カテゴリー「あの戦争」の206件の記事

2016年4月 4日 (月)

【読】雨の日、桜満開、通院、読書

朝から小雨。
昼間、いっとき晴れ間がでたものの、肌寒い一日だった。

午前中、立川の病院へ。
24週間飲み続けた薬の効果を聞く。
なぜか、血液検査の数値が高くなっているため、三週間後に再検査となる。
おかしいなぁ。
医師も首を傾げていた。

病院の駐車場は、ソメイヨシノの古木が囲んでいて、満開だった。

撮影 2016/4/4(月) 東京都立川市

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病院で、採血後、診察までの待ち時間に本を読む。
病院の待合室は、読書がはかどる。

玉居古靖宏さんの 『戦争小説家 古山高麗雄伝』 (平凡社)を、帰宅後に読了。

― Amazonより ―
<一兵士としての戦場体験を基に「戦争小説」を繰り返し書いた古山。「人生しょせん運不運」と嘯いた特異な人生観はいかに生まれたか。
安岡章太郎ら「悪い仲間」との出会い、戦う気もない兵隊として過ごした戦争、鬱屈した編集者時代、そして旧友との別れ―「人生、しょせん運不運」と嘯いた作家の生涯。>

たいへん読みやすい平易な文章で、古山高麗雄の生涯を追った好著。
このところ、古山高麗雄の著作を読み続け、この評伝を読んだが、しばらくのあいだは古山高麗雄から離れようと思う。
何冊か、まだ読みたい本が手元にあるが。

玉居子靖宏さんのブログ
南方通信
http://nanpou.exblog.jp/

ところで、この本で知ったのだが、宮城県刈田群七ケ宿町にある 「水と歴史の館」 には、古山高麗雄の遺品が展示されているという。

ここは、古山高麗雄の父親の故郷。
いちど訪ねてみたい場所だ。

観る - 観光ガイド | 宮城県七ケ宿町
http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/sightseeing/view/mizu-to-rekishi.html
 宮城県七ヶ宿町ホームページ
 http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/ 内


小平図書館友の会の、次回の読書会(五月)の課題本が、村上春樹をテーマにしたもの。

加藤典洋 『村上春樹は、むずかしい』
 岩波新書 1575 2015/12/18発行 259ページ 800円(税別)

― Amazonより ―
<はたして村上文学は、大衆的な人気に支えらえられる文学にとどまるものなのか。文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか――。「わかりにくい」村上春樹、「むずかしい」村上春樹、誰にも理解されていない村上春樹の文学像について、全作品を詳細に読み解いてきた著者ならではの視座から、その核心を提示する。>

村上春樹の著作は、エッセイや短編小説をいくつか読んだものの、中・長編小説は 『羊をめぐる冒険』 ぐらいしか読んだことがない。

下準備として、初期の小説から順に読んでみようと思い、図書館から作品集を二冊借りてきた。
はたして、読めるかどうか。

それほど好きな作家じゃないからな。

 

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2016年3月28日 (月)

【読】読書再開

先週水曜日から五日間続いた古本市が終わり、ようやく本を読む時間ができた。

図書館から借りている古山高麗雄の『龍陵会戦』(1985年・文藝春秋)の続きを読む。

 

単行本も文庫版も、すでに絶版。
図書館にあったのは、多くの人に読まれた痕跡のある単行本。
シミや書き込みもあるが、貴重な本だ。

この小説の戦闘描写は、やたらと現地の地名・陣地名、それに人名(ほとんどが無名戦士)が出てきて、読むのに苦労している。
が、ところどころ、作者の戦争観が述べられているのが興味ぶかい。
この作家の作風なのだろう。

例によって、覚え書きとして転載しておきたい箇所がある。

<日本男子の面目、だの、大和魂、だの。人は振り返って、その言葉の使われ方を批判するが、その思い自体は、今もなお、多くの日本人に好かれているし、往時が語られる場合、とかくその思いに包装されて紋切型になりがちである。紋切型の美化は、紋切型の反戦と同じように、欺瞞ではなく、好悪であろう。そして、紋切型の美化を欺瞞と感じ憎むのも、やはりその人の好悪であろう。>

