カテゴリー「あの戦争」の216件の記事

2023年11月13日 (月)

【読】「パレスチナ 戦火の中の子どもたち」(古居みずえ)

古居みずえさんが作った映画
『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』
 2011年 古居みずえ監督 (86分)
の関連本(ブックレット)が図書館にあったので、借りてきた。

『パレスチナ 戦火の中の子どもたち』
岩波ブックレット 2015/6/26 古居 みずえ (著)

Photo_20231113150401

<世界の注視を集めた2014年夏のイスラエル軍のガザ侵攻時、何が起こっていたのか。
この6年にみたび戦火を経験した子どもたちは、日々をどう生きているのか。
事態は悪化し、「安全なところはどこにもない」(著者)――。
悲劇が繰り返される土地・パレスチナに20年以上通うジャーナリストが伝える現地の声。写真多数。>
(Amazonより)

この本の冒頭に、次のことばが書かれている。

<パレスチナを訪ねて二十数年が過ぎたが、パレスチナの状況は一向に変わらないどころか、よりひどくなっている。特にこの六年の間に、三度も戦争が起こった。/ガザ攻撃のたび、イスラエルとハマスが対等に戦っているように思わせるメディア記事が多く出る。しかしながら両者の間には圧倒的な差があるし、その背景から語られることはない。/ガザ地区はヨルダン川西岸とともに、六七年間、イスラエルの軍事占領下にある……>

先日の大塚での上映会の後、古居さんと後藤さんが「75年間」といっていたのは、この本が出版されてから8年がたっているからだ。

75年間といえば、私が生きてきた年数を超えている。

ずっしりと重いものが、のしかかってくる。

以下、大塚での上映会で配布された資料より。

1914年 第一次世界大戦始まる(~1919年)
1915年 フサイン・マクホン協定(アラブ人に独立国家を約束)
1916年 サイクス・ピコ協定(英仏の中東分断支配密約)
1917年 バルフォア宣言(パレスチナにユダヤ人の国民的郷土建設を支持)
1933年 ナチス政権発足
1939年 第二次世界大戦始まる(~1945年)
1947年 国連、パレスチナ分割決議
1948年 イスラエル建国、第1次中東戦争
1956年 第2次中東戦争
1967年 第3次中東戦争
1973年 第4次中東戦争(10月6日奇襲攻撃開始。ヨムキプール戦争)

「バルフォア宣言」とは、Wikipediaによれば……

バルフォア宣言(バルフォアせんげん、英語: Balfour Declaration、ヘブライ語: הצהרת בלפור‎)とは、第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員であるロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。この宣言をアメリカシオニスト機構に伝えるようロスチャイルド卿に依頼した。
バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束している。しかし、この方針は、1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーと結んだフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾しているように見えたことが問題になった。すなわち、この協定でイギリス政府は、オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に、オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明していた。フサインは、このイギリス政府の支援約束を受けて、ヒジャーズ王国を建国した。
一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の三枚舌外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。……

歴史の根は深い。
ヨーロッパの大国に翻弄されてきたパレスチナの地を、どうすれば(どうなれば)よいのか。
簡単に答えられるはずもないが、同時代を生きる私にも、無縁なはなしではない。

大塚での上映会で後藤監督が言われていたこと――
「ナチスがユダヤ人を迫害したとき、ドイツ人は何をしていたのか? ――このことばは、そっくり今の私たちに返ってくる」
「いつまでも、傍観者でいていいのか?」
このことを、いつも忘れないでいたい。

| | | コメント (0)

2023年11月12日 (日)

【演】ガザの戦争と沖縄戦(2本の映画)

ごく最近観た2本の映画のこと。
どちらも、劇場ではなく、ホールでの自主上映会。

『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』
 2011年 古居みずえ監督 (86分)

http://whatwesaw.jp/

1400人という多くの犠牲を出した、2008年から09年にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃。
本作の監督であるジャーナリスト・古居みずえは、攻撃直後に現地に入り、300人以上の子どもたちが犠牲になっていたことに大きなショックを受け取材を始める。
ガザ南部の農業地帯ゼイトゥーンに住むサムニ家の子どもたちは、一族が一度に29人も殺されるという、過酷な事件を経験していた。 (公式サイトより)

Photo_20231112101301 

今年10月、ハマースによるイスラエル攻撃に端を発した戦闘(戦争といっていい)。※注
イスラエル軍によるガザへの「報復攻撃」が続いている。
報復というよりも、これまで繰り返してきたガザ地区への攻撃を強化して、ガザを支配下に置こうとしているように思えてならない。
このタイミングで、12年前に発表されたこの映画を観る機会があって、よかった。

14、5年前、イスラエル軍の攻撃でたくさんの肉親を目の前で失った、ガザの「サムニ家」の子どもたちに密着取材。
子どもたちの口から、悲惨な体験が語られる。
いま、ガザで起きていることは、これよりもっとひどいものだと思うと、胸が痛い。

この映画のことは、小松由佳さんと古居みずえさんとのトークイベントをオンラインで視聴して(10月19日)知った。

https://yukakomatsu.jp/

大塚の「シネマハウス大塚」という、ちいさな上映施設(ふだんはレンタルスペースとして使われているという)で、3日間上映されることを知り、最終日の11月8日(水)に観ることができた。

シネマハウス大塚
https://www.facebook.com/cinemahouseotsuka

上映後、古居監督と、主催者で館長の後藤和夫さんとのトークがあった。

20231108-172930_20231112102101

『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』
 2023年 河邑厚徳監督 (88分)

https://sakima.jp/movie/

Photo_20231112104201 2_20231112104201

河邑監督の『鉛筆と銃 長倉洋海の眸』(写真家 長倉洋海さんを描いた映画)を、9月23日、東京都写真美術館で観たばかり。

映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」公式サイト
http://www.pan-dora.co.jp/enpitsutojyuu/

Photo_20231112104701

その映画の上映会で、今回の作品のちらしも配布されていて、観たいと思っていた。
「ねりま沖縄映画祭」11月11日(土)の上映会(江古田の武蔵大学キャンパス)で観ることができた。

2023_20231112105401

「原爆の図」は、2015年2月に沖縄本島の佐喜眞美術館を訪ねて、実物を見たことがある。
14作全部ではなかったかもしれず、いちばん大きな絵(4m×8m)に衝撃を受けた。
もうひとつ、忘れられないのは、たまたま見学に来ていた中学生か高校生の団体の女生徒が、絵の前で泣きじゃくっていたこと。

11月11日の上映後、司会の永田浩三さん(武蔵大学教授)と、河邑厚徳監督のトークショーがあった。

20231111-174720_20231112105801

河邑監督のことばで、胸に響いたことがある。
「明治以降、日本の歴史は戦争の連続だったが、自分たちの土地が地上戦の舞台になったことがない。唯一、沖縄を除いて。」
「ガザの細長い地形は、沖縄島と似ている。どこにも逃げるところがない。」

私たち「本土」に生まれ育った人間には(私は北海道生まれだが、沖縄から見れば「本土」の一部だろう)、どこか、戦争の記憶・捉え方がちがっているのではないか。
空襲・空爆で被害を受けたことだけが強く刻まれていて、日本の軍隊が国外へ出張って地上戦を繰り広げたことや、沖縄の地上戦の惨状に対しては、決定的に鈍感なところがないか。
頭ではわかっているつもりでも、肌感覚としての実感が貧弱なのではないか。

頭でわかることと、映像や音楽によっのて揺り動かされる感情の部分とは、ちがう。
そこが映画や音楽(この映画でも三線にのせた島唄が効果的に使われていた)ならではの「ちから」ではないか。
そういう意味のことも、監督が話されていた。

【自分のためのメモ】
チビチリガマとシムクガマ。
読谷村の集団自決があった「チビチリガマ」、対照的に集団自決することなく非難した人たちが助かった「シムクガマ」。
このふたつが、「沖縄戦の図」に描かれている。
「シムクガマ」には、ハワイからの帰国者がいて、「米兵は手向かいしない限り殺さないのでガマを出るように」と、避難していた島民を説得したため、「玉砕」を避けられたという。
この話、私は勉強不足で知らなかった。
河邑監督の映画と、上映後のトークで、このことを知った。
憶えておきたい。

Wikipedia チビチリガマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%93%E3%83%81%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%9E

Wikipedia シムクガマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%82%AC%E3%83%9E

読谷村史 第五巻 資料編4 『戦時記録』 上巻 下巻
https://yomitan-sonsi.jp/sonsi/index.htm

【2023.11.14補足】
※注 について。

「ハマースによるイスラエル攻撃に端を発した戦闘」と書いたが、これは正確ではない。
イスラエル軍によるガザ包囲(実際に分離壁で包囲されている)は、ずっと以前から続いており、イスラエルによるガザ(パレスチナ)への締め付けは、今に始まったことではない。
過去の戦争・紛争も、ある日突然始まったわけではないことは、歴史をみればわかる。
このあたりの報道が、どうにもおかしい。

