カテゴリー「アイヌ民族・アイヌ語」の77件の記事

2009年8月27日 (木)

【読】読了 「おれの二風谷」

読みやすい本だったので、私にはめずらしく三日で読み終えた。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975年刊

アイヌ語を母語として育った萱野さんだけあって、アイヌ語の言いまわしや会話がふんだんにでてきて、生きたアイヌ語の勉強になる。
一話一話が、1ページからせいぜい4ページほど。
たくさんの逸話が掲載されていて、読みやすく、いい本だ。
単行本は入手困難なので、文庫ででるといいのだが。

<六月のシーズンになると、北海道のすずらんが環境客に喜ばれ、東京あたりでも北海道空輸のすずらんがもてはやされているようです。しかし、これも桜の花やまりもと同じく、アイヌはひとつも珍重せずに、「セタ プクサ」つまり「犬のプクサ」とかたづけてしまっていたのです。「プクサ」とは「行者にんにく」のことで、行者にんにくの葉がすずらんそっくりだったからでした。すずらんは人間が食えないものだから、「犬の行者にんにく」と名づけたのです。/また、行者にんにくのことを北海道に住んでいるシャモはアイヌねぎと呼んでいます。アイヌばかりが食ったわけではなく、昔は多くの開拓者がこれを食べて命をつないでいたにもかかわらず、かれら和人の開拓者やその末裔たちが侮蔑的にしか聞こえない呼び方をするわけです。(以下略)> (「観光用伝説 セタ プクサ」 P.264より)

こんな調子で、おだやかな口調ながら、言うべきことははっきり言う、萱野さんらしい語り口だ。


続いて、萱野さんのこの本を読んでみようと思う。

Kayano_ainu_minwa『炎の馬 アイヌ民話集』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1977/5/20初版
 1998/2/25新装版第一刷
 299ページ 2000円(税別)

<アイヌの民話ウウェペケレは、一話一話のおしまいに教訓めいた言葉が入っているのが特徴です。それによって大人も子供も自然に善悪を知ることができるのです。/ウ=お互い、ウェ=それ、ペケレ=清らか――つまり、話を聞くことでお互いが清らかになるとアイヌは考えていたのです。> (あとがき より)

萱野さん自身が身近な古老(フチ)たちから収録し、日本語に翻訳した昔話=民話(ウウェペケレ)やカムイユカラと、フチたちが書き残したはなしをまとめた本。
登別、静内、沙流川地方の古老(お婆さん=フチ)たちの貴重な遺産だ。
萱野さんは、昭和35年から古老たちの話の録音を始めて、この本が出版された時点では、四百数十時間もの音源になったという。

巻末に、語り手のお婆さんたちが一人ずつ紹介されている。
黒川てしめさん、平賀さだもさん、金成まつさん(金田一京助の協力者であり、知里幸恵さんの叔母さん)、川上うっぷさん、西島てるさん、貝沢とぅるしのさん、福島そまてっさん、木村きみさん、貝沢こきんさん、木村まっとぅたんさん、木幡うもんてさん、鍋沢ねぶきさん、鹿戸よしさん、葛野きくさん。
アイヌの文化を大切にした、萱野さんらしい気配りだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月25日 (火)

【読】おれの二風谷(萱野茂)

ずいぶん前にはじめて読んだ本。
そのときは図書館から借りて読んだのだが、最近、ネット販売で古本を手に入れた。
今日から再読している。

Kayano_nibutani『おれの二風谷』 萱野茂 著
 すずさわ書店 1975/4/30発行
 278ページ 980円(税別)

故 萱野茂さんは1926年生まれだから、この本は四十台おわりの頃の著作。
読んでいて、なんとなく若々しい感じがする。
二風谷ダムが完成して間もない頃だ。

<昭和20年前後までは、沙流川にも川面に白く光って産卵を終えた鮭の体がたくさん浮いていたものです。現在はダムができて鮭も遡れなくなりました。ダムをつくるときは必ず魚道をつくるなどの配慮があってもいいと思うのです。> (「熊と鮭」 P.88)

「アイヌの内側からの目で見た昔の風習の一端を知ってもらえれば望外の幸せです」と、あとがきにあるように、萱野さんらしいおだやかな語り口で、往時のアイヌの人々の暮らしぶりが描かれている良書。
各章の扉に添えられている貝沢美和子さんのイラストが、いい。