<美化だの欺瞞だのということいついて考え始めると、私は、底なし沼にはまり込んだような気持になる。結局、わからなくなってしまうのである。日本男子の面目や大和魂を大事にしている人がいた。今もいる。そういう人たちの美化や欺瞞とはどういうことなのか。日本人のそのころの傾向や趨勢を語ることも無意味ではないだろうが、それはそれだけのことである。>

<戦争指導者と呼ばれる人々、トップを目ざしていたエリート軍人たちに限らず、多くの人々が、考えとしては、大君のへにこそ死なめ、と思っていたのではないか。国民がそのように導かれたことは確かだろう。しかし、鰯の頭を信心する者には、鰯の頭は尊い。美化でも欺瞞でもない。信心していない者には、信心を強制されるのはたまったものではないが、彼我の是非などを論じる気持は、私にはない。>

(以上、P.235-236)

この後、著者が“敬愛して付き合っていた”吉田満の書いたものに触れているが、省略。

古山高麗雄が、その著作群のなかで、繰り返し語っている戦争感に、私は同意できるようになった。

<紋切型の美化は、紋切型の反戦と同じように、欺瞞ではなく、好悪であろう。そして、紋切型の美化を欺瞞と感じ憎むのも、やはりその人の好悪であろう。>

古山高麗雄は、この「紋切型」とは対極の考え方をする人だった。
一等兵として戦地を経験した彼は、いつも醒めた目で戦争を見ていたが、戦地で命を落とした人たちへの思いを引きずり、奇跡的に復員した、かつての戦友たちとの交流を死ぬまで続けた。

信頼できる人だと思う。

まだ、100ページ以上残っているが、頑張って読み通したい。

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2016年3月15日 (火)

【読】「断作戦」覚え書き

古山高麗雄の『断作戦』(1982年/文藝春秋)を図書館から借りて読んでいる。

 

終盤にかかった。
単行本の残りは70ページほど。
ちょと気になった個所があったので、覚え書きとして残しておこうと思う。

先の戦争(大東亜戦争/アジア・太平洋戦争)の末期、昭和19年頃、ビルマ(現在のミャンマー)北部から中国の雲南地方に侵攻した旧日本陸軍。

騰越城でほぼ全滅した部隊の奇跡的な生き残りである二人の兵士の、戦後の回想の形をとった長篇小説だ。

主人公のひとり、落合一政の回想から(P.250-P.251)。

<咽喉もと過ぎれば熱さを忘れる、ということか。人はみんな、そうなのではないだろうか。戦争では、普通では考えられないような残虐が行なわれる。戦場でも殺し合いだけならまだしも、ナチスがユダヤ人にしたようなことを、あれほど大規模ではないが、日本もしたし、また、されもしたのである。

 帝国陸軍はシンガポールで、何千人もの市民を虐殺したし、帝国海軍はマニラで、やはり何千人もの市民を虐殺した。シンガポールでは、同市に在住する華僑の十八歳から五十歳までの男子を指定の場所に集めた。約二十万人を集めて、その中から、日本側の戦後の発表では六千人、華僑側の発表では四万人の処刑者を選んで、海岸に掘らせた穴に切ったり突いたりして殺した死体を蹴り込み、あるいはそれでは手間がかかるので、船に積んで沖に出て、数珠つなぎにしたまま海に突き落とした。抗日分子を粛清するという名目で、無愛想な者や姓名をアルファベットで書く者などを殺したのだそうである。日本軍はシンガポールでは、同市を占領した直後にそれをしたが、マニラでは玉砕寸前の守備隊が、女子供まで虐殺し、強姦もした。アメリカの発表では、殺された市民の数は八千人である。これには名目などない、狂乱の所行である。>

犠牲者の数は、南京虐殺でもそうだが、被害国側の発表数字が大きすぎる気もする。
だが、それが問題ではない。
中国大陸でも、フィリピンでも、ビルマでも、旧日本軍はそういうことをしたのである。
弁解の余地はないはずだ。

昭和20年、日本の敗戦が必至になった時期の、あの沖縄戦も、これに負けず劣らず悲惨だった。
あれは、日本軍が、味方であるはずの沖縄の人たちを見殺しにした戦闘と言えるだろう。