11月14日、ラジオ番組に、写真家の高橋美香さんが出演して、パレスチナの現状を的確・冷静に(静かな怒りをこめて)話していらっしゃる。
YouTubeでも聴ける。

『パレスチナのちいさないとなみ』
【ゲスト:高橋美香】2023年11月14日(火)
大竹まこと 小島慶子 高橋美香【大竹メインディッシュ】
https://youtu.be/SljgBusVf0w?si=RFbpGuUg68-MKCKF

 

| | | コメント (0)

2023年9月17日 (日)

【読】図書館にリクエストしたのはいいけれど(いつか読みたい本)

市内の図書館にリクエストしておいた本が、立て続けに届いた。

さて、読みかけの本もあって、すぐには読めない。

はじめの二冊は、図書館に入れてくれたので、いつでも読める。
三冊目は、都立図書館からの借用。
二週間で返却しなければいけないのだが、とにかく分厚い(本文528ページ)。
分厚いが、いちばん興味深い本だ。

いずれも、あの戦争にまつわる本。

NHKスペシャル取材班 『ビルマ 絶望の戦場』
 岩波書店 (2023/7/28) 298ページ

加藤拓 『「特攻」のメカニズム』
 中日新聞社 (2023/7/29) 215ページ

フレデリック・テイラー 『一九三九年 誰も望まなかった戦争』
 白水社 (2022/3/10) 528ページ

| | | コメント (0)

2022年1月 1日 (土)

【読】2021年12月に読んだ本(読書メーター)

2021年12月に読んだ本。
3冊しか読み切れなかった。

半藤一利さんの『B面昭和史 1926-1945』平凡社ライブラリーを、年またぎで読み続けている。
なかなか進まない。

12月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:774
ナイス数:53

特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)感想
鴻上尚史著『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を読んで、この本を知った。旧日本陸軍航空特攻隊第二十二振武隊に所属、生還した元特攻兵大貫健一郎さんの貴重な証言。2007年10月放映NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇~」のプロデューサー渡辺考氏の冷静沈着な解説によって、当時の状況がよくわかる。大貫さんの記憶には間違いもあるかもしれないが、この本から見えてくるのは「特攻の真実」だ。立場によって違いもあるだろうが、多くの戦友を特攻で失った当事者の声は貴重。語り継がれるべきだろう。読了日:12月07日 著者:大貫健一郎,渡辺 考


回想のすすめ - 豊潤な記憶の海へ (中公新書ラクレ (695))回想のすすめ - 豊潤な記憶の海へ (中公新書ラクレ (695))感想
五木さんのこの手の新書がたくさん出ているものの、人生訓めいたものは、読む気にならなかった。が、本書は読んでみようと思った。人間の記憶は、かけがえのない資産だという(とくに老年になってからは)。この考え方には同意。ただ、本書の初めの方は同じことの繰り返しの感があって、どうかなと思う。第三章、五木さんが過去に対談・インタビューした人々の回想は、きわめて興味深い(五木さんの対談・インタビュー集は過去に多数出版されている)。第四章「薄れゆく記憶」で説く「みずからボケの達人を目指す」という考え方はいいかもしれない。
読了日:12月10日 著者:五木 寛之


半藤一利 語りつくした戦争と平和半藤一利 語りつくした戦争と平和感想
今年2021年1月に亡くなった半藤一利さんが遺した講演、対談を集めたもの。あらためて、すごい人だったと思うし、その業績から学ぶものは多い。田口ランディさんとの対談で「護憲派の正義で人を責める言葉が腹立たしい」というランディさんの発言に、ハッとする。この本のいいところは、随所に挿入されている「まとめ年表・図版」。図書館にリクエストして入れてもらい借りて読んだのだが、手元に置いておいてもいいかなと思って自分でも購入した。『B面昭和史 1926-1945』平凡社ライブラリーも同時に購入。
読了日:12月13日 著者:

読書メーター

| | | コメント (0)

2021年12月27日 (月)

【読】2021年 ぼちぼちいこうか総集編(今年読んだ本)その2

今年読んだ本のリストの続き。
書名の前の日付は、読了日。
図書館から借りた本が、ほとんど。
家にある山積みの本が、なかなか読めない。

■ノンフィクション、エッセイ、評論類■

今年も世界中を震撼させた疫病関連。
けっこうまとめて読んだ。
『臨床の砦』はフィクション。現役の医師の作品で、臨場感あふれる力作。
東海林さだおさんの本は、ご愛敬。

■ 1/2 稲葉剛・小林美穂子・和田静香 編 『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』 岩波書店 (2020/11/26) 186ページ
■ 1/9 大野 和基 編 『コロナ後の世界』 文春新書1271 (2020/7/20) 202ページ
■ 1/13 朝日新聞社 編/養老孟司 他 『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』 朝日新書781 (2020/8/11) 200ページ
■ 1/18 村上陽一郎 編 『コロナ後の世界を生きる――私たちの提言』 岩波新書1840 (2020/7/17) 205ページ
■ 1/29 西浦博/(聞き手)川端裕人 『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』 中央公論新社 (2020/12/10) 292ページ
■ 6/10 東海林さだお 『マスクは踊る』 文藝春秋 (2021/1/30) 237ページ
■ 7/30 夏川 草介 『臨床の砦』 小学館 (2021/4/28) 206ページ
■ 9/12 牧田寛 『誰が日本のコロナ禍を悪化させたのか?』 扶桑社 (2021/8/24) 311ページ

Photo_20211227213301

下に並べた本も、おもしろかった。

■ 2/3 なぎら健壱 『高田渡に会いに行く』 駒草出版 (2021/1/16) 332ページ
■ 2/11 春間豪太郎 『草原の国キルギスで勇者になった男』 新潮社 (2020/10/30) 279ページ
■ 2/13 椎名誠 『ぼくがいま、死について思うこと』 新潮社 (2013/4/25) 190ページ
■ 2/15 椎名誠 『遺言未満、』 集英社 (2020/12/21) 253ページ
■ 2/23 鈴木理生(すずき・まさお) 『江戸の町は骨だらけ』 ちくま学芸文庫 (2004/8/10) 275ページ

Photo_20211227185001

Photo_20211227214401

Photo_20211230070701

大好きな高野秀行さん。
その高野さんが紹介していた、高野さんの友人でスーダン出身の盲目の人が書いた『わが盲想』が、たいへんおもしろかった。

■ 8/8 高野秀行・清水克行 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 集英社インターナショナル (2015/8/31) 314ページ
■ 8/10 高野秀行 『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』 文春文庫 (2020/11/20) 325ページ
■ 9/30 高野秀行 『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』 講談社文庫 (2015/9/15) 397ページ
■ 10/9 モハメド・オマル・アブディン 『わが盲想』 ポプラ文庫 (2015/2/5) 297ページ

Photo_20211227185402 Photo_20211227203701

Photo_20211227185401 Photo_20211227185501

今年、惜しくも亡くなった小三治さんの本。
続編も入手したが、まだ読んでいない。

■ 8/2 柳家小三治 『ま・く・ら』 講談社文庫 (1998/6/15) 419ページ

Photo_20211227190803

その他、今年出会った、すてきな本の数々。
『ひらけ!モトム 大学生のぼくが世田谷の一角で介助をしながらきいた、団塊世代の重度身体障害者・上田さんの人生』に描かれた、上田要(もとむ)さんは、それほどのお付き合いはないものの、よく存じあげている方。いい本です。

■ 1/22 岩下紘己 『ひらけ!モトム 大学生のぼくが世田谷の一角で介助をしながらきいた、団塊世代の重度身体障害者・上田さんの人生』 出版社ジグ (2020/9/15) 223ページ
■ 3/20 内澤旬子 『内澤旬子の島へんろの記』 光文社 (2020/11/30) 366ページ
■ 4/13 鹿子裕文 『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』 ナナロク社 (2015/12/15) 283ページ
■ 5/5 鹿子裕文/絵・モンドくん 『はみだしルンルン』 東京新聞 (2021/1/31) 201ページ
■ 5/9 馬場悠男 『「顔」の進化』 講談社 (2021/1/20) 270ページ
■ 5/11 鹿子裕文 『ブードゥーラウンジ』 ナナロク社 (2020/1/1) 447ページ
■ 11/19 頭木弘樹編 『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語』 ちくま文庫 (2017/11/10) 363ページ