― 目次より ―
水の神/木彫りと私/イナウ/よもぎの力/疱瘡/葬式/熊と鮭/自然とアイヌ/火事/宝物/神の囁き/まじない/不思議な話/姦通の罰/アイヌ/アイヌ的表現/悪口/子供の遊び/想い出話/蛇の話/観光用伝説/地名と伝説/アイヌの苗字

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月21日 (金)

【読】暑い夏の読書

毎日暑くて、本もなかなか読めない。
お盆休みのあいだ電車もすいていて、国分寺駅からいきなり座れたりして良かったのだけれど、本を読みはじめてもすぐに眠くなってしまう。
困ったものだ。
こうなると、早く涼しくなってほしいと思う。
勝手なものだ。


ボリュームがあって読むのに一週間かかったが、いい本だった。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』
 チカップ美恵子 編著  北海道新聞社
 2005/3/3 初版発行  333ページ
 1800円(税別)

第一部 森に宿る言霊(ことだま)
チカップさんの伯父(母の長兄)にあたる、山本多助さんの『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
第二部 故郷の記憶
チカップさんの母親、伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記。

気負わず、淡々と語られる昭和の頃のアイヌの人たちの暮らしぶり。
文章も嫌味がなく、読みやすかった。
以下、目次から章題。

はじめに(チカップ美恵子) 伯父・山本多助の思い出
第一部 釧路アイヌの系図と伝説/釧路川とカムイ・ト(神の湖)/釧路地方のアイヌ遺跡/アイヌ民族の流儀/樺太を旅して
第二部 祖母の思い出/母と歩いた道のり/兄たちとともに/兄・多三郎の葬儀
あとがきにかえて(チカップ美恵子) 心に残る旅探し

巻末に、「山本家先祖の名称と20代目からの系図」が掲載されている。
文字をもたなかったアイヌの人々は、口承で先祖の系図を伝えてきたという。
山本多助・ふで兄妹の代から四代までさかのぼって詳しく書かれた系図に驚く。


アイヌ民族の口承文芸のすばらしさを、もう一冊の本で味わっている。
これは、今日から読みはじめた。
長いあいだ、私の本棚にあったもの。

Yamamoto_tasuke_yukar_3『カムイ・ユーカラ アイヌ・ラックル伝』
 山本多助 著  平凡社ライブラリー
 1993/11/15 初版第1刷 2004/4/26 初版第7刷

山本多助さんが子どもの頃から慣れ親しんだユーカラ 十六篇(日本語訳)がまとめられている。
多助さんも、アイヌの文化遺産を後世に伝えようと努めた人である。

<アイヌ民族は自然の子です。/むかしのアイヌ民族は、狩猟民族として、自然の恵みに感謝しながら、そのおきてに従って、自由に生きていました。>

あとがき(おわりに)の冒頭に記されたこの言葉は、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』序文を思いおこさせる。

巻末、藤村久和さんの「解説――アイヌの語り」がためになる。

<アイヌの人々が伝承してきたものは、その内容も然ることながら、節つきの語り口調か、節なしの口調で演ずるかで物語全体の形式の位置づけが明確になることとなる。節をつけて英雄の一代記を語ったとすれば、それはユーカ、地域によってはハウキ・サコペなどと位置づけるのに、節をつけずに話し口調となれば、ウウェペケレ、イルパイェ、トゥイタ、イソイタッキなどということになるだけでなく、……>

ほんらい、アイヌの口承文芸は耳で聴くものなのだな。
文字にすると抜け落ちてしまうものが、たしかにある。
それは、人の息吹と呼べばいいのか。
魂、言霊(ことだま)と言ってもいい。

(左) 『アイヌ神謡集』 知里幸恵 岩波文庫
(右) CD 『「アイヌ神謡集」をうたう』 片山龍峯(復元)/中本ムツ子(謡) 草風館
 このCDはすばらしい。
 知里幸恵さんが文字で残したユカラを、ほんらいの謡(うたい)に復元しようとした試み。

Ainu_shinyou_2Ainu_shinyou_utau_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

【読】サハリン、アイヌ民族

この本がとてもよかった。

Tanaka_sakhalin『奇妙な時間(とき)が流れる島 サハリン』
 田中水絵 著  凱風社 1999/11/25発行
 262ページ  1800円(税別)

