (略) 青函連絡船に大雪丸があり、急行列車が大雪号と呼ばれ、大雪国立公園が広く宣伝されるようになっては、アイヌ名は次第に影をひそめて行くばかりだろう。北海道の山名にアイヌ語が存在することは、私たち古典主義者には大変なつかしいのだが、時世の勢いは如何ともしがたい。>

知里真志保の説によれば、「ヌタカウ」が正しいという。
山田秀三『北海道の地名』(草風館)に、次の記述がある。
<石狩川筋一帯の上手に聳える大雪山の名はヌタクカムシュッペのような形で呼ばれて来たが、知里博士はいつも「それは違う。自分がアイヌ古老から聞いた名はヌタカウペだ」といっておられた。>
nutap-ka-ush-pe(川の湾曲部内の地・の上に・いつもいる・もの)の義であるという。
アイヌ語地名というのは即物的であるが、地形の特徴を言いえて妙だ。

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2006年1月29日 (日)

【読】暦ってなんだ?

きょうは、旧暦の正月(元日)。
『世界の民族生活百科』 (河出書房新社、「月刊みんぱく」編集部 編)という本に、興味深い記述があった。
暦(こよみ)に関するものだ。

世界にはたくさんの暦があり、それぞれ、紀元とよばれる起点がある。
今年は、それぞれの暦で下のようになる。
(実際にインドネシア・バリの1999年のカレンダーに記載されているというものを基準にして計算した)

・西暦2006年(キリスト誕生が紀元だが、ほんとうのキリスト誕生は紀元前4、5年という説あり)
・仏暦2549年(釈迦の入滅を紀元とする)
・皇紀2666年(神武天皇即位年が紀元)
・イスラーム(ヒジュラ)暦1426年
(ムハマンドが信者をつれてメッカからメディナへ移ったヒジュラ(聖遷)が紀元)
・中国系暦2556年(孔子の誕生が紀元)
・ユダヤ暦5767年(天地創造が紀元)

いまの日本では、和暦では不便なことが多いので西暦を使うことが多いが、これとて、キリストの生年があやふやなものだとしたら、絶対的な基準ではないことがわかる。
欧米中心の「西洋文明」に疑問を感じているぼくとしては、ひそかにほくそ笑んでいるのである。

話がそれるが、船戸与一という、ぼくが敬愛する作家がいる。
船戸さんの小説にも、欧米中心の世界への「異議申し立て」が感じられる。

hunado-ezochi『蝦夷地別件』 船戸与一 1995年 新潮社
アイヌ民族の伝統的な意識では、季節は夏と冬のふたつで、それぞれが一年だったというはなしを何かで読んだことがある。
この小説で、彼らの月の呼び名が章のタイトルとして使われている。その一部を紹介すると・・・

「地の譜」
 天明八年戊申十二月 西暦1789年1月
 シャクシャイン戦争後119年川の瀬も凍る月
「火の譜」
 寛政元年己酉五月 西暦1789年6月
 シャクシャイン戦争後120年浜茄子をすこし取る月
「風の譜」
 寛政四年壬子九月 西暦1792年10月
 シャクシャイン戦争後123年足が冷たくなる月
・・・といったぐあいだ。

hunado-chronicle『砂のクロニクル』 船戸与一 1991年 毎日新聞社
この小説のプロローグは、「飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈」というもの。
バビロニア暦、大インカ暦、フランス革命暦、ロシア皇帝暦、など、消滅した暦についてふれた後、今日、ほぼ世界じゅうで通用している「グレゴリオ暦(西暦)」が使われていない(船戸さんの表現では「完全侵食されていない」)広大な地域(中東イスラム圏)がある、と述べている。
この小説は、イランを舞台にクルド族の独立運動を核にした冒険小説。

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2006年1月20日 (金)

【楽】ムックリ

きのうに続いて、アイヌの伝統楽器「ムックリ」が使われているアルバムの紹介をしたい。
OKIがプロデュースした、安東ウメ子さんの2枚目のアルバム。

upoposanke安東ウメ子 『ウポポ サンケ』 2003/12/14 発売元:チカルスタジオ
 14曲収録

安東ウメ子さんは、幼少時代からアイヌ語や伝統的な文化に親しみ、帯広地方のアイヌ民族文化の代表的な継承者の一人だったが、2004年7月15日に亡くなった。
このアルバムでは、安東さんの歌とムックリ(アイヌの伝統楽器である素朴な口琴) 演奏が聴ける。OKIもトンコリとパーカッションで共演している。

「ウポポ」は、アイヌの伝統的な「座り歌」。
「シントコ」と呼ばれる、アイヌが宝物として大切にしていた漆器(和人から手に入れたもの)のふたを叩いて歌う。集団でうたう歌である。
アルバムタイトルの「サンケ」の意味は、「(声を)出す」ということらしい(萱野茂さんのアイヌ語辞典による)。

このアルバムに収録されている「ウポポ」は、素朴なメロディーが繰りかえされ、たまらなく懐かしい感じのする歌だ。

mukkurムックリは、竹で作られた小さなヘラ状の楽器。
口にあてて、舌状の部分に結ばれたひもを引っぱって出た音を、口蓋で共鳴させる。
ブィーン、ブィーンというような素朴な響きをだす。
かんたんに作ることができそうな楽器ではあるが、演奏法にはこつが必要らしい。
ぼくも土産物店で買って試したことがあるが、響かせるのはむずかしい。