Photo_20211227190802

Photo_20211227191601

Photo_20220105203801

「あの戦争」「憲法」「天皇制」などは、私の生涯にわたる(おおげさだが)読書テーマ。
『西瓜とゲートル』は、いい本です。

■ 1/11 江橋崇 『日本国憲法のお誕生 その受容の社会史』 有斐閣 (2020/11/3) 218ページ
■ 9/14 大澤真幸・木村草太 『むずかしい天皇制』 晶文社 (2021/5/30) 349ページ
■ 10/13 一ノ瀬俊也 『軍隊マニュアルで読む日本近現代史 日本人はこうして戦場へ行った』 朝日文庫 (2021/4/30) 233ページ
■ 10/16 吉田裕 『日本軍兵士 ――アジア太平洋戦争の現実』 中公新書2465 (2017/12/25) 228ページ
■ 11/14 鴻上尚史 『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』 講談社現代新書 (2017/11/20) 292ページ
■ 11/23 桑原茂夫 『西瓜とゲートル オノレを失った男とオノレをつらぬいた女』 春陽堂書店 (2020/8/15) 237ページ
■ 11/25 保坂正康 『「特攻」と日本人』 講談社現代新書1797 (2005/7/20) 227ページ
■ 12/7 大貫健一郎・渡辺孝 『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』 朝日文庫 (2018/8/30) 358ページ
■ 12/13 保坂正康(監修) 『半藤一利 語りつくした戦争と平和』 東京新聞 (2021/11/30) 190ページ

Photo_20211227190801Photo_20211230064801

Photo_20211227192001

半藤一利さんの「昭和史」ものを、引き続き読んでいるところ。

Photo_20211227192202 Photo_20211227192201

(おしまい)

| | | コメント (0)

2019年12月28日 (土)

【読】今年も総集編(2019年・読書編 -2-)

「読書編 -1-」に書ききれなかった、今年読んで印象に残った本の続き。

ノーマ・フィールド

たしか、『戦争をよむ 70冊の小説案内』(中川成美/岩波新書)で知った、ノーマ・フィールドという女性。
うまく紹介できないので、ウィキペディアから転載する。

<ノーマ・フィールド(Norma M. Field, 1947年 - )は、アメリカ合衆国の日本研究者、シカゴ大学名誉教授。
第二次世界大戦後の東京で、アメリカ人の父と日本人の母の子として生まれる。1974年、インディアナ大学で東アジア言語文学の修士号を取得。1980年に来日し研究。1983年、プリンストン大学で同博士号取得。シカゴ大学に奉職し、東アジア学科教授をへて名誉教授。
夏目漱石の『それから』の英訳(And Then)に続き、『源氏物語』論である『憧憬の輝き』(Splendour of Longing)で注目された。
1988年の再来日の折に昭和天皇の死去に至る日々を体験。ルポルタージュ『天皇の逝く国で』を著し、この著書の日本語訳によって日本でも一般に知られるようになった。>

学者ではあるが、その著作からは、誠実な人柄が伝わって来て、好感が持てる。

ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『天皇の逝く国で [増補版]』 みすず書房
ノーマ・フィールド/岩崎稔/成田龍一 『ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望』 岩波ブックレット781
ノーマ・フィールド 『いま、<平和>を本気で語るとは 命・自由・歴史』 岩波ブックレット990
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『祖母のくに』 みすず書房
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『へんな子じゃないもん』 みすず書房

上にあげた岩波新書で紹介されていたのが『天皇の逝く国で』
天皇裕仁(昭和天皇)が死去(崩御)したときの日本の状況(自粛ムード)と、天皇制に静かに異議を唱えた三人への取材、それに自らの体験を織り交ぜて論述している。

アマゾンより。
<「自粛」「常識」という社会の抑圧に、抵抗できるか。/登場人物は体制順応という常識に抗った三人の日本人。/沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛官の夫の靖国神社合祀に反対した中谷康子、天皇の戦争責任を明言して狙撃された長崎市長の本島等。/あれから20年余、増補版のために書かれた新たなあとがきを付す。>

『祖母のくに』『へんな子じゃないもん』の二作は、幼少期、日本で育った著者のおもいでが、温かく綴られていて、よかった。
この三冊は、すっかり気に入ったので、図書館に返却した後で、古本をネットで購入したほど。

 

なお、ノーマ・フィールドについては、このブログにも8月に書いている。
お読みいただけると、うれしい。

【読】ノーマ・フィールド - やまおじさんの流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-c2c768.html

| | | コメント (0)

【読】今年も総集編(2019年・読書編 -1-)

今年の振り返りで、読書編。

毎年、年間100冊読破が目標なのだが、今年も完全に読んだのは70冊ばかり。
まあ、たくさん読めばいいというものでもないのだ、などと、これも毎年の言い訳。

これは面白かった、と、私が感じた本をあげておこうか。

◆小説・ノンフィクション◆
エンタメ系が多い。
面白い小説に出会えた年だった。

深緑野分 『ベルリンは晴れているか』 筑摩書房

第二次世界大戦末期のベルリン、ナチス・ドイツの崩壊直後が舞台の小説。
今年はじめに読んだので、内容はうろ覚え。
アマゾンの紹介文をあげておく。

<総統の自死、戦勝国による侵略、敗戦。何もかもが傷ついた街で少女と泥棒は何を見るのか。1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり―ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。最注目作家が放つ圧倒的スケールの歴史ミステリ。>

池澤夏樹 『砂浜に坐り込んだ船』 新潮社

池澤夏樹さんは、大好きな作家。
図書館の単行本で読んだ。
池澤さんの著作をまめに追いかけているわけでもないので、たまたま図書館でみつけて借りてきた。

これも、アマゾンの紹介文を。
(以下、アマゾンからの転載部分は<>で括った)

この短編集は、北海道が舞台なのが、うれしい。

<石狩湾で坐礁した、五千トンの貨物船。忽然と砂浜に現れた非日常的な巨体に魅せられ、夜、独り大型テレビでその姿を眺めていると、「彼」の声がした。友情と鎮魂を描く表題作と、県外の避難先から消えた被災者の静かな怒りを見つめる「苦麻の村」、津波がさらった形見の品を想像力のなかに探る「美しい祖母の聖書」ほか、悲しみを乗り越える人々を時に温かく時にマジカルに包み込む全9編。>

角幡唯介 『漂流』 新潮社
角幡唯介 『極夜行』 文藝春秋
角幡唯介 『極夜行前』 文藝春秋

これも私の好きな角幡唯介さんの本。
ひとつ目は小説風のノンフィクション。
宮古島の西隣、伊良部島の佐良浜の漁師が主人公。
ここには、昨年11月、小旅行してきたので、臨場感があった。

<奇跡の生還から8年。マグロ漁師を再び海に向かわせたものは何だったのか? 1994年冬、沖縄のマグロ漁師・本村実は、フィリピン人らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げた。だが8年後、本村は再び出港し二度と戻らなかった。九死に一生を得たにもかかわらず、なぜ再び海に出たのか? 沖縄、グアム、フィリピンなどで関係者らの話を聞き、漁師の生き様を追った渾身の長編ノンフィクション。>

『極夜行』『極夜行前』の二作は、探検家 角幡さん自身の探検記。
何か月も太陽の光が射さない「極夜」を、犬ぞりで走破しようと悪戦苦闘する姿に感動。

<探検家の角幡唯介氏は、グリーンランド北西部にある地球最北のイヌイット村、シオラパルクに拠点を置き、極夜の中、グリーンランドとカナダの国境付近を四ヶ月かけて探検した。/角幡氏を極夜へと駆り立てたのは、イヌイットの言い伝えで「お前は太陽から来たのか。月から来たのか」と、今から二百年前、初めて部族以外の人間に出会ったイヌイットが発した言葉だという。この一言が角幡氏の心の琴線に触れた。「極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか」 >

真藤順丈 『宝島』 講談社

第160回直木賞受賞作。
図書館では貸出待ち行列ができていたため、自腹で購入。
期待を裏切らず、血沸き肉躍る面白さ。
”本土復帰”を控えたアメリカ統治下の沖縄。
そこで「戦果アギャー」(戦果をあげる者)と呼ばれた、米軍基地からの略奪者たちが描かれ、沖縄の姿が真に迫ってくる。
上質のエンタメ小説。
沖縄の歴史を見直すとばぐちにもなる。

私にとっては、昨年読んだ馳星周『弥勒世』に匹敵する、今年読んだ最高傑作。

服部小雪 『はっとりさんちの狩猟な毎日』 河出書房新社
服部文祥 『百年前の山を旅する』 山と渓谷社

服部小雪さんは、服部文祥さん(冒険家というのか)の奥さま。
服部家の、世間とはちょっとズレている生活(狩猟とか、屠畜とか)がユーモラスに描かれている。
挿絵もいい。まるで絵本のような。
『百年前の山を旅する』は、だいぶん前に購入したまま読んでいなかった。
”サバイバル登山”を標榜している服部文祥さんの、ワイルドな登山記。
山好きな私には、たまらなかった。

葉真中顕(はまなか・あき) 『凍てつく太陽』 幻冬舎

図書館本。
この作家を読むのは初めて。
終戦間際の北海道(室蘭あたり)を舞台に、アイヌの青年(特高警察官)と同僚をめぐり、ミステリアスな展開。
結末のどんでん返しは、まさに、ネタバレ注意。
謎解きの面白さがあったが、タネを知ってしまったので、再読できない。
これも、私のおすすめ。