慰安婦についても、知るところがあった。
作者の古山高麗雄が見聞した事実であろう。

これも落合一政の回想(P.256-257)。

<あのころは、騰越城の大半が占領されて、いたるところで死闘が展開されていた。そんな城内から食料が届いた。握り飯一個とカンパン一袋とをもらった。握り飯は、慰安婦たちが弾雨の中で作ってくれたのだと聞かされて感激した。あのころはもう炊き出しなどのできる状態ではなかったのである。あれは、彼女たちが、身を死の危険にさらして握ってくれた握り飯だったのである。>

<同夜、一政たち飲馬水陣地の守兵は、城内からの脱出を援護した。十三日も雨であった。敵は照明弾を打ち上げ、東南角陣地から激しく脱出部隊に銃撃した。その弾雨を潜って、慰安婦たちも脱出した。その被害の程度はわからないが、脱出者たちは、破壊孔から躍り出ると一政たちが待機していた林の中に飛び込んで来た。慰安婦たちも軍服を着て鉄帽をかぶっていた。暗い林の中だから、人数はよくはわからなかったが、二十人か三十人ぐらいいたのではなかったか。>

こんな激しい戦闘が繰り広げられていた戦場にも従軍慰安婦がいたことに、私は衝撃を受けた。

この少し後の記述で、主人公たちが籠っていた騰越城にいた慰安婦たちがどこから来て、その後どうなったかも書かれている。

落合一政が、もうひとりの主人公である白石芳太郎と、戦場を回想する場面(P.260-261)。

<「白石さんは、騰越で慰安婦が作ってくれた握り飯のこつば、憶えとらるるかね」
 …(中略)…
 一政が、握り飯のことを言うと、芳太郎は、
 「憶えとるとも。一生、あの握り飯の味は忘れんたい」
 と言った。

 「あの慰安婦たちとは、キャンプで出会うたが、その後、どぎゃんなこつになったじゃろうかね」

 「キャンプで出会うたもんたちは、朝鮮に送り返されたわけじゃろうが、キャンプに収容される前に、雲南の山ん中で死んでしもうたもんもおろうし、戦後、病気で死んだもんもおるじゃろう。あのころ、二十ぐらいだったもんも、今はもう還暦に近い年配になっとるわけじゃ。 …(略)…」

 「慰安婦たちは、挺身隊じゃと言うて、強制連行されたというこつじゃが、ひどい目に遭うたな。今になってみれば、九月十三日の晩、城内から慰安婦たちが逃げ出して来て、一緒に連れて行ってくれち言うたが、そうしてやればよかったち思わるる。と言って、一等兵のわしにそんなこつはできまいし、あんときは捕虜になるとは考えておらんじゃったもんな……」>


古山高麗雄は、この戦闘には参加していないが、体験者への取材をたんねんに重ねて、この小説を書きあげたという。
上にあげた状況は、ほぼ事実だったと思う。

あの戦争では、いたるところで、これに似た戦闘が繰り広げられ、おびただしい数の敵味方の将兵が命を落としたのだ。
戦闘だけでなく、それ以上に、疾病や飢え、でも。

その事実から目をそらさないことだ。
そして、日本兵は勇敢だったとか、よく戦ったなどと、美化しないことだ。
(ネットを調べていると、体験者のそのような言説を目にすることがあるが……)

古山高麗雄は、軍の指導者や指揮官ばかりでなく、その頂点にいた昭和天皇にも怨嗟のまなざしを向けている。
一兵卒のまなざしである。

ほとんどの帰還兵が、戦後、沈黙を守ったのだろう。
戦場での体験を語りたくない、その気持ちもよくわかる。
だが、ほんとうのことを知りたい。

戦後生まれの私は、無数の無名兵士たちの声に耳をすますつもりで、あれこれ読んだり調べたりして、あの戦争の実態を知りたいと思い続けている。

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2016年3月14日 (月)

【読】古山高麗雄 『断作戦』

このところ、古山高麗雄という作家に、はまっている。

この作家に関するブログ記事も増えたので、カテゴリーに「古山高麗雄」を追加。

きのうから、『断作戦』 という長編小説を読んでいる。
(「文學界」198年4月号~1982年7月号連載/1982年11月、文藝春秋から刊行)