著者は「終戦のわずか三年後に生まれ」たというから、私よりも少し年上の「団塊の世代」のひとり。
一週間の予定でぶらっと訪れたサハリンに、その後六年にわたって何度も行っている。
現代のサハリンに住む人々との交流が、なんとも温かみがあって、いい。
コウイウヒトニワタシワナリタイ、と思うほどだ。

<ルーブル切り下げの一か月ほど前、私はユジノサハリンスク市のレーニン通りにある美術館、かつての「北海道拓殖銀行豊原支店」の石造りの建物の前に立っていた、かつて、樺太の経済を支えたこの銀行は、前年、つまり1977年11月、経営破綻から解体していた。日本中でバブルがはじけていた。/旧銀行の前で私は思った。この私もバブルだったと。私は終戦のわずか三年後に生まれ、日本の急速な経済的発展に乗っかり、共に年を重ねてきた。ぬくぬくと、ふわふわ生きてきた。戦争も、父が戦争に行ったことも、私には遠い遠い昔話だった。>

<サハリンに渡るたび、私は無意識に感じていた自分というバブルの空洞が少しずつ埋まっていくのを感じた。>

<サハリンから帰るたび、私は奇妙な時間(とき)が流れているのは、海峡のこちら側、日本の国だと感じる。この国に流れている時間は、決して消えない過去を忘れ、おかしな方向に流されているのではないか。>  (以上、あとがきより)

田中水絵さんには、興味ぶかい訳書がある。
読んでみたいが、値がはるので考え中。
この町の図書館にも置いていない。残念。

『沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史』
 アナトーリー・T・クージン (著)/ 岡 奈津子・ 田中 水絵 (訳)
 凱風社 1998/7月発行  317ページ 3500円(税別) 
Amazon
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477362213X

出版社/著者からの内容紹介
ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。 
I:ロシア極東の朝鮮人●1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
II:サハリンの朝鮮人●1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

e-honサイト
 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030426254&Action_id=121&Sza_id=E1

凱風社
 http://www.gaifu.co.jp/
 http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN4-7736-2213-X.html


田中水絵さんの本に続いて、いま読んでいるのがこれ。

Chikappu_moritodaichi『森と大地の言い伝え』  チカップ美恵子 編著
 北海道新聞社 2005/3/3発行
 333ページ  1800円(税別)

チカップ美恵子さんは、アイヌ文様刺繍家。
山本多助さんの姪であり、母は伊賀ふでさん(山本多助さんの妹)。
この本は、「第一部 森に宿る言霊」 が山本多助さんの著作 『釧路アイヌの昔話と伝説』(第一巻、第二巻)から。
「第二部 故郷の記憶」 は伊賀ふでさんが晩年に執筆した子どもの頃の体験記をまとめたものだという。

ずいぶんまえに手に入れ、ずっと本棚でねむっていた本だが、山本多助さんが昭和11年に樺太を訪れたときのはなしが載っていたのこともあって、このところの私の中の 「樺太熱」 の延長で読みはじめた。
山本多助さんの文章がいい。
アイヌ民族の歴史がよくわかる好著。


このほか、最近になって古本屋でみつけた本がある。

Ooe_shokuminchi『日本植民地探訪』  大江志乃夫 著
 新潮選書  1998/7/30発行
 492ページ  1600円(税別)

サハリン、南洋諸島、関東州、台湾、韓国、北朝鮮と、かつて日本の植民地だった土地を探訪した記録である。
中身が濃くボリュームもあるため、読むのはたいへんそうだが、いつか読んでみよう。
大江志乃夫さんの本は、ずいぶん前に一冊だけ読んだことがある(日露戦争に出征した兵士たちの手紙のはなし)。
信頼できる人だと私は思う。

田中水絵さんの本に何度もでてきた逸話だが、この大江さんの本も、岡田嘉子と杉本良吉の北緯五十度線越境(ソ連への亡命)の話からはじまっているのが興味ぶかい。


Yamashita_ezo_daimyou『北海道の商人大名』  山下昌也 著
 グラフ社  2009/4/5発行
 278ページ  1400円(税別)

今日の昼休み、職場の近くにある BOOK OFF で目にとまった。
題名にひかれて手にとってみると、なかなかおもしろそうなのだ。
江戸時代の松前藩の話だ。
とうぜんのことだが、アイヌ民族との確執についても詳しく書かれている。

松前藩は、他の藩とちがって米を基盤にしない大名だった。
当時の蝦夷地は米がとれなかったため、「○○万石」という石高がなく、米の代わりに商売で得た利益で藩を経営していたのである。
グラフ社という出版社ははじめて目にしたが、なかなかしっかりした内容だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