OKIのトンコリのソロもそうだが、アイヌの伝統音楽は、聴いているうちにこころが安らかになる。人間の魂のはいった音楽とでも言えばいいのか。
音の洪水のような現代の音楽にうんざりした耳に、やさしく響く。

音楽って、ほんとうはこういうものだったんだ。

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2006年1月19日 (木)

【楽】トンコリ

トンコリという、じつに素朴な構造の弦楽器がある。
5本の開放弦を指でつまびく。

アイヌの伝統的な楽器で、いまは演奏する人もいなくなった、いわば幻の楽器。
ムックリは、いまでもふつうの人が演奏するようだが、トンコリとなると、その奏法が伝わっていないために難しいらしい。

そのトンコリの音を現代によみがえらせたのが、アイヌの血をひく「OKI(オキ)」というミュージシャンである。
先週の土曜日、FM放送の朝の番組(ピーター・バラカンさんがディスクジョッキーをつとめる音楽番組)で、OKIの最新アルバム『TONKORI』の一曲が流された。

tonkoriOKI 『TONKORI』  2005.5.25 発売元:チカルスタジオ 15曲収録

ラジオでひさしぶりに聴いた曲は、
アルバム一曲目の「ヘチリロック」という曲。
このアルバムは、トンコリのソロ演奏とOKIの歌声が聴ける。
彼の7枚目のアルバムである。
(OKIがプロデュースした、安東ウメ子さん名義のアルバム2枚を含む)

OKIの公式サイト 「CHIKAR STUDIO」
http://www.tonkori.com/

ぼくはまだ、彼の生のライブを聴いたことがないが、同時代の気になるミュージシャンのひとりである。

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2006年1月17日 (火)

【読】もうひとつの「静かな大地」

せっかくコメントをいただいたので、花崎皐平(はなざき・こうへい)の書いた『静かな大地』を紹介しておこう。
ぼくが持っているのは、ネット販売で手に入れた、古本の岩波書店版ハードカバー(1988.9)。

はじめて読んだのは、図書館から借りた「岩波同時代ライブラリー」版だった。
もういちど、じっくり読んでみたい本だ。

sizukanadaichi花崎皐平 著
 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』 岩波書店

幕末から明治にかけての探険家、松浦武四郎(1818~1888)の評伝。
松浦武四郎は、1833(天保4)年から日本国中を遊歴、1844(弘化1)年、単身、蝦夷地に渡った。
1854(安政2)年、江戸幕府が箱館奉行を置いて、翌年江戸地を再直轄(松前藩から取り戻した)すると、幕府御雇として蝦夷地御用掛に起用された。
その間、『初航蝦夷日誌』『武四郎廻浦日記』などを著したが、場所請負人たちのアイヌに対する過酷な扱いを記述した日誌は公にすることを許されなかった。
1859年、江戸に帰って御雇を辞し、市井にあって多くの著作を刊行した。
【松浦武四郎 『アイヌ人物誌』 更科源蔵・吉田豊訳 平凡社ライブラリー より】

以前、このブログで10回にわたって、読書日誌をしつこく連載したことがある
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/1_10b4.html
池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』は、池澤さんが花崎さんの許しをえて、花崎さんの本のタイトルを拝借したものだという。

「静かな大地」とは、アイヌ語の「アイヌ・モシリ」、つまり、明治政府によって「北海道」と名づけられた、アイヌの人たちが住んでいた大地のことである。
松浦武四郎は、あしかけ14年、6回にわたって、このアイヌ・モシリを歩いて、あるいはアイヌの漕ぐ小舟にのって、踏破した。 驚くべきことだ。
ヒューマニストと呼ぶべき優しいこころを持ち、アイヌの人たちに敬愛をもって接した、当時としては珍しくこころの広い人物だった。

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2006年1月16日 (月)

【読】市立図書館

この町に越してきて、はじめて市立中央図書館に足を運んだ。
きのう、天気もよかったので、自転車をこいで片道2キロほど。

大きくて、なかなか立派な図書館である。
http://library.kodaira.ed.jp/lue/kakukan/01.html

季節がら、受験生が多く、机にむかって受験勉強をしていた。
この図書館で、ひさしびさに民俗関係の書棚の前に立ち、アイヌ関係の本を借りてきた。

kotan-ni-ikiru『コタンに生きる』 岩波書店 同時代ライブラリー 166
 朝日新聞アイヌ民族取材班 1993.11 (残念ながら絶版のようだ)

ほんらいなら、本編の「晴れときどき曇りのち温泉」で紹介したいのだが、
時間がなくてサイトの更新がままならないのである。
300ページほどの文庫本で読みやすいから、電車の中で読むのにちょうどいい。
いい本である。
岩波書店の「同時代ライブラリー」には、好著が多いのだが、絶版になっているものも多い。
花崎皐平 『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』も、このシリーズで出ているが絶版。

アイヌ関係の本を読むのは、ひさしぶりだなぁ。

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2005年11月 2日 (水)

【読】静かな大地(10) 最終回

終章 「遠別を去る」
時は下って昭和13年。 由良は伯父・宗形三郎の伝記を書き終える。
三郎も、その妻の雪乃(エカリアン)も、シトナも、とうにいない。
由良の父・志郎も、数年前に亡くなった。 由良は、「宗形三郎伝」を父の遺志を継ぐ気持ちで書き上げたのである。