『龍陵会戦』 『フーコン戦記』 と並ぶ、彼の「戦争長篇小説三部作」の最初の作品だ。

「断作戦」 などという名前は、よほどの戦記マニアか、あの戦争でビルマ(現在のミャンマー)の戦闘にかかわった人しか知らないだろう。
もちろん、私もつい最近まで知らなかった。

― Wikipedia 「断作戦」 より ―
 断作戦とはイギリス軍と中国軍の攻勢によってビルマ北部を失った後も、中国国民党への物資援助ルート(ビルマ・ルート)を遮断し続けることを目的とした日本陸軍の作戦。
 作戦案は大本営の作戦班長や支那総軍の課長参謀を歴任した辻政信陸軍大佐(辻は1944年(昭和19年)7月3日に第33軍参謀に補職)。当初はミイトキーナ線を重要視していたが、辻の案で雲南周辺に戦力を集結することに決まったのである。
 具体的には第33軍がビルマと中国国境のバーモ及びナンカンを攻撃し、中国雲南省を目指す計画であった。だが、アメリカ、イギリスはすでに空路をつかって援助物資を国民党に送り込んでいた。地上における遮断作戦はあまり意味をなさなかったが、西から進撃し続けるイギリス・インド軍と、北で反撃に転じた雲南遠征軍両方から圧迫を受けていた。そのため、目的が変わり、攻勢からビルマ北部を持久戦によって戦線を支えた。

いわゆる「援蒋ルート」を遮断する目的から、「断作戦」と名づけられたのだろうが、日本軍はほぼ全滅という悲惨な戦闘だった。

ビルマの戦闘といえば、「インパール作戦」が有名だが、ビルマ北部から中国(雲南)にかけての戦闘も忘れてはいけないだろう。


古山高麗雄は、エッセイ集 『反時代的、反教養的、反叙情的』 (2001年/KKベストセラーズ刊 ベスト新書)で、この小説について次のように書いている。

<私は、中国雲南省で全滅した騰越(とうえつ)守備隊を扱ったものを「断作戦」と題して「第一部とし、同じ雲南省の龍陵(りゅうりょう)の攻防を書いた「龍陵会戦」を第二部としたが、「断作戦」と「龍陵会戦」とは、連載を始めてから完結するまで、合わせて四年半ぐらいしかかかっていない。ところが、第三部の「フーコン戦記」を書き終えるのに、それから十三年半かかった。/私は、雲南地区の戦いには参加しているので、二部までは書きやすかったのであろう……(後略)>

<ビルマの戦い、というと、インパールばかりが大きく報じられているが、昭和十九年、日本軍はそれだけの戦力もないのに、インパールの占領を夢想し、米英支連合軍は、インパールでは日本軍の自滅を予見し、援蒋ルート確保のために、雲南、フーコンをビルマ反攻の主戦場とした。日本軍には戦力もない上に、その連合軍の意図に対応する知恵もなかった。>

 ― 上掲書 P.198-199 より ―


ところで、図書館から借りている単行本の『断作戦』は、困ったことに、表紙見返しの地図がカバーのそでに隠れて見えないのだ。
この小説には、一般的な地図には載っていない当時の地名が頻出するため、地図の全体が見えないのはつらい。


この小説について書かれたブログを発見した。
上手にまとめられている。

『断作戦』古山高麗雄 - うちゅうてきなとりで
http://the-cosmological-fort.hatenablog.com/entry/2015/05/05/065527
 うちゅうてきなとりで
 http://the-cosmological-fort.hatenablog.com/ 内

この小説、323ページのうち、ようやく三分の一まで読んだが、地名の関係が複雑でなかなか頭にはいってこないのが、ちとつらい。

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2016年3月13日 (日)

【読】読書会、図書館、新刊書店

肌寒い曇り空の一日だった。

午後、小平図書館友の会の読書会に参加。
今日の参加者は8人。
主宰者のO(オー)さんの博識ぶりを傾聴。

課題本の『文系学部解体』(室井尚 著)について、談論する。
私の関心の薄い分野だったが、人それぞれ抱いた感想がちがい、それなりに勉強になったかな、と思う。

読書会の会場へ車で向かう途中、図書館に寄って読み終えた本を返却。
その前に、近くの新刊書店で、ネット注文してあった本を受け取る。
単行本、新書あわせて4冊購入。

図書館から借りていた玉居古精宏さんの『戦争小説家 古山高麗雄伝』(平凡社)が、とてもいい本で手元に置いておきたいと思い、購入した。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』
 玉居子精宏 (たまいこ・あきひろ)
 平凡社 2015/8/5発行 279ページ 1,800円(税別)