【読】キムン・カムイとウェン・カムイ

花園神社のライブまで時間があったので、新宿西口のジュンク堂書店に立ち寄った。
さすがに本の数が多い。
理学書コーナーでこんな本をみつけて、購入。

Kayano_kamui『よいクマ わるいクマ』
 ― キムン・カムイ ウェン・カムイ
    見分け方から付き合い方まで ―
 萱野茂 前田菜穂子
 写真 稗田一俊
 北海道新聞社 2006/1/15発行
 259ページ 2400円(税別)

最近読んだ 『ベア・アタックス』 巻末の解説にも、アイヌ語のこの言葉が引用されていた。

キムン・カムイ kimu-un-kamuy (山に住む神) → 熊・ヒグマ
ウェン・カムイ wen-kamuy → 悪い神
 → 畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、人を襲う悪いクマ
(アイヌ語表記は、萱野茂 『アイヌ語辞典』 三省堂を参考にした)

アイヌの人たちがヒグマとの長いつきあいの中で育んだ、クマと人間が共存するための知恵である。


― この本の内容(目次より) ―

第一章 実践編
 出発前の準備/出会わない方法/もしも出会ってしまったら
第二章 応用編
 安全なキャンプ/安全な登山、山菜採り/安全な釣りと狩猟
第三章 アイヌ民族の知恵編
 対談 萱野茂(二風谷アイヌ資料館館長)・前田菜穂子(ヒグマ博物館学芸員)
第四章 基礎知識編
 ヒグマってどんな動物?/ヒグマを知って共に生きよう
第五章 海外編
 対策と成功例/スウェーデンの実践
第六章 資料編
 生物学データ/ヒグマ対策/もっと学びたい人へ


第三章が、ことに興味ぶかい。

北海道に住む人たちにとって、ヒグマとのつきあい方には悩ましいものがある。
これまでは見つけしだい「駆除」するというやり方を続けてきたが、ここにきてようやくクマとの共存・共生を模索しだしたようだ。


― まえがき(はじめに) より ―

<ついに、というか起こるべくしてと言うべきか、ヒグマによる死亡事故がとうとう起きてしまいました。 1999年5月、渡島管内木古内町で、…(中略)…オスのヒグマが、釣り人の男性一人を襲い死亡させ、山菜採りの女性2人に重傷を負わせました。…(略)…>

<このままでは、またこのような悲惨な事態が起きかねません。 クマにとっても人間にとっても悲劇です。>

<悲しいことに、クマを有害獣として駆逐する 「日本の常識的方法」 は 「世界では非常識」 なのですが、現状はそのままです。 でもちょっと待ってください。 人間とヒグマは共存できないのでしょうか。 いいえ、それは可能です。 北海道にはクマと上手に付き合っていた先駆的な人たちがいます。 アイヌ民族の人々です。>

<狩猟民族のアイヌは、ヒグマを 「キムンカムイ(山の神様)として尊敬し、問題を起こすクマを 「ウェンカムイ」(悪い神)と呼んで全く別に扱い、共生してきました。>

萱野茂さんがまだご存命の頃に出版された本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月18日 (土)

【読】知里幸恵をめぐる四冊

テレビ番組の影響は、すごいものだと思った。
一昨日の夜(2008/10/15)、NHK総合テレビ 「その時歴史が動いた」 という番組で、知里幸恵が紹介された。
私も、番組のことを教えていただいて、ビデオにも録り、放送もみた。

Asahi_shinbun_20081016ためしに、ネット検索で 「知里幸恵」 を探してみると、この番組に関する記事がたくさんヒットした。
私のこのブログでも、たちまち検索フレーズランキングの第一位(ここ一週間の集計、10/17現在)になっている。

このブログの別の記事のコメントに書いたことだが、私は、この番組をそれほどいいとは思わなかった。

理由はいろいろあるが、ドラマ仕立ての番組のつくり(それがこの番組のコンセプトのようだが)に、違和感をおぼえたのが一番の理由。

番組に登場した知里幸恵役、金田一京助役の俳優の演技が、私の中のイメージと大きくちがうし、いかにも芝居がかっていたのが、とてもひっかかった。

ただし、貴重な映像(知里幸恵の肉筆ノート)もあったし、幸恵さんの縁続きになる横山むつみさん(旧姓:知里むつみさん)も登場して、それはそれで収穫だったのだが。


知里幸恵さんのことを私が知ったのは、それほど古いことではない。
有名な 『アイヌ神謡集』 (現在でも岩波文庫で販売されている) のことは知っていたのだが、読んでみようという気にはならなかった。
私には遠い世界で、縁がなかったのだ。