父の法事のときに、由良は父と伯父の友人だった人物から、伯父・三郎の本心を聞く。
三郎が友人に語った言葉。

<裏切り者なのだよ、私は。 あの時に私は腹を決めたのだ。 もうアイヌの側に立つしかない、半端なことではいけない。 自分は生涯この道をつらぬくのだ、とな。>
<私は遠別で馬を育て、作物を育てる。 それについてはいささか自信がある。 うまくゆけばやりかたを和人にも伝授しようと思っている。 ・・・だが、この遠別ばかりはアイヌのものだ。 ここに和人は入れぬ。>

そうとうな覚悟である。 このような人物が実際にいたのかどうか、誰かモデルがいたのか、作者に聞かないとわからないが(実は知っているが)、そんな穿鑿はともかく、作者の気合いが伝わってくるくだりだ。
最後に、由良の独白が胸を打つ。

<滅びゆく民、という言葉がわたしは嫌いだ。 まるで放っておいたら滅びたかのような言いかた。 滅ぼす者がいるから滅びるのではないか。>

終章の後に、二つの短いエピローグが置かれている。
「熊になった少年」 「今は亡き大地を偲ぶ島梟の嘆きの歌」
カムイユカラを思わせる詩的な内容であった。

あーあ。 終わったな。
長編小説の醍醐味を満喫した二週間だった。

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2005年11月 1日 (火)

【読】静かな大地(9)

この長い物語も、佳境にはいった。

「神威岳」(12章)は短い章だ。
神威岳(カムイヌプリ)は、日高山脈の標高1600メートルの山。
日高からこの山を越えた東側が十勝の国である。
和人と喧嘩をして警察に追われたアイヌの若者をかくまい、冬の山越えをして十勝に逃がしたエピソードが、二人の人物の思い出話として記されている。
その一人、ニプタサという若者(三郎の牧場で働く)のことば。

<そうやってぼくたちはイナオクテと別れて、同じ道を戻った。 空が晴れた。 行きには霧と雲で見えなかった景色が、帰りは遠くまでくっきりとよく見える。 日高側への分水嶺まで登ったところで、左手に立派な山が見えた。 ・・・カムイヌプリ。神威岳だ。 白くて、大きくて、綺麗だった。 あそこにカムイが本当にいらっしゃるとぼくは思った。>

「馬を放つ」
宗形牧場を暗雲が覆う。
きっかけは、あの松田という男の訪問。 彼がどうやら、中央政府の周辺から、宗形牧場の乗っ取りを画策している様子。 三郎は、札幌まで出かけてこの男に会い話を聞くが、結局、資金提供の申し出を断わる。 この後、宗形牧場をとりまく様子がおかしくなる。
税務署の時ならぬ査察がある。 軍馬注文が来なくなる。 そればかりか、静内からもどこからも仲買人が来ない。 このピンチをなんとか凌いだところへ、宗形牧場の馬房が放火で焼けるという事件が起きる。

そのさなか、三郎が山の中で野宿した時、夢の中でキムンカムイ(熊の神)から〝カムイイピリマ〟(お告げ)を聞く。

<三郎、よく来たな、と熊が言った。 ・・・わしの言うことを聞け。>
<昔、たくさんの和人がやってきた。 わしらアイヌモシリの神々は和人を迎えて心おだやかでなかった。 ・・・わしらアイヌの神々は、バチェラーさんが唱えるキリスト教の神のように強くはない。 その代わり、あの神のように遠くにもいない。 狩る者と肩を並べ、食べる家族と囲炉裏を囲む。 そういう神々の中から、本当にアイヌを知る和人という言葉が出た。・・・>
<アイヌの友として育てられたのが私ですか、と三郎は小さな声で言った。 熊の神キムンカムイはうなずいた。>

14章 「あの夕日」
シチュエーションがこの物語の初めに戻って、老いた父・志郎が幼い娘・由良に語りかけるスタイル。 三郎と宗形牧場を襲った悲劇を語る。 この物語の山場である。
したがって、詳しい筋は書かない。
ここでは、興味深く感動的な一節を引用しておこう。 宗形三郎の言葉。

<アイヌについての私の姿勢を固めるについて、力を頂いた方が一人いた。 ・・・名はバードさんと言われた。 婦人の身でありながら異国を広く旅して見聞を広め、それを本に書いて衆生の蒙を啓くことを生涯かけての営みとしておられる。 そのために北海道まで来られた。
 この方が、和人の通訳がいないところで英語で話していた時に、アイヌは気高い人種だと私に言われた。
 私ははっとした。 幼い頃から慣れ親しんで、だから大好きなアイヌであった。 だが、周囲の和人はみなアイヌなど眼中になくただ開拓に勤しんでいる。 私がアイヌと交わるのを白い目で見ている。・・・>
<交わってはいたが、あの時までは私の思いはまだ友情と同情であった。 自分は自分、アイヌはアイヌと思っていた。 しかし、バードさんの一言で私は開眼した。
 アイヌは気高い人種だ、というバードさんの言葉が私を変えた。・・・>

いよいよ残るはあと一章だ。

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2005年10月31日 (月)

【読】静かな大地(8)

10章目 「砂金掘り」 は、日高の山奥に入って砂金を採っていた男の独白である。
この頃(明治期)、山奥の川でずいぶん砂金が採れて、一種のゴールドラッシュのようだった。 アイヌの木彫り職人に、砂金掘りに使う道具「揺り板」と、背負子(しょいこ)を作ってもらったり、熊に出会ったエピソードが興味深い。
彼は、砂金掘りに山に入る途中、宗形牧場に立ち寄り、十日ほど居候して牧場の仕事を手伝う。 その思い出をこう語る。