同じく、玉居古さんの新書も購入。

『大川周明 アジア独立の夢 ―志を継いだ青年たちの物語』
 玉居子精宏 (たまいこ・あきひろ)
 平凡社新書 651 2012/8/10発行 305ページ 880円(税別)

他に新書を二冊。
気になっていた本も購入。

 

そして、いよいよ古山高麗雄の戦争三部作の第一弾、『断作戦』を読みはじめた。
図書館から借りているこの本(1982年発行)は、多くの人に読まれた本らしく、かなり傷んでいる。
古山高麗雄の読者が多いのだろう。

読みたい本はたくさんある。
「いつも読みたい本ばかり」(渡辺一技)。

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2016年3月12日 (土)

【読】三月十日という日

3.11の前日(1945年3月10日)のことなので、東京大空襲のことは、忘れられがちだ。

もちろん、あの空襲を体験した人たち、その遺族、年配の戦争体験者には忘れられない日だ。
今年も、この日の新聞、テレビ、ラジオなどで特集があった。


先日、図書館の新着図書コーナーでみつけて借りてきた本を、読んでいる。

和賀正樹 『これが「帝国日本」の戦争だ』
 現代書館 2015/11/30発行 127ページ 1,200円(税別)

戦禍のショッキングな写真満載だが、いろいろ新しい発見があった。

東京大空襲のあとの、たくさんの黒焦げ焼死体の写真も、掲載されている。
撮影者は石川光陽とのキャプションがある。

当時、報道機関などによる写真撮影は禁じられていて、新聞にも正確な被災状況は発表されていない。
石川光陽は、撮影を許可(命令)された数少ない人だった。

石川光陽とは――
1904-1989 昭和時代の写真家。
明治37年7月5日生まれ。東京九段下の蜂谷写真館で修業。昭和2年警察官となり,6年から警視庁警務部企画課に勤務し,雑誌「自警」に管内のスナップ写真を連載。17年から空襲による被害を撮影しつづけ,「東京大空襲の全記録」をのこした。平成元年12月26日死去。85歳。福井県出身。本名は武雄。写真集に「痛恨の昭和」など。

 ― デジタル版 日本人名大辞典+Plusより ―

地元の図書館に、この人の著作があったので、そのうちの一冊を借りてみようと思う。

石川光陽 『グラフィック・レポート 痛恨の昭和』
 岩波書店 1988年発行

<カメラと日記で綴る歴史の証言。「皇軍の赴くところ敵なし、大日本帝国が大東亜に君臨する日も間近かである。警視庁のやっている防空演習は、失礼ながらまことに無駄なことと申し上げたい…」太平洋戦争に突入して戦局の良かったころ、陸軍報道部の将校が警視庁を訪れて講演をした。この速記録を警視庁のカメラマンだった石川光陽さんは、いまでも怒りを込めて保存している。> ― Amazon ―


今読んでいる 『これが「帝国日本」の戦争だ』 には、私が知らなかったり誤認していたことが、他にもあった。

東京大空襲の八日後(3月18日)に、天皇(当時の昭和天皇)が被災地を視察したという。

<中世から<聖なる天皇>は、死や地や産などの穢れからもっとも遠いところに存在してきた。/臨戦下とはいえ、腐乱死体、焼死体を「玉体」である陛下の視界に入れてよいものか。/視察の内定以来、夜を日に継ぎ、順路の死体の処理清掃を急いだ。(中略) 空き地、寺院、グラウンドに陸軍が大きな穴を堀り、身元不明の遺体を百単位で投げ込み、合葬していく。……> (本書 P.98 「ご巡幸」・・・天皇は焼死体を見たか)

天皇は、わずか一時間、車で「ご巡幸」しただけだったという。
とうぜん、焼死体など目にしなかったことだろう。

もうひとつ。
これは、敗戦直前の空襲、原爆投下にまつわる話。

京都が原爆投下の第一候補だったことを、迂闊にも私は知らなかった。
アメリカが、はじめから、文化遺産の多い京都の空襲を除外していた、という通説は間違っているようだ。
スチムソン陸軍長官が京都への投下に強く反対した結果、京都が除外されたということはあったようだが……このあたり、ネット情報はまちまちで、何を信用していいのか、まだわからない。