Ainu_shinyouそれが、ある時期、何かのきっかけでアイヌの人たちのこと(歴史、風俗、文化、生き方)に関心が向いてから、さまざまな本を夢中になって読んだり、調べたりした。

このあたりの事情は、手前味噌になるが、私のウェッブサイトに三年ほど前に書いた。
「晴れときどき曇りのち温泉」 ― 資料蔵(アイヌ資料編)
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

ウェッブサイトで、私が感銘をうけた本を何冊か紹介しているが、それをここに載せておこうと思う。
検索でこのブログに来られた方々へ、情報提供したい気持ちからだ。


以下、いずれも、藤本英夫さんという人の著書。

藤本英夫 (ふじもと・ひでお)
1927年 北海道天塩町生。 北海道大学卒。
静内高校、札幌星園高校、北海道教育委員会、北海道埋蔵文化財センターを経て、現在、北海道文化財研究所に勤務。
日本民族学会会員、日本口承文芸学会会員、主著に 「アイヌの墓」(日経新書)、「銀のしずく降る降る」「知里真志保の生涯」(新潮選書)、「北の墓」(学生社)、「アイヌの国から」(草風館)、「じゅうたんの上の馬」(北海道新聞社)ほか。
― 新潮選書 『金田一京助』 藤本英夫 (1991年) の著者略歴より ―

※藤本氏は、2005年暮れに故人になられたようだ。


Fujimoto_ginnoshizuku_2『銀のしずく降る降るまわりに』
 ― 知里幸恵の生涯 ―
藤本英夫 著  草風館 1991年 2000円(税別)
※ 基版は新潮選書 1973年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/75.html

知里幸恵さんのことを深く知りたい方に、おすすすめ。



Fujimoto_uepeker_2『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』
藤本英夫 著  草風館 2002年 2500円(税別)

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/128.html

上の本の続編といえる。
知里幸恵については、必要以上に美化したり、まちがった像(イメージ)が伝えられているように思う。

著者の藤本氏も、あとがきでこう書いている。
<(前略) 私が、もう一度、彼女の生涯に挑戦したくなったのは、そのような彼女に対する誤伝、誤った理解を正しておきたかったことと、私自身にもあった、知里幸恵理解の不足を整理したからだった。>


Fujimoto_chiri_mashiho『知里真志保の生涯』
 ― アイヌ学復権の闘い ―
藤本英夫 著  草風館 1994年 2200円(税別)
※ 基版は新潮選書 1982年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/68.html

知里幸恵の末弟で、アイヌ語学者の知里真志保の伝記。
この人も、差別のなかで、強烈な人生をおくった。
金田一京助の援助で一高(旧制第一高等学校)から東京大学にすすんだが、金田一博士との確執もあったようだ。


Fujimoto_kindaichi『金田一京助』
藤本英夫 著  新潮選書 1991年 971円(税別)

※ 絶版

e-honのサイトより
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018478003&Action_id=121&Sza_id=F4   

金田一京助の伝記だが、知里幸恵・真志保姉弟との関わりについても、もちろん触れている。
著者は、金田一京助を評して、「これほど天衣無縫で無防備な人はいないのでは」 という。



知里幸恵 『アイヌ神謡集』 に文字として記録されたカムイユカラは、彼女が伯母(金成マツ)や祖母(モナシノウク)など、身のまわりの人たちから伝承したものであったはず。
そのカムイユカラ(神謡)を、いわばオリジナルの姿(謡い)に復元したCDがある。

「アイヌ神謡集」 をうたう
 うた:中本ムツ子  復元:片山龍峯
 草風館 3枚組CD 2003年 3000円(税別)

上にあげたNHKのテレビ番組 「その時歴史が動いた」 で使われていた音源がこれ。

Kamuy_yukar_utau01_2Kamuy_yukar_utau02










【おすすめサイト記事】
美瑛町360日 http://www.biei.info/blog/
「知里幸恵」
http://www.biei.info/blog/?p=390
   

| | コメント (0)

2008年7月 2日 (水)