<あれはよい夏であった。 暑いさなか、汗を流して働いて、夕方みなで川へ行って身を洗う。 さっぱりして大きな家に向かうと、飯が出てくる。 ・・・食い物もうまかった。 牛肉と馬鈴薯の煮付などあそこで初めて食った。 牛乳というものもたっぷり飲まされた。
 みなが話すのはアイヌ語で、わしにはわからんが、それでも和気藹々、みなが仲がよいことは伝わった。・・・まことよい夏であった。 ・・・アイヌはよい、とわしは思った。 アイヌのことを悪く言う者の気が知れない。>

続く章 「チセを焼く」
モロタンネという名のフチ(老婆)が亡くなる。 モロタンネはトゥキアンテ(勉蔵)の母、オシアンクル(五郎)の祖母にあたる。 炉辺でユカラやウウェペケレ(昔話)を語った偉大なフチ。
ここでは、アイヌの葬儀のやり方が詳しく述べられている。 死装束を着せ、墓標を作り、死者に言葉を付ける。
作者池澤夏樹の考え方がよく出ている部分。

<総じてアイヌは言葉の民である。
 民族には得手不得手があるらしい。 人でも、ある者は音楽に秀で、ある者は細工物がうまい。・・・民族もまた同じ。 そしてアイヌの場合は言葉の力、物語る力が抜きんでていた。 そうでなくてどうしてあれほどのユカラ、無数のウウェペケレ、さまざまな神や英雄や動物や美女や悪党の物語が残せるだろう。>

ところで、この章では物語の行く末を暗示するような事件が起きる。
起承転結の〝転〟にあたる章である。

アイヌの古くからの習俗として、死者の身の回りの道具を傷つけ、焼いて、あの世に送らなければいけない。
また、古くはチセ(住まい)も焼いて、あの世に送ることが行なわれていたが、これは明治政府によって禁令が出されていた。 だから、この頃にはチセを焼くことはしなくなっていたのだ。 ところが、このフチのチセが焼けてしまったのである。
息子のトゥキアンテは、この件で警察に連れていかれ、札幌から赴任してきていた巡査から拷問に近い暴行を受けて、十日間も拘禁される。
さらに、宗形三郎も、この事件が元で新聞記事でいわれのない誹謗中傷を受ける。

<記事にあった牙城という言葉を三郎はアイヌの言葉でチャシと呼んでみなに伝えた。 この言葉を聞いてみなの頭には染退川(しべちゃりがわ)の南岸真歌(まうた)の丘にあったというシャクシャインのチャシのことが浮かんだ。>

オシアンクルは、宗形牧場をシャクシャインのチャシに重ねあわせてしまうことを、縁起が悪い、と考える。
その後、三郎の前には怪しい和人・松田某があらわれ、にわかに暗雲が漂う・・・。

今日は、これに続く章 「神威岳」 まで読んだのだが、続きは明日にでも。

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2005年10月29日 (土)

【遊】みんぱく

大阪の千里、万博公園の中に「国立民族学博物館」(みんぱく)がある。
いまから4年前の春、一度だけ訪れた。
半日がかりで見たが、それでも駆け足でざっと見ることしかできなかった。 それほど展示物の多い大きな施設である。

minpaku 国立民族学博物館
大阪府吹田市千里万博公園10番1号
http://www.minpaku.ac.jp
1974(昭和49)年6月7日創設。1977年11月15日開館。
世界の諸民族に関する資料の収集、保管、展示公開とともに、民族学に関する調査・研究のための大学共同利用機関として作られた。
展示場での写真撮影(個人利用目的)OKという、開かれた博物館。2001年のパンフレットによると、建築面積約17,000平米、延床面積51,000平米。





chise アイヌのチセ(住居)の内部
この時はまだ、アイヌ民族に対する関心がそれほどでもなかったので、ゆっくり見なかった。今となっては、残念な気もする。
もちろん、チセは、北海道の各地博物館に行けば、たくさん展示されているはず。

attushi アイヌの民族衣裳 アットゥシ織
オヒョウの木の皮の繊維で糸を作り、織機を使って織りあげる。
モレウノカというアイヌ紋様の刺繍がほどこされる。
たいへんな手間ひまをかけて作られる衣裳である。

santan サンタンチミップ
中国大陸から海を越えて渡ってきた、清朝の衣服。江戸時代、「蝦夷錦」と呼ばれて珍重された絹織物。
山丹服とも言われる。 山丹とは、アイヌ語でアムール川下流域の民族を指す「ジャンタ」という言葉から来ているという。
船戸与一の小説『蝦夷地別件』に、この山丹服を着たアイヌの首長が登場していて、ぼくは一度、実物を見たかったのである。
(※この写真が山丹服だったかどうか、ちょっと自信がない。なにしろ4年前のことなので。・・・まあ、それに近いとは思う。)

アイヌの民具について興味のある方には、萱野茂さんが今年7月に出版した書籍を推薦する。
萱野茂 著/清水武男 写真 『アイヌ・暮らしの民具』
株式会社クレオ 2005/7/25 \1800 ISBN4-87736-110-3

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2005年10月28日 (金)

【読】静かな大地(7)