いずれにしても、少なくとも当初は、京都、広島、横浜、小倉などが原爆投下の候補地だったらしい。

「あの戦争」について、まだまだ勉強し、調べなければ、と思う。

それにしても――
あの戦争での米軍の冷酷さ(日本本土への無差別空爆、原爆投下、沖縄戦)は、なんとしたものか。
これに対して、日本人が戦後、米国を強く非難してこなかったのは、なぜだろう。

よくよく考えなければいけない。

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2016年3月10日 (木)

【読】古山高麗雄が、いい

作家との出会いというのも、おもしろいもので。

たまたま別の本を読んでいて知った、古山高麗雄という作家。
名前だけは知っていたが、読んだことがなかった。

古山は大正9年(1920年)生まれというから、私の父(すでに故人)よりも少しだけ年長。
父は、師範学校在学中に召集された。
繰上げ卒業だったらしい。
海軍少尉の階級で、飛行機に乗ることもなく敗戦を迎えた。

わずかな年齢の差が、古山高麗雄と私の父の運命を分けた。
そう思うと感慨ひとしおだ。

父から戦争の話を聞くこともなく、36年前に54歳で早逝してしまった。
そうか、生きていれば90歳になっていたのだ。
いま思えば、父からはもっといろいろ聞いてみたかった。


何冊か古山高麗雄の本を読んだあと、こんな評伝が出版されていることを知り、図書館から借りてきた。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』
 玉居子精宏 (たまいこ・あきひろ)
 平凡社 2015/8/5発行 279ページ 1,800円(税別)

― e-honサイトより ―
[要旨]
安岡章太郎ら「悪い仲間」との出会い、戦う気もない兵隊として過ごした戦争、鬱屈した編集者時代、そして旧友との別れ―「人生、しょせん運不運」と嘯いた作家の生涯。
[目次]
第1章 「悪い仲間」たち
第2章 「兵隊蟻」の戦争
第3章 「万年一等兵」の下積み
第4章 「悪い仲間」との決別
第5章 「戦争三部作」への執念
第6章 文士の“戦死”
終章 落葉、風を恨まず

表紙は、兵隊時代の古山高麗雄だろう。

これから読みはじめるところだが、本文より先に「あとがき」をちらっと読んでみた。
古山高麗雄という作家の魅力が、うまくまとめられていて、「そうだ、そうだ」と膝を打った。

少し長いが、あとがきから引用してみる。

<開き直りと切実さを感じさせる言葉の連なり。古山高麗雄の作品を読むと、そんなことを感じる。例えばデビュー作「墓地で」の中で、上官に「役に立たない兵隊」と罵られる「私」がこう思う――。

彼らが、八紘だの玉砕だのと翼賛語を使ったら、私は嘲笑することにしていたのだった。なにがギョクだ。大君のへにこそ死なめ。なにが、へにこそ、だと思う。私には思う自由、というものがある。これだけは、誰も束縛することができない。

 「思う自由」あるいは「思うだけの自由」。それは圧倒的に自由に見える戦後を生きる私にとってたとえようもなく重いものに思える。
 私は古山の言葉に新鮮さを覚えながら、作品を読んできた。それまでに読んだ「戦争文学」に感じていた深刻さをあまり感じないのが不思議でもあった。
 古山が戦場で無数の死に接したことを思えば、開き直りと切実な思いを抱えて戦後を生き、書いたことは当然だろうと思う。(後略)>
  ― 本書 P.273 ―

著者は1976年生まれのノンフィクションライター。
若い!