中島京子 『夢見る帝国図書館』 文藝春秋

今年の新刊。
たしか、新聞の書評で知って、読んでみようと思った。
図書館本。

<「図書館が主人公の小説を書いてみるっていうのはどう?」
作家の〈わたし〉は年上の友人・喜和子さんにそう提案され、帝国図書館の歴史をひもとく小説を書き始める。もし、図書館に心があったなら――資金難に悩まされながら必至に蔵書を増やし守ろうとする司書たち(のちに永井荷風の父となる久一郎もその一人)の悪戦苦闘を、読書に通ってくる樋口一葉の可憐な佇まいを、友との決別の場に図書館を選んだ宮沢賢治の哀しみを、関東大震災を、避けがたく迫ってくる戦争の気配を、どう見守ってきたのか。/日本で最初の図書館をめぐるエピソードを綴るいっぽう、わたしは、敗戦直後に上野で子供時代を過ごし「図書館に住んでるみたいなもんだったんだから」と言う喜和子さんの人生に隠された秘密をたどってゆくことになる。・・・>

しんみるする、意外な結末。

帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい) 『三たびの海峡』 新潮文庫
帚木蓬生 『逃亡(上)(下)』 新潮文庫

この作家も、私は初めて。
(現代の人気作家に、あまり馴染みがなかったのだろう)

『三たびの海峡』は、三國連太郎主演の映画で有名らしい(私は観ていない)。
かなり前に出版された小説。
朝鮮半島からの徴用工(強制連行)が主人公。
九州の炭鉱で実際にあったことに、驚く。
知らなかったことが多すぎる。

Facebookにこの本のことを書いたところ、FB友達から教えてもらったのが『逃亡』という小説。
これも、戦後すぐ、中国からの引き揚げ、元憲兵の逃避行が描かれていて、重い内容だった。

<1945年8月15日、日本敗戦。国内外の日本人全ての運命が大きく変わろうとしていた――。香港で諜報活動に従事していた憲兵隊の守田軍曹は、戦後次第に反日感情を増す香港に身の危険を感じ、離隊を決意する。本名も身分も隠し、憲兵狩りに怯えつつ、命からがらの帰国。しかし彼を待っていたのは「戦犯」の烙印だった……。「国家と個人」を問う日本人必読の2000枚。柴田錬三郎賞受賞。 >

馳星周 『蒼き山嶺』 光文社
馳星周 『美ら海、血の海』 集英社文庫
馳星周 『約束の地で』 集英社
馳星周 『神(カムイ)の涙』 実業之日本社

12月になって、馳星周さんの小説を立て続けに読んだ。
昨年読んだ『弥勒世(みるくゆー)』に圧倒されて、この作家に興味をもった。
ただ、作品のテーマ・味わいが多岐にわたっていて、食指が動かない作品も。

そのなかでも、扱っているテーマが、山岳、沖縄戦、アイヌといった作品を選んで読んだのだった。
(『約束の地』だけは、家族、家庭内暴力、痴呆などを扱った、現代的な重い内容だったが)

『蒼き山嶺』
北アルプスの白馬連山を舞台にした山岳小説。
それなりに面白かったが、主人公の超人的なパワー(雪山を人と荷物を背負って延々と歩く)は、ちょっと現実離れしていはしないか。
鼻白む感あり。

『美ら海、血の海』
沖縄戦で血のにじむ体験をした、鉄血勤王隊の少年が主人公。
沖縄戦の地獄の様相が鬼気迫る。
歴史を正しく認識するためにも、こういう小説が読まれるといいと思う。
沖縄戦についてはノンフィクションの記録も多いが、小説(フィクション)ならではの真実がある、というのが私の持論。

『約束の地で』
上に書いたとおり。
登場人物たちが連鎖する、5つの連作短編。
身に迫る。

『神(カムイ)の涙』
題名から連想されるように、北海道の道東地方が舞台。
アイヌの老人(木彫作家、元猟師)と孫娘、そこに、木彫りの弟子になりたいと訪ねてきた青年。
この三人の意外な関係、青年の過去が、だんだんと明かされてくる。
ストーリーにひねったところはない。
ストレートに胸に響く内容。

 

| | | コメント (0)

2019年8月23日 (金)

【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源

8月12日から、途中、中断もあったが、読み続けている本。
たしか、地元の図書館にリクエストして入れてもらった、新刊。

西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』 三一書房 (2019/6/25) 319ページ

 

朝鮮戦争当時、大阪で発生した「吹田枚方事件」を詳細に追跡した内容だが、朝鮮戦争、それ以前の(日本敗戦後の)朝鮮半島の南北分断に至った歴史経緯が、綿密に検証されている。
第二部 朝鮮戦争と日本 第五章 なぜ朝鮮は分断されたのか、なぜ日本は分断されなかったのか P.84~P.105

その内容を忘れないように、テキストファイルに文字入力してみた。
ほぼ原文の書き写し(できるだけ箇条書きになるよう心掛けたが)。

歴史認識が喧伝される昨今、いわゆる慰安婦問題、徴用工問題の遠因を考えるために、公正な歴史認識が必要だと思う。
私も知らなかったことが多く、自身の歴史認識の整理が、少しはできたかな、と思う。

以下、長文。

西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』 三一書房 (2019/6/25) 319ページ 【東大和市立図書館】
2019/8/12~

第二部 朝鮮戦争と日本
第五章 なぜ朝鮮は分断されたのか、なぜ日本は分断されなかったのか P.84~105

■朝鮮戦争の二つの要素
・国際的要素・・・第二次世界大戦末期からの朝鮮半島をめぐる米ソの勢力抗争
・国内的要素・・・統一朝鮮国家の指導権をめぐる半島内部の対立
二つの要素が交錯、融合した典型的な「国際内戦」
戦後日本の針路に決定的な影響を与えた (神谷不二『朝鮮戦争』中公文庫・1990)

■ドイツの東西分割・・・戦前の領土の四分の一の面積がポーランドに編入
「ある日、私のクラスの学生が手を上げて、どうして挑戦は45年に分割されたのか、なぜ日本はドイツのように分割されなかったのか」
「そのときは言葉を失ってしまった。その方が『正当な』解決策であったのだ。日本人はこんなことを聞きたくないと思うが、朝鮮よりも日本を分割する方が正当な処置であったはずだ。
(ブルース・カイングス『朝鮮戦争の起源』シアレヒム社・1989-91)

■なぜ朝鮮が分断されたのか
アメリカ政府の軍部は、日本を四分割する計画をもっていた。 (五百旗頭真『米国の日本占領政策』中央公論新社・1985)
このプランにアメリカ国務省が反対、日本の領土は三分割された。
・連合国軍最高司令官兼アメリカ太平洋陸軍総司令官マッカーサー元帥による北海道、本州、四国、九州の占領
・アメリカ太平洋方面(海)軍総司令官ニミッツ提督による琉球列島、小笠原諸島の占領
・ソ連極東軍総司令官ワシレフスキー元帥による「北方領土」(樺太、千島)の占領
(竹前栄治『占領戦後史』岩波書店・1980/1992)

■米国は日本の朝鮮支配を承認していた
黒船来航(1853)~日米和親条約締結(1854)
明治維新(1868)
日清戦争(1894-95) 朝鮮半島の支配権をめぐる清との戦争
日露戦争(1904-05) 中国・遼東半島、満州鉄道の利権をめぐるロシアとの戦争
アメリカが帝国主義路線に踏み出した時期
・キューバに対する覇権争いと独立をめぐるスペインとの戦争(1898)に勝利
・同時期、国王フェリペ二世ゆかりの島国スペイン領フィリピンでの米比戦争を鎮圧
 フィリピンを植民地として支配、宗主国となる
桂=タフト協定(秘密協定・1905/7)
セオドア・ルーズヴェルトの特使・陸軍長官タフトがフィリピンに向かう途中、日本を訪れ、当時の総理大臣兼外務大臣・桂太郎と面談、秘密協定を結ぶ
(1)日本はアメリカのフィリピン当地に同意し、同地に何らの野心もない
(2)極東平和のため日英米三国の好意ある理解が必要
(3)アメリカは、韓国(大韓帝国)に対する日本の保護監督権を承認する
「この協定は、この直後締結された日英同盟改訂、日露講和条約とともに日本の韓国保護国化を列強が保証したものであった」
(『岩波日本史辞典』)

■乙巳(いっし)条約と韓国
乙巳条約(第二次日韓協約)・・・韓国の外交権を奪って保護国とし、総督府を置く(1905)
アメリカはソウルの公使館を閉鎖(1905/11)
以後、36年間、アメリカは日本の朝鮮支配を承認、朝鮮独立運動へのサポートを抑制
韓国併合、植民地化(1910)
※「併合」=二つ以上のものをあわせて一つにすること。(類語として)統合・合併・合一・合体・合する
(三省堂『現代新国語辞典』)
外務省の政務局長倉知鉄吉が「其語調の余り過激ならざる文字」を目的に新たに作った言葉。
「この新語はオーストリア・ハンガリー帝国のように対等の連邦国家のように誤解する人もいたが、韓国が全然廃滅に帰して(大日本)帝国の領土の一部となる意を明かす」ためだと覚書に記載。(倉知鉄吉は、当時の対韓政策の原案を作成)