延々と続くのである。 7章目「戸長の婚礼」
明治18年、宗形三郎は、当時の静内郡下十六村を束ねる〝戸長〟に任命される。 いまでいう、村役場のようのものが〝戸長役場〟である。
そして、アイヌの友人のところにいた〝エカリアン〟という娘に惹かれはじめ、結ばれる。
アイヌの人たちの名前には、それぞれ意味があるということらしい。 〝エカリアン〟とは、エカリ=遠回り、アン=いる、という意味で、つまり〝遠回りしたところにいる〟〝向こう側にいる〟ということ。
この種明かしは、ここでは控えておこう。 この小説を読む楽しみを奪いかねないから。

ここで、いくつかアイヌの考え方、大げさに言うと精神世界にふれておきたい。
この小説で紹介されているし、これまでにぼくが読んだ、萱野茂さんの本などにも繰り返し書かれていることである。

「妻は借りもの」
アイヌは、嫁をもらうとは言わない。 嫁とりをアイヌ語では「マテトゥン」、マッ=妻、エトゥン=借りる。 他人の娘を借りて妻とする、と言う。 借りたものは、場合によっては返さなければいけない。 つまり、夫が妻を粗末に扱えば、妻は怒って元の家に帰ってしまうし、反対に、妻の方も、あまり行いが悪ければ元の家に帰される。

「アイヌプリの婚礼」
アイヌプリとは、アイヌの風習、古式にのっとったという意味。
米を小さな鍋で炊いて、できあがった飯を儀式用の立派な椀(アサマリイタンキ)に山盛りに盛る。 花嫁は、これに箸を添え、丁寧に礼拝して花婿に渡すと、花婿はやはり丁寧に礼拝してこの椀を受け、飯を半分まで食べる。
残る半分と箸を花嫁に渡すと、花嫁はその半分を食べる。
こうして二人は、この先も一つの鍋のものを分け合って、仲よく暮らすことを示す。


次の章 「函館から来た娘」 は、宗形三郎の弟・志郎(由良の父)の結婚譚が、由良の母(志郎の妻)によって語られる場面である。 この章も、なかなか面白い。
舞台は函館。 明治初期の函館の様子がわかって興味深い。
五稜郭にたてこもった榎本武揚の話も出てくる。

その次の章 「栄える遠別」。 いまや宗形牧場と呼ばれて繁栄する三郎とアイヌたちの牧場が舞台。
遠別(とおべつ)は、日高地方の静内の南東。 今は東別と呼ばれているあたりか。
三郎にも志郎にも子どもができて、彼らがアイヌの人たちと共同で始めた事業が、もっともうまく行っていた時期である。 しかし、一方では和人からの妬みも受け始める・・・。
波乱を含みながら物語は続く。

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【読】静かな大地(6)

桃太郎の話の続き。
「フチの昔話」の章の最後で、由良が夫の長吉に福沢諭吉の一文を読んで聞かせたのにはわけがある。

<「福沢諭吉がそんなことを書いているのか」
「ええ、『ひゞのをしへ』という御本」
「桃太郎は卑劣千万か」 と長吉は考えながら言った。 「言われてみればそのとおりかもしれないな。しかも、自分一人ではできないからと、加勢をつのっている。 黍団子で釣って犬と猿と雉を雇い入れている。 これではまるで、松前藩と場所請負の連中の仲とおなじではないか」
「そういうことになるわねえ」
「だが、ここは和人の国だ。 桃太郎の国だ。 みんなが桃太郎になりたがっている国だ。 ・・・桃太郎の話を鬼の側から読むなど、アイヌと和人の仲に重ねて読むなど、誰もすることではないぞ」>

と、まあ、引用を続けていくと、内容の丸写しになってしまうが・・・。
三児の母親である由良は、鬼の妻の立場に自分を置いて考えてしまう。 そこに、さらにアイヌの人たちの姿も重ね合わせているのである。

<「おまえは桃太郎の妻かもしれない。 故郷で舅や姑とのんびりと暮らして待っていると、夫が宝物を持って帰ってくる。 嬉しいことではないか」
「でも、その宝物は血まみれだわ」・・・>

桃太郎の話はこれぐらいにしておこう。

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2005年10月27日 (木)

【読】静かな大地(5)

620ページある本の、まん中あたりにさしかかった。
5章目の 「鹿の道 人の道」 からは、結婚して三人の子どもの母親になった由良が、夫の長吉に、叔父・三郎の追憶を語るというスタイルをとっている。 由良は、この数奇な生涯をおくった叔父のことを、なんとか書き残そうとしている。 由良夫妻が生きている時代は、昭和10年代。 2・26事件や5・15事件が遠い東京でのできごととして背景にあらわれる。

ここで語られる三郎は、遠別(とおべつ)の原野を開拓し、麦、大豆、馬鈴薯などの栽培を試みている時期。
ときに、明治12年の春。 五町×十町=五十町歩という広大な原野の木を切り、切り株を馬力でとり除き、耕すという、気の遠くなるような作業を、アイヌの友人の助けを借りて始めたのである。
いちどは三郎に背を向けたシトナも、三郎の熱意に負けて協力してくれることになった。
ところが、明治13年の秋、この地方をバッタ(アイヌ語で〝バッタキ〟)の大群が襲うという恐ろしい事態が起きる。 せっかくの作物は、地上部分をすべてバッタに食われてしまい、わずかに地中の馬鈴薯で飢えをしのぐ。 ここで、三郎は開拓使からの救援の及ばないアイヌのために、馬鈴薯を提供する。 このことで、彼はアイヌの信頼を勝ち得ることになる。