【読】星野道夫さんの本棚

これも先日読んだ 『星野道夫 永遠のまなざし』 (小坂洋右・大山卓悠、山と渓谷社) に書かれていて、気になっていた本だ。
ネット販売で入手できた。

Kosaka_yousuke_toubou『流亡 日露に追われた北千島アイヌ』
 小坂洋右 北海道新聞社(道新選書) 1992.7

著者の小坂洋右(こさか・ようすけ)さんは、星野道夫さんと親しくしていた人。
『星野道夫 永遠のまなざし』 に書かれていたことだが、小坂さんはこの本を星野さんに渡していた。

「Coyote」 №2(2004年、スイッチ・パブリッシング) 「特集 星野道夫の冒険」 に、アラスカ フェアバンクスの星野さんのログ・ハウスに残された、彼の本棚が紹介されている。
その本棚のリストには、たしかにこの本もあった。

小坂さんは、星野さんがカムチャッカ半島で事故で亡くなった後、『逃亡 日露に追われた北千島アイヌ』 を星野さんに渡したことを、後悔したという。

カムチャッカ南部はこの本の舞台の一つになっていて、「本を読んだ星野道夫は、カムチャッカ南部がヒグマの一大生息地であると同時に、悲劇を生んだ人類史の一舞台であったことも知っていたはず」 だと思ったのだ。

アイヌ民族と星野道夫――このつながりは、それほど突拍子もないことではなさそうだ。
星野さんの著作に、クリンギットインディアンのエスター・ジェイという女性の言葉が記されている。

エスターは、星野道夫に一冊の本を示し、あるページの写真を見せて 「この人々は一体誰なのか」 と尋ねたという。

<それは日本のアイヌの人々の写真だった。 エスターは自分たちの祖先とその写真を結びつけていたわけではないだろう。 ハイイログマのクラン(家系)に属するエスターは、なぜ同じような信仰を持つ人々が遥かなアジアの世界に存在しているのかという不思議さを感じたのかもしれない。>
 ― 星野道夫 『森と氷河と鯨』 ―

すぐには読めないが、この小坂さんの本は、私にはとても興味ぶかい。


Hoshino_coyote_no2Hoshino_eien_no_manazashiHoshino_moritohyouga

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

【読】星野道夫さんとクマ

めずらしく四日間で読みきった本。
それほど、引き込まれる内容だった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 聞き書き 片山龍峯 / 語り手 姉崎等
 木楽舎 2002年

最終章(第八章 クマの生きている意味) 、とつぜん星野道夫さん(写真家、故人)の文章が引用されていて、はっとした。

以下、引用と孫引きばかりでちょっと気がひけるが。
(原文の漢数字はアラビア数字に置き換えた)

<本書 315ページより>
 姉崎さんは、2001年6月に、長い間持っていた銃を手放した。 (中略)
 12歳から77歳まで65年間にわたって狩人として生きてきた姉崎さんは、鉄砲を手放した今、ヒグマをどのように思っているのだろうか。 そして、ヒグマが生きている意味をどう考えるのだろうか。 アラスカでクマをはじめ野生動物と自然を撮ってきた写真家の故星野道夫氏は、クマの生きている意味について次のように述べている。
「もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう」
「人間は常に自然を飼いならし、支配しようと考えてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野性の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それはなんと貴重な感覚だろう。 これらの場所、これらのクマはなんと貴重なものたちだろう」
(『ベア・アタックス』) と。 この文章を読んだとき、姉崎さんならば、クマが生きている意味をどのように考えるのだろうか、無性に聞いてみたくなった。


星野道夫さんが書いたか、語ったものの中で、私の記憶に強く残っているエピソードがある。
正確ではないかもしれないが、星野さんが高校生の頃、電車のつり革につかまって、ぼんやりと北海道のヒグマのことを思っていたという、そのような話だ。
都会の電車の中で、じぶんは今こうしているけれど、同じときに、北海道の広大な山中をヒグマがゆっくりと自由に歩きまわっている……。