■韓国併合条約
カタチの上では、韓国の皇帝が日本の天皇に併合を申し出て、日本の天皇がこれを受け入れた「任意」を装っているが、実態は、日本が軍隊・警察をつかって徹底的に弾圧した結果だ
ソウルの西大門(ソデムン)刑務所跡地にある「歴史館」には、かつての政治犯が受けた扱いが展示されている
西大門刑務所歴史館 | 観光-ソウルナビ https://www.seoulnavi.com/miru/24/

■朝鮮は日本の鏡
黒船来航(砲艦外交)~鎖国から開国へ~明治維新
日本は中国(清国)の冊封国朝鮮の支配を意図
征韓論(1873)・・・ベクトルが逆の砲艦外交で開国させる(江華島事件・1875)
日清戦争、日露戦争も原因は朝鮮、満州=中国東北部
日清戦争、三国干渉
遼東半島を清国に返還、ロシアが大連・旅順の租借権などを獲得、満州に軍隊駐留
日露戦争
日本海戦でからくもロシア艦隊を破る
日ロ双方の事情(日本:財政上の問題、ロシア:革命運動の激化)から、セオドア・ルーズヴェルトの斡旋を受け入れ、ポーツマス講和条約締結
結果、朝鮮の植民地化、遼東半島の租借権、満州の鉄道利権を手に入れる
明成(ミョンソン)皇后(=閔妃)暗殺事件(1895)

■「満州国」
韓国併合をアメリカは承認
満州事変(1931)
満州国樹立(1932)
リットン調査団報告
国際連盟脱退
日中戦争始まる(1937)
「大東亜戦争」(1941)

■ソヴィエト連邦の対日政策
社会主義国ソヴィエト連邦を仮想敵国とし、ソ連との距離感に悩む
ナチスドイツのポーランド侵攻(1939/9)、オランダ、フランスへの侵攻
ナチスドイツ、ソ連との相互不可侵条約締結(1939/8)、英仏との戦闘に専念
ナチスドイツ、ソ連に侵攻、条約破棄(1941/6)
ソ連、「満州国」に滞在する「関東軍」(万里の長城の東に位置する山海関から東エリアを「関東」という)の兵力を警戒、日本と日ソ中立条約締結(1941/4)、ナチスドイツとの戦争に専念
ソ連、英米に対して、早く西ヨーロッパに兵力を上陸させてナチスドイツを東西から挟み撃ちすることを望む
英米軍の上陸は遅れる
ソ連、英米がナチスとソ連という全体主義国家の共倒れを狙っているのではないかと疑う
英米を主力とする連合国のシチリア島上陸(1943/7)、イタリア本土上陸(1943/9)
フランスのノルマンディー上陸(1944/6)
ヨーロッパ第二戦線ができるまで、ソ連はナチスとの単独戦争を余儀なくされ、レニングラード攻防戦などで膨大な死傷者を出す

■カイロ会議
ミッドウェー海戦(1942/6)
ガダルカナル戦(1942/11)
英米首脳、中華民国総統・蒋介石をカイロに招き、対日政策を話し合う首脳会談=カイロ会議(1943/11)
チャーチルは蒋介石招聘に疑義を抱くも、フランクリン・ルーズヴェルトは中華民国が日本と抜け駆けで講和条約を結ぶことを警戒
英米首脳、カイロからテヘランを往復、テヘランでスターリンと会談、第二次大戦後のヨーロッパについて議論、カイロに戻る
英米中三首脳のカイロ宣言(1943/12/1)
この中で朝鮮について言及「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、朝鮮をやがて自由かつ独立のものとする」
「やがて」という制約条件の背景・・・英米が挑戦を信託統治にする考え(独立はその後)
イギリスは植民地インドの問題を抱え、独立に反対した

■ヤルタ会談
クリミア半島(ロシア・ロマノフ王朝のリゾート地、黒海北部)の保養地ヤルタに、ルーズヴェルト、チャーチル、スターリンが集まる(1945/2)
主たる議題:ヨーロッパの重要問題、とりわけポーランド問題
対日参戦については米ソだけで話し合う(チャーチルは外される)
「ナチスドイツ降伏後、ソ連は二、三か月のうちに対日戦争に参戦」が同意される
スターリンは、日露戦争で失った樺太南半分、満州での既得権益にとどまらす、外モンゴル(当時のモンゴル人民共和国)の現状維持、千島列島の獲得までルーズヴェルトに要求
ヤルタ会談の後、ルーズヴェルトが病死(1945/4/12)
副大統領のトルーマンが第33代大統領に就任(選挙を経ていない大統領という後ろめたさを本人は抱えていた)

■日本はソ連へ和平工作を依頼 (なんという間抜けさかげん)
日本の敗色濃厚
ソ連外相モロトフ、モスクワの中ソ日本大使・佐藤尚武を呼び出し、日ソ中立条約を延長しない旨通告(1945/4/4)
期限切れまでは現状維持と伝える
東京では総理大臣が変わり、鈴木貫太郎に(昭和天皇の信任が厚く、海軍大将、枢密院議長)(1945/4/5)
アメリカの知日派、鈴木内閣誕生を、日本が「無条件降伏」まではいかないまでも、戦争終結の準備を始めたと受け止める
(武田清子『天皇観の相克』岩波現代文庫)
ソ連、ヤルタ会談での米国の同意に基づき、対日参戦の準備に入る
「シベリアでソ連赤軍が軍備力を増強」との情報は、日本のスパイ網にかかり、東京に報告が上がっていた
(にもかかわらず、日本は間抜けなことに、当時の陸軍は連合国との和平仲介をソ連に求める)
ナチスドイツ降伏(1945/5/7)
ソ連、対日参戦準備を本格的に始める
昭和天皇、ソ連への特使派遣を決定(1945/7/9)―元総理大臣・近衛文麿
中ソ日本大使・佐藤尚武、外相モロトフに会えずじまい
(日本の外交ベタ、ソ連の外交巧者ぶりが際立つ)
ソ連、「日本が戦争を終結したがっている」という重大かつ貴重な情報を日本そのものから入手、英米に伝えた

■ポツダム宣言
ソ連、日本からの和平交渉依頼に対し邪険にふるまう中、スターリンとモロトフがモスクワ出発(1945/7/14)
目的地はドイツのベルリン郊外、ポツダム、連合国首脳会議に出席するため
ルーズヴェルト病死を受けて急遽大統領に就任したトルーマン、弁護士出身で外交に疎かった
就任間もない時期(1945/4/25)、原子爆弾開発の秘話を聞き、驚く
「一発で一つの都市全体を破壊できる爆弾」と、陸軍長官から聞かされ
原爆実験がネバダ砂漠で成功したとの報告をトルーマンが受け取る(ポツダム会談開始の前日、1945/7/16)
第二次世界大戦の終結は秒読み段階
問題は、日本をいかに降伏させるか
アメリカ軍の沖縄上陸作戦
次なる本土決戦は南九州から上陸する作戦(1945/11目標)の準備にとりかかる
トルーマンの手元には「原爆カード」、ソ連の対日参戦カード
あとは「天皇」をどうするか

■トルーマンの代理署名
ポツダム宣言に署名したのはトルーマンだけ
イギリス、中華民国の代表はトルーマンが代理署名した
(スターリンは宣言に当初参加せず、署名もしていない)
(小此木征夫『朝鮮分断の起源』慶應義塾大学法学研究会)
チャーチル、ドイツ降伏後二か月経って行われたイギリス総選挙で保守党敗北、首相に資格を実質的に失う
労働党党首アトリーが次席代表として参加
中華民国の蒋介石は、ポツダムにも招かれず、トルーマンは中国と無線で了解を求め、同意を得た
トルーマンが蒋介石の代わりに署名
しかも、中華民国の正式名称を使わず、単にチャイナと表記

■天皇、原爆、朝鮮分断
米英中三か国、日本に「無条件降伏」を要求(1945/7/26)
ポツダム宣言にスターリンが署名していない理由:この日の段階でソ連はまだ対日戦争に公式に参加していないからとの公式声明
トルーマンは、スターリンに弦悪の存在を耳打ち
スターリンは、すでにアメリカ国内のソ連の協力者の情報から原爆開発の経過を知っていたという
ポツダムでのトルーマンとの会談後、スターリンは軍部に対し対日参戦をそれまでの8月下旬から早め、すぐに攻撃開始できるよう繰り上げを命令

■日本降伏「秒読み」
通例、外交文書は大使館を通して直接通告するもの
第二次大戦中といえども、日本はヨーロッパに永世中立国スイスとスウェーデン日本大使館を設置したままだから、通告すればよさそうなものだが
連合国はポツダム宣言を日本に直接通告しなかった
サンフランシスコからのラジオ短波で放送、日本が傍受
日本が軍事的に連合国に圧倒的に負けている段階で、いかに天皇制を守るか日本の指導者層は苦闘