<和人でも飢えて危ない者がいたら、その時は私もこっそり馬鈴薯を届ける。 顔を見せずに置いてくる。 しかしまず私はアイヌに配る。
三郎さんが馬鈴薯をアイヌに分けると決めたのは、よくよく考えてのことでありました。
これは淡路から共にやってきた和人仲間を裏切ることになる。 ・・・しかし、それはもっと飢えた者の口に入る。>

続く章 「フチの昔話」 では、三郎や志郎、オシアンクルらが、幼い頃に囲炉裏端で〝フチ〟(アイヌ語でおばあさんのこと)から聞いたであろうアイヌの昔話が、由良によって語られる。 ぼくもよく知っている、アイヌのユカラ、カムイユカラである。

<「いい話だなあ」と長吉が溜め息と共に言った。
・・・「すべてに救いのしかけがあるわけだな」
「不遇のうちに亡くなった人も、あるいは熊などの獣でさえ、正しく供養して送れば、神の国に生まれ変わって、幸せな来世での生活ができるのよ」・・・>

という、アイヌの豊穣な物語の数々。
この時、由良の口を借りて語られる福沢諭吉の一節が、じつに興味深い。 あるいは、作者・池澤夏樹の生の声かもしれない、と思う。

<『もゝたろふが(と由良は読む)、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。 けしからぬことならずや。 たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。 ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり』 わたしは福沢諭吉の言うとおりだと思うの」・・・>

長くなるので、続く章 「戸長の婚礼」 は、明日にでも。
いよいよ、この小説も佳境に入る。

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2005年10月26日 (水)

【読】静かな大地(4)

この池澤夏樹の『静かな大地』を買って初めて読んだのがいつだったのか、過去のメールを探してようやくわかった。 去年の8月の終りだった。
同名の本(花崎皋平=はなざき・こうへい=著、『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』)とあわせて、北海道に住む親しい友人が教えてくれたのがきっかけだった。
あれから一年あまり、アイヌへの関心は高まり、あれこれ調べたり読んだりした後なので、今回の再読では初回に気づかなかったことがたくさん見えてきた。

池澤夏樹は北海道の帯広生まれ。 父親の福永武彦(作家)が戦争のために一家で疎開していた昭和20年にここで誕生した。 彼は著作のどこかで、この小説が自分の先祖をモデルにしたものだと書いていた。 三郎や志郎や由良が作者とどういう繋がりの人物をモデルにしているのか、興味深いことではあるが、わからない。

それはさておき、今日読んだ章「鹿の道 人の道」には、作者のアイヌに対する理解というか、共感というのか、考え方がはっきり出ている個所がある。
シトナという名の、オシアンクル(五郎)の叔父の仲間という設定の人物に、こう語らせている。 三郎が札幌から郷里に戻り、このシトナの協力で牧場を開くための広大な土地を見つけた時のこと。

<「本当によいところが見つかった。早速にも札幌に行って、開拓使本庁に払い下げの申請をしよう。・・・」
・・・「何を話している」とシトナさんがアイヌの言葉で三郎さんに問われました。
「この土地を私のものとするための算段です」と三郎さんは答えました。・・・
「なぜだ」と重ねてシトナさんは問いました。・・・>

三郎が、北海道の土地はすべて開拓使(という役所)が管轄しているから、そこに申請する必要があると説明する。

<「それを問うているのではない。なぜ、この土地の所属をシサムのヤクショが決めるか、それが知りたいのだ」
シサムという言葉を聞いて、三郎さんと志郎さんははっとしました。・・・
「それは、それは、アイヌモシリは今は北海道となって、日本のものとなったからですよ」・・・
「納得のいかないことだ」とシトナさんは言われました。・・・
「・・・わしらアイヌが祖父の祖父の祖父の頃から走り回っていた土地が、いつから、どういうからくりで、和人のものになったのだ」>

引用ばかりで気が引けるが、ここに示された考え方、北海道という土地がそもそも誰のものだったのか、いいや、誰のものでもなかったのだ、という認識は、とてもラジカル(根源的)なことである。
いや、それは昔のこと、やむを得なかったこと、などという言い訳は通らないと思うのだ。
これは、ぼくら〝和人の子孫〟の罪の意識などとは関係なく、人類の根源的な問題ではないのか。
アメリカ大陸やオーストラリア大陸の歴史を思い出せば、誰にでもわかることではないか。
それをごまかしたり、なかったことにしたり、そんなことはできない。

・・・とまあ、長々と理屈っぽく書いてしまったが、これはたぶんぼくの生涯かけてのテーマなのである。

そうそう、この章のはじめに、イザベラ・バードが登場する。
明治11年の夏、三郎が札幌から静内に帰る途中、平取に泊まっていたイザベラ・バード(『日本奥地紀行』を書いたイギリスの女性旅行家)に会った、という設定である。 この部分は事実にもとづいたエピソードかもしれないし、作者の想像から生まれたフィクションかもしれない。 イザベラ・バードの旅の足跡とは、もちろん一致しているが・・・。

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2005年10月25日 (火)

【読】静かな大地(3)

ニ連発だが、印象が薄れないうちに書いておこう。
池澤夏樹 『静かな大地』 4番目の章 「札幌官園農業現術生徒」 は、夫とともに旭川に渡った由良の許へ、姉の都志から送られた小包から始まる。

小包の中味は、亡くなった叔父・三郎から、都志・由良姉妹の父・志郎(三郎の弟)に宛てた古い手紙の束だった。
明治10年1月から12月までの1年間、宗形三郎は、札幌農学校に付属の学校(1年制)に寄宿し、農業現術生徒と呼ばれて、農学、牧畜学の実務を学ぶ。 講師はアメリカから来ていて、アメリカ式の農業・牧畜業を北海道に展開するのが目的だった。