楽しみな本である。

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【歩】図書館に足を運ぶ

曇り空。
きのうより少しだけ暖かいものの、最高気温8ほどで肌寒い。

車で買い物と図書館へ。
市内の図書館へ行き、借りていた本を返却。

新着コーナーに、興味深い本があったので借りてきた。
私の知らなかった本だ(2015年11月発行)。

やはり、図書館には足を運ぶべきだと、あらためて思った。

買い物の帰りに隣りの市の図書館にも行き、予約しておいた古山高麗雄の評伝を借りてきた。

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書影をブログに掲載することが、著作権の点からどうなのかわからないが、上の二冊。

 


車を走らせている途中、ハクモクレンの開花しているのをみかけた。

駐車場に車をとめてから住棟のまわりをみると、ユキヤナギ、ジンチョウゲ、ハクモクレンが開きはじめていた。

肌寒い曇り空だが、少しだけ春を感じる。

撮影 2016/3/10 東京都東大和市

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さて、これから車で小平へ。

小平図書館友の会の定例役員会に出席する。

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2016年2月29日 (月)

【読】曇りがちの日

朝から、どんより曇り空。
午後には雨もぱらついた。

午前中、車で立川の病院へ。
腹部CTスキャンだったが、造影剤の注射針が途中で血管から抜けてしまい、あせった。
病院の人は、よくあることなのか、平然と針を射しなおして事なきを得た。


検査の前に、病院近くの新古書店を覗く。
古山高麗雄の本を探したものの、文庫、新書、文芸書コーナーには、古山高麗雄の本は一冊もなかった。
思いついて戦記もののコーナー(この店は戦記ものがなぜかたくさんある)を探すと、『フーコン戦記』 の単行本があった。

ごていねいにパラフィン紙をかぶせた、新品同様の本が750円(定価1,714円)。
絶版本をありがたく購入。

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午後、申請手続きのために市役所へ。
ついでに、隣りの中央図書館に寄り、古山高麗雄の小説を借りた。

『断作戦』(1982年/文藝春秋)、『龍陵会戦』(1985年/文藝春秋)、それに、『妻の部屋』(遺作12篇、2002年/文藝春秋)の三冊。
いずれも単行本。
借りる人が少ないせいか、開架にはなく、書庫にあった。

こんなにたくさん借りて、いちどに読めそうもないが、ざっと中身だけでも追ってみよう。
貸出期限は二週間後。
さらに二週間の貸出延長ができるので、がんばって読もうと思う。


今夜から、なでしこジャパンのオリンピック最終予選が始まる。
楽しみだ。

今日は2月29日、うるう日。
そういえば、四年前の今頃、引越しの準備で大童だったが、29日に大雪が降ったのだった。
あれから四年たったのか。

【雑】雪かき: やまおじさんの流されゆく日々
2012年2月29日(水)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-afe5.html

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2016年2月28日 (日)

【読】古山高麗雄

古山高麗雄という、14年前に亡くなった作家の作品を読んでいる。

なんとなく気になっていた人なのだが、これまで読んだことがなかった。

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(KKベストセラーズ ベスト新書 『反時代的、反教養的、反叙情的』 2001年刊 カバーより)


朴裕河(パク・ユハ)という韓国の大学教授が書いた 『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』 (朝日新聞出版/2014年刊)を読み、そこに古山高麗雄の小説が引用されていたので、この作家の作品を読んでみようという気になったのだ。

古山高麗雄、Wikipediaには――

<1920年(大正9年)8月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。芥川賞作家。/主として太平洋戦争での従軍体験や戦後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。>

――と、ある。

また、日本大百科全書(ニッポニカ)には――

<小説家。朝鮮新義州生まれ。旧制三高中退。第二次世界大戦中は一兵卒として転戦。戦後は編集者となったが、その間、1969年(昭和44)短編『墓地で』でデビューし、翌年には戦争体験を素材にした『プレオー8(ユイット)の夜明け』で芥川(あくたがわ)賞を受賞した。苦いユーモアとさりげない平常心に潜む虚無を、平明な文体でつづる作品が多い。『小さな市街図』(1972。芸術選奨新人賞)、『点鬼簿』(1979)、『蛍の宿』(1980)などに、その面目がうかがえる。その後、『日本好戦詩集』(1979)を発表、そして『断作戦』(1982)、『龍陵(りゅうりょう)会戦』(1985)、『フーコン戦記』(1999)は、著者の過酷な戦争体験をもとにして、戦争に巻き込まれた人々への鎮魂の思いをつづった、渾身(こんしん)の三部作で、2000年(平成12)の菊池寛(かん)賞受賞作となった。ほかに『岸田国士(くにお)と私』(1976)、『セミの追憶』(1994。川端康成文学賞)などがある。[金子昌夫]
『『小さな市街図』(1972・河出書房新社) ▽『断作戦』(1982・文芸春秋) ▽『龍陵会戦』(1985・文芸春秋) ▽『セミの追憶』(1994・新潮社) ▽『フーコン戦記』(1999・文芸春秋) ▽『二十三の戦争短編小説』(2001・文芸春秋) ▽『プレオー8の夜明け 古山高麗雄作品選』(講談社文芸文庫)』 >