■米国内部の相克
アメリカは、1940年代初頭から日本研究
日米戦争後の日本の政治体制をめぐって、アメリカ政府内部で「知日派」と「知中国派」との意見対立が続く
蒋介石、中国を侵略する大日本帝国の軍国主義と天皇制がわかちがたく軍国日本の両輪を形作っている、戦後の日本は天皇制をなくすべきだと強く主張
アメリカ国務省内部の「知中国派」は、天皇制廃止を望む
「知日派」の代表ジョセフ・グルーは天皇制存続を主張(「天皇利用」説)
天皇の威光を利用した方が、日本軍の武装解除、戦後の統治がしやすいと考えた
トルーマンに対し、天皇制存続をほのめかせば日本の降伏は早まると説得
(グルーは、日米開戦時の駐日アメリカ大使、武田清子と逆の日米捕虜交換船でアメリカに帰国、国務省次官として活躍)
(武田清子:日本の思想史家、戦前からアメリカに留学、日米開戦に伴い日米捕虜交換船で帰国、『天皇観の相剋』という研究所あり)
相剋:対立するものが互いに相手に勝とうと争うこと

■日本政府の逡巡
日本国内の論点:連合国側が「国体護持」=天皇制を残すのか、共和制移行を要求するのか、その見極めだった
ポツダム宣言には天皇制存続を保全する文言なし
日本の降伏、原爆、ソ連の参戦、天皇制存続が互いに絡み合う
1945/7/26、ポツダム宣言を日本の外務省、陸軍、海軍が別々に短波傍受、翻訳
同盟通信(のちの共同通信)が「リスボン発同盟通信電報」を配信、新聞にはベタ記事掲載
日本政府内部では、ポツダム宣言に天皇制存続保全の文言がないことから、政府内部で厳しい論議
結局「コメントしない」と「黙殺」することを決めた
その「黙殺」を新聞社、通信社は「拒絶」と報道、連合国は日本がポツダム宣言を「拒否」したと判断
日本政府指導部の逡巡が大きな悲劇と朝鮮半島分断をもたらした

■原爆投下
1945/8/6、マリアナ諸島テニアン島にある米軍の空軍基地から、新型爆弾を載せた爆撃機B29が飛び立ち、午前8時15分、広島の中心部上空で爆弾が炸裂
当時の広島の人口約35万人、うち14万人が一発の新型爆弾で死亡
犠牲者の中には在日朝鮮人やアメリカ軍捕虜数十人も含まれている
陸軍は調査団を派遣、広島赤十字病院のレントゲン写真がすべて感光していたことから、新型爆弾が原子爆弾だと判断
同じ日、スターリンは、赤軍に対し三日後(8/9)、対日戦の参戦を命令
ポツダム宣言の「黙殺」あるいは「拒否」がアメリカに原子爆弾投下、ソ連の対日参戦の大義名分を与えた

■分断は30分で決定
日本政府が天皇保障を連合国側から取り付けようと逡巡しているこの数日のタイブラグで、ソ連赤軍は怒涛の進軍
8/9午前零時(ロシア東部時間)、満州侵攻作戦を開始
満蒙国境の越境、朝鮮には日本海側の豆満江の渡河作戦と、日本海側の港・清津などへの上陸作戦(8/13)、南樺太への侵攻を実施、わずか数日のうちに赤軍は朝鮮半島を南下
はじめの作戦では京城(ソウル)をめざす予定だったが、原爆を二度までも落としたアメリカ軍の実力と真意を測りかね、京城へは先遣隊派遣にとどめた

■アメリカの戸惑い
ソ連軍の満州国と朝鮮への進軍開始(8/9)を受け、8/10深夜から翌日未明にかけ、アメリカ政府の国務・陸軍・海軍三省調整委員会は、二人の若い陸軍大佐に対し、朝鮮分割案を作るように指示
二人は、北緯38度線による分割プランを提出
理由は「アメリカ側に首都(ソウル)を含めるため」
作業時間はわずか30分だった
(ブルース・カミングス『現代朝鮮の歴史』明石書店)
「二人は朝鮮半島の中央部のくびれ付近を横切る線に目を止めた。北緯38度線だ。こうして地図にダーツを投げつけるより少々複雑といった程度の手順を経て、二人は分割案を持参した」
(デイビッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』新潮社)
立案者二人のうちの一人は、ケネディ政権で国務長官を務めたディーン・ラスク(当時、大佐)
ラスクは「地図は朝鮮の地形が明確に見て取れるナショナル・ジオグラフィック誌のものだった」と証言した
(饗庭孝典『朝鮮戦争』日本放送出版協会)
ハルバースタム:「アメリカには正しい判断のできる朝鮮半島の専門家がいなかった」(前掲書)
朝鮮民族の分断は、アメリカとソ連に大きな責任があり、日本がポツダム宣言受諾のタイミングを間違えたという意味で、日本の責任も小さくない
日本は受益者となり、朝鮮は新たな苦難を強いられた
ソ連は、この朝鮮分割案をすんなりと受け入れたが、立案者のラスクは「ちょっと驚いた」と証言した

■朝鮮分断は38度線か39度線か
境界線以北の日本軍はソ連に、南側は米軍に降伏し、武装解除することに
日本軍のうち対ソ戦を受け持つ関東軍と、朝鮮半島を受け持つ朝鮮軍の境界が北緯38度線だったという説があったが、そうではなかった
敗戦間際、日本軍はエリア再編を実施、関東軍と朝鮮軍の境界は北緯39度線だった
(宮田節子『朝鮮軍概略史』不二出版)

■国連信託統治案
アメリカは、フィリピンがそうであるように、ウィルソンの民族自決主義をそのまま適用するのではなく、国連の信託統治方式を採用する方針だった
その期間は40年~50年
その背景には、イギリスが植民地インドをかかえ独立に反対していたから
朝鮮半島でソ連赤軍が南下を開始した8/9の段階で、アメリカ軍は沖縄に軍隊を進めたばかり、南朝鮮は空白だった

■第一回目の御前会議
1945/8/8、モスクワでは外相モロトフが駐ソ日本大使館の大使佐藤尚武を呼び出し、宣戦布告、日ソ断絶
だが、日本大使館から東京の外務省への連絡は、ソ連当局の妨害でつながらなかった
東京での第一回御前会議(8/9)
三日前には広島原爆投下、8/9当日未明にはソ連の対日参戦、御前会議の最中、午前11時過ぎ、長崎に二つ目の新型爆弾(原子爆弾)投下
午前会議:昭和天皇、首相・鈴木貫太郎、外務大臣・東郷茂徳、陸軍大臣・阿南惟幾、海軍大臣・米内光政ら
8/10未明、ポツダム宣言を受諾することには全員同意したものの、受諾条件でもめる
・外務大臣の一条件案(天皇の地位存続のみを条件)
・陸軍大臣の四条件案(天皇の地位存続保障のほか、戦争責任者日本側処断など)
昭和天皇の聖断がないと結論を国民を含め軍部が受け入れないだろう―内大臣・木戸幸一らが事前に準備
キーパーソンは木戸、総理の鈴木貫太郎は「聖断」方式を採用
昭和天皇の「聖断」によって外務大臣案が採用された
この回答は、スウェーデンとスイスの日本大使館を経由して連合国に通知
連合国側は外務大臣案が求める天皇の地位保障に対して、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」(米国務長官バーンズ)と返答

■終戦の詔勅
二度目の御前会議(8/14、皇居御文庫)
その日の夜遅く「敗戦の詔書」を決定
「米英支蘇の共同宣言を受諾」(ソ連はポツダム宣言後に対日参戦したので、8/14の段階では日本と戦っている連合国の主要メンバーは四か国)
昭和天皇が直接日本国民、とりわけ日本軍兵士に降伏した事実を告げないと武装解除がスムーズに進まないとの理由で、昭和天皇が直接ラジオを通して呼びかけることが決まる
この日深夜遅く、NHK職員が皇居に出向き、昭和天皇が決まったばかりの「終戦の詔書」を朗読、その声をレコード盤に録音
(このレコード盤をめぐって近衛部隊が蜂起した「宮城事件」が発生)
日本政府は、14日夜、国民に対し「翌日正午に重大放送を放送すること」を臨時放送、新聞各社に対して翌日の朝刊を正午以降に配布することを命じた
(参謀本部や陸軍省の記者クラブを通して、全国新聞社はポツダム宣言受諾を一日早く知ったことになる)
当時、東京朝日新聞の記者だった武野武治(むの・たけじ)は、この夜を最後に出社しなくなった
(戦争責任をとった、ただ一人のジャーナリストと言われた)

■光復節
日本が負けた日はいつか?
・8/14説 昭和天皇が「終戦の詔書」に署名した日付、皇居で御前会議が開かれ「終戦の詔書」がまとまった日
・8/15説 玉音放送の日(ソウルとピョンヤンで日本が負け民族復権したことを祝う=光復節)
・9/2節 ミズーリ号上で連合国に対し降伏文書に署名調印した日