クラーク博士で有名な札幌農学校は4年制だったが、こちらは、即戦力を養うための学校。 三郎は、このとき満15歳。 故郷の静内にいた弟(志郎)に宛てて、見るもの聞くもの珍しいものばかりの札幌での体験を綴った手紙である。

三郎はここで、馬鈴薯や唐黍(とうもろこし)の栽培を学び、馬を育て、馬を使って開墾することを実地で学ぶ。
チーズやバターを作ることも、葡萄を栽培して葡萄酒を作ることも、ポップコーンを作ることも、彼らににとって初めての珍しい体験だった。
明治期の北海道開拓に賭けた意気込みが伝わってくる手紙で、興味ぶかい。

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【読】静かな大地(2)

池澤夏樹 『静かな大地』 の2章(最初の夏)、3章(鮭が来る川)、4章(札幌官園農業現術生徒)と、読みすすんでいる。

「最初の夏」 初めの章と同じく、父(宗像志郎)がまだ幼い娘の由良に語る、昔物語だ。
淡路島から渡ってきた〝最初の夏〟に、幼かった三郎と志郎の兄弟は、アイヌの少年〝オシアンクル〟に出会い、ともだちになる。 こういうケースは特異である。 和人の親たちは、子どもがアイヌと親しくなるのを嫌っていたから。
三郎、四郎の父は、元士族でありながら、そういうことにこだわらない人だった。

彼ら兄弟は、アイヌの友人オシアンクルと互いの言葉を教えあった。 アイヌ語を教わり、日本語を教えた。
<私たちとオシアンクルはお互いに言葉を教えあった。 三郎が川の水を両手に汲んで、ミズという。 オシアンクルが同じことをして、ワッカという。>
<言葉というものは一つではないということを私たちはあの時に初めて知った。>

彼らは、とても幸せな体験をしたと、ぼくは思う。
続く章「鮭が来る川」は、時代がいっきに下って、大正9年。
由良は成人し、札幌で祝言をあげて、夫とともに静内を訪ねる。
そこには、もう年老いたオシアンクル(五郎という和名に変わっている)がいた。
由良はどうしても亡くなった父(志郎)と、叔父(三郎)のことを、五郎から聞きたかった。
五郎が訥々と語る、アイヌの本音は胸をうつ。
(親友だった志郎の娘とその夫だからこそ、心を開いて語った言葉である。)

<わしらアイヌは獲ったものを横取りされるのには慣れておった。 もう何百年もそういうことが続いてきた。 和人は来て、威張って、勝手なことを言って、アイヌが獲ったものを持ってゆく。・・・>

五郎(オシアンクル)の昔話の中で、鮭の豊漁の年、三郎、志郎兄弟を誘って彼らとともに鮭漁を手伝った時の様子が語られる。 鮭漁は、この時すでに和人が占領していたのだが、この年は鮭が多すぎて管理しきれなかった。 その隙をついて(というよりも、昔からの方法で)アイヌが鮭を自由に獲ったのである。
<アイヌが勝手気儘に鮭を獲れたのはあの秋ばかりだった。 そのいちばんいい秋に三郎と志郎はわしと一緒に川に出た。>

<昔々は蝦夷地はすべてアイヌのものだった。 だからここをアイヌモシリという。 アイヌの静かな大地とういうことだ。 平和な地ということだ。>

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2005年10月21日 (金)

【読】静かな大地(1)

池澤夏樹『静かな大地』の〝読中感想記〟を始める。
この小説は15の章から成る。今日は、最初の章「煙の匂い」を読んだ。

のっけから複雑な語り口で、前回はじめて読んだときは正直なところイライラしたが、今回は池澤さんのよく考えられた文体に感心した。例をあげると
 <その晩は父上は帰って来なかった(と父は由良に話した)。>
 <東京は好きではなかった(と父は話した)。>
つまり、この章の語り手は「父」と、その幼い娘の「由良」なのだが、「父」が娘に話し聞かせているのは、自分の父親(父上)といっしょに北海道に渡ることになった、幼い頃のエピソード。時代は明治維新直後、淡路島から北海道に入植することになった、元武士の一団の苦労である。

屯田兵制度よりも前に、こんな形で故郷を追われるように北海道(まだ蝦夷地という言葉が残っていた当時)に渡った人々がいた、ということに驚く。
背景には、徳島の阿波藩と淡路島の家臣との葛藤があり、明治維新期の混乱がある。ほとんど体ひとつ、身のまわりのわずかな家財を船に積んで、日高の静内に渡った人々。それを、幼い少年(由良の父)の目で、じつに生き生きと描いている。

印象的なのは、次の一節(少し長い引用になる)。
三郎というのは「父」(志郎)の兄である。

<蝦夷地には誰がいますか、と三郎はたずねた。
 蝦夷地には蝦夷の民がいる。昆布を採り、鮭や鰊を獲る者たちだ。田は作らず、町を営まず、山野と海で暮らしている。
 蝦夷地は日本ですか、と重ねて三郎が聞いた(と父は由良に話した)。
 さあ、そこだ、と父上は言われた。
 もともとは日本ではなかった。大名もおらず、百姓が田を作ることもない。・・・別の国だったと言ってよい。いや、あそこには国というものがなかったのかな。>