――と、紹介されている。

陸軍一等兵として、南方(マニラ、マライ、ビルマ、カンボジア、ベトナムなど)を転戦し、日本の敗戦後も戦犯容疑者としてサイゴンの監獄に収監された。
俘虜収容所に勤務していたときの捕虜虐待容疑だった(捕虜を一度、軽く殴っただけだったというが)。

1947年4月、禁錮八ヶ月の判決を受けたものの、未決通算によって裁判の翌日釈放され、現地のキャンプで過ごしたあと、同年11月に復員。

復員後、自らの戦争体験を反芻し続けながら、私小説やエッセイを書き続けた。
死ぬまでずっと、“あの戦争”にこだわって生き続けた人だった。


いま、エッセイ集 『反時代的、反教養的、反叙情的』 (ベスト新書/2001年刊) を読んでいる。
著作の大部分が絶版となっていることが、残念。

自身が「三部作」と言い、ライフワークと呼ぶべき長編小説 ―― 『断作戦』(1982・文芸春秋)、『龍陵会戦』(1985・文芸春秋)、『フーコン戦記』(1999・文芸春秋) ―― を読んでみたいと思う。
さいわい、図書館にあるので。

     

図書館から借りて、昨日読み終えたばかりの 『二十三の戦争短編小説』 (文藝春秋/2001年刊)』 は、文庫版がAmazonに出品されていたので、購入することにした。

この短編集からは、深い感銘を受けた。


この人は、大上段に振りかぶった「正義」を嫌う。
戦後の日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶ、「反戦平和」の人たちに対しても手厳しい。

いっぽうで、あの戦争の愚かさを痛烈に批判する。

文章の柔らかさの裏に、硬骨漢の風貌――などと言われることを、ご当人は嫌っていただろうが――が感じられ、私には好ましい。

<八月は、原爆と終戦と高校野球の月で、この国は、正義や涙に埋めつくされる。水戸黄門の印籠のような言葉をふんだんに聞かされる。二度と戦争の悲惨を繰り返さないために戦争を風化させるな、などと言う。戦争の風化を繰り返さないために、というのは、黄門の印籠のような言葉の一つである。ハハアとひれ伏すしかないが、しかし、だからといって、戦争の風化は止めようがない。二度と戦争を起こさないために戦争を語り継ぐ会の人などがどんなに頑張って語ってみても、戦争は風化する。……>

 (『反時代的、反教養的、反叙情的』  P.44 「八月六日に生まれて」 1990年 より)

<……敗戦を経験したからといって、民族性が変わるものではない。戦前戦中、軍人や、軍人に劣らず軍人風のことを言っていた民間一般人たちの体質が、戦後変わったわけではない。>

<……戦争に負けて教科書に墨を塗った人々は、厭なことに耐えてそれをしたのかどうか。……/……あのような恥しいことはなかったのに、わが民族は、それを恥とも屈辱とも思わなかったのである。日本人は恥を知る民族だ、と言っていたが、私たちは何を恥だとして来たのか。中国や朝鮮や東南アジアでいばりちらすことは、私は恥だと思うが、わが国は恥だと思わない。帝国軍隊のお偉方には、敗戦を恥じて自殺した人もいるが、彼らにとって恥とは何だったのだろうか。戦争に勝てなかったということだろうか。第二次大戦で、フィリピンでは約七割、ビルマでは約六割の日本兵が死んだ。そのほとんどは、栄養失調とそれにともなう病気で死んだのである。飢えて死んだのである。人をそんな状態にするとは、同じ人間として恥ではないか。勝とうが負けようが恥ではないか。……>

 (『反時代的、反教養的、反叙情的』  P.34-36 「懐かしい懐かしい戦争」 1988年 より)

そうだよな、と頷ける、含蓄のある言葉が他にもたくさんあって、まだまだ書き写したいのだが、これぐらいにしておこうか。

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