■玉音放送
8/15正午、玉音放送がはじまる
「忍び難きを忍ぶ」という文言は、明治天皇が日露戦争の後の三国干渉を受諾した際からの引用

■直接統治か間接統治か
日本の降伏にともない、連合国最高司令官一般命令第一号によって、朝鮮は北緯38度線以北ではソ連軍が、以南ではアメリカ軍が、それぞれ日本軍の武装解除にあたることに
アメリカ軍にとって、朝鮮人は「敵国人」なのか「解放された人民なのか、微妙な問題
アメリカ政府内部で議論していたものの、結論が出る前に日本が降伏
アメリカの朝鮮半島政策は後手後手にまわった
日本の植民地支配を36年間もの長きにわたって受け、朝鮮総督府や日本軍で朝鮮半島出身者が日本のお先棒として実直に働いている実情を見て、アメリカは判断に迷い、結論を出しかねた
(韓国国内でのちに「親日派」の扱いが問題になる根拠もこうした実情に起因)
フィリピンにいたアメリカ軍最高司令官マッカーサーが神奈川県厚木飛行場に到着(8/30)
マッカーサー日本来訪の数日前、日本を統治する方式が、アメリカ軍による直接統治から、従来の日本政府を仲介しての関節統治方式に変更
沖縄にいたアメリカ軍中将ホッジ率いる第24軍は、ソ連軍に遅れること一か月後の9/8、仁川に上陸
ホッジは、日本本土でマッカーサーがとった統治方式そのままに、従来の日本人の朝鮮総督府を利用しての間接統治を目指した
ホッジの記者会見には、朝鮮総督府の総督・阿部信行が同席、日本人官吏をそのまま留用すると言明したとたん、朝鮮人から猛反発を受け、三日後、しぶしぶ阿部を解任
アメリカは南朝鮮の民衆の心をつかむことに、スタート直後に失敗した

■軍政下
なぜトルーマンは、グルーの助言を受けて、天皇制存続をポツダム宣言に入れなかったのか
もしそうしていたら、日本政府はただちに宣言を受け入れ、原爆やソ連の対日参戦もなかったのでは?
トルーマンが天皇保障の文言を入れなかった理由は、トルーマンが見据えていたのはすでに確定的な対日勝利よりも、さらなる将来のソ連との対立(のちに「冷戦」と名付けられる)を重視し、有利に展開するため、原爆の威力をソ連に見せつけるためだったなど、いろいろな解釈を研究者はする
朝鮮分断とは「帝国主義」と「冷戦」が生み出した鬼っ子なのだ
本当の悲劇は5年後に訪れる―朝鮮戦争勃発

(了)

| | | コメント (0)

2019年8月18日 (日)

【読】ノーマ・フィールド

3月の終わりに投稿してから、5か月近く、このブログから離れてしまっていた。
毎日、日記ブログは書いてきたのだけれど。

ノーマ・フィールド(Norma M. Field)という人を、最近知った。

― Wikipedia より ―
<ノーマ・フィールド(Norma M. Field, 1947年 - )は、アメリカ合衆国の日本研究者、シカゴ大学名誉教授。
第二次世界大戦後の東京で、アメリカ人の父と日本人の母の子として生まれる。1974年、インディアナ大学で東アジア言語文学の修士号を取得。1980年に来日し研究。1983年、プリンストン大学で同博士号取得。シカゴ大学に奉職し、東アジア学科教授をへて名誉教授。
夏目漱石の『それから』の英訳(And Then)に続き、『源氏物語』論である『憧憬の輝き』(Splendour of Longing)で注目された。
1988年の再来日の折に昭和天皇の死去に至る日々を体験。ルポルタージュ『天皇の逝く国で』を著し、この著書の日本語訳によって日本でも一般に知られるようになった。>

私は、ある新書で、この人の『天皇の逝く国で』という本を知り、図書館から借りて読んだのがきっかけ。

中川成美 『戦争をよむ―70冊の小説案内』 岩波新書 (2017/7/20)

<克明な心理描写をまじえて戦争と人間の真実に分け入る小説作品は、戦争のリアルを伝える大切な語り部だ。物語のなかに封じ込められた、戦時下を生きる人びとの細やかな感覚と日々の葛藤と苦しみ、そして悲しみ。記憶の風化とともに失われていく、かつての時代の手がかりを求めて、戦争の文学を再読する。>

ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『天皇の逝く国で [増補版]』 みすず書房 (2011/10/28)

<「自粛」「常識」という社会の抑圧に、抵抗できるか。
登場人物は体制順応という常識に抗った三人の日本人。
沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛官の夫の靖国神社合祀に反対した中谷康子、天皇の戦争責任を明言して狙撃された長崎市長の本島等。
あれから20年余、増補版のために書かれた新たなあとがきを付す。
ノーマ・フィールドは、アメリカ人を父に、日本人を母に、アメリカ軍占領下の東京に生まれた。
高校を出てアメリカヘ渡り、現在はシカゴ大学で日本文学・日本近代文 化を講じる気鋭の学者である。
彼女は、昭和天皇の病いと死という歴史的な瞬間に東京にいた。そして天皇の病状が刻々報道され、自粛騒ぎが起こるなかで、日本人の行動様式と心性、そしてそこにさ まざまな形で顕在化したあまたの問題に想いを巡らせた。
登場人物は、〈体制順応という常識〉に逆らったために、ある日突然〈ふつうの人〉でなくなってしまった三人――沖縄国体で「日の丸」を焼いた知花昌一、殉職自衛隊員の夫の護国神杜合祀に抗した中谷康子、天皇の戦争責任発言で狙撃された本島長崎市長――と、もう一組、著者自身とその家族である。
かれらの市民生活の日常にそって、問題は具体的に考えられる。
基地内のアメリカン・スクールに通い、大方の日本人の知らない〈戦後〉を生き、いまも〈太平洋の上空に宙づりの状態〉にある著者が、みずからの個人史に重ねて描いた現代日本の物語。
[初版1994年2月/増補版(始まりの本)2011年11月発行] >

この本に打ちのめされ、図書館にあった他の本、ブックレットも読んでみた。

ノーマ・フィールド/岩崎稔/成田龍一 『ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望』
 岩波ブックレット781 (2010/4/7)
ノーマ・フィールド 『いま、<平和>を本気で語るとは 命・自由・歴史』
 岩波ブックレット990 (2018/12/5)
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『祖母のくに』
 みすず書房 (2000/5/12) 204ページ
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『へんな子じゃないもん』
 みすず書房 (2006/3/10) 253ページ

なかでも、次の2冊は、彼女の思想がぎゅっと濃縮されている良書だったので、図書館の本を読んだ後で、『天皇の逝く国で』とあわせて3冊、Amazonで中古本(古本)を購入してしまった。

ノーマ・フィールド:みすず書房
https://www.msz.co.jp/book/author/13912.html

ノーマ・フィールドは、1947年、米軍の軍属だったアメリカ人の父と、日本人の母とのあいだに生まれた。
進駐軍が日本を占領していた時期。
祖母の家に、両親、叔母たちといっしょに暮らし、米軍基地内の学校までスクールバスで通学。のちにアメリカンスクールに進学。
父親は、妻(ノーマの母)と娘を置いて、アメリカに帰国してしまう(両親は離婚)。

国籍はアメリカ、住まいの周囲は日本人ばかり。
学校ではアメリカの子どもたちと過ごしながら、アメリカ人と見られない。
そんな環境で育ったために、日本人でもアメリカ人でもない(あるいは両方)という意識が身についてしまう。

若くからアメリカに移住し、アメリカ人と結婚。
アメリカと日本のあいだを往復する。

上にあげた3冊の単行本には、幼い頃、彼女と暮らした祖母、母、叔母たちの回想と、日本という祖国へ向ける厳しく、あたたかいまなざしが詰まっている。
なかでも、『祖母のくに』『へんな子じゃないもん』には、脳溢血で倒れた後の祖母を見舞う毎日が、あたたかい筆致で綴られていて、感動的。

こういう著者との出会いは、得難いものだ。

【追記】
彼女の最近の写真を貼り付けようと思ったが、著作権に触れそうなので、下記リンク先の記事を参照願いたい。

「国家主義は史実を曲げる」 日本研究者187人声明:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASH574JV5H57UHBI017.html

有料会員限定記事 ※
ニューヨーク=中井大助、真鍋弘樹 2015年5月8日08時41分

※途中まで読めるし、ノーマ・フィールドの写真も見られる。
 魅力的な女性だ。

| | | コメント (2)

2018年12月27日 (木)

【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)

今年、2018年一年間に読んだ本のうち、強く印象に残ったものを書きだしてみる。

読んだ本の記録をPCに残しているが、今年は60冊ちょっとしか読めなかった。
夢中になって次々と読んでいた時期と、本から離れていた時期、といった具合で、まちまちだ。