そう、蝦夷地はアイヌの人たちの「静かな大地」だったのだ。
そこに入植した〝日本人〟と、アイヌの人たちの微妙な関係が、この小説の底を流れる通奏低音である。幼い三郎、志郎の兄弟が、チプ(丸木舟)で迎えに来たアイヌをはじめて見たときに感じた、彼らの印象は感動的だ。

<私と兄は最初にアイヌを見て、あの面構えと、分厚い毛深い強そうな身体、速やかに舟を漕ぐ腕力、堂々とした態度、・・・よく通る声、そういうことに夢中になった。兄と私の目にはすべてすばらしいものと映った。私たちは彼らに夢中になり、それは終生ずっと変わらなかった。

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【読】長い物語

長編小説を読むのが好きだ。
といっても、あまり長いものは苦手。時代小説の文庫本で20冊にもなるようなものを、みんなよく読んでるなあと、いつも感心している。ぼくは根性が足りないので、途中で投げ出したくなるのをこらえて、なかばムキになって無理しておしまいまで読むから、後に印象が残らなかったりするのだろう。

ぼくが好きなのは、現代小説の長めのものだ。
たとえば、北杜夫の『楡家の人々』、五木寛之の『戒厳令の夜』『朱鷺の墓』、船戸与一の『蝦夷地別件』『砂のクロニクル』『猛き箱舟』あたりの、娯楽小説を愛する。
宮部みゆきの長編もずいぶん読んだが、読んでいる最中はとてもエキサイティングで、人情の機微を描くのがうまいなあと感心するけれど、読後の印象はわりと希薄である。宮本輝にはまったこともあった。この人も名手だと思う。

そんな中で、池澤夏樹の『静かな大地』からは、深い感銘をうけた。
はじめて読んだのは、去年だったと思う。近所の郊外型書店でたまたま見かけて買ったのだ。それまで池澤さんの小説やエッセイをだいぶん読み進んでいたので、この興味深い小説を読んでみようと思ったのである。

ikezawa_daiti

池澤夏樹 著 『静かな大地』
2003年 朝日新聞社 刊
初出は朝日新聞連載(2001.6.12~2002.8.31)
A5版、620ページに及ぶ長編
本の厚さ4cm、重量700g、通勤電車で読むにはやや重い


さて、この小説を今日から再読している。前回はじめて読んだときには気づかなかったことがいろいろ発見できる。読むスピードが遅いのと、通勤電車・バスの中でしか本を読む習慣がないので、とにかく時間がかかる。
ちょうどブログのネタにはいいかな、と思うので、少しずつ印象に残る部分など紹介していこうと思っている。・・・気長におつきあいいただけると嬉しい。

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2005年10月19日 (水)

【読】イザベラ・バード

きのうの話の続き。 イザベラ・バードを紹介したい。
Isabella L. Bird (1831-1904)
イギリス生まれの女性旅行家、探検家(といっていいのかな?)
幼少期は病弱だった。 23歳の時に医者に航海をすすめられ、アメリカとカナダを訪れる。2年後、初の旅行記『英国女性のみたアメリカ』を出版。
40歳を過ぎてから(!)本格的な旅行を始め、オーストラリア、日本、マレー半島、チベット、朝鮮などをはじめ、生涯の大半(!)を旅に終えた。
『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)、『朝鮮奥地紀行』(東洋文庫)、『ロッキー山脈踏破行』(平凡社ライブラリー)など。

isabella 『日本奥地紀行』 高梨健吉訳
47歳で日本を訪れた時の旅行記。横浜に上陸後、東京から日光、横川、新潟を経て、花館、山形、久保田(秋田)、青森、さらに北海道に渡り、函館から森、室蘭、幌別、白老、苫小牧、平取、門別と、足を伸ばしている。主として馬と徒歩と船による、3ヶ月あまりの旅である。本書は、旅先から妹や親しい人にあてた手紙を主体としたもの。

ぼくにとって殊に興味深いのは、後半の半分近くを占める北海道旅行記。アイヌの人たちの生活、人がらなどにふれて、鋭い観察をしている部分だ。
アイヌを「未開」「不潔」などと評しているあたりは、当時の外国人(キリスト教徒)の限界で、仕方がないことだと思う。しかし、彼女が捉えたアイヌの特質(美点)は、なかなか的確である。

余談だが、池澤夏樹さんの小説『静かな大地』は、北海道開拓期の日高地方が舞台。この中で、イザベラ・バードが訪問した時のアイヌの人たちとの交流が、エピソードとして使われている。

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2005年9月19日 (月)

【読】五木サンの誤解

本棚の整理をしていたら、五木寛之の『僕のみつけたもの』(集英社文庫/1989年)というエッセイ集がみつかった。

そういえば、ろくに読まずに放っておいたなぁ・・・と思いながらパラパラめくっていたら、アイヌのトゥキパスイ(日本語で捧酒箸、アイヌ語で地方によってはイクパスイともいう)のきれいな写真があった。 ところがエッセイの文章を読むと、なんと「ヒゲベラ」とあって、「このヘラを持ってヒゲを持ち上げながら酒を飲んだ」と「教えられた」というようなことが書いてあって、びっくり仰天。

トゥキパスイは、アイヌの人々が儀式の時にこれで酒をすくって神に捧げるヘラ状の道具なのである。(ヒゲを持ち上げるヘラ、というのは大きな誤解だというこということが、たいていの本に書いてあるから、ちょっと調べればわかるはずなんだけどなぁ。)

うーん、五木さんにしてこの大誤解。こんなウソを五木さんに教えたのは、どういう人なんだろ・・・。

mitsuketamono

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