このイメージが、私には鮮烈だった。
星野さんはそういう少年だったから、アラスカの広大な自然を、じぶんのフィールドに決めたのだと思う。

姉崎等さんという、和人を父に、アイヌ女性を母にもった根っからの猟師は、生き方こそちがっているが、星野道夫さんの考え方に通じるものをもっている。


もう一箇所、この本のあとがきで、星野道夫さんの文章が引用されている。


<本書 338ページより>
 私たちヒトは望むと望まざるにかかわらず、これからも野生の生きものたちの性格を変えてしまうほどの重大な影響を及ぼしながら進化の道を歩むことになる。 そのことを考えると、私たちヒトは、他の生きものたちから生き方を問われているのだと思い知るのである。
 一方、私たちヒトもクマがこの世界に存在することで大きな影響を受けている。 写真家の星野道夫は、
「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。 (中略) クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる」 (『星野道夫の仕事 第3巻』) と延べている。


思わぬところで、星野道夫さんの世界とつながった本だった。
ひさしぶりに、星野さんが残した美しい文章に触れたくなった。

Hosihino_books1_3Hosihino_books2
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月17日 (火)

【読】クマにあったらどうするか(続)

昨日、この本のタイトルをまちがえて書いてしまった。
クエスチョンマークは、いらなかった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
 ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 木楽舎 2002年

今日から読みはじめたのだが、とても面白い本だ。
「クマに会ったら……」 というのは、この本の章題のひとつだが、内容はもっと幅広い。
根っからの狩人が、インタビューに答えるかたちで、山歩きのこと、クマや山の動物たちのことを語る。

こういう生き方もあるのだな、と感心する。
猟のための山歩きを長年続けた人だが、学ぶところが多い。

姉崎さんは、山を歩くときに余分なものを持たない。
米、塩、飯盒、ナイフ、ナタ、ノコギリ、細引き、かんじき、マッチ、小さなリュック、それに 「エキムネクワ」 という木の杖、それぐらいだ。
衣類も、いたって素朴なものだ。
着更えも持たないというし、手袋は軍手一足だけ。

とうぜん、山の中では簡単な小屋がけをするか、野宿。
マッチだけで火をおこし、山の中でとったものを食べる。
焚き火のやり方だけでも、そのあたりのヤワな 「サバイバル書」 より、よほど役に立つノウハウが満載。
山は、本来、こういうふうに歩くものなのだな。

毎日、都会の喧騒の中で生活していると、この人のような素朴な山歩きが懐かしくおもわれる。
読んでいて、元気がでてくる本だ。


第一章 こうしてクマ撃ちになった
第二章 狩人の知恵、クマの知恵
第三章 本当のクマの姿
第四章 アイヌ民族とクマ
第五章 クマに会ったらどうするか
第六章 クマは人を見てタマげてる
第七章 クマと共存するために
第八章 クマの生きている意味


ちなみに、インタビュアーの片山龍峯さんは、3枚組CD 『アイヌ神謡集をうたう』 の監修者。

【参考】
 2007年9月11日の記事
 【読】アイヌ神謡集
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_3d54.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月16日 (月)

【読】クマにあったらどうするか

タイトルは、これから読んでみようとしている本の題名。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎 等 ―
   語り手 姉崎 等
   聞き書き 片山龍峯
 木楽舎(きらくしゃ)
 2002年4月5日 初版第一刷
 2002年5月8日 第二刷

 ジュンク堂書店のサイトより
  http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0102301307

だいぶんまえに BOOK OFF でみつけて、面白そうだと思い、買ってあった本だ。

砂沢クラさんの 『ク スクッ オルシペ』 (徳間文庫)を、長い日数をかけてようやく読みおえた。
クラさんの伴侶、砂沢友太郎さんは、生涯に百数十頭のクマを獲ったという。
友太郎さんは昭和42年(1967年)に亡くなっているから、私が子どもだった頃、まだ熊猟がおこなわれていたのだ。
ちょっと驚きである。
山中で、きちんとクマ送りをしていたことにも驚いた。

これから読もうとしている本の、姉崎等さんは、こういう人らしい。
(本書巻末より)

語り手 姉崎 等 (あねざき・ひとし)
1923年(大正12年)北海道生まれ。
アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。 3歳のときに鵡川から千歳に移り、母方のアイヌ民族の集落で暮らしながら猟を覚える。 12歳から村田銃で狩猟を始める。 22歳からクマ撃ちを単独で始め、25年間で40頭、集団猟を入れると60頭を獲る。 1990年、春グマの狩猟禁止とともにクマ猟をやめ、以後、ヒグマ防除隊の相談役、ついで副隊長を務める。 その間、北海道によるヒグマのテレメトリー調査に協力。 2001年6月、銃を手放し、65年間に及ぶ狩猟人生に区切りをつける。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