■文庫10冊シリーズ 読破

池内紀・川本三郎・松田哲夫編 『日本文学100年の名作』 1~10
 新潮文庫 2014年9月~2015年5月発売

発売当時、毎月一冊ずつ購入して全巻揃っていたが、読まないまま本棚で眠っていた。
一念発起、2月から9月まで半年かけて読み継いだ。

『日本文学100年の名作 第1巻 1914-1923 夢見る部屋』
 新潮文庫 (2014/9/1) 490ページ
『日本文学100年の名作 第2巻 1924-1933 幸福の持参者』
 新潮文庫 (2014/10/1) 500ページ
『日本文学100年の名作 第3巻 1934-1943 三月の第四日曜日』
 新潮文庫 (2014/11/1) 514ページ
『日本文学100年の名作 第4巻 1944-1953 木の都』
 新潮文庫 (2014/12/1) 502ページ
『日本文学100年の名作 第5巻 1954-1963 百万円煎餅』
 新潮文庫 (2015/1/1) 555ページ
『日本文学100年の名作 第6巻 1964-1973 ベトナム姐ちゃん』
 新潮文庫 (2015/2/1) 543ページ
『日本文学100年の名作 第7巻 1974-1983 公然の秘密』
 新潮文庫 (2015/3/1) 555ページ
『日本文学100年の名作 第8巻 1984-1993 公然の秘密』
 新潮文庫 (2015/4/1) 503ページ
『日本文学100年の名作 第9巻 1994-2003 アイロンのある風景』
 新潮文庫 (2015/5/1) 510ページ
『日本文学100年の名作 第10巻 2004-2013 バタフライ和文タイプ事務所』
 新潮文庫 (2015/5/1) 639ページ

馴染みの作家、名前だけ知っていて読んだことがなかった作家、まったく知らなかった作家など、幅広い作品が収録されていて、面白かった。

20180903_164823

         

これまで読んだことのなかった作家の他の作品も、図書館で借りて読んでみた。

道尾秀介 『光媒の花』 集英社 (2010/3/30) 258ページ
木内昇 『茗荷谷の猫』 平凡社 (2008/9/25) 238ページ

 

現代作家にも、すばらしい書き手がいることを知ったのも、収穫だった。

■沖縄への関心

今年もまた、沖縄に関する本を読んだ。
どれも、図書館で借りてきた本。

沖縄タイムス社編集局 編著 『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』
 高文研 (2017/3/25) 236ページ
行田稔彦(こうだ・としひこ) 『いまこそ、沖縄 ~沖縄に親しむ50問50答』
 新日本出版社 (2014/2/25) 173ページ
嬉田京子 『戦場が見える島・沖縄―50年間の取材から』
 新日本出版社 (2015/9/20) 158ページ
藤原書店編集部編 『「沖縄問題」とは何か――「琉球処分」から基地問題まで』
 藤原書店 (2011/2/28) 273ページ
アレン・ネルソン/國弘正雄 『沖縄に基地はいらない――元海兵隊員が本当の戦争を語る』
 岩波ブックレット444 (1997/12/19) 55ページ
金城実・松島泰勝 『琉球独立は可能か』 解放出版社 (2018/2/11) 310ページ
馳星周 『弥勒世(みるくゆー) 上』 小学館 (2008/2/25) 611ページ
馳星周 『弥勒世(みるくゆー) 下』 小学館 (2008/2/25) 589ページ
松島泰勝 『琉球 奪われた骨』 岩波書店 (2018/10/10) 264ページ
川満彰 『陸軍中野学校と沖縄戦』 吉川弘文館 (2018/5/1) 229ページ

   

フィクションだが、馳星周『弥勒世(みるくゆー) 上・下』が強烈だった。
また、松島泰勝『琉球 奪われた骨』は、琉球だけでなく北海道でもアイヌの遺骨が学者によって盗掘されたことを知っていたので、強く揺さぶられる内容だった。

金城実・松島泰勝 『琉球独立は可能か』は、ふたりの考え方の微妙な違いはあるものの、熱い思いが伝わってきた。
空想的かもしれないが、琉球も北海道も、独立を考えていいと思う。
元々、ヤマトとの支配の届かない、別の土地だったのだから……。

■イザベラ・バード 『日本奥地紀行』

金坂清則(訳注)で読む。
ただし、全4巻中、3巻目まで。
「完訳」とうたっているだけあって、翻訳にあたっての考証が半端ではない。

『イトウの恋』は、イザベラ・バードの従者だった”イトウ”をモデルにした小説。
以前から気になっていた小説だが、読んでみると面白かった。

イザベラ・バード/金坂清則(訳注) 『完訳 日本奥地紀行1 横浜―日光―会津―越後』
 平凡社東洋文庫819 (2012/3/21) 391ページ
イザベラ・バード/金坂清則(訳注) 『完訳 日本奥地紀行2 新潟―山形―秋田―青森』
 平凡社東洋文庫823 (2012/7/10) 439ページ
イザベラ・バード/金坂清則(訳注) 『完訳 日本奥地紀行3 北海道・アイヌの世界』
 平凡社東洋文庫823 (2012/11/16) 415ページ

中島京子 『イトウの恋』 講談社 (2005/3/5) 276ページ

   

■あの戦争

先の大戦(アジア・太平洋戦争)への関心は、ずっと続いている。
このところ目に余るほど顕在化してきた、戦争美化、戦争責任の忌避、といった風潮に抵抗するために、もっともっと「あの戦争」の実相を知りたい。

全部で20巻(他に別巻)もある膨大なシリーズ、『コレクション 戦争と文学』を買い揃えたのは、今から5年前だったか。
ようやく、そのうちの一巻を読破した。
全巻読破まで、まだまだ先は長い……。

鈴木明 『「南京大虐殺」のまぼろし』 文藝春秋 (1973/3/10) 274ページ
北村稔 『「南京事件」の探求』 文春新書207 (2001/11/20) 197ページ
笠原十九司 『「百人斬り競争」と南京事件』 大月書店 (2008/6/20) 282ページ
石川達三 『生きている兵隊 【伏字復刻版】』 中公文庫 (1999/7/18) 214ページ
吉田裕 『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』
 中公新書2465 (2017/12/25) 228ページ

『コレクション 戦争と文学 7 日中戦争』 集英社 (2011/12/10) 743ページ

 

■印象に残った本

興味のおもむくまま読んだ雑多な本の中から、印象に残った本。
小説あり、エッセイあり、ノンフィクションあり。

木村友祐 『幸福な水夫』 未來社 (2017/12/15) 189ページ
池澤夏樹 『知の仕事術』 インターナショナル新書 001(集英社) (2017/1/17) 221ページ
河治和香 『がいなもん 松浦武四郎一代』 小学館 (2018/6/13) 317ページ
五木寛之 『七十歳年下の君たちへ こころが挫けそうになった日に』
 新潮社 (2018/7/30) 190ページ
篠原勝之 『戯れの魔王』 文藝春秋 (2018/11/20) 189ページ
植田絋栄志(うえだ・ひさし) 『冒険起業家 ゾウのウンチが世界を変える。』
 ミチコーポレーション (2018/10/23) 396ページ
斎藤美奈子 『日本の同時代小説』 岩波新書1746 (2018/11/20) 269ページ

      

(2018/12/27記)

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

【山】山日誌 【楽】音楽日誌 【歩】散歩日誌 【演】演劇・映画・演芸日誌 【観】観察日誌 【読】読書日誌 【遊】おでかけ日誌 【雑】きまぐれ日誌 【震】震災日誌 あの戦争 こんな本を手に入れた こんな本を読んだ こんな音楽を聴いた ちょっと遠くへ アイヌ民族・アイヌ語 アフガニスタン山の学校支援の会 サイボク・まきばの湯 トムラウシ山遭難事故 上々颱風 中島みゆき 五十一 五木寛之 今尾恵介 内村剛介 内澤旬子 内田樹 加藤登紀子 勝沼大雅園 勢古浩爾 北方謙三 南方熊楠 古山高麗雄 古本 吉本隆明 吉村昭 呉智英 四季 冬 四季 夏 四季 春 四季 秋 図書館 国分寺 light house 国分寺界隈 塩山 BUN BUN Bear 塩見鮮一郎 多摩 夢枕獏 宮本常一 宮沢賢治 宮部みゆき 小平図書館友の会 小平界隈 小松由佳 小熊英二 小金井公園 小金井界隈 山崎ハコ 山田風太郎 山野井泰史 岡崎武志 岸本完司 平岡正明 府中 郷土の森 日帰り温泉 日航123便墜落事故 星野道夫 服部文祥 杏's cafe 村上春樹 東大和界隈 松岡正剛 松浦武四郎 柳田国男 桂枝雀 桐野夏生 椎名誠 江戸東京たてもの園 江戸東京博物館 池澤夏樹 沖浦和光 沖縄 沢木耕太郎 浅川マキ 浅田次郎 浅草弾左衛門 渋・辰野館 満州 澤地久枝 狭山公園 田中優子 白崎映美 百名山 知里幸恵・真志保 石光真清 石原吉郎 石川英輔 美瑛 船戸与一 菅江真澄 萱野茂 西川郷子 西牟田靖 角幡唯介 赤坂憲雄 長倉洋海 間宮林蔵 関野吉晴 阿部謹也 青梅・奥多摩・五日市 静かな大地 須藤もん 高橋美香 高田渡 高野秀行 鳥の歌 鶴見